時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「危機の時代」のメリー・クリスマス

2018年12月24日 | 午後のティールーム

 

仕事場の片隅から:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《生誕》のカード


数年前からクリスマス・カードでの祝意の交換が激減した。ディジタル時代の変化の速さを実感する。多い時は3桁の枚数のカードにサインや短い近況などを記すのにかなりの時間を費やしたが、今年は1桁になった。

自然界、経済、政治・・・、多くの分野で歴史の「激変」、「退行」を思わせる出来事が多い一年だった。京都、清水寺が選んだ今年を象徴する一字「災」の域を超えるかもしれない変化が世界レヴェルで起きているようだ。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの時代、17世紀ヨーロッパは世界史上初めて「危機の時代」と呼ばれ、ほとんどどこかで大小の戦争があった。危機はグローバルなものであったとの分析もある。21世紀になっても地球上で戦争は絶えない。新年は平和な年になることを祈りたいが、予断を許さない状態が各所に見られる。自然現象は人の力では発生を防ぎ難いことだが、戦争は人間に責任がある。

仕事場(といっても、ほとんど仕事はしていない)の壁にかけているポスター。.額縁の方がはるかに高価だった(笑)。ラ・トゥールは「ハロー」(聖人や天使の頭上に描かれる光輪)などのアトリビュートをほとんど描いていないリアリストの画家だが、ブログ筆者が下手な写真を撮ったところハレーション(光暈:こううん)を起こしてしまった。

「危機の時代」、それでもメリー・クリスマス!

 

 

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必要なのは日本の位置確認:転換した世界の移民観

2018年12月23日 | 移民政策を追って

ベルリン エジプト美術館
Affenstatue mit Namen des Narmer
Agyptisches Museum Berlin 22607

(photo: Jurgen Liepe)


内外共に、「波乱」と「退行」の1年が終わろうとしている。多くの出来事のひとつ、改正出入国管理法を強引に成立させた政府レヴェルでは、各省庁が新年4月からの新在留資格「特定技能」に対応する関連予算を掲げている。しかし、少し離れて見ると、内容は断片的で、実効性に疑問符がつくものが多い。縦割り行政の断裂がいたるところに見られる。政策としての一元性が感じられない。発想の根源がほとんど旧来の路線から出ていない。長らく批判対象になってきた外国人技能実習制度も存続させるようだ。問われているのは制度自体の存否であり、予算を増やして改善を期待するという次元ではないはずだ。

外国人労働者が大都市圏に集中しないよう必要な措置をとるともいわれている。しかし、最低賃金ひとつをとっても、地方の方が都市より低く設定されている。自治体への地方創生交付金の活用で人の流れが都市から地方へ変わるだろうか。過去の経験にみるかぎり、大きな疑問符がつく。仕事の機会は簡単には創出できない。オリンピック関連工事なども、圧倒的に東京など都市部に集中している。大都市や隣接した町村で集住が進む。

ベトナムでは日本で働くことへの期待が存続する一方、介護実習生の劣悪な労働・生活環境も伝えられ、日本への希望者が激減しているという。IT社会では、情報はリアリティを伴い、寸時に伝達される。日本語を習得すること自体に疑問も生まれているようだ。英語の方が能力を活かす場として、はるかに普遍性が高いことに気づいている。問題を指摘すれば、数限りない。今回の受け入れ案では構想の欠如、対応の不備、拙速さが目立つ。

高まる国境の壁
世界の主要な移民受け入れ国は、総じてその門扉を狭めようとしている。トランプ大統領は「鉄の壁」で不法移民を阻止すると主張し、予算審議の対立点になった。一時は他国が対応できないほどグローバル化を主張してきたアメリカだが、状況は一変した。他方、送り出し国側も優れた自国民の海外流出のマイナス面に気づき始めた。

移民の数は世界規模では、およそ75億人まで増加した人口増加も反映して、新たな水準に達しつつある。送り出し国、受け入れ国共に、移民(外国人労働者)の受け入れ、送り出しの数を少なくしようとしている。最近、アメリカの専門調査機関 Pew Research Centerが2018年春の時点で、主要27ヵ国について実施した調査結果を見てみよう。中国が含まれていないことを含めて、やや概略に過ぎる感もあるが、興味深い点も多々あり、取り上げてみたい。

調査に含まれる主要な質問のひとつに、「あなたは自分の国へ現在以上の移民immgrantsが入国するのを許すべきと思いますか、それとも、もっと少なくすべきと思いますか、あるいは今と同じ水準にとどめるべきと思いますか」というものがある。調査対象は世界の主要地域・国別に分類され、比率(%)で表示されている。

受け入れ拡大は少数
調査対象27ヵ国の合計では、中位数medianの45%が「移民受け入れはこれ以上あるいは全く受け入れるべきでない」と回答、他方36%は「現在と同じくらいならば受け入れてもよい」とし、14%が自国はもっと「受け入れべきだ」と回答した。

国別ではギリシャ(82%)、ハンガリー(72%)、イタリア(71%)、ドイツ(58%)などが「これ以上、移民は自国へは来るべきでない」と回答した比率の高い上位の国々である。これらの国々は(働くことを目的とした)移民のみならず、中東やアフリカなどからの難民や庇護申請者が目指した国々として、その対応に苦慮した中心的な国である。

ヨーロッパのこうした国々とほとんど同じ考えを示したのは、地域はばらばらだが、イスラエル(73%)、ロシア(67%)、南アフリカ(65%)、アルゼンチン(61%)などである。これらの国々も移民の入国はもっと少なくすべきだと回答した者の比率が大きい。移民をもっと受け入れるべきだと回答した者の比率はいずれの国でも4分の1以下であった。

アジア・オセアニア(中国、北朝鮮を除く)地域では、インドネシア(54%)、インド(45%)、オーストラリア(38%)などが、移民受け入れはもっと少なくすべきだとの回答者の比率が多い国である。ちなみに日本は「これ以上の受け入れを制限するべきだ」とした者の比率は13%、「現在と同じくらい」が58%、「受け入れを増やすべき」は23%であった。受け入れ拡大が必要と考える人の比率が高い国のひとつだ。

2017時点の世界全体で、2億5800万人(全体の3.4%)が自分の出生した母国とは異なる国に住んでいた。1990年時点では1億5300万人(2.9%)だった。きわめて大きな移動がこの時期にあった。ちなみに、この調査で取り上げられた27カ国で世界の移民の半数以上を占めている。

流出する国民への懸念
他方、自国から他国へ仕事を求めて移動・流出する人々に憂慮する国も多い。本来、自国においてその才能・技量を発揮するよう期待される人たちだが、彼らが海外へ流出してしまうのは送り出し国にとっては重大な関心事であり、時には「頭脳流出」brain drain と呼ばれる現象である。

ギリシャ、スペイン、ハンガリーなどが、強くこの点を訴えてきた。他方、フィリピン、メキシコ、ケニア、ナイジェリアなど、海外流出の比率が高い国でも、長年にわたりそうした動きに慣れ、むしろ彼らの本国送金に期待する国々もある。

これ以外にも優れた自国民の海外への流出が問題として識者などの間で意識されている国としては、ロシア、韓国、ケニヤ、ポーランド、イタリアなどが挙げられている。注目すべきことは、多くの人が自国民が、海外へ流出する数が増加することを「非常に大きな問題あるいはかなり重要な問題」だと思っている人々の比率はかなり高いという点である。調査対象とした国27ヵ国の中位数は64%とかなり高率である。

これは何を意味しているのだろうか。調査全体からは多くのことを知りうるが、この質問に限って手短かに言えば、(1)世界の大勢は移民受け入れについて、扉を狭める方向にある、(2) 自国民、とりわけ優れた資質を持つ国民が海外へ流出することに危惧の念を抱くようになっている。逆に言い換えると、「頭脳獲得」brain gain は急速に難しくなっている。

こうした潮流の中で、労働力不足に迫られている日本は、外国人労働者の受け入れを拡大しようとしている。受け入れを減らそうとしている主要先進国の中ではかなり例外的である。受け入れに慎重な国が増え、海外の働き場所が減少し供給圧力が高まっている環境で、他の受け入れ国とは反対の方向(受け入れ拡大)を目指すからには、かなり周到な準備が必要だ。労働者は原材料のように増減の調節はできない。かつて、ブログ筆者は
「ラチェット効果」(ラチェット歯車:逆転できない歯車)にたとえたことがある。とりわけ人口大国の中国に近接する日本は、起こりうる可能性を慎重に検討しておかねばならない。いかなる選択肢があるのか。2020年東京五輪などで人手不足の業界の圧力に押されて、将来に禍根を残さないよう拙速を避け、国民的議論を尽くすべきだろう。

 

この調査で取り上げられているのは「移民」であり、「難民」refugees は含まれていない。後者は戦争、迫害など非自発的要因で母国を離れ、他国へ避難、救済などを求める人々だが、本調査には含まれていない。移民は傾向が予測できるが、難民は増減が不規則で予想し難い。「移民」、「難民」の判別、区分も年を追って難しくなっている。

調査の全体(統計処理の詳細を含む)は下記を参照されたい。

Many worldwide oppose more migration – into and out of their countries , Pew Research Center(http://www.pewresearch.org/fact-tank/2018/12/10/many-worldwide-oppose-more-migration-both-into-and-out-of-their-countries/)

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構想なき出入国管理法改正の行方

2018年12月13日 | 移民政策を追って

 


出入国管理法案をめぐる議論は急激に進行しており、今日明日中には成立する見通しだ*1しかし、議案は構想は極めて不十分であり、検討に時間をかければかけるほど問題は次々と出てくる。成立を急げば、発効後に取り返しのつかない大きな悔いが残る。しかし、国民レヴェルでも、ほとんど詰めた議論もなく、この国は大きな決断を迫られている。1980年代以降、日本は何を学んだというのだろうか。

政府はさしたる説得的構想や受け入れ拡大の理由を提示することもなく、来年4月からの施行を考えている。なぜこれほど急いでいるのか。考えられる一つの理由は、2020年に迫った東京五輪の施設建設や被災地復興に関わる建設労働者の不足、高齢化の進行がもたらした介護・看護分野の人手不足などが予想を越えて拡大し、関連業界の経営者が追いつめられ、与党・政府に圧力をかけた結果とみてよいようだ。五輪後にこの国がどうなるかなど、およそ考えられていない。

確たる構想の下で練られた制度改革とは到底いえない。日本は未来を向いている国なのだという新鮮味はなく、朽ちかけてきた制度の手直し程度に過ぎない。批判する野党側にも問題が多い。対する側にさしたる構想がなかった。これまで準備をしてこなかったのだ。結果として、的外れや部分的な議論が多く、TVなどの議論を見ても、1980年代以降の経緯をほとんど理解していない発言も少なくない。 

施行前に全体的構想を示せとの衆院議長の發言も出ているほど議論収斂の方向も見えず、とにかく受け入れ拡大案だけ通すという破滅的な政策だ。

二、三の例をあげてみよう。

技能実習制度の負の遺産
依然として技能実習制度の手直しなどに固執している論者もある。折しもヴェトナム人技能実習制度実習生の自殺が伝えられている。なかにはブローカーから100万円近い借金を抱えて来日し、最低賃金を下回るような低賃金での就労では到底返済もできず、言葉も十分分からず、文化も異なる日本での生活に溶け込めず、精神的にも鬱屈し、自殺などの不幸な状況に追い込まれることが多いようだ。

この国際的にも悪名高い制度は、見直し程度ではこれまでに刷り込まれてしまった負の遺産は払拭できない。

日本で身につけた技能で帰国後、母国に尽くすという国際協力なる立法目的は、ほとんど最初から死文化している。そして、帰国するのもままならず、日本人が働かなくなった分野での劣悪な仕事に就いているという現実が、研修生の期待と大きく離反している。失踪者が増えるのも当然と言える。いくら言葉の上で繕っても、本質の改善にはならない。

そればかりか、現実には同様な被害や悪評が再生産されてしまう。こうした歪んだ制度は廃止し、新たな構想に基づく新制度を設計しなければならない。ここまで来たからには時間をかけるべきだろう。制度としても仕組みがクリアなものでなければ、悪徳ブローカーや使用者の思うがままだ。そのためには手始めに「就労」と「研修」という行動は全く別物であることを明示し、制度的にも区分しなければならない。「研修」の名の下に低賃金で技能研修生を「就労」させるという行為は欺瞞以外の何物でもない。

受け入れ数についての再検討
多くの国が移民制度改革を行い、国境の壁を高めている状況で、人口政策の失敗で受け入れを拡大するという逆の方向をとる以上、新しい受け入れの仕組みは起こりうる事態に十分に考え抜かれた制度であるべきだ。アジアでは人口の供給圧力が高まっている。その場限りの対応をしていれば、必ず大きなツケを払うことになる。リーマン・ショック時のような不況時に故国に帰るに帰れなかった日系ブラジル人はその例である。来年の4月から施行とは、拙速のそしりを免れない。

すでに130万人を越える外国人居住者の存在は、それだけで、国際的基準では歴然たる移民受け入れ国だ。技能実習生、留学生アルバイトなどが非熟練労働に従事している。こうした点を考えると、移民制度改革という視点はいくら強調してもしきれない。増える外国人やその子女の教育や医療についてはいかなる対案があるのだろうか。

他方、外国人を増やさなくともやっていけるのではないかという疑問もある。そのためには業種・職種についてかなり厳密な需給度を判定する市場テストが必要だ。国内労働者と外国人労働者との間には「代替」効果か「補填」効果のいずれかの関係がある。この判定を行う場合、賃金率はどれだけ上げられるのか。省力化の見通しなどが検討されねばならない。

熟練度の区分も問題だ。労働市場には、不熟練労働から高度な専門性を有する熟練まで、極めて多くの熟練の区分がある。提示されている二つの熟練区分ではない。外国人労働者の移動のあり方にも考えるべき点が多い。「特定技能一号」、「特定技能二号」という分類にも大きな問題がある。専門性、高技能の持ち主ならば、家族帯同も認めるという差別的対応も問題だ。「入国・在留」を認めた分野の中では転職を認めるが、転職の際には審査を必要とするというのも、将来問題化することは必至である。

労働は派生需要だから、製品やサービスの最終需要の変化に由来する労働への需要の変動に対して、いかなる対応をするのかという点に十分配慮しておかねばならない。不況時においても原材料の増減や機械の稼働率のように簡単には調整できない。

最低賃金、残業割増し、アルバイトについての規制など、外国人学生にはどれだけ伝わっているか。ブログ筆者がかつて行った実地調査の時には、地域の最低賃金額を知らない使用者が多く、呆然としたこともある。

一部の国際機関、研究者などが提唱している「サーキュレーション・マイグレーション」(循環的移民)もあまり効果は期待できない。母国の政治・経済事情が顕著な改善を見ない限り、現在いる国へ定着する傾向はむしろ高まる。さらに失踪、不法滞在者などが増えると、国民の不安、犯罪増加なども不可避的に起こる。多難な道だが共生のあり方を考えねばならない。

日本語教育の充実は、欠かせない。数日前にしばらくぶりに再会したオランダ人夫妻、長女が次のような話をしてくれた。大学病院勤務の医師という職業柄もあって、オランダ語が十分に話せない外国人同僚とは、微妙だが即断が必要な仕事はできないと率直に語っていた。人間の生死が関わるような切迫した手術などの仕事の場では、つい英語が出てしまうという。英語ならなんとか通じるからだという。日本の語学教育も再考しなければならない。やや脱線した論点だが、最近のオランダでは難民には人道的観点から同情的な人が多いが、(経済的)移民には厳しくなっているという。国民の間で、「移民」と「難民」の違いすら十分理解されていない日本が、5年間に最大34万人の外国人労働者を受け入れるという案には、疑問が尽きない。

こうした混迷した状況にあるから、近未来に向けて、言葉の真の意味での包括的移民政策の構想と充実は、もはや欠かせない。名称は多少変化するとしても「共生支援省」はいずれ必要になろう。「国土安全保障省」は見たくない。

 

アメリカ合衆国国土安全保障省*(United States Department of Homeland Security、略称: DHS)

2018年12月8日未明、参院本会議で、可決、成立。

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今に生きるか:「クリスマス・キャロル」の心

2018年12月03日 | 午後のティールーム

 

William Powell Frith, Charles Dickens in his Study, 1859, Victoria and Albert Museum, London, details

ウイリアム・P. フリス《書斎のチャールズ・ディケンズ 》部分


いつの間にかクリスマス・シーズンとなっている。しかし、はるか以前から宗教色はすっかり後退し、特別セールの広告など、年末の一つの風物詩のようになってしまっている。目ぬきの場所にはイルミネーションが輝き、クリスマス商戦といわれる華やかさを演出する。そこには宗教色はなく、厳しく言えば、物欲や金欲を追い求める風潮でみなぎっている。

世界も平和とは程遠く、騒然となるばかりだ。世界の指導者と称する人たちが、はるばるアルゼンチンまで出かけて解決策を話し合ったようだが、何が改善されるのだろう。一段と先の見えない時代になっている。

現代のクリスマスとは一体何なのだろう。濃霧に汚れたような状態の頭を多少なりと、クリアにしたいと、「映画館」に入る。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」を題材とした映画を見る。毎年、この喧騒に街が溢れるころ、クリスマスの映画と聞いて思い出すのは『マッチ売りの少女』か『戦場のメリークリスマス』か。今年は少し別の世界に浸りたい。

時は1843年のロンドン。清教徒の批判もあって、クリスマスは小さな祝祭に過ぎなかった。主人公は零落の作家チャールズ・ディケンズ(1812~1870)。ポーツマスに生まれたが、間もなくロンドンを経て、ケント州チャタムへ移り住む。ロンドンで借金を返済できず債務者監獄へ収監された父親を助けるため、チャールズは極貧の生活で学校もほとんど行けない。1824 年に生家が破産し、靴墨の工場で働く。ここでの悲惨な仕事はディケンズに深い心の傷を残した。街中でも「煙突掃除人」はいらないかと、子供を売りつけるような社会環境だ。児童労働など当たり前の世界だった。しかし、ディケンズの時代から200年近くを隔てた現代の世界から児童労働は消えていない。


Sir Samuel Lake Fildes, Applicants for Admission to a Casual Ward, 1874, oil on canvas, Royal Holloway, University of London, details.

サミュエル・レーク・フィルダース卿、《救貧院への応募者》部分


その後、世界的文豪の名をほしいままにしたディケンズは、時代をどのように生きたのだろうか。貧窮の時代、彼は弁護士事務所の書記などをしながら、文筆仕事を続け、なんとか生活を立てなおそうと努力する。編集者の娘と結婚し、10人の子供をもうけた。その後紆余曲折あり、作家として有名になったディケンズは、訪れたアメリカでは一大文豪と歓待されたが、なんとなく馴染めなかったようだ(『アメリカ日記』)。

ロンドンに戻ったディケンズだが、一転、本は売れなくなり、何度目かの借金漬けの生活になる。1843年には構想中の『クリスマス・キャロル」が出版に成功しなければ、家族共々に破滅の極地に落ち込むことになる。いや、すでに破滅していたのだ。この辺の描写は映画でも史実に沿って描かれているようだ。かなりのディケンズ・フリークのブログ筆者にとっては大変興味ふかいところだ。

かくして、ディケンズが世俗の名声や金にとらわれて、新作の構想に奔走していたある日、アイルランドのメイド、タラが子供たちに聞かせていたクリスマスのストーリーが印象的だ。ディケンズの心にも響く。「クリスマス・イヴの日にはあの世との境目が薄くなって精霊たちがこの世にくる」と祖母が語ってくれた話だ。

さて、映画ではここで『クリスマス・キャロル』の主要登場人物である三人の亡霊が現れ、実生活と混合してディケンズを翻弄する興味ふかいファンタジーが展開する。『クリスマス・キャロルズ』の一人目の主人公は、エベネーゼ・スクルージ、著名な守銭奴だ。「過去」の亡霊は、スクルージに昔の思い出を語らせる。ディケンズにとっては極貧の時代、苦しくも甘美な思い出も残る時だ。

そして「現在」の亡霊はスクルージの助手ボブ・クラチットの家族や甥たちが祝うクリスマスを見せる。さらに「未来」の亡霊は無言で前方を指差し、クラチット家の末っ子のタイニー・ティムが死んだことを知らせる。それを知ったスクルージは「夜明け」とともにすっかり改心する。改心するには最後の瞬間といわれる。スクルージにはディケンズ自身の生活と心が投影されているのだ。

ディケンズは『クリスマス・キャロル』の出版に成功、サッカレー(William M. Thackeray, 1811~1863, ディケンズと並ぶ小説家)などから大きな賞賛を受ける。最後には父親を許し、家族皆でクリスマスを祝う。奇跡は最後に残っていたのだ。ややメロドラマ的ではあるが、ディケンズ・ファンにはお勧めの映画だ。ディケンズを読んだことがない世代には、われわれ人類がこうした時代をたどり、今に至ったこと、そしてディケンズの時代は未だ終わってはいないことを知らせてくれる。そして、世塵に汚れた脳細胞も少し綺麗になるかもしれない。

 

 映画:暗闇に光を『メリー・クリスマス!ロンドンに奇跡を起こした男』

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