時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

17世紀の色:「闇」の色は(8)

2021年11月30日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋




ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《鏡の前のマグダラのマリア》(下掲)の頭蓋骨に乗せられた手の部分。ラ・トゥールは制作の最後の段階で人物の指の影になった部分をハイライトで強調している。


ラ・トゥールという画家の真骨頂は、宗教画である。今回はその中でも作品のヴァリエーションが多いマグダラのマリアを描いたシリーズを取り上げてみた。1996-97年のアメリカ、ワシントンDC, フォトワースでの企画展を契機に、科学的分析の進んだ作品3点の分析を振り返ってみる。

取り上げる3点は次の通り:
《書物のあるマグダラのマリア》 (La Madeleine au Livre)
78×101cm 、c.1630-1635(又は1645-1650) 油彩・カンヴァス、 個人所蔵




《鏡のマグダラのマリア》(悔悛するマグダラのマリア)
(Madeleine pénitente, dit aussi Madeleine Fabius)
113×93cm、油彩・カンヴァス、 ワシントン・ナショナル・ギャラリー



《揺れる焔のマグダラのマリア》(悔悛するマグダラのマリア) (Madeleine pénitente)118×90cm 、c.140-1644, 油彩・カンヴァス 、ロス・アンジェルス・ カウンティー美術館




画家の深慮の跡を追う
ラ・トゥールには、この3点以外にも同じ主題での異なったヴァージョンがあるが、いずれにも画家の深い思考の跡が感じられる。

「マグダラのマリア」シリーズは、いずれもこの画家の「夜の作品」のカテゴリーに入る。科学的分析のひとつの結果として判明したことは、画家がこれらの作品を制作するに際して、同一の手法を使わなかったということである。画家は主題の選択のみならず、制作手法においても文字通り見えざる努力を重ねていたことが伝わってくる。

夜の次元では光源を何に求めるかが大きな起点となる。松明、蝋燭、油燭(オイルランプ)、自然光、神の光など、画家が求めた光源はさまざまだ。

「マグダラのマリア」シリーズはジャンルは宗教画で、「夜の世界」という意味では共通しているが、それぞれの作品の間には微妙だが明らかに全体的な印象に差異がある。画家は同一の手続きでは描かなかった。ラ・トゥールは断片的な記録から、ともすれば粗暴な性格とされてきた画家であるが、それぞれの作品を表裏にわたって仔細に考察する限り、画家の精神性の深さ、熟慮は並大抵のものではなく、そうした後世のやや安易な評価には疑問が抱かれる。

まず、《鏡の前のマグダラのマリア》(略称:ワシントン版)を見ると、光源は隠されていて見えない。しかし、マグダラのマリアが手を置いている頭蓋骨の上に焔の先端は見える。焔は暖かだが、不透明な光を放っている。光が照らし出すのは画面の上半分くらいで、下半分はほとんど光が届いていない。よく見ると、光が指をかすかに照らしている。

これに対して《揺れる焔のマグダラのマリア》(ロス・アンジェルス版)では机上に置かれた油燭の状態は明瞭で、炎と煙は静かに立ち上り、画面のほぼ3分の2に明るい効果をもたらしている。

さらに《書物のあるマグダラのマリア》は、ロス・アンジェルス版に対して不透明なフィルムのような印象を与える 。画面全体が暗い。作品は個人蔵であるために、他の作品のような科学的分析はできないが、対比して観察すると多くの類似点を見出すことができる。

作品の裏側に入る
この「マグダラのマリア」シリーズを通して、画家は全体的な色調効果を統一して想定したようだ。3点共に、地塗りの段階ではグレーの層で整えられている。「ワシントン」版、「ロス・アンジェルス」版については、(少量のカルシウム系炭酸塩を含む)ケイ酸土質の画材が使われている。色調は黒色と土色の間に近い。私蔵版は科学分析はできないが、目視で観察するかぎりではロス・アンジェルス版に近い印象のようだ。

これらの作品はクールなグレーの地塗りの上に顔料の絵の具が重ねられているが、同じ地塗りという点から出発して制作されているようだ。画家は、ロス・アンジェルス版と私蔵版では、クールなグレーの表面に直接人物などを描いている。

しかし、ワシントン版については画家は強い黄色のオーカーで第2の地塗りを施している。マグダラのマリアの髪の毛が頬のあたりにかかっているような所には、半透明な絵の具をその上に使って暖かな効果を上げている。



画家が最初の構図をいかなる手法で設定し、描いたのかは判明しない。それを推定させる痕跡は何も残っていない。科学分析でも下書きの跡が見出されていない。画家はデッサンもなしに直接にイメージを思い浮かべ絵筆をふるったのだろう。

画家は最初の地塗りをしただけで、その後は素描もすることなく制作の過程で部分ごとに思い浮かべるマグダラのマリアのイメージを絵の具で対応したと推定されている。ひとつのアイディアをさまざまなヴァージョンで描くことに費やした画家だけに、描くべき対象、構図はしっかりと頭脳に刻み込まれていたのだろう。もしかすると、モデルは
妻であったネールだったのかもしれない。

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N.B.
調査によると、画材の木組みやカンヴァスの素材、張り方などは、ほどほどに粗雑、荒削りなものだが、それ自体は作品としての結果に関係しない。絵画作品としての最後の効果だけを念頭に準備されていた。それは下地(ground) 作りとしての地塗りから出発していた。地塗りは二つのタイプが準備されていた。「夜の光景」用には土色ないし黒色に近い珪酸土質の顔料が使われている。他方、「昼の光景」用には白またはグレーの下地で主としてチョーク(白亜)が組成分であることが判明している。
ラ・トゥールの作品のひとつの特徴は、この上に顔料、絵の具jを次々と重ね塗りをすることをせず、下地の上に直接絵の具で描いている。そのため画面の表の層が単層で大変薄いことが分かっている。必要な場合は、部分的に透明、半透明な色で上塗りを施している。

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『改悛するするマグダラのマリア』シリーズを通して、画面を支配する独特の暗褐色ともいえる絶妙な色調、その秘密を解く鍵のひとつは、画家が深慮の上に創り出した地塗りの色と、その統一された試みにあると考えられる。画面の表層の薄さが、下地の色を透過して全体の色調を定めている。ラ・トゥールの「夜の闇」の色の秘密である。


《鏡の前のマグダラのマリア》の袖の部分、断面の組成(magnification x 110)
a.グレーの地塗り部分、珪酸土(magnesiumalumino silicates, quartz and calcite)、黒色/褐色
b.黄褐色の層 yellow ocher with quartz, calcium-carbonate, and black;
c.ハイライト部分の最初の表層
d.ハイライト強調部分の表層 lead-white with lead-tinyellow, vermillion, black, and a substantial proportion of calcium carbonate.


Reference
科学的分析結果に関する部分は Melanie Gifford et al (1997)

続く 
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17世紀の色:衣装を描かせたらこの人(7)

2021年11月16日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、《いかさま師》部分

アメリカのメトロポリタン美術館が、ラ・トゥールの世俗画
《占い師》The Fortune Teller を取得、所蔵したことで、前回記したキンベル美術館の《クラブのエースのいかさま師》と併せて、この画家が制作にあたって費やした画材、技法などについての調査・研究は格段に進んだ(《占い師》はこのブログでも何度も登場している。それでも記すべきことは尽きない)。

この画家の卓越した技量は作品を一目見れば明らかだが、なかでも人物の衣装や織物の描写の素晴らしさは多くの人が認めるところだ。描かれた人物のまとう衣装に光が当たる部分の描写などを見ると、画家の絶妙なテクニックの素晴らしさが伝わってくる。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、《いかさま師》メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

《占い師》の衣装の描写は、フォトワースのキンベル美術館が保有する《クラブのエースのいかさま師》を上回るとされている。今回はその点を少し見てみよう。《占い師》でも《いかさま師》と同様に下地に使われた白いチョークの色は、画面全体の明るい色調を定めている。しかしながら、ラ・トゥールは必要に応じて部分的には明るい灰色を下地の上に付け加えて塗っている。さらに別の箇所、例えば画面左側の黒い髪のジプシー (今はロマと称する)の女の額の部分にはオフ・ホワイトの地塗りが残されている。他方、右側の年とったジプシーの目の部分には、中間色の灰色の下塗りがなされていることが判明している。画家が細部にも多大な注意を払っていることが分かる。

制作にあたっての綿密な準備
さらに《占い師》も《いかさま師》と同様に、周到な検討の上に人物などが配置されているが、《占い師》の場合は特に慎重な配慮の下に製作されたとみられ、 pentiment (描き直し、塗り直し)の跡がほとんどないことが分かっている。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、《いかさま師》

《占い師》に使われた顔料、絵の具の色も《いかさま師》よりも多く、充実している。仕上げの着色についても、慎重に考えられた配色、筆さばきが感じられる。絵の具を厚塗りし、その上に透明色を重ねるimpasto と言われる技法も各所で使われている。この占い師(右側)の衣装はとりわけ話題となることが多い。厚い布地に施された鳥や動物の刺繍が、糸目まで分かるように描かれている。占いの間にメダルの金鎖りを切り取るジプシーの女たち(左側)の袖口も布地の触感が伝わってくるようだ。

最初に掲げた占いで、まんまと騙される顔立ちはいいが、ボンクラな?貴族の若者の着る柔らかな皮革の上着も見事に描かれている。人工皮革などない時代、これ一着を作るのにどれだけの労力が費やされたことだろう。それに費やされた金の額は言うまでもない。若者の首飾り、ベルトなども見事に描かれている。

この作品を生み出すまでに画家はどれだけの努力、研鑽を積み重ねてきたのだろう。生まれ育った17世紀ロレーヌの時代環境がそこに凝縮されている。作品に登場する人物は決して空想の産物ではない。パン屋の息子から貴族に成り、ルイ13世付きの画家にまでなった画家の生涯の蓄積が作品に結実している。リュネヴィルやヴィックの街中やナンシーやリュネヴィルの宮殿で見かけた光景の一齣なのだ。この画家は人物のモデルをしばしば市井で実際に見た人々に求めた。ジプシーのカモになっている世間知らずの若者も、その中にいたのだろう。17世紀の格差問題が、極めてシニカルに描かれた作品であるともいえる。

ラ・トゥールの作品は宗教画と言われるジャンルが多いが、数少ない農民やジプシー、貴族たちの姿を描いた数少ない世俗画も、興味が尽きない。


Reference
MELANIE GIFFORD et al. "Some observations on George de Latour's Painting Practice,' Georges de La Tour and His World ed. by Philip Conisbee, National Gallery of Art/ Yale University Press, 1997, pp.246^247

続く


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​17世紀の色(6):ダイアが先か、クラブが先か(6)

2021年11月10日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋
完成度h
次の名画2点、どちらが先に描かれたでしょう


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ダイアのエースを持ついかさま師》
パリ、ルーヴル美術館



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《クラブのエースを持ついかさま師》
フォトワース、キンベル美術館


ラ・トゥールはひとつの主題を、さまざまな角度や色彩で描いたことで知られる。《ヴィエルひき》《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》などの例がある。

一度見たら忘れられないと言われる上掲の《いかさま師》シリーズにも《ダイアのエース》、《クラブのエース》が存在することが知られている。いづれも画家の真作であるとほぼ評価は定まっている。前者はパリ・ルーヴル美術館、後者はアメリカ、フォトワース・キンベル美術館が所蔵している。パリ版はブロンドの色調が目立つ明るいフォトワース版に比較して、画面全体が暗く落ち着いた印象である。描かれた人物は同じだが、衣装なども微妙に異なっている。どちらが先に制作されたかということは、所蔵者そして美術史家にとっても、かなり興味深い問題を提示している。所蔵者としては、どちらかといえば画家の最初の構想が初めてカンヴァスに具体化された作品を所有したいと思うだろう。

科学的調査が明らかにしたこと
1997年にアメリカで開催されたこの画家の企画展を契機に、科学的な調査が一段と進んだ。両者のカンヴァスの地塗りは微妙に異なっていて、パリ版の地塗りは3層から成っていることが判明している。赤褐色のオーカーの上に白亜 chalk、そして鉛白が塗られている。他方、フォトワース版は地塗りが1層、白亜で整えられている

ラ・ トゥールの初期の作品《金の支払い》の地塗りは白亜のみであることが判明している。同様な手法をとっていたロレーヌの画家
ジャック・ベランジュの影響だろうか。

両者の構図はほとんど同一であり、画家は型紙(cartoon: 原寸大下図)を用い、いずれか一方から他方へ転写したのではないかと想定される。もしそうならば、転写された図柄に応じて、画家はその後、薄い茶褐色などの線で輪郭を確認して描き、製作を続けたのではないかと推定されている。これらの点、さらに下掲の調査などの結果から、フォトワース版の方が、パリ版より先に制作されたのではないかとの説が有力視されてきた。

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画家のパレット:
フォトワース版では、画家のパレットには鉛白、鉛錫系黄色タイプの顔料、藍銅鉱 アジュライトazurite、ヴァーミリオン(朱色)、赤および黄のレーキ、オーカー、木炭系黒色などがあったようだ。
パリ版では、鉛白、鉛錫系黄色タイプの顔料、アジュライト、ヴァーミリオン、赤黄色系レーキ、ヴァーミリオン・赤オーカー、カーボンあるいは骨黒色顔料が使われたようだ。

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ラ・トゥールは当時入手できた上に記したような顔料などを使いながら、同一のテーマで制作したと思われるが、フォトワース版では、赤のエプロンとくすんだ黄色が注意深く使われ、画面全体に明かるい輝きを放ち、統一性が感じられ、クールに見えるとの評価がある。

他方、パリ版は、かなり大胆な色彩コントラストを実現している。しかし、召使いのブリリアントな赤色のスカートは暗い青緑色の胴着と金色のターヴァン、そしていかさま氏の上着と合わせてみると、配色バランスが悪いとの見方もある(Gifford et al, 1997, p.245)。

このふたつのヴァージョンでは、大きく異なる点は召使いの帽子、エプロン(胴着)、いかさま氏の上着の装飾、騙される若者の衣装などである。

カンヴァスに込められた画家の思い
いずれにしても、この二つの作品は画家が、同一テーマを同じ構図で制作した作品例として、今日に残る数少ないケースであり、画家が制作に際して構想、企画、制作、変更などの点で、さまざまに考えを巡らした内容が凝縮してうかがわれる貴重な例として興味深い。

二つの作品を比較して、主としてスタイルの観点から、パリ版の方が最初に制作されたと主張する1974年のBenedict Nicolsonの説もあるが、どちらかと言えば今では賛同者が少なくなっている。フォトワース版でのX線調査においても、その点を裏付ける事実が発見されている。制作途上で塗りつぶされた残像 pentimentoが多いなどの点でもフォトワース版の方が先きに制作されたとの評価が妥当と考えられている。

ペンティメント pentimento (Italian)
「悔やんでやり直したもの」という意味。制作途上で描き直された線や色彩の跡をいう。繰り返し描かれた描線や絵具の下層に透けて見える修正箇所である。画家の制作過程を知る上で、作品の評価・鑑定上も重視される。画家の初発的な芸術意欲の反映とも見られる。

フォトワース版では召使いの帽子の上が切断されている。これは見る人の視線が、描かれた人物に集中して画面が引き締まるとの当時の考えが反映したものだといわれ、同様な例は他にもある。現代人の目、少なくも筆者にとっては、人物の頭上が詰まっていて窮屈な感が否めない。もったいないことをしたなあとの思いもある。作品によってはこうした考えを反映して、切断された部分を修復時などに付け加えた例もある。この点、パリ版は人物が全体としてゆったりと収まっていて完成度は高いように見える。

しかし、これで決着がついたわけではないところが、面白い。今後新しい発見があれば、この順番は逆転する可能性も十分残されている。17世紀の人と現代人の審美感も同じとは保証できない。制作された17世紀当時の人々の美的感覚が如何なるものであったかを追求したい。「同時代人の眼に立ち返って見る」という視点は、ブログ筆者が絶えず心掛けてきた考えである。そのためには、画家と作品を取り巻く状況を可能な限り調べたいと考えてきた。

さて、改めて上の2点の作品の前後関係、皆さんはどう思われますか。 

続く



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しばしの幕間:コロナ禍合間のコンサート

2021年11月08日 | 午後のティールーム

開演前の会場

長かったコロナ禍も漸く収束の兆しが見えてきたようだ。まだ手放しでは喜べないが、ワクチン接種、マスクなど万全の準備?をして、少しずつ活動範囲を広げたい。呼吸器の弱い筆者は、既にインフルエンザ、肺炎球菌の予防ワクチン(2回)まで接種している。

10月の週日、久しぶりに音楽コンサートへ出かける。ご贔屓のピアニスト辻井伸行の『音楽と絵画コンサート《印象派》』という催しである。場所は東京芸術劇場。気軽に行かれる場所である。入場者のマスク着用、手の消毒など、基本的な感染症対策は守られており、声援や掛け声も禁止されていて、場内は静かであった。入場者数は分からないが、7割程度の入りだろうか。S席では間隔を空けることなく隣接していてほぼ満席だった。

音楽と絵画という2つの芸術作品をどう結びつけるのかと思ったが、演奏者の頭上のスクリーンに印象派画家の作品を投影するというかなり安易な企画だった。

辻井伸行さんのピアノは、いつもながら輝きがあり、美しい。選曲と映像の組み合わせは、ピアニストとは別人が行うので、ad hocな感じは否めない。時には映像が目障りでピアノだけの演奏を聴きたいと思う場面もあった。映像は、印象派といわれる画家の作品の放映だが、印象派に影響を与えた葛飾北斎、歌川広重の作品などからの投影もあった。

印象主義の音楽は、ドイツ後期ロマン派に対抗して展開してきたので、かなりムード、雰囲気などに比重を置いていて、肩は凝らないが後に残らない。ドビュッシーを中心とする第1部と対抗してのラヴェル、サティ、ラヴェルなどの第2部に分かれていて、両者の音楽史上の差異は感じることができる。満足度はあまり高くはなかったが、美術展もコンサートも徐行運転中なので、仕方ない。

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第1部
ドビュッシー:2つのアラベスク
       アラベスク第1番
       アラベスク第2番
       映像:ルノワール
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
       第1曲 「前奏曲」
       第2曲 「メヌエット」
       第3曲 「月の光」
       第4曲  「パスピエ」
       映像:ルノワール、スーラ、クレー
ドビュッシー:《映像》第1集
       第1曲「水の反映」
       映像:葛飾北斎
       「千絵の海 総州銚子」1833年
       「富嶽三十六景 神奈川冲波裏」 1830-32年
       「富嶽三十六景 甲州石班沢」
       「富嶽三十六景 駿州江尻」
       第2曲「ラモーを讃えて」
        映像:歌川広重
       「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」
       「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」
       「名所江戸百景大はしあたけの夕立」
       第3曲「運動」
       「富嶽三十六景東海道金谷の不二」
       「富嶽三十六景関谷の里」
       「富嶽三十六景 隅田川関屋の里」
        富嶽三十六景山下白雨」
第2部
サティ:3つのジムノペティ
       ジムノペティ 第1番
       映像:クリムト
       ジムノペティ 第2番
       映像:ミュシャ
       ジムノペティ 第3番
       映像:ロートレック
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
       映像:クロード・モネ
ラヴェル:水の戯れ
       映像:クロード・モネ
ラヴェル:ソナチネ
       映像:クロード・モネ








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