時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり:EU難民問題の行方(17)

2016年02月28日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方


バルカン・ルート(西側)
Source: BBC 


報道が追いつけない事態の変化
 TVなどのドキュメンタリー番組、中には先見性の高い優れた作品もあるが、大方は事件の発生など、現実が変化した後を追う番組である。そのひとつの例がEUの難民問題である。番組の構想が具体化して制作している間に、事態はそれよりもはるか先に進んでしまっている。たまたまNHKのBS1(2016年2月28日)『難民クライシス』前後編を見る機会があった。周回遅れの後追い番組で、迫力がなくなっている。全般に再放映番組が多くなり、世界の変化を体系立てて迅速に伝えることができていない。日頃からしっかりとした構想を持ち、現代社会の多様な変化に柔軟に対応できる制作組織が、とりわけ公共放送には必要と思われる。

このブログ記事が最近やや細部に立ち入っているのは、小さな試みながら事態の変化を系統的に追って、間隙を埋めておく必要を感じたことにある。日本が、難民・移民に対応しなければならない日は、人口減少への対応を含めて不可避的にやってくる。その時に備えて、いかなることを予期しておかねばならないか。不測の事態が発生すれば、移民・難民受け入れの経験が浅く、国境線の長い日本は、その対応に苦慮することは明らかである。

さらに深まるEUの亀裂
  2月24日、経験したことのない衝撃がドイツ、そしてブラッセルのEU本部を襲った。といっても、天災、地震ではない。ドイツもギリシャもEU(ブラッセル)も招かれないミニ・サミットがオーストリアの首都ウイーンで開催された。主催したのはオーストリア政府であり、招聘されたのは、バルカン地域の諸国の外相、内相だった。参加国はアルバニア、ボスニア、ブルガリア、コソヴォ、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、スロヴェニアなどのバルカン諸国だった。

ウイーンでのバルカン諸国を主体とする会議について、ギリシャとオーストリアの間にはたちまち論争が起こった。ギリシャは大使を本国へ召喚し抗議した。他方、こうした会議をウイーンで開催することについて、オーストリア政府は、これまでEUの難民政策を主導してきたドイツの政策は”矛盾している”と非難した。ドイツの隣国であるオーストリアは、ドイツを目指す難民のかつてない流れに接し、ドイツが入国制限をしないならば、バルカン諸国などの協力で自国が難民の通過経路、滞留地になることを防ごうと考えたのだろう。それにしても、ドイツ、ギリシャ抜きの会議は拙速であったと考えざるをえない。

今年最初の2か月でヨーロッパにやってきた難民(庇護申請者)は11万人を越えた。バルカン諸国のみならず、ヨーロッパのかなりの国が難民・移民受け入れを制限する動きに出ている。こうした変化について国連は、EUのような地域共同体の中で、ある国が入国制限をすると、大きな混乱を生むと警告した。EU(ブラッセル)は、こうした会議はヨーロッパ、特に第二次大戦後最大の難民危機の最前線に位置するギリシャにとって、”人道的危機”をもたらしかねないと警告した。

「閉ざされる人道的回廊」
   これまでの難民の経路からみて最も大きな衝撃を受けたのは、EUの東の入口に位置するギリシャだった。当然と思われるが、ギリシャはこのバルカン諸国の緊急会議に招聘されなかったことに強く抗議した。ギリシャの外務大臣はこうした会議は「一方的でしかもまったく友好的でない」と述べ、オーストリアの行動は、危機に対するヨーロッパの共同の努力を台なしにする反ヨーロッパ的なものだと激しく非難した。そして閉鎖されてしまういわゆる「バルカン・ルート」は「人道的な回廊」であり、もし閉鎖する必要があるならば、EUなど関係国の協議の下に決定されるべきで、少数の国の利害だけで決定されるべきではないとした。ブラッセルのEUはオーストリアの名前に言及することは避けたが、EUの難民についてのルールは尊重されるべきだとコメントした。

EUは、庇護申請者の受け入れ数について上限は設定されるべきではないと当初から強調してきた。 国際的に、保護を必要とする人間を受け入れる義務があるからだという理由である。さらに、昨年10月25日に開催されたミニ・サミットの決定に従い、西バルカン諸国の協力を必要とすると声明していた。

前回記したように、ハンガリー、ポーランドなどからなる「ヴィシェグラード・グループ」は、ギリシャの国境で難民を抑止するというEUやメルケル首相の構想とは異なったBプランを提示し、中・東欧で難民の流れをブロックする動きに出ている。EUとしての統一性はすでに失われている。

財政危機に加えて、難民危機という重荷を背負ったギリシャは、今回の会議に強く反対するとともに、理由として同国に滞留する難民・移民が、人身売買業者やブローカーの最初の目標にされると反対している。直近の例では、ギリシャでは、2月22日隣国マケドニアが唐突にアフガニスタン人の入国を制限したため、数千人が行き場を失い、ギリシャ国境付近に滞留する事態を経験した。マケドニアの国境はすでに有刺鉄線や強固な金網で閉鎖され、マケドニア側の国境警備隊と催涙ガスが使われるなど、激しい衝突を起こしている。マケドニアの国境を力で突破しようとするグループもあるが、入国してもその後はまったく保証されていない。

ウイーンでのバルカン諸国会議は一連の宣言を決定して終了した。その中には西バルカン・ルートに沿った難民の流れは大幅に削減されるべきだとの主張があり、参加国は「旅行の書類を携行しない者、偽造あるいは虚偽の書類、国籍あるいは本人確定に必要な事項に不正な記載をした者」の入国は認めないなどの主張が含まれている。

こうして、シリア難民などがドイツやイギリスを目指す陸路は閉ざされることになった。この状況で、これらの国を目指す難民にとって、移動手段は海路か航空機による空路しかない。しかし、人身売買のブローカーなどが暗躍していて危険な海路を勧めたり、高価な航空券を売りつけたりしている。しかし、目的地に到着できたとしても、入国を許されるか、保証はない。

混迷深まる近未来
 3月7日に予定されるEU首脳会議までに解決できないと、EUの自由な移動を保証するシェンゲン協定は破綻する。仮に暫定的制限としても、これまでの事情からすると、早期に復元の可能性は少ない。人のEU域内の自由な移動は、EUの理想の象徴であった。それが、ほとんど国別に有刺鉄線や高い障壁、そして厳しい入国審査で遮られた旧体制のような国ごとのヨーロッパに戻りつつある。しかも、外国人嫌い(xenophobia)など極右の政党が勢力拡大を見せているヨーロッパである。歴史家ジャック・アタリは、TVでこの危機を乗り越えれば、ヨーロッパの未来は明るいと述べているが、その言葉がかなえられる日はいつのことだろうか。

 


References
NHKBS1(2016年2月28日)『難民クライシス』前後編
”No way out” The Economist  February 27th 2016
"Radicals Recht". The Economist February 27th 2016 
ZDF  

EUは3月2日、ギリシャなど難民受け入れなどで負担の大きな加盟国に3年間で7億ユーロ(約862億円)の緊急支援措置を決めた。難民問題の根源は今回の場合、シリア内戦の終結にある。その見通しが不明なままに行われる受け入れ国側支援の評価は難しい。さらに、現在はEUの域外国であるトルコに多大な期待をかけることにも限度がある。EUとトルコは7日、難民問題を主題とする首脳会議を開催する。トルコへの不法移民送還も議題となるようだ。EUのみならず、ドイツのメルケル首相の発言力も急速に低下し、再出発点を見出すまで混迷の日が続くことになりそうだ。


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子供の貧困: 写真がつなぐ昔と今

2016年02月25日 | 仕事の情景

Newsboy, St.Louis, Missouri, 1910
(Source:R.Freedman)  拡大は画面クリック

  

 一枚の写真や絵画が時にさまざまなことを思い出させる。「断捨離の時代」の流れに身を任せたわけでもないのだが、なお捨てがたく残っていた書籍資料の整理をしていると、ある写真に目が止まった。ブログにも何度か記したことのあるアメリカの写真家ルイス・ハインの写真を題材とした児童労働についての小冊である。その中の一枚が上掲の写真である。これまで折に触れ何回か見てきた写真集なのだが、あまり気にとめることのなかった光景であった。ルイス・ハインが残した写真はあまりにも多いので、その映像群の中に埋没していた。写真家が被写体として焦点を当てたのは、20世紀初め、ペーパーボーイ paperboy(or newsboy) と呼ばれた新聞の売り子である(数は少ないが、ぺーパーガール papergirl もいた: 最下段写真)。

ペーパーボーイの原風景
新聞の各家庭への配達が一般化している日本では、人々が町中で新聞を買うのはスポーツ紙などが中心で、それも駅などの売店である。最近では、紙の新聞ではなく、ディジタル版を読む人も増えているようだ。かつて滞在したアメリカやヨーロッパの国々などでも、ほとんどの家庭は新聞は購読していないか、必要な時だけ買い物の途上でスーパー・マーケットや雑貨ストアなどで買っている人が多かった。家庭への配送は新聞代金に配送料が加算された。

新聞産業が盛期にあった頃は、アメリカやイギリスでも、 paperboy(papergirl)が自転車、時にはモーターサイクルで、各家に新聞を配送していた。しかし、新聞産業が急速に衰退するとともに、こうした配達方式は急速に衰えた。この写真は、その配達システムが未だ普及していなかったころ、いわばpaperboyの初期の姿をとどめた貴重な画像といえる。

ペーパーボーイの職場
 20世紀前半の頃、アメリカでは新聞はしばしば街頭などで、paperboyから出勤途上などに買い求めることが多かった。新聞を売るのは主として幼い子供たちで、小脇にその日売れるくらいの数の新聞を抱え込み、通りがかりの客に売っていた。1日に売れる紙数は知れたものだったが、子供たちは親方から買った新聞を売って、わずかな金を得ていた。貧しい家計の足しにもなっていた。いつも同じ所に立って、新聞を売っていると、なじみの客も出来て、時にはわずかな釣り銭などをチップにくれることもあった。

大体、6,7歳から仕事を始め、真夜中に近く、新聞が印刷される時間に印刷工場へ行き、自分で売れると思う部数の金を支払い、小さな腕に抱え込んで、駅や街頭へ走って行った。彼(女)らが立って新聞を売る場所は、年齢や力関係で決まっていた。仲間の間で縄張りがあり、しばしば喧嘩騒ぎが起きた。日給とか週給など、決まった支払いなどなく、売れなかった分は少年の損失になった。売れ残った新聞を身体の下に敷いて、階段で眠り込んでいる少年の写真も残っている。彼らは、孤児か、きわめて貧しい家庭の子供たちであり、ホームレス状態も珍しくなかった。ニューヨーク市の場合は、Children's Aid Society と呼ばれる慈善団体が雨露をしのぎ、貧しいながらも食事を安価で提供する場所を運営しており、そうしたところに寝泊まりする子供もいた。

ペーパーボーイと小さな貴婦人
 さて、この上掲の写真、改めて気がついたのは、写真家が画面の左側に含めた若い少女の姿である。明らかに豊かな家の少女であることがわかる。大人たちは今日はニュースがないと思うのか、ペーパーボーイを無視して、通り過ぎてゆく。新聞が売れず、うらめしそうな顔をしているペーパーボーイの存在など目に入らないようだ。他方 、少女は少年と年齢的にはほぼ同世代だろうか。雨模様の日なのだろう。きちんとレインコートを着て、傘を小脇に抱え、髪が乱れないように美しい帽子まで被って、小さなレディ(貴婦人)が颯爽と通り過ぎてゆく。

  ここで注目したいのは、今日世界的に注目を集めている児童の貧困、そして彼らの間に存在する貧富の格差が、すでにこの時代にさまざまな形で露呈していることだ。ルイス・ハインは繊維工場や炭坑、農場で働く子供たちの姿ばかりでなく、「ストリート・キッズ」 Street kids と呼ばれた都市で働く子供たちの画像も多数残している。彼らは新聞売り、靴磨き、荷物運び、薪、石炭、氷などの搬送など、「苦汗労働」 sweatshops といわれた、ありとあらゆる厳しい仕事の分野で働き、日々を過ごしていた。これらの子供たちの中には、花、靴紐、リボン、キャンディなどを売ったりして、家計の足しにしていた者もいた。今でも、開発途上国でしばしば見かける光景でもある。

今も昔も
 最近日本では高齢者の貧富の格差がしばしば議論に上がっている。他方、子供の間にも貧富の格差があり、明らかに拡大していることが判明している。「貧困」の定義はいくつかある。国民の平均的な所得の半分を「貧困ライン」と呼ぶが、その基準に満たない所得の低い世帯の子供たちが、2012年の統計でみると、6人にひとりは該当し貧困状態にあるといわれている。貧困をもたらす背景はさまざまだが、とりわけ深刻なのは、母子家庭など「ひとり親世帯」の子供で、貧困率は54.6%、実に2人に1人を超えている。子どもの貧困は、次の世代を生きる人たちのありかたに深くかかわっている。高齢者の貧困より見えにくい子どもの貧困は、この国の来るべき姿、社会のありさまを定める。アジアの周辺諸国などからみると、うらやましい国に見える面もあるが、貧困は絶えることなく深く日本の社会に根をおろしているのだ。

 現代の人は見たことがない、あるいは見ても見過ごしてしまうような一枚の写真だが、国の違いを超えて100年前の世界と今をしっかりとつないでいる。

「断捨離」の仕事はまったく進まない。
  

 


paperboy

papergirls



Reference
Russell Freedman, KIDS AT WORK: LEWIS HINE AND THE CRUSADE AGAINST CHILD LABOR, New York: Clarion Books 1994

 ルイス・ハインの残した写真はきわめて多いので、それらを編集した出版物もかなりの数にのぼる。日本では労働や仕事の世界を記録に残した写真は少ない。写真家を志すみなさんの中で、後世のために、歴史を変えた一枚の写真」を試みる方はおられないだろうか。


 「児童労働」とは、法律で定められた就業最低年齢を下回る年齢の児童(就業最低年齢は原則15歳、健康・安全・道徳を損なう恐れのある労働については18歳)によって行われる労働。児童労働は、子どもに身体的、精神的、社会的または道徳的な悪影響を及ぼし、教育の機会を阻害します。 
ILOが定める就業最低年齢の国際基準については、ILO第138号条約。
出所:ILO駐日事務所HP 

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終わりの始まり: EU難民問題の行方(16)

2016年02月19日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

ヴィシェグラード・グループ諸国
(Source:Wikipedia photo) 



 イギリスのEU離脱問題(Brexit: Britain Exitk からの造語)が主要議題となった2月17日からのEU首脳会議は、なんとか妥協点に達したようだ。結果はかろうじてイギリスの離脱回避で合意が成立、EUの突然の分裂を防いだ形だが、6月23日のイギリスの国民選挙までのつなぎであり、波乱含みだ。すでにボリス・ジョンソン、
ロンドン市長などが離脱に賛意を表明しており、選挙に向けて急速に議論が高まっている。

EU首脳会談についても、メディアの発達で、キャメロン首相の執拗なまでの折衝能力、この機会をEUの要求緩和に利用しようとする火事場泥棒的にもみえるギリシャの首相など、土壇場での慌ただしさが伝わってきた。しかし、そこにはEUが掲げてきた理想主義の色はもはやなく、なんとか分裂だけは回避したいという追い詰められた雰囲気しか伝わってこない。

大きく後退するEU
  最大の焦点イギリスに関しては、EU域内からの移民について福祉給付制限をするなどのおなじみの議論が紛糾したが、最大の課題ともいうべき現在進行中のEU全域にわたる難民・移民問題は、政策上も目立った前進はなかったようだ。日本から距離を置いて眺めると、EUがかつての理想を失い、分裂寸前の末期的状況にあることがよく見えてくる。加盟国のいずれもが、自国の利益を守ることに忙殺され、もはや全体が見えなくなっている。

EUの分裂は実質的にもかなり進んでいる。いわゆるヴィシェグラード・グループ(Visegrad group, V4とも略称;ポーランド、チェコ共和国、ハンガリー、スロヴァキア)は、すでにEUとメルケル首相が提示したEU加盟国が分担して割り当てられた難民を受け入れるという案に反対することで同調している。そして、ギリシャとトルコがEUとメルケル首相が提示する難民流入制限案を支援することが十分できないならば、バルカン・ルートの国境線をさらに強化すると宣言している。これに先立ち、ハンガリーのオルバン首相はドイツの難民への寛容な対応について、テロリズムと恐怖を拡大させると批判、反対している。ドイツ、フランス、スエーデンなど、難民・移民が目指す国々への道の入口に中東欧諸国という巨大な石が置かれたような状況が生まれている。中東からヨーロッパの中心地域へ向かう経路は著しく狭められた。

こうした中東欧諸国、V4グループの難民への閉鎖的な"Bプラン"(シェンゲン協定が破綻、特にギリシャが退出した事態への対案)をメルケル首相は、新たな障壁をEU域内に築くことになり、特にギリシャにとっては一層の危機的状況を作り出すと強く反対している。メルケル首相は難民受け入れをある程度許容する有志の国々が、なんとか少しでも受け入れてくれることを望んでいるようだが、その期待もきわめて厳しくなった。すでにスエーデン、フィンランドは、難民受け入れの限度に達したことを表明し、庇護申請の基準に合致しない者を送還するとしており、デンマークのように、移民から一定の財産などを徴収するとしいう国まで出てきている。

東部戦線は混迷
 冬の最中にもかかわらず、EUへ流れ込む難民・移民の数は顕著な減少を見せていない。移動が楽になる春以降、その数はさらに増加を見せるだろう。難民をめぐる状況は、このシリーズを書き始めた当時、ほぼ予想した方向で展開してきた。その後、不測の事態も加わり、格段に混迷の度を深めた。EUの「東部戦線」は、現実に戦場に近い状況になってしまった。

ロシア航空機の撃墜事件から、トルコとロシアの対立が深まった状況で、2月17日にはアンカラで大規模な自爆テロが発生し、一時期安定化の様相を見せていたトルコの政情は一挙に悪化した。加えて、シリア内戦の停戦への動きもアメリカとロシアにかかわる部分であり、ISなど過激組織や反政府グループとの関係は今後も不明のままに残されている。難民発生の根源を絶つには程遠い。

メルケル首相が望みを託してきたトルコに難民・移民の流れに対抗する東の砦の役を期待し、これ以上のEUへの流入をなんとか抑止したいとの構想は、今回の会議でも進捗がなかったようだ。

メルケル首相の考えは、EUのトルコ支援と引き替えに、トルコ政府がトルコからエーゲ海を渡ってEU圏内のギリシャへ入国することを極力抑止するという内容だ。しかし、その前提にはトルコからEUに直接入ってくる難民を加盟国が、それぞれの割り当て数を引き受ける責任を負うという問題がある。しかし、その考えはすでに実効性を失ってしまった。たとえば、オーストリアは2月17日から受け入れる難民庇護申請者の数を1日3,200人とするという制限を導入した。さらに、数週間のうちに国境を閉鎖するという措置に移行することをブラッセル(EU)とバルカン諸国に通知した。また、フランスもこれ以上の割り当てには応じられないとしている。EU加盟国の過半数がメルケル構想に反対している状況になった。

他方、EUを主導してきたメルケル首相はこの段階でも強気であり、「戦争、恐怖、迫害から逃れてくる人々に救いの手を差しのべることに90%のドイツ国民は、反対ではないはずだ」と述べてはいるが、現実との乖離はいかんともしがたい。政治家としての旬の時が過ぎたのかもしれない。メルケル引退説も聞かれるが、少なくも現在の難民問題には形をつけねばならないだろう。

トルコ、ギリシャへ期待するが
   EU加盟国の多くが、難民割り当ての引き受けを拒否し、さらに国境封鎖を含む管理強化に動いたことで、メルケル首相やEUの流入抑止の重点はトルコの協力をとりつけることに移った。しかし、そのトルコが内政、外政共に混迷の度を深めている。

トルコと並んで注目されるのは、ギリシャの動向だ。もし、ギリシャがシェンゲン協定から除外され、人の自由な移動が認められないことにでもなると、きわめて深刻な問題が発生する。ギリシャはトルコとの海域をめぐり沿岸警備が十分実行できていない。EUはギリシャに3ヶ月の間に沿岸の警備体制を改善するよう指示している。

メルケル首相は、トルコにEUが資金を供与し、難民の収容施設などを設置、拡充し、トルコは代わりにエーゲ海をギリシャへと渡る難民の数の減少に努力するという構想を示してきた。

さらにシリア難民などが増加するような状況次第ではNATOがトルコ・ギリシャの沿岸警備などに参加し、トルコの沿岸警備隊と協力して、トルコからギリシャへの不法入国者などを取り締まり、トルコへ送還することも考えられている。トルコはNATOのメンバーでもある。しかし、トルコはすでに200万人近いシリアなどの中東難民を自国内に収容しており、内政も複雑化し波乱含みになってきた。

すでにEU各国に入っている難民・移民の審査だけでも数ヶ月を要するといわれ、難民・移民の流れが沈静化するには未だかなりの時間を必要とするだろう。これまで、難民、庇護申請者と移民の概念については、あえて深く立ち入らないできた。論じなければならない多くの問題が存在するのだが、シリア、アフガニスタンなどの中東あるいはアフリカからの難民の増加とともに、現実の審査の過程における実務的区分は、きわめて困難さを増したようだ*2。近年、浮上しつつある最大の問題は、テロリストの判別を別としても、難民(庇護申請者)の出身母国(およびその実態)よりも、受け入れ国の政治・経済上の判定基準が重みを増していることにある。



このグループは、彼らの国々のEUへの統合度をさらに高めること、軍事、経済およびエネルギー面でも協力することを目的としている。Visegardの名は1335年ボヘミア(現在のチェコ共和国)、ポーランド、ハンガリーの領主たちが集まった小さな城砦都市に由来している。1991年にチェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランドの首脳が同じ町に集まり、新たに設置した。チェコスロヴァキアは1993年の分離後、それぞれ加入した。これらの4カ国は2004年にEUに加盟を認められた。これらの東欧4カ国はブルガリアとマケドニアが移民・難民の流れを迂回させるため、ギリシャとの国境管理を強化する動きを支援することを表明している。

*2
ドイツ連邦共和国のガブリエル副首相は、アルジェリア、モロッコ、チュニジアは、今日では庇護の対象となる可能性がきわめて少なくなったこともあり、今後は国情が「安全な国」 "safe countries of origin" とみなされるだろうと述べている。フィンランドのように、2015年は32,000人の庇護申請者があったが、そのうちおよそ65%は申請に対して否定的な回答を受けとることになろうと政府関係者が言明している。スエーデンの場合は、163,000の庇護申請の約半数は却下されるだろうとしている(The Guardian Februay 29, 2016)。


References
“European states deeply divided on refugee crisis before key summit” The Guardian 18 February 2016
"How to manage the migrant crisis and keep Europe from tearing itself apart" The Economist February 6th-12th 2016 
ZDF 

 

 

 

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思いがけない出会い:L.S.ラウリーと英文学名作短篇

2016年02月13日 | 書棚の片隅から

 

 
 ある書店で見るともなしに新刊書の棚を眺めていた時、あっと思う表紙に出会った。なんと、あのL.S.ラウリーの作品が使われていた。日本ではほとんど知られていない画家であるが、このブログではかなり記している。書籍のタイトルよりも先に画家と作品が目に入った。タイトルと翻訳者に目がいったのは、大変失礼ながら、その次になってしまった。この書籍は英米文学者として令名の高い柴田元幸氏の手になる翻訳叢書の2番目である。すでに『アメリカン・マスターピース 古典篇』が刊行されている。

ラウリーの作品が表紙に採用されている新刊書の訳者と書名は次の通りである。


柴田元幸翻訳叢書『ブリティシュ&アイリッシュ・マスターピース』(スイッチ・パブリッシング、2015年

 少し落ち着いて、取り上げられた作者を眺めてみる。ジョナサン・スウィフトに始まり、メアリ・シェリー、チャールズ・ディケンズ、オスカー・ワイルド、W. W. ジェイコブス、ウオルター・デ・ラ・メア、ジョセフ・コンラッド、サキ、ジェームズ・ジョイス、ジョージ・オーウエル、ディラン・トマスの12 人の作品である。作者の名前はほとんど知っていたが、これまでの人生で、読んだことのある作品は3分の一くらいだろうか。オスカー・ワイルドの「しあわせな王子のように、いつの間にか諳んじてしまうほど、何度も読んだ作品も含まれている。ジョナサン・スウィフトの「アイルランド貧民の子が両親や国の重荷となるを防ぎ、公共の益となるためのささやかな提案」など、歳を重ねて次第に著者の真意が分かってきて、もう一度読んでみたいと思う作品も目についた。本書の帯には『「英文学」の名作中の名作』とある。人生残された時間は少ないのだが、やはり読んでみたい。この"ブック・ウイルス"は、子供のころに感染しまったようでもはや除去が困難だ。今回も、考える間もなく手に取り買い求めていた。書店の外のカフェで、早速、読み始めてしまった。
  
 その中のひとつ、チャールズ・ディケンズ「信号手」The Singnalman, 1866を最初に読んでみた。読んだことがない短編であること、ディケンズはかなりのごひいきだからだ。折しも、ドイツ南部で列車の正面衝突事故が報じられ、この作品も鉄道事故が背景にある怪奇小説である。小品なのだが、たちまち引き込まれる。ディケンズはこれまでどちらかというと長篇を好んで読んできたが、この小品もなかなかの名作といえよう。この小説、ディケンズ自身の人生で体験した事件に連なっているようだ。遠い記憶の霧の中に沈んだような情景が、語り手である主人公とある過去を持つ信号手の会話の中から不気味に浮かび上がってくる。結末がなんともいえず衝撃的だ。話は、ある山あいの小さなローカルな単線で、トンネルの入口近くに設置された信号手待機所での出来事だ。信号手の仕事は、列車を安全に運行させるための合図をするという、なにも起こらなければ平凡な日々となる。しかし、事故が起きれば彼の人生を含めて状況は一変する。

信号といえば、アメリカの中西部の無人駅で、列車を止めるために乗客が駅にある大きな旗を振って合図をする(フラッグ・ストップ)経験をしたことも思い出した。この駅は見通しのよい直線に沿ってあったので、視界さえ確保されればなにも問題はなかった。しかし、小説のように、深い山あいの難しい場所では、信号手は長い人生でさまざまな経験をしていることだろう。実際、信号手は事件にまつわる亡霊にとりつかれていた。それが怖ろしい結末にもつながる。

本書に収められた名品を読んでいると、それぞれに記憶の底に沈んでいたエピソードなどが浮かんでくる。これは読書の醍醐味のひとつだ。

  冒頭に記したL.S.ラウリーの作品についても少しだけ記しておこう。本書のカヴァーに使われた作品の来歴 provenance を確認している時、あっと思うことがあった。この作品、L.S. Lowry, Millworkers, 1948, Preston Harris Museum & Art Gallary となっているのだが、ある資料に、Millworkers (工場労働者)ではなく、Mineworkers (鉱山労働者)ではないかとのコメントがあるのに気づいた。作品の制作年、1948年は、イギリスエネルギー史上のエポックである最初の石炭業国有化の直後であり、誰もが石炭産業に注目していた時期だった。

このコメントで、改めて作品を見てみると、確かに描かれているのは、なにかの製造・加工などをしている工場 mill ではない。長年、ペンドルベリー Pendlebury の近くに住んでいた画家は、このあたりは自分の庭のように知っていた。仕事の行き帰るなどにいつも通っていた地域だ。明らかにこの画家が好んで描いていたなにかを製造する工場ではないようだ。この時代のColliery(炭坑およびその関連施設、建屋など) 特有の風景である。縦坑の設備がいわばその目印である。前景の建物は、事務所か選炭場なのだろう。手元の画集などを見ると、作品『ペンドルベリー』 Pendlebury (1936, pencil, 28.2 x 38.1cm)などには、まさにこの炭坑の光景が描かれている。ラウリーが、不動産会社の集金掛として、この近辺を歩いていた当時は、Wheatsheaf (Pendlebury)と呼ばれていた。この画家の作品には、今はもう無くなってしまった産業革命後の遺産のような光景を描いたものが多いから、記録という意味では画題が後年になって意味を持つこともある。

ラウリーは自分の作品に特に画題を記してはいなかった。この作品も画家本人ではなく、誰かが後から画題をつけたのだろう。工場やそこに働く労働者を好んで描いていた、この画家特有の「鉛筆のような人物」に気を取られて、背景を工場と見誤ったのだ。それ自体はたいした問題ではない。炭鉱労働者も工場労働者も、細部に入れば明らかに異なるのだが、L.S.ラウリーの世界においては、さほど重要な違いではない。ただ、現代絵画の鑑賞においても、作品の時代背景、描かれた対象などについての理解をおろそかにできないことを改めて知らされた。それにしても、この画家の作品を表紙に選ばれた装丁者のセンスには改めて敬意を表したい。

 


L.S. Lowry, Millworkers(mineworkers), 1948, Preston Harris Museum ' Art Gallery
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リスク社会に生きる心構え

2016年02月11日 | 特別記事

 

アドルフ・ヴァレット

マンチェスター、アルバート広場


リスク社会に生きる心構え
 この世界を律しているなにかが狂っているのではないか。そう考える人はかなり多いようだ。書店の新刊書のコーナーを眺めると、センセーショナルな表題がかなり目立つようになった。いつから、どのくらい増えたかという問に答えることは難しい。しかし、日々メディアなどで目にする事件の類を見る限り、
明らかに人間の正常な感覚が失われていると思うような出来事は枚挙にいとまがない。

北朝鮮の水素爆弾実験、続いての長距離弾道ミサイル発射など、およそ正気の沙汰ではないが、どの国も阻止することができない。放置してきた時間の経過と共に、将来のリスクは確実に大きくなっている。

天災、人災の如何を問わず、21世紀に入った頃から、それまでとは明らかに異なった出来事が次々と起きている。これについて指摘する論者や研究もある。しかし、地球上の人間は連続した時間軸の上で生きているから、いつからリスクが増加しているかを客観的に語ることはかなり難しい。

明日のことは一切闇といってしまえば、もとより話は終わりとなる。しかし、今の時代、世界に起きるリスク現象には、因果の経路を見出すことが出来て、ある程度の予想が可能な場合もある。多くの場合、複雑系というべき多変数が介在し、発生の経路も入り組んでいる。

昨年初めに亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck、1944 - 2015年)は、今の世界を「世界リスク社会」と名付け、富の生産を追求した近代化や市場経済の成果が、原発事故や環境汚染などのリスクを生みだすと指摘した。また、それに対応した新たな政治の必要性を訴えた。ベックが言うように、多くのリスクは今や世界規模になり、予測することも発生した被害の補償も困難さを増している。

ひとつの例はテロリズムである。21世紀は平和な世界になることが期待されたが、その期待は直ちに裏切られた。2001年9月14日、アメリカに同時多発テロが勃発し、世界が不安を抱えたスタートとなった。その後、同年10月のアフガニスタンで戦争勃発に始まり、モスクワ劇場占拠事件、マドリッドでの列車爆破事件、ロンドン同時多発テロ、2008年チベット騒乱、ムンバイでの同時多発テロ、2011年オサマ・ビン・ラディン殺害、2014年イスラーム過激派組織ISの活動f活発化、2015年から新年にかけては、パリ、バクダッド、ジャカルタ、パキスタンなどで一連の戦争やテロ事件が次々と起きた。これらの場合、首謀者の犯行声明などで、アルカイーダなどイスラーム系過激派組織の関与がほぼ明白になっている場合もある。根源や発生経路が分かれば、根絶は期待できなくとも、重大なテロの発生を減少させる方策は設定可能かもしれない。

困難を極める戦争の根絶
 天災、人災数多いリスクの中で最悪のものはテロリズムや戦争である。戦争の定義にもよるが、世界で戦火が途絶えた年はきわめて少ない。その脅威は低減するどころか、増幅してきた。すでに4半世紀が過ぎた21世紀だが、アフガニスタン、シリアなどで戦争が続く傍ら、2016年の年頭には北朝鮮が水素爆弾の実験を誇示する動きがあり、中東ではサウジアラビアとイランの間で国交が断絶し、緊張が一段と高まっている。

戦争あるいはテロリズムという愚かで恐るべき災厄を地球上から消滅させることができるだろうか。20世紀は「戦争の世紀」であったが、21世紀に入っても一触即発の危機が頻発している。時には大国の利害で戦争が作り出される。アメリカ、EU、ロシアなど、失った覇権の回復や拡大を狙う国や地域が、シリアのような自己解決能力を失った国の内戦にそれぞれの思惑で加担し、難民を始めとして多くの犠牲者を生む。さらに、中国、北朝鮮のように軍事力を誇示することで内政の失敗や破綻を糊塗しようとする国もある。政治的に仮想敵が作り出され、危険なナショナリズムが扇動される。

テロリズム(非対称脅威ともいわれる)も、特定の宗教や少数民族に対する偏見、差別が生みだすことが多い。互いに相手を誹謗、攻撃し、理性的対話が不可能となる状況が作り出される。IS(Islamic State)のように資金的にも潤沢であり、自爆攻撃という破滅的、過激的思想の集団に対しては、爆撃などの武力的な鎮圧では根絶は難しく、長期にわたる脅威となる。

どの加盟国にリスクが集中発生しているが、今後地域的拡大も予想しうる。たとえば、朝鮮半島、南沙諸島など日本を含む東アジアにおいても紛争が発生、拡大する可能性は高まっている。東アジアは、これまで朝鮮戦争(1950-1953年)以降は、局地的紛争で抑え込み、本格的戦争の脅威をなんとか回避してきた。結果として、幸い破滅的事態を経験することない空白地帯となっている。しかし、今後この地域での紛争リスクは高まると考えるべきだろう。 北朝鮮、中国などの軍事力拡大が、局地的事件などから一触即発の状況を生みだす可能性も考えねばならない。北朝鮮の各軍事力拡大についても、中国が体制の問題までは踏み込めないとする立場を維持する以上、北朝鮮の軍事的脅威が近い将来減少することは考え難い。朝鮮半島、中国などに有事が発生すれば、日本海が「難民の海」と化する可能性がないとはいえない。

検討すべき課題は多いが、少なくも日本が紛争当事者となることは絶対に避けねばならない。中国、アメリカ、ロシアなど覇権の維持、拡大を狙う大国の間に挟まれた日本のような国々は、国家としての戦略設定を誤ると、文字通り国家存亡、取り返しのつかない大事を招くことになる。

政治経済学者J.K.ガルブレイスが指摘するように今や「正常な時代は終って」(The End of Normal)しまい、難しい時を迎えている。これまでの一般的な認識からすれば、異常、異変ともいうべき事態が常に起きているような時代になった。戦争の抑止にしても軍事力や法律で、その発生減少させることもできない。

日本では憲法改正だけが主たる議論になっているが、独自の文化的充実に努め、世界の平和維持を主導しうるまったく新たな視点からの国家的戦略設計が必要になっている。

どこまでリスクは回避できるか
 リスクの視野を天災まで広げると、2011年3月11日には、東日本大震災による地震と津波による甚大な被害、さらにその一環として東京電力福島第一原子力発電所に重大事故が併発し、次の世代にまで問題を持ち越すことになった。重大な人為的ミスも介在し、地球レベルに影響する災害であった。

天災の発生自体を抑止することは不可能に近いが、これまで人類社会が蓄積してきた人智をつくして、起こりうる災害を極力減らす(減災)努力を続けることが、唯一考えられる道だろう。温暖化、大気汚染防止、人口爆発など、地球全体の危機的問題として認識と合意がなされないかぎり、解決はもとより困難である。

9.11や3.11に象徴されるように、現代のリスクがもたらす衝撃は、しばしば想像を絶する。多くのリスクは地球規模で存在し、発生する。 ベックの指摘を待つまでもなく、これからの世代が直面する「世界リスク社会」は、その次元と対応の双方において、従来とはまったく異なった対応が求められる。次世代に生きる人たちは、どう考えているのだろうか。



James K. Galbraith, The End of Normal: The Great Crisis and the Future of Growth, New York, simon ' Schuster, 2014..

 

★本記事は、『戦略検討フォーラム』、「フォーラム・テーマ」欄に寄稿した原文を、ブログ向けに加筆したものである。

text copyright (c) Yasuo Kuwahara, 2016 

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戦火を超えて生き残った誇りうる文化;「黄金のアフガニスタン」展

2016年02月04日 | 午後のティールーム

人物頭部 
前2世紀
粘土(未焼成) 
20.0 x 15.0cm

 

 2006年パリ、ギメ国立東洋美術館で開催されたアフガニスタンの貴重で絢爛たる文化財の特別展が、やっと日本に巡回してきた。人々は壮大なバーミヤンの大仏が無残にもタリバンの手によって爆破される光景を目の当たりにした。カブールのアフガニスタン国立博物館博物館に所蔵されていた多数の美術品は、博物館の破壊と簒奪によって、すべて失われたと思っていた。この国立博物館には、世界に誇る古代バクトリアの貴重な遺物が所蔵されていた。しかし、一時期、これらの遺物も偶像破壊主義者たちなどの行為などで滅失してしまったと考えられていた。2001年の3月に、バーミヤンの38mと35mの大仏が破壊されたイメージを記憶されている方もおられるでしょう。
 
 しかし、すさまじい戦火の中で、勇気ある博物館員の献身的な努力で、カブールの中央銀行の地下倉庫などに移転され、安全に保蔵されていたことが判明する。もちろん、戦火や破壊行為で失われた遺産は計り知れないものだったが、東西文明交流の華麗な輝きの精髄ともいううべき遺産が密かに保護され、収蔵されていたことが分かった。そして、それらはアフガニスタンが誇る素晴らしい文化財であった。
 
世界に知られるアフガンの輝き
 アフガニスタン政府はこれら戦火を逃れた貴重な文化財を通し、誇りある同国の文化を巡回展という形で世界に発信することを決定した。その最初の展示が、このブログでも一端を紹介しているフランスのギメ国立東洋美術館美術館で2006年に開催された。

それらを目のあたりにしたときは、自分の人生でも数少ない感動の時でもあった。フランス人をはじめとする人々のアフガン文化に対する尊敬の念が広がっていた。
 
当時の美術館員の話では、東西文明の融合・交流の象徴でもあり、日本には早い時期に巡回されると聞かされていた。しかし、思いの外に時間がかかり、このたびやっと九州国立博物館、東京国立博物館(表慶館)で展示が行われることになった。ギメ国立東洋美術館美術館の展示の時は、イエナ広場を取り囲むように並んだ見学者の人々の数、展示スペースがやや窮屈で混雑していたこともあり、日本の広く明るい博物館でもう一度見たいという思いが絶えることなく今日まで続いていた。ギメ東洋美術館の展示以来、日本開催まで、どうしてこんなに長い年月を要したのかという思いがした。今回の展示品の中には、奈良県藤ノ木古墳出土の金銅製冠ときわめて類似し、ユーラシア大陸から日本におよぶ東西交流の歴史を素晴らしい作品も展示されている。
 
  このたびの九州国立博物館(その後東京国立博物館)でのカタログを読んでいて改めて感動することが多数あった。このカタログは大変良く作られていて、素晴らしい。その中から、一つの文章をお伝えする。
  
 
「自らの文化が生き残り続ける限り、その国は生きながらえる」
 
  "A nation stays alive when it's culture stays alive."
 
  この感動的な言葉は、2002年アフガニスタン紛争がいちおうの終結をみた2002年、廃墟と化した博物館の入り口にこの標語が記された垂れ幕が誇らしげに掲げられていたそうだ(青柳正規、文化庁長官メッセージ「黄金のアフガニスタン」、企画展カタログから引用)。
 
 1997年の軍事クーデター以来、焦土と化した祖国において、絶滅寸前、風前の灯火と化したアフガニスタンの文化、そして国の現状を背景に、アフガニスタンの文化を愛する人たちが記した、実に感銘的な言葉であった。
 
 ともすれば、憲法改正や軍事力充実の議論に、人々の関心が傾いている日本の現実に鑑みると、その国の長い歴史と文化を体現してきた文化財を大切に守り続け、次世代に継承すること、文化こそが軍備をうわまわる大きな秘めた力を持つことを認識し、世界に発信し続けることの重みを強く感じる。
  
日本のでの特別展は、パリのギメ以来、長く待たされてきたことも反映して、展示方法、カタログ、資料などに顕著な充実が感じられる。この素晴らしい人類の宝と輝きを、多くの方が目にされ、その意味を考えられることを強くお勧めしたい。


 
 
 
首飾
1世紀第2四半期
金、琥珀
径1.8cm, 2.0cm, 2.4cm
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終わりの始まり: EU難民問題の行方(15)

2016年02月02日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 
DER SPIEGEL Chronik 2005
 


EU基盤に亀裂進む
  EUの国境管理システム、シェンゲン協定は、ヒトの域内における自由移動を保証するという画期的な協定であり、長らくEUを支える強い基盤となってきた。しかし、このたびの難民問題の深刻化に伴い、いまやその基盤には多くの亀裂が生まれ、EUが分裂、共同体としての結束力を失いつつある。中心となってEUを牽引してきたドイツの指導力、そしてメルケル首相の退陣時期も視野に入ってきた。

新年に入って間もない1月15日、アムステルダムにおいてシェンゲン圏26カ国の外相会議が開催された。会議の雰囲気は全体として沈鬱なものだったようだ。シェンゲン協定はほぼ20年間にわたり機能し、EUの地域共同体としての象徴ともいえる重要なシステムであった。このたびの難民問題で、その機能は半ば停止し、消滅寸前の危機にある。しかし、システムを完全に放棄する前に、2年間に限り施行停止をすることができる。すでにその方向へシフトした加盟国もある。
 
アムステルダム会議では加盟国の外相がそれぞれ協定の存続の困難さを述べたようだ。主催国オランダの移民大臣は、移民・難民の急激な増加によって国境を従来通り維持することは困難であると述べた。
 
オーストリアの内務大臣は、8時間にわたる協議の後、「シェンゲンは破綻の淵に立っている」と述べた。実際、オーストリアは2015年の難民申請者のうちで、ドイツ、スエーデンとともに3カ国で昨年の難民申請者の90%近くを受け入れてきた。新年に入って1月31日、オーストリアはスロベニアとの国境管理を復活した。これによって難民関係者の間でいわゆるバルカン・ルートとして知られる経路が制限された。オーストリアは次の4年間に予定する受け入れ数に上限を設けることも決めた。スエーデンも同じような制限を導入した。ドイツも2年間、国境管理を復活させるか検討中といわれる。
 
こうした議論の過程で、EUの東部に位置するギリシャへの批判が高まっている。ギリシャはヨーロッパでも有数の海軍を擁している。トルコと協力すれば難民のEUへの多数の流出などの点で、もっと有効に沿岸警備ができるはずだというのが、EUの多くの国が考えることだ。新年に入ってからも、トルコからギリシャへ渡った難民のは35,000を超える数になり、昨年の同期の20倍以上に達している。

破綻している東部戦線 
 EUとトルコの協定も実行される気配がない。しかし、イタリア、ルクセンブルグ、EU委員会などは、ギリシャを罰したり、シェンゲン・システムから追放することには賛成ではない。他方、ギリシャにも言い分はある。EUからギリシアは自国の再建のために厳しい緊縮策を実施するよう圧力をかけられている上に、EU全体の危機でもある難民問題まで多大な責任を負わされるのは横暴ではないかと考えるのだろう。
  
最大の問題はドイツの力、とりわけメルケル首相が3月半ばの連邦政府選挙までにどれだけのことができるかだ。難民の波は依然として続いており、目指した国に受け入れられずに送還される流浪の民として、ヨーロッパをあてどもなく、さまよう人々の増加、1万人を越えるといわれる行方不明の子供たちなど、新しい問題も表面化してきた。難民や移民の希望者を餌食とする人身売買ブローカーの取り締まりもいまのところ実効がみえていない。

ドイツ連邦共和国の連立与党の党首の間には、「歌舞伎の所作」といわれる微妙なやりとりが交わされている。メルケル首相は依然としてドイツが受け入れる難民(申請者)の数には上限はなく、現実には110万人近くが想定されているともいわれている。しかし、彼女もその数は「減少」させる必要があることをほのめかしている。他方、連立の相手方CSUの党首が現実に考えているのはかなり低い水準の20万人くらいのようだ。事態がここまでにいたれば、お互いにどの辺で折り合うのかは、意中にあるのだろう。それを明言することなく相手に気づかせるのがドイツ流「歌舞伎」らしい。
 
EUが抱える問題の重みを考えると、EUはいまだメルケル首相の指導力を必要とするだろう。しかし、厳しくなった環境において、不屈の女性宰相にもさらに踏み込んだ決断の時が迫っているようだ。
 
 
 




References
EU border controls: Schengen scheme on the brink after Amsterdam talks, the guardian, Jauary 26 2016
'Kabuki in the Alps.' The Economist January 9th 2016.
 
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 
 
 
 
 
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