時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

頭が重い新年:未来に希望を託して

2024年01月17日 | 特別トピックス
©︎R.Lansbury 2024


どうしてここにペンギンが?
 
昨年、晩秋のある日、オーストラリア人の友人R.L夫妻が来日した。半世紀近く続く友人で、夫はシドニー大学教授を引退して、今は世界各地を講演やサイクリングをしたりで過ごしている。70歳代後半に入るが、とにかくその活動ぶりには驚かされてきた。

今回の来日の旅は、なんと能登半島を一周し、日本アルプスを巡り、白川郷にも宿泊するという旅程だった。日本のサイクリング・クラブの一行に入り、共に旅をするという。これまで、阿蘇や北海道一周などを、同じ形式で旅し、日本人の寛容さなどに魅力を感じたのが今も続いている理由だとのこと。当ブログ筆者とは若い頃、日光の山々などを共に歩き、鄙びた温泉などを巡ったことなどがあるが、今の筆者には残念ながらバイクでも旅をする体力はない。ただ、旅行ガイド?として、日程や見どころの相談に乗っただけであった。

彼らは無事、北陸の旅を終わり、シドニーに戻った。能登ではほとんど自転車 bike  cyclingで旅していたが、電動バイクは日本の九州での旅で初めて経験し、その便利さに魅せられ、能登でも電動バイクにしたとのことだった。他国ではなかなか電動バイクのサイクリングはできないらしい。

彼らにとって強烈な驚きだったのは、元日の能登大震災発生のニュースだった。筆者が新年の祝賀と併せ、能登の震災を知らせたところ、彼らもすでに知っていて、大きな衝撃だったようだ。無理もないことだ。


南船北馬の旅

さらに、代わって筆者が驚かされたのは、彼らは日本から帰国後、昨年末から南極へ旅をし、なんと、新年元日にシドニーへ戻ったところで、能登大震災を知った。能登に続き、南極へ行っていたのだ。北の日本では馬ならぬ電動バイク、南の南極へは船で旅をしていた。旅好きなことは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。

南船北馬
淮南子・斉俗訓
各地を忙しく駆け回ること。源:その人や所に応じて、それぞれに相応しい手段や方法があるということ。胡人便於馬、越人便於舟

それによると、かねて希望していた南極半島への10日間の旅(NB)で、崩れ落ちる大氷山に加え、ペンギン、鯨、鳥など多くのものを目の当たりにして、その壮大さは実に衝撃的であったと記してあった。さらに、ウクライナ、ガザなど地球各地が戦火に見舞われる今の時代、南極協定 the Antarctic Treatyで多数の国が科学的調査以外の行動を制限することをほぼ遵守しているということに深く感銘したと記されてあった。


©︎R.Lansbury 2024
南極探検船 Polar Pioneer

未来に希望を託して

平然と人間が相手を殺戮しあう今日。人間が戦争を根絶できないのは、何によるものだろうか。新年はまた重い課題を伴って始まった。

R.L夫妻は来年も日本でバイク・サイクリングの旅をすることを決め、来日すると知らせてきた。

N.B.
ここに記された南極探検は、友人RLによると、2023年12月21日から2024年1月1日まで10日間の計画で実施された。ローカルな新聞記事の発案に始まり、冒険心を維持するために小規模な船舶 Polar Pioneer に50人程度の’市民科学者’を志す人たちを収容し、航行するとのこと。乗組員には南極の歴史、その他の関連テーマのレクチュアが行われ、さらに氷上歩行、カヤック、スキーなどの指導、実施も実施された。航海はシドニーを出発し、アルゼンチンの都市ウシュアイア Ushuaiaを経由し、南極へ向かった。詳細な航行メモ、南極半島での調査記録などを送付してくれたが、今回記事の目的ではないのでこれだけにとどめる。
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時代の空気を伝える画家(12):英国版「お宝鑑定団」?

2024年01月06日 | L.S. ラウリーの作品とその時代


L.S.Lawry, A Family, 1958,Rhode p.67
《家族》


今年は年頭から、激甚、悲惨な災害、事故が続発し、日本を暗鬱な空気が覆っている。そこで、少し明るい話題を記してみよう。


これまで記してきた L.S.ラウリーの作品には不思議な引力がある。作品の一点、一点を見ている限り、これが現代イギリスを代表する画家なのだろうかと思う人もあるかもしれない。しかし、いくつかの作品を見ているうちに、次第に引き込まれ、生涯のフリーク(熱狂的ファン)となる人が多い。ラウリーの生涯、絵を描き続けたいという強い意志が人生のあらゆる虚飾や虚栄を拒み、蓄財もせず、画家としての思いを貫いた。40年を越える画業生活の間、未婚で子供もなく、1976年2月に死去するまで、ひたすら制作に没頭した。

描かれた作品は、画題も多岐に渡り、大きさも葉書程度から通常の作品まで、さまざまだ。時には画家がティータイムなどの合間に、手近なナプキンなどにスケッチしたイラストのような作品が、多大な人気を得て収集の対象になったりしてきた。作品によっては、素人でも描けそうな、時にコミカルな印象を与える小品もあるのだが、実際にはなかなか真似できないようだ。

上掲の作品も実在の家族を、ややコミカルなタッチで描いた作品だ。老若男女の家族に犬まで描かれているが、この犬は「ラウリーの犬」といわれるほど、この画家の作品にはしばしば登場する。


ラウリーの人生そして作品は、今日まで多くの文化的残響を残してきた。イギリス社会の歴史、社会、文化など多くの分野のイメージを後世に伝えている。

イギリス社会経済史の追体験
今日では、作品の多くはイギリス北部ランカシャー地域のサルフォード埠頭に、画家の功績を記憶に留めるために建てられたユニークな総合文化施設、ギャラリー・シアターであるThe Lowryが、400点近い作品を所蔵、展示している。遅ればせながら画家の人気に気づいたロンドンのテート・ギャラリーも作品収集に乗り出した。

当時、未だ十分に発達していなかった写真などの画像に代わり、絵画という形で産業革命発祥の地における工業発展の光と影を今日に伝えている。ラウリーの作品を見ていると、ありし日のマンチェスターなどの工業地帯の雰囲気が、工場や街角の風景と相まって伝わってくるようだ。あたかもイギリス産業革命の進行過程を社会経済史の一端として体験しているかのようでもある。

ラウリーはフランス印象派の影響を受け、その技法も習得しながら、「マッチ棒人間」'matchstick man' として知られる独自のスタイルを生み出した。ラウリーがある時、いつもの駅で乗り遅れた列車の到着を待つ間、目の前のアクメ紡績工場 Acme Spinning Millsの光景にインスピレーションを感じ、画家として生涯を歩むことを心に決めたと言われる。

L.S.ラウリーが描いた《産業風景》のシリーズでは、多くの場合、描かれた多数の人物の個々の表情は、判然としないが、当時の工場街や地域に日々を送る人々の生活の雰囲気が、画像以上の近接さをもって伝わってくる。多くの数の人間を描くに、これ以外の方法はあるだろうか。

この画家にはかなりの数の小さな作品があり、画家が身近かな人たちに、さまざまな機会に手渡したりしたものも多く、今日では愛好家の垂涎の的となっている。小さな規模では、絵葉書程度だ。

L.S.Lawry, A Woman Walking, date unkown
《歩いている女性》

私の所有している絵は、真作だろうか:イギリス版「お宝鑑定団」

Are My Paintings Really By L.S. Lowry? | Fake Or Fortune | Perspective


このBBC制作の動画は、父親からラウリーの作品ではないかと思われる絵画を遺贈されてきたが、その後の画家の人気も手伝って、作品の真贋を専門家に依頼する経緯が細かに記されている。ラウリーは、贋作が多い画家である。いかなる手法で真贋が定められるのか、そのプロセスは大変興味深い。最初の部分にコマーシャルがあったりするが、イギリス北西部の美しい光景が見られたり、ラウリーの愛好者にとっては殿堂的存在でもある シアター・ギャラリー The Lowryの内部も見られて大変楽しい。


筆者のイギリス人の友人にある日この話をしたら、そういえば、自宅に2、3点あったかもしれないと興味を示し、近く鑑定に出すとのことだった。しかし、その後も連絡はないので、真作ではなかったのかもしれない。残念(涙)?

日本にもかなりの真作、偽作、コピーを含めて、作品が流通しているといわれる。とはいっても、我が家にはないなあ(涙)。


References
Shelley Rhode, L.S.LOWRY: A LIFE, London, Cadgan, 2007
T.J.Clark and Anne M. Wagner, LOWRY AND THE PAINTING OF MODERN LIFE, 2019


L.S.Lowry, A Boy, date unknown



L.S.Lowry, A Protest March, oil on canvas, 51 x 51cm, Clark and Wagner p.112
《プロテストの行進》

続く
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謹賀新年 

2024年01月01日 | 特別トピックス


新年おめでとうございます。

2024年元旦




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
年頭雑感

見よう見まねでブログなるものを開設してから、まもなく20年近くになる。
世界史上、初めて「危機の世紀」として認識された17世紀ヨーロッパに生きた画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに関する心覚えを記し始めてから、今日まで「危機の時代」と「美術」という一見するとほとんど関連のない概念を柱として頭の片隅に意識しつつ、心に浮かぶ多様なトピックスをメモとして、記してきた。

筆者と面識のない読者の方々には、何のことか分かり難い「変なブログ」と受け取られたことは疑いない。しかし、加齢と共に記憶力が低下してきた筆者には、脈絡もなく浮かんでくる記憶の断片を記しておくことは意外な効用があった。これまでお付き合いいただいた皆様には厚く御礼申し上げたい。

最近、気になる言葉は、「文化戦争」Culture Wars という概念だ。国家や民族間の紛争ではなく、個人や集団が自らとは異なる考え、思想を持つ相手と対決する状況を意味するようだ。この概念がいつ頃生まれ、確立されたかについては議論もあるようだが、最近ではアメリカの政治、社会の分裂、分断などを語る次元ばかりでなく、イスラエル、ハマス、パレスティナをめぐるガザ戦争*にまで援用されている。この問題にはいずれ触れることになるだろう。

“The culture war over the Gaza War” The Economist, 0ctober 30, 2023

戦争のない良い年が訪れることを願いつつ。


このたびの日本海沿岸の震災で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
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