どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

1ぽんでもにんじん

2023年10月16日 | 絵本(日本)

   1ぽんでもにんじん/長野ヒデ子・構成絵/のら書店/2017年

 

 数え歌を絵本にしたもの。

 1ぽんでも に(2)んじん

 2そくでも サン(3)ダル

 4つぶでも ご(5)ましお

 ・・・・

  9はいでも ジュ(10)ース

 

 1から十まで。10では?

 

 しちめんちょうは <わ> はちは <ひき> と 出てくるものの数え方もさりげなく でてきます。これは こんなふうに数えるんだよといわれても、なかなか 頭に入りませんが、歌いながらだったら すんなり はいってきます。

 ペープサートにしてみても楽しそうです。


カエルになったブラフマー神・・インド

2023年10月15日 | 昔話(アジア)

     大人と子どものための世界のむかし話2/インドのむかし話/坂田貞二・編訳/偕成社/1989年初版

 

 あるとき、人の運命をさだめるブラフマー神と、慈悲深くて人をすくうヴィシュヌ神が天界で話し込んでました。ヴィシュヌ神は、ブラフマー神に、「人の運命をさだめるときは、もうすこし考えてやってもらえませんか。もし厳しすぎる運命をさだめてしまったらとおもったら、あとで多少かえてやるくらいの慎重さがほしいものですな。」

 ブラフマー神は、絶対に間違いなどない!と、ヴィシュヌ神の言うことには、耳を貸そうとしませんでした。

 さて、あるところに、人にやとわれて畑仕事をしていた男がいましたが、男が、毎日、朝から晩まで汗を流して働いても、一日の仕事でもらえるのは、少しだけの豆だけ。その男のおかみさんは、なかなか気のきいた女で、男が毎日もらってくる豆をひとにぎりずつためていました。豆がいくらかたまると、おかみさんは、それを市場で売って、かわりに白いお米や小麦粉、それに野菜も買ってきました。

 男がお昼に、仕事からかえってみると、小麦粉でつくったおいしいブーリー(あげパン)、おかずもたっぷり用意してありました。いつもはぼそぼそした豆のパンしか食べられなかった男はびっくりして、おかみさんにたずねました。おかみさんは、「かみさまの、おめぐみで、こういうごちそうになったのです。たまにはおいしいものをおあがりなさいな。」といいました。よく働く男のためにおいしいごちそうを食べさせたいと思っていた おかみさんだったのです。

 このようすを天界でみていたヴィシュヌ神は、ついうれしくなってブラフマー神をからかいました。「どうです。あなたはあの男の運命を、<一生苦労ばかり>と、帳簿に書き込みましたけど、きょうはあんなにおいしそうなごちそうをたべているじゃないですか。」「なにっ、そんなばかな! これはほおっておけぬ。わしがさだめた運命とちがうことはぜったいにゆるせぬ」というと、天界から地上におりて、カエルにすがたをかえたブラフマー神は、テーブルのそばにいくと、ごちそうをちょっとばかり横取りしようとしました。

 ところが、「これは人間のごちそうだ。カエルのたべるものじゃない」とおいはらわれてしまいます。ものかげにかくれてじっとしていたカエルは、男のすきを見て、ごちそうに小便をたっぷりひっかけました。せっかくのごちそうは、小便だらけで、とてもたべられなくなってしまったのです。おこった男は、ふとい棒をもってきてカエルにばけたブラフマー神を、ガンガンうちすえました。それでも、いかりがおさまらない男は、あとでもう一度うちすえようと、カエルを布につつんでこしにぶらさげ野良へでました。

 これをみたヴィシュヌ神が、「カエルに よーくおしおきするから わしによこしなさい」と男にいうと、カエルがにげだそうとしたので、男は、またびしびしとたたきのめしました。ヴィシュヌ神は、ブラフマー神にいいます。「苦労もあればしあわせもあるというのが、人の運命なのに、いじわるく<苦労ばかり>などという運命をあたえるから、こういうめにあうのです。男の足元にひれふしてあやまりなさい。」

 ブラフマー神は、頭をさげ、きずだらけになって天界にもどっていきます。

 

 <苦あれば楽あり>といいますが、男の<楽>は、神さまのおかげなのではなく、おかみさんの知恵のおかげです。


サッカーしようよ! ブルンミ

2023年10月14日 | 絵本(外国)

   サッカーしようよ! ブルンミ/マレーク・ベロニカ 羽仁協子・訳/風濤社/2010年

 

 シリーズですが、はじめて見るにはでてくるキャラクターのイメージをつかんでおく必要もありそうです。アンニパンニは、ズボンのひざ当てが、花の形になっていて、ブルンミにサッカーボールをプレゼントする女の子。ブルンミは二本足で行動する犬? ベンツェはアンニパンニとおなじ年齢の男の子。

 アンニパンニからサッカーボールをプレゼントしてもらったブルンミ。ブルンミは サッカーがはじめてで 教えてくれるよういいますが、アンニパンニは 買い物にいってしまいます。

 そこで、ひとりあそびはじめたブルンミでしたが、ボールを けると、かえるさんに うさぎさんに、はりねずみさんと つぎつぎにあたってしまい、みんなが おこりました。

 サッカーなんてもうやめると ボールをとおくに なげてしまった ブルンミ。そのボールを見つけたベンツェくんが サッカーを教えてくれます。

 はじめは うまくいかなかったブルンミでしたが、ベンツェくんとサッカーをしているうちにどんどん上手くなっていきます。

 アンニパンニが買い物からかえってきて サッカーをおしえてあげようと いうと 「ぼくは もう ゴールだって きめられるよ!」と、得意げに こたえ もっと練習して、おおきくなったら サッカー選手になるというブルンミでした。

 

 サッカーのルールも出てきて、サッカー入門にもなります。サッカーに興味をもちはじめた子には、歓迎されそうです。はじめの一歩を踏み出すとき、どんな人との出会いが 持続できるかのポイントですが、ベンツェくんの指導は、とてもうまかったようです。


へそまがりの子ガエル・・福岡

2023年10月13日 | 昔話(九州・沖縄)

        福岡のむかし話/福岡県民話研究会編/日本標準/1983年

 

 親の遺言の話。

 子ガエルは、かあさんガエルのいうことを聞かず、いつも反対のことばかりしていました。

 留守番を頼まれると外へ遊びに行きます。かあさんガエルが重い病気になって、冷たい水でからだをひやしたら、どんなに気持ちがいいだろうと、子ガエルに冷たい水でからだをふいてくれるよう頼むと、外で虫を取ろうと遊んでいた子ガエルが かあさんガエルのまくらもとにもってきたのは、なまぬるい水。

 かあさんガエルの病気がだんだん重くなり、「ぼうや。おねがいだから、おかあさんが死んだら川にうめて頂戴ね。」というと、大きな息をひとつして死んでしまいました。いつも反対していた子ガエルは、せめて、おかあさんが死ぬときにいいつけたことだけは、望みどおりにしようと、川底に穴を掘ると、おかあさんの亡骸を埋めました。子ガエルは、やっとおかあさんの思い通りにできてほっとして、うれしくさえありました。

 ところが梅雨になって川の水が増えると心配なことが持ち上がりました。川底に埋めたおかあさんの亡骸が、今にも流されるのではないか。いやもしかしたら、もう流れてしまっているのかもしれません。

 子ガエルは、雨が降るたびに、おかあさんのことが心配になりました。子ガエルは、濁って勢いよく流れる川の水を見つめているうちに、はっと気がつきました。おかあさんは、本当は、山にうめてほしかったのではないかしら。ぼくが、いつも反対のことばかりするので、こんどもそのつもりで、「川にうめて」といったのにちがいない。そこまで考えた子ガエルは、取り返しをつかないことをしてしまったと、声をあげて泣きました。それ以来、へそまがりの子ガエルは、雨がふるたびに、おかあさんの亡骸がながされるのではないかと心配して、ゲコ、ゲコ、ゲコ グェッ グェッとなくようになりました。

 

 「孝行したいときに親はなし」。思い当たることもありますね。


イワンの ばか

2023年10月12日 | 紙芝居(昔話)

 イワンの ばか/原作・トルストイ 脚本・横笛太郎 画・土方重巳/童心社/1997年(16外面)

 

 あるところに三人の兄弟がいました。一番上のセミョーンは軍人、二番目のたいこばらのタラスは町で商売をはじめましたが、三番目のイワンは農作業を一心にしていました。

 森の近くの悪魔が、三人兄弟に喧嘩させようと取りつきました。軍人のセミョーンの火薬を全部湿らせたので、大砲はドカーンとならず、セミョーンは戦争に負けて、いのちからがら にげだしました。悪魔は二番目のタラスをよくばりにしたので、タラスは、金も銀も毛皮も欲しいと欲の皮がつっぱり、お金をすっかり使い果たし、借金で身動きがとれなくなってしまいました。

 つぎに、悪魔はイワンの畑を固くし、おなかも痛くなるよう呪文をとなえます。腹が痛くなったイワンが あと ひとふんばりと 力をいれたひょうしに 悪魔を見つけ手で握りしめます。ぎゅうぎゅう詰めに にぎりしめられた悪魔は、いのちのねっこ、木の葉で お金を作る方法、藁束で兵隊をつくることをおしえることで、イワンから逃げ出します。イワンがさっそく いのちのねっこを食べると、腹痛は すーっと なおりました。

 そのころ、お城のひめさまが 病気になり、「姫の病気をなおしたものに褒美を、ひとりものなら姫をよめにやって、王さまにしてやろう」というおふれが、国中にだされました。イワンが いのちのねっこで、姫の病気を治してやろうとお城に出かける途中で、手の曲がったおばあさんに、いのちのねっこをさしだし、いのちのねっこは すっかりなくなってしまいます。それでもイワンがお城につくと、姫の病気は はっとなおりました。おふれどおり、イワンは 姫を よめさんにして、この国のおうさまになりました。

 一方、悪魔は、イワンを なんとか困らせてやろうと、大金持ちの紳士にばけて、イワン王へ、「このうつくしい金貨で 何でも買うよう」進言します。イワンが、「わしの国では、そんなものは いくらでもあるぞ。木の葉は たくさんあるからな」というと、悪魔は「この国では、みんな手や足をつかってはたらいていますが、ばかなことです。あたまをつかって 働くことを おしえましょう」といいます。

 「国中のものに あたまで働くことを教えて くれ」といわれ、高い台で 演説を はじめた悪魔が おなかがへっても お百姓たちは、紳士が あたまでパンをつくりだすとおもい、だれも食事を運びません。ふらふらになった 悪魔は 階段を あたまでかぞえるように、ゴツーン ゴツーン と落ちていきました。悪魔が おちた地面には、大きな穴。

 「あたまが われるように いたくなることもあると いっていたが、こりゃー ほんとうだ」(イワン)、「わしらにゃー、とっても まねは できんわい」「いままでどおり、手や からだをつかって はたらくとしようか」「そうしよう、そうしよう」(百姓)。

 みんなは、草刈りの鎌や鋤をかつぐと 畑へもどります。イワンの国では、みんな手ではたらき、手には まめができています。セミョ-ンやタラスや悪魔のように あたまだけで働こうとするものは、とてもこの国では、くらしていけません。

 

 原作よりみじかくなっているので 評価はむずかしいのですが、物足りなさがのこります。

 「ばか」は 愚直さをあらわしているのですが、この紙芝居では、このあたりがつたわってきません。さらにちっとも怖さがつたわらない悪魔の役割も単純すぎます。


しんちゃんのひつじ

2023年10月11日 | 絵本(日本)

   しんちゃんのひつじ/川村みどり・文 すぎはらともこ・絵/徳間書店/2023年

 

 1999年に発行された絵本(文化出版局)に若干の変更を加え、サイズをおおきくしたもの。


 風がピューピュー吹いて、しんちゃんは怖くて眠れません。お母さんに言ったら、「羊を数えたらいい」といいます。でも、しんちゃんは ひつじをしりません。

 お母さんは、「毛の長い動物で、毛でセーターを作るの」

 おにいちゃんは、「毛の長い動物で、はさみで毛を切って、セーターをつくるんだよ」

 ふたりの話から、しんちゃんが想像する ひつじのイメージが 怪物のよう。毛というより髪の毛かな。

 絵だと簡単なことも、言葉だけでつたえるのは難しいのかも。ひつじが、こんなイメージになるギャップが笑えます。 

 怪物のようなひつじをイメージすると、ますます眠れないのかな思うと、出張先の おとうさんが、「ひつじは やさしいどうぶつだから、かみつかないよ」というので安心して眠るしんちゃんです。

 出張からかえってきたお父さんの お土産は?


幸運の神とちえの神・・インド

2023年10月10日 | 昔話(アジア)

     大人と子どものための世界のむかし話2/インドのむかし話/坂田貞二・編訳/偕成社/1989年初版

 

 あるとき、幸運の神とちえの神が、どちらのほうがえらくて力をあるかということで、言い争いをしました。

 はじめに幸運の神が、不思議をおこしました。ある村のまずしいヒツジかいの畑のトウモロコシの一粒一粒を、全部真珠にかえたのです。ところがヒツジかいは、「これでは、トウモロコシが真珠になったから、とても食えやしない。ことしは食い物がたりなくなるなあ」と、がっかりしました。

 このとき、となりの国から穀物を買いにきた商人が、真珠のなったトウモロコシ畑を見て、大喜びしました。ヒツジかいは、かたずける手間がなくなるから全部持って行ってくれといいましたが、商人はなにがしかの金貨をヒツジかいにおしつけて、人足を雇って、トウモロコシをとりいれると、王さまに一本献上しました。王さまはすっかり感心し、その土地のひとは、とてもゆたかにちがいない。王女も年頃になったから、その畑のもちぬしと婚礼をあげさせることにしようと、商人に頼みました。

 ヒツジかいは、商人にいわれるままに、旅のしたくをしました。商人は、ヒツジかいの髪をととのえ、あたらしい衣服をきせて、別人のようにりっぱな身なりにさせました。それから、国についたら、あまりよけいなことをいわないように注意しました。

 用心深くなったヒツジかいは、王さまがなにをたずねても、ろくに口をききませんでした。「王さま、むこどのはこの国のことばがよくわからないようす」と商人はうまくとりつくろい、そうそうに退散していきました。

 王女がヒツジかいのところに、嫁いでいくと、ちっぽけな小屋に、家具も食器もろくにありません。おかしいと思った王女は父親に手紙を書きました。手紙を読んだ王さまも心配になり、むこどのをお城に招き、市をたたせて、ありとあらゆる品物を並べるように、命じました。むこどのがどういう買い物をするかを見れば素性がわかるとおもったのです。

 むこどのが買ったものは、見たことのない赤い野菜。ヒツジかいは、こんなきれいな野菜を見るのははじめてで、そのまま、がりがりとうまそうにたべはじめました。市に集まった人たちはあきれて見ています。おつきの者もこまってしまい王さまに報告すると、王さまは、むこえらびをを商人にまかせっきりにしたことを、くよくよ考えこむようになりました。

 幸運の神が、ちえの神に相談し、ちえの神から知恵をさずけられたヒツジかいは、「あのニンジンとかいうものは、わたしの国にありませんので、味を見たのです。なかなかけっこなものなので、国に持って帰りひろめたいとおもいます。わたしの国には、ほかのものはなんでもたくさんあって、何一つ不自由しませんが、ニンジンだけはありませんので」。

 こうしてむこどのの面目はたもたれ、王女とヒツジかいは、なかよくくらしていくことになったのです。

「ちえの神さま、どうやら人間というのは、幸運の神と、知恵の神の両方のたすけあいがあって、はじめて、しあわせになれるようですな。」

 


いそっぷの おはなし

2023年10月09日 | 絵本(昔話・外国)

    いそっぷの おはなし/降矢なな・絵 木坂涼・文/グランまま社/2009年

 

 いそっぷのはなしから九編。

 「うさぎとかめ」「ひつじかいと おおかみ」「ありときりぎりす」「きたかぜとたいよう」は おなじみの話。

 「きつねとつる」:きつねがつるを食事に招待し、だした ごちそうは お皿によそおったスープ。これでは つるは のめません。つるがだしたごちそうは、細長いつぼのつぼのななかに はいっていました。これでは きつねは たべられません。

 「よくばりないぬ」:肉をくわえたいぬが、川の真ん中で おいしそうな肉をくわえたいぬをみて、それもいただこうと、ほえると 肉が 川へおちてしまいます。

 「からすときつね」:チーズをくわえたからすが、きつねにほめられ、カア!となくと、チーズが おちてしまい そのチーズを きつねが 失敬していきます。

 

 文が短いので、入りやすいかもしれません。

 文が白黒、絵は遊び心が いっぱいの色彩。カラスやきつねの衣装も楽しい。羊飼い少年をたべるオオカミは2ページの見開き。


うえきばちです

2023年10月08日 | 絵本(日本)

    うえきばちです/川端誠/BL出版/2007年

 

 うえきばちに植えたのは つかまえた まさか まさかの のっぺらぼう。

 のっぺらぼうに まいにち 水をやっていたら

 ”め”がでました

 ”は”がでました

 ”はな”が咲きました

 へんなセミが ”みみーっ”となきました

 のっぺらぼうでなくなった のっぺらぼうは ”どーっだ”と うえきばちを ぬけだしました。

 ”あしからず”といって どこかへ いってしまいました

 しかたがないので また のっぺらぼうを うえると 「め」がでました

 
 のっぺらぼうなので はじめは なにも ありません それがどんどん変化していきます。

 ”め”で 目 ”は”で 歯 ”はな”で 鼻 ”みみーっ”で 耳

 オチの ”め”は?

 

 構図もシンプルで、インパクト十分。読み聞かせで、子どもが喜ぶというのに納得でした。


なまけものくんの おうち

2023年10月07日 | 紙芝居

   なまけものくんの おうち/脚本・絵ひだのかな代/童心社/2018年(8画面)

 

 "ナマケモノ"といいますが、とっても合理的なくらし?。

 一本の木で寝て、おなかがすいたら くびをうしろにまわして 葉っぱを一枚、ムシャ ムシャ ムシャ。

 雨がふったら木の葉っぱが傘替わり。

 ウンチは、一週間にいちど、枝からおりて、木の根元へ。ウンチがすむと、ゆっくりゆっくり 木を登り、いつもの 枝にもどると 「おやすみなさい」です。

 

 知らないことだらけのナマケモノの生態。一日に食べる葉っぱは数枚というので、一日に20時間も眠るというのにも納得でした。ナマケモノのが住んでいるのはセクロビアという木で、葉は強い毒素をもつが、ナマケモノのはこの毒を解毒できるため、他の動物と競合せずにこの木にすんでいるといいます。


あくたれラルフの ハッピーハロウィン

2023年10月06日 | 絵本(外国)

   あくたれラルフの ハッピーハロウィン/ジャック・ガントス・作 ニコール・ルーベル・絵 こみやゆう・訳/出版ワークス/2023年

 

 あくたれラルフは、セイラのねこ。

 シリーズになっていますが、この絵本では、「あくたれ」というより「いたずら」すき。

 ハローウインの日、セイラは魔女の衣装を工夫し、ラルフは 鏡に前で、こわい顔の練習中。お化け屋敷へでかける途中、ラルフは、まずはセイラを脅かし、お化け屋敷では、ミイラやフランケンシュタイン、ドラキュラ、かぼちゃおばけ、ひかるがいこつと対面。

 楽しいのは、こどもが大喜びしそうな仕掛けです。ページに折込(ページの40%ほど)があり、その折込をあけると、いたずらの様子がでてくるところ。例えば、ラルフがセイラの手をつかまえて、走り出すと手が抜けます。またミイラがむかえるところで、折込のページをひらくと、ミイラの包帯がバラバラになっています。

 「きゅうけつきママのレシピ」の本があったり、「マザーグースのはか」、「アイダおばさんのけっこんしき」の写真が貼ってあるなど、画面に描かれた小物を見つけ出す楽しみもあります。


キーウの月

2023年10月05日 | 創作(外国)

   キーウの月/ジャンニ・ロダーリ・作 ベアトリーチェ・アルマーニャ・絵 内田洋子・訳/講談社/2022年

 
 題名からウクライナの方がかかれたものと思ったら、ウクライナ救援のためにイタリアのジャンニ・ロダーリが1960年に書いた詩を絵本化したもの。
 出版による利益はすべてウクライナのために寄付するのが、翻訳出版の条件で、「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付されるといいます。
 
 「わたしは いつもわたしです!」「空を旅しながら みんなに光をとどけます。わたしの光はパスポートなしで旅をします」。
 
 月の光は、国や人種をとわず、いつでもどこでも一緒。でも照らす光景はちがいます。宇宙から見れば小さい小さい地球で、国境がどうのこうの、民族がどうだこうだと争う人間の愚かさを諭してもいるよう。
 
 戦火のウクライナのこどもたちに 思いをはせながら・・・。
 
 みじかい詩に、茶色が基調の素朴なあたたみのある絵です。

川にささげられた賢者・・モロッコ

2023年10月04日 | 昔話(アフリカ)

     大人と子どものための世界のむかし話16/アラブのむかし話/池田修・康君子・編訳/偕成社/1991年初版

 

 あるとき、天使と人間の中間のすがたをしているジンという魔人が、ウンム・アッラビーウ川のながれをせき止め、川の水を、アトラス山脈のいちばんたかいところにある洞穴の中にとじこめ、入り口を巨大な岩でふさいでしまいました。このため雨がほとんどふらないこの地域の人たちはたいへんこまりました。

 この都の王さまは、たいそう魔法にくわしく、なぜこのようなことになったか、すぐに見抜きました。王さまは、ジンが水をせきとめるために水源においた巨大な岩を見つけ、魔法をやぶるための呪文をとなえましたが、うまくいきませんでした。王さまは、とじこめられている水をながす方法が見つかるまでは、山からけっしてはなれないと、アッラーにちかいをたてました。

 洞窟の前で、眠っている王さまの前に、長い白髪の老人のすがたをしたジンがあらわれ、四十人の学者を川にささげてくれるなら、川の水をかえすといいます。王さまは、いったんは、とほうもない要求だとことわりますが、要求にしたがうほか解決できないと思い、都中の学者を集めて、いのちをなげだしてくれるよういいました。

 少し時間をおいてやってきた書物から知識を得ている学者は、天才的な芸術家がふさわしいといいます。王さまは、国中の詩人や音楽家四十一人を集め、川の水を取り戻すために犠牲になってくれるようたずねます。画家は「妻が病気」、詩人は「長詩を未完成のまま死ぬわけにいかない」、歌い手は「父が老いて、わたしが世話をしなければなりません」、作家は「兄が病気で、わたしの手助けが必要」、星占い師は「まだこどもがちいさい」と断りました。そのときひとりの賢者が、「おそらく、ジンは、わたしひとりだけのいのちで満足すると思われます。うまくすれば、わたしがジンの魔術をやぶり、川の水をながすことができるかもしれません。」と、もうしでます。

 賢者が、大きな荷物をかついで山へのぼっていくと、のこされた四十人の芸術家たちは、賢者ひとりに犠牲をおしつけたことをひどく後悔し、賢者のあとをおっていきました。

 一同が、川の水をながしてくださいといのると、その瞬間水がながれだします。なぜ、どのような呪文でジンの魔術をやぶったのは、いまもってだれにもわかっていません。

 こうして、この地をうるおすために、たったひとりでジンと対決した賢者のをのぞいて、この都には、ひとりの詩人も音楽家もいなくなったという。そしていまでも、農民たちが川の水を使うためには、毎年四十人の犠牲者が必要なのです。

 

 ふるくから、農作物にかかせない水を確保するため、さまざまな苦労がありました。


おやじのおしえ・・東京

2023年10月03日 | 昔話(関東)

        東京のむかし話/東京むかし話の会編/日本標準/1970年

 

 裸一貫で大店をきづいただんなさんでしたが、それでもじっとしなくて、お客の応対や、庭掃除、ふきそうじにくるくるとよくはたらいていた。

 ところが、だんなさんのむすこときたら、地面にはいつくばるようのはたらくおやじをみて、「金をもって死ねるわけではなかろうに。ああしてまで金をためたいもんかねえ。あーいやだ、いやだ。この世に生きるのはたった一度っきり。のんびり金を使ってあそんでくらすのがいちばん・・」と、帳場から大番頭の目をかすめては、金を持ち出し、あそんでくらしておりました。

 ある日、ふところ手をしたむすこが、酒のにおいをしてかえってきたのをみただんなが、血相を変えてむすこにつめより、庭の真ん中にどんっとむすこをつきたおすと、松の木にのぼるように 怒鳴ります。むすこはおやじの剣幕におされて、しぶしぶ松の木にとりつくと、のぼりはじめました。「もっとのぼれ・・。もっとじゃ。」「へいへい。」

 まわりには番頭たちが口をあけみあげています。「こりゃーいいながめだわい」「こりゃ-。のぼれーっ」「へいへい」。「こんどは、そのえだにぶらさがれ・・っ」

 「いいか、よっくきけ。まず、小指をはなせ。「へいへい。」「つぎは、薬指をはなせ。」「へいへい。ちょっとあぶないな。」「こんどは、中指をはなせーっ。」「へーっ。おっとあぶない。」「こんどは、人差し指をはなしてみろ。」

 人差し指をはなしたら、おちてしまうと悲鳴をあげるむすこに、だんさんはいいます。

 「せがれや、その指のかたちをよっくおぼえておけ。それはなんのかたちじゃな」「お、お金ですよ・・っ」「わかったな。人差し指と親指で、まるくつくったもの。そいつをはなすと、おちてしまう。金は大事に使え。どんなことがあっても、はなすじゃないぞ。」

 番頭や手代は、いっせいにかんしんしていいました。「なーるほど、さすが、おやじのおしえ」

 

 あまり見られない昔話です。芥川龍之介に「仙人」という短編があります。仙人になりたいという男が、20年ただ働きをしたら、仙人になる術をおしえるといわれ、期限がくると、松の木にのぼります。木へのぼると、右手、左手を離すようにいわれ、そのとおりにすると、宙にうき、高い雲のなかへのぼっていってしまいます。昔話では、天からむかえがくる話もありますが、「おやじのおしえ」のほうがリアルでしょうか。


まどのそとの そのまたむこう

2023年10月02日 | 絵本(外国)

   まどのそとの そのまたむこう/モーリス・センダック作絵・ わき あきこ・訳/福音館書店/1983年

 

 パパは海へ、ママは おにわのあずまや(そこでなにをしているのでしょう?)、アイダは 赤ちゃんの 子守。

 アイダが あかちゃんをみないで、ホルンをふいていると、ゴブリンたちがやってきて、氷の人形をかわりにおいて、あかちゃんを かかえて でていきました。

 気がついたアイダは、「ゴブリンたちが ぬすんだんだわ! およめさんにしようと おもっているのね!」と、ママのきいろいレインコートに くるまり、ホルンを ポケットに つっこみ、まどのそとの そのまたむこうへ でていったのです。うしろむきになって!

 パパの声で、アイダはぐるりとまわり、結婚式の 真っ只中へ。ホルンで、みえなくなったゴブリン。たまごのからにすっぽりおさまり、ふんふんうたったり てをたたいていたのは あかちゃん。アイダのいもうとに ちがいありませんでした。・・・。

 

 あかちゃんの誘拐がテーマで、コブリンの正体が不明と、どこか怖さが漂います。あかちゃんがいなくなってもママの存在感はまったくありません。あかちゃんを家につれかえると、パパの手紙が届いていますが、アイダは、あかちゃんだけでなくママもケアする存在。

 絵はち密で写実的。黄色いレインコート、ホルンには 深い意味がかくされているのでしょうが よくわかりません。アイダがあかちゃんをつれかえる野原の小屋には、ピアノを弾く人の姿がみえます。

 

 センダックが幼児期に受けた「リンドバーグ赤ちゃん誘拐事件」(1932年3月1日)が背景にあるといいます。