どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おだんごころころ・・紙芝居

2020年10月31日 | 紙芝居(昔話)

      おだんごころころ/作・坪田譲二 画・二俣英五郎/童心社/2000年

 

 おひがんだんごが、ころころころぶ紙芝居です。

 転ぶ先は お地蔵様の穴(穴にいらっしゃるお地蔵様!)。

 おじいさんは、おだんごを半分にして、土のつかないのを地蔵様へ。

 お地蔵様の肩にのり、頭をつかまえていると鬼がやってきます。

 紙芝居では、ごちそうのほか、お金や宝物をおいて鬼がにげ出します。

 楽しいのは、おじいさんがお金や宝物をもっていく前に「鬼がおこらないか?」と、お地蔵様にたずねる場面。

 お地蔵さまは「なあに おれが よいと いうのだから しんぱいいらないよ」といいます。

 となりのおじいさんは、たからものを ひろう かわりに やっと、自分の命をひろって かえってきます。

 この紙芝居は、春のお彼岸のお団子がでてきますから、春先向きでしょうか。

 おばあさんのでむかえはありませんが、杖をついてしょんぼり帰るおじいさんが、自業自得とはいえ、ちょっとかわいそうでした。


かすみの どんぐり

2020年10月31日 | 絵本(日本)

       かすみの どんぐり/征矢清・文/まるやま/あやこ・絵/福音館書店/2015年

 

 かすみちゃんの家に、山のおじさんが大きなリュックサックをせおって訪ねてきました。

 かすみちゃんは、恥ずかりやで、かくれんぼの 鬼のように、両手で顔を隠し、背中をまるめて、小さく小さくなって「いないの、かすみは いないの」と、小さい声でいいました。

 「いないなあ、かすみちゃんは ここにはいないなあ」と、おじさんは いいながら リュックサックを、ひろげはじめました。

 おかあさん、おとうさん、あかちゃんへのおみやげがどんどんでてきます。

 かすみちゃんは、「みたいな、みたいな、なんだかみたいな」とおもいながらも、顔から手を離しません。けれどもあかちゃんへのおみやげのところで、とうとう がまんできなくなって 指を広げて、おじさんのほうを みました。

 「さあて、おみやげは、これでしっかり おわりだな」と、おじさんが言ったので、かすみちゃんは「ずるい、ずるい、ずるい」と、泣きそうになって、大きな声で いいました。

 でも、おじさんは ちゃーんと かすみちゃんの おみやげも 持ってきていたのです。

 おばあちゃんが、どんぐり七つを、小さな赤い袋にいれてくれていたのです。どんぐりには、みんな目と口がかいてありました。

 かすみが、どんぐりといっしぃに 歌いだすと、赤ちゃんが こんこん ここーんと 小さな太鼓を 鳴らしました。

 山のおじさんは、一晩泊まると、「かすみちゃん、どんぐりをつれて やまへ おいで」というと、どすん どしんと かえっていきました。

 

 かすみちゃんが おじさんとあうのは、はじめてだったのでしょうか?人見知りで恥ずかりやな感じが伝わってきます。

 おじさんがお土産に持ってきたのは、リンゴやキノコなど秋の味覚。

 どんぐりが、「いたい いたい やまねずみが かじる きねずみが かじる きのうも いたい あしたも いたい あたまを かじられ いたい いたい いたい」と 歌う場面には、秋がいっぱい。どんぐりの表情もほのぼのしています。


おまつりをたのしんだ おつきさま

2020年10月30日 | 絵本(昔話・外国)

      おまつりをたのしんだ おつきさま/マシュー・ゴラブ・文 レオビヒルド・マルティネス・絵 さくまゆみこ・訳/のら書店/2019年

 

 むかしむかし、おひさまとおつきさまが別々の空にいて、自分の役目に満足していました。

 ところが、お月さまの耳に、星たちのおしゃべりが、きこえてきました。

 「ああ、おひさまの そらに ひっこししたいな。だって、たのしい あそびも、おまつりも、みんな おひさまのもとでしか みられないんだもの」

 これはたいへん。星たちがいなくなったら、おつきさまは 一人ぼっちになってしまいます。

 こまったおつきさまが、ひるまの 世界をのぞいてみようと思いましたが、おつきさまは、夜がおわると 眠くなり、おひさまの世界を みることが できないのでした。

 ところが ある日、おつきさまは にぎやかな音で 目を覚ましました。目をこすってみると お祭りで みんながうたった、踊ったり にぎやかなパレードを楽しんでいました。

 でも、夜になると みんな眠って ひっそりしてしています。

 うらやましくなったおつきさまは、「夜にもお祭りを すれば いいんだわ」と、おもいつきました。

 それから、村を守る番人や、みんなと相談してお祭りをすることになりました。

 明かりや、食べ物、かざりも かざり みんで、飲んだり、歌ったり、食べたり、踊ったり。

 パーテイは いつまでも」いつまでも続き、おひさまが、明るくかがやいても、人々は、家に戻って 眠ることしか、できませんでした。

 夜のお祭りのせいで、畑を耕し、種をまいたり、作物を植えたりする人が いなくなりました。みんなは、ちゃんと暮らしていけるでしょうか?

 後悔した おつきさまは、夜の空に とどまることにしました。でも、楽しかった、お祭りのことが忘れられず、おつきさまは いまでも ときどき、ちょっとはめを はずすのです。

 

 メキシコのオアハカ地方に つたわるお月さまのお話。オアハカ州には、17の民族が8つの地域にすんでいて、死者の日、ラディッシュの夜、ゲラゲッツァ祭など、さまざまなお祭りが伝わっているといいます。

 お祭りや儀式をとりまとめるパドリーノ、パペルピカドというカラフルな薄紙を切ってつくるかざり、モーレや、タマーレスや食べ物もでてきて、地方の暮らしぶりもうかがえます。
 独特の色調の絵も、これまで見たことのないものです。お月さま、人魚の髪を結ぶリボンは赤、白、緑と、メキシコ国旗の色です。


イードのおくりもの

2020年10月29日 | 絵本(昔話・外国)

       イードのおくりもの/ファウズィラ・ギラニ・ウイリアムズ・文 プロイティ・ロイ・絵 前田君江・訳/光村教育図書/2017年

 

 明日はイード、ラマダンの終わりを祝うお祭りです。
 くつやさんのイスマトのところには、お客さんが次々とやってきて新しい靴を買っていきました。

 靴が売り切れると、イスマトさんも、おかみさん、おかあさん、娘のイードの贈り物を買いに行きました。

 つぎはぎだらけのズボンをみたハムザからいわれ、自分にも売れ残ったズボンを買ったのですが、ちょっと長すぎました。

 ズボンを指4本分短くしてもらおうと、おかみさん、おかあさん、娘にお願いしますが、イードの料理作りに忙しいからと、三人に断られてしまい、自分で指4本分短く直しました。

 ところがイスマトがでかけると、おかみさんは料理の途中で、「イスマムは、ほんとうにやさしい ひとだわ」と、ズボンのすそを指4本分切り落とし、はしを縫い付けてまた料理へ。そうとはしらないおかあさんも、「イスマムは、ほんとうに 親孝行だよ」と、さらに娘も「とううさんは、いつも ほんとうによくしてくれるわ」と、指4本分短く縫い付けます。

 さて、イードの朝、イスマムがズボンをはいてみると、つんつるてんになってました。

 「そうだわ! また つなぎあわせれば いいのよ」と、三人できりおとしたズボンのすそを あっというまに つなぎあわせると、ズボンは、ぴったりの長さ。

 イードの 贈り物を みにつけた みんなは そろって モスクへ でかけていきました。

 

 イスマトは、みんなへの贈り物を準備し、おかみさん、おかあさん、娘もお父さんへの感謝を忘れずにいる素敵な家族です。

 

 トルコの民話をもとに、インドで出版された絵本。ビリヤニ、シール・コルマ、サモサなどの料理がでてきます。

 ラマダンも少し説明が必要でしょうか。インドの人口を考えるとイスラム教徒が1億8000万と聞いても驚きません。


こっちん とてん

2020年10月28日 | 絵本(日本)

      こっちん とてん/かたやまけん・さく/福音館書店/2016年初出2019年

 

「こっ こっ こっ・・・」とスプーンが やってきて「こっちん」

「とん とん とん」と金づちが やってきて「こっちん」

「ちっく ちっく ちっく・・・」と時計が やってきて「じゃららら・・」

「つん つん つん・・・」と傘がやってきて「ばん」と、ひらき

「よよよ・・・」と、バケツがやってきて、ばっちゃーん

 

リズムを楽しむ絵本。「0.1.2.えほん」とありました。

ページは、いつもの二倍の厚さ。ちょっとめくりにくいのが 難点。昔の子どもには なに?となりますが、子どもはハマるといいます。


もじもじ こぶくん

2020年10月27日 | 絵本(日本)

   もじもじ こぶくん/小野寺悦子・文 きくちちき・絵/福音館書店/2016年初出2019年

 

 ミルク、チョコ、イチゴ、バナナ・・と、いろんな味のあるアイスクリーム屋さんの前で、子豚のこぶくんが、なにかもじもじしています。

 とっても はずがしやりやの こぶくんは、なんだか恥ずかしくって声が出ません。お店の人がやさしく声をかけてくれても、したをむいてもじもじ。

 すると あとからやってきた サイおくさんが「あら、おさきしていいかしら」といって、さっさと ミルク味を ふたつ買っていきました。

 「おう、かわないんなら どいた どいた」こんどは ワニにいさんが なかまのぶんまで 注文しました。

 そのあとも、ライオンさん、キリンさん、ゾウさんなど次から次へと アイスクリームを 買っていきます。

 すると、そのとき こぶくんの耳に「いちごあじの くださーい」と 小さな声が聞こえました。

 だれ? どこに いるの?

 こぶくんは やっと みつけました。アリのありいちゃん です。

 あいりちゃんは 小石の上で 背伸びして 声をはりあげていたのです。

いちごあじの くださーい。いちごあじの アイスクリーム、ひとつ くださーい

 声が小さすぎて、アイスクリームをかえないでいたあいりちゃんの目から がまんしていた なみだが ひとつぶ ぽろんと こぼれおちました。

 「よし」 こぶくんは もう もじもじしていませんでした。「ちょうど ぼくもね、アイスクリーム かいにきたとこなの。いっしょに どお?」

 すると、こぶくんは 自分で びっくりするくらい 大きな声が出ました。

 「いちごあじの ひとつ くださーい! それと チョコあじも ひとつくださーい!」

 アイスクリームはちょうど ひとつずつ のこっていました。

 こぶくんの チョコあじ あいりちゃんの イチゴあじ どっちもおいしそう。

 

 ひとりでお買い物するのは、はじめどきどき。なかなか声が出ないこぶくんの気持ちがよくわかります。アリさんの涙を見て、勇気を出して声をだした子豚くんですが、こうした体験が成長を後押し してくれると思いました。


おちゃのじかんに きた とら

2020年10月26日 | 絵本(外国)

   おちゃのじかんにきたとら/作・ジュディス・カー 訳・晴海耕平/童話館出版/1994年

 

 絵本の入り口はまずは表紙の絵とタイトル。

 「おちゃのじかんにきたとら」と、何かがおこる予感。

 ソフィーとお母さんが台所でお茶の時間にしようとしていると、玄関のベルが鳴り、ドアを開けてみると、そこにはオレンジ色と黒の縞模様の大きなとら。

 「ごめんください。ぼく、とてもおなかがすいているんです。お茶の時間にご一緒させていただけませんか?」と、とらが丁寧にお願いすると、お母さんはすこしも騒がず「もちろんいいですよ」と、とらを招き入れます。

 とらはテーブルにつくと、よっぽどおなかをすかせていたのでしょう、テーブルの上のサンドイッチやパン、ビスケット、ケーキだけでなく、作りかけの夕ご飯、冷蔵庫の食料、戸棚のなかのつつみや缶詰、牛乳、オレンジジュース、ビール、水道の水と家じゅうのものを全部たいらげると「すてきな お茶の時間をありがとう。ぼくはそろそろ おいとまします」といって、かえっていきました。

 とらをまねきいれるお母さんだけではなく、帰ってきたお父さんも、レストランにいこうと平気です。そのうえ、ソフィーとお母さんは、とらがまた お茶の時間にきてもいようにたっぷりと食料を買い込みます。

 ありえないシチュエーションと思うのは大人だけ。子どもはファンタジーの世界を楽しめるかも。

 ソフィーも、こんな両親のもとでのびのび育っているようです。

 原著は1968年出版。牛乳屋さんや雑貨屋さんが配達にくるというのも見られなくなりました。


オオカミくんのホットケーキ

2020年10月25日 | 絵本(外国)

       オオカミくんのホットケーキ/ジャン・フィアンリー・作 まつかわまゆみ・訳/評論社/2002年初版

 

 表紙にはたっぷりのホットケーキ。オオカミも優しそうな顔。

 オオカミくんがホットケーキを作るまではいろいろありました。

 料理本が読めなくて、ご近所さんに頼みますが断られ、買い物リストをご近所さんに頼み、これもことわられ、お金を数えるのも、買い物かごも貸してもらえず、やっとホットケーキをやくばかり。

 ホットケーキを焼くのもご近所さんは手伝ってくれません。

 オオカミくんが苦心の末ホットケーキをつくると、おいしそうなにおいが、ご近所中に ただよっていきました。

 ご近所のみんなは食べたくて食べたくて、「食べるの、てつだってやらあ。ホットケーキをよこさないなら ここをうごかないからな!」とごり押し。

 オオカミくんが、ためいきをついて、「どうぞ、お入りなさい」というと、ご近所さんは家のなかに駆け込みます。

 ご近所さんは「ブレーメンの音楽隊を引退したオンドリさん」、「ねむりこぞう」「ショウガパンマン」「赤ずきんちゃん」「三びきのコブタ」と、絵本や昔話に親しんでいる子どもにはお馴染みのメンバー。ところが、この面々ドアをピシャリと閉め、「だれが、てつだってやるもんか! とっとと、うせろ!」「むこうにいきな!!」と、オオカミを相手にしません。

 オオカミくんは、かなしくなって、ちょっぴりなきました。

 いつも悪者のオオカミの復権とおもいきや、やっぱりおかみはオオカミは、オオカミというどんでんがえしの結末がまっています。オオカミがやさしそうで気弱に描かれているので、このギャップの大きさにびっくりです。

 賛否両論がある絵本ですが、これこそ作者のねらいだったのでしょう。

 「赤ずきん」などのイメージが損なわれるという意見もありますが、読む対象を考慮するということでしょう。どちらにせよ、ご近所さんが、どんな物語の登場人物なのかわかっていないと、この絵本が生きてきません。


いじわるブッチー

2020年10月24日 | 絵本(外国)

      いじわるブッチー/バーバラ・ボットナー・文/ペギー・ラスマン・絵/ひがしはるみ・訳/徳間書店/1994年

 

 あたしのママはブッチーのママと、とってもなかよし。

 ブッチーのママはしょっちゅう うちにあそびにくる。おみやげにもってくるのはチョコレート・ドーナツに いちご、それもブッチーをつれて。

 部屋でカメの本を読もうとすると、ブッチーはいじわるな 声で「あんたが カメだよ! そして あたしは きょうりゅう ブッチーザウルスだあ! カメなんか たべちゃうぞ!」

 ペットのトカゲのシャリーンをみせると、ブッチーは「あんたが トカゲだよ! そして あたしは きょうりゅう ブッチーザウルスだあー トカゲなんか たべちゃうぞ!」「あしたはねえ、あんたは ミミズ二なるんだよ」

 ブッチーはすぐにかんしゃくを爆発させ、髪をひっぱたり。

 でも、ママたちはきがつかない。おまけに「いろんなひとと おともだちに ならなきゃだめよ」っていう。

 おまけに ブッチーのママとパパが シカゴにいくあいだ ブッチーが うちに とまることに。

 「ママ、ブッチーは きょうりゅう ブッチーザウルスなの! あたしを いきたまま たべようと しているのよ!」と、ママに相談すると、ママは「その あそびは やめてくれないっかて いってみたら」と、驚いた顔。

 あたしは じっと あそびの さくせんを たてて・・・。

 

 親同士がうまくいっていても、子どもは別。いじわるなブッチーといじめられるわたし。

 なぜいじわる?。さすがに髪の毛をひっぱたりするのはやりすぎ。人形たちも目隠ししています。

 爬虫類がすきという”わたし”とあう子は?

 いじわるな表情のブッチーですが、こんな遊び方しかできないブッチーの方がかわいそうになりました。ふたりのなかは修復できなかったのでしょうか。


おんどりあるくよ

2020年10月23日 | 絵本(外国)

       おんどりあるくよ/リチャード・スキャリー・作/木坂涼・訳/好学社/2020年

 

小型で縦型の絵本。

おんどりがどうどうと ひよこも あるくよ まねをして。

かもは よちよち がちょうは ふりふり。

キリンは はあやいよ はしると はやい!。

ぞうは ゆったり どっしり あるいて みみずは くね くね くねって すすむ。

動物だけではなく 魚も 鳥も あるいたり とんだり

ページいっぱい 縦型のサイズがうまくいかされ、躍動感もあります。


サキ短編集より

2020年10月22日 | 創作(外国)

          サキ短編集/中村能三・訳/新潮文庫/1960年

 

 あるおはなし会で、O・ヘンリーに劣らぬほどの短編の名手というサキというイギリスの作家をはじめて知りました。サキは本名ヘクタア・ヒュウ・マンロウ(1870~1916)、ミャンマーのマキヤブで生まれています。

 第一次世界大戦がはじまると将校にという勧めをことわり、一兵卒として志願し、1916年フランス戦線で戦死を遂げたといいます。

 この短編集には20篇が収録されています。そのなかから三つほどあげてみました。

 

話上手

 二人の女の子と一人の男の子が、付き添いの伯母と車室の一隅の座席を占め、その座席には、もう一人の独身男。

 伯母も子どもたちも、あくことを知らぬおしゃべりで、追えども去らぬ蠅のうるささ。

 男の子は、伯母の言うことに「なぜ」を連発し、小さい女の子は、歌の冒頭の一句を繰り返し繰り返し歌っていました。伯母がお話をしてあげても、子どもたちは大きな声で意地悪な質問をあびせ、あげくに「こんな面白くないお話って、聞いたことがない」「はじめのほうだけで、あとは聞いてやしなかった」という始末。

 「お話はあまりうまくいかなったようですな」と、独身男から声をかけられ、伯母は「じゃあなた、この子たちにお話をしてみてくださいよ」といわれた独身男。

 子どもたちの質問にもたくみにこたえた独身男の話は歓迎されますが、伯母は「小さな子に話してきかせるのに、こんな不適当な話ってありませんよ。あなたのおかげで、何年もの注意深い教育の力がめちゃくちゃになりましたわ」と不同意をとなえます。

 独身男は、荷物をかきあつめて、降りる支度をしながらいいます。

 「ぼくはこのこどもたちを、十分間だけおとなしくしておきましたからね。こいつはあなたより、ぼくの方が上手でしたよ」

 伯母が不同意といったお話ですが、子どもを満足させるためには十分でした。

 独身男に、子どもから四の五の言わさぬ質問がなげかけられますが、あざやかに切り返す話の巧みさが秀逸です。

 

開いた窓

 人間らしい話し相手をもとめて、伯母を訪ねたフラムトンの前には、十五歳の姪。

 じつは伯母のことはよく知らないフラムトンと少女の間には、伯母が現れるまで、しばしの沈黙。

 やがて少女は沈黙をやぶるように、開け放した窓を指差し、伯母は三年前に、大きな不幸に見舞われ伯父と伯母の二人の弟が猟に出てそのまま帰ってこなかったと言い出します。気にいりのシギ猟場への途中、荒れ地をとおっているとき、まちがって沼地に、三人とも呑み込まれてしまったというのです。それ以来ずっと伯母はいつかはあの人たちが、一緒に呑み込まれた茶色のスパニエル種の犬とがかえってきて、いつものとおり、あの窓から入ってくると、思い続けているというのです。

 やがて部屋に入ってきた伯母は、遅くなった申訳をしながら、フラムトンと話しはじめます。ところが伯母は、フラムトンの話には注意を払わず、眼は絶えず開いた窓から其の先の芝生に移しています。

 「ああ、やっと帰ってきましたよ」叔母が突然叫びます。少女も目に放心したような恐怖を浮かべ、開いた窓から外を眺めていました。

 濃くなりまさる宵闇の中に、三人の人影が芝生を横切って、窓の方へ歩いてきました。

 フラムトンは、猟銃をかかえた三人を見ると夢中でステッキと帽子をつかみ、逃げ出しました。少女の話を聞いていたフラムトンは、幽霊が現れたと思い、逃げ出したのです。

 ミステリー風の展開で、幽霊があらわれたと思わせておいて、三人が亡くなったのは、じつは少女が即座につくった話だったというオチ。

 フラムトンは神経衰弱(もっとも、いまでは神経衰弱というのはつかわれていないという)だったという前段が、オチにつながっています。

 

宵闇

 宵闇の公園のベンチに座る男。男のそばには一人の年配の紳士。笛吹けども人踊らざる見棄てられたオーケストラの一員風で、毎週の部屋代を払えるかどうか、

 紳士が去った後には、一人の青年が。ホテルに泊まろうときてみたら、ホテルは取り壊され、その跡には映画館が建っていたという。タクシーの運転者に教えられたホテルに泊まり、家族のものに手紙で住所をしらせておいてから、石鹸を買いにでかけ、酒場で飲んだり、店をひやかしたりしているうちにホテルの名前も、なんという町だったかも覚えていないことに気がついたという。

 そして、僕の話を鵜呑みにして金をいくらかでも貸してくれる、太っ腹な人間を見つけ出さない限り、今夜は野宿することになるという。

 早い話、金を貸してくれともちかけた青年に、男が買った石鹸を見せてくれるように言うと、青年はポケットを急いで探しますが石鹸は見つかりません。

 青年は,くたびれの見える気どったようすで、そそくさと小路を立ち去っていきました。

 石鹸が見つからなかったことから青年の話は信用できないと考えた男でしたが、ベンチを立ち上がりかけたとき、小さな楕円形の包みを見つけます。それは石鹸で、青年の外套のポケットから落ちたものであることは明らかでした。

 男はすぐに青年をおいかけ、疑ったことを詫び、20シリングの援助を申し出ます。青年は住所のある名刺を差し出し、妙にせき込みながら、急いで立ち去っていきます。

 男が「あんな羽目に追い込まれていたのに助かったんだから、ずいぶん嬉しかったろう。おれも、あまり利口ぶって、状況でものを判断するものじゃないという教訓をえたわけだ」と今きた道を引き返すと、ベンチには、先ほどの年配の紳士が。 

 紳士はベンチの下やまわりから、頭を突っ込んだり、のぞき込んだりしています。男が「なにか おなくしになったんですか」と声をかけると、帰ってきたのは「ええ、石鹸をね」


かげひかり

2020年10月21日 | 絵本(日本)

      かげひかり/元永定正:作・絵 中辻悦子・構成/福音館書店/2004年初出2010年

 


 同じ形が続きます。黒とみえるのは影。ページをめくると鮮やかな色。

 「まるかげ けけけ」は、「まるぴかり」と鮮やかな丸い赤。七夕のような飾りは「ぴか ぱ ぱ ぱ」

 シンプルな構成ですが、どんな色かでてくるか想像しながらページをめくっていけそうです。

 「ひかりがあるから なんでもみえる」「ひかりがあるから かげができる」と、光と影は表裏一体です。

 「このかげなになに なんだだだ」
 「ぴかりひかりで いろ ろろろーん」
 「いろ ぱっぱ」
 「かげ かげ げげげ」と不思議なリズムもあります。


七年目のランドセル

2020年10月21日 | 絵本(日本)

       七年目のランドセル/内堀タケシ:写真・文/国土社/2020年

 

日本から届いたランドセルを、笑いながら受け取るアフガニスタンの子ども。

少し剥げたところもあるランドセル。ノート、消しゴム、文房具も入っています。

絶え間ない戦闘で空にはヘリコプター、道路には戦車。

子どもの学ぶ環境も整備されていない国々。アフガニスタンだけでなく難民キャンプの子どもたちにも、思いを巡らせました。

写真絵本ですが、子どもはどこの国も同じ。笑顔を見ると希望の持てる日が一日も早いことを祈らずにはいられません。

日本の子どもの名前が読み取れるランドセルの持ち主と、現地の子が合うことができないか考えました。


かしこい美少年・・ギリシャ

2020年10月20日 | 昔話(ヨーロッパ)

       ギリシャの昔ばなし/半分人間/おざわとしお・編訳/小峰書店/1983年初版

 

 森の奥深く仕事に出かけた兄弟。兄は弟を木にしばりつけて、すたすた家に帰ってしまいました。兄は弟がやつれはてて死んでしまうのをのぞんでいたのです。

 ところが、弟は背中のまがった羊飼いが羊をつれてとおりかかり「いったいどうしてそんなところにしばりつけられているんだい?」と聞かると「まがっていた背中をなおすため木にしばりつけられていたら背中がまっすぐになった」と答えました。羊飼いも自分のまがった背中をまっすぐにするため、木にしばりつけてくれないかというと、弟は縄をほどいてもらうと羊飼いを木にしっかりしばりつけ、羊の群れをつれてたちさりました。

 少年がしばらくいくとばくろうにであい、ばくろうをだまして馬の群れをうばい、さらに牛飼いにあうと、牛飼いもだまして牛のむれもうばいとってしまいました。

 人をだます名人になった少年のうわさが王さまの耳にまでとどきました。

 王さまは少年をよびだし「ドラコス(ギリシャのむかしばなしに独特の巨人)のつばさのある馬をとってこないと、命はない」といいます。

 少年がつばさのある馬をつれてくると、王さまは次に、鈴のついたドラコスの布団、三度目には、ドラコス自身をつれてくるように命令します。

 三度目にドラスコのところにでかけるときは、二年間の猶予をもらい、髭を伸びほうだいにしてドラスコにばれないようにしてでかけます。

 途中、自分の着物と乞食の着物を交換し、ドラコスのところにでかけると、パンをひときれめぐんでくれるよう頼みます。このときドラコスは箱をつくっているところでした。

 ドラコスは、「ひどい目にあわされた少年を、この箱にぶち込むために作ってんのさ」といいました。

 これを聞くと乞食姿の少年も「あのやろうは、まったくひでえ悪人ですよ。わたしがこんなみじめな姿になったのも、みんなあいつのしわざなんです。あいつの手にかかって、こんなひどい人生におとされてんですよ。けどだんな、その箱はあいつには小さすぎませんか。あいつは大男ですよ」

 「なんだと、この箱は、おれにだってじゅうぶんなくらい大きいぞ」

 「ちょっくらためしてみませんか。もしあんたがはいれれば、あいつもはいれるってわけですよ」

 ドラコスが箱に中に入って横になると、少年はすかさずふたをして、釘でふたをがっちり打ちつけてしまいます。

 王さまはどんなドラコスが入っているか見たくてたまらず、箱に穴をあけて覗いてみました。ところが穴をあけたところがドラスコの口のところだったので、王さまはドラスコに、ひとのみにのみこまれてしまいます。

 

 この少年、美少年かどうかは一度もでてきませんが、たしかに賢い。ただこの賢さ、口先三寸で羊や馬、牛をだましとる、いってみれば悪知恵がはたらく少年。ドラスコという巨人からも盗み取る手際の良さがめだっています。主人公以外に同情したくなります。

 この少年、王女と結婚するという最後の一行も余分でしょうか。


ずいずいずっころばし

2020年10月19日 | 絵本(日本)

       ずいずいずっころばし/せがわ やすお/福音館書店/2014年

 

わらべ歌そのまま。

小さいころよく歌っていたような、いなかったような?

歌詞の意味がわからなくても、リズム感があって、歌いながら見ていく感じ。

線がいかされ、彩色も最小限。

かっぱの子と ねずみが コメをたべている場面が楽しい。

歌の由来も諸説あるという。