どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

大きな卵・・ミャンマー

2023年01月18日 | 昔話(東南アジア)

         ビルマのむかしばなし/中村祐子他再話/新読書社/1999年

 

 王さまと大臣たちが、生まれてくる子どもが、男か女かを知らせる合図を待っていると,突然二本の糸が同時にひかれました。「双子だ!」と、そこにいた人々がみな叫びました。

 ところが王妃が産んだのは大きな卵でした。産婆が驚きのあまり糸を二本引いてしまったのです。王さまは恥ずかしさのあまり気が動転して、卵を川に投げ捨て、王妃は庭師の手伝いをするように命じました。

 卵は川下で、老婆に拾い上げられ、老婆が食べようとすると、卵の中からひとりの男の子がでてきました。男の子は、「私は、お前のお母さんだよ」といわれて、いっしょに暮らしました。

 ある日、老婆がジャングルにでかけるとき、見張り塔、地下室、台所にはいかないように言い残しでかけていきました..

 「行くな」といわれると、たいていというか かならずというか、それを無視するのが昔話。少年は、まず見張り塔にはいって、そこに鎖につながれている老人をみつけました。老人は、鬼婆にとらわれていて、もうすぐ食べられること、時期が来れば少年も食べられてしまうことを告げます。地下室で人の骨を見つけ、老人の言うことが本当だったことを知り、台所にあった壺のなかの三つの玉をもって、鬼婆のところから逃げ出しました。

 少年が玉を投げると、おいかけてくる鬼婆のあいだに、深い森、七つの山、火の山があらわれ、鬼婆は火の山で燃えてしまいます。

 少年は、羊かいと賭けをし、米を手にしますが、半分は返して旅を続けました。まもなく「ナットの精」の寺院につくと、少年は米の半分をあげ、「かわいそうなナット、かわいそうなナット」と叫びました。すると「ナットの精」は巡礼の姿で現れました。巡礼は、少年を、父親である王さまのところへつれていき、逆上して川に捨てた王さまの息子であるといいます。巡礼がナットの精だと知った王さまは、自分の後継者であると宣言し、少年の母も、王妃の座にもどしました。

 

 あまりこだわりはないのですが、「ナットの精」が何なのか、気になりました。


ひな鳥とねこ・・ミャンマー

2021年03月25日 | 昔話(東南アジア)

            こども世界の民話(下)/実業之日本社/1995年

 大きな壺に隠れた、おかあさん鳥とひな鳥、それを狙うねことの、緊迫しながらも ユーモアのやりとりが楽しい話。

 隠れていたひな鳥がくしゃみがしたくなって、「おかあさん、くしゃみしたい」といいますが、おかあさんは隠れていることがばれるからと、おこっていいきかせます。

 しばらくたつと、ひな鳥は「一回きりでいいから、くしゃみさせて」といいますが、おかあさんは、「だめよ。 ぜったい、だめ」

 しばらくたつと、またまた、ひな鳥は、おかあさんの耳元でささやきます。「ちいちゃなくしゃみを、一回きりでいいから、させて」といいますが、おかあさんは、「だめよ」

 しばらくたつと、また、ひな鳥は、おかあさんの耳元でささやきました。「ちいちゃなくしゃみを、一回の半分きりでいいから、させて」。

 もう、めんどうくさくなった、おかあさんは、「いいわ。」といってしまいます。

 「ハッハッハックション」

 みつかりそうになったおかあさん鳥とひな鳥の運命は?

 

 ところでなぜ、ねこが やってきたのか?は、前段です。

 ひな鳥が、おかあさんにケーキを食べたいとおねだりすると、おかあさんは、人間が捨てた薪の端っこをひろってくるようにいいます。

 ひな鳥が 薪のはしっこを、二つ三つ見つけてもってかえろうとすると、年老いたねこがひな鳥を見つけ、こっちにやってきました。
 ねこは、ひな鳥をたべようとしますが、ひな鳥が、「あたしを、にがしてちょうだい。そうすれば、ケーキをすこしわけてあげるわ」と頼むと、そのままどこかへいってしまいました。

 おかあさんは、「今すぐ、大きなケーキをやいてあげるからね。そうすれば、お前が食べても、まだ、そのねこにあげるぶんが、のこるでしょ」

 やがて、大きな大きなケーキが焼けました。おかあさん鳥は、ねこにやるぶんを、のこすように、念を押しますが、ケーキがとてもとても、おいしかったので、ひな鳥はみんなたべてしまいました。

 やがて、ねこがやってきて、おかあさん鳥とひな鳥は、大きな壺にかくれ、息をひそめます。

 

 ところで、いまミャンマーは大変な状況。国を守るべき軍隊が民衆を弾圧するとは!

 イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ族に対する虐殺など現象面だけを見ると わからないことばかり。


水牛とべこ・・フィリピン

2021年02月17日 | 昔話(東南アジア)

     フィリピンの民話/山形のおかあさん須藤オリーブ語さんの語り/野村敬子・編 三栗沙緒子・絵/星の環会/1993年

 

 仲良しの水牛とべこ(牛)の話。

 楽しいのは、人間が服を脱いで、お風呂に入るように、水牛とべこも、自分たちの皮を脱いで川に入るということ。

 のんびり川で体を洗っていると、ざわざわ音がして、水牛とべこは、あわてて木の陰に隠していた自分たちの皮をだし着替え?ました。

 家に帰ってみると、水牛は自分の入った皮が、窮屈でたまりません。一方べこの皮は、がぼがぼ。慌てて着替えたので、皮が入れ替わったのでした。

 そのため、べこの首から胸にかけて、びろびろして皮があまってつき、水牛の方は、首から胸のところはぴちぴちに皮が張って、びっしり少しのゆるみもないように皮がはりついてしまったという。

 

 動物昔話もいろいろですが、皮をぬぐというのはなかったはず。


パイナップル・・フィリピン

2021年02月11日 | 昔話(東南アジア)

      フィリピンの民話/山形のおかあさん須藤オリーブ語さんの語り/野村敬子・編 三栗沙緒子・絵/星の環会/1993年

 

 由来話ですがイメージが直結しませんでした。

 

 厳しい継母の手伝いをしていた娘が、いつものようにご飯を炊いて母親をまっていました。炊いたご飯は、母親がいつもヘラでご飯をかきまぜてから食事することができるのでした。田からかえってきた母親が、ご飯をかきまぜようとしましたが、どうしたわけかヘラが見つかりませんでした。

 娘の家は、高床式で、床には風通しの良い隙間がありました。ヘラはその隙間から下にすり抜けて、土の上に落ちてしまったのです。

 母親から叱責されて、娘が真っ黒な床の下を探しますがヘラは見つかりません。

 「ヘラがないことはねえべ。あるべえ。ヘラは大事だから、ちゃあんとさがせ。」と言われて探しても、やっぱり見つかりません。

 「暗くてみえないよお」と、娘が言うと、母親は「そんなに見えないなら、目をいっぱいつけて探してこい。お前は見えないのか」といいます。

 娘は一晩中ヘラを探し続けました。

 次の日、娘の姿はなく、娘のすわっていた地面のあたりに、何か不思議な形をした植物が、芽をだしていました。

 父親も床下をさがして、不思議な芽をした植物を見つけましたが、娘はいませんでした。

 やがて、その植物の芽は、一日一日と大きくなって、目のいっぱいある実がみのりました。それから数日たつとその実は赤く熟し、甘い香りがしました。

 娘は、目をいっぱいつけてヘラを探せと言われているうち、パイナップルになってしまったのでした。

 パイナップルのよく熟れた味は、パイナップルになった娘の、お母さんへの甘えと愛しているという娘の気持ちをあらわし、パイナップルを食べた時、舌に感じるざらざらした痛みは、怒られている娘の、つらい気持ちをあらわしているといいます。


バワン・プティとバワン・メラ

2021年02月04日 | 昔話(東南アジア)

      アジア心の民話⑤/語りおばさんのインドネアシア民話/杉浦邦子:編・語り 本田厚二・絵/星の環会/2001年

 

バワン・プティとバワン・メラは姉妹の名前。

プティは、ままむすめ。

まま娘と実の娘がでてくると、酷使されるのがまま娘の方。

プティが洗濯しているとき、メラの服が流されてしまいます。母親からどんなにしかられるかもしれません。

服がすごい速さで流されていきます。プティが追いかけていくと牛飼いのおじさんに会いました。子どもの服は、向こうに行ってしまったというので、またどんどん追いかけていくと、こんどは馬飼いのおじさんにあいました。

 川下のおばあさんが知っているかもしれないとおいかけていくと、服はおばあさんが拾っていました。おばあさんは服を返す前に、仕事を手伝ってくれるよういいます。

 ところが、おばあさんの家というのは、お茶碗が獣の骨でできていて、食卓には人間のしゃれこうべがのっていました。プティは勇気を出して部屋の掃除をしたり、食事の支度を手伝います。おばあさんはプティの働きぶりに満足し、おなかいっぱい食べさせます。それから家に帰りたいというプティに、カボチャを一つおみやげにくれました。

 うちにつくまで切ってはいけないといわれたカボチャをうちで切ってみると、中からは金銀、宝石やお金がどっさりでてきました。まま母は、メラの服を取りに行ってもらったのなら、この宝はメラのものだよと、何もかもとりあげ、そのうえ、もっと宝がほしくなって、メラにもいってくるように言いつけました。

 洗濯をしないで服を川に放り込んだメラが川を下っていくと・・・。

 もらうにはもらったカボチャから出てくるのは?

 

 娘が二人出てくる典型的な昔話です。メラも母親も行方不明になる結末がまっています。

 メラは赤という意味で、バワン・メラといえば赤タマネギのこと、プティは白で、ニンニクのことのようです。


国を救った水牛・・インドネシア

2021年02月02日 | 昔話(東南アジア)

      アジア心の民話⑤/語りおばさんのインドネアシア民話/杉浦邦子:編・語り 本田厚二・絵/星の環会/2001年

 

 となりのジャワ島の国から、「わが国の家来になって、言うことをきけ。それがいやなら軍隊を差し向けるが、よいか」とおどかされた西スマトラの国がありました。

 西スマトラの国は、住む家も、着るものも、食べるものも豊かで、平和に暮らしていましたが、軍隊はありません。

 隣の国の言うとおりになってジャワの王さまのために働かされるのも嫌です。

 知恵のある人が、水牛の闘いで決着をつけたらどうかと言い出します。ただ、ジャワの王さまが納得してくれる必要があります。

 そこで「戦争をすればたとえ、あなた方の国が勝っても、たくさんの犠牲者がでます。わたしたちが戦争をしている間に、ほかの国が攻めてこないとも限りません。水牛の闘いで、わたしたちの国の水牛が負けたら、なんでもいうことをききます。」と、申し入れます。大きくて強い水牛を持っているジャワの王さまは、水牛一頭で国ひとつ手に入れることができると、笑いがとまりません。

 西スマトラでは、生まれたばかりの水牛を、三日間母親からはなし、乳やらないでその日をまつます。

 闘いの日、広場にやってきたのは、大きくて強そうなジャワの水牛。赤ちゃん水牛は小さくてかわいそうです。

 ところがいざ水牛の闘いがはじまると、おなかをすかしていた赤ちゃん水牛は、ジャワの水牛のお乳を探して、とびこみました。この赤ちゃんの水牛の角には、するどいナイフがくくりつけてあったので、あまりの痛さにびっくりしたジャワの水牛は、一目散に逃げだしてしまいます。

 こうして西スマトラの国は、戦争をしないですみました。

 

 日本の昔話には水牛がでてくることはありません。その国の特色をあらわした昔話です。


天に行った蛙の話・・ベトナム

2021年01月24日 | 昔話(東南アジア)

         アジア心の民話④/語りおじさんのベトナム民話/坂入正生:編・語り 小島祥子・絵/星の環会/2001年

 

 長い日照りが続き、蛙が天帝に雨をふらせてくれるようお願いに出かけます。

 途中、蟹、虎、熊、狐、蜂も蛙にくわわりました。みんな雨が降らず困っていたのです。

 天の庭の門につき、大きな太鼓を叩くと、雷さまが「だれだ。わしの太鼓を無断でたたくやつは。でてこい。」と大きな声で叫んでいます。蛙がじっとしていると、天帝が雷さまの声を聞いて、「鶏を放して、いたずらものをとらえるように」と言いました。けれども鶏が放されると、狐が鶏を食べてしまいました。

 つぎに、天帝が狐を退治する犬を放すと、熊がすぐに犬をつかまえ、殺してしまいました。

 雷さまがでてくると、蜂が雷さまを刺し、虎が雷さまを食べてしまいました。

 蛙の知恵におどろいた天帝が姿をあらわすと、蛙は雨を降らしてくれるようお願いします。蟹も虎も熊も狐も蜂も、みんなでお願いです。

 知恵のある蛙に感心した天帝は、蛙がギリギリと天を向いて、歯ぎしりしたなら雨を降らせることを約束します。それからは雨が降る前には、いつも蛙の声がするようになりました。

 

 坂入さんは、中学校の国語教師を退職された後、ベトナム難民の方々との交流で、ベトナムの昔話を知ることになったと、ありました。

 東京の渋谷区で語り手としての活動も続けていて、すんなりと伝わってくる文になっています。


りこうな子ども・・インドネシア

2019年07月11日 | 昔話(東南アジア)

    りこうな子ども/アジアの昔話/松岡享子:編・訳 下田昌克・絵/こぐま社/2016年

 

 十になるかならないかの男の子が人さらいにさらわれ、どこかに売られ奴隷にされそうになり、人さらいと対決します。

 腹が痛いとわめき、男におんぶされた男の子が、腹の痛みを忘れるようにお話をしてくれるようにいいます。

 人さらいの話というのは?

 世界中の木という木を全部あわせたよりまだ大きい木の話。

 東にあったお天道様から西のお天道様の沈むところまで長い斧の話。

 世界中の全部あわせたよりも大きい水牛の話。

 七つの島と七つの海を、ぐるっとひとまきできる籐の蔓の話。

 屋根の上からたまごを落としたら、途中で、それがかえって ヒヨコになって それが地面につくころにはメンドリになってしまうほど大きな家の話。

 これだけのほら話がでてくると、それ以上のほら話になるのが多いのですが、この話では男の子が人さらいの話を逆手に取ります。

 昔おおきな太鼓があって、だれかがそいつをたたいたら、世界中の人間、天の神さまの耳にも音が聞こえたといいます。

 人さらいがそんな大きな太鼓があるわけがないだろうというと、男の子は人さらいのいう世界中の木をぜんぶあわせた木をつかったという。

 大きな木をどうやって切り倒したか問われると、人さらいがいった斧をつかったという。

 太鼓の皮は水牛、皮は籐の蔓でぐるぐるまき、さらにどこにつるすんだといわれ、人さらいが話した大きな家につるしたと答えます。

 人さらいは、知恵にかけては、この子のほうが上手だとさとり、この子をつれていっては、どんな難題をふきかけられるかもわからない、子は親にかえすにかぎると家まで連れ帰り、森へ逃げていきます。

 どれだけうそっぽいほら話でも、いやあ!などとうなずきながら楽しめるのも昔話でしょうか。


イニーゴ・・フィリピン、黄太郎青太郎・・タイ

2018年08月10日 | 昔話(東南アジア)

 見方ひとつでまったくちがうものに見えてくる話。

イニーゴ(フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年)

 イニーゴという若者が、一人の老人とあい、一緒に旅することに。

 この若者、老人の家が40キロ先にあると聞いて「何とかその道を短くできませんか」といいます。
 若者は、
  くつをはかずに、ひもでくくって肩にかけています。
  カンカン照りのところでは傘を閉じて、涼しい木陰で、こうもり傘を開いて頭の上にさしかけます。
  川を渡るときは、くつをはき、岸につくとくつをぬぎます。

  死んだ人を担架にのせてくる一行に会うと「あの人はいきているんですか」
  田植えをしている人をみると「米を食べちまって、それでも米を植えているんだね」という始末。

 老人は、若者がおかしなことを言っているなと思いましたが、老人の娘は、まったく別の意味にとらえます。

 「道を短くできませんか」・・「長い道のりでも面白い話をしてくれたら短く感じられる」
 「日照りの道で傘をすぼめて歩き、木陰に入ると傘を開く」・・「木陰では枯れた木の枝が落ちてきて、頭にけがするかも」
 「川を渡るのにわざわざくつをはく」・・「川にはとがった石などがあるから、けがをしないように」
 「死んだ男が生きているか聞かれた」・・「魂が生きているか聞いたのよ」

 もうすこし、やりとりがありますが、娘のいうことがもっともという感じです。


黄太郎、青太郎(アジアの昔話4/松岡享子・訳/福音館書店/1978年)

 むかし、夫婦にイムという姉とオーンという妹がいました。
 父親はイムに黄太郎という青年を婿に、母親はオーンに青太郎という青年を婿にえらびますが、夫婦は互いの婿が気に入りません。

 ある日、父親は青太郎、黄太郎の二人を連れて、遠い田んぼにでかけるため、舟で出かけます。
 途中、父親は二人をためそうといくつも質問をします。
 
 「なぜペリカンは、水に浮くことができるのかね?」
 黄太郎「からだじゅうにびっしりはねがはえているからですよ」
 青太郎「もともと、うくようににできているからですよ」

 「なぜコウノトリは、大きな声でなくのかね」
 黄太郎「首が長いからですよ」
 青太郎「もともと、大きな声でなくもんだからですよ」

 「なぜペリカンは、水に浮くことができるのかね?」
 黄太郎「からだじゅうにびっしりはねがはえているからですよ」
 青太郎「もともと、うくようににできているからですよ」

 「なぜ外がわの葉は赤くて、内がわみどりなのかね?」
 黄太郎「外がわは、日にあたるので赤く、内がわは、かげになっているので、みどりなのですよ」
 青太郎「もともと、そうなんですよ」

 たんぼをみて「なにひとつそだっていないたんぼと、稲があおあおとみのっているのはどうしてちがうのか?」
 黄太郎「あれている田は、海からのしお水が流れ、もうひとつの田は、真水だからですよ」
 青太郎「もともと、そうなんですよ」

 青太郎の答えを聞いた父親は、青太郎はまぬけな婿だと妻にガミガミいいます。

 しかし、母親が、お気に入りの婿に尋ねると、青太郎は言います。
 「はねの生えていないココナツの実だって浮きます」
 「ガマガエルも、長い首こそないけど、大きな声でなきます」
 「スイカは、日のあたる外がわみどりで、日にあたるはずもない内がわが赤い」
 「はげ頭の男の頭の中をしお水が流れていますか」

 もっともらしくても、かならずしもそうだとは限りません。反証をあげることも可能です。

 婿自慢もほどほどに。

 フィリピンの「イニーゴ」を読んで、タイの「黄太郎 青太郎」を思い出しました。


ファンと空飛ぶ三頭の馬・・フィリピン

2018年08月08日 | 昔話(東南アジア)

       フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年

 
 日本の昔話には、馬が出てきても空を飛ぶという発想はなさそうです。

 この話では、白、黒、赤い馬が空を飛びます。
 この馬が、お城の庭の木の葉を食べると、きまって王さまが病気になっていました。

 誰のせいかようすを見に行ったのは、三人の王子。
 上の二人は12時を過ぎると、眠気がおそってきて、誰が、木の葉が食いちぎったのかわかりません。

 末の王子ファンはナイフとレモンをもっていき、眠気におそわれると、ナイフで指を切り、その上にレモンをたらし、一晩中起きていることができたのです。
 13時には白馬、14時には黒馬、15時には赤馬がやってきて、木の葉を食いちぎろうとしますが、ファン王子は、そのたびに馬をみごとに乗りこなします。馬はへたばって、「ご用のあるときは、いつでもお呼びください。すぐにとんでまいります」といって、天空のかなたにとんでいきます。
 そして、王さまの病気は、すっかりとよくなります。

 それから何年かたち、「良い嫁をみつけて、わしを安心させてくれ」という王さまの言葉で、三人の王子は妃を探すたびにでます。
 上の二人が馬小屋の立派な馬で駆け出し、馬小屋に残されたのはやせた老馬だけ。それでも白馬、赤馬
、黒馬のおかげで、ファン王子は兄たちにおいつきます。

 ある一軒家で宿を頼むと、おばあさんから、「婿を探しているという美しいお姫さまが、城の塔を馬で飛び越えた者のおよめになる」ということを聞きますが、これまで誰も成功したものはいないというのです。

 上の二人の王子が挑戦しますが無駄でした。ファン王子は、白、黒、赤の馬のおかげで城の塔を一気に飛び越えたのはいうまでもありません。

 三人の王子が出てくると、上の二人に残酷ともいえる結末がおおいのですが、どこか遠くの国にかくれてすんでいるうわさがきこえてきたというおわりかたです。


ティギィの鳥・・フィリピン

2018年08月07日 | 昔話(東南アジア)

       フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年


 2,3羽のティギィの鳥が、テインギャン村のリギィという若者に声をかけます。

 稲を刈らせてくださいなというのです。

 もちろん鳥に稲刈りができるはずがないと思ったリギィでしたが・・。

 リギィの姿が見えなくなると、ティギィの鳥は戻ってきて、魔法を使って稲を実らせます。

 びっくりしたリギィでしたが、鳥は稲刈りは自分たちのまかせてほしいと、リギィを家にかえらせます。

 鳥たちは稲狩り鎌に稲を刈らせ、わらに稲を束ねらせます。

 リギィは、五百束の稲が刈り取られているのをみて、刈り上げのお祭りにくるようにいいます。

 お祭りにやってきた鳥たちでしたが、夕方になると人間の国にながくいることはできないからと、空高く飛び去っていきます。

 リギィが鳥を追いかけ、バナアシの木のところにくると、鳥たちが羽の衣を米の倉にしまいこもうとするところでした。

 するとたちまち、一人の美しい娘があらわれます。魔法がかけられて、ティギィの鳥にされていて、稲刈りを手伝ったら人間の姿にもどることができたのでした。


 魔法がとける方法も色々出てきますが、稲刈りの手伝いをすると魔法がとけるというのもはじめて。

 稲作の国ならではの展開です。
 
 ティギィの鳥、バナアシの木という、これまで聞いたことがないものもでてきます。


石の裁判・・ミャンマー

2018年07月10日 | 昔話(東南アジア)

      象のふろおけ/世界むかし話11 東南アジア/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年


 人の一生を左右する裁判。事実関係が明白ならいいのですが、場合によっては冤罪となるケースもあります。冤罪が明らかになったとき、かかわった検察や裁判官が、なにを考えているのかが明らかになることはないようです。

 昔話の中では、裁判の結果は明快です。

 男の子がポケットのお金が盗まれたら大変と、石の下にかくします。それをみていた悪い男が、そっととりだしてしまいます。

 男の子はおいおい、泣きだします。大勢の人が寄ってきて、男の子を慰めますが、お金はでてきません。

 わけを聞いたっ村長が、裁判長になって、石を裁判にかけることにします。
 「この子のお金をぬすんだそうだな」「そちは、ゆうべなにをした?どこかへいきはしなかったか?」と、いっても、もちろん石はなにもいいません。まわりの人はおかしくなって下を向いたり、顔に手をやったりしはじめます。

 かまわず、裁判長は裁判をつづけ、法廷をばかにした罪で、むち30をもうしつけ、かかりの者は石のムチでピチピチたたきはじめます。

 おもわず、みんなは笑い出してしまいます。

 すると、裁判長は「石にくだした判決に対して、笑いだすとは何事だ!裁判を侮辱した罪で、めいめいに罰金一チャットをもうしつける」と、きっぱりいいます。

 みんなはあっけにとられたものの、笑ったのは確かなので、一人一人が一チャット払います。
 すると裁判長が、「この村でうえた損害の償いだ」と、そのお金を男の子にわたします。

 あまり大きな罰金ではなかったのでしょう。でも集まれば大金です。村人も名裁判に納得し、にこにこしながら帰っていきます。


自由・・インドネシア

2018年07月07日 | 昔話(東南アジア)

      象のふろおけ/世界むかし話11 東南アジア/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年


 飼い主のない犬、食べものは自分で探し、寝るのも軒下や橋の下。

 都にいくと、ごみ箱にはおいしい残り物。
 つやつやした毛並みの犬に会います。

 飼い主がいる犬は、美味しいものが食べられ、行水やブラシもかけてもらったり。

 ところが、飼い主がいない犬は、飼い主のいる犬の首に、赤いきずあとがあるのを気がつきます。鎖ですれたきずでした。

 飼い主のいる犬は、「鎖でつながれることぐらいなんでもないことさ」といいますが、飼い主のいない犬は、自由がある方がいいと、村に帰っていきます。

 たしか、イソップの寓話にもあった話。

 どちらを選びますか?と問いかけます。


象のふろおけ・・ミャンマー

2018年07月06日 | 昔話(東南アジア)

      象のふろおけ/世界むかし話11 東南アジア/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年


 「象のふろおけ」? 象を入れる風呂桶というのは相当大きく頑丈なものが必要でしょう。

 象の風呂桶をつくることになったのはつぼ作り。
 つぼ作りの隣には洗濯屋がいて、つぼ作りは洗濯屋の家が立派なのがしゃくで、ひとあわふかせてやろうとおもっていました。

 王さまには、たくさんの象がいましたが、宝物として珍重されている白象は、どうしても手に入りませんでした。
 つぼ作りは、王さまの灰色の象を洗わせてごらんになってはいかがでしょうと、進言します。というのは洗濯屋が、どんなうすよごれた布でも夏の雲のように真っ白に洗い上げることができる名人だからというのです。

 王さまから象を洗い上げて白象にしてくれといわれて驚いた洗濯屋でしたが、つぼ作りの入れぢえと見抜いた洗濯屋が、それでは象が入れる風呂桶で石鹸をとかしたお湯の中で、洗う必要があるといいだします。

 すると、王さまは、つぼ作りに象の風呂桶をつくるように命じます。
 何とか作っても、足を入れさせると風呂桶が壊れます。次にうんと分厚い風呂桶をつくりますが、今度は熱すぎてお湯がよくわきません。

 何度も何度も作り直しますが、象が入っても大丈夫で、お湯がよくわくようなそんなちょうどいい厚さの風呂桶はできません。

 そのうち・・・・。

 人をねたむといいことはありません。
 結局つぼ作りと洗濯屋は仲良くなるのですが、たぶんそうなったのでしょうと突き放しています。


シャンソーとブゾニュー・・ミャンマー

2018年01月15日 | 昔話(東南アジア)

          ビルマのむかしばなし/中村祐子他訳/新読書社/1999年

 シャンソーが手に入れたのは、猿に変わる水と、飲むともとの姿に戻る水。

 この二つの水で、王女が猿に変わり、猿から王女を人間の姿にもどしたシャンソーが王女と結婚し、王位後継者になるという話。ここまでは昔話の定番でしょうか。

 ところがシャンソーは思いがけない幸運をあてにした男で家でぶらぶら。一方ブゾニューは働き者で、たくさんの家畜を持ち、大金持ちというので、悩ましくなります。

 幸運をあてにした男は幸せになりますが、働き者の船は台風に吹き飛ばされ、お金は泥棒に盗まれ、家畜は死んでしまう災難が次々とおこります。

 この話を聞いた人はどんな思いだったでしょうか。働き者が報われないというのも昔話でしょうか。

 「三年寝太郎」のように、3年間眠りつづけても、村を旱魃から救うという最後だと、救いがありますが、どうもすっきりしないおわりかたです。

 ただ、二種類の水をどう活用するかは、考え方でかわってきますから、幸運もつかみ取らなければ、ただの水でしょうか。