どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

あるひ くじらがやってきた

2022年07月31日 | 絵本(外国)

    あるひ くじらがやってきた/ニック・ブランド・作 なかがわ ちひろ・訳/小学館/2022年



 あるひ、くじらが 海からあがって、まちまで あるいてやってきました。

 子どもたちは おおはしゃぎ 大人たちはおおあわて。

 プールにねそべったり、自転車にのったり、でんしゃのなかでじまんのうたを きかせてくれたり。

 ところが、道路がひびわれたり、魚の 骨が 散らかり放題。

 小麦畑は、くじらの えさを そだてる 池になってしまいました。小麦が取れず、パン屋さんは店じまい。まちのひとたちは パンを食べられなくなりました。

 困った人々は、くじらをまちから追い出そうとしますが、ひとりの子が、「ちゃんと、はなしをきいてみようよ!」と、なぜ海からきたのかくじらに問いかけると、くじらの答えは?・・・・・。



 マイクロプラスチックなど、海洋汚染が深刻になる中で、タイムリーな絵本。

 くじらが、自転車にのったり、道路で縄跳びしたり、ビルとビルのハンモックでゆらゆらしていたりと 見どころ満点です。


おんぷちゃんとたいこ

2022年07月30日 | 絵本(日本)

    おんぷちゃんとたいこ/とよた かずひこ/ひさかたチャイルド/2022年

 

「たいこ とんとん とととん とん とん とん」と、おんぷちゃんが太鼓をたたくと かえるさんが ぴょん ぴょん ぴょん。

とん とん とん とすると あひるさんが ガー ガー ガー

わにさんが パク パク パックン パックンコ

みんなであるいていくと こんどは ぞうさん。

とんとん とととん とん

どんどん どどどん どん どん どん

とんとん とととん とん とん とん

ぞうさんの はなで みんなで すべりだい。

また あそぼう。

 

シンプルですが、絵も優しく、リズム感もいっぱいです。

きになったのは、おんぷちゃんという名前。音符ちゃんでしょうか。


くらげに骨なし・・千葉

2022年07月29日 | 昔話(関東)

          千葉のむかし話/千葉県文学教育の会編/日本標準/1978年

 

 楽しい くらげの由来話。

 竜宮にすむ八大竜王のむすめ乙姫さまがとても重い病気になって、あれこれ手を尽くすが回復しない。猿の生き胆が一番だと聞いて、でかけたのは亀。

 竜宮見物させるからと、猿を背中へのせて竜宮にいくとちゅう、くらげが、「亀どん、竜王さまがお待ちかねだよ。乙姫さまの薬にする猿の生き胆、うめえぐあいに見つかっていかったなあ」と、でっけえ声をだしたもんだから、びっくりしたのは猿。しらんぷりして空模様のことを話し、「木に肝をほしてあったが、雨でも降ってきたら、どうすべ」といったもんで、亀はがっかりして、もとの海岸まで引き返した。

 猿は、海岸につくが早いか、高い木の上にのぼり、亀がいくら待っても降りてこない。亀が「猿さんよう、はようしてくだせえましよ。胆もはありましたかあ」と でっかい声で聞くと、「海の中に、山はねえっぺや。身を離れて肝はねえぞ。ふざけんなあ」と、どなりかえします。

 亀がすごすご竜宮に帰り、くらげがしゃべったことを竜王に話すと、おこった竜王は、すぐにくらげを呼びつけて、皮をむいて、おまけに骨までぬいてしまった。だから、くらげは、すきとおって、骨がなくなってしまったという。


記録的短時間大雨情報

2022年07月29日 | 日記

昨日午後7時前、大雨情報が。

イナズマと雷の音。

短時間というように土砂降りは30分ほど。そのあとも雨は続いたが。

ただ、この情報、きわめて局地的。隣の町や市に警戒警報が出たが、当地は限定的。ほんとにピンポイントで集中豪雨がくる。

普段は水かさが少ない川も、集中豪雨では、考えられないほど水位があがる。時間100ミリをこえると、道が川になり、マンホールから噴き出すほどの水量。

どこでも、水害がおきてもおかしくなくなった。


なきむし せいとく

2022年07月28日 | 絵本(社会)

    なきむし せいとく/たじま ゆきひこ/童心社/2022年

 

 今年は沖縄返還から50年の節目。この絵本は、1945年の沖縄が舞台です。

 泣き虫”せいとく”とよばれた少年が、艦砲射撃と機銃掃射のなかを、アンマー(母)と妹と にげまどい、いきのびた10年後の思いまでが描かれています。

 父親は30歳をすぎて兵隊になり島の外へ、中学生の兄は「鉄血勤王隊」へ。

 ガマに逃げ込んだら、作戦の邪魔だと追い払われ、ようやく逃げ込んだガマでは、ちかくの赤ちゃんが泣きだし、兵隊に殺されてしまいます。

 ひめゆり学徒隊のねえにすくわれ、左手をなくしたせいとくが、10年後、妹と畑をつくり、やっと作物がとれるようになったとき、土地をとりあげられ、畑の上には軍事基地ができあがりました。

 「沖縄が日本にもどったら、こんなものは すぐに なくしてしまうさぁ。だって、戦争の苦しみを いちばんしっているのは、ぼくたちなんだから。」という、せいとくの願いとは別に、いまも市街地のなかに軍事基地が存在し、アメリカの飛行機が我が物顔に飛びまわっています。そして、新たに海を埋め立て基地をつくろうとしています。

 戦前の沖縄県の人口は約49万人で、戦没者が約12万人。4人に1人が亡くなったことになります。

 絵本の最後に、おもなできごとがまとめられています。

 沖縄戦は、アメリカ軍が1945年3月26日座間味村三島に上陸してはじまりました。司令官、参謀長が自決したのが6月23日。しかしその後も残存兵による抵抗は続き、沖縄戦が最終的に終結したのは、9月7日のことでした。

 住民の「強制集団死」があり、6月29日には、日本兵が、米軍のスパイとみなして、子どもを含む20人を殺害しています。

 作者は沖縄の取材を40年以上を重ね、これまでにも「沖縄の絵本」を描かれてきましたが、「悲惨な戦争を子どもたちに見せて怖がらせる絵本を創るのではない。平和の大切さを願う心を伝えるために、沖縄戦を絵本にする取り組みを続けているのだ」といいます。

 いったん戦争がはじまると止めるのは至難の業。何よりも戦争しないのが一番です。敵基地攻撃や先制攻撃論、軍事費の増額など、日本はどこへむかおうとしているのでしょうか。


あるあさ、ぼくは・・

2022年07月27日 | 絵本(外国)

    あるあさ、ぼくは・・/マリー・ホール・エッツ・作 まさきるりこ・訳/好学社/2022年

 

 朝、”ぼく”が、物置小屋のそばの杭で、歌をうたうことりをみていると、ネコのビディーが ことりをつかまえようとします。手をたたいて逃がしたあと、ほかのものを なにかつかまえようと去っていくネコに そっくりの歩き方でついていきます。
 すると、虫を探しているオンドリのコッキィに出会い、歩きかたをおしえてもらい、オンドリのまねをして歩いていくと、今度はブタのパールがどろの中で行水をしています。ブタのまねをしていねむりぎょうずいをしたあと、家の周りにある草原で であった動物の真似をつぎからつぎへとしていきます。

 そしてボートを出そうとしているおとうさんを見つけ・・・。

 へび、牝牛、ガチョウ、馬、それからリス、ヤギ、カエル、カメと でてくる動物には、みんな名前がついています。家族の一員でしょうか。

 モノクロで描かれている家やそのまわりの様子には自然がいっぱい。

 動物の真似をして歩くのは 遊び?

 自然の中でしか経験できないことがいっぱいありそう。

 アメリカでの初版は1965年とあって、いまでは見られないタッチに納得。日本版は1981年発行で2022年に再発行されています。


まのいいりょうし、鴨取り権兵衛、清左衛門の話(鳥取)、ほか

2022年07月26日 | 昔話(日本)

 天候不順で不作がつづいたり、海が荒れて漁ができなかったり、一日中、山に入っても思うように獲物にあわなかったりすると、豊作や大漁にあこがれる気持ちがよくわかる話。           

・まのいいりょうし(日本のむかしばなし/瀬田貞二・文/のら書店/1998年初版)

 猟師が息子の七つのお祝いのため、なにかとってこようと山の池にでかけます。

 筒が曲がった鉄砲をかもに向けて発砲すると12羽にあたり、さらに弾が岩に跳ね返ってもう一匹のかもにもあたります。
 傷ついたかもを捕まえようと池に入っていくと鯉が飛び出し、これをつかまえようとして、山うさぎと山芋を手にいれます。

 それで終わらず、もっとたくさんの収穫があるという豪快なお話。芋づる式というのは、こういうことでしょうか。

 今では猟をする人がなくなって猟師というのも昔話だけのできごとになってしまうのか心配なところ。絵本にもなっていました。

 

・鴨取り権兵衛(日本の民話11 民衆の笑い話 角川書店 1973年)

 権兵衛という漁師が、新しい鉄砲を手に入れ、山にでかけると沼に七羽の鴨。

 ところが玉がはずれて、あたったのはきつね。きつねがあばれまわり、あちこちの土をけまくったので山芋が25本。もってかえろうとすると、いのししがやってきたので、そばの梨の木にのぼると、いのししが、梨の木の根元に頭をぶっつけ、梨の実がバラバラ落ちてきた。おまけにいのししも死んでいて、山のような獲物を負うやら、引きずるやら、えんさど、えんさど山を下ると、どう道をまちがえたか大川にでた。

 ざぶざぶ川をわたり、家で着物をかわかそうと、着物を脱ぐと、雑魚がピチピチ、ふんどしを取れば、川エビの一升も取れたのだと。

 権兵衛さん、一度に鴨の百羽もとろうと、九十九日も寝て考えているような男です。

 

・清左衛門の話(鳥取のむかし話/鳥取県小学校国語教育研究会/日本標準/1977年)

 カモ八わが、一列にならぶのをまって鉄砲をうったら、みごとに命中し、その弾が兎の足にあたる。ウサギがあばれ用水路の水をせき止めてしまうと、川の水がほしあがってドジョウがいっぱい。さらにウサギが前足でかいた土の中から、大きな山芋が。

 清左衛門は、カモが一列になるまで一晩中まっていました。

 「こんな人が名人というのだろう」と、しめています。

 

・藤助どんの鴨とり話(千葉のむかし話/千葉県文学教育の会編/日本標準/1978年)

 藤助どんの鉄砲の台じりが急に曲がって、玉もまがって、いっぺんに10羽の鴨にあたります。しかしそこまでいく田んぼの中を渡り、山へ登ろうと木につかまったと思ったら、山ウサギの後ろ足。ウサギが逃げ回るのでおいかけているうち着物が重くなり、みてみるとどじょうがたくさん。それだけでなくウサギが暴れたところに、長いもが。

 ようやく鴨を探して、家に帰ると鉄砲の筒の中から、うなぎ。

 食いきれないごちそうを、近所の人たちをよんでふるまいます。

 

・間がいいてっぽぶちの話(千葉のむかし話/千葉県文学教育の会編/日本標準/1978年)

 きつねとむじなを引いて山道を歩いていて、うっかり崖から落ちそうになり、夢中でしがみついたら、これがおおきな山芋。

 やっと田んぼに出ると、数知れないほどの鴨。田んぼの水がこおりついて動けない鴨を、帯にはさみはさみすると、鴨が急に羽ばたきして空へ。

 いつまでも空にいてはたいへんと、茂原のおおきな寺のそばにつくと、五重の塔のてっぺんにしがみつきます。

 それを見た町のもんが、みんなで五重の塔の下に火口綿を山のようにしいて、飛び降りるようにいいます。てっぽぶちが、勇気出して飛び降りると、おりたひょうしに、ひでえいきおいでぶつけた目から火が出て火口綿が燃え、よってたかってた町のもんも、この話も、みんな焼けて消えてしまいます。

 昔話らしく、楽しいおわりかたです。


笠地蔵

2022年07月26日 | 昔話(日本)

 雪の降る暮れに、地蔵様に笠をかぶせてあげたおじいさんのところに、地蔵さまが、お礼に、お米を届けてくれるという、寒さをふきとばしてくれるようなあたたかい話で、12月には欠かせません。

 お正月のものを買うつもりででかけていったおじいさんが、雪で寒そうにたっている地蔵をかわいそうにおもって、笠をかぶせてあげます。お正月のものがなくても、このおじいさんを「ええことをした」とむかえておげるおばあさん。ここにでてくるおじいさん、おばあさんは底抜けにやさしい。

 ところで、三省堂版(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子/三省堂/2003年改訂新版)では、炭俵を編んで売りに行って、お正月用のお米をかうつもりが、笠と蓑のを買ってきて地蔵にかけてあげると、大みそかに米俵が家の軒下に積み上げられます。

 さきたま出版会版(語り書き埼玉のむかしばなし/小沢重雄ぶん・北島新平え/さきたま出版会/1988年)では、菅笠を売りにでかけていったおじいさんが、行く途中、お堂がなく木のかげはなしのふきっさらしで、寒そうな地蔵をみて笠をかぶせてあげます。すると大みそかには、米、粟、ひえ、きび、もろこしの餅の俵のほかに、にんじん、ごぼう、さらに大根のなますまでがやまなりに積み上げられます。

 三省堂版は、大分県の話ですが、さきたま出版会版では、埼玉県比企郡のお話になっています。埼玉版は、もちつきのまねごとをするシーンや雪の状景もこまやかで、親しみやすくなっています。

 お地蔵さんに笠をかけてあげるのはおじいさんが多いのですが、富山の「かさ地蔵」(富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年)では、親孝行な娘です。

 おなじく群馬の「かさ地蔵」(群馬のむかし話/群馬昔ばなし研究会・編/日本標準/1977年)では、むすこ。おおぜいのサルがお地蔵さんをかついできます。

 千葉の反物地蔵(千葉のむかし話/千葉県文学教育の会編/日本標準/1978年)では、お地蔵さんに、上物の反物を六つに切って、かけてあげると、六地蔵にそっくりの六人の男が、金や銀を俵につめておいていきます。反物の商いの場面が、長く続きます。

 お地蔵さんがやってくる場面もいろいろ。

 ひょうらんこ ひょうらんこ(京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年)

 冬ですが、時期は特定されていません。

 「ひょうらんこ ひょうらんこ

  おろすけとーらが、ござらねえで、さらに ひょうしがそろわね。

  あみ笠かぶりも、どこどこどん。

  ふんどしかぶりも、どんどこどん。」

 瀬田貞二再話では

 「よういさ、よういさ、よういさな。
  六だいじぞうさ、かさとって、かぶせた
  じいぁ うちは どこだ、ばあぁ うちは どこだ。
  よういさ、よういさ、よういさな」
 とありますが、どんな風でしょうか。

 日本昔話記録4(新潟県南蒲原郡昔話集/柳田國男編 岩倉市郎採録/三省堂/2006年)では

 「ヨンヤラナーン 太三郎爺さの所は どこだいなア」

 「そらもうちっとだ もうちっとだ あら重たい、重たい」

 そして、地蔵様が届けてくれたおくりものを見る場面で、他の話では、すぐに外にでるのですが、おじいさんもおばあさんも臆病者で、お前出ろ、お前出ろといいながら一緒に戸の外に出る間が絶妙です。

・あさ布地蔵(栃木のむかし話/下野民俗研究会・編/日本標準/1977年)

 ばあさんが織ったあさ布を町へ売りに行ったじいさんが、「こんな織り方ではだめだ」といわれながらも、売り歩いていましたが、どうしても売れず、雪の中の地蔵さんにあさ布をぐるぐる巻きつけて、家に帰ります。ほかの話では、ふたりが喧嘩することはありませんが、この話では、織り方が悪いと言われたばあさんは、かんかんにおこって寝てしまいます。すると、夜に、「ばあぼ心はにくけれど、じいの心のよいままに、えんやらなあ・・」と、お地蔵さまがやってきます。

 ところで、このあと絵本版をさがしていましたが、なかなか見つからず、やっと出会えたのが1967年出版のポプラ社の絵本。もう少し多いかとおもっていたのですが・・・。



     かさこじぞう/文・岩崎 京子 絵・新井 五郎/ポプラ社/1967年

 菅笠をつくるところからはじまり、大歳の風景、寒そうなお地蔵さまのようす、正月用の品々が細かく描写されています。昔話に欠かせない擬音語も効果的です。

 笠をそろえるのは”ざんざら”
 おじいさんおばあさんが、せめてもと餅つきを真似する場面
   こめの もちこ
   ひとうす ばったら
   あわの もちこ
   ひとうす ばったら
 お地蔵さまが正月の品物を下す場面
   ずっさん ずっさん
 お地蔵さんがかえる場面
   じょいやさ じょいやさ

 こうしたリズムがないと、昔話の良さはつたわりません。


バーナバスのだいだっそう

2022年07月25日 | 絵本(外国)

    バーナバスのだいだっそう/ファン・ブラザーズ・作 原田勝・訳/学研/2021年

 

 どこにでもあるような町の中にある「パーフェクトショップ」の地下ふかくに、その研究所がありました。

 ペットショップの看板には「遺伝子組み換え人工ペット!」が、目立たなくかかれています。

 バーナバスは、半分ねずみ、半分ゾウで、生まれた時から、この秘密の研究所ぐらし。バーナバスだけでなく、研究所の棚には、ガラス瓶にいれられた<失敗作>がずらり。

 ゴキブリのビップから外の世界をことを聞いたバーナバスは、いつか外の世界にいってみたいと考えるようになります。やがて作り直されそうになったバーナバスは、できっこないといわれますが、瓶をたたいたり、蹴ったり、体当たり。

 やっと、ガラス瓶から抜け出したバーナバスは、仲間たちもガラス瓶からだしてやると、みんなでおおさわぎ。戸棚から床までは、力をあわせおりて、空気を通す管の中をすすんでいくと、巨大なばけものが・・・。

 やっと地上に出たバーナバスの「自由だ!」に ほっとします。

 らくなことばかりじゃないけれど いつだって 仲間たちが そばに いるから暮らしていけるかも知れないというのにも、実感がこもっています。

 

 仲間たちとの友情、あきらめない、失敗作なんてないというメッセージも明快。失敗作というキャラクターのひとつひとつも魅力的で、裏表紙の見返しにあるパーフェクトペットとあまりかわりありません。

 ブラザーズ?と思ったらはカナダ・トロント在住のテリー、エリック、デヴィンの三兄弟による作でした。

 

 いま身近に多くの遺伝子組み換え食品が多くみられますが、組み替えられたDNAやたんぱく質が検査によって検出されないような加工食品や、遺伝子組み換え作物を飼料として食べた牛や豚などに、遺伝子組み換え作物を食べたという表示をする義務はありません。

 安全性に問題があることも指摘されている遺伝子組み換え食品ですが、この先どこまでいくのでしょうか。


パパとママのつかいかた

2022年07月23日 | 絵本(外国)

    パパとママのつかいかた/ピーター・ベントリー・文 サラ・オギルヴィー・絵 福本友美子・訳/BL出版/2016年

 

どの親も ぎくっとするような はじまり

 歯をみがきなさい!  ぐずぐずしないの!

 ありがとうは?    ください、でしょ。

 さっさとかたづけて! 手を洗いなさい

 おかしはおしまい!

どれか思い当たることばかり。

 

しかし、こどもからみると、親にはいいこと いっぱい。

おもちゃを 直してくれ 傷の手当

手が冷たいときは あったかい ヒーターがわり

パパは おうまがわり

ママは ちからもち

ぐるぐるまわしができるし かたぐるまも

誕生日の プレゼントは わすれない

まいばん おはなしも よんでくれる

 

パパとママが こどものために がんばっていることが つぎからつぎへと でてきて、そのことを 子どもも ちゃんと わかっています。「つかいかた」ではありません。


七たび孟獲をとらえる

2022年07月22日 | 絵本(外国)

     七たび孟獲をとらえる/唐亜明・文 于大武・絵/岩波書店/2011年

 

 三国志絵本の一冊。

 三国志といえば、曹操、孫権、赤壁の戦いなどだが、南蛮の王孟獲と諸葛孔明の話。孔明対南蛮というのは、まったく頭にありませんでした。

 策をもって孟獲を、七度やぶった孔明。遠くの地を力で抑えようとしても無理というのを知っていた孔明がとった方法。七度も許すというのも度量が広いが、孟獲さんもやりすぎ。

 孟獲さん、味方に裏切られること二回、落とし穴におちたりとさんざん。

 しかし、夫人の祝融が得意のやりと、手裏剣で蜀の将軍二人を打ち負かすと、孟獲は「孔明は五たびもおれを放してくれた。殺すわけにはいかぬ。」と、いいところもあります。

 隣の国のボクロク大王は、ゾウやトラ、ヒョウ、ウシをつれて、孟獲とともに蜀の軍隊にいどみますが、ここでも敗退。

 七度目は、鳥戈国(うか国)に助けを求めますが、こんどは谷あいで、岩や丸太、帆のたいまつ火のたいまつを投げ込まれてしまいます。

 「まだ戦うというなら、そのままかえるがいい」という孔明に、「もう二度と、そむきません。」という孟獲。それ以来、蜀と南蛮との戦争は一度もおきませんでしたというのですが、最初から戦いがないほうがいちばん。

 

 山水画ふうの自然や、服装など、いかにも古代の人物の描き方です。


おにぎり おにぎり

2022年07月21日 | 絵本(日本)

     おにぎり おにぎり/長野ヒデ子/おむすび舎/2022年

 

おむすび舎から、おむすびの絵本。できすぎでしょうか。

 

おばあちゃんと一緒に作ったおむすびをもって、おにいちゃんと三人で 

 ♭おにぎり ぎゅっ ぎゅっ 

  リックに ぎゅっ

  はやく たべたい

  おにぎり ぎゅっ!

と、うたいながら裏山へ。

裏山では、おじいちゃんが、棚田で お米をつくっています。

山の空気はおいしいし、みんなで食べると おいしさが 増します。

 

お米は、おかまで炊いて、梅干し、かつおぶし、しおしゃけをいれて、まる、三角、ちいさいおにぎりと盛沢山。ノリの巻き方もさまざま。みんなでつくると おいしそう。

おばあちゃんとおにいちゃんの顔も おにぎり風。


おじいさんの宝さがし・・群馬

2022年07月20日 | 昔話(関東)

          群馬のむかし話/群馬昔ばなし研究会・編/日本標準/1977年

 

 外国にも類似の話が多くありますが、ややスケールが小さいでしょうか。

 

 むらの鎮守様の宝物の刀がなくなるという事件がおきたとき、さがす役目に白羽の矢が立ったのが、易を見るのが上手というおじいさん。

 ところが、このおじいさんの易というのは、おばあさんが、おじいさんがいないときに、こっそりごちそうをつくっていたのを、縁の下にかくれて、見つけただけの話。びっくりしたおばあさんが「うちのじいさんは、易を見るのが上手だ」と、ふれあるいていたのです。

 困ったおじいさんは、鎮守様の森にやぐらをたてさせ、たいこをたたいたら、集まってくるよういいます。死ぬ覚悟でやぐらの上にすわっていると、キツネが、どこからか、ごちそうをやぐらの下に隠し、またどこかへいきます。おじいさんは、おおいそぎで、やぐらからおりて、そのごちそうをとって、やぐらにのぼります。

 やがてキツネがかえってきて、ごちそうがないことに気づき、あちこちをさがしますがみつかりません。そのとき、キツネが「人間だって、三階松の上にある刀がわからないでいるのだから、このくらいのことは、しかたがないよ」といって、どこかへいってしまいます。

 これを聞いたおじいさんが、たいこをたたき、むらの人が集まってくると、宝物は、松の木の上にあるから、必ず探すようにいいます。鎮守様の宝物の刀がもどってくると、おじいさんは、たくさんのほうびをもらうことに。


かれっ木の花さかせじじい・・群馬

2022年07月19日 | 昔話(関東)

         群馬のむかし話/群馬昔ばなし研究会・編/日本標準/1977年

 

おなじみの「花咲じい」ですが、ここにでてくる臼は、ケヤキ。

擬音語もいろいろ。

いぬが、声をかけるところ

 (おれが<ほっくり>といったら、ほってみさちゃい)

 ほっくり

うすをつく場面。

 するすう 米ご 一升一升 ひっこめ

 するすう 米ご 一升一升 ひっこめ

花を咲かせる場面

 ひと投げ 投げたら つぼみがでろ

 ふた投げ 投げたら 花がさけ

 

 「花さかじい」というのは、じつはよくわからない。花を咲かせるという意味では、こちらのタイトルがぴったり。

 昔話では出版社の校閲をすりぬけて、首をかしげるものも多い。

 「死神の名付け親」では、死神の名付け親がいることに。死神が名付け親になる内容とは合わない。

 「舌切り雀」は、舌を切られるのが雀なので、タイトルとしてはどうでしょうか。

 「鶴女房」としている日本の昔話では、女房にならなくても、このタイトルがつけられているものがある。

 「だめといわれてひっこむな」というねずみが出てくる楽しい話があるが、このなかでは「だめ」といわれることは、いちどもない。

 あまりに定着すぎて、かえることができないのもありそうだが。


ひまなこなべ・・アイヌのむかしばなし

2022年07月18日 | 絵本(昔話・日本)

    ひまなこなべ/文・萱野茂 絵・どいかや/あすなろ/書房2016年

 

 どんな たかいくらいの 神でも なんねんかに いちどは アイヌの国に お客としていき、たくさんのイナウ(神さまが 一番よろこぶ おくりもの。おもに ヤナギやミズキの木を削って つくられる)やおみやげを もらってこなければ なりません。

 ある日くらいのたかい くまの神が、石狩川の上流に住むアイヌのところへお客になろうと思い、ゆっくり ゆっくり山を おりました。

 わざと弓に射られ、つれていかれたアイヌの家で、くまの神は、歓迎されます。

 たのしい 夜の宴がはじまり、人々は 歌や 踊りを つぎから つぎへと はじめます。その中に、特別 踊りが上手な ちいさい若者が いました。右へ左へ 前へ 後ろへ とぶように 踊り 目にも とまらぬ はやさで とんぼがえりを うったりするのです。

 そのうちユカㇻ(アイヌの物語。口づたえに 語り継がれる)が 語りはじめられ、いちばんおもしろいところで、わざとやめてしまいます。くまを神の国に おくるときは また きてほしいばかりに やめるのです。

 たくさんの おみやげをもらって 神の国へ かえっていった くまの神でしたが、若者の踊りが忘れられなくなり、若者の正体を 知りたいと、なんども アイヌのところへ お客として やってきました。

 何度目かのとき、たくさんならんでいる ぶらさがっている 鍋のうち、いちばん小さな カパㇻペポンス(薄手の小鍋)が ゆらりと ゆれたことに 気がつきます。

 若者があらわれたとき、炊事場の壁を見ると、やっぱり 小鍋がありません。

 若者はカパㇻペポンスの神で、普段大事に使われているが、おおぜいの人が あつまる ときは、おおきな鍋ばかり仕事があって、わたしは 暇なので 日頃、大切にされているお礼もかねて、神がみに 踊りを おみせしていたことを 話します。

 まえにもまして、たくさんのおみやげをもらって 神の国へ かえっていったくまの神は、夢のなかで、カパㇻペポンスのことを、くわしくしらせてやりました。アイヌは あらためて おれいの イナウを くまの神に おくり、カパㇻペポンスの神にも、イナウを どっさり あげました。

 こんなわけで、普通より ずっと 多く アイヌの 国を訪れたといいます。

 

 タイトルを見ただけでは内容がイメージできませんでしたが、最後のほうでようやく意味がわかりました。

 「どんな道具でも 大切にして 洗うものは 洗い 掃除するものは 掃除することによって 道具の神は かならず 恩をかえしてくれるものだ」と結びます。

 

 神さまも、村人も とても若々しく描かれていました。