どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

わたしの森に

2018年10月31日 | 田島征三


    わたしの森に/アーサー・ビナード文 田島征三・絵/くもん出版/2018年

しんしん
 ししんしんしーん
ずしんしん
 ずしんずししーん
とゆきのふるさまが表現されています。
雪の風景が展開して、やがて春

春の様子は
 からだもしっぽもふるえて はなさきは むずむずする
 ふきのとうが ふくらんで 土をおしのけて
 まあんまあんまあん

むんむんの目は ひだりのほほにも みぎのほほにも。 おやおやトガリネズミみつけた。
「むんむん」ってなに?

 みんなに恐れられているマムシです。

 でも、マムシから見ると、はなれてくれれば、わるさはしません。

 ニンゲンの気配をかんじれば、マムシは小川を、すいすいわたっていきます。

 やがて こどもをうんで雪の下で・・・。

 マムシの気持ちって考えたこともなかったと思い知らされました。

 生態系の不思議にもう一度思いをめぐらせる絵本です。

 日本人より日本語をいかした表現をする詩人のビナードさんです。


メガネをかけたら

2018年10月30日 | 絵本(日本)


    メガネをかけたら/くすのき しげのり・作 たるいし まこ・絵/小学館/2012年


 クラスの子がだれもメガネをかけていないので、メガネをかけることに抵抗があった女の子。
 お母さんとメガネ屋さんに行って

 「おにあいですわ。メガネ をかけたら、とっても おりこうそうに みえますわ!」といわれ、(それって、ほんとうは おりこうじゃなうってことね)
 「メガネをかけたら、すごく かわいく みえますわ!」といわれ、(それって、メガネを かけていない わたしは かわいくないってことね)
 それでも、お母さんの意見で、ものすごくかるい メガネを購入します。

 翌日、先生は「あらっ、きょうから メガネを かけてくるのじゃ なかったかしら?」
 わたしの気持ちを察した先生は、「しょうがくせいのときから メガネを かけてたのよ」とフォローします。

 翌日の朝、「バリバリおしごとを していたときのメガネよ」とお母さんもメガネ。

 メガネをかけて学校に行くと、みんな「ちょっと、かして」。

 そして、その日の先生もメガネ。
 朝会にいくと、なんと校長先生も保健の先生も、隣のクラスの先生もメガネすがた。

 素敵な先生たちにかこまれたこどもの笑顔。すごくさわやかな気持ちの絵本です。

 まわりと違うことをするっていうのは、その一歩がなかなか踏み出せません。でも踏み出してみれば意外となんでもないことかも。

 揺れ動く女の子の気持ちが伝わってきました。


針一本で国をとった男・・セネガル

2018年10月29日 | 昔話(アフリカ)

       スーポーおじさんの世界ふしぎ物語2/なだいなだ・訳/筑摩書房/1983年


 「わらしべ長者」は、藁からはじまって大金持ちになりますが、外国のものはスケールが大きくて針一本からはじまって、王さまにまでなってしまいます。

 八人の息子の一番年下のサロが、14歳のとき、針を一本見つけ、ニワトリととりかえます。村長のおかみさんが針をなくして困っていたからでした。
 ニワトリは家族のおなかの中へ。
 どこかの王さまが軍隊をひきいてやってくるというので、サロはモモだけをもって馬一頭とモモを交換するものはいないかと叫びます。ひとりの騎兵がモモを食べますが、馬はやれないといいます。王さまに直訴すると王さまは騎兵に馬をサロにやるよういいつけます。

 サロは、次に馬を七匹のネコにとりかえます。

 さらに、サロはネコをネズミの被害に苦しんでいる国にもっていって一匹七人のわりで、計49人のドレイととりかえます。

 ドレイのおかげで楽な暮らしをしていたのですが、こんどは死人ととりかえてくるといいだしたサロ。

 ちょうど、王さまが死んだ町にいくと、死んだ者には何の価値もないと、ドレイと王さまの死体ととりかえることに同意した王さまの息子たち。

 ところが、サロが王さまの死体を辱めると、王さまの息子たちは父親をたたくのをやめさせようとします。
 「この死人はぼくのだ。ぼくのすきなようにしてどこがわるい」と、サロはもっと力を入れてたたきます。息子たちは交換は取り消しだといいますが、サロはうけつけません。

 判事の裁定もサロの言い分をみとめます。しかし、49人のドレイひとりにつき七人のドレイとなら王さまの死骸を売り戻すことにしたサロは、343人のドレイを手にいれます。

 とりかえはここまでですが、大蛇が牡牛を七頭くれたら金貨のある場所をおしえてくれるというので、そのとおりにすると金貨がたくさん詰まった大きな壺が見つかります。
 この金貨を村中の人にわけ、みなを集めて王さまの都をせめおとり、国の王の位についてしまいます。

 とりかえには、それなりの理由が欠かせませんが、ドレイがでてきたり、死体がでてくるなどは国による違いかもしれません。

 大蛇がきゅうにでてくるのも昔話らしさです。


さつまいも、しぜんにタッチ!おいもができた

2018年10月28日 | 絵本(日本)


    さつまいも/小宮山洋夫・作/福音館書店/2015年初出2000年)


 ちょうどさつまいもの時期になりました。

 さつまいもは絵本になりやすいようで、あまりの数の多さにびっくりでした。
 
 小さな畑で、さつまいもも育てているのですが、温床をつくるのが大変で苗は購入したものを利用しています。

 この絵本では、さつまいもから苗を育てる方法が、手軽に手に入るものを利用して育てる方法が丁寧に説明されています。これならと手をだせそうです。

 さらに食べることだけでなく、つるでできるあそび・・ベルトをつくったり、聴診器にしたり、縄跳びの縄として利用したり、綱引き用の綱として利用したりといろいろアイデアがのせられているのも参考になります。

 切り絵の子どもの顔も変化に富んでいて、びっくり顔が楽しい。


   しぜんにタッチ!おいもができた/監修:馬場 隆 写真:榎本 功/ひさかたチャイルド/2014年

 保育園や小学校で、いもほりの体験をされたお子さんをお持ちの方も多いようです。

 さつまいもの苗づくりから、植え付け、成長の様子、収穫までが写真で構成されています。

 目を引くのは根の状態やいもの断面図。
 途中で、土を掘り起こして撮影しています。

 いもほり体験の時、さつまいもの長い弦を実感してもらいたのですが・・・。

 焼き芋を食べる子どもの笑顔、おいしそうです。


私はどこで生きていけばいいの?

2018年10月27日 | 絵本(社会)


   私はどこで生きていけばいいの?/文・ローズマリー・マカーニー 訳・西田佳子/西村書店/2018年


 今世界のどこかで、住む家もなく家族と食事もできない人々がいます。

 戦争で危険がせまり、住み慣れた故郷をはなれざるをえなくなり、安住の地をもとめながら、旅する難民。

 以前に比べると、シリアから地中海をとおって、ヨーロッパの各地を目指した難民の情報が少なくなっているようなきがします。
 今、ホンジュラスからアメリカをめざす移民キャラバンも、犯罪が横行し危険にせまられた人々。2000キロをこえる距離を徒歩というのは想像を絶します。

 家族みんなで荷物をまとめ旅立つ人々と子どもたち。

 難民の状況を知り、問題を考えるきっかけとなることを目指して作られた写真絵本ですが、過酷な状況を理解できるところまではいきません。というのはあまりにも安穏な生活をしているからです。

 六千万人以上をこえるといわれる難民。

 笑顔の子どもの写真が何枚かあるのが救いです。子どもの希望や夢を奪うのは誰にもできないはずです。人間ってなぜ、こんなに愚かなのでしょうか。


おならのしゃもじ

2018年10月27日 | 絵本(昔話・日本)


        おならのしゃもじ/文・小沢正 画・田島 征三/教育画劇/2003年



 いつもおなかをぺこぺこさせた、とってもまずしい若者。
 おみやにいって、おいのりをしたかえり、みちばたに落ちていた二つのしゃもじをみつけます。

 赤と黒いしゃもじ。
 どこからか こえがきこえてきます。
   おしりだ おしり
   あかい ほうで なでろ
   くろい ほうで なでろ

 なんのことだろうと、茶店につながれている馬のおしりを、あかいしゃもじで、おしりを つるん とすると おなら。いつまでたっても、おならは やみません。
 若者が、ためしにくろいほうのしゃもじで、おしりをつるんとすると、おならは、ぴたりと やみます。

 なるほどなるほどと、うなずいた若者。
 次は、小僧の首をよこせと、わめいていたおさむらい。
 その次は、ちょうじゃどんの、ひとりむすめ。

 なにしろ、このおなら強烈そのもの(といっても臭くはなさそう)
 田島さんの絵もぴったり。

 若者は長者の娘と一緒になり、幸せになりますが、気になるのはしゃもじのゆくえ。

 おならのリズムも 
  おいもと ごぼうが どんどこどん
  かぼちゃと らっきょが どんどこどん
  きなこと おもちが どんどこどん
 とありますが、深くは考えない方がよさそうです。

 読み聞かせでは、このおならの音は、どんなふうに読んでいるか興味がわきました。


ゆうかんなちびの仕立屋さん

2018年10月26日 | グリム(絵本)


    ゆうかんなちびの仕立屋さん/スベン・オットー・絵 矢川 澄子・訳/評論社/1982年


 布切れでジャムをぬったパンにむらがったハエを、ひとたたきで七匹を殺した仕立屋が、自分の勇ましさを町中、いや世界中にしらせようと世の中に出て行った仕立屋。

 類話もたくさんあるので物語の展開はそんなに珍しいものではありませんが、巨人とのかけひき、王さまに仕えて、大男二人、一角獣、いのししを退治し、王女と国の半分を手にした仕立屋でしたが、そこからすこしひねったラストがあります。

 仕立屋の寝言で、正体を知った若いお妃が、別れさせてくれるよう王さまに訴えると、王さまは、仕立屋が寝込んだら、踏み込んで縛りあげ、船で遠くに追い払おうとします。

 しかし若殿びいき(仕立屋)だった太刀持ちが、この企てを告げ口します。

 すると、仕立屋は「ひとうちで七つ、大男も二人ころし、一角獣もとれば、いのししだってつかまえた。そのおれさまが、外にいるやつらなんぞ、おそれるものか」とわめきはじめます。
 おそれをなした、外の人々はあわててにげだしてしまいます。

 こうして、ちびの仕立て屋さんは、そのまま一生、王さまとしてすごします。

 大男との力比べで、石の代わりにチーズを握りつぶし、夜大男が鉄の棒でひっぱたたいても翌日の朝はけろりとした仕立屋。じつはベッドがおおきすぎて、すみっこに寝ただけ。
 いのししは、礼拝堂に閉じ込めてしまいます。

 まわりが勘違いするだけなのですが。仕立屋も随分と調子いい男。

 自分を信じるのが大切なのでしょうか。

 絵本にしては文章が多いので、読み聞かせにはどうでしょうか?


”こびと”がでてくる話

2018年10月26日 | 昔話あれこれ

 ウクライナの「びんぼうこびと」は、すみつかれるとやっかいなこびと。
 こびとは幸せを運んでくれる存在であるとともに、やや やっかいな存在でもありそうです。

<北欧の昔話から(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱実 編訳/こぐま社/2001年)>

・「屋敷こびと」(フィンランド)
  屋敷こびとは、三度も料理を食べさせてくれた料理人に、なんでもだしてくれる小さな小箱をプレゼントしてくれます。

・「トリレヴィップ」(デンマーク)
  名前をあてる話ですが、一晩でつむ二十本の糸を紡ぐと、大ぶろしきをひろげた娘のひとりごとがたいへんなことになります。
 娘は、屋敷のおくさまのところに呼ばれ、お屋敷で働くことになります。
 おくさまは、つむ二十本分の羊の毛をもってきて、明日まで糸をつむぐよういいつつけます。
 仕事はできそうにもありませんでしたが、赤いぼうしをかぶったこびとがやってきて、よめさんになってくれたら手伝ってやるといいます。

<グリムの昔話から(グリム童話集 上下/佐々木田鶴子・訳 出久根育・絵/岩波少年文庫/2007年)>
 白雪姫:七人のこびと
 命の水
 親指こぞう:親指くらいですから、こびとかな
 こびとのくつ屋:貧乏なくつやに幸せを運んでくれます
 金のガチョウ
 森の中の三人のこびと
 ルンペルシュティルツヒェン

<スイスの”こびと”たち(サンドリヨン/世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1979年)>

金持ちクラウスの話
 こびとたちは、たいへんな働き者。母親が病気の娘に、薬草を、純金にかわる食べ物をあげます。
 みどり色の外とう、小さなみどり色のぼうし、雪のように白い髪の毛、長い灰色のひげです。

キャサリーンと三人の小人
 ひとりぼっちの女の子が、こびとから火種をわけてもらいますが、どうしても火がつきません。もういちど火種をもらいますが、やっぱりうまくいきません。ところが次の日、起きてみるとピカピカ光る黄金の山がありました。

小人たちの歌声
 すばらしい歌声をくれたこびとですが、どこでうたうことをならったのか、たずねられた男が、根負けしてこびとの話をしてしまうと、男は美しい歌声を失ってしまいます。

小人のひみつ
 片目が見えない男に、こびとがおいしいお菓子をあげます。男は眠らされていたのでお菓子作りの秘密を知ることはできません。兄がでかけて、こびとの菓子作りの秘密をさぐろうとしますが?。

小人たちとぶどう酒のびん
 葡萄酒のびんをもっていた男が、こびとから「少し飲ませてくれ」といわれ、はじめはことわっていた男でしたが、熱心に欲しがったこびとに、葡萄酒をあたえます。こびとが飲みおわり、葡萄酒がのこっていないと思っていると、びんには葡萄酒がいっぱい。毎日飲んでも葡萄酒はなくなりません。
 しかし、おくさんから問われて、こびとのことを話すと、それからびんはからっぽになってしまいます。

 スイスのこびとは、ひみつを知られることが我慢できないようです。


<ルース・マニング=サンダーズの「こびとの本」から(世界の民話館1 こびとの本/ 西本鶏介・訳/TBSブリタニカ/1980年)>
          
 目にしたことがないものが多い。(グリムと重複するものを除く)

 フレデイとバイオリン:ノルウエー
 さわぎくの原っぱ:アイルランド
 いちごをつみにいった女の子:ドイツ
 小さいムクラ:アラビア
 びんの丘:アイルランド
 船長とこびと:デンマーク
 森の中の小さな男たち:ドイツ    
 はしばみ坊や:ウクライナ
 銀のすず;ドイツ
 ビリー・マクダニエルの冒険:アイルランド
 マイア物語:デンマーク
 もみの木:ドイツ 

                
 ”こびと”は小人と訳されているのもありますが、小人という表現はやや抵抗があります。

 ところで、意外と意識されていないのが、こびとの性別。

 女のこびとが存在しないという。しかし、こびとはかたちは「おとこ」であっても、男としての性を主張したり実現することがないという存在。

 日本の一寸法師や竹取物語のかぐや姫は、生まれは小さくても、結末などでは大きくなるが、外国のこびとは、”こび”とのままという違いは、どこからきているのかも興味深い。  


きょうは そらに まるいつき

2018年10月25日 | 絵本(日本)


    きょうは そらに まるいつき/作:荒井 良二/偕成社/2016年


 一日のおわり、そらをながめると まあるいつき。

 赤ちゃんも、バレエの練習帰りの女の子も、山の動物も、海のクジラも そっと見上げると、そこには まあるいつき。

 その日、どんな一日だったのでしょう。うれしいときも、かなしいときも、それぞれの想いで みあげる まあるいつき。

 ゆったりと時間がながれます。

 文字は最小限で、絵が語りかけてきます。あかちゃんの目と まあるいつきが印象に残ります。

 ほとんどのページに、小さく、そして大きな月。

 今日は満月。18時頃にはあたりはまっくら。人どおりがほとんどなく、商店もシャッターをとじ、たまに車が行きかう小さな町にも、きょうは そらに まあるいつき。


かえんだいこ

2018年10月24日 | 絵本(日本)


    かえんだいこ/川端 誠/クレヨンハウス/2010年


 道具屋の主人の甚兵衛さんがかってきたのは、古くて、ほこりだらけの太鼓。

 「きたない太鼓なんかだれも買わないよ。お前さんは、ほんとうに 商売が下手なんだから」と、いやみをいうおかみさん。

 定吉に はたきかけさせると、ドーンドーンと大きな音。
 すると、音を聞いた侍が顔を出し、太鼓を屋敷に持参いたせとのおおせ。

 「こんな きたない太鼓をもっていったら なにがおこるかわからない」と、心配するおかみさんでしたが・・・。
 これが なんと、世にもまれな名品「火焔太鼓」と分かり、300両でのお買いあげ。 

 ここから、重役と甚兵衛さんのやりとりが楽しい。

 50両のつつみをだされ はええええええ とおどろき
 次のつつみで100両  ひええええええ とあわて
 次のつつみで150両  ふええええええ とふるえ
 2次のつつみで00両  へええええええ となき
 次のつつみで250両  ほほほほほほほ と笑い
 次のつつみで300両  ・・・・・・ 水いっぱい

 もちかえった300両を見たおかみさんの なんともいえない仕草。
 火焔太鼓の購入金額は一分、一分金が4枚で一両、一両は、今の金額に換算すると10万円ほどにはなりそうですから、300両だと、なんと3000万。たしかにおかみさんが商売上手とほめるのも当然。

 江戸時代のことがわかるのも得な感じ。

 今では半鐘というのは絵本や時代劇映画などでしかわからないかもしれません。

 ジャリジャリジャリだと、火事はすぐちかい
 すこしちかくなら ジャンジャンジャーン ジャンジャンジャーン・・
 とおくなら 「ジャーン ジャーン ・・」
 すこしとおくなら「ジャンジャーン ジャンジャーン ・・」

 はじめのページに半鐘が出てきて、最後のオチにつながっています。

 道具屋に、ロボットやウルトラマン?がならんでいたり、風呂敷を首に巻いたスーパーマン風な格好の甚兵衛さんがでてくるなど、作者の遊び心も楽しい。

 落語を題材にした絵本ですが、やはり落語は聞くのが一番でしょうか。


まほうのかさ

2018年10月23日 | 絵本(日本)


    まほうのかさ/小沢正・文 はた こうしろう・絵/教育画劇/2015年


 運動がにがてで、学校の体育時間になると憂鬱になる一年生の いちろうくん。

 なぜ、わざわざ、鉄棒に ぶらさがったり、跳び箱をとんだりしなければ ならないの?。

 ある夜、いちろうの夢のなかに、マントのようなものを きて ほしのかざりのついた つえをもち、金色のとんがり帽子をかぶった子がでてきて、「わたし、まじょの女の子なの。なにか。わたしに してもらいたいことはない? ひとつだけなら きいてあげるよ」と、聞きます。

 いちろうは、ちょっとかんがえてから 答えます。
 体育館が修理中で、雨が降ったら体育の時間が変更になるので 「あした、雨がふると いいんだけどなあ」

 女の子は「へんなの、たいいくが きらいだなんて」といいますが、どこからか 傘をひとつ、ひょいっと とりだして いちろうにわたします。

 その赤い傘は、広げると雨がふりはじめて、閉じると、すぐに雨がやむ、まほうの傘でした。

 「うちのおかあさん、えらい まじょなんだもの」という女の子に感心したひょうしに、ぱっと 目がさめました。

 体育がある日、おきてみると 青い空が ひろがる、いい お天気。

 残念な きもちのまま 学校に出かけようとすると、玄関の傘立てに、夢の中で見た赤い傘が入っているのに気がつきます。

 半信半疑でかさを ひろげて しばらくすると雨がおちはじめます。

 体育の時間は3時間目。雨は傘をひろげないとふりません。いちろうくんは物置小屋に、ひろげた傘をおいてでかけます。

 すると、バケツをひっくりかえしたような土砂降りになり、川があふれ、家も学校も のこらず流されてしまうかもしれないと、心配になった いちろうの 目の前にあの赤い傘が。

 まじょの女の子が赤い傘をつかまえようとすると、あお、きいろ、しろ、まっくろな かぞえきれないほどの傘が 校門の隙間から、校舎の屋根から 校庭に押し寄せ、女の子に襲い掛かろうとします。

 女の子が、なんとか傘をつかまえて、ぱちんと とじると・・・。

 いちろうくん、イス二つを重ねた上で、片足だちですから、本当は運動神経が抜群なのかも。

 子どもの表情がいきいきしていて、まじょの女の子もかわいいですよ。

 いちろうくんの思いがよくでています。

 やや文字が多すぎるので、とっつきにくいかも。


「いばら姫」いろいろ

2018年10月21日 | 昔話(外国)

 「眠れる森の美女」は、多くのバレエ団で上演され、アニメも1959年に全米に公開され、日本は1960年の公開。

 この物語は、グリムでは「いばら姫」とされています。

 あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいたが、ようやく女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いを呼ぶ。
 魔法使いは一人ずつ、魔法を用いた贈り物をします。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は錘が刺さって死ぬ”という呪いをかけます 。しかし、まだ魔法をかけていなかった12人目の魔法使いが、「王女は錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変えます。

 王女を心配した王は、国中の紡ぎ車を燃やさせてしまう。王女は順調に育っていくが、15歳の時に一人で城の中を歩いていて、城の塔の一番上で老婆が紡いでいた錘で手を刺し、眠りに落ちます。

 呪いは城中に波及し、そのうちに茨が繁茂して誰も入れなくなる。侵入を試みる者もいたが、鉄条網のように絡み合った茨に阻まれ、入ったはいいが突破出来ずに皆落命します。

 百年後、近くの国の王子が噂を聞きつけ城を訪れます。王女は目を覚まし、2人はその日のうちに結婚し幸せな生活をおくります。

 ここでは魔法使いとしましたが、訳によって表現もことなります。例を挙げると

<子どもに語るグリムの昔話6/こぐま社/1993年> 運命を見通すふしぎな力を持った女
<グリム童話集1/岩波少年文庫/1997年>      仙女
<グリム童話集 上/岩波少年文庫/2007年>     仙女
<グリム童話集1/岩波書店>           まじないをする女、つまり仙女
<グリムの昔話3/福音館書店/2002年>       ふしぎな力を持つ占い女
<語るためのグリム童話3/小峰書店/2007年>    占い女
<完訳グリム童話3/筑摩書房/1997年>       運命を見とおすかしこい女
<こどもと昔話(創刊号)/小澤昔ばなし研究所/1999年> かしこい女

 このほかにも巫女、妖女としている訳があります。
「仙女」だと、いまひとつで、「占い女」でも、もっている力が伝わってこないようなイメージです。といっても子どもは「占い女」であまり違和感がなかったようです。


プチジャンとかえる(なぞとき名人のお姫さま フランスの昔話/山口 智子編・訳/福音館書店/1995年初版)

 冒頭部同じシュチエーションの「プチジャンとかえる」では、妖精と表現されている。

 食器が7つしかなく、招かれなかった年をとった妖精が、王さまとお妃に生まれた男の子をかえるにかえてしまいます。    


眠れる森の王女(ペローの昔ばなし/今野一雄・訳/白水社/2007年初版)

 魔法使いは仙女とされ、8人が登場します。
 眠りにおちた王女を悲しみ、王と王妃は王女に別れを告げず城を去ってしまいます。他の者たちは魔法により眠らされてしまう。
 グリムとの大きな違いは王女は王子のキスで目覚めるのではなく、100年の眠りから覚めるときがやってきていたため、自分で目を覚まします。

 また、グリム版にはない、2人の結婚後の話が続きます。王女は2人の子供をもうけます。しかし、王子の母である王妃は人食いであり、王女と子供を食べようとします。そこを王子が助け、王妃は気が狂い自殺してしまいます。           

 ペロー版では、百年たって、眠りから覚めた王女の服装について、やや時代遅れとあって、さらに二人を祝う音楽は、いい曲ではあるが、今ではもう演奏されなくなった曲と表現されて、時代をあらわしています。
 昔話では時間があっという間に経過するのが特徴ですが、時間を感じさせるこうした表現は、ほかにみられません。
      

ねむれる森の美女(サンドリヨン 世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)

 ペロー版ににていますが、妖精が出てきて、妖精のために黄金の小箱が用意されていましたが、50年以上も住んでいる塔から姿をあらわさなかったので、よぶことを忘れた妖精が出てきます。

 時をストップさせたのも、王女が目をさましたとき、すっかり悲しくなるんじゃないかと、妖精が杖で、みんなを眠らせます。そして王女がながいねむりについているあいだ、楽しい夢をみさせてくれます。

 王女と王子の結婚は、父親の王とお妃には秘密でした。というのはお妃は人食い鬼の本能の持ち主で、父の王が結婚したのは、ただ財産欲しさのためでした。

 新しく王となった王子が隣の国と戦いをおこしたとき、残された二人の幼い子を食べようと画策する皇太后の話が続きます。


・ペロー版は1697年、グリムの初稿では1810年ですが、1634~1637年に出版されたナポリの詩人、ジャン・バティスタ・バジレの「太陽と月とターリア」が、いばら姫と話型がおなじという。

・カエルによる誕生の予告は、グリムのみ、仙女による祝福や呪いはペローとグリムのみという違いがあるという。


むしさん なんの ぎょうれつ?

2018年10月21日 | 絵本(日本)


    むしさん なんの ぎょうれつ?/作:オームラ トモコ/ポプラ社/2017年


 「むしさんへ いいものあげるから のぼっておいで!」さあ さあ はやいものがちですよー

 ハチの呼び声で、絵本を縦にみながら、とにかくのぼっていく 虫、虫、虫

 その数50種類(虫に〇〇番とある意味がわかりませんでしたが、巻末に「おきゃくさんメモ」として一覧表がありました)。

 とにかく虫好きの子にはたまりません。

 虫たちの叫び声も動きも軽快そのもの。

 ネコにねらわれ、雨が降ったり、スズメにねらわれたりと、上までのぼるのも大変。

 のぼる面々は、アリ、テントウムシ、ダンゴムシ‥、ホタル、ハエ・・、スズムシ、カナブン・・、セミ、クワガタ、カブトムシ、トンボ、チョウ。
 そしてムカデ、ゴキブリ、サソリなども。

 なにがまっているか、わくわくしていると、のぼったさきには、なんと4ページにわたる とにかくでっかいスイカ。巨大なスイカに小さな虫がむらがって、最後はスイカのタネで「ごちそうさまでした」と、大満足です。

 夏頃読みたい絵本でした。


びっくり まつぼっくり

2018年10月20日 | 絵本(自然)


         びっくり まつぼっくり/多田 多恵子・文 堀川 理万子・絵/福音館書店/2010年(初出2006年)


 秋にピッタリの絵本で、まつぼっくりが落ちていたら、拾いたくなるのは間違いありません。

 まつぼっくりは、乾くと開き、湿ると閉じる性質がありますが、身近でありながら、こんなことに気がつかないでいました。

 まつぼっくりを水に一時間ほどつけて、しょんぼりした まつぼっくりを、空き瓶に入れて2,3日たつと、まつぼっくりは、瓶のなかで、もとの大きさに。(絵本のおわりに「びっくり びんづめ まつぼっくり」とあります)

 子どもも大人も、実際に作りたくなります。

 はじめ、瓶詰のまつぼっくりを見せ、どうして中にいれたか疑問をもたせてから絵本を読まれた方がいました。

 読んでから試してみたかたも多いのですが、はじめに疑問をもたせるというのも興味をもってくれそうです。

 まつぼっくりは、松のタネ。2年がかりでタネを飛ばす準備をし、このタネにある薄くて軽い羽で旅し、子孫を残すという作者(植物学者)の説明も、読み聞かせの補足として、話してあげられそうです。


外国の人がとりあげた日本の昔話、日本の昔話の外国への紹介

2018年10月19日 | 昔話あれこれ

<外国の人がとりあげた日本の昔話>

 外国の人が、日本の昔話を取り上げるのは、どういう視点からか、興味があるところ。

・「三分間で語れるお話」(マーガレット・リード・マクドナルド 佐藤涼子・訳/星雲社/2005年初版)に、「長崎のネズミ」、「鈴の音」がありました。日本でよく知られているものではなく、はじめて目にするもの。

 どちらもきりなし話ということでとりあげられてますが、そういえば、外国の昔話で、きりなし話というのは目にしたことがありません。

 「長崎のネズミ」は、食べるものがなくなった長崎のネズミが、薩摩まで船で渡り、食べ物を手に入れようとすすんでいくが、途中であったのが、薩摩の船。
 この船にのっていたのが、薩摩のネズミ。薩摩のネズミも食べるものがなくなって、食べ物を手に入れようと長崎にいくところ。
 長崎にも薩摩にも食べるものがないことを知ったネズミが一匹、一匹海に身を投げ出します。
 すっかり悲観したネズミが一匹一匹が海に飛び込むようすを、やめてといわれるまで続けるという話。

 「三分間で語れるお話」には、「大阪のカエルと京都のカエル」と、こちらはおなじみの話も取り上げられています。

 この話、NHKテレビで石井桃子作”かえるのえんそく”と題して放送されていました(2015.6.1)。テレビだけあって照明や効果、小道具がうまくそろえられていました。


二ひきのかえる(ラング世界童話全集1 みどりいろの童話集/編訳 川端康成・野上彰/偕成社文庫/1977年初版)

 ラングの世界童話全集1にも「大阪のカエルと京都のカエル」があります。
 この話は、かえるにひっかけているので、”かえる”でないと面白さはでてきません。
  
        
・浦島太郎が「赤いカメ」と題して、再話されているのが(スーポーおじさんの 世界ふしぎ物語2 なだいなだ・訳 筑摩書房 1983年)。

 「浦島太郎」というのは「緑の島の子ども」という意味だとはじまります。
 出てくるカメは、赤いカメとされています。日本のもので、赤いカメと表現されているのは、なかったと思いますが・・。

 乙姫から、開けてはならないという金の小箱をもらうのは、おなじですが、箱に意味があって、誘惑に負けなければ、岸で待っているカメが、ふたたび竜宮につれもどすことができること。

 もういちど、乙姫にあうならば、何でもすると約束した浦島太郎でしたが、結局約束は守れず、おじいさんになったというのには説得力があります。

 死の女神が太郎をむかえにきて、あの世につれていったという結末は、外国の方らしい終わり方です。 

 

<日本の昔話の外国への紹介>


 「図説日本の昔話」(石井正巳/河出書房新社/2003年初版)には、明治以降のものが多いが、昔話を描いた絵がたくさんのっていて興味深い。なかには室町時代の「鼠の草紙」の絵も。 もう一つ興味があるのは、日本のものがどう外国に翻訳されていったのかということ。

 1885年には、英語版チリメン本に「舌切り雀」がダビッド・タムソンの訳で。

 アメリカの宣教師でヘボン式ローマ字の発明者ヘボンが英訳にした「瘤取り爺」が1886年に発行されています。

 また「文福茶釜」は1887年にジェイムス夫人が訳したものが発行されているという。

 いずれもアメリカが中心であるが、それがどういうルートで世界にひろがっていったのかも興味があるところ。

 鎖国をしていた江戸時代に唯一窓口となっていたオランダをつうじて外国で発行されたものはなかったのだろうか。