どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ファンが悪魔をつかまえた・・メキシコ

2017年05月31日 | 絵本(昔話・外国)


   ファンが悪魔をつかまえた/やなぎや けいこ・作 今井俊・絵/福音館書店/1992年

 あんまり大食いなファンに、やけをおこした母親が「ファン、出かけていって、悪魔でも つかまえておいでよ。大食いのお前より、あくまのほうが よっぽど ましだよ」といわれ、ファンは悪魔をつかまるためにでかけるのですが・・・。

 悪魔のところまで着く道中が楽しい。

 オオワシの背中にウシ7頭をのせていく途中、次から次へとウシがオオワシに食べられ、ファンがオオワシを食べるぞと脅かすと、ファンは浜辺に振り落とされてしまいます。

 ファンが悪魔が住むという火を噴くほらあながどこにあるか尋ねるのは33人。

 途中コヨーテと一緒に、10年修行している行者、20年修行している行者、30年修行している行者のところへ。

 やっと、悪魔をつかまえますが・・・。

 冒頭の大食いとどうつながるのかと思っていると、悪魔は「コヨーテのしっぽの毛を抜いて、ふっとふくとウシにかわる」といって、夜の空に消えます。

 しっぽの毛は何本もありそうですから、その後は牛肉がごちそうになったようです。

 白黒の版画が昔話の世界にぴったりです。

 悪魔がファンに簡単につかまえられるので、全然怖くはありません。


三びきのこぶた

2017年05月29日 | 絵本(昔話・外国)

 誰もが知っている?話ですが、もとはイギリスの昔話。

 昔話では、三びきのうち、二匹はオオカミに食べられるのですが、三びきとも無事というという絵本もあって、子どもたちから違うよという声もあがるという話を聞いたことがあります。

 そうはいっても絵本はほとんどみたことがなく、今回瀬田貞二訳(山田三郎・絵 福音館書店)をはじめて見ました。
 
 イギリスとアイルランドの昔話(石井桃子・編訳 福音館文庫)で、少しひっかかったのは、三番目のこぶたが、スミスどんの畑のカブ、メリやしきのくだもの畑のリンゴをとってくるところ。カブもリンゴも文脈からすると個人のもの。それをいただいてくるというのは 他人様のものを盗むということ?でしょう。(スイカやブドウ等の盗難が報道されるたびに、これを思い出します。)

 ここが、瀬田訳では、カブは「ごんべさんの うら」、リンゴは公園にある木と訳されていますが、これも、ややくるしいところ。

 また二番目のこぶたが家をたてるのは、ハリエニシダですが、瀬田訳では木の枝となっていて、このほうがわかりやすいかも知れません。

 これまで、有名な話は遠慮していたのですが、子どもの目線で考えると、名作のいくつかは覚えておきたいと方向転換です。

 ざっとですが以下のような絵本もありました。           
         いもとようこ・文絵 金の星社
         わらべきみか・絵 ひさかたチャイルド
         ジェイコブズ・作 二俣英五郎・絵 岸田 衿子・訳 ミキハウス
         LaZOO・作 とりごえまり・絵
         森毅・作 安野光雄・絵 童話社(別バージョンのようです)
         岡信子・文 山田三郎・絵 世界文化社


シーフカ・ブールカまほうの馬・・ロシア

2017年05月26日 | 絵本(昔話・外国)


   シーフカ・ブールカまほうの馬/M・ブラートフ・再話 B・デイオードロフ・絵 松谷さやか・訳/福音館書店/1997年初版


 このところ、昔話はもっぱら絵本になっているもの。絵が物語を理解するうえでどれもよく考えられています。
 この絵本もロシア風の衣装が特徴的で、読むだけではイメージがわきません。

 この物語は、きわめてオーソドックスで、三人兄弟の末っ子が、まほうの馬の力で、お姫さまとハッピーエンドに。

 冒頭部は、末っ子のまほうの馬との出会い。

 おじいさんの畑の小麦が、夜になると、なにものかがやってきて、小麦を食い荒らし、めちゃくちゃに踏みつけられてしまいます。
 おじいさんは三人の息子に、畑の見張りをさせます。
 二人の兄は、干し草の上で、ぐっすり眠ってしまいます。
 最後にでかけた末の息子は”イワンのばか”とよばれていたのですが、ばかではなく、小麦を食いちぎり、畑を踏み荒らす1頭の馬をみつけ、馬と格闘します。

 末っ子に捕まえられた馬は、三度口笛を吹いてから「シーフカ・ブールカまほうの馬よ、さあ、かけてこい!」と呼ぶとすぐに駆け付けると約束します。

 王さまから高い窓べに坐っているお姫さまの指から金の指輪を抜き取ったものが、婿にえらばれるだろうとおふれがでて、末っ子も出かけます。
 まほうの馬の右の耳からもぐりこみ、左の耳からでると、立派な若者になります。

 末っ子は、三回でかけ最後にお姫さまの指輪を抜き取ることに。やはり一回だけではお話の効果がでないようです。
 一回目は、丸太一本ぶん、二回目は二本ぶん届かないのですが、少し苦しいところで、一回で成功してもおかしくありません。

 この話は、ここでおわりではなく、指輪を持った末っ子を探すために、国中のものが宴会によばれることになり、お姫さまが自分の指輪をはめているものをさがす場面があります。 

 靴ならぬ指輪です。

 「ノロウエイの黒ウシ」(イギリス)では、「左の耳より出るものを食い、右の耳よりでるものを飲み、あまればそれを あすのため、たくわえておき つかうべし」というのがでてきます。耳の中へ入るとか、耳から食べ物が出るというのは、日本にはなさそうです。
 はじめはびっくりしたのですが・・・・・。

 「シーフカ・ブールカ」と呼びかける物語はほかにもあるか、気になりました。


いたずらおばけ(私家版)

2017年05月25日 | 私家版
 「いたずらおばけ」の絵本をよんで、すぐに覚えてみたいと思いました。
 前に「ヘドレイのべこコ」を読んでいて、よくわからなかった最後。

 せなけいこさんの「わたしゃほんとにうんがいい」のフレーズも参考に、整理してみました。

 この私家版は、自分が語るためのあくまでプライベートなものです。

 日本の昔話には各地に同じタイトルの話があり、外国の翻訳では訳者によって訳し方も異なります。
 読む分にはそんなにこだわりはありませんが、自分が語るとなると、どうしても細かなところが気になります。

 この私家版は
 いたずらおばけ(瀬田貞二・訳 和田義三・絵/福音館書店/1978年月刊「こどものとも」発行)
 ヘドレイのべこコ/イギリスとアイルランドの昔話/石井桃子・編訳 J・D・バトン・画/福音館書店/2002年初版)
 わたしゃほんとにうんがいい(せな けいこ:・作・絵/鈴木出版/1992年)
 ジェイコブズ作(イギリス民話選/ジャックと豆のつる/木下順二・訳/岩波書店/1967年初版)
 を参考にさせていただいています。

 むかし、ある村に、ひとりのおばあさんがすんでいました。
 おばあさんは、近くのお百姓のおかみさんたちの 使い走りなどをして、やっとこ、暮らしをたてていました。お礼といっても、たくさんもらうわけでなく、あっちの家では肉を一皿、こっちの家出ではお茶を一杯というようにもらいながら、なんとか、かんとか、暮らしていました。
 それでも おばあさんは いつもニコニコして、この世に心配なんか、ちっともないというように見えました。

 さて あるばん、おばあさんが 家に帰ろうとトコトコ歩いていると、道ばたに、黒いおおきな壺を みつけました。
 「おや、壺だね。ものを入れとくにはおあつらえむきだよ。入れるものがあったらね。けどまただれが、おとしていったのかね」
と、おばあさんは 持ち主が いないかと あたりを みまわしましたが、誰もいません。
 「おおかた 穴が あいたんで、捨てたんだろう。そんなら ここに、花でもいけて、窓に おこう。ちょっくら もっていこうかね」
 こういって おばあさんは 壺のふたをとってみました。
 そして、びっくり仰天して、さけびました。
 「おやま、金貨が ぎっしりだ。なんてこったろう」
 まったく、壺のくちまで、金貨が どっさり 詰まっていたのです。
 しばらくのあいだ、おばあさんは どうしていいかわからないので、その宝のまわりをグルグル回って歩き、黄金の色にみとれたり、自分の運のいいことにおどろいたりしながら、二分おきには、こんなことをいっていました。
 「たまげたね、どうやら わたしゃ 金持ちになったようだよ、それも たいした 金持ちに」
 そのうち、おばあさんは、このお宝を どうやって もってかえるか、考えはじめました。
そして、重くて もてないので、肩掛けはしに ゆわえて、ごろごろ ひっぱって かえるほかはないと、おもいました。
 「もうじき 暗くなるだろう」
と、おばあさんは とことこ あるきながら、ひとりごとを いいました。
 「そうなりゃ 好都合さ。誰にもみられないし、わたしゃ ゆっくり 一晩、これからどうするか 考えられるというもんだ。大きなうちを買って、暖炉のそばで お茶を飲もう。女王様と おんなじように、もう 働らかなくて すむわさ。それとも この壺を 庭に埋めて、すこしばかり おかねを、暖炉の土瓶に しまっておこうか。それとも…ああ、たのしいね。すっかり 豪勢な 気分になって、なにがなんだか わからなくなったよ」
とちゅうで、おばあさんは すこし くたびれました。
 なにしろ ひっぱるものが 重いので、たちどまって 一息 いれました。
 そして お宝は大丈夫かとふりかえりました。
 ところが、目に入ったのは、ピカピカひかっている、銀のかたまりでした。
 おばあさんは、よくよく ながめて、目をこすって またながめました。
 「おや、そうだったのかい」と、やっと おばあさんは いいました。
 「これを 金貨のつまっている壺とばかり おもってたんだね。夢を みてたに ちがいないよ。だけど、こっちのほうがずっと世話が焼けないし、盗むたって手軽じゃないし、このほうが ずっとしわあせ。あの金貨だったら、しまっとくだけでも大騒ぎするとこだったよ。」
 そこで また おばあさんは トコトコ 歩きながら、どうつかおうとかと いろいろ楽しく考えました。
 けれども、またすこしいくと、くたびれてきて、ちょっと、一息つきました。
 そして ふりむいて、お宝らを ながめました。
 すると こんどは、鉄ころが あるばかり!
 「おや、そうだったのかい」と、おばあさんは いいました。
 「これを 銀だとばかり おもってたんだね。 夢を みてたに ちがいないよ。だけど、このほうが ずっとしわあせ。本当に 役に立つもの。鉄ころを 小銭にしよう。小銭になら 金や銀より、わたしには 使いやすい。それに 泥棒が怖くて、おちおち ねられないところだったが、小銭なら大丈夫。後生は楽々さ」
 そこで おばあさんは とことこ 歩きながら、どうして 小銭を つかおうとかと 考えているうちに、また つかれて、一休みしました。
 そして ふりむいて、お宝を ながめました。
 すると こんどは、おおきな石が あるばかり!
 「おや、そうだったのかい」と、おばあさんは いいました。
 「鉄だとばっかり おもってたんだね。 夢を みてたに ちがいないよ。でも よかった。門の扉を おさえて おけるよ ぶたや にわとりが やってきて 庭の畑を あらさないように 石が、とても ほしかったところだもの。ああ、いいものにかわったよ。あーあ わたしゃ ほんとに 運がいい」

そこで おばあさんは 門の扉をおさえておく石を はやくおこうと、とことこ 丘をくだって うちのまえに きました。おばあさんは 門を あけて ゆわえた肩掛けを ほどこうと、道においた 石の方に 振り向きました。
 おや? いいえ、ちゃんと ありました。
 石は石らしく、どっかり すわって、そこに ありました。そこで、おばあさんが かがんで、肩掛けをほどこうとしますと・・・

 「あら、ま!」
 いきなり 石は とびあがり、「ぎゃあ」と いって、みるまに 大きな馬ぐらいになりました。
 それから、ひょろ長い四本の足をニューとはやし、二つの長い耳をニョキニョキとだし、尾っぽをさっとふりたてると、ぴょんぴょん はねたり、キーキーいったり、ひんひん ないたり、けらけら 笑ったり、まるで いたずらぼうずのように、あばれて逃げていきました。
 おばあさんは、目をまるくしたまま、みえなくなるまで じっと みていましたが、やがて おばあさんまで けたたましく笑い出しました。

 笑って笑って、声もとぎれとぎれに いいました。
 「ああ、なんて しあわせなんだろう。このあたりで、わたしゃ いちばん運がいいよ。いたずらおばけが この目で みられるなんて。あれが思いっきり 楽しめるなんて! まったく、気が晴れ晴れしたよ、なんと 豪勢な もんだろ!」
 そういって、おばあさんは 家に はいって、幸せいっぱい、くすくす 笑って 一晩、すごしましたとさ。


ふしぎなホジャビの木・・アフリカ

2017年05月25日 | 絵本(昔話・外国)


     ふしぎなホジャビのき/ダイアン・ホフマイアー・再話 ピート・フロブラー・絵 さくまゆみこ・訳/光村教育図書/2013年初版

 アフリカの昔話です。

 干ばつで食べ物がないアフリカの平原。食べ物を探していると遠くの方に、美味しそうな実がなっている木が一本だけありました。でも、これまでみたこともないような大きなヘビ(なんともカラフル、巨大なヘビで楽しくなります)が木に巻き付いていて実をとることができません。ヘビから「この木の名前を いってごらん」と言われても、はじめてみる木で、動物たちは困ってしまいます。

 カメはひいひいおばあさんが、ライオンのおうさまが木の名前をしっているんだよと話ししていたのをおぼえていました。

 早速足自慢のシマウマがライオンに名前を聞いてきますが・・・

 シマウマは木の根っこにつまづいて、ボンガニといって
 サルは、自分の頭のいいことばかり考えて、ムンジャニといって
 ゾウは、どんな名前を思い出すことができると、ウンファニといって

 しかし、ヘビは、じっとしたままです。

 カメは?

 「ホジャビ」「ホジャビ」と、ずっと歌いながら、ゆっくり歩いたので、つまずいたり、ほかのことにも気をとられて忘れることもありませんでした。
 歌を聴いたヘビは、とぐろをほどいて、木から離れ、みんなはおいしい木の実をおなかいっぱい食べます。 

 昼寝を邪魔されたライオンは、2回までは教えてくれるのですが、そのあとは、木の名前は「ホジャビ」だとは絶対の教えないと怒って、結局のところ名前を教えてしまいます。

 ホジャビの実は、マンゴーのように甘いにおいを放ち、メロンのようにおおきくて、ザクロのようにみずみずしいとありますから、美味しそうですよ。

 登場するのは動物だけではなく、鳥もいろいろです(絵本のいいところ)。

 作者は、アフリカの伝統的な親指ピアノ(ムビラ)をひきながら、リズム感もだすために打楽器も使いながら話しているといいますから、楽しそうな話です。


ノックメニーの丘の巨人とおかみさん・・アイルランド

2017年05月20日 | 絵本(昔話・外国)


   ノックメニーの丘の巨人とおかみさん/トミー・デ・パオラ・再話絵 晴海耕平・訳/童話館出版/1997年初版

 美しいアイルランドに、巨人が住んでいました。
 その巨人のなかに、気立てのいいフィン・マクールとウーナーというかわいいおかみさんがいました。
 そこへ、ククリーンという巨人が勝負にやってきます。
 ククーリンは、アイルランドで一番強い巨人で、みんなは、そのククーリンに痛めつけられていたのですが、フィンだけはククリーンが近くにいるといううわさをきくと、いつも逃げまわってきました。

 おかみさんはいつかはククリーンに立ち向かわなければ、これからもいっときだって気のやすまることは、ないんじゃないかといっているうちにククーリンがやってきます。

 頼りにならないフィンをゆりかごにいれ、あかちゃんの格好をさせて、相手になったのはウーナーでした。

 昔話のパターンで、若者と巨人というのがおおいのですが、この話では巨人同士です。

 おかみさんがククリ-ンあげたパンには、フライパンがはいっていて、パンを食べたククリーンの歯がおれてしまうのですが、歯がどんどん欠けていく様子は、絵本ならではの楽しさです。

 気になったのは、フィンの家にいる三人のこびと?です。何やらいつも動き回っています。

 二人はなんともほのぼのしていて、ククリーンが逃げていったあとのテーブルにはハートマークまであります。絵本ならではの楽しさです。


くさのなかのおひめさま

2017年05月19日 | 絵本(昔話・外国)


    くさのなかのおひめさ/アスビョルンセンとモー・再話 シーグルセン・セービユ・カプスベルゲル・絵 中川あゆみ・訳/セーラー出版/1997年初版

 ノルウエーの昔話の再話です。

 ノルウエー語の発展にも大きな意義をもつことになったという「ノルウエーの昔話」(1841~45年)。アスビヨルセンとモーが編んだものです。
 アスビヨルセンとモーといえば「三びきのやぎのがらがらどん」です。


 「一日で糸を紡いで機を織り、シャツを1枚縫うことのできる花嫁をみつけてくるように」と王さまからいわれて、旅だったのは12人の息子。(ただし、その他大勢の口!)
 しばらくいくと兄さんたちは「はいまみれ」とよばれている末っ子をおいてけぼりにしていってしまいます。

 どちらにむかっていいのかもわからないはいまみれが、草むらにすわりこむと、ちいさな可愛い女の子が、くさのなかのおひめさまにあうようにいいます。

 「これ以上旅を続けたくありません、わたしの妻になっていただけないでしょうか」と、はいまみれが性急にもうしこむと、おひめさまはすぐに承諾します。(うーん、なんと昔話らしい展開です)

 おひめさまが縫い上げたシャツは、とてもとても小さくて、だれも着ることができません。
 それでも、そのシャツをみた王さまは、ふたりの結婚を認め、小さな恋人をつれてくるようにいいます。

 二人は城へむかいますが、馬に乗せてつれていこうとするはいまみれに、おひめさまはねずみにひかせたスプーンののってでかけます。途中、おひめさまは、大きな湖に落ちてしまいます。
 そこへ湖のぬしがあらわれ、助けられたおひめさまは、不思議なことに、普通の大きさになって、前よりずっと美しくりっぱになります。
 やがて、王さまに気に入られた二人は結婚することに。

 相手がカエルだったりするおなじような昔話が多くありますが、相手がこびとというのは珍しい。

 そして、王さまからだされる注文も大抵は三つですが、この話では一つだけ。
 はいまみれが王さまにさしだしたのは、誰も着れないシャツなのですが、王さまがどのようにうけとめたのかにはふれられていません。
 12人の息子がいると、誰がどのようものを持ち帰ったのか、でてきそうですが、そこもありません。

 随分シンプルな話になっています。小さい子むけなのでしょうか。
 ややもの足りません。

 こびとのおひめさまが、湖のぬしのおかげで大きくなりますが、外国のものでは珍しく、こびとが大きくなります。


コケーナとであったチャンゴ・・アンデス

2017年05月18日 | 絵本(昔話・外国)


   コケーナとであったチャンゴ/やなぎけいこ・再話 野口忠行・絵/福音館書店/1990年

 アンデスの昔話でペルーからボリビアにかけての山岳地帯に住むインディオに伝わる話といいます。

 チャンゴはヤギ飼いの少年。もうあまり草がない村から、五匹のヤギのため、やわらかい草ときれいな水をさがして、山のむこうにでかけます。

 頑張って険しい岩を登り、山のてっぺんからみえたのは、下に広がる草と水。ヤギたちが草を食べているとあたりが急に暗くなって黒雲が広がり雨が降り出します。ヤギたちをやっとのことで岩陰にあつめ、嵐が通り過ぎるのをまちますが、クロがいなくなったことにきづきます。

 雨の中を飛び出すと、遠くにくろいものがうかびあがります。

 クロだと思って走りよると、それはリャマのこどもでした。

 チャンゴは嵐がやんだらおまえの仲間をみつけてあげようと、やさしく話しかけ、リャマの子をだきあげようとすると、リャマは消え、大きな帽子をかぶったコケーナ、動物の守り神がたっていました。
 
 コケーナはチャンゴがリャマの子にやさしかったごほうびにすきなものをあげようといいますが、チャンゴはクロをみつけてとこたえます。
 コケーナはクロの居場所をおしえてくれ、クロのところにあるものは、わたしからのおくりものだといって、きえます。

 コケーナの言った通り、クロは洞穴にいました。そして、そのそばには金貨と銀貨がいっぱいつまった袋がありました。

 コケーナは、ちいさいちいさいとんがり帽子に白い髭の動物の守り神。動物たちをいじめた人間は、こっぴどくこらしめますが、やさしい人間には恵みを与えてくれます。

 コケーナをみたときの驚いたチャンゴの顔がリアルです。

 村の風景は2ページだけですが、みんな帽子をかぶって、アンデスの雰囲気がとてもよく伝わってきました。

 「コケーナ」というキャラクターも面白い存在です。


牛の嫁入り・・岡山

2017年05月17日 | 昔話(中国・四国)

       日本の昔話 下/稲田浩二・編/ちくま文芸文庫/1999年


 ある分限者の母親が娘をええとこに縁付けようと毎朝、氏神さんに参拝していたところ、それを聞いた小僧が、縁の下に隠れ、明日の朝、この社であった男がそちの婿であるとというお告げをします。

 これがうまくいって、小僧は分限者の娘をもらうことになるが、嫁入りの日、振る舞い酒でぐでんぐでんに酔っぱらった人足が寝込んでしまいます。

 そこへ殿さまが通りかかり、籠の中の娘をみて、自分の嫁にしたいと、娘をつれ、籠にはかわりに牛の子をいれて知らん顔して帰っていきます。

 やっぱり悪いことはならん。正直にせにゃならんという結び。

 この話は日本各地にあるといいます。たしかに牛と入れ替わるという点では、ネット上でもいくつか見られます。

 古く十一世紀インドの古典「カター・サリット・サーガラ」の「ウダヤナ王行状記」に籠にサルを入れて、美女を手に入れる話が源流であろうという解説があります。

「牛の嫁入り」は,明治23年の初代三遊亭円遊の落語の速記が残っているといいますが、いまではすたれているようです。


ガラシとクルピラ・・ブラジル

2017年05月16日 | 絵本(昔話・外国)


    ガラシとクルピラ/陣内すま・文 ヴァンベレーラ・絵/福音館書店/1992年

 インデイオの昔話で、作者はブラジルにながく住まわれています。

 絵は黒と白,文は赤で、木々のたくさんの葉の一枚一枚が精密にえがかれ、アマゾンの鬱蒼とした森の雰囲気がとてもよくでているように思いました。

 アマゾンのほとりに住むガラシ少年は、父親とはやくジャングルで狩りをしたいと思っていましたが、母親は「もっと弓の練習をして、クルピラのこともしらなくてはね」といいます。

 父親は、「クルピラは、無駄に木を倒したり、子どもの動物やお腹に赤ちゃんがいる動物を捕まえようとすると、狩の邪魔をするんだよ。」とおしえてくれます。

 やがてガラシ少年は狩りについていきますが、途中で父親とはぐれて一人ぼっち。小さなタツー(アルマジロ)をみつけおいかけますが、もうすこしでつかまえそうになったとき、フォーフォーと口笛の音が聞こえます。口笛に気をとられているうちにタツーはいなくなってしまいます。

 足あとをみつけ、その足あとをたどっていくと、激しい息の音がガラシ少年のあとをおいかけてきます。おそろしくて足の力がぬけて、体中がわなわなとふるえだし、気を失ってしまいます。

 やがて目をさましたガラシ少年は月あかりをたよりに、やっと村に戻ることができました。

 村では大きなタツーがたき火の上にのせられていました。
 ところがピューンと強い風がひとふきするとジャングルからイノシシに乗ったクルピラが現れ、しばられていたタツーもくるりとおきあがり、クルピラとかけ去っていきます。

 ガラシ少年がおいかけていたタツーは子どもで、親たちがつかまえてきたタツーにはお腹の中に赤ちゃんがいたのです。

 クルピラは森の守り神。動物を見守ってくれるのですが、大好物はカシリ(お酒)、ベイジュー(おいもでつくったビスケット)、たばこで とても人間的です。雪男のイメージで描かれています。

 しかし、動物をまもりながらも、一方では人間に狩りのルールをおしえてくれる存在です。

 月が独特で、模様のようなマンジョカいもも記憶に残りました。


かたつむりとさる・・ラオス・モン族の民話

2017年05月15日 | 絵本(昔話・外国)


   かたつむりとさる/ヤン・サン・再話 ハー・ダン・下絵 モンの子どもたち・刺繍 訳:やすい きよこ・訳/福音館書店/1994年

 食べ物をさがしていたサルとカタツムリがであいます。サルに歩みののろさをバカにされたカタツムリは、それならどちらが先に三つの山と三つの谷をこえるか、三日後に、競走しようといいます。

 カタツムリは親類縁者と相談し、三つの山と三つの谷のあちこちに先に散らばっておいて、サルが「かたつむり、おまえ どこまで きたかい?」と聞くと「ここまで きたよ」と答えることにして、みごとサルの鼻を明かします。

 絵は、モンのこどもたちの刺繍とあります。タイの難民キャンプに暮らすラオス少数民族の子どもたちが刺繍で描いていて、素朴な感じです。
 
 系統的に読んでいるわけではないのですが、「セミ神さまのお告げ」も刺繍でした。

 「うさぎとかめ」を含め、東南アジアには、カタツムリとほかの動物の競争というのがよくでてきます。
 「まめじかカンチルの冒険」にも、まめじかとカタツムリの競争がでてきました。

 カタツムリは一歩も動かないでサルに勝ったようにみえますが、実は、三日後に競争するというのは、それぞれに散らばる時間も計算にあったのでしょう(それでも三日間では不足?)。
 他の話では、ここまで具体的ではありません。

 モン族は、東南アジアに住む民族の一つで、ハリプンチャイ王国(661年ー 1281年。現在のタイ王国・ランプーン。伝説ではコレラが流行し、ランプーンの都をすてて南下)を建てたことで有名で、後にミャンマーのペグーに移り住んだのでペグー人ともいうという。ラーマンあるいはタラインと呼ばれることもあり、その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。現在800万人程度がモン族を自称しているといいます。


セミ神さまのお告げ

2017年05月14日 | 絵本(昔話・日本)


     セミ神さまのお告げ/古布絵制作・再話 宇梶静江/福音館書店/2008年初版

 油絵、水彩、鉛筆、水墨、クレヨンなどなど絵本の絵もさまざまですが、この絵本はアイヌ刺繡の細かな作業の積み重ねらから生まれた古布絵という独自の手法で表現されていて、重厚感がありました。

 表紙のセミはもちろん、下の台地のランぺシカ・コタン、上の台地のリペシカ・コタンという村を襲う津波、村の暮らしのおだやかな風景が古布絵にぴったりです。

 印象に残ったのは冒頭の部分。

 「二つの村には山のわき水からうまれた川があって、人びとは清らかな水で顔を洗い、のどをうるおし、煮炊きをし、仕事からかえると手足を洗い、洗濯をするなど、人々の暮らしになくてはならないものでした。
 川はまた、鮭や川魚をはこんできてくれました。
 野山にはクルミやイチゴやヤマブドウがみのり、ウドやワラビ、フキやキノコが採れ、海にはコンブや貝や魚がゆたかに満ち、人々はそれはしあわせに暮らしていました。」

 人びとの暮らしをささえてくれた自然の恵み。何か忘れていることを思い出しました。

 ウバユリの花の咲く頃、下の台地にすむ六代の人の世を生きてきたおばあさんが、昼も夜も繰り返し、津波がくると歌をうたいます。

 おばあさんの歌に耳をかたむけた上の台地の村人は、津波から生き延びますが、信じなかった下の村人は、海津波と山津波が一つになった大津波に飲み込まれてしまいます。

 おばあさんは、海の主の怒りをかって、六つ地獄におとされますが、村の守り神、アイヌ・ラックルの妹君が糸を紡ごうとして、糸かけ棒を地面深くにつきさし、六つの地獄をつらぬく穴をあけてしまいます。

 六代の人の世を生きたおばあさんは、糸かけ棒の穴を這い上り、六つの地獄を通り抜け、そして地上に出るとセミ神さまとなって生まれ変わります。

 作者は60歳を過ぎてからアイヌの刺繍を生かした古布絵を編み出したといいますから、なにかをはじめるとき、遅すぎるというのはなさそうです。

 セミは何年か地中ですごすというのは知っていましたが、こんなかたちで昔話(神話?)として残っているんですね。


物おしみ

2017年05月13日 | 昔話(日本)
                            日本の昔話/柳田国男/新潮文庫/1983年

 短い笑い話で、落語になっていてもおかしくありません。

 ある男が、釘を打つため、カナヅチを借りに隣の家にいくと、隣の家の主人は、釘は木の釘か鉄の釘かと聞きます。
 鉄の釘を打つと聞くと、隣の主人はカナヅチは折悪く外に貸して、今手元にありませんとことわります。

 それを聞いた男は、木の釘ならばカナヅチも傷まないが、鉄の釘だと痛むから断るのはけしからぬと怒りますが、

 「それではもういたし方がない。家のカナヅチを出して使おう」と・・・。

 どちらがケチかわかりません。

麦の穂・・ウクライナ

2017年05月12日 | 絵本(昔話・外国)


    麦の穂/エヴゲーニイ・ラチョーフ・絵 田中潔・訳/ネット武蔵野/2004年初版

 絵をかいた人の奥さんが、明るい太陽の光に満ちた楽しいウクライナ民話をいつまでも愛してくださるようにとのメッセージをよせています。

 絵本のタイトルになっている「麦の穂」のほか「長くつを買いに」「おおかみの歌」「おおかみと子羊」の3つの話がのっています。

 「麦の穂」は働かないもの食うべからずといったところか。

 「長くつを買いに」はねこを食べようと思ったきつねが、いぬのブリースコに追われて逃げ出します。

 「おおかみの歌」は、欲をだしすぎたおおかみときつねが、せっかくの獲物が元の木阿弥になります。

 「おおかみと子羊」は、子羊の知恵で、わなにかかったおおかみの話で、イソップを思わせます。

 色使いも鮮やかで、文字も太字で読みやすくなっています。

 ねこが冬にそなえるため長靴を買いに出かけますが(長くつを買いに)、ねこと長靴という組み合わせは、ペローの「長くつをはいたねこ」だけではなさそうです。

 「麦の穂」は、オンドリが拾った麦の穂をたたいて実をとろうとしても、子ねずみは遊んでばかりいて手伝いません。粉ひき小屋に運んで小麦粉にしようとしても、子ねずみは手伝いません。ピロシキを作ろうとしても、子ねずみは歌って踊っているだけ。それでもピロシキが焼きあがると、呼んでもいないのに子ねずみはやってきて、ピロシキを待ちますが・・・・。

 子ねずみの名前は、チュウチュウとチョロリー。子ねずみとおんどりの掛け合いが楽しい話です。


矢村の弥助・・・長野

2017年05月11日 | 昔話(北信越)

         日本の昔話/柳田国男/新潮文庫/1983年


 信州の話。

 矢村にすむ弥助という男が、ある年の暮に正月の買い物に行って、わなにかかった山鳥を逃がしてやります。

 すると若い娘がたずねてきて、雪に降られて難儀をしているので春になるまでおいてくださいと弥助の家で、おばあさんの代わりに家の用をしてくれるようになり、やがて弥助と結婚することに。

 「鶴の恩返し」にみられる出だし。

 それから、何年か後、、三人仲良く暮らしているうちに、有明山に悪い鬼が現れ、弥助は田村将軍のおともをしてそれを退治しに行くことになります。

 出発の前に、弥助の女房は「有明山の鬼は魏死鬼といって、ただの矢では倒すことができない。十三の節ある山鳥の尾羽をつかうように話し、私はずっとむかしの年の暮れにあなたに助けていただいた山鳥ですと言い残し、何処かへ飛んでいってしまいます。

 その羽根のおかげで、有明山の鬼が退治され、日本アルプスが明るい山になり、弥助もその手柄で莫大な褒美ををもらい、永く信州の山奥に名をとどめることに。

 安曇野ではよく知られた話のようで、鬼は別に八面大王ともよばれているようである。

 この話では悪者扱いであるが、全国統一を目指す大和朝廷が、東北に侵略するにあたり、信濃の国を足がかりに 沢山の貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめていたので、そんな住民を見るに見かねて安曇野の里に住んでいた八面大王が立ち上がり、坂上田村麻呂の率いる軍と戦ったという説もあるという。 


 検索したら、長野県安曇野市穂高有明矢村という地名があったので、ここでの伝説のようです。