どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

大入道と山んば・・奈良

2024年04月19日 | 昔話(関西)

        奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 「山んば」は、日本の昔話にかかせないキャラクター。この山んばが、大入道のつれあいだったという話。

 

 むかし旅人を苦しめる「一本たたら」がでる峠に、村人が播州(兵庫)のヒギリの地蔵さんをまつって、そのとなりに、こもり堂をつくって、付近の村の人が堂守にきていた。


 ひとりの猟師が、この地蔵さんの近くの山の中にとまり、焚火をしていたとき、ブナの木のふたまたのところにどえらい大入道がすわっていた。大入道から「声くらべ」しようともちかけられ、一計を案じた猟師は、大入道をむこうをむかせ、鉄砲を、大入道の尻めがけて、鉄砲をぶっぱなした。大入道は鉄砲の音を猟師の声とききまちがえて、「いままで聞いたことのない、えらい大きな声や。きもちまでこたえた」と言って、逃げた。

 あくる朝、大入道のつれあいの山んばがでてきて、「ゆうべのかたきをうつぞ」という。びっくりした猟師は、鉄砲を何発もうったが、うってもうってもあたらない。山んばは、逃げ出した猟師をおいかけたが、きゅうに追うのをぴたりとやめて、「かたきをうとうとやってきたが、地蔵が邪魔して、どうしても、かたきをうつことができん。鉄砲の玉だけかえしてやる。」というと、どこかに消えてしまった。そしたら、昨夜大入道がすわっていた、ブナのふたまたの間から、鉄砲の玉がとびだしてきたそうや。

 地蔵が邪魔したというのは、こもり堂で守をしていた人が、山んばの足あとにびっくりして「地蔵さん、お助け。」と、おがんだやろかな。

 

 「一本たたら」は化け物でしょうか?。また、ヒギリの地蔵さんがでてきますが、なにか伝説がありそうです。説明のようなものはありませんでした。 


お田引いたん、見いたかえ・・奈良

2024年04月14日 | 昔話(関西)

        奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年

 

 むかしむかし、地黄という村に惣五郎という名のじいさまがいた。ある年の田植え時期に三段御作(約0.3ヘクタールの広さの田)の田の植えつけをおえて、夕方家に帰ろうとすると、道ばたにある野井戸の中に子ギツネがはまっておぼれ死んでいた。えらいところで死んだものやと、子ギツネを拾いあげ、畑のすみっこに 小さい穴を掘って ていねいにほおむってやった。

 その夜、トントン戸を叩く音がして目を覚ますと、「惣五郎どん、お田引いたん、見いたかえ、三段御作、みな引いた。」と誰かが叫んだ。じいさまが戸を開けてみたが、だあれもいなかった。朝になって、じいさまが田んぼにいってみると、きのうえらいめいして植えた苗が、なんと一本残らず引き抜かれておった。

 すぐに近所の者にたずねたが、だあれも知っているものがいない。悔しくて、寒くもないのに がたがた ふるえとったが ふと思い出して、畑にいってみると、子ギツネの死がいもなかった。「ハハーン、こりゃ、きっと親ギツネがおもいちがいしているにちがいない。さかうらみするとは、なな なんちゅうやつや。」って、どえらくカンカンになって、「わしは、おまえの子どもがおぼれて死んでいたのを ほおむってやっただけやないか。おもいちがいも、ほんまもう、ええかげんにせんかい!」と、でっかい声を張りあげながら歩きまわった。

 その夜、「ヨーイセエ、エーラセエ、ヨーイセエ、エーラセエ」と、伊勢音頭がきこえてきた。そして、トントンとをたたく音がして「惣五郎どん、お田引いてすまなんだ。三段御作、また植えた。」といった。

 つぎの朝、戸を開けてみると、戸の前には一尺ほどもある、大きな鏡もち一重ね、どーんとおいてあった。田んぼにいってみると、三段御作の苗も、またもとどおりに植えられていた。

 また、こんなさけび声がしたと。「お田引いたん見いたかえ。お田引いてすまなんだ。三段御作、また植えた。」

 

 キツネの存在感が楽しい。さけび声のリズムがそのままタイトルになっていますが、どんなだったのか気になるところ。


縁起の歌・・京都

2023年11月04日 | 昔話(関西)

     いまに語りつぐ日本民話集5 あわてんぼうの早とちり/監修:野村純一・松谷みよこ/作品社/2002年

 

 ある長者の家で、お正月に招かれた一休和尚に、女子衆が、お茶をもってきて、お茶を差し出すのに、ちょっとけつまずいて、お茶をこぼした。女子衆がびっくりして、雑巾で床の間のほうを拭いた。すると主人が、「この正月のめでたいのに、座敷を雑巾で汚すというちゅうことあるか」って、えらく、怒った。

 そこで、一休和尚が歌で とりなす。

  「雑巾という字を当て字に書けば 蔵と金

   あちらふくふく こちらふくふく」

 するとその主人、「あー結構なことしてくれたな、してくれた。正月早々から、あちら福々、こちら福々」と、喜んだと。

 

 同音異義は、うけとめようで いい意味にも、悪い意味にも!


あの鬼こわい・・京都

2023年08月08日 | 昔話(関西)

        京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 薬屋の向かいのうちのよめさんが、だんだん顔色が悪くなり、からだもやせて、ものもあまり食わんようになった。

 主人が、わけをきくと、家の前の薬屋が家を普請し、大屋根に、目はらんらんとかがやき、おとなでもかぶりつかれそうな鬼瓦をすえたので、それをみると胸がドキドキし、夜も、寝ようと思えば思うほど、寝付かれないという。主人はさっそく薬屋へいって、よめさんの話をして、鬼瓦をおろしてもらおうとするが、薬屋は、特別に作ってもらったもので、おろすわけにはいかないという。

 薬屋とむかいの主人が、「おろせ。」「おろさぬ。」と、けんかをしていると、医者がやってきて、深草の焼き物屋にいって、薬屋の鬼瓦に負けんくらいの、でっかい瓦の鍾馗さんを特別につくらせ、薬屋のむかいに屋根にドカンとおいたそうな。すると、よめさんの病気もいっぺんになおったという。

 医者の話では、唐の玄宗が重い病気になったとき、皇帝の夢の中にこの鍾馗さんがあらわれ、皇帝を苦しめている鬼の目玉をぐいっとえぐりとって、食い殺すと、皇帝の病もすっかり治って長生きしたというから、よめさんの夢の中にあらわれる病気の鬼も、きっと鍾馗さんが食い殺してくれるだろうと 鍾馗を屋根においたという。

 それから京では、大きい鬼がにらみをきかしているうちのむかいの屋根には、きまって、剣をふりあげてたっている瓦の鍾馗さんがおかれるようになったやそうな。

 

 京都らしい話。玄宗皇帝がでてくるのは、ほかの地域ではどうでしょうか。


ぶんぶくの旅・・京都

2023年08月03日 | 昔話(関西)

        京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 京見物をしたいと、せっせと銭をためていたぶんぶく。

 ある日、魔物が出るという上林の川っぷちをとおりかかると、きゅうにきれいなあねさんすがたの女の人が現れ、「わてはこの淵の主でなあ、あんた近いうちに京見物に行くこと、よう知ってとるんじゃ。それでひとつ、たのみがあるんじゃが、この手紙を京のみどろが池の主んとこへもっていってくれないか」という。ぶんぶくが、どないしようかと思案しとる間に、その女の人は、手紙と一文銭を百ほどさした細い縄(銭さし)を一本おいて、また、すぅーと淵の中にきえてしもうたげな。

 それからしばらくして、村の衆と京見物にでかけたぶんぶく。とちゅうで、めし代やらはたご代に、その銭さしから、十文、二十文とはらっていたが、その銭さしの銭は、あくる朝になると、ちゃんともとの百文になっとるんじゃ。ふしぎなことあると思っていたぶんぶくは、そのことを人には話していなかった。

 京についたぶんぶくは、ねっからの正直者やさかい、さっそくみどろが池に、たずねて行った。そこへいくとちゅうに、口が耳までさけた、大きな犬が二ひき頑張っているといわれたが、きっと目を閉じてそこを通り抜けたぶんぶく。その淵から、最初のあねさんにもまけんくらいきれいな女の人があらわれた。

 手紙を受け取った女の人は、「まあ、ちょっとおこしやす」と、ぼぅっとしているぶんぶくの手を取って、池になかにつれていった。水の中といっても、ちっとも冷たくもないし、息苦しくもない。そこには、いままでみたこともないようなきれいな館。ここで三日すごした、ぶんぶくは、京で帰りを待つ仲間のことを思い出し、帰ることに。

 みどろが池のあねさまから、金がいっぱいはいった袋をおみやげにといわれるが、ぶんぶくは、重いものは旅の荷物になるさかいと、これを辞退すると、あねさまがお土産にくれたのは、手のひらにのるくらいの小さな白犬。この小犬は、一日に米ひとつぶやったら、金のつぶ三つ生みという小犬。

 京に帰ってみると、仲間も宿の番頭さんも知らん人に。それもそのはず、みどろが池の一日は、ふつうの三年にもあたっとったげな。

 九年たって、村へもどったぶんぶく。ぶんぶくの おっかさんは、一日に三つの金のつぶでは、ものたらんようになって、一升ますの米を、むりやり食わせると・・。

 

 竜宮伝説やら、金のつぶを生む小犬に、むりやり食べさせて、元の木阿弥になるなど、どこかで聞いたことがある話です。銭さしは、どうなったことやら!


井戸に落ちたかみなり・・三重

2023年05月11日 | 昔話(関西)

        三重のむかし話/三重県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 「地震、雷、火事、親父」とくると、怖いものの典型。まあ、今のご時世では、親父の権威も散々。

 

 ある日、にわかに黒い雲が広がって、カミナリがなった。ドンバリという音がして、しばらくすると「助けてくれ、助けてくれ」と、神社の深井戸の中から聞こえてきた。

 村の人たちがのぞいてみると、落ちていたのはカミナリ。カミナリは、「落ちそこなった。たのむ助けてくれ」と、あわれな声を出したが、カミナリになんべんも暴れまわられたら大変と、村人は、重い石の蓋をして、二度度出られんようにした。

 それでも、カミナリが、もう悪さをしないと頼んだので、さすがに村人もかわいそうになって、「これから村に落ちんと約束出来たらゆるしてやる」というと、カミナリは、「二度と落ちたりしません。そのしるしに、たいこ一つを井戸において帰ります。このたいこがあれば、この井戸は、年中いっぱいみずがたまります。どうぞだしておくれ」と、頼んだ。

 村人は、カミナリをだしてやった。それから、この村にはカミナリが落ちなくなったという。

 

 自然現象との付き合い方も、科学の進歩によってだいぶ変わってきました。


てんぐのうちわ・・三重

2023年05月08日 | 昔話(関西)

        三重のむかし話/三重県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 ばくちの好きな男が、負けが込んで、手にもっていたサイコロを振って「丁(偶数)見たか,半(奇数)見たか。」とやっていると、このようすを見ていた山のてんぐが「京(京都)見たか、阪(大阪)見たかて、ひとりごとをいうとるが、はて、みょうなやつじゃなあ。」と、聞き違えサイコロに興味をもった。

 男は口から出まかせに、ふしぎな品物だといわんばかりに、サイコロをみせびらかした。サイコロが欲しくなったてんぐは、空をとぶことができるはねと、トーミうちわ(ねがいごとがなんでもかなううちわ)を差し出して、サイコロととりかえた。

 男はすぐに大阪へとんで、よめいりじたくのまっさい中の、大きな家のむすめの鼻をのばしたりすっこませたりして喜んでいたが、むすめが泣きじゃくるのを見て、かわいそうになってややめてしまう。

 そのうち、自分の鼻をあおいでみようと、トーミうちわであおぎだすと、のびるわのびるわ、ずうっとのびて江戸の両国までのびてしまう。長い鼻を見た江戸の人たちが、「みょうなものやね。」と、めずらしがるので、男はとんでいって、「こうや、こうや。」と、わけをはなすと、見世物小屋で、おおぜいの人の前で、やってみせることに。

 鼻をのばしたりちぢめたりする見世物小屋は、毎日大入り満員になり、男は、大金をもうけて、おやじをよろこばせた。それで今でも江戸のことを、「鼻(花)のお江戸」というという。

 

 てんぐが、だまされてくやしがるところもなく、男も悪さをするわけでもなく、何かオチが先にあるような話。


すつぼ池・・大阪

2022年12月24日 | 昔話(関西)

     大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年

 

 惣平という飛脚が仕事を終えて「とろす池」のそばをとおりすぎようとすると、白い髭の老人から声をかけられ、久米田池の主に渡してくれるよう一通の手紙を差し出される。

 「池のそばで手を三つ打つと、池の主がでてくる」といわれ、惣平は大きな力にひきずられるようにいつのまにか久米田池までたどりつきます。

 手を打とうとするが、どんなこわいことがおこるかわからんので、おそろしさにふるえていると、ひとりの坊さんがとおりかかります。惣平が坊さんに、ありのままをはなすと、坊さんが手紙をあけてみます。そこには、「この男をたべてしまえ。」とあったので惣平はおどろいて、これはみ仏にすがるしかないと、念仏をとなえました。お坊さんは、手紙をかきかえ、久保田池の主に渡すように言うと、立ち去っていきます。

 惣平はもうにげられないと観念し、池にむかって手を三つ打つと、池の中から、それはそれは美しい女があらわれます。惣平が手紙をわたすと、女は手紙を読み上げます。

 「この男は、正直な人だから、何かよいものをあげておやり」

 惣平が、女の人からもらったのは、いくら出しても出しても、なくならない酢つぼでした。女は、つぼのなかは、けっしてのぞいてはいけないと念をおします。

 惣平は、酢屋の店を開いて、しばらくのうちに大金持ちになりますが・・。

 

 手紙を書き換えるのは、外国にはよくみられるパターン。飛脚は、荷物を届けるのが仕事で、手紙をとどけるのも自然です。


ガタローに勝った子ども・・大阪

2022年12月23日 | 昔話(関西)

     大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年

 

 先入観で、どこでも同じと思うと、ちがう呼び方もあるようで、これもその一つか。ガタローというのは河童のこと。

 

 体が小さくて子どもの姿をしているガタローは、子どもを相撲に誘い、池の底にひきずりこんで、おしりから生き血をすうという。

 ある日、ガタローが、池のふちで遊んでいる子どもと相撲をとるが、どうしてもその子に勝てない。ガタローは、首をかしげけ、「こら、子ども、おまえはきょう仏さんのごはんをたべてきたな。そんなことをするから、おれはお前に勝てんのや」と、捨て台詞をのこして池の底にかくれてしまう。

 仏さまにお供えしてあるごはんを、”おっぱん”という。


山イモ長者‥和歌山

2022年07月09日 | 昔話(関西)

          和歌山のむかし話/和歌山県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年

 

 類似の話が多い長者伝説のひとつ。

 山イモほりの名人という若者が、都の人をよめさんにもろうた。

 よめさんは都そだちなもんやから、毎日使う油や針、糸まで湯浅の町まで買いにいかにゃならんかった。

 買いに行くのはむこさんのしごと。むこさんは、はじめてこばんを持たしてもらったが、値打のあるものと知らなんだ。

 山の中でくらしていたむこさんが、海がみえるところでカモメがとんでいるのをみて、石でもぶつけてつかまえようとした。石を拾うてぶつけたらいいのに、もっていたこばんをぶつけてしまった。こばんをなくし、手ぶらで帰ってきたのをみて、よめさんは おこったのてなんて。

 すると、むこさんは、「あれがたかい物かいな、そんなんやったら山にいっぱいあら」と、よめさんと裏山へ。がしゃ原をかき分けてあがったところに、アセンビ(あせび)の株がはえている。そのそばを掘ってみると、こばんがいっぱい出てきた。

 ふたりで、ありったけのこばんをほりだして、そのこばんで、りっぱなごてんをたてたんやと。

 

 アセンビ(あせび)というのが気になりました。


徳さん夢みて角さんもうけた‥和歌山

2022年07月07日 | 昔話(関西)

      和歌山のむかし話/和歌山県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1974年

 

 楽しいタイトルで、こんなタイトルなら興味をひかれそう。

 

 他の人が見たという夢を、正夢だろうと、夢の場所にいってみると、小判を見つける話。

 むかし、徳さんという男と角さんという男がふたりでイノシシをおっかけていた。ねることがすきな徳さんが、疲れてぐっすりこんとねてしまうと鼻の中からハチが出たり入ったり。

 それを見ていた角さんが、徳さんをゆすぶっておこすと、徳さんは、谷の横の大きな岩のほら穴に、ぎょうさんの小判が落ちていた夢を見ていたら、おこされてしまったとぶつくさぶつくさ。

 正夢に違いないと思った角さんは、徳さんを先に帰し、自分が、岩のそばの穴をのぞいてみると、まさかと思った穴の中に、小判が光ってつまっていた。

 徳さんも半分の半分の分け前をもらったという。

 「ねぼうの徳さん、そんしたそんした。さあ、はよねてはよおきよ。」と、結びも軽快です。


お茶つぼ道中・・京都

2022年06月30日 | 昔話(関西)

         京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 昔といっても江戸時代。大名行列がくると、道を歩いているものはもちろん、そばで農作業しているものも土下座して見送らなければならなかった時代。とちゅう、頭を上げたり、その行列を横切ったりしたら打ち首にされることも。

 宇治川にかかっている赤い宇治橋を物々しい行列がやってきた。みんな土下座をしていると、かごの中からいいにおい。うっすら目をあけてそっと見ていると、かごが揺れた瞬間に、みえたのが絹に包まれた茶つぼ。なんとお茶つぼ道中だったという話。

 宇治の茶は、全国一ええお茶というので、毎年新茶を江戸の将軍にとどけたという。このお茶つぼ道中には、大名行列も道を譲らなければならなかったという。

 

 京都らしいお話。


米だし地蔵・・京都

2022年06月29日 | 昔話(関西)

          京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 ひとりの男が用事がすんで帰る途中、頭から雪をかぶったお地蔵さんが寒そうにしているのをみて、背負って帰り、囲炉裏の火をぼうぼうに燃やし、火にあたらせます。

 まっかにもえる囲炉裏の火で、ぬくもりが家の中いっぱいにひろがり、おじぞうさんの顔もやさしい顔になりました。すると、どういうことか、お地蔵さんの口から、ぽろっとひとつぶ、白い米がこばれます。びっくりしてみていると、またぽろり、またぽろりと、米のつぶがこぼれでてきた。おかしなことに、家の人が一日食べられる量になるととまります。

 つぎの日も、次の日も米がぽろぽろ出てくるので、家のもんは両手をあわせて感謝していた。

 ところが人間というのは、だんだん欲が出てくる。お地蔵さんの口を、もっと大きくすると、たくさん米が出てくるんじゃないかと考え、金てこで、お地蔵さんの口を、ほじくって大きくすると・・・。

 

 いくら米を作っても、年貢米としておさめなければならなかった人々の嘆きにも、ふれられています。


比治山の天女・・京都

2022年06月26日 | 昔話(関西)

        京都のむかし話/京都のむかし話研究会編/日本標準/1975年

 

 羽衣伝説ですが、後日談に特徴があります。

 比治山のすその村に住んでいた若い猟師の三右衛門が、山の池の木に、これまで見たこともないほど、すきとおっている衣をみつけ、うまいこと弓のはずに、ひっかけ家に戻ります。

 池で遊んでいた天女は、正直者で知られている三右衛門がまさか衣をもっていったとは信じられませんでしたが、まずは、三右衛門にあたってみるしかないと村へおりて、そのまま夫婦に。

 ややこが三つになったある日、天女は床柱に隠してあった羽衣を見つけ、書置きを残し天界へもどります。

 三右衛門は、書置きのとおりにして、天上にのぼりつきます。天女たちに歓迎され、なつかしのかかにもあえて、やれうれしやと思ったが、せっかくきてもする仕事がない。うり畑の番でもしてくれといわれるが、とって食うなといわてれていた。けれども、いいにおいにつられて、ひとつぐらいならと、うりを食べてしまう。ほっぺたが落ちるようなうまさに、いくつも食べていると、にわかな大水に、流されて気がついたら我が家に流れ着いていた。

 それを見ていた天女が「七日七日にあいたい」というが、とちゅうでとりついだアマノジャクが「七月七日にあうで」といったので、天女と三右衛門は、一年に一回だけ会うようになったという。

 三右衛門がながされた川は、いまでも天の川になって残っているという。

 

 子どもがどうなったかがでてこないのはご愛敬でしょうか。

 羽衣をかくしてある場所も。蔵、おひつ、ワラ束の中、畑の中、花の中、藪の中など昔話によっていろいろ。


大入道・・三重

2022年06月04日 | 昔話(関西)

          三重のむかし話/三重県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 毎年開かれる四日市祭りの、ろくろ首の大入道のいわれ。

 

 四日市の町に、商いをする人たちがすみついところの話。

 反物の商いをしている久六の店に、身の丈六尺もある大きな男が訪ねてきて、店で使ってくれという。久六が、小さい店で、若いもんを使ったこともないとことわるが、給金もいらないからといわれ店で使うことに。

 大男がきてからというもの、ふしぎなことに久六の店に反物を買う客が増えはじめた。売り上げもぐんぐんふえ、大男がきてから三年もすると町でも指折りの大きな店になった。

 久六が、うちの婿になって、この店を継いでくれるよう頼むと、婿になれるような男ではないとことわられる。

 そんなことのあった次の年の夏、寝苦しい夜更けに、大男の部屋の前を通ると、障子におおきなかげが。首が胴から長く伸びて、頭がゆらゆら。おまけに、行燈の油を、なめていた。あまりのことに、久六は、気を失ってその場に倒れてしまった。つぎの朝、大男の部屋にはだれもおらず、着物がきちんとたたんでおいてあるだけだった。

 

 四日市祭りの大入道は、どこへ行ったかわからん男の無事を祈ってつくられたのがはじまりという。

 地元の人でないと、楽しさが伝わらないかも。