どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

子ヤギ・・アルゼンチン

2022年10月31日 | 昔話(南アメリカ)

          ラテンアメリカ民話集/三原幸久編訳/岩波文庫/2019年

 

 最も弱いと思われる動物が、恐ろしい動物をやりこめる話。

 

 あるおばあさんがもっている野菜畑に、子ヤギが一匹畑に入ってきて野菜を食べていました。おばあさんが子ヤギを引き出そうとすると、足蹴にすると脅したので、お婆さんは逃げ出し、誰かに助けを求めようとしました。

 キツネに出会い、おばあさんが「子ヤギがわたしの畑に入ってきて野菜を食べているのを見ていても、自分の力で追っ払えないんだよ。これが泣かずにおかれましょうか」と答えると、キツネは、おばあさんと子ヤギのところへいきますが、「ぼくは子ヤギの中でもえり抜きの強い子ヤギだ。出て行ったらお前をけとばしてやる」と言われ、去っていきました。

 おばあさんが雄牛に会い、おなじように子ヤギのところへでかけますが、キツネと同じように、子ヤギに驚かされ、子ヤギを追い出す力はないといって、去っていきました。

 次に小アリと、野菜畑に。小アリは草むらに身を隠し、子ヤギの足によじ登り、ここぞと思うところにくると、思い切り刺しました。子ヤギはあまり痛いのでびっくりして立ちあがり、畑から飛び出して逃げて行ってしまいます。

 おばあさんがお礼に小麦をやりましたが、小アリはその中から一粒だけ受け取って家にかえりました。

 

 ここでは、強いと思われる動物が二匹だけですが、さらに追加することもできるし、アリでなくてもハチでもよさそう。動物の登場にも工夫ができるし、応用範囲が広そうです。


キクの開花

2022年10月31日 | 日記

 つい先日まで蕾だと思っていたらあっというまにキクが開花。昨年移植しておいたもの。たしか黄色もあったはずなのですが、ピンクだけ。


ジャック船長とちびっこかいぞく

2022年10月30日 | 絵本(外国)

    ジャック船長とちびっこかいぞく/文・ピーター・ベントリー 絵・ヘレン・オクセンバリー 訳・やましたはるお/BL出版/2016年

 

 ジャックとザックとカスパーは、ゆうかんなちびっこかいぞく。
 砂でつくったかいぞく船にシャツのセイルと、マストにはよだれかけの旗、衝突除けには浮き輪、たいほうは 三つのバケツではるか遠く陸地を離れ、見知らぬ海へと胸躍らせるジャックと あらくれかいぞく。

 前方にかいぞく船を発見。たからものを 横取りしようとかいぞく船をおいつめる。敵のかいぞく船には あらくれ男たち。

 え!砂の船と、びっくりしていると、どうやら これは 想像の世界。

 嵐にあって ついた先は、バンガローがならぶ海辺。はらぺこ かいぞくが 見つけたのは おいしそうな クッキー、ジュース。敵のかいぞくがやってきたと思うと、お兄さんやお姉さん。敵のかいぞくからもらったのはアイスクリーム3個。

 ちびっこかいぞくは、ならんで アイスクリームを ほおばります。

 

 家族で海にいったちびっこ3人が、かいぞくごっこ。文だけ見ていると とても荒々しさにみちています。これと かわいいちびっこのギャップに だまされました。

 街中でこどもの姿を見ることがほとんどなくなりました。で、ごっこ遊びをするのは皆無。いま、こどもたちは、かいぞくごっこをすることがあるでしょうか。どんな想像を働かせて遊んでいるのでしょうか。


サルとお経・・新潟

2022年10月29日 | 昔話(北信越)

          新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 徳のあるおぼうさんと、サルのしっとりとした話。こんな昔話もあります。

 

 お坊さんひとりの古い由緒の寺に、いつのころからか2ひきのサルがやってきて、お坊さんの読む経を、熱心に聞いているようになった。雨の日も風の日も休まず100日あまり。

 不思議に思ったお坊さんがわけを聞くと、経を書いてくれというような身振り。お坊さんが「望み通り経を書いてしんぜよう」というと、五、六日すぎたある日、何百びきものサルが、木の皮を寺の前に置いていきました。

 お坊さんは木の皮をすいて紙を作り、よい日を選んで経を書きはじめた。経を書きはじめると、サルは、前にもまして、熱心にお寺にやってくるようになり、さらに山イモやカキ、ナシなどの実をたくさん持ってきて、寺の前においていく。

 坊さんが第五巻まで書き終わったときのこと、どうしたことか、毎日、休まずにかよっていたサルのすがたがみえなくなった。何日もすがたが見えないのを心配したお坊さんが、あちこちを探したところ、土のなかに頭をさしこんで、うずくまって死んでいる二ひきのサルを見つけました。サルを丁寧にほおむり、経を読み、サルの後生を弔った坊さんは、まだ書き終わらない経を、寺の柱を削ってあなをほり、その中に、大切におさめました。

 それから四十年後、都から新しく国司(いまの県知事)がやってきて、まだ書き終わっていないお経がないか尋ねます。坊さんたちがだれも答えられずにいると、八十をすぎた立派な坊さんが出てきて、サルの話を、国司に話します。そしてこれまで書き上げたお経を国司に差し出しました。国司夫婦は、お経を書き終えていただくため、人間としてこの世に生まれてきた、そのサルは、夫婦の前身だという。これからも、このお経をさいごまで書き続けるよう、お坊さんに頼みます。

 お坊さんは心に感じ、国司の願いをきき、経の書き写しを熱心にはじめます。そして出来上がった経を完成させ、国司にさしあげます。そのご、坊さんはりっぱな生き方をし、国司も越後の国司として、しあわせな一生をおくります。


わたしのかみがた

2022年10月28日 | 絵本(日本)

    わたしのかみがた/樋勝朋己/ブロンズ新社/2021年

 

見ている人に、やさしく語りかけます。

赤い帽子をとると、網込みに もじゃもじゃの髪型。編み込みをほどくと、長い髪型。

でもはじめから こうじゃ なかった。

はじめ、短かかった髪がどんどん長くなって、バナナの黄色にしたり、いちごの赤い色にしたり。

でも、葉っぱの緑色にしたとき、悲しい気持ちになって、新しい自分になりたくて 髪を切ったの。

パーマをかけると、髪がもじゃもじゃになって・・。そのもじゃもじゃに とりさんがきてくれて おやつを 食べたり、おひるねをしたり、うたってくれたり。だけどパーマが のびてくると、とりさんたちが すべって おちちゃう。

どうしたら とりさんたちが 安心して暮らせるか 考えて たくさんたくさん編むと、とりさんたちも 安心してくらせる 髪型になったのよ。

 

はじめからおわりまで同じ構図。しかし、顔の表情、髪の形と色、洋服がつぎつぎとかわっていきます。

髪型で印象がガラリとかわりますが、自分のためだけでは なさそうです。

これからは、帽子をかぶっている人を見たら、なかの髪型を想像してみようかな。思いがけない一面が発見できそう。


おやどのこてんぐ

2022年10月27日 | 絵本(日本)

 

    おやどのこてんぐ/朽木 祥・文 ささめやゆき・絵/福音館書店/月刊予約絵本「こどものとも」10月号/2022年

 

 おやどの主人とカラスににた小天狗の軽快なやりとりと、ささめやさんの絵がマッチしていつのまにか物語の世界へ。

 

 さびしい、さびしい山のうえに、ちいさなお宿があり、お宿の主人が たったひとりで切り盛りしていた。

 お宿の座敷の襖には いつの頃からか 小天狗が 描いてあったが、この小天狗が襖を抜け出し、宿の主人が集めた蜂蜜を、いつもいつもからっぽにしていた。これを見ていた主人が お坊さんに相談すると「みえなければ ないのとおなじ」というので、蜂蜜の壺を、鍵のかかる箱に入れると、蜂蜜は無事だったが、小天狗は毎晩毎晩うろつくようになり、お客がいようがいまいがお宿のなかを バタバタ ウロウロ。とうとう「こわいこわい」「きみがわるい」とうわさになって、客が一人も来なくなった。

 こまった主人が、また坊さんに相談すると「ふむ。かえるには へび。ねずみには ねこ。てんぐには さばじゃ」という。お宿の主人が さばを 焼きはじめたとたん、小天狗は襖に戻り、それっきり 出てこなかった。

 だが、さばはいつも手に入るわけではない。さばのない日、小天狗は 襖から飛び出し、昼だろうが夜だろうが うろつきまわり、障子を穴だらけにしたり、壁にいたずら書きしたりと、やりたい放題。

 またまたお坊さんに相談すると「絵の天狗には 絵のさばじゃ!」。そこで、大きなさばと いい墨を買ってかきはじめた主人。これが いくらかいても ふなや めだかや 金魚になってしまう。小天狗はそれをみて くちばしをならして ケタケタ。面白がる小天狗に 主人は うんざり。うっかり 墨を ぶちまけて どっぷり さばに かけてしまった。そのとき、主人は ひらめいて・・・。

 おやおや、小天狗は 雲の階段をポンポン はねて にげていった。こののち 山のお宿は「立派な さばの 魚拓もあれば、小天狗の おとしものまで あるんだそうな」と、すっかり評判になって、お客もまたくるようになったとさ。

 

 なんとも憎めない小天狗。次はどこの襖に潜り込んだやら。


猿供養寺の人柱・・新潟

2022年10月26日 | 昔話(北信越)

       新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 猿供養寺の村は、毎年毎年、春先の雪解けのころや、雨がいっぱい降る秋の終わりごろになると、きまったように地面が動いて、田畑がこわれたり、家がくずれたりしていた。

 この年も春先の地すべりがはじまり、村の人たちは、いままで動いたことがない松の木屋敷で、地面が止まるまでおいのりをはじめた。三日もいのり続けても地面の動きは止まらず、だんだんひどくなって、どろ土に巻き込まれる家も出てきた。村じゅうで、おしよせる土を取りのぞく仕事が四日も続き、地すべりがはじまってから八日目に、地の神さまに、生きたまんまの人をうずめて、おまいりするしかないと、相談がまとまりました。

 わかい娘や年寄りが名乗りをあげますが、さてだれにするかで少しもきまらない。そこにやってきた旅のぼうさんが、地すべりがはじまってからのことを聞くと、「わしが人柱になろう。わしにその役目をさせてくれんか。なかのよい村のしゅうをだれひとりなくしてもいけねえ。わしは、仏につかえる身じゃ。こんなよい人たちのお役に立てれば本望じゃ。」といいます。

 つぎの朝、ぼうさんは身を清め、白い着物を着て最後のお経をとなえます。それから、ほってある穴にはいります。村の人は、涙ながらにかたくかたく土をかぶせました。

 それから何日もしないうちに、大地の動きはすっかり止まりました。

 

 1937年松の木屋敷から瓶が発見されました。このなかに、おいのりしている人のすがたがあり、調べてもらうと、ハ百年も前の旅のおぼうさんだろうという。村の伝説が本当らしいという後日談は興味深い。ただ人柱が本当にあったとすると複雑な気持ちです。


子どもの本で平和をつくる

2022年10月25日 | 絵本(外国)

    子どもの本で平和をつくる/キャシー・スティンソン・文 マリー・ラフランス・絵 さくまゆみこ・訳/小学館/2021年

 

 戦争ででた瓦礫が散乱する町。

 パパが戦争で亡くなり、いつもひもじいおもいをしていたアンネリーゼと弟のペーター。市場にいくとオレンジの皮がおちていました。おなかがぐうぐうなったアンネリーゼでしたが、それでも泥をきれいにはらって、ペーターにわたしてあげました。

 そのとき、ちかくにある大きな建物に、人々がならんで入っていくのが見えました。食べ物かなにかもらえるのかもと、ふたりはその列にならびました。入ってみると大広間には数えきれないほどの本がならんでいました。アンネリーゼはうれしくなり、それから悲しくなりました。よく本を読んでくれたパパが亡くなっていたのです。

 アンネリーゼとペーターは、つぎつぎに本を見ていきましたが、入ったとき、大人たちに話していた女の人から、閉める時間だといわれてしまいます。

 つぎの日、市場のお店の人がよそ見している間に、ぶらさがっているソーセージをひとつぐらいもらってもいいのではないかとおもったとき、弟のペーターから「きょうも、本のあるとこにいける?」といわれ、アンネリーゼはハッとして 手をひっこめました。泥棒をしたらママが悲しみます。アンネリーゼは、本をみていれば、おなかがすいているのも、わすれられるかもしれないと、昨日見た本が並べられている大広間にいきました。  

 広間では、きのうの女の人が、子どもたちに絵本を読んであげていました。牛が闘牛士の望むような戦いをしないで、花の咲く丘にもどる絵本でした。それからピノッキオやハイジ、ピッピの本なのことなども話してくれたのです。帰り道、アンネリーゼは、パパもママもいないひとりぼっちのピッピのことを考えていました。

 その夜、ママが親切な農家から野菜をいっぱいいただき、たっぷり食べることができたアンネリーゼは、弟に寝る前のお話をしたあと、夜おそく目をさまし、月の光にてらされた瓦礫のあいだに咲く花や木をみながら、戦争で壊れた図書館のまわりをきれいにしようとおもいながら、眠りにつきました。


 第二次大戦後まもなく、偶然図書の展示会にはいったアンネリーゼという少女が、本の読み聞かせから、前にむかって歩きはじめるところまでが描かれています。

 本文だけではよく理解できなかったのですが、物語の図書の展示は、1946年イエラ・レップマンという人が20の国へ呼びかけ届いた本を、ミュンヘンの「ハウス・デア・クンスト」で開催した実際の図書展といいます。

 1945年イエラ・レップマンは、「この混乱した世界を正すことを、子どもたちからはじめましょう。そうすれば、子どもたちがおとなたちに、すすむべき道を示してくれるでしょう」と、自分の考えを手紙にして20の国におくりました。その後、1949年にミュンヘンの小さな家に、はじめて国際図書館が誕生します。そののち国際児童図書評議会(IBBY)が設立されます。

 戦後の混乱期に こうした活動をいち早く行った原点には、何があったのでしょうか。

 訳者の さくまゆみこさんは、IBBYの支部のJBBY(日本国際児童図書評議会)の会長とありました。


とびらのむこうにドラゴンなんびき?

2022年10月24日 | 絵本(外国)

    とびらのむこうにドラゴンなんびき?/ヴァージニア・カール・作絵 松井るり子・訳/徳間書店/2022年

 

 公爵と公爵夫人には13人のおひめさまがいました。

 ある日、森におさんぽにでかけたおひめさまたち。二人づつ手をつないだので、13人目のガンヒルダは、ひとりぼっち。
 みんなは、花さく野原であそびましたが、ガンヒルダが、森の小道をとぼとぼ歩いていくと、茂みの隙間からドラゴンがあらわれました。

 ドラゴンが とってもやさしそうだったので ドラゴンと遊びはじめたガンヒルダ。そこに12人のおひめさまが、ガンヒルダを探しにきて、お城につれていくことになりました。

 これまでにもお城には、たくさんの動物がいて、けっしてつれてきてはいけないといわれていましたから、お城の一番高い塔の中へこっそりドラゴンを隠し、果物や あまいパン、ミルクにケーキを運んでいた13人のおひめさま。

 ところが、この居心地のいい塔で過ごすうち、ドラゴンは どんどんふとって 部屋はきゅうくつに なってきました。

 やがて、侯爵夫人が塔から炎があがっているのを大騒ぎになりました。狭い所より、外のひろびろしたところで くらしたほうがいいと、塔からだそうとしますが、太りすぎて、森に返してやろうにもどうにもなりません。

 それでも、食べ物を運んであげたおひめさまたちでしたが、ある あけがた 扉を開けるとドラゴンのあかちゃんが うまれていました。数えてみたら、いるわいるわ12ひきも。そしてドラゴンも あかちゃんがうまれ ほっそりして 出口も通れるようになりました。

 それから、侯爵夫人にいわれ、ドラゴンのあかちゃんは、上の12人が、ガンヒルダは、かあさんドラゴンと、もとの森に向かいます。

 

 三、四歳ぐらいのおひめさまが13人。ほとんどのページに13人がいて、とっても小さく描かれています。緑を基調とした絵は、遠目にもはっきり見えそうです。


みんなうんち

2022年10月23日 | 五味太郎

    みんなうんち/五味太郎/福音館書店/1981年(1977年初出)

 

 なにか恥ずかしそうでありながら興味をひくウンチ。

 小学生のころ、我慢して家にかえってからウンチしていたことを思い出しました。あの頃なんでなんだろうと思うと、ほかに人の目を気にしていたのかな。

 「いきものは たべるから みんな うんちをするんだね」

 当たり前のことですが、体が大きければウンチも大きい、形も違えば、色も匂いもちがう。

 あるきながら、とまって、きめられたところでウンチと、しかたもさまざま。

 ウンチをしても しらんかおしたり、ちゃんと後始末するなど これもさまざま。

 キリン、ライオン、チンバンジー、シマウマなどが、お尻を向けてウンチするところは、とってもユーモラス。

 人間だけでなく、いろんな動物がでてきますから、それだけでも興味がわきます。


ここが わたしの ねるところ

2022年10月22日 | 絵本(外国)

    ここが わたしの ねるところ/レベッカ・ボンド・作 サリー・メイバー・作画 まつむらゆりこ・訳/福音館書店/2022年

 

 世界をぐるっと回って子どもたちの寝どころをめぐります。オランダからはじまって日本まで14か国。

 オランダでは、川の屋形船、ブラジルやメキシコではハンモック、ノルウエーの山奥にある昔ながらの家では、壁のくぼみのベッド、ロシアではペチカのそば、モンゴルではゲルの中です。

 家や眠るこども、室内が刺繍で作られ、上掛けはすべて異なる色彩と図柄。表紙と裏表紙の見返しの動物、魚、鳥なども刺繍と、手の込んだつくり。あったかい感じがします。

 ほんとうに、ここちよく眠りにつける様子を見ていると、訳者が言うように、世界で安心して眠れない子どもが多くいるということに、心が痛みます。


へいわとせんそう

2022年10月21日 | 絵本(社会)

   へいわとせんそう/たにかわしゅんたろう・ぶん Noritake・え/ブロンズ/新社2019年

 

見開きのページに 「へいわ」と「せんそう」がならべられています。

背景は白。人物などは線画で、それだけで一目瞭然。

左の「へいわのチチ」は、こどもを背中に乗せてお馬さんの父、右の「せんそうのチチ」は銃を持つ兵隊姿の父。

左の「へいわのぎょうれつ」は、保育園の散歩。右の「せんそうのぎょうれつ」は、銃を持った兵隊が行進しています。

左の「へいわのまち」は、人々が行きかう町。右の「せんそうのまち」には、人が転がっています。

「せんそうのうみ」には、潜水艦の潜望鏡が顔をだしています。

 

「へいわ」と「せんそう」の対比をつうじて、違いがくっきりと浮かび上がり、小さい子にもストレートにつたわります。

そして、「みかたのかお てきのかお」「みかたのあさ てきのあさ」「みかたのあかちゃん てきのあかちゃん」は まったく同じで、いってみれば当たり前のことですが、それを壊すのが・・・。


「あたまに かきのき」「あたまがいけ」 他

2022年10月20日 | 昔話(日本)

 頭の上に、柿の木がはえるという奇想天外?な話ですが、語りより絵本で楽しむほうがぴったりでしょうか。


      日本民話 あたまに かきのき/唯野元弘・文 村上 豊・絵/鈴木出版/2012年

 なまけものの男の頭の上に、からすが、よくうれた柿の実をぽとんとおとすと、ある日、種が芽を出し、柿の木には、たくさんの実が。
 柿を売ってひともうけした男でしたが、おこった柿売りの男たちが、男が寝ているうちに柿の木をすっかり切ってしまいます。
 ところが、今度は切り株にはきのこがびっしり。これもあっという間に売れ、きのこうりたちが根っこを掘り起こしてしまいます。
 そこに雨が降ってきて、掘り起こした穴が大きな池に。そこにはどじょうが うようよ。
 おこったどじょう売りたちが、穴に土を入れて池を埋めてしまいます。

 しかたがないので男は埋められた池を耕して、自分で苗をうえ、せっせ せっせと世話をすると稲が黄金色にみのり、男は食べるものに困ることはなかったんだと。

 やわらかい絵の感じが、この話にぴったり。

 はじめて、この話を聞いたとき、え! 頭に柿の木!とびっくり。そのあとも あ!あ!あ!となったことを思い出しました。

     あたまがいけ/日野一成・再話 斎藤隆夫・絵/福音館書店/2021年(2014年初出)

 ものぐさもくべえという男の頭に、柿の木、きのこ、池ができ、池には ふなやこい、どじょう うなぎもおよぎだす。その さかなをねらったかもがやってきて、さかなを食べ終わったかもが、ぐっすりと ねむると もくべえが、そのかもをとり、こしひもに 結んでおくと、かもともくべえがいっしょに 空に とんでいくという結末。

 木の下で、口を開け、柿の実が落ちてくるのを待つほどのもぐさなのに、頭の柿の実や、きのこを売り歩くのは?。

 俯瞰した町の様子や、きのこを買う大勢の人の表情、頭にできた池のふなやこいをねらうかもがたのしい。


頭にはえた木の話(かもとりごんべえ/ゆかいな昔話50選/稲田和子・編 岩波少年文庫)

 宮城県の昔話。

 甘柿を食べた与太郎という若者が、木からさかさまに落ちて、落ちていた種が頭にささり、すぐに取り出すが、一粒だけ頭に残ってしまいます。
 すぐにうまそうな柿がみのり、柿の木を切られると、今度はきのこ、まいたけ、しいたけが。
 木の根っこが掘り起こされた穴には、大雨が降って池になり、頭の池には、どじょう、さけ、ます、うなぎまで。
 池が埋められるとひょろひょろした木が一本。葉がないので はなし(葉なし=話)というオチ。


・頭に生えた木(宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年)

 同じ宮城の話で、オチは同じなのですが、導入部が楽しい。

 阿武隈川で、与太郎という若者が水に潜って竹で息をし、カモを何百羽もつかまえると、カモがいっせいに飛び立ち、与太郎は空高く持ち上げられます。心配になった与太郎が、せっかくとったカモを一羽ずつ放すと、真っ逆さに落ちてしまいます。

 頭がものすごく大きくなり、木に、うまそうな実がなっていたというところからはじまります。

 同じ地域であっても話者によって、微妙な違いがあります。

 

・頭の柿の木(秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年)

 ずいぶんと具体的です。頭の柿の実は八年たってなり、柿の木が切られ、きのこがなるのが三年後。それも夏のキノコ、秋キノコ。頭に井戸ができると、マス、サケ、やつめうなぎがきます。

 そして、極めつけは最後。「正直のこうべ(頭)に神宿るって、おら聞いたもんであった」。

 

 ところで、この話のルーツに徒然草第四十五段があるという説は面白いと思いました。

# 藤原公世の兄弟で良覚僧正という僧侶は、とても怒りっぽい人だった。
僧坊の脇に大きなエノキの木があったので、人たちは「榎木僧正(えのきのそうじょう)」と呼んでいた。こんなあだ名はよろしくないと言って、僧正は木を切り倒してしまった。
それでも切り株が残っていたので「切り株の僧正」と呼ばれてしまった。僧正はますます腹を立てて切り株を掘り起こして捨ててしまったところ、その掘った穴が大きな堀のようだので「堀池僧正(ほりいけのそうじょう)」と呼ばれるようになったそうだ。#

 四十五段の展開は、池でおわりますが、徒然草は1330年ごろに書かれたようなので、後世の人が脚色してもおかしくはなさそうです。


天からおりてきた河 インド・ガンジス神話

2022年10月19日 | 絵本(昔話・外国)

    天からおりてきた河/寮美千子・文 山田博之・画/長崎出版/2013年

 

 インド人が、骨を流し、同じ河で沐浴するというガンジス河の由来を伝える神話の絵本。

 地上にいたショゴルという王に、二人の妃がいましたが、子どもがありませんでした。王は妃たちとヒマラヤに登り神々に祈りました。望みはかなえられ、一人の妃は男の子(オンシューマン)を産み、もうひとりの妃が産みおとしたのはヒョウタンでした。

 王は驚き、ヒョウタンを捨てようとしますが、天の声が聞こえ、ヒョウタンの種を乳からつくった聖なる油をひたした壺に入れると、六万人の赤ん坊が生まれました。ヒョウタンからうまれた六万の王子は、みな兵士になりました。

 ある日、王は、「馬祭り」を行うことにしました。馬が丸一年歩いた土地が、すべて王の領土になり、最後に馬は、神々への生贄として捧げられるのです。馬は風のようにかけだし大地の果てまでくると、ふいに姿を消しました。目の前は、干上がってひびわれた海がひろがるばかり。馬を追いかけていた六万の王子は、打ちひしがれ、城へ戻りますが、王の怒りにあい、再び馬をさがすにでかけます。六万の王子は、鉄のような爪で、干上がった海の底を、六万ヨージャナの深さまで掘りましたが、馬はみつかりません。

 城にもどった王子たちは、王さまから「馬を見つけるまで、二度ともどってくるな」といわれ、地の果てまでいって また掘りはじめます。地獄までたどりつき、さらにそのさきまで掘りすすんだとき、うつくしい草原があらわれ、大きな木の下で、探していた馬を見つけました。木の下には瞑想にふけるクリシャナ神の化身、カビル牟尼がいました。

 六万の王子が口々に「この馬泥棒め!」「馬を返せ!」と、聖者に突進すると、瞑想をじゃまされたカビル牟尼が、壺に指をひたし、滴を、ぱっとまくと、雷鳴がとどろき稲妻がはしり、王子たちの体は、火をふいて燃え上がり、灰となって大地に崩れ落ちてしまいます。

 王の命令で、馬を取り戻し、六万の王子の供養をするため、カビル牟尼にあった もうひとりの王子オンシューマンは、ヒマラヤの娘である天を流れる河ガンガーの聖なる水でなくては供養できないといわれます。カビル牟尼はガンガーを招く方法にはには、答えませんでした。

 馬は王のところへもどり、盛大な祭りのあと生贄にされます。王は、それから三万年、王国をおさめますが、ガンガーを地上に呼ぶことはできませんでした。王となったオンシューマンは三万二千年の間修業を積みますが、やはりガンガーを地上に招けませんでした。

 オンシューマンの息子バギラットもヒマラヤで修業に打ち込み、食事は月一度、天の火に肌をやかせて一千年、とうとうブラフマー神があらわれ、「望みはかなえてやろう。しかし、ガンガーを受けとめることができるのは、ただ一人、青き喉を持つシヴァ神のみだ」といいます。

 バギラットが、さっそく、シヴァ神のいるカイラーサ山へいき、足の指一本で大地に立ち続けて祈ると、わずか一年の後、シヴァ神があらわれ、願いがかなえられることに。

 このあと、ガンガーが、天界より、地上、地下世界まで流れることになるのですが・・・・。

 

 ヒンドゥー教の神さまがあらわれる壮大な神話で、絵も神話の世界をたくみに表現しています。天地をささえる四頭の象、天界の神々や楽人、龍、夜叉たちに目を見張りました。


おどるひょうたん

2022年10月18日 | 昔話(日本)

    よみたいききたいむかしばなし②のまき/中川李枝子・文 山脇百合子・絵/のら書店/2008年

 

 おなじみの昔話12話がのっていますが、これまで読んだことのないのが「おどるひょうたん」。

 

「ししほう ししほう

 いのしし ほう

 あわの穂 くったら

 おまえの しっぽを

 切ってやる

 ほう ほう ほう」

 声を上げているのは、あわの穂が 夜になると シカやイノシシに食いちぎられるので見張りをしていた三人兄弟の太郎。

 すると、どこかで

「やれ ひょうたん 一つ

 ちゃんぷくじゃがま

 ぷくぷく ちゃんぷく

 ちゃんぷくりん

 うたえや おどれ

 ちゃらりん ちゃらりん」

 という声。もう一度繰り返しても また同じ声。太郎は震えあがって、逃げ帰りました。

 つぎの晩は、次郎が見張りをしますが、同じ声がして次郎も 「ばけものだあ」と、逃げ帰りました。

 つぎの日は三郎。

「やれ ひょうたん 一つ

 ちゃんぷくじゃがま

 ぷくぷく ちゃんぷく

 ちゃんぷくりん

 うたえや おどれ

 ちゃらりん ちゃらりん」

 声のするほうへ、「ししほう ししほう いのしし ほう」と、よびながら ちかよったのは池。小さなひょうたんが一つ、うかんだり、しずんだりしながら、「ちゃんぷく ちゃんぷく」と おどっていました。おもしろいからと、ひょうたんを 持ち帰ると、歌うひょうたんは、村中の評判に。

 

 こわそうで なーんだ!となりますが 歌のリズムが 聞く人を ひきこんでくれるお話。