どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

イワンカとマリイカ・・ブルガリア

2020年12月31日 | 絵本(昔話・外国)

      イワンカとマリイカ/八百板洋子・再話 大畑いくの・絵/こどものとも776号/福音館書店/2020年

 

 マリイカは一人ぼっちの女の子。両親を亡くし、お金持ちのお屋敷で働いていました。

 イワンカはそのお屋敷の娘で、毎日 昼頃まで ふかふかのベッドで寝て、いつも焼き立てのパンを食べていましたが、マリイカは朝から晩まで働いても、こぼれたパンくずしかもらえませんでした。

 ある日、マリイカは糸車と麻の糸をひとたばもって、屋敷から逃げ出しました。

 森の中で一軒の小屋を見つけ、そっと窓を開け 小屋に入ってみると 部屋は散らかったままで、暖炉の火も 消えています。

 マリイカはベッドをととのえ、床を箒ではき、暖炉の火をおこしました。それから糸を紡ぎはじめ、しばらくするとズバン ズバン、ミシカ ミシカと 足音をたて、小屋の主人大きな熊がもどってきました。

 熊は、部屋がきれいになっているのをみて、マリイカと話しはじめます。マリイカが 片方の手で 熊の毛を 梳くと、熊は気分がよくなり うとうとと ねむりはじめました。そして目を覚ますと「なんて いいこなんだ。壺を一つもっていくといい」と、大きな壺をマリイカに わたしました。

 マリイカは、むかし両親と住んでいた小屋にかえりました。お腹がペコペコだったマリイカが熊にもらった壺を開けてみると、そこにはきらきら光る金貨がぎっしり。すぐに市場に行って 焼きたてのパンやリンゴを かいました。

 マリイカは、困っている人、貧しいひとたちを 助けながら 楽しく、暮らしました。

 やがて、壺のことはお屋敷のおくさんの耳にもはいり、しつこくマリイカに壺のことをたずねると、イワンカを森にいかせました。

 イワンカは、母親の言うとおり壺を手に入れることはできたのですが・・・。

 

 対照的なふたりがでてくるおなじみの展開ですが、イワンカもあまりいじわるな感じがしないのがすくいです。熊の小屋には七つの壺がならんでいるのですが、残りの五つには、何が入っていたのか気になりました。

 ふたりの民族衣装も素敵です。


ごろべえ もののけのくににいく

2020年12月30日 | 絵本(日本)

    ごろべえ もののけのくににいく/おおとも やすお/童心社/2018年

 

 力の強さは百人力、剣をとれば向かうところ敵なしのお侍「ごろべえ」さん。

 ごろべえのこまったことは、一度として「こわい」とおもったことがないこと。

 和尚さんに相談すると、もののけたちが すむ くににいけば、こわいおもいも、ぞっとすることもある というので、でかけたのは いいが・・。

 もののけたちの 月見の宴では、こわがるどころか やんややんやと 手を うった。

 首の長~い あねさまに 連れられて行ったのは大入道のところ。

 割れがねのような大声、カミナリ、大入道が化けたおおなまずにも、こわいと いわない。

 大入道から「わしより こわいものなど どこにも おらん」「わしを 投げ飛ばしてことは、内緒にしておくれ」と、お願いされる始末。

 寺の小僧さんから「ごろべえさま、わたしが こわいということを おおしえしましょう」といわれ、次の日、陽が昇る前に山門にいってみると、小僧さんはなんと、赤ん坊を投げつけた。「やめなさい!」と、ごろべえ 階段を 駆け上り 赤ん坊をうけとめるとそれは枕。

 心の優しいごろべえさん、「冷や水を、あたまから かぶったようだ!」と、ぞっとする体験をしました。

 小僧さん、ごろべえさんの性格を、ちゃんと見抜いていました。


お百姓が地主の旦那と昼めしをたべた話

2020年12月29日 | 昔話(ヨーロッパ)

      大人とこどものための世界のむかし話19 ソビエトのむかし話/田中泰子:編訳/偕成社/1991年初版

 

 金も力もなくても知恵しだいです。

 

 祭りの日にお百姓たちが、あれこれ話していると、金持ちの村のよろず屋がやってきて、「おれさまはなんと、地主の旦那の部屋へでいりしてなあ・・。」と自慢話。

 それをきいた村の一番貧しい男が「地主の旦那の部屋に出入りしたって、それがなんだよ。おれなんか、こっちがいきたきゃあ、いつだって地主のところで昼めしにありつけらあ。」というと、どうしても信じないよろず屋が、黒毛と栗毛の馬をかけて、もし負けたら、ただ働きすると百姓に約束をします。

 みんなに賭けの証人になってもらったお百姓は、さっそく地主のところに出かけて行きました。

 お百姓は、さも秘密を打ち明けるように地主にいいました。

 「旦那、ちょっくら内緒でたずねてえんですが、おらのぼうしぐらいの大きさの金のかたまりは、いくらぐらいするもんでしょうな?」

 地主はそれをきくなり、召使いに食事をもってこさせ、すきなだけ飲ませました。お百姓がたらふく食べ終えると、金塊を運んできたら小麦粉と五十ペイカをやるといいます。ところがお百姓は「いや、わしは金なんかもってやせんですよ。ただ、たずねただけですに・・」。

 地主が「あほう、でていけ!」とどなると、「なんの、わしがあほうなもんかね? だいじなお客さんのように、ごちそうしてくれたんは、おまえさんのほうではないかね! それに、おまえさんのとこで昼めしをくったおかげで、よろず屋から、黒毛と栗毛の馬をもらえるだから」と、まずしいお百姓はそういいながら、ごきげんででていってしまいます。

 

 この本が出版された1991年は、ソビエト連邦が崩壊した時期。30年ほど前の話です。


アイヌとキツネ

2020年12月28日 | 絵本(昔話・日本)

      アイヌとキツネ/かやの しげる・作 いしくら きんじ・絵/小峰書店/2001年

 

 アイヌのおはなしです。

 秋に川をのぼってくるシャケを冬の食料にするため、遠くの村からも、たくさんのアイヌたちが、シャケを取りにやってきました。クマやキツネたちもシャケを食べにあつまってきます。そして、お互いにじゃましあうことなく みんな幸せにくらしていました。

 ところが、ある夜、古老が、とおくから聞こえてくる人の声にきがつきます。

 古老がそっと声のする方にちかづいてみると、そこにはいっぴきのキツネがいました。よくきくと、アイヌにむかってチャランケ(談判)しているのです。

 「こら、アイヌ、よくきけ。シャケというものはアイヌがつくったものでもない。神さまがつくったのだ。それをアイヌやクマや、おれたちキツネが、なかよくわけあってたべられるように、石狩川のふたりの神さまが、川をのぼるシャケの数をきめているのだ」

 「おれはきょう、アイヌがとっておいたたくさんのシャケのなかから、いっぴきだけちょうだいした。おこったアイヌは、ありったけの悪口をいい、木や草もなく、小鳥も住めない裸の山に、おれたちを追い払うように、水や山の神さまに頼んだのだ。このままでは、たいへんなことになる。神さまでも、アイヌでも、おれのいいぶんを きいてくれ」

 古老は、村の人を集めてキツネのチャランケのことをはなし、キツネの悪口をいったアイヌをうんとしかりつけ、みんなでキツネの神さまに、ていねいにおわびをいいました。

 「魚や木の実は、けっして人間だけがたべるものと 考えてはいけません。動物たちと、なかよくわけあって食べるものです。」と、古老はいいながら、この世をさりました。

 

 人も動物も、共に生きるというアイヌの思想です。

 衣食住に苦労している多くの人がいる反面、衣食足りても礼節を知るどころか、さらに自己中心的な人間がいかに多いことか。

 線を中心とした絵で、人やその衣装、暮らし、目に涙を浮かべたキツネなどが味わいぶかい絵本です。


なかなおり

2020年12月27日 | 絵本(外国)

      なかなおり/シャーロット・ゾロトウ・文/アーノルド・ローベル・絵 みらい なな・訳/童話屋/2008年

 

 どんより暗い朝、じゃあじゃあぶりの雨。パパが ママに いってきますのキスを忘れて でかけてしまいました。

 ママは、朝ご飯を食べに来たジョナサンのシャツを見て八つ当たり。

 ジョナサンは、ねえさんのサリーに「遅刻しちゃうよ」と、よけいなおせっかい。

 「いつも通りの時間よ」と、サリーはぷんぷん。

 八つ当たりが どんどん伝染していきます。

 しかし、いぬのパジーが、そのひろがりを とめてくれました。

 そこからは、あやまったり、わらったりしていくと、みんないい気持ち。

 ふとしたことで、虫の居所が悪くなり、誰かにあたりたくなります。でも、あたった人から謝られたり、やさしい言葉をかけられたらどうでしょう。

 「わかる」「わかる」と うなずきました。

 「ごめん」という一言があれば、マイナスの連鎖を断ち切り、幸せを運んでくれるきっかけにもつながりそうです。 

 

 原著は1963年。白黒で二か所だけ地が黄色。ちょっと地味でしょうか。


おばあちゃんのはこぶね

2020年12月26日 | 絵本(外国)

      おばあちゃんのはこぶね/M.B.ゴフスタイン:作絵 谷川俊太郎・訳/現代企画室/2018年

 

 見たのは2018年のものですが、1996年にすえもりブックスから発行されていました。

 ページの真ん中にある四角い線のなかに、いたってシンプルに小さめの絵、モノクロで地味な感じ。原著は1978年の発行です。

 

 90年前、わたしが子どもだったころ、父が、方舟をつくってくれた。

 「ながさは三百キューピット」という元気な父の声。作るのが楽しそうだった。

 ノアには、片手に金づち、もういっぽうにモップをもった男の人と、のこぎりを持ったおくさん、それにヒョウやヒツジ、はいいろのうまなどの動物も。

 大きくなるにつけ、父は、動物をふやしてくれた。遊ぶのは、本当に楽しかった!。

 結婚した時、夫は、からかいながらも、方舟を大切に新しい家に運んでくれた。

 子どもが生まれると、わたしはノアの話をおしえた。「ながさは三百キューピット」という大声も。

 みんないなくなったいま、方舟は思い出でいっぱい。

 「よろこびとかなしみは にじのよう それがわたしをあたためてくれる おひさまのように。」

 

 具体的なことはほとんど語られていませんが、方舟には、90年間のたくさんの喜びや悲しみものっています。子どもたちも旅立ち ひとりになって、静かに人生を振り返っているのでしょうか。


雪の上のなぞのあしあと

2020年12月25日 | 絵本(日本)

    雪の上のなぞのあしあと/あべ弘士・作/福音館書店/1997年

 

 今では全国的に有名になった旭川市旭山動物園ですが、このきっかけは動物本来の動きを引き出した「行動展示」。この展示方法は1997年といいますから、あべさんが動物園をやめられた時期。そして、出版もこの時期と一緒です。あべさんが行動展示の夢を絵として残したのが、旭山動物園の復活の鍵となったようです。

 1972年からら25年間、旭川市旭山動物園で飼育係として働いたあべさんですが、この絵本では、雪国の動物園の宿直日誌風に進行していきます。

 いまは冬でも動物園をおとずれることもできますが、この当時、冬の間は閉じてしまいます。

 動物園には夏も冬も昼も夜もありません。夜行性の動物にとっては夜が一日のはじまり。部屋を掃除し、病気の心配をし、その上、冬は雪かきをし、運動不足のゾウやキリンの散歩。

 19時20分、最初の見回り、アフリカゾウ。9時45分ゴリラ、20時カバ。

 20時15分、ヨタカにえさやり、20時40分ヤマアラシ。

 21時30分氷点下27度。動物園を巡回しているとき発見した不思議な足跡。今まで見たことも、聞いたこともない足跡。

 だれかが 動物園に 忍び込んだのか?。それとも だれかが 檻から にげたのか?

 応援を頼み、足跡図鑑(こんな図鑑があるんですね)を、調べても ぜんぜんわかりません。

 みんなで、さがしていると、なにかが いて 目が光りました。近づいてみると・・・。

 

 分刻みのスケジュール、たった一人での宿直の大変さがつたわってきました。

 大好きな動物たちに囲まれ、対話できる楽しみなど、作者の動物への愛情がいっぱいでした。


どうぶつのおいしゃさん

2020年12月24日 | 絵本(日本)

     どうぶつえんのおいしゃさん/降矢洋子・作 増井光子・監修/福音館書店/1981年

 

 動物園の動物たちの健康をまもる獣医さんと飼育員さんの奮闘です。

 獣医さんは、内科、外科だけでなく眼科、歯科もこなし、ぞうのようにおおきいものから 小鳥のような ちいさいものまで。

 <ライオンの顔の怪我を縫い><シマウマのひづめの 爪を切り>

 <サイの魚の目を削り取り><結膜炎のキツネの目を洗い、目薬をつけ>

 <ワニの歯槽膿漏を治療し><くちばしが折れて、エサが食べられなくなった丹頂鶴の人工のくちばしを つくり>

 ・・・まだまだあります。

 広い動物園を自動車やオートバイで走り回り、治療に至るまでの苦労も。

 ワニの歯槽膿漏の治療は、怖そうですし、ぞうのうんこがつまると、10人以上で浣腸し、人間をふっとばすようなおおきなおならをして、やっと うんこがでて元気になるなど、驚きの連続でした。

 動物園は、表面だけではわからない、さまざまな陰の力で ささえられているのがよくわかり、動物の見方もかわります。

 ただ、絵は やや地味な感じでしょうか。


ふしぎなナンターラ

2020年12月23日 | 絵本(外国)

     ふしぎなナンターラ/イルソン・ナ・作 小島 希理・訳/光村教育図書/2009年

 

 ある日、ぞうは ふしぎなものを みつけました。なにをするものか、ぞうには さっぱり わかりません。ぞうは その ふしぎなものを ナンターラとよぶことにしました。

 ともだちにきいてまわっても だれもしりません。

 そらをとべるかな? ふねみたいにうかぶものかも? かくれんぼに つかえるかも?

 みんな むりそうです。

 ところが あめがふってきて・・・。

 傘というのがすぐにわかるのですが、傘ということばは いちどもでてきません。

 子どもたちの、傘という声が聞こえてきそうです。

 表紙と裏表紙の見返しに、三十六個の色も模様も異なる傘が開いているのが、目をひきました。


 最初のページ、赤い傘は恐竜の頭にありました。


かしこい証人・・ポーランド、ゆで卵からヒヨコはかえらない・・プエルトリコ

2020年12月22日 | 昔話(外国)

かしこい証人(世界むかし話 東欧/松岡享子・訳/ほるぷ出版/1989年)

 一人の若者が旅の途中、とある宿屋に泊まって、朝ご飯にゆでたまごをいくつか注文しました。

 宿屋の主人は、まっていましたとばかり、ゆで卵を一ダースもってきて、代金は、こんど、あたなたがとまるときに払ってもらえばいいといいました。

 なかなか親切な宿屋とおもったかどうかは定かではありませんが、それから二年たって宿屋の主人から請求書が届きました。

 その請求書には、一ダースの卵から生まれるはずだったはずのヒヨコの代金、さらに、そのヒヨコがうむ卵、その卵からかえるヒヨコと、二年間のわたってなんどもくりかえされる卵とヒヨコの代金が全部つけてあり、その総額は莫大な額になっていました。

 請求書を追いかけるように裁判所から通知がきて、代金未払いのかどで、裁判にかけられました。一ダースの代金なら喜んで払うと若者はいいましたが、裁判官は若者の訴えを受け入れません。若者は、この事件を上告しましたが、証人がいません。二年前、だれがその場にいたかなど覚えてもいませんでした。

 裁判の前の日、若者はひとりの老人にあい、証人になるといわれます。

 裁判の日、老人はあらわれず、証人がいないので裁判官はすぐに判決を読み上げようとしました。そのとき扉が開いて老人がはいってきました。

 老人は「でがけに大事な仕事があったもんで。そいつがまた、やっかいな時間を食う仕事でしてね。畑にまく豆を三十ブッシュルほども煮なくちゃならなかったですよ」

 すると裁判官は「年をとりすぎて、ぼけたのか。煮た豆が芽を出すわけがなかろう」と、いいます。これをうけて老人は「さよう。ならば、ゆで卵についてもおなじことがいえましょうが。」「ゆでたまごから、ヒヨコがかえりますかな?」。

 裁判官は、この理屈の正しさを認めないわけにはいかなかったのです。

 昔話では訴えられた方が勝利します。お年寄りの知恵をあなどってはいけません。

 

ゆで卵からヒヨコはかえらない(ラテンアメリカ民話集/三原幸久・編訳/岩波文庫/2019年)

 プエルトリコとポーランドは、だいぶ離れていますが、こちらのタイトルが明快でしょうか。

 ひとりの貧しい男が、金持ちの店で、ゆで卵を三個とバナナ一本をたべ、代金は貸してくれるよう頼みます。この男が別の地主のところで四年間働き、卵を食べた店に代金を払おうとします。店の主人は、三個の卵から、いかにおおくのメンドリが利益をあげるかを計算し、四年間の代金は800ペソといいます。男が四年間働いてもらったのは400ペソでしたから足りません。男はもう一度、前の地主のところで働こうとしますが、警察に相談するようにいわれました。そのとき一緒に働いていた友人が裁判の弁護をかってでます。

 裁判官が裁判をはじめようとしますが、弁護人はあらわれませんでした。

 男が弁護人をよびにいって裁判官の前にあらわれると、弁護人は「種をまこうと思って、インゲン豆をいっていた」といいだします。

 裁判官は、「ばかなことをいうな。いったいどこの世界に、いったインゲン豆を、畑にまく人があるだろうか。」というと、弁護人は「いったいどこの世界で、ゆで卵からヒヨコがかえるでしょうか。」といいかえし、裁判は店の主人の負けと決まります。


さきざきさん・岡山、ばあさんとどろぼう・和歌山、フリーダーとカーターリースヘェン・・グリム、”これから先”氏・イギリスほか

2020年12月21日 | 昔話(日本・外国)

さきざきさん(かもとりごんべい ゆかいな昔話50選/稲田和子・編/岩波少年文庫/2000年初版)

 読んでてもそれほどインパクトがなくても、聞くと楽しさが伝わってくる昔話。

 おじいさんがためておいたお金。
 おじいさんは、”さきざき”のためにおいとくお金と、おばあさんにいつもいっていました。
 ある日、おばあさんがお金をかぞえているところに、こわい顔をした、物もらいがきて、お金をくれといいます。
 おばあさんは、このお金はさきざきのためのお金といいますが、物もらいは「おばあさん、わしが、そのさきざきだがな」と、騙します。おばあさんはお金をみんな物もらいにやってしまいます。

 おじいさんが帰ってきて、あきれかえり、正月がまもなくやってくるので、借金とりもくるから、夜逃げをすることになります。
 「おばあさん、戸をしめとけよ」と、おじいさんはいいますが、ちょっと耳の遠いおばあさんは戸を背負ったり、さげたりして歩いていきます。
 くたびれて道端の大きい木の根にこしかけて休んでいると、そこに大勢の人がやってきます。夜逃げをみつかったらこまると、木に登ってかくれることにしますが・・・・。

 オレオレ詐欺風でだまされる、なんとも愚直なかんじのするおばあさんです。

 木の根にやってきた大勢の連中のなかには、お金をまきあげた男もいて、戸をえんやら持ち上げたおばあさんが、手がだるくなって戸を下に落とすと、びっくりした連中が逃げたあとには、お金がたくさんあったというオチ。


ばあさんとどろぼう(子どもに贈る昔ばなし6 再話・和歌山昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫 小澤 俊昔ばなし研究所 2006年)

 和歌山の昔話です。
 おじいさんが孫のところに遊びに行こうとおばあさんに留守番を頼むのですが、おばあさんはどうしても一緒にいきたいと、戸をもっておじいさんとでかけます。途中、泥棒にあい見つけられないように戸をもって木の上にのぼります。
 木の下では泥棒がお金の入った壺を穴を掘って、埋めはじめます。

 たえきれなくなったおばあさんが、戸を離すと、びっくりした泥棒が逃げ出し、お金はじいさんとおばあさんのものに。

 おばあさんは、戸がなかったら、人がいると思って泥棒が入らないだろうと戸をもっていくのですが、あまり細かな詮索はしないほうがよさそうです。


フリーダーとカーターリースヘェン(グリム)
 木の上から家の戸が落ちて、取られてしまったお金をとりもどす結末です。

 若夫婦がでてきて、妻がとぼけた感じで次から次へとドジなことをしでかします。

 地下室のビール樽のせんをあけっぱなしにして、樽が空になったり、大事な金貨を行商人にとられりと、どこか憎めないカーターリーヒェンと夫のフリーダーが行商人を追いかけます。 

 家の戸の鍵をちゃんとかけてきたかとフリーダーに聞かれカーターリーヒェンは、鍵をかけたのは、上下わかれている扉の上だけ。下の扉は はずしてもっていきます。木の上で夜を明かすことにした二人でしたが、木の下にやってきたのは金貨をもっていった男たち。

 干しリンゴ、お酢の壺、戸を落とすと泥棒たちは、大急ぎで逃げ出します。そして二人は下にあった金貨を、ちゃんと取り戻します。

 それにしても、戸を担いで木の上にのぼるとは!

 西洋の戸はがっしり固定されていますから、わざわざ、外したのでしょう。



”これから先”氏(ジェイコブズ作/イギリス民話選/ジャックと豆のつる/木下順二・訳/岩波書店/1967年)

 グリムの「フリーダーとカーターリースヘェン」とほとんど同じです。

 ジャンという百姓が結婚した娘さんは、いつも失敗ばかり。
 牝牛を買って乳をしぼろうとするが、牛を池に連れていき、早く水を飲ませようとして、牛がおぼれてしまいます。
 ブタに飼料を食べさせようと、ブタを桶の中につっこむとブタは息がつまって死んでしまい、パンを焼こうとして、粉が風で吹き飛ばされます。

 さらに酒をつくろうとすると、樽の栓を抜いて、犬に投げつけ、犬をおっかけているうちに、樽はからっぽ。

 ここまでが前段。

 ある日、奥さんがベッドに発見したのは銀貨の袋。ジャンがいうのには”これから先”のためにとってあるという。
 この話を聞いた泥棒が立派な紳士みたいな洋服を着て、「わしが”これから先”ですがな」というと、奥さんは銀貨の袋を渡してしまいます。

 二人は木の枝にドアをのせて眠りますが・・・・。

 すると木の下に、泥棒がやってきて・・・。
 この話でも、最後はドアを泥棒のところへ落とし、残していった金袋を手にするというもの。

 なにしろ何があっても奥さんをせめることのないジャンの度量の大きさに感服です。

 そういえば、昔話で夫婦がどちらかが主導権をにぎるというのはあっても、喧嘩するというのがないのも不思議です。

 

おろかなむすこ(世界のむかし話6 ペルー・ボリビアのむかし話/加藤隆浩・編訳/ポプラ社1989年)

 ペルーのケチュヤ族のむかし話。

 食べ物がなくなる八月にそなえていた種。おばあさんが、おろかなむすこに、「これは八月のために、とっておくのだから、手をつけてはいけないよ。」といいます。

 むすこは、だれかが家の前をとおりかかるたびに「おまえさんが、八月という人ですか?」とたずねました。すると、あるとき悪知恵のはたらく男が「そうさ、おれが八月という男だ。」と、こたえたので、むすこは、その男に種を全部あげてしまいました。

 おばあさんは、これを聞くとすぐに家を飛び出し、八月と名乗った男をおいかけました。おばあさんが「家の戸を、まもっておくれ」と、むすこにいうと、むすこは戸をかついで、おばあさんを追いかけます。

 男を追いかけているうちに、夜になって、ふたりは野宿することになりました。真夜中。どろぼうたちが、音をたててもどってきて、山にむかって「ひらけ、ゴマ。」といい、左右にひらいた山のなかへはいっていきました。そのとき、おろかなむすこが、担いできた戸を、足でけとばしたので、戸はドドドッカーンという音をたてて、山道を転げ落ちました。その音にびっくりしたどろぼうたちは、「とじよ。ゴマ。」といって、山を閉じると、もときたほうへさっていきました。

 おばあさんたちが、山のなかへはいっていくと、そこには金銀や宝石の山。

 「アリババと四十人の盗賊」のような展開。じつは、この話にはオチがあります。

 家につくと、おばあさんは、たくさんのドーナツをつくり、屋根よりたかくドーナツをなげあげ、「ドーナツの雨がふっているよ」と、おろかなむすこにいいました。

 おろかなむすこが「ドーナツの雨がふっているときに、おれたちは黄金を担いできたよ」と、村人にいいますが、村人は、嘘にきまっていると誰も信じません。こうして、おばあさんは村人たちをだましとおし、どろぼうの宝物で、すっかりお金持ちに。

 あれこれ詮索されないためにとった、おばあさんの知恵が見事です。

 

小づちよ、出番だ(オーストリアの昔ばなし いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年)

 この話にも冒頭部だけですが、こじきがやってきて、自分が将来だといって、将来のためにためておいたものを、もっていくところがでてきます。


白鳥のコタン

2020年12月20日 | 絵本(昔話・日本)

      白鳥のコタン/ぶん・あんどう/みきお え・みずし すみこ/ポプラ社/1981年

 

 昔、アイヌのコタンに大きな戦がおこりました。酋長たちが、おたがいに、相手のコタンをやっつけて、獲物や宝物を分捕ろうとしたためでした。長く続いた戦は、酋長たちが病気の神や、草木をからす悪い神々をよびよせて、あいてのコタンを やっつけさせたので、ようやくおわりました。

 誰もいなくなったコタンに、酋長の息子のイクレシュだけは、どうにか生きのびていました。やさしい白鳥の女神は、イクレシュを見殺しにすることができず、雷の神の反対をおしきって、むすめに姿を変えると、食べ物や着物をもってイクレシュのところに、かけつけました。女神が、やせこけて、骨と皮ばかりになったイクレシュの面倒を見ようとすると、雷の神が「そんな きたならしいアイヌは すてて、すぐに そらへもどってこい」とどなり、風の神、雨の神を よんで、コタンに 大嵐を おこさせました。

 それでも、イクレシュをみすてることができないという女神にたいし、国つくりの神は、ようすをみるよう雷の神に、しずかにいいます。

 雷の神も、さすがに すこしはずかしくなり、怒鳴るのをやめました。風の神と雨の神も、すこしずつ おとなしくなりました。

 すぐに、つめたい霜の季節がやってきました。白鳥の女神は、朝早くから、日の暮れるまで働きつづけました。氷の季節は水をくむのも大変でしたが、春になるころにはイクレシュも ひましに元気になり、おもちゃの 弓矢をもって、野山を とびまわるようになりました。

 コタンの様子を見ていた小さな神々や女神は、雷の神に見つからないように、ふきのとうや ぜんまいを おくりました。

 こうして、あれはてたコタンの野山も沼も、すこしずつ もとどおりにうつくしく なると こっそりにげていたアイヌたちも。またコタンへ もどってきました。

 大きくなって、立派な若者になったイクレシュを見た国つくりの神は、白鳥の女神に、そらにもどるよう いいます。

 白鳥の女神は、イクレシュに いままでのことをはなし、そらにかえろうとしますが、イクレシュは「あねぎみを そらにはかえさい」といいだします。するとすぐに、ふたりのまわりには、火のたばが ふってきました。雷の神がふらせたのでした。

 イクレシュも 殺されてしまうと 心配した女神は、イクレシュの腕を、ふりほどき、沼にとびこんでしまいます。

 イクレシュは、空を見上げ「いつか、きっと 空の神々に しかえしを してやるぞ」と、そらを みあげます。そのとき、沼に一羽の白鳥があらわれ、いけない いけないと、いうように うつくしい 長い首を ふりました。その様子をみたイクレシュは、涙をうかべ、こっくりと うなずきます。

 空の神々も、白鳥の女神の気持を思い、そのコタンを 白鳥のコタンと呼ぶことにし、いろいろな 贈り物をしました。

 立派な酋長になったイクレシュは、ときどき沼の岸辺で、白鳥の女神の歌声をきいています。

 

 アイヌの話ですが、神々も聖人君子ではないようで、雷の神さまが、白鳥の女神に横恋慕?するのが、ほほえましい。

サンタさん ありがとう

2020年12月19日 | 絵本(日本)

    サンタさん ありがとう/長尾玲子・作/福音館書店/1998年

 

 クリスマスの絵本はたくさんありますが、刺繍で描かれていて夢が広がる絵本です。

 しんちゃんがサンタさんにお願いしたのは くまさん。お手紙を書く しんちゃんは とても 一生懸命です。

 サンタさんは、こどもたちの手紙で、そのこがほしがっている もちゃを 準備しますが、しんちゃんの くまさんを わすれていました。もう倉庫の おもちゃには、ひとつのこらず名札がついています。

 サンタさんは、しんちゃんの くまさんを 自分で つくることにしました。それから しんちゃんの ともだちになれるよう 人間の言葉も おしえました。

 くまさんは、サンタさんのおてつだいをしたりして、たのしくすごし、サンタさんと、ずっと いっしょにいたいと おもいました。

 けれども、サンタさんが、くまさんに、しんちゃんの手紙を読んであげると、「ぼく、いかなきゃね。」って思います。

 くまさんは、クリスマスツリーのくつしたの なかで 「サンタさん、どうしているのかなあ」 「しんちゃんって、どんな こかなあ」と考えながら、一晩すごします。

 そして、つぎの朝、そとが すこしづつ あかるくなり ギーと、ドアの あく おとがすると・・・。

 

 表紙、ゆうびんやさんが 手紙をサンタさんに届ける場面、そしてサンタさんが くまくんに 身振り手振りで言葉を教える場面などの緻密な刺繍に驚かされ、そのほかのページの透明感も素敵です。


こうさぎたちのクリスマス

2020年12月18日 | 絵本(外国)

      こうさぎたちのクリスマス/エイドリアン・アダムズ:作絵 三原 泉・訳/徳間書店/2020年

 

 1979年に祐学社から出版されていますが、見たのは今年徳間書店から出版されたもの。復刊されたもののようです。原著は1978年、アメリカで刊行され、長い間愛されているとありました。

 

 クリスマスの三日前、オーソンは、イースターに使う卵の絵をかく両親の手伝をしていました。

 翌朝、お気に入りの木の枝につくられた自分の部屋で、目を覚ますと、小屋の下に こうさぎたちがあつまっていました。オーソンの小屋をお手本として、自分たちも小屋をつくってもらおうと、みにきたのです。

 木の枝の小屋には、バケツのエレベーターでのぼります。こうさぎたち、全員をひきあげると、こうさぎのひとりが「クリスマスパーティーをひらいて、おとうさん、おかあさんをびっくりさせたいので、てつだってもらえない?」といいだしました。疑心暗鬼でしたが、ちょと てつだってもらえれば パーティーができるというので、オーソンは、しぶしぶ承知しました。

 おちびさんたちは、たいしたことができないし、準備が大変というオーソンでしたが、おかあさんから「でも、やくそくしたのよね?」、おとうさんからは「おもしろそうじゃないか。さっそく、クリスマスツリーをさがしにいこう」といわれ、ツリーの木を探すにでかけました。

 すぐにぴったりの木が見つかりますが、三人では とても 運べそうにありません。そこで、おちびさんたちに声をかけると、こうさぎたちは 大張り切り。

 オーソンとおとうさんが台を作り、木の枝を利用して木をたて、次の日はクリスマスツリーの飾りつけです。イースターエッグやポップコーンを飾りつけ、プレゼントを用意し、サンタさんの服をつくりました。

 日が沈み、月が 輝きはじめると いくつもの そりが あちこちから、すべってくるのがみえました。

 みんながあつまると、ライトがクリスマスツリーを あかるくてらし、サンタの服を着たオーソンが 「ホー!ホー!ホー! メリークリスマス」と、さけぶとパーティーのはじまりです。

 

 こうさぎたちが、ちからをあわせ、大人たちを、喜ばせようと準備したクリスマス。サンタさんは、おとなたちにプレゼントをくばりました。「こんなにすてきな パーティーは はじめてだ」「まったく、そのとおり!」と、大好評でした。

 ツリーのまわりで火が燃え、音楽が鳴り手をとりあって踊る様子が楽しそうです。


石のスープ・・ボリビア アイマラ族

2020年12月17日 | 昔話(南アメリカ)

    世界むかし話6 ペルー・ボリビアのむかし話/加藤隆浩:編訳/ほるぷ出版/1991年

 

 「石のスープ」というと、詐欺ですが、じぶんたちがだまされた話が、伝承されてきたというのはいましめでしょうか。

 あるインディヘナの家に白人がやってきて、お金を払うから食事を用意してほしいと頼みますが、インディヘナたちは「だんなさま。わたしたちは、なにももっていないのです。」と、ことわります。まずしいこの村に、余分な食べ物などなかったのです。

 いくらお金を出すといわれても、じぶんたちで動物を飼い、畑を耕し、布を織って暮らしているインディヘナたちにとっては、お金など必要なかったのです。

 しかたなく白人たちは、つぎの村へむかおうとしました。そのとき、白人たちのなかで、インディヘナのことをよく知っている男が、鍋を一つ貸してくれと頼み、あたりに落ちている石を、いくつか拾っていれました。インディヘナたちは、おどろいてなにをしてるかたずねると、「石を料理しているのさ。とてもおいしくなるんだよ」と、男はこたえました。そして白い粉を鍋にほうりこんでみせました。それは、ただのふくらし粉でしたが、何も知らないインディヘナたちは、じぶんたちの食事と、石の料理を交換してくれるようたのみます。もちろん白人たちはよろこんで、ねがいをかなえてあげます。人を疑うことを知らないインディヘナたちは、石のスープをのんで、このめずらしい、やすあがりの食事に、すっかり満足します。

 

 白人が現地の人を騙すのは、この時代の反映でしょうか。

 

 マーシャ・ブラウンの「せかいいちおいいしいスープ」(こみや ゆう・訳/岩波書店/2010年)も、石からスープができると村人を騙す話ですが、これはフランスの昔話がもとになっています。

 集団が、催眠状態になるというのも、考えてみれば怖い話です。