どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ピーターのてがみ、ピーターのめがね

2021年06月30日 | 絵本(外国)

     

 エズラ・ジャック・キーツ(1916~1983)作 木島始訳でピーターシリーズとして出版されているものの二冊。

 「てがみ」はアメリカで1968年、日本では1974年の出版。「めがね」はアメリカ1969年、日本1975年の出版です。

 

・ピーターのてがみ

 これまで誰にも手紙を書いたことのないピーターが、お誕生会の招待状を書きました。あて先は、近くに住んでいるエイミーという女の子。

 「ぼくの たんじょうかいに おんなのこが きてると、おとこのこたちは どういうかな」と考えながら歩いていると、強い風がふいて、手紙がとんでいってしまいます。

 なんどか つかまえられそうになっても、手紙は あっちへこっちへ。大粒の雨も おちはじめました。

 そのとき、かどをまがってきたのはエイミー。手紙はエイミーのほうに まっすぐ。いまみられると びっくりさせられないと ピーターが追いかけると、エイミーに どしんと ぶつかってしまいます。いそいで手紙を郵便箱に手紙をおしこみ エイミーのほうを ふりかえってみますが もうエイミーは、泣きながら かけていってしまいます。

 土曜日の誕生会に、ともだちは みんなやってきますが エイミーはいません。

 ケーキをだそうとする おかあさんに ピーターは「もうちょっとまって」といいますが、男のたちは がまんできません。

 すると、そのとき ドアが開き・・・。

 

 男の子たちに冷やかされるのを気にしながら、エイミーの家の前を通り過ぎて、手紙を出すに行くピーター。手紙を書いたのはいいが、いつやるか 書き忘れたピーターにアドバイスするおかあさん。エイミーがやってくるのか心配してうなずいているピーター。

 「トラックいっぱいの アイスクリームがいいな! おみせ いっぱいの キャンデーもな。ただし おなかの いたっくならんやつをだせ!」と、ともだちのエディーが大声でさけぶ楽しい雰囲気の誕生会です。

 ピーターがケーキのろうそくをけすときの ねがいごとは?

 

ピーターのめがね

 ピーターが空地の土管でみつけたのは モーターバイク用の かぜよけめがね。

 ともだちのアーチと めがねをもって家に帰ろうとすると おおきなおとこの子たちに よこどりされそうになります。にらみ合っているうちに、いぬのウイリーが めがねをくわえて 塀の穴を 駆け抜けていきます。

 ピーターは土管の中で、ウイリーとあいますが、大きな子たちもウイリーをさがしています。

 ピーターが「ウイリー 駐車場であおうぜえ!」と 叫び声をあげると 大きな子は、その声につられて 去っていきます。そのすきにピーターとアーチー、いぬのウイリーは かくれがから はってでて 駆け出します。

 

 ピーターたちのあそんでいるのは ゴミ捨て場。ベッドもすてられています。そして壁には落書きがいっぱい。工場の煙、アパートの屋上には洗濯物がなびいていて、少し前のニューヨークの下町がひろがっています。

 ピーターは黒人の子ですが、この当時の黒人がおかれた状況も かいまみれます。


話を買った話

2021年06月28日 | 昔話(日本)

 昔話には、先人の知恵がこめられた金言がさりげなくでてきます。

話を買った話(日本の民話9 太平の天下/瀬川拓男・松谷みよ子・編著/角川書店/1973年初版

 ある木挽が遠くに働きにいって、4千貫ほどかせぎためて帰る途中、宿の主人から「一話千貫という話があるか聞かんか」と持ち掛けられます。

 ちったあ高いと思ったが聞くことにした木挽。
 「鳴り神さまが鳴るときにゃ、大木の木の下に立ち寄るな」
 もうひとつ頼むと
 「急がば回れ」という。
 次は「うまいもの食うて油断するな」
 おしまいに「ならぬ堪忍、するが堪忍」

 今のお金でどのぐらいになるかはわかりませんが、とにかく稼いだお金はこれで終わり。

 雨宿りをしようと思って大木の木の下に身をよせるが、カミナリがなったので、「鳴り神さまが鳴るときにゃ、大木の木の下に立ち寄るな」という話を思い出して、大木を離れると鳴り神が落ちてきて、命が助かります。

 船頭が船をだすから早く早くと呼びかけているとき「急がば回れ」というのを思い出し、船を見送って遠回りしていくと、船は大雨のせいで、途中で川に沈んでしまいます。

 山の中で日が暮れ困っていると、ちょうどあかりがみえ、宿をたのむと、なにかと親切で、たいそうなごちそうと、肩や足をもんでくれたり、いたれりつくせり。寝るとき天井をみたら穴があって、「うまいもの食うて油断するな」を思い出し、宿の女と寝床をかえると、天井から槍が落ちてきて、女を刺し殺してしまいます。

 ようやく家に帰ってみると、よめさんが男をこしらえちょった。二人とも殺しちゃろうと思ったが「ならぬ堪忍、するが堪忍」を思い出し、「今帰った」と木戸のところで大声をだすと、よめさんは、きていた和尚さんを甕に入れてから、戸をあけます。
 甕にはお寺の味噌がはいっているという。
 知らんぷりをして、甕をもっていくと、小僧たちは、味噌なんか頼んでないという。
 「いや頼んだはず。何がなんでも500両はらってもらいたい」と木挽。

 木挽が便所にいっているとき、甕の中の和尚が、必死な声をだして、机の上の500両を渡せといいます。

 短い話に大金をはらっているので、どうなるかと思っていると命が助かったり、お金が入ってくるなどいいことづくめ。

 よめさんが和尚さんと浮気しているので、子ども向けにはちょっと遠慮したい話?。このよめさん、和尚とは縁をきったようです。



・山ぶしとたんじゃく棒(栃木のむかし話/下野民俗研究会/日本標準/1977年)

 タイトルからはイメージできませんが、金言をかわされる話。

 家族の重い病気で莫大な借金をした男が、江戸で三年間一生懸命働いてためた三百文をもって帰るとき、山伏からたんじゃく棒を買ってくれといわれことわりますが、買わなければ命がないといわれ、たんじゃく棒を買う羽目に。

 さらに二人の山伏が現れ、たんじゃく棒を買わされます。たんじゃく棒には「大木の下より小木の下へ休め」「ゆだんにぼたもちくうべからず」「ならぬかんにんするがかんにん」という短冊がかかっていました。

 小さな木の下で雷から命拾いし、毒入りぼたもちを食べなかったので命拾いし、家に帰ってみるとどんちゃん騒ぎ。こんなに人集めて、愉快な真似をしてるってまったくゆだんができねえと、よめさんを殺そうとしますが、「ならぬかんにんするがかんにん」の短冊のことを思い出し、家に入りますがだれもいません。よめさんは「ひとりでさみしいから からくり人形芝居で 楽しんでたんだ。」といいます。

 よめさんが、だんなが無事で帰ってきたんだから、神さまにお神酒をあげようとすると、神棚には三つの包み。中をあけると、男が働いた分のお金。「山伏は、うちの神さまだった」と納得します。

 

・話一貫目(兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟/日本標準/1978年)

 三百両で買った話。

 「宵のごちそう、うたがいて食え」

 (宿屋の畳がひっくりかえり、床下に白骨)

 「二、三人寄るところへ寄るべからず」

 (人が三人いる峠で、山津波が)

 「短気は損気」

 (おくさんと和尚さんが浮気)

 

話を買った話(正部家ミヤ昔話集/小池ゆみこ他・編/古今社2002年初版)

 男が家に帰ったとき、女房が間男していると思ったら、女房がいうことには、女一人で馬鹿にされるといけないと思って、藁人形に男の着物着せていつも横に座らして話をしていたというもの。
 一話一両で買った話。
 「柱のねえとこさば、宿とるな」
 「おっかねえと思ったらようくみろ」
 「堪忍袋の緒をしめろ」

 お堂にとまっていたら、夜にピカピカーと何か光ものがとんできて、よくみたら金の塊。「おっかねえと思ったらようくみろ」という。


十両のことば(ちゃあっちゃんのむかしばなし/中脇初枝・再話 奈路道程・絵/福音館書店/2016年) 
            
 十両を出して、ことばを買います。
 「雷の鳴るときは大木の下におるな」
 「つり天井の下に泊まるな」
 「はらがたったときは、どっこいしょ と三べん言ってみよ」

 「どっこいしょ」というのが独特でしょうか。
 旅に出ていた男が家に帰ってみると、よめさまの脇には大きな男。浮気と思ったら、よめさまが一人で留守番をするのがこわくて、おじさんにきてもらっていたというもの。
 高知県のものです。

 夢はテーマになりやすいのですが、話(ことば)を買うというパターンは、外国のものではみたことがありません。四千貫、一両、十両というのは、とても高いと思うのですが、命が助かるのですから、安いということでしょうか。


眠り猫

2021年06月27日 | 絵本(日本)

     講談えほん 眠り猫/宝井琴調・文 ささめや ゆき・絵/福音館書店/2021年

 

 江戸時代のはじめごろいた左甚五郎のお話。

 甚五郎が彫った鯉が池で泳いだ、木彫りの大黒さまがげらげらわらった、彫った鷹がとんでいったなどのうわさが江戸中にひろがっていました。上野寛永寺の鐘付き堂に彫った龍が、夜な夜な柱を抜け出して不忍池の水を飲む、という大騒ぎまで。

 そんな甚五郎に日光東照宮にかざる猫を彫るようにとの下知。ただし日光に六兵衛というすぐれた彫り物師がいて、二人につくらせて、よくできたほうを門にかざるという条件がついていました。

 六兵衛は、お参りの人がおそれおののくような眼光鋭い猫を彫りますが・・・。

 

 子どもが講談を聞く機会はあるでしょうか。娯楽が乏しい時代には、ラジオで講談を聞くこともありましたが、いまはあまりありません。左甚五郎や大久保彦左衛門といえば有名人?ですが、絵本で知るというのが今風でしょうか。眠り猫の意味を調べてみると興味深いものがあります。


山ぶしごんだゆう・・栃木

2021年06月26日 | 昔話(関東)

          栃木のむかし話/下野民俗研究会・編/日本標準/1977年

 

 あるとき、ごんだゆうという はらぺこの山伏が、茶店で「すぐにできるものはないか」と頼むと、こじきみたいな ごんだゆうの格好をじろっと下から上まで、うたがいぶかそうな目で見たばあさん。

 「うどんができっがよ、これから湯もわかさにゃならんし、うどんたまも、そんなに、ぶってねえんだ」と。迷惑気にいって、おくへひっこんでしまいます。がっかりしたごんだゆうは、店先のえんだいに、しゃがみこんでしまいました。

 しばらくして、ごんだゆうが休んでいる前を、旅姿の侍がとおりかかりました。侍が、はらのたしになるものでも食っていこうと、店先で声をかけると、おくからでてきたばあさんが、侍の足から頭までよーくみてから、うどんをつくりはじめます。

 ばあさんが、うどんだまをだし、のばし、トントンと切り上げ 鍋に入れますが かまどは真っ赤に炎をだしているだけで、鍋からは、いつになっても湯気ひとつでません。

 侍からはやくしてくれといわれますが、いくらやっても湯が沸いてこないので、ばあさんはすっかり、まいってしまいます。すると、ごんだゆうは「ゆをにたたせねのは このおれが法をかけたからだ。こじきぼうずのおれが、はらへってたのんだときには、ことわっておいて、二本差しのさむらいにゃ、ふたつ返事で、うどんをつくってやるなんて、どうりにあわねえ。これからなあ、人のすがた、かっこうで、あきないをするんだったら、この湯は、ずっと、にたたせねえ。」って、いいきかせます。

 ばあさんがびっくりして、地べたに、ひたいをすりつけんばかりにあやまると、鍋の水がみるまにぷくぷく あわをたてながら、いっきにわきあがったんだと。

 

 「こんな話聞いたっけ」と、おわりのことばも面白い。


おばけむら

2021年06月25日 | 田島征三

   おばけむら/文・南部和也 絵・田島征三/教育画劇/2004年


 山の奥深くのひなびた村に、遠い村からある相談が持ち込まれました。村でつかまえたおばけを こちらの山奥に はなしてもいいかというものでした。

 村長は「こまったときは おたがいさまじゃ、わしらの村は 広くやまぶかい。山奥で はなすなら なんの 問題も おきんじゃろう」と、受け入れました。このとき遠い村では、おれいに美しい反物や焼き物をおいていきました。

 しばらくすると、もっと 遠くの村から 一行がやってきて 金や銀でできた 置物を差し出し おばけを 棄てさせてくれるよう申し込みました。「うんと おくのほうなら」と、村長はおばけを はなすことをうけいれました。

 うわさをききつけ、毎日のように あちこちの村から おばけをつれたひとたちがやってきて、たくさんのお礼をおいていくので、村の人々は 豊かにくらせるように なりました。

 一方、山の奥では、おばけたちが どんどん こどもをうんでふえていきました。

 やがて、おばけは 村にもあらわれるように なりました。

 これに気づいた村長は、村人が おばけが ちかくに ひそんでいることに きづかないよう 毎日がお祭りと 酒をふるまいます。 

 しかし、ふえはじめた おばけたちは やがて村長や村人たちの 生活を脅かしていきます。

 

 田島さんが描くおばけがとってもユニーク。子どもたちは このおばけだけでも 楽しめます。意図したものではないでしょうが、中には新型コロナをおもわせるおばけも!

 ただ大人にとっては とっても耳の痛いことだらけ。お金を出すからやっかいなものをひきとってもらおう というのはきわめて身勝手。

 はじめは善意でおばけをうけいれた村長が、高価なお礼に目がくらんで 隠ぺいに走るのは 今でもみられる光景。

 「もう、むかしの ひなびたむらには もどれない。それなりのしあわせは もどらない」

 わたしたちは どの地点まで きているのでしょうか?


かたあしだちょうのエルフ

2021年06月24日 | 絵本(日本)

 

     かたあしだちょうのエルフ/おのき がく/ポプラ社/1970年

 

 エルフは、若くて 強くて すばらしく 大きなだちょう。

 子どもたちを 背中に乗せて草原をドライブし、木の実や 種のお弁当を くばってくれるので みんなの人気者。

 ところが、ある日、子どもたちをまもるためにライオンとたたかって、たいせつな片足を食いちぎられてしまいます。

 はじめのうちは みんなが心配して、食べ物をとどけてくれたりしましたが、日がたつにつれて なんとなくわすれられていき、ひとりぼっちになりました。

 一日に いくらもあるけず ひからびた木の根っこや なにかの骨、石ころなんかを食べて過ごす日が多くなりました。

 ハイエナは「たおれれば おれたちのえさに なるのにな」と、ぶつくさいい はげわしも「エルフ、はやくおれたちの えさになってくれや。」といいます。

 そんなとき、子どもたちを襲う黒豹にきがつきます。

 エルフは、じぶんのからだのことなど 忘れて、にげおくれた子どもたちをせなかにのせると、力をふりしぼり、黒豹にたたかいをいどみました。

 黒豹は、エルフの一本の足にとびつきますが、そのたびに くちばしで めだまや はなを つつかれるので ぱたんとおちてしまいます。黒豹は さんざんいためっつけられて、よぱっらいのように ふらつきながらにげていってしまいます。

 子どもたちが「エルフ ありがとう。」とさけんで、エルフを見ると・・・。

 初版から半世紀たちますが、黒を基調とした力強い版画が印象的です。エルフは、千をあらわすアフリカの言葉。

 最後のページに、木になったエルフのシルエットが浮かんでいる様子に、アフリカの大草原のイメージが重なります。

 自分を犠牲にしてでも子どもたちを守ろうとする姿は、優しさだけではなく、生きかたを問いかけているようでした。


くま!くま!くまだらけ

2021年06月23日 | 絵本(外国)

     くま!くま!くまだらけ/ルース・クラウス・作 モーリス・センダック・絵 石津ちひろ・訳/徳間書店/2014年

 

 ベッドでくまのぬいぐるみと一緒の子に嫉妬したのか、イヌがぬいぐるみをくわえて にげだしました。

 フォークをもって 追いかけると

 あっちもくま あっちもくま くまだらけ

 階段にも くま

 くまがイスに座り イスの下にも くま

 お風呂には あわだらけの くま

 にわでも くま

 はじめから おわりまで くまだらけと そんだけ

 

 国によってテディベアの受け止め方は文化?の違いがありそうです。

 くまの表情も 微妙に変化していきます。


さらやしきのおきく

2021年06月22日 | 紙芝居

      さらやしきのおきく/脚本・桂文我 絵・久住卓也/童心社/2004年

 

 十枚のお皿を 失くしたり 割ったりしてはならんと、代官からきつくいわれたおきくさん。

 代官は一枚の皿を隠し、おきくを 責め立てますが、おきくさんが知るわけがありません。(代官はおきくさんを ものにしようと していました)

 代官は おきくを 井戸に放り込んでしまいます。

 それから真夜中になると、おきくのゆうれいが。

 部屋中に おきくのゆうれうがあらわれ、代官は 自分の刀で 喉をついて しんでしまいます。

 ここまでは番町皿屋敷。ここではおわらず、後半は 落語風。

 古い屋敷で、皿の数を数えているという噂が流れ、九枚をきくと 死ぬのなら 七枚で逃げたら死ぬことはないと 物見高い連中が 皿屋敷へ。

 それから 毎晩毎晩皿屋敷へ おきくをみにいく ひとがふえていきます。

 <おきくまんじゅう><おきくせんべい><おきくもなか>、<おきくまさむね>というお酒まで売る店まででます。

 観客が集まると おきくさんも「みなさん、いらゃしゃいませ」と、あいさつをするようになりました。

 ある晩、おきくは一枚、二枚とかぞえはじめ、・・九枚まで。さらに十枚、十一枚、十二枚・・とつづいて十八枚まで数えると・・・。

 なぜ?

 前半の怪談調の部分も、絵が明るくこわさがありません。残酷と思うのはどうでしょうか。


はだかのカエルとはだしのライオン

2021年06月21日 | 絵本(日本)

     はだかのカエルとはだしのライオン/ささめ ゆき/講談社/2007年

 

アフリカクロツメカエルは悩みおおき楽天家。

アフリカライオンは快楽主義のさみしがりや。

ライオンとカエルが出合い、お互いに贈り合ったものは?。

上着、ネクタイ、靴下、ズボン、靴、帽子・・・。

立派になったものの、全部脱いでカエルは池へ、ライオンはシマウマをねらいます。

だんだん身に着けていくシーンが ほとんど。そして向き合うと とつぜん 着ているものをぬぎすてます。

文はありません。表紙にかかれた文がすべてです。

僕らしく、君らしく。その服は 本当に似合っているのかい? その靴は、自分になじんでいるのかい?

聞かれて、すぐに答えられません。枠のなかで生活していて、枠そのものに疑問をもたないでいるのかも。


だんだん ぐんぐん ずんずん どんどん

2021年06月21日 | 絵本(日本)

     だんだん ぐんぐん ずんずん どんどん/荒井真紀・作/福音館書店/ちいさなかがくのとも2021年7月号

 

なにかがだんだんどんどんのびる様子。何かな?

畑につるが のび

つるのさきに 花

花が ぽっ ぽっ ぽっ

花のしたが ふくらんで

小さな実が

ちいさな実がどんどん おおきくなって

ぐんぐん ずんずん どんどん おおきくなって

 

この時期、キュウリやメロン、カボチャも どんどん ぐんぐん ですが やはり これでしょうか?

よくみると 表紙には 種です


赤城のへっぷり鬼・・群馬

2021年06月20日 | 昔話(関東)

          群馬のむかし話/群馬昔ばなし研究会・編/日本標準/1977年

 

 舞台は赤城山。赤城山といえば国定忠治の名セリフが思い浮かぶ。

 

 図体はでかく、力もめっぽう強い赤鬼と青鬼。力勝負をしてもきまりがつかない。

 何やら目算があって、今年こそ祭りの日に勝負をつけることに。

 目算というのは鬼の大好物の山芋がいつにもなくできていたこと。赤鬼は東の里、青鬼は西の里で見つけた山芋をたっぷりため込み、大勝負の前にたらふく食べて力をつけ相手の鼻をあかしてやろうという算段。

 祭りの日が近づくと、鬼は山芋を、やいたりにたり、ふかしたり、あらゆる方法でぱくぱく食いに食った。ところが芋ばっかりくったので、はらがたって、立ちゃ、ブウ、すわりゃブウ、笑えばブウ。体を動かすたんびにとびだして、とまらない。小鬼たちこそいい迷惑。しかし、それもこれも大勝負を前にしての大事。みんな鼻をつまむやら、外に逃げ出すやらで、なんとか我慢をし続けた。

 いよいよ大勝負の日、ガチッと音を立ててぶつかり合うと、火花がとびちり、それがあたりの木にかかって、きれいな紅葉になったんだと。

 どちらもゆずらず取っ組みしていると困ったことがおこった。どちらかこらえきれずにブウッとやりゃ、力が抜けてしまう。我慢に我慢を重ねて、大きい声で気合を入れると、たがいのおならが「グオーッ」とばかり、山をゆるがせてふきだしたもんだ。応援していた小鬼たちや行司も、土煙といっしょに里のほうまで吹き飛ばされてしまう。これが赤城のからっ風という。ところがそれだだけでなく赤鬼、青鬼も勢いで空高く舞い上がってしまう。

 落ちた拍子に大きな沼と小さな沼ができてしまう。それでも勝負はつかず、いまだに勝負を続けているので、からっ風をふかせているという。


あおいろペンギン

2021年06月19日 | 絵本(外国)

      あおいろペンギン/ペトロ・ポラチエック・作 青山南・訳/化学同人/2021年

 

 遠い遠い南極にあおいろのペンギンがうまれました。ほかのペンギンはあおいろのペンギンなんて見たことありません。

 「ほんとうに ペンギン?」ほかのペンギンは聞きます。

 あおいろのペンギンは、ほかのペンギンがすることは ぜんぶしました。だけど「わたしたちとは いろが ちがうね」とほかのペンギンは はなれていきました。

 ひとりぼっちのあおいろペンギンは、昼はさみしく、夜は 夢をみるばかり。よくみる夢 の一つに 白いクジラがやってきて、ひとりぼっちの さみしいところから たすけだしてくれるのがありました。

 あおいろペンギンは、白いクジラの歌を作り、毎朝、海にむかって 歌います。その歌に、ある日 ちびのペンギンが きがつきました。はじめはちびのペンギンだけでしたが、すてきな歌にひかれて、みんなが集まってきます。

 みんなで 歌をうたおうとしたとき、白いクジラがやってきます。「わたしをよぶうたがきこえてきたので やってきた」というクジラと どこか別のところにいこうとしたあおいペンギンに、ちびのペンギンは 「いかないでよ。ともだちになったのに」といいます。するとほかのペンギンも「いかないでほしい」「きみは わたしたちの ともだち。おなじペンギンだよ」と ひきとめます。

 あおいろペンギンは・・・・。

 

 自分たちの価値観で判断しがちですが、それとはちがう少数者の価値観も大事にする多様性のある社会、まだまだ実現は難しいところもありそうです。

 最近読んだ絵本に「それしかないわけ ないでしょう!」がありますが、このフレーズがぴったりです。


信玄堂のお地蔵さま・・群馬

2021年06月18日 | 昔話(関東)

          群馬のむかし話/群馬昔ばない研究会・編/日本標準/1977年

 

 村の信玄堂には十二のお地蔵さまがまつってあったが、あるおっしゃんがお地蔵さまが十三になっていることに気がつきます。

 おっしゃんは、ばけものがばけているにちがいないと、ある晩、「おれがけえってくるっちゅうと お地蔵さまは頭をさげてくれるんだけど、ちかごろは頭をさげねえお地蔵さまがひとついるなあ。」と、嘘っぱちを言いいます。する次の晩、おっしゃんをみて ペコペコ頭を下げるお地蔵さまがありました。

 おっしゃんが さらに「めえにいっぺんお堂の掃除をしてくれるお地蔵さまがいたっけなあ。お堂がまたきたなくなってきたから掃除でもしてもらいてえもんだ」というと、お地蔵さまは急に、尻からでっけえ尻尾を出して、箒代わりにして右に左に さっさか さっさか はじはじめました。

 「うちの地蔵さまはみな、踊りもじょうずにおどってくれるんだっけなあ」と、おっしゃんがいうと、お地蔵さまは、でっけえ尻尾をだしながら、陽気に踊りだします。

 おっしゃんが、「もう人間さまをばかすんじゃねえぞ。」と、尻尾をつかんでなげつけると、お地蔵さまはコーンとないて とたんにキツネに戻って山へとんで逃げていきます。

 

 お地蔵さまに化けたキツネを、三回も翻弄する人もいじわる。キツネの素直さが愛おしくなりました。

 採話が富岡東高校郷土研究部とあります。高校生が地元の昔話を集めるというのも、今では難しくなっているかもしれません。


ちょうちょのために ドアを あけよう

2021年06月17日 | 絵本(外国)

      ちょうちょのために ドアを あけよう/ルース・クラウス・文 モーリス・センダック・絵 木坂涼・訳/岩波書店/2018年

 

 小さな坊やの 読者(大人も!)に向けたアドバイスが満載。味つけもたっぷり。

 小型の絵本で、1988年にセンダックが絵をかいていますが、モノクロで どこを読んでも独立しています。

 いわく

 「おねだりするとき どんな かおを したら いいか れんしゅうしておくといいよ」

 「ワニと それちがうときは まずそうな かおを すると いいよ」

 「おやの かおが みてみたいってこと あるよね」

 「そんなに つかれたって いうなら、つかれを ポイって すてちゃえば いいのよ」

 「おかあさんと おとうさんを つくるのは あかちゃん もし あかちゃんが うまれなければ ふたりは どっちも ただの ひと」

 「きょうが おわるってことは あしたが はじまるってこと」

 「りんごにも なりたくないな かじられちゃうから」

 「ないものじまんを しよう」

 うなずいたり、わらったりです。


もっかい!

2021年06月15日 | 絵本(外国)

     もっかい!/エミリー・グラヴェット・作 福本友美子・訳/フレーベル館/2012年

 

そろそろ おやすみのじかん。

ドラゴンの子が 読んでもらっているのは 真っ赤な怖いドラゴンの絵本。

「あした もういっかい やるからな!」と、おわると もっかい?と ドラゴンの子。

もういっかい読んでもらい、よみおわると もっかい!

あした もっかい よんであげるからというと もっかい! もっかい!

おかあさんが ねむりはじめると もっかい! もっかい! もっかい!

なんどもなんども ”もっかい” というドラゴンの子。

ドラゴンの子が ”もっかい”とくりかえすたびに おやおや 絵本のなかの ドラゴンのように 体がだんだん赤くなって しまいには 口から赤い炎が!

何とも楽しい終わり方になっています。

何回も読まされて、絵本の内容が 簡略化されていくのも はやく終わりたいという親の気持ちの反映。

 

ドラゴンの子をセドリックと勘違いされている方もいますが、絵本に出てくるドラゴンの名前です。