どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おてがみちょうだい

2016年01月31日 | 絵本(日本)
   

       おてがみちょうだい/作:新沢 としひこ 絵:保手浜 孝/童心社/2011年初版

 

 ある日ウサギのピッチは 郵便屋さんのヤギのコージーおじさんについていきます。
 リスのコニーへは、お友達のレミーから
 タヌキのポーリーには、おばあちゃんから
 クマのジョージには、ふくろうのポッポさんからの手紙でした。

 手紙が欲しいなら、まず自分でかいてみるっていうのはどうだい?とコージーおじさんが言うので、ピッチはみんなに「あした遊びに来て」って手紙を書きます。その手紙を大急ぎで届けに行くコージーおじさん。
 次の日、コニー、ポーリー、ジョージがやってきて、楽しい時間を過ごします。

 次の日には、「きのうは楽しかった」よという3通のお手紙が届きます。


 年賀状などは別にして、手紙をかくことがほとんどなくなってきましたが、思わず誰かに書いてみたいと思わせます。

 悪筆なのでと弁解がましい理由をつけていますが、いくら悪筆であっても肉筆のもつあたたかさは、別ですね。

 郵便箱に思いもかけない人からの手紙が届いた時のドキドキ感。

 お礼の手紙であっても、絵手紙なんかだと嬉しさが増します。


かあさんをまつふゆ

2016年01月30日 | 絵本(外国)
かあさんをまつふゆ  

    かあさんをまつふゆ/作:ジャクリーン・ウッドソン 絵:E.B.ルイス 訳:さくま ゆみ/光村教育図書/2009年初版

 

 表紙の、外を見つめる少女は肖像画のようにも見えます。

 おばあさんと二人暮らしのエイダ・ルースは、なんどもお母さんに手紙をかきますが、返事がとどきません。
 お母さんは、「黒人の女でもやとってくれるんですって」といって、シカゴに出かけて行ったのです。

 降り積もる雪の中で、おばあさんと外を眺め、郵便屋さんをまつ日々。

 「せんそうはおわらない」とありますが、いつの戦争であったかは定かではありません。お父さんのことはなにもでてきませんが、多分戦地におもむいていたのかもしれません。

 黒人差別が厳しい中で、懸命に生きる母と子、おばあさん。
 迷いネコをかわいがってはいけないよとエイダ・ルースにいうおばあさんですが、口とは裏腹に、ネコに乏しい食べものから、ミルクをあげます。

 やがて、ストーブの上に つるした うわぎから、ゆげがたちのぼり、あつあつのココアを目にしているとき、郵便屋さんがやってきます。

 留守番中に、エイダ・ルースは、「おさとうみたいな におい。」「お日さまみたいな におい。」「せんたくせっけんの においがすることもあった。」と母を思います。


 多くは語っていないのですが、背景に戦争があり、人種差別がありますので、大人にこそ読んでほしい絵本です。

 外は雪。ストーブとココアの温かさが、母子関係のの温かさもしめしているようです。        


自分はネコだと思っていた犬と自分は犬だと思っていたネコのお話

2016年01月29日 | 創作(外国)

     自分はネコだと思っていた犬と自分は犬だと思っていたネコのお話/お話を運んだ馬/作:I.B.シンガー 訳:工藤 幸雄/岩波書店/1981年初版


 娘三人と、犬とネコが一匹ずつの貧しいお百姓、ヤン・スキバは、一部屋きりのわらぶき小屋にすんでいて、あるものといえば最小限のものばかり。鏡は贅沢品でした。
 それでも、犬とネコはなかよしでした。

 ある日、村に行商人がやってきて、娘たちが夢中になったのは鏡でした。
 分割払いで鏡を買うことにしたのですが、これまで見えなかった欠点がとたんに見えてきます。
 娘の一人は、前歯がぬけ、もう一人は鼻があぐらをかいており、もう一人はそばかすだらけ。女たちは鏡に夢中になって家事一切をすっぽかします。
 おまけに、これまで取っ組み合いをしたことのなかった犬とネコも、鏡にうつった自分を見て喧嘩をはじめ、相手を殺しかねないことに。

 家じゅうがめちゃくちゃになってヤン・スキバは鏡を行商人に返します。
 すると、犬とネコはもとどおりになり、いったんは自分の顔の欠点を見てしまった娘たちも、そろって幸せに結婚しました。

 ヤン・スキバはいいます。
 「鏡に映るのは体の表がわに過ぎない。人間の真実の姿は、その人の心がけにある。自分自身や自分の家族を大事にし、そして人生で行き会う人みんなに、できるかぎり親切をつくす。その心がけだ。こういう鏡に照らしてこそ、人間の心がくっきりみえてくるものだ。」

 なにが大事なのかを語りかけますが、どうしてもうわべを気にすることが多いので、自分にとっては耳の痛いところです。

 作者のアイザック・バシェヴィス・シンガー(アメリカ、1904-1991)は、1978年度ノーベル文学賞受賞者。チム・ラビットの作者というのがわかりやすいかもしれません。
 ポーランドのユダヤ系の家庭に生まれ、アメリカに亡命し、ヘブライ語系のユダヤ語にスラブ語などが混ざった言語であるイディシュ語新聞を編集しながら、この言語で小説を書いて発表しています。

岩波少年文庫 43 お話を運んだ馬  

はじめての旅

2016年01月27日 | 絵本(日本)
はじめての旅  

           はじめての旅/文・絵:木下 晋/福音館書店/2013年初版

 

 結婚をして子供もいるお母さんが、火事をきっかけに夫婦仲が悪くなって、家をでてしまいます。
 一人ぼっちで父親の帰りをまつぼく。
 6歳になったある日、父親の留守に、お母さんがやってきて
 「いっしょに出かけようか」といます。
 お母ちゃんと一緒にいられるのがうれしくて、ぼくは「うん」と答えます。

 線路の上をあるき、ときには野宿し、お母さんは町の食堂で皿洗いの仕事をして、旅を続けます。

 お母さんが連れていってくれたのは、小さな墓地でした。
 「むかし、好きなひとがいたの。そのひとは若くして死んじゃった。かわいそうなひとだった」とつぶやくお母ちゃん。

 お母ちゃんにどんな思いがあったかわけがわからないけど、ぼくは墓石にむかって手をあわせます。

 ずっとむかしと冒頭にあります。なにも語っていないのですが、この墓地に眠っているのは、戦争で死んだ初恋のひとだったのかもしれません。

 10Bから10Hまでの鉛筆で22段階の濃淡を使い分けられて描かれたというこの絵本ですが、お母さんの手、白髪の目立つ髪、顔にきざまれた表情が印象的で、大きくえがかれたユリの花も心に残ります。                      


白い街 あったかい雪

2016年01月26日 | 絵本(日本)
白い街 あったかい雪  

      白い街 あったかい雪/文:鎌田 實 絵:小林 豊/ポプラ社/2013年初版

 

 お母さんが息子アンドレイと散歩にいったとき、くろっぽい雨に濡れてしまいます。
 この黒い雨はチェルノブイリ原発の事故が原因でした。

 10年後、アンドレイはつらい治療をうけていました。何も食べられず、髪の毛は全部ぬけてしまいました。
 食欲がなかったアンドレイでしたが、日本からきたヤヨイさんから、「なんだったら たべられるかな?」と聞かれ、「パイナップル」とつぶやきます。

 寒いこの国にはパイナップルはありません。
 しかし、ヤヨイさんは、マイナス20度の雪の中、病院をでていきます。

 何日も何日も「パイナップルありませんか」とないはずの、パイナップルをもとめて、雪の中を歩き続けるヤヨイさん。

 やがて町中のうわさになります。

 そして病院にパイナップルの缶詰が届けられます。

 何も食べられなかったアンドレイでしたが、少しづつご飯も食べられるようになって、びっくりするくらい元気になったアンドレイでしたが・・・・。

 14歳の時、白血病が再発して亡くなります。

 なぜ、なにも わるいことをしていない わたしたちが・・・。
 なぜ、なぜ、なぜ・・・。
 あのひ、わたしが さんぽに つれていかなければ・・・。
 くろい あめに ぬらさなければ・・・。
 そとで あそばせたりしなければ・・・。

 お母さんの思いが切ない。

 そしてこの地で、医療活動に従事した鎌田 實さんとパイナップルを懸命にさがしもとめた看護師ヤヨイさんに温かいものを感じました。

 鎌田さんのあとがきに「あたたかな気持ちは他の人の気持ちをあたたかくし、次々にあたたかな連鎖を起こすことがよくわかりました」とあります。

 いったんおきてしまえば、想像を絶する被害をうむ原発。今また原発を再稼働していますが、歴史の教訓はどこにいったのでしょうか。


おやゆび小僧・・ペロー

2016年01月25日 | 昔話(ヨーロッパ)

 ペローの「おやゆび小僧」の冒頭部に、貧乏なきこりの夫婦が、7人いる子どもを、森に連れていって捨ててこようとする場面があります。

 話を聞いたおやゆび小僧は、小石を拾い、森にいくとき目印に道に落としていくので、なんとか家に帰ることができます。

 思わぬ収入があった夫婦は、子どもが帰ってきたことを喜ぶますが、それも長続きせず、また子どもを捨てようとします。

 おやゆび小僧は、また小石を拾おうとしますが、朝早くでかけたので、小石を拾うひまがありません。そこで今度は、森に向かう途中、パンくずを道にまいておきますが、小鳥がパンくずを食べてしまって家にかえれず、人食いの家に転がりこんでしまいます。

 グリムの「ヘンゼルとグレーテル」の冒頭部のシュチェーションは、ほとんどペローのものと同じです。

 最後はめでたしめでたしになるのですが、日本の昔話には子どもを捨てるというのがないように思います。

 これと似たものをあげると姥捨てでしょうが、逆に外国には姥捨ての話が見られないので、このへんの違いも興味深いところです。

 子どもを捨てるのはやむをえない選択としてでてきますが、日本の姥捨ては、お上からのおたっしで捨てることになるのにも違いがあります。


空にさく戦争の花火

2016年01月24日 | 絵本(社会)


    空にさく戦争の花火/作・高橋秀雄 絵・森田拳次/舎人社/2015年初版

 

 発行日が2015年8月15日とこだわりがあります。

 今はもう亡くなった春造おじいちゃんの笑った顔をみたことのないシンゴ
 春造さんは花火大会の夜になると部屋にこもってみたことがありません。

 お盆に、春造さんの戦友だったというおじいさんが遺影に手を合わせに来てくれます。
 おじいさんも花火がきらいというのですが・・・・

 おじいさんは、水平線をうめつくすほどの戦艦の艦砲射撃のことを語ってくれます。
 人の死体をどんな思いで埋めていただろうかとシンゴは考えます。

 花火の音も煙も爆発して光ったら艦砲射撃されてるのと同じだなと、春造さんの遺影に語りかけるおじいさん。
 花火を見て、戦争なんか思い出させないような世の中にしてくれとシンゴに語るおじいさんです。

 シンゴがみたという春造さんがたった一回笑ったエピソードも印象に残ります。
 
 親しみの持てる人物像が素朴な感じがします。         

 おと・におい・ひかりのように、五感で戦争の悲惨さを実感し、二度と戦争を起こしてはならないと子どもが自分の力で思えるようなものにしたいという作者の思いが伝わってくる絵本です。        


こぐまと二ひきのまもの

2016年01月23日 | 絵本(日本)
こぐまと二ひきのまもの  

          こぐまと二ひきのまもの/作・絵:西川 おさむ/童心社/2004年初版

 

 りっぱなまものになるためには悪行を積み重ねなければならないので、どこか剽軽で愛嬌があるベロンとゴッシは旅に出ます。
 はじめて会った人間から銃をうたれ、おもわず人を倒してしまいますが、あかんぼうが残されていました。
 ベロンとゴッシは、やぎの乳を飲ませながら旅を続けます。

 ある日、人間がクマがりをしているのに出会い、こぐまが草むらに隠れて、涙を浮かべているのを見た二匹は狩りをする人間に立ちむかいますが、用心が足りなく、あかんぼうをころされてしまいます。

 かなしみにおそわれた二匹は、ほんもののまものとなって人間におそいかかります。
 ベロンの舌には恐ろしい棘が生え、ベッシの体の毛の一本一本が剣となって、何日もたたかい続けます。

 やがて二匹はこぐまを守って、成長を見届けます。

 しかし、なさけをかけた代償は大きく、二匹のまものは、ごうごうと風がふいいたとき、こわれて闇の中に飛んで行ってしまいます。


 魔物といっても、ここにでてくるのはネコやハリネズミ?、大きなカエル、イノシシといった面々で怖くはないのですが。

 悪行を積むことができず、チリになってとんでいく最後は、何か切ない感じが残ります。

 人と動物のかかわりに、魔物がでてくるのですが、切り口をかえると、いろいろな見方ができるようです。


<みっつボタン>の家

2016年01月21日 | 創作(外国)

     みっつ>ボタンの家/兵士のハーモニカ/ロダーリ童話集/関口英子・訳/岩波少年文庫/2012年


 あだなが<みっつボタン>の家具職人、とても貧しい村なので仕事がありません。そこで別の村に行くため、車のついた小さな木の家をつくり、村をさっていきます。自分と金づちと鉋を入れるともういっぱいの小さな家です。

 ところが途中大雨がふってきて、ひとりの老人が中に入れてくれるよう頼みます。入れる広さはないはずだったのですが、老人はなんとか家にはいることができます、
 雷が鳴り続けるなかで、三人の子どもをかかえた母親が雨宿りのために家の中にいれてくれるよう頼みます。今度も4人が家の中に入ることができます。
 さらに、濁流に小屋を流されたきこり、外国に働きに行く二人連れの若者などが次々にやってきます。
 王さまもやってきて、不思議な家は、材木の問題ではなく、心の問題なのかもしれぬといいます。


 訳者のあとがきに、ロダーリの創作のコツが紹介されています。
 「よく知られた童話に思いがけない要素を加えてみる」、「童話の要素をひっくりかえしてみる」というのですが、この<みっつボタン>の家は、ウクライナの「てぶくろ」を思い出させます。

 雪の森の中に落としてあった手袋に、まず最初に、ねずみが手袋の中にはいります。次にやって来たのは、かえる、それから、うさぎ、きつね、おおかみ、いのししが次々とやって来て手袋に入ります。
 手袋ですから、こんなに入れるわけはないのですが、そこはお話で、素直に楽しめます。

 手袋を小さな家に置き換えると、<てぶくろ>の話そのもです。


絵本を読む・・病院の中で

2016年01月20日 | 日記

 病院の中。

 どうやら、お母さんの出産で、パパ、3歳ぐらいの男の子、おじいさん、おばあさんがきていました。

 男の子はママに手紙をもってきたようでした。

 待合の時間にパパが絵本を読んでいたのですが、そのときの子どもの反応が印象に残りました。

 パパに反応してすぐ男の子がかえし、絵本を読んでいる途中では、パパをさえぎって、多分、リンゴがいくつあるかかぞえだし、パパがほかのものはいくつときくと、すぐにそれを数えていました。

 読み聞かせの最中に、対話がはずむのも1対1のいいところ。
 集団ではこううまくいきません。

 集団は集団のよさがありますが、基本は1対1の関係でしょうか。

 また絵本には対象年齢が書かれている場合がありますが、あくまで参考にしたいところです。

 年齢にかかわらず、楽しめるのが絵本。子ども向けと思っていても、意外と大人が楽しめるものも多いのにきずかされます。

 いつも読ませていだだいているブログに、中学生に絵本を読んでいるのがありますが、はじめは、中学生に絵本?と疑問だったのですが、いろいろ読んでいるうちにそうでもないんだというのもわかってきた感じです。

 ところで、絵本のことを知るためには、絵本ナビが最適。

 読んだことがない絵本でも大抵の場合は、このサイトで調べることができます。
 学校や保育園などでの読み聞かせリストがのっているブログがあって、内容がわからない場合でも、調べることができるので重宝しています。

 ほかの方の感想や、お子さんや読み聞かせの反応がどんなだったかも参考になります。

 利用されている方も多いようですが、びっくりしたのは、同じ方の感想が6千件をこえていたこと。
 一日1冊でも20年を必要とする数。
 この4年間かなりふれることができた絵本ですが、この数字をみると、まだまだほやほやのようです。


天の火をぬすんだウサギ・・北米インディアン

2016年01月19日 | 絵本(昔話・外国)


    天の火をぬすんだウサギ/作・絵:ジョアンナ・トゥロートン 訳:山口 文生/評論社/1987年初版


 北米インディアンに伝わる火の起源伝説の二つの話がもとになっています。

 昔、地上に火がなくてどこもかしこも寒かった昔の話。
 高い山の上には火があり、守っているのは天の人。
(天の人というのは神様のようですが、ここではインディアンがえがかれています)。

 森のなかで一番賢いウサギが、きれいな羽根飾りをつくり、もえやすいマツヤニを羽根にぬりつけて、天の火をとりにでかけます。
 トウモロコシや魚がどっさりとれる素敵な踊りを教えにきましたよと話しだします。天の人はすっかりうっとりとし、自分たちの踊りの輪のなかで一緒に踊り始めます。
 やがて羽飾りに火がつくと、ウサギはすかさず逃げ出します。
 リス、カラス、アライグマ、シチメンチョウ、シカとリレーして、火を森の中に隠すことに成功するのですが。

 リスのしっぽがまるい、カラスが黒い、シチメンチョウの首の上に羽がない、シカのしっぽがみじかいなどのわけを、火のリレーにからめています。これまでの話では、いわれが特定のものにかぎられているので、目新しいところ。

 枝をこすり合わせて、火をおこすという最後の場面でいうと、火そのものを盗んだわけでなく、知恵を盗んできたようです。

 火は人間にとって欠かせないものだけに、塩のいわれとおなじく、世界のどこにでも同じような話があってもおかしくないのですが、これまであまり目にしたことがありません。       


フィオリモンド姫の首かざり

2016年01月17日 | 創作(外国)

     フィオリモンド姫の首かざり/ド・モーガン・作 矢川澄子・訳/岩波少年文庫/1996年初版


 それはそれは美しいフィオリモンド姫でしたが、魔女から魔術をおそわっていて、美しくなったのも魔女のおかげでした。

 王さまはフィオリモンド姫を結婚させようと、近隣のあらゆる国に使いをおくります。

 求婚者が次々にやってきますが、求婚者がフィオリモンド姫の首にかけられた鎖に手をふれたとたん、宝石の珠となってなって鎖にあらわれます。

 フィオリモンド姫の召使のヨランダは、求婚者の姿がみえなくなると、フィオリモンド姫の鎖の球が一つ一つ増えていくのを目にします。

 11番目にやってきたのは、フロレスタンと、その親友のジャーベス。

 ヨランダは、フィオリモンド姫の秘密をジャーベスに話します。二人は寝ているフィオリモンドのところに、でかけていきますが、ヨランダもまた、姫の鎖に触ってしまい、12番目の珠になってしまいます。

 ジャーベスは求婚者に変装して、フィオリモンド姫のところにのりこみます。

 ジャーベスはどんぐりやさんざしの実や野ばらの実をあつめ、紐を通して首飾りみたいなものをもって王宮に入ります。
 ジャーベスは姫に向かって、あなたよりきれいな人がいると、フィオリモンド姫の自尊心を傷つけます。

 ジャーベスがもっていた粗末な首飾りが、その人を美しく見せる魔力をもっていると勘違いしたフィオリモンド姫が、自分の首飾りと取り替えようとすると、姫は13番目の珠になってしまいます。  

 求婚者の姿がみえなくなると、黒いマントをまとい、喪に服すと言いながら、一人になると、鏡に向かって涙が出るほど笑うフィオリモンド姫の存在感が抜群です。

 男をみじからの美しさを際立たせるために利用したフィオリモンド姫にとっては不幸な?結末ですが、永遠の美しさ、若さはありませんから、もしかしたら珠になることは、フィオリモンド姫が望んだ結果だったのかもしれません。

 また、13は不吉な数字と考えられていますから、フィオリモンド姫が13番目の珠になるというのも意味がありそうです。
         
 話すと一時間は超えそうな話ですが、聞く機会がありました。時間は35分ほど。時間の長さは感じさせない語り。あっという間に話の世界に引き込まれました。
 あたたかかったり、笑いがあったり、ぞっとしたりといろいろな語りがありますが、凄みを感じさせてくれた時間でした(2017.8)


仕立屋のニテチカさんが王さまになった話

2016年01月16日 | 絵本(昔話・外国)
仕立屋のニテチカさんが王さまになった話  

   仕立屋のニテチカさんが王さまになった話/コルネル・マクシンスキ・再話 絵:ボグスワフ・オルリンスキ・絵 足達 和子・訳/偕成社/2010年初版

 

 陽気な仕立屋ニテチカさん。
 まずは、あごひげが136本、自分が手にもっている針をくぐりぬけられるほどのやせっぽちとあって、あっという間に、話の世界に。

 ある日、ロマの女の人の足のけがを縫ってやると「西へいけば、王になれる」といわれ、針を100本、糸を10000キロメートル!(なんという長さ)と裁縫道具一式を持って町をでます。

 西はどっちと106歳のおじさんに聞けば、おひさまがしずむところ(まあ、そうでしょうね)だろうと答えがかえってきます。

 やせっぽちのニテチカさんは風にふかれて麦畑のまんなかに落ちますが、そこで会ったのは伯爵と名乗るかかし。
 ややくたびれたかかし伯爵の服を繕い、西へ西へ。

 途中、犬に襲われたり、悪魔の家に食事に招待されたり。

 やがてどしゃぶりの町へ着きます。何日も雨が降り続く町。
 この町の王女は、雨を止めてくれた人と結婚するというのですが・・・。

 ニテチカさんがとった方法は?

 ニテチカさんが悪魔の娘に見初められて、あわてたり、雨が空からふってくるというニテチカに「バカいっちゃいかん。下から上にふるわけがなかろう」とこたえ、ニテチカがどうしてこの町だけに雨が降るんだろうというと「よそは晴れだからじゃ」とこたえるかかし。軽妙なやりとりも楽しめます。

 悪魔の家はまるで何かの顔で、ぐるぐるまわっていて、聖歌をうたって逃げ出すだすのですが、二人の冒険談にワクワクします。

 ニテチカさんは、空に穴があいてしまって、穴を繕わないとこの世のおわりまでふるだろうと、空に昇って空の破れ目を縫うのですが、この場面は、語りで表現するのは難しそうです。

 この話を聞く機会がありましたが、絵本をみていたので、イメージがはっきりしました。      


わらのうし・・ ウクライナ

2016年01月15日 | 絵本(昔話・外国)
わらのうし ウクライナの昔話  

    わらのうし ウクライナの昔話/作:内田 莉莎子 絵:ワレンチン・ゴルディチューク/福音館書店/1998年

 

 ある日、おばあさんが、わらで牛を作り、横っ腹にタールを塗ってくれるようおじいさんにいいます。
 いったんは、ばかばかしいというおじいさんでしたが・・・
 
 翌朝、おばあさんは、藁の牛を連れて丘に登ります。おばあさんが居眠りをしている間に、クマがやってきて、牛のタールをはぎとろうとしますが、牛にくっついてしまい、離れらくなります。おじいさんはクマを穴蔵に閉じ込めてしまいます。

 次の日、おばあさんが丘に行くと、今度はオオカミが牛にくっついてしまいます。
 三日目もおなじように、キツネが牛にくっついてしまいます。

 クマ、オオカミ、キツネでいっぱいになった穴蔵のそばで、おじいさんがナイフを研ぎながら、クマの毛皮でいいオーバーができるかなと、独り言をいうと、クマはハチミツをたっぷりもってくるからに逃がしてくれといいます。
 オオカミは羊を、キツネはにわとりとあひるとがちょうを連れてくるから逃がしてくれいいます。

 おじいさんは、わしをだますなよと逃がしてやりますが・・・。

 動物は約束を守ったでしょうか。

 タールというイメージがわきにくいかもしれませんが、以前には道路の舗装につかわれていましたし、さび止めや防腐剤として、屋根や舟の修理に使われていたという注釈もあります。
 クマもオオカミもキツネも腹(毛皮)をくいちぎられ、そのために藁の牛に塗ってあるタールがほしかったのですが、それをあらかじめ見通していたおばあさんの眼力もたいしたものです。

 藁の一本一本、おじいさん、おばあさんの顔の皺、髭、動物の毛一本一本が丁寧に描かれています。              


大きくならないテレジン

2016年01月13日 | 創作(外国)

     大きくならないテレジン/兵士のハーモニカ/ロダーリ童話集/関口英子・訳/岩波少年文庫/2012年


 第二次世界大戦中、イタリアのレジスタンス運動に参加したロダーリの物語でしかできない世界。
 人間のやさしさと力を感じさせてくれます。

 父親が戦争でなくなり、母とおばあさん、小さい弟と残されたテレジンという女の子。テレジンは間違いだらけの世の中と関わりたくないと、大きくなることを拒否するようになります。

 友達が美しく成長し、弟もテレジンの肩ぐらいまでなっても、テレジンは少しも大きくなりません。
 「結婚できないよ」「恋もできないよ」「ハイヒールだってはけないよ」といわれても、小さいままでいようという決心をゆるがすような理由はありませんでした。

 しかし、母親が重い病気で入院し、おばあさんが泉から水を運ぶのが無理になると、おばあさんの手伝いをするため、少しだけ大きくなるのを決心します。
 軽々と水のはいったおけを運ぶようになったテレジンは、今度は、おばあさんが雌牛にほし草をやるのが無理になって、干し草を熊手で持ち上げようとしますが、熊手が鉛のように重く、干し草を運ぶのができません。
 おばあちゃんのかわりに、牛の世話をしようと、ほんの少しだけ大きくなるようにします。

 しばらくすると、おばあさんが亡くなり、まだ退院できないお母さんのかわりに、学校に行く弟の面倒をみ、買い物、お昼ご飯の支度、掃除、牛と鶏の世話、畑を耕すと、かよわい力ではどうにもやりきれない量の仕事が山積でした。
 もう少し、大きくなったテレジンは、自分のために大きくなったわけじゃないと考え直します。
 病気がよくなったお母さんが病院からもどってきますが、お母さんにまず元気になってもらおうとお母さんの分まで家事をするテレジン。
 やがて母親が元気になり、自由な時間ができると、テレジンは一人暮らしのおばあさんの手伝いをし、村の人たちからあれこれたのまれると、いつだって喜んで引き受けます。

 ある日、武装した山賊が村にあらわれ、金貨や宝石を要求します。
 テレジンは、力をあわせれば山賊はこわくはないはずと男たちを説得しますが誰も立ち上がろうとしません。
 業をにやしたテレジンは鏡の前で、巨人になるよう願います。すると煙突の高さまで大きくなります。
 山賊は巨人をみると、銃を捨て一目散に逃げていきます。しかテレジンは山賊をつかまえ、警官に引き渡します。

 巨人になるなんてやりすぎねと考えたテレジンでしたが・・・・。

 テレジンが大きくなったのは、自分のためではありませんでした。
 成長を止めたり、大きくなったりとまさにファンタジーの世界ですが、じつにリアリテイを感じさせてくれます。

 最後に、世の中のまちがいを正そうとたたかう人は、ふつうの人でも巨人なみの力を発揮できるとあります。