畑に出て草取りをして一日が暮れる。満ち足りる。これくらいなことで、このお爺さんのこころが満ち足りる。いい一日になる。実にイージーだ、安上がりだ。
満足には100段階、100x100段階、100x100x100段階あるが、このお爺さんは低い低い段階でOKだ。そんな低位置段階で、幸福に酔っていられるのだから、考えようではだらしないのかもしれない。
もっともっともっと高級な幸福がこの先10000万mほども列んで輝いて待っていてくれている、というのに。このお爺さんは先を目指さない。
しかし、これでいい。お爺さんの草取りを可能にしてくれている大きな意思を感じていられるからだ。それをするためのすべての条件を満たしてもらっているのだ。十分ではないか。