<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

我が家に戻ってきました

2016年06月24日 17時22分26秒 | Weblog

家内に迎えに来てもらって我が家に戻ってきました。18日間の入院生活でした。もうロフストランドの杖を片手について歩けます。着くが早いか、さっそくに庭先をぐるりと見て回りました。霧雨が降っているというのに。どこもかしこも夏草夏草夏草でした。さて、いつになれば外に出てこの草取りの作業に手を着けることができるのでしょう。椅子に座ってでもまだまだ無理なようです。まあ、焦ることはありませんよね。その日が来るのを楽しみにしておきましょう。発見です。玄関に行灯作りで育てていたメロンが実をつけていました。まだテニスボール大です。成り立てのピーマンと赤く熟れたトマトをそれぞれ一個ずつポケットに入れて収穫して来ました。

家に戻ってこられたのでこれからはこの机上のノート型パソコンで投稿ができます。タブレットではなかなか打ちにくくて時間がかかりました。我が家はいいです。落ち着きます。仏壇に座って父母や弟やご先祖様、菩薩如来様方に「ただいま。無事に戻って参りました。お守りお導きを感謝します」の挨拶を致しました。

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一つの身体だから心も一つに束ねる

2016年06月24日 10時17分02秒 | Weblog

「一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成じることなし」日蓮聖人のことばである。

その通りだ。からだは一人をしているが、こころはそうではない。二つにも三つにも四つにもなる。千々に乱れる。そしてそれぞれがそれぞれに違う。収拾がつかない。力が分散するので方向さえ定まらない。これでは事を成せない。束ねたら、しかし、一大事を成す。振り子の揺れが止まると精神が集中できる。忍辱ができる。法難にも立ち向かうことができる。法華経の理解実践を述べておられるのだろうか。さぶろうは今日も綿屑のように心が乱れている。

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それでも不満か それでも寂しいか

2016年06月24日 09時51分02秒 | Weblog

草があって木があって山があって谷水が流れ出していて、さぶろう、それでも不満か。おまえはいったいどれほどの強欲人間なのか。それを不満として、おまえは不機嫌を募らせている。寂しがっている。空があって風があって雲があって光がそこから溢れ出していて、さぶろう、それでも不足か。あるだけあってもそれがおまえを満たさないでいるのは、おまえの方に欠陥があるのではないか。おまえは笊ではないのか。こぼしてこぼれてしまうのではないか。おまえは肩を落として悄然としてここを立ち去ろうとする。その目には涙すら浮かんでいるではないか。蜻蛉が飛んで鳥が羽ばたいて蝶が舞って、夜もすがら虫が泣いて慰めて、それでもおまえの寂しさは癒えないのか。

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午後には家に帰られるよ

2016年06月24日 06時04分43秒 | Weblog

さあ、いよいよ今日だ。今日が来ている。お出迎えだ。午後には家に帰られる。ふう。17日間を病院で過ごした。辛抱した。お陰で回復した。まだ痛いけど杖をついてなら歩けるところまで来た。医療スタッフのみなさんの手厚いケア、懇篤な看護、リハビリがあったからだ。有り難い。お礼を申し上げます。お見舞いくださった皆様の親切忝くいたしました。お天気の具合がどうもさっぱりしない。夜中には豪雨が襲っていた。雹が降っているようなけたたましい音がした。帰宅しても当分は安静が続くだろう。庭や畑の草取りはまだ出来そうにない。好きなクラシック寝っ転がり拝聴三昧といこう。

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