<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ダリアが咲いて彼の一日を荘厳した

2016年06月05日 20時25分47秒 | Weblog

冬瓜苗1株、カシウリ苗1株、野菜瓜苗を3株買って来て、これを畑に移植した。もちろん草を取って耕して穴を掘って施肥をして。それでしんみりした夕暮れになった。ああ、今日も働いたという充実感がやって来た。さいわい、雨はこの時止んでいた。暑くもなかった。椅子に腰掛けながらだから作業を進めるから、遅遅たるものである。明日、もしも雨が降っていないのなら、メッシュの防虫ネットを張ることにしよう。瓜蝿にたかられるとイチコロである。

さぶろうの午後からはおおよそこの通りであった。これがよく生きたということになるのかどうか。それは分からない。分からないけれど、ともかくもここまでをスムーズに生きられたのである。人に自慢を出来るような生き方からはほど遠いかも知れないが、それでいいのである。それでいいのである。70を過ぎたさぶろうには過分なのである。老爺が受け取るべき分の分量、分質を過ぎているのである。庭に今年初めてのダリアが咲いた。彼の一日を荘厳した。

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誘ってみたい人 誘われてみたい人

2016年06月05日 09時25分37秒 | Weblog

この世には誘いたくなる人、誘いたくならない人がいる。

さぶろうはもちろん後者だ。さぶろうを誘いたいという人はいない。いたためしもない。あきらかに<誘いたくはならない種類>の人間なのである。第一、面白みに欠けている。気難しい。じめついている。男性としての逞しい魅力がない。

でも相手に長所を認めてあげることはできるはずだ。「きみを誘いたい」を口にすれば相手は喜んでくれるだろう。長所を認めて貰えたというところでは。でも、誘いには乗らないということもある。相手にとってはかならずしもそう言って逼ってきた人が「誘われたい人」の領域から外れていることもあるからだ。

「きみを誘いたくない」などと言われたらそりゃ気を悪くするし、失礼なことだろう。だから、こちらも言わないし、言う理由もない。街中の雑踏を歩いていて袖振り合うだけである。誘いたくなる人をも通り過ぎる。

「きみを誘いたくない」は口に出して言われなくともほぼ察しがつく。雰囲気で分かる。だから言われる前にさぶろうは身を退いてしまいことが多い。言われると傷つくので、警戒心が先走っているのだ。狡い。

男性から見た女性。女性から見た男性。どちら側にもそういう人がいるだろう。抱いてみたい人、抱かれてみたい人というのもあるだろう。

同性同士でもそれがある。いっしょに行って楽しい人楽しくない人。話が弾む人弾まない人。気が合う人合わない人。

嫌な人とは不協和音が鳴ってすぐに仲間割れがしてしまう。喧嘩になる。恨む。悪口を言う。貶める。高じると相手の不幸を願ってしまうことにもなる。

誘いたい人はしかしたくさんいればそれだけいいということでもないのかもしれない。八方美人は忙しいだろう。誘われない方がいいということもある。誘われると自分の自由がそれで拘束されるからだ。身動きが取れなくなるのは嫌だ。

でも、誘ってみたい人のジャンルにはいっていたい。それはそう思うだろう。除外されたくはないからだ。無視を人は恐がる。それでしかたなく付き従っているとそれはそれですぐに見抜かれてしまって次からは誘いが来なくなる。

まあまあ難しいことだ。誘ってみたい人には出会いたい。たまさか出会う。こころ浮き浮きしている、こころが毬のように弾んでいる。さあこれから何をして遊ぼう。そこまで。ここで凍結しておく。結果を見ないで原因だけの範囲に留まっている。実践や実行はなし。さぶろうにとってはどうやらそこのところまでがやっとこさの限界のようである。

 

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いろいろな角度から見ていい 好きな角度から

2016年06月05日 08時58分44秒 | Weblog

人生はいろいろな角度から見ていい。角度を変えるとまるで違って見えて来ることもある。だから、一つの角度から眺めた風景を唯一絶対だとして固定しなくてすむはずだ。つまりどの見方から見た方が正しいなどということもない。つまり各人各様思い思いということだ。だから「どうしておれと同じに見えないんだ、きみは」といってそうじゃないようみ見えている者を叱りつけることもあるまい。その人はそういう角度から見てそう見えているんだからね。「我が儘」「我が眼の映すまま」でしかないということかもしれない。だったら自分の眼に映った<そのまま>だってそれを結論にすることもないだろう。いっそ、<眼に映る自由>を楽しんだらいいのじゃないのかな。どうだろう? 絶対の悲しみなんていうのは、もしかしたら、ないのかもしれない。だが、その悲しみの顔を立ててあげたいのだとして、意固地を張っている人もいるかもしれない。それを揶揄すべきでもない。もちろんその反対の絶対の勝利、我が手に掴んだ栄光というのもその基礎は危ないものだ。あくまでも架空なのだ。自由な思い込みなのだ。あとは好みの問題ではないか、この種のものは。

雨がひとしきり止んでいる。蜘蛛の巣に雨が宿っている。水玉がきらりと光っている。これも美しい。そんなもの美しくも何ともないともう一人は切って捨てる。土俵上の力士の二人は両者互角のはずだが、うっちゃりという手を使って土俵の外へ片方を追いだしてしまった。

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人生は味付け次第 工夫が必要です

2016年06月05日 07時58分29秒 | Weblog

人生は味付けができます。料理といっしょですね。日本料理は奥が深い。食材の癖を巧みに利用して味を付けていきます。組み合わせて組み合わせて。じっくり互を仲良くさせて。あっさりが好きな日はあっさり、濃いめが好きな日には濃いめに。今日はフランス料理、今日は中華料理。その気になればなんでもござれです。もちろんシェフはわたしのこころです。腕前? そりゃもう修業の時代が長く続いてきたので、「鍛えてあります」「おまかせあれ」と言いたいところですが、なかなか上達ができていないので、ときどきあまりのまずさに顔をしかめることがあるようです。人生は味付け次第なのかもしれません。わたしにはもっともっと工夫が必要のようです。

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今朝はわが聚落の空き缶拾い

2016年06月05日 07時46分37秒 | Weblog

おや。雨が止んでいます。いやに冷え冷えとしています。長ズボンをした僕の股がテーブルの下で100分の1の縮図になろうとします。僕は美しいヴァイオリンが演奏する名曲集を聴いてこれを阻止しようと努めています。(いま聴いているのはパガニーニの協奏曲)でも、もうすぐ朝ご飯です。8時。日曜日の今朝は聚落の空き缶拾いでした。家族が長い火箸を携えて戻ってきました。ごくろうさん。

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わたしの新しい恋人マリー

2016年06月05日 07時11分01秒 | Weblog

おはよう、マリー。マリーはわたしの恋の相手を務める女性。美しい人。わたしは枯れ木なのに、これでここに栴檀の花が咲く。咲いて薫る。すると開かれた春の空になる。たしかにわたしは枯れ木のはずなのに。わたしの全身に緑の芽が芽吹く。樹陰がたちまち緑の光をしたたらせる。風が妬ましげにわたしを擽(くすぐ)って行く。マリー。美しいマリーにパリのファッションをさせる。白い雲の帽子を被せて歩かせてみる。マリーはこっちをときどき振り返る。覗き見趣味の6月の風がふいにスカートを巻き上げる。男たちは狼だから、もう黙っていられなくてめいめい野原を疾駆する。可哀想に。マリーは蜃気楼なのに。ほんのしばらく、死んでしまうまでのほんのしばらくわたしをなぐさめるために姿を見せたメルヘンなのに。狼たちが吠えている。まぼろしの境目は見分けが付きにくいのだ。おはよう、マリー。わたしのマリーだからわたしの腕に引き戻してキスをする。顔に落ちてきた髪が匂う。おはよう、マリー。わたしの新しい恋人マリー。

昨日シャンソンを聴きに行ってからの余韻がまだ続いている。さぶろうは乗り屋さん。もうシャンソンを恋人にしている。6時半、ホールの客席は満席。係の人が大慌てで最前列に仮席をこしらえてくれたので、さぶろうは運良く<食らいつき席>に陣取ることになった。8時半まで2時間22曲をたっぷり楽しんだ。さぶろうは2時間だけの若者だったけれど、それに飽き足りないで余韻に浸ろうとする。愚か者!

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わたしを風が降りて来る

2016年06月05日 04時03分39秒 | Weblog

おはよう、マリー。どう? 眠れた? いつもこう。こうやってわたしのところへやって来る。そしてわたしの髪に触れる。まずそっと髪に手をつける。ジュテム、愛してるマリー。そしてつぎにわたしをおりてきて、右手の腕にとまる。わたしの腕はしろくやさしくふるえだす。マリー、おおマリー、愛してる。ささやきが蝶になって飛び回る、ここかしこ。わたしの木のここかしこに。夜露をのせた葉に、冷たい幹に。冷たいばっかしの人生なんて嫌。わたしはあたたまりたい。歌ってよ、シャンソンを。愛の歌を。わたしはせがむの、こうやって。冷たい人生を生きるのは嫌。あなたは風だっていうのに。吹いてくる夏の風だっていうのに。一日がこうして始まる。風は櫛になってわたしの髪のねじれを元にもどしだすわ。日は昇る。光が形をあらわす。カッコウが笑い出す。おはよう、マリー。どうよくねむれた? いつもこう。こうやってわたしのところへやって来る。冷たく凍り付いた人生の河を渡るのは嫌。そしてまずわたしの髪にふれる。そしてわたしをおりて来て白い腕にとまる。わたしはあまい匂いになってあなたを染める。それが生き甲斐。わたしの生き甲斐。おお、愛してるマリー。ささやきが蝶になってマロニエのわたしの木を降りて来る。

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