<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

仏の国が十万億個もあります

2016年06月19日 19時55分50秒 | Weblog

従是西方過十万億土 有世界 名曰極楽 其土有仏 号阿弥陀 今現在説法       

「仏説阿弥陀経」より

これより十万億の土〈くに〉を過ぎて、世界あり。名づけて極楽という。その土に仏有り。阿弥陀と号す。いま現にましまして説法したまへり。

(^^;)

サーリプフッタをはじめとする多くのお弟子衆などに向かってお釈迦さまが阿弥陀経を説いておられます。

(^_-)

ここから西の方角に行くとそこには十万億もの仏の国々が続いています。そのどの国にも仏さまや菩薩さまや、仏を慕って集まって来られた人々がいます。その人々に向かって仏様がこの大宇宙の真理を説いておられます。そこを見ながら過ぎて行きますとそこに新しく建設された仏の世界が有ります。みなさんはここに迎え入れられます。極楽という名の国です。この国には阿弥陀という名の仏がおられ、今まさしくこの大宇宙の真理を説いて聞かせておられます。

(^^;)(^^;)(/_;)

わたしたちは死後ここへ来ます。ここへ迎え入れられます。もう安心です。お釈迦さまはそれまで住んでいた娑婆の概念とその通用語を駆使して懇切に解りやすく具体的にお話しになられました。いきなり仏の国の概念とその国の仏の言葉ではみんなちんぷんかんぷんになるばかりだったからです。

 

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邪見独断の繭は心地よい

2016年06月19日 15時48分52秒 | Weblog

蚕は梅雨に弱い。濡れた桑の葉っぱを食べさせないように注意せねばならない。

蚕繭自縛。さんけんじばく。あんまり聞いたことのない熟語だ。曇鸞大師の言葉らしい。蚕が自分が吐いた繭によって閉じ込められてしまう状態を指している。

人間は邪見・憍慢・煩悩という繭を造ってここに己を縛り付けておく。言ってみればカプセル人間である。ここに閉じ籠もる。個を主張して、他者に融合が出来ない。仏智見に融合が出来ない。独断の繭は心地よいのである。

蚕はまさか閉じ込められているなどとは思っていない。出口がないとも思っていまい。ぬくぬくとして気持ちがいいとしか考えていないはずである。やがてはここを抜けて蝶と化す。その間のわずかな期間ここを逃げられない。これををいいことに、あはれ、人間がこれを煮沸して繭を絹糸にしてしまう。茹でられた蚕は養魚場の魚の餌になる。

ま、いまはもう蚕を飼うところなど絶無だ。化学はどんどん発達して見事な代用品を造ってしまった。これで農家の貧乏人が副収入を得ることも出来なくなった。桑の実が放置されて実をつけているが、これをフルーツだとして食べる子供もいない。もっと甘いおいしいものが簡単に手に入るからである。落ちた桑の実が黒々と地面を汚しているばかりだ。

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事実はそんなに大切ではないのかもしれない

2016年06月19日 13時49分18秒 | Weblog

1)

事実がそこになくてもいい。あってもいい。ごっこ遊びは出来る。飯事ごっこ、買い物ごっこ、お医者さんごっこ、有名人ごっこ、仲良しごっこ、恋人ごっこ、スパイ戦争ごっこ、笑いごっこ泣きごっこ、神さまごっこ。

2)

みな事実があるようにして振る舞えばいいのだから。演じていればいいのだから。それで事が成る。成ったと同然と思い込みすれば、気が晴れる。巧く行けば快感に浸ることだってある。充足に至ることもある。

3)

嘘だと分かっていても、嘘をうまく覆い隠して真実めかす。だったら、事実がそこにあってもなくてもよかった、ということになる。ごっこ遊びは器用な遊びである。誰が編み出したのか、そこにも幸福がある。間違いなくある。

4)

長く続けていればついには境目が分からなくなってしまう。死が尋ねて来るまで、それを演じてしまうのだ。夫と妻、親と子、神と神の子、完璧な友人関係などなど、他者との間柄を最高にしておくこともできる。最後まで王を演じきることもできる。

5)

仏をそこに念じて対話をすることも出来る。仏が見えていても見えていなくてもこれはできる。仏の国に入ることも許される。菩薩を己に課しておくことも不可能ではない、ごっこ遊びはどこまでも延長できる。

6)

事実にだけ執着しようとすればごっこ遊びはできない。尖ってくる。見破りたくなる。智慧の眼で一切の虚偽をたちまち破壊したくなる。責めたくなる。不平が持ち上がる。恨みが生じてくる。

7)

でも、ごっこ遊びで通してもいいのだ。最高の状態というイメージを通した人たちにはその代価に平安が訪れる。とすれば、事実というのはそんなに大切ではないのかもしれない。絶対性を持っていないのかもしれない。どうなのだろう。およそ、永遠不変の事実などというものがあるのかどうか。疑ってしまいたくもなる。

8)

昼間には晴れ渡っていい気持ちだったのが、さっきから冷たい風が吹き出して来た。夕方にはまた雨が降り出すのかも知れない。夕方になれば僕はまた病院に戻って行かねばならない。僕の場合は、ホームスイートごっこ遊びがもうすぐ尽きる。

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これって神さまの心境に似ているのかも

2016年06月19日 13時37分36秒 | Weblog

西瓜畑にやっと西瓜がなりついたようです。わたしはそこまでは歩いて行けませんので、写真に撮って来てもらいました。やや大きいのと小さいのと二個。西瓜らしくぎざぎざの縦縞が入っています。さあ、この先カラスに狙われないようにするにはどうしたらいいのでしょう。烏避けの黄色い糸は張り巡らせています。風にくるくる回るペットボトルも逆さまにして棒の先に被せています。これだけでは防ぎきれないかもしれません。ビニール製の穴あき帽子を被せてやればどうかなと思います。大玉西瓜、小玉西瓜、黒西瓜、ラグビーボール状西瓜なども植えてみました。楽しみです。

西瓜達も自分の成長が嬉しいでしょう。そりゃあもう。自分のことですからね。そしてそれを遠巻きにして見守っている者もそれ相応にふわふわして嬉しいのです。不思議ですね。これって神さまの心境に似ているのかも知れません。

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一時帰宅

2016年06月19日 09時38分26秒 | Weblog

ただいまあ。やっぱり我が家はいいよ。病院から一日外出許可が下りて戻って来た。目が届く範囲だけど、植物の勢いたるや凄まじい。木、花、野菜、雑草がわさわさわさ生い茂る。枝を伸ばし蔓を伸ばし、葉を広げている。元気だ。隆盛してる。我がもの顔をしたテッポウユリ、透かし百合、桔梗が見える。トマト、ミニトマトが房なりしている。畑の韓国南瓜を二個収穫してもらった。サツマイモが畝にその逞しいまでの健康を這わせている。胡瓜は華奢な腕を凭れかけて傍らの花梅の幹を登っている。隠元豆も枝豆黒豆もこんもりした影を造っている。みな生命力の見せ所という感じだ。植物群のこの勢いを鼻から吸いこんでみる。肺がたちまちに膨らんで、流入したエネルギーが渦のように渦巻いて行く。いい気持ちだ。仏壇に挨拶をした。

 

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思い当たるフシがない

2016年06月19日 06時50分25秒 | Weblog

あんまり思い当たるフシがない。昨夜のテレビはストレス特集をやっていた。糖尿病発祥にもストレス起因説があると指摘していた。アレルギー発症も。そのどちらもいま明らかな症状が出ている。でもこんなにぐうたらを通して怠け者しているのに、ストレスがあるなどとは考えにくい。仕事はしていない。義務も責任も免れて静かな入り江に停泊しているヨットだ。そりゃぁさざ波は横っ腹に打ち寄せてはいるが、こんなのは擽るほどで心地よいだけだ。収入がない。どかーんとボーナスがもらえない。好きだった外国旅行に行けない。老爺は醜い。だからどんなロマンスだってない。薔薇の花を捧げたい人も、受け取ってくれそうな人も見当たらない。それはある。しかしそんなことは軽くクリヤーできているはずだ。諦めがついてるはずだ。

ストレスす対処法を紹介していた。中にスマイルがあった。できそうでできないな、これは。簡単すぎてうっかりする。うっすら汗を掻く早足ウォーキングもあった。麻痺の足ではこれはできない。代わりにサイクリングをしている。これでよし。運動療法は効き目がありそうだ。快感を誘われる。ほかに瞑想法というのがあった。この詳しいことは後編で明らかにしてくれるらしい。

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やさしさとあたたかさをハンドメイドする

2016年06月19日 06時20分45秒 | Weblog

病室は5人部屋なのに、いまはさぶろうだけの個室になっている。で、わがままができる。冷房はオフにした。これで腹が冷えることもない。窓は開けておく。6月の風と友達になれるために。彼を隣に感じてなつかしむ。これでストレス発散だ。ベッドを囲むカーテンも不要だ。思いっきり放屁もできる。見ようと思うなら、イヤホンなしでテレビだって見られる。解放気分にはしかし一抹の不安も寂しさも残る。ああ、おれはまるまるヒトリボッチなんだあ。寄り添ってくれる人だっていないんだあ。やさしさとあたたかさをハンドメイドするしかない。でももう朝が来た。ともかく朝が来た。光が窓をすり抜けて来て子猫になって足下にうずくまる。さぶろうは洗面所に行って寝ぼけ眼を洗い落とした。

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若者の目が明るい希望を灯せますように!

2016年06月19日 03時41分38秒 | Weblog

イギリスがユーロ圏を離脱するかもしれない。緊張が日々増し加わる。不安の足が世界経済を駆け回る。円高が進行して1ドルが103円台にまで落ちた。日経平均株価がまたまた急降下して行く。それでもまだ日銀は様子見を決め込む。参院選が7月に迫っている。打つ手がありそうなものだが、安部政権の経済政策は手詰まりだ。切り返しができない。凌ぎを削っていたジャスダックすら頭打ちの様相。日本経済が立ち直らないと、若者の貧困に拍車がかかってしまいかねない。それが恐ろしい。若者の目に明るい希望が灯るようでなければならない。

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天空を張り裂いていく轟音

2016年06月19日 03時13分24秒 | Weblog

真夜中の落雷。天空を張り裂いていく轟音。稲光。我が物顔の嵐。叩きつける雨。荒れ狂う風。地響き。近くに飛行機が墜落でもしたのかしらんと耳が疑いをかける。バケツをひっくり返したような土砂降り。いやはや。

午前3時。不安定だった気象がくるりと安定した。一転、闇を静寂が支配している。ほっとした雨蛙たちのシンフォニー。思い起こしたように遠くにまた稲光が走って神々たちの能舞台が明るくなった。。

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