おやすみなさい。なんでもすみました。今日すべきことはもうすっかりすみました。今日がこれで空っぽです。さあ、明日が新しくなれます。
若者が元気でありますように!
若者が元気で働けますように!
若者が安定した仕事に就きますように!
日本経済が若者を使い捨てしませんように!
若者が力強く豊かでありますように!
若者に経済的逞しさが戻って来ますように!
若者が幸福な結婚ができますように!
若者がたくさん子供に恵まれますように!
若者が子育てに人生の尊い楽しみを見いだしますように!
若者が親としての自信にあふれますように!
若者が一番元気な社会でありますように!
元気いっぱいの若者が日本の経済を力強く牽引して行けますように!
日本中、元気な若者を誇りに思う人たちであふれますように!
「行者は必ず不実なるとも、智慧はをろかなるとも、身は不浄なるとも、戒徳は備えずとも、南無妙法蓮華経と申さば必ず守護したまふべし」
日蓮聖人書簡集より
たとえ不実者、不誠実であろうとかまわない。愚か者であってもかまわない。汚い身なりをしていてもかまわない。戒めを破っていてもかまわない。人徳を低くしていてもかまわない。口に南無妙法蓮華経を唱えているだけで、その行者は諸仏に守られ導かれて行くのである。案じることはない。
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それは何故?
法華経はそのためにあるからである。その人たちのためにこそあるからである。もっとも必要とする者のために法華経が説かれたのである。わたしを守るために、わたしを導くために、わたしを救出するための法華経だからである。
わたしの罪悪の深さがブッダの慈悲の深さである。
「受持法華名者福不可量」
じゅじほっけみょうしゃふくふかりょう
法華の名を受持する者の福は不可量である。
日蓮聖人書簡「除病祈祷文」より
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法華経を信じこころに保ち実践する者が受け取る幸福は量り知れない。すべからく我が身に起こることを幸福として受け取ることができる故に。法華経は不可量幸福の書である。どれだけでも幸福になっていいということを教えている。
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これはさぶろうの受け取りである。さぶろうは今生で法華経に出逢えたことは己の幸福分に過ぎたことだったと思っている。やっとやっとこの教えに逢えたのである。
「袋きたなしとて黄金を捨つることなかれ」
日連聖人書簡集「祈祷抄」より
黄金小判を納めている財布が古くなって汚れているからといって、黄金を捨ててはならない。それと同じように、仏性という黄金を内に蔵している肉体とそこにわき起こる苦悩煩悩をまるごと捨てることはない。この二者は一対をなすものである。互いに働き合っているものである。
価値あるものは、たとい無価値の入れ物にはいっていても、価値を落とすことはない。価値あるものの価値が高くなるほど入れ物の価値が下がったように見えてくるのだ。心配はいらない。
桃が大好きだ。桃を食べたい。完熟した桃を食べたい。まだ一度も食べていない。糖度が高いので食べてはいけないことになっているから、これを遠ざけておくしかない。するといよいよ欲が募る。せめて匂いを食べさせてくれないか。鼻の食事をさせてくれないか。まわりはノーを突きつける。却って刺激するだけだからためにならないと説得をする。そこでブレーキが効くはずはないと戒める。今朝の血糖値測定では、やっと100を切っていた。これならよかろう。僕はもう一度審議のやり直しを申し出るつもりだ。桃が大好きだ。口で桃を食べたい。
不可思議 不可称 不可説
思議することもできない。名付けることもできない。説き起こすこともできない。
それを無理矢理思議して、それを無理矢理名付けて、それを無理矢理説き起こそうとする。
できるはずはないのである、だから。はじめっからそれは判りきったことなのである。
では、判らない方がいいのか。判らないでいいのか。判ろうとする努力は無駄なのか。
ここにブッダが登場してくる。ブッダとはその対極に位置する存在である。完成者である。
完全に思議することができる者である。完全に名付けることができる者である。完全に説き起こすことができる者である。
彼がわれわれを代行する。われわれの要求を完遂する。彼がわれわれの理解の理解者となる。われわれは彼を通して思議し、名付け、説き起こして、涅槃に入るのである。安らぎに到着するのである。
今日は土曜日。入院病棟の院内はひっそり。病院の大きな玄関はぴったり閉まってある。で、通用口に回って、外へ出た。花壇にアベリアの白い小さな花が咲いていて、吹いてくる風に匂った。ついでに、敷地の外、塀の外の長い小径を辿った。小径は樫の並木の木陰。日陰になっていて、涼しかった。しばらく車椅子に乗ったまま、しばらく行き交う人たちを眺めた。これが僕のフィジカル・エクササイズだった。すこおし、息抜きにはなったかな。
してはならない。この足枷手枷がそれぞれに千万ときつく僕を拘束して締め付けています。僕の悪の欲望がこれでやっとやっと鳴りを静めています。それもしてはならない。これもしてはならない。禁止の命令が耳に鳴り響きます。僕は息が詰まります。僕はひそかに反抗を企てます。閉じ込められた悪が欲望の銅鑼を叩きます。その喧しいことったら、雷です。雷神はあらゆる策を弄して誘惑を増してきます。悪にだって理屈はあります。僕は破裂の寸前です。
足枷手枷が取れて僕が一番にすることは決まっています。僕は美しい人のところへ走り込んで来て、きつくきつく抱擁をしたまま、アイラブユーを大声で叫ぶのです。絵のように美しい絵美さん、あなたのところへ走り込んで来て。
今日も暑くなりそうだ。青い空が思い切り青い。白い雲も涼しそうに湧いている。
僕はこれを手本にして僕の内なる空を思い切り青くする。そして白い雲をあちこちに配置する。
内なる空は僕の自由を尊重する。空は寛大だ。大きなこころそのものだ。
光と風が、遠くから手を挙げて僕の名前を呼びながら、スケットを申し出て来た。