田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance) )

2015年04月29日 17時43分29秒 | 日記

 「バベル」「21グラム」など、シリアスな人間ドラマで高い評価を得ているメキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督がダークファタジーに挑戦。第87回アカデミー賞では同年度最多タイの9部門でノミネートされ、作品賞、監督賞を含む4部門を受賞した。「バードマン」というヒーロー映画で一世を風靡した俳優が再起をかけてブロードウェイの舞台に挑む姿を、「バットマン」のマイケル・キートン主演で描いた。かつてスーパーヒーロー映画「バードマン」で世界的な人気を博しながらも、現在は失意の底にいる俳優リーガン・トムソンは、復活をかけたブロードウェイの舞台に挑むことに。レイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出も主演も兼ねて一世一代の大舞台にのぞもうとした矢先、出演俳優が大怪我をして降板。代役に実力派俳優マイク・シャイナーを迎えるが、マイクの才能に脅かされたリーガンは、次第に精神的に追い詰められていく。(映画.comより)

 

 

 辛辣な映画でしたね。昨今はここまでリアルに追い込まないと受けないのかしらん。確かに映画界はアメコミやリメイクの大作ばかりになって来ているけれど(個人的にはそれがそれほど嫌いではない)。

主人公のマイケル・キートンは、一度「バードマン」という成功体験がある故、今はなんてことのない存在感の自分が許せず、いかにも理解しづらそうな文芸大作を舞台で上映しようとします。時々見る「妄想」は、過去に得た名声(それにより自分が皆に愛されていると感じて幸せだった)を基本とした自己肯定感のようです。

彼がこのたび上演しようとしているのは、レイモンド・カーヴァーというインテリ作家の短編で、彼はまだ学生の頃の演劇をレイモンドに褒められたことがあると言う逸話を持ちます(作家の直筆であろう紙ナプキンを持っている)。それが心の支えとなり、彼は俳優になる決心をしたのです。

しかし映画では、作家自身が記憶していないであろうそんな感傷的な逸話は、個人の俳優としての資質に何の関係もないとか、他人(特に演劇批評家)には極めてどうでもいいことだ、というふうに描かれます。

もちろん、そうでしょう。インテリ作家は若い学生を激励しただけであって、ましてやニューヨーク・タイムズの辛口批評家にとっては「それで?」と問うことすらアホらしい事実でしょう。

でも、人って、そこまで辛辣になる必要があるでしょうか。いいじゃないですか。本人が大切に持っているのなら、それはそれで。

主役の一人のケガにより、急遽入れ替えられた俳優が、実力があって客も呼べるエドワード・ノートン。彼は確かにうまい。言っていることも辛辣だけれど、真実を突いてる。ただ、彼は「本物」を求めるあまり、舞台ではトラブルばかり起こしてしまいます。それは、実力のある役者なら、ある程度は仕方がないのでしょう。日本でも昔から「芸のためなら女房も泣かす」という歌がありましたしね(笑)。

そして、マイケルにはエマ・ストーン演じる娘がいますが、彼女がまた、判で押したようにヤクまみれでグレまくっています。やはり「幼い頃、必要な時に父はいつもいなかった」のが大きな理由だそうです。自分の人生が上手くいかないのは、大事な時期に父親がいなかったからなんですよね、成功していたから人より贅沢な暮しが出来ていたはずなのに。

もっと貧乏でも親なんていない子、ゴマンといるってことがわからないんですね。そのくせ、頭だけはいいのか、今は落ちぶれている父親に「パパは皆にもう見向きもされていないことがわかってないのよ。誰もパパのことなんか、気にしない。自意識過剰がもっと過ぎるのよ」という意味のことを面と向かって叫びます。

試行錯誤した舞台は、結論から言うとマイケルがパンツ一丁と靴下だけで外を歩く羽目になったり、エドワード・ノートンが起こしたトラブルが話題になったりと、演技と関係ないところで大きな話題となり、大入り満員を迎えます。そして思いつめたマイケルが取った行動により、舞台は大絶賛されることに。

見る前から「こきおろしてやる」と公言していた”いつも不機嫌な顔”の”おばさん評論家(ニューヨークタイムズ)”も、自分だけが浮くのがイヤで絶賛することに。批評に付随する「無知がもたらす予期せぬ奇跡」という副題は微妙だけれど。

ともかく、出て来る人、出て来る人が皆不機嫌で、シニカル。なんだか疲れてしまいました。創造性を問われる人たちって、一般人とは違うんだろうけれど、あんなに言わなきゃいけないものなのかな、って思いました。

主人公のマイケルも、今だに「バードマン」俳優として認識され、サインを求められることに嫌悪感を覚えているようだけど、それで一時代を築いてきたことは確かなんだから、誇っていいと個人的には思います。誰でもができることではないし、文芸の香り高いことばかりが偉いわけではないと思うし、逆に大衆に迎合することって難しいところもあると思う。その時代に合ってなきゃいけないし、ブロックバスター・ヒットを飛ばすなんて、そうそうできることじゃないと思うから。

それも含め、すべてが経験として身について来てるわけだから、”いつも不機嫌な顔のおばさん”にボロクソに言われる筋合いないと思う。逆に、あんなおばさん一人の意見に左右される世間って、なに?って思います。いいじゃないですか、自分がおもしろいと思えば、それで。

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2 コメント

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Unknown (しょうじ)
2015-06-30 15:20:36
突然コメントすいません
レイモンド・カーヴァーはインテリ作家ではなく、貧困とアルコール中毒の中で苦しみながら短編を書き続けた作家です。とても面白い作家なので時間があったらぜひぜひ読んでみてください。(えらそうですいません)映画のストーリーと小説の内容が重層的に絡み合っているのがわかってとっても面白いです。
しょうじさん、こんにちは (のん)
2015-07-01 07:37:19
コメント、ありがとうございます。レイモンドに関しては、そういう紹介も読みました。ただ、映画の中での主人公は”「インテリ作家の短編」を映画化して認められることに固執している”という設定だったように思うのです。言ってみれば「軽い映画で認められた俺だって頭がいいんだぞ」と言う風に。

小説に関しては、是非読んでみたいと思っています。自分はアルコールはたしなみませんが、貧乏家庭でギスギス育ったので、興味があります。

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