花園公民館図書室まで歩いて本を借りに行った。いつも車でしか行かないので、ほとんど目に留まっていなかった風景をゆっくり確かめながら歩いて行った。いつの間にか随分様子が変わったところもあって結構飽きない。これからも天候がよかったり、時間がある時は、できるだけ歩いて行くことにしよう。
明治29年4月、漱石が熊本赴任時に通った道沿いに「すみれ程の小さき人に生れたし」の句碑が立っている
漱石が人力車で通った道は「漱石記念緑道」として整備されている
江戸時代前期の俳諧の巨人、西山宗因ゆかりの釈将寺坂
漱石銅像と漱石が降り立った上熊本駅(当時は池田停車場)
熊本電鉄上熊本駅。台湾からのツアー客と思しき一団が盛んに電車と記念撮影していた
新道の建設が進行中で、井芹川沿いの井芹日枝神社の風情も損なわれてしまった
46年前、僕が転職再スタートを切った思い出の熊本製粉
明治29年4月、漱石が熊本赴任時に通った道沿いに「すみれ程の小さき人に生れたし」の句碑が立っている
漱石が人力車で通った道は「漱石記念緑道」として整備されている
江戸時代前期の俳諧の巨人、西山宗因ゆかりの釈将寺坂
漱石銅像と漱石が降り立った上熊本駅(当時は池田停車場)
熊本電鉄上熊本駅。台湾からのツアー客と思しき一団が盛んに電車と記念撮影していた
新道の建設が進行中で、井芹川沿いの井芹日枝神社の風情も損なわれてしまった
46年前、僕が転職再スタートを切った思い出の熊本製粉
「すみれ程」の句はいろんな解釈があるようですが、言ってみれば漱石の初心と言ってもよいのではないかと思います。そういう意味で、熊本に降り立ち、通った道にふさわしい句だと選ばれたのかもしれません。
熊本に来た時の漱石はまだ20代ですからね~(笑)
今の私の半分も生きていないわけですが、どんな精神構造だったのだろうといつも思います。
人生50年の時代と80年の時代では精神的な成長の度合が全然違うのでしょうね。
子供の頃、漱石は大昔の人という認識でしたが、今は逆に自分と近い時代の人という認識に変わって来たのが不思議です。
おっしゃるように50年後、100年後にもし、このブログが残っているとしたら、その時代の人にはどう見えるのか興味があります。
今日の私も近くの知人の家に車で2往復しました。
ひとつは時間がないのと、車を家内に強引に軽に変えられたばかりなのと
三つ目はスポーツジムに通いはじめたのが歩かなくなった大きな原因です(笑)
「すみれ程の小さき人に生れたし」
いいですね~!
例のNHKテレビでは違う一面が強調して描かれたようですが、
あまり話をしなかった1900年生まれの父も漱石のことを二三言葉しゃべっていたので多分多少は読んだのでしょう。
いや、子規といい文学の格調の高さを感じられずにはいません。
漱石記念緑道ですか、NHKテレビを観た
地元の方々はドラマを否定したかったでしょうね。
むしろコメデイみたいな気がします。
上熊本駅、池田停車場、くまモンそして
台湾からのツアー客に繋がっていくんですね。
FUSAさんのこのブログがずっと残って行ったら、素晴らしい資料であり書物みたいなものですね。
何かそんなことが頭をよぎりました。
有難うございました。