徒然なか話

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ロンドン漱石館の閉鎖

2016-09-29 15:30:21 | ニュース
 夏目漱石の英国留学時代の資料を集めたロンドンの「ロンドン漱石記念館」が惜しまれつつ28日で閉館したというニュースが流れていた。私財を投じて記念館を運営して来られた恒松郁生教授は現在、崇城大学(熊本市西区池田)で教鞭をとっておられるし、漱石は国費留学だが、帰国するまでは熊本の第五高等学校に在籍したままだったという縁もある。「ロンドン漱石記念館」の閉館は残念ではあるけれど、展示されていた貴重な資料を熊本で見る機会を作っていただけるならばこんな嬉しいことはないのだが。



 ロンドン留学中の明治35年(1902)に初めて体験した自転車について、漱石は「自転車日記」というエッセイを書いている。下宿の婆さんから、なかば強制的に自転車を練習させられ悪戦苦闘するが、後には結構遠出もできるようになったらしい。しかし、漱石は帰国後、いっさい自転車には乗らなかったという。
 当時のヨーロッパでは自転車が大流行していた。日本でも明治のなかばには国産車も作られ、輸入も行なわれていたが、まだまだ自転車は一般庶民には高嶺の花。そこで自転車の時間貸しという商売が生まれ、借料は高価だったにもかかわらず大流行した。明治40年代に入り、こんなハイカラ風俗を皮肉って演歌師・神長瞭月(かみながりょうげつ)がバイオリン演歌「ハイカラ節」として歌ったところこれが大ヒット。熊本にも伝わり、お座敷唄の「熊本自転車節」となった。
 ちなみに「坊っちゃん」に登場する端唄「さのさ」も自転車ブームのハイカラ風俗を風刺した歌詞が紹介されている。