先日、わが家に分厚い一冊の雑誌が送られてきた。封筒の裏を見ると、差出人は「東大阪市…大内征夫」とあった。「あ、先生からだ」と僕は独りでつぶやき、玄関先で封をはがし、中に入っていた雑誌を取り出してみた。
雑誌の表紙には白髭のおじさんの写真が大きく映し出され、雑誌名は「関西卓球情報誌・TAMA」とあった。
どうやら、年4回発行される季刊誌のようである。
表紙に「人生交路 ~大内征夫氏~」という字が見える。
送られてきたこの「TAMA」は、去年10月~12月の「秋号」で、この表紙の白髭のおじさんが、送り主の大内征夫先生だったのだ。
この先生のことは去年8月にブログに書いたことがある。あれはリオ五輪のすぐ後だった。同五輪の卓球女子団体で銅メダルに輝いた当時15歳の伊藤美誠(みま)選手の新聞記事を読んでいたら、彼女は大阪の「関西卓球アカデミー」というところに通っていて、彼女のコーチが「大内征夫さん」と書かれてあったのだ。それを見て、僕はびっくり仰天したわけです。大内先生は、僕の高校時代の恩師でしたが、それ以上にお世話になった方でしたから。
僕は近畿大学附属高校からそのまま近畿大学へ進んだので、学生になってからも同じ敷地内にある高校の職員室へよく遊びに行った。中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。先生が、大阪の卓球界ではわりに有名な人であることは、僕も何となく知っていた。
そして僕が大学3年生の20歳の時、北海道へ自転車旅行に行くことを伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」と言って、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。そして網走では先生の奥様のご家族に歓迎され、数日泊めてもらい、おいしいものを沢山呼ばれた。アポロ11号の人類初の月面着陸中継も、このお宅のテレビで見た。昭和44年7月のことだった。
そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、僕より8歳年上で、当時30歳になったばかりの先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」と言っていただいた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。
先生は、僕たちの結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。
う~ん、もう46年も前のことになりますね。
去年8月に新聞記事で伊藤美誠選手と大内先生のことを知った時、お祝いのハガキを出したが、お忙しい先生のことだと思うので、なかなかお返事はもらえなかったが、それが今回、卓球雑誌を送ってきていただいたわけだ。
雑誌の中でも大内先生の特集が組まれており、伊藤選手との2ショットの写真もあった。
そして、雑誌の中に、先生から僕あての手紙が挟まれていた。
大内先生らしい、簡潔ながら心のこもった文章を久しぶりに読ませていただき、懐かしい感情がこみ上げてくるのを抑えることができませんでした。