ウダウダ会 和歌の浦へ

2016年06月22日 | ウォーク・自転車

6月に入ってから、日曜日になると必ず雨が降る。

第1日曜の5日はモミィの学校の運動会だったが、雨で順延。

次の12日の日曜日は、モミィの英検があった。
この日も雨で、傘を差しながら会場まで歩いた。

そして先日の第3日曜日の19日は、
ウダウダ会の『出陣』の日だった。

…が、これも、天気予報では、雨。
案の定、途中から大雨に遭った。

ま、もっとも会長サマからの案内状には、
大雨、大風決行」とは書いてましたけど。

さて、
今回のウダウダ会の行き先は、和歌山県の和歌の浦だった。

和歌の浦は古くは万葉集にも詠まれた風光明媚な景勝地で、
平安時代の人々は、熊野詣でや高野山詣での道すがら
和歌浦に立ち寄り、景色を楽しんだと言われている。


 
少しわかりにくい地図ですけど…
ここの左端の「雑賀崎」から雑賀崎漁港へ出て、
海沿いの道を歩き、和歌浦港を経て、右端の、

「観海閣」というところまで、歩きました。

 …………………………………………………………………

朝の7時前に家を出たときは雨はまだ降っていなかった。

8時に難波高島屋前に集合。

ウダウダ会には、僕は1月に参加したが、
次の4月は家族旅行と重なって行けなかった。
1月には、宴会が終った後、転んで怪我をして、
前市長さんと副市長さんに、家まで送っていただいた。

今回は「飲み過ぎに注意!」と言い聞かせての参加だ(笑)。

そして5ヶ月ぶりにウダウダ会の仲間たちと会い、
南海電車の「特急サザン」に乗り込んだ。

座席指定だったが、いつもお世話をしてくださる
元大阪狭山市の市議会議員さんが切符を買ってくれ、
今回のメンバー10人に「はい、どうぞ」と配ってくれた。

電車の中から話は弾み、約1時間後、
南海和歌山市駅に到着した。

和歌山市駅から約40分、バスに揺られて雑賀崎へ。

雑賀といえば、『雑賀孫市』が頭に浮かぶ。
大昔、1973(昭和48)年のNHK大河ドラマに、
「国盗り物語」というのがあり、僕は大好きだった。
原作は司馬遼太郎で、僕はその本も読んだ。

主人公は平幹二朗が演ずる斉藤道三だが、
そこへ、雑賀孫市という人物が出てくる。
いわゆる雑賀衆で、鉄砲の名人たちだ。
ドラマでは林隆三が孫市の役を演じていた。
その司馬遼太郎には「尻くらえ孫市」という著書もある。

その雑賀崎でバスを降りると、下に港が見えた。


 

 細くて急な階段を下りてゆくと…

 

 

 
 
雑賀崎漁港に出た。

 
 とても景色が良い。しかし…

 

 
 海沿いのコースを歩き始めると、雨が降り始めてきた。
 ちなみに、右上にホテルが見えるが、和歌の浦は最近
 観光客も減り、このあたりのホテルも人の気配はなかった。

昔は、一大観光地だった和歌の浦。
最盛期には40以上あったというホテルや旅館も、
現在営業しているのは老舗の10数軒のみ…とのことだ。
 

 
 途中に「夢の鐘」が。この鐘を鳴らすと、幸運が訪れるのだとか。
 和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」のモデルになった鐘…
 …というのは、真っ赤なウソです。すみません。

 この鐘は、山部赤人が詠んだ万葉の歌をモチーフにしているとか。
 和歌にちなんで数羽の鶴が空に舞い上がるイメージだそうです。

 

 
 ビーチを歩いていると、こんな岩が姿を表しました。
 蓬莱岩というそうで、近づいて見ると見事な岩でした。

 ネットの写真を拝借してご紹介しますと

 
  …という感じです。

 
 

 
 和歌の浦港に出ると、雨は益々激しくなり、
 予定していた片男波までは行かず、
 玉津島神社前からバスに乗ることに。

   

 
 バスが来るまで相当時間があったので、周囲を散策。
 玉津島神社の前から海に向かうとアーチ型の「不老橋」が見えました。

 

 
 三断橋を渡ると、突き当たりに小さく観海閣が見える。
 観海閣については、こちらをどうぞ 

 http://wakamatsuri.com/spot/%E8%A6%B3%E6%B5%B7%E9%96%A3

 

 
 玉津島神社。「古来より、和歌の神様を祀る神社として
 天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきた」ということです。
 

 

    

 

   

…と、万葉集の歌碑を眺めているうち、案内書に
この近くに芭蕉の句碑がある…と書かれていたので、
バスの時間が近づいてくる中で、あわてて探しました。
バス道の脇にその碑があったので、とりあえず撮影成功。

           ↓ 

 

しかし…
帰宅して写真を見ても、何が書いてあるやらさっぱりわからず、
ネットで「玉津島神社 芭蕉句碑」で検索したら、

 行春に 和歌浦にて 追付たり

…と書かれていたそうです。はい。
芭蕉翁は、和歌の浦にも来ているんですね。

 


最後に、もう一度、地図を。

 
  観海閣はココ! とありますね~

 

こうして、今回の雨のウダウダ会は、まるで
雨(う)だ雨(う)だ会でしたが…無事に終わりました。

一行はバスでJR和歌山駅まで行き、紀州路快速に乗って、
天王寺へ戻り、あべのハルカスの12階にある

スーパー・ドライ 

という店に入り、ビールをゴクゴク飲んで、
のどを潤したのであります。

ここは日本酒、焼酎のたぐいは置かれていないので、
おかげで僕はビールとハイボールを結構飲みましたが、
前回のように酔うこともなく、帰宅しました。
まだ早い時間だったので、妻とモミィが、
家の近くまで出迎えに来てくれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ローマの休日 “真実の口”

2016年06月18日 | 旅行

   

先週、TVで「ローマの休日」が放映された。
たぶん、これまでTVで流された映画の中でも、
放映回数が最も多いのが、この映画ではないか…
と勝手に思っているけれど、何度見ても飽きない映画だ。

それと、先日ちょうど舛添クンの一件で、
「舛添には“真実の口”はないのか?」
というセリフがどこかに出ていたのを見て、
な~るほど、ローマの“真実の口“にひっかけて、
うまいこと言うなぁ、と感心したものである。

ご承知のように、「真実の口」とは、
ウソをつく人間がそこに手を突っ込むと抜けなくなる…
という言い伝えがある。
(海外好きの舛添クンにもぜひ突っ込んでもらいたい)


さて「ローマの休日」で、新聞記者のグレゴリー・ペックが、
オードリー・ヘプバーンを「真実の口」に案内するシーン。

映画で、グレゴリー・ペックが真実の口に手を入れたとたん、
「ぎゃっ」と言って手を噛まれた…フリをする。
これを見たオードリー・ヘプバーンが、
びっくり仰天して、泣き叫んでしまう…

…という、あまりにも有名なあのシーン。
何度見ても心を揺さぶられる名シーンだ。


 

 


1999年。ちょうど僕が50歳の時に、
妻と長男と3人でローマへ旅行に行きました。

同じイタリアでも、フィレンツェ旅行のことは、
このブログに何度も書きましたけど、
ローマの旅には全く触れていません。

このブログも、自分の最後の記録として残したいので、
今日はローマへ旅行した時の写真を載せてみました。

 


 
 “本物”の真実の口です。
 案外、見過ごしそうな、狭いところにありました。


 
  観光客は必ずここへ手を入れますよね。
 長男(右端)が、このお2人から、
 写真撮影を頼まれていました。

 


 

 スペイン広場のシーンも有名ですね。
 アン王女がジェラートを食べています。


 
  僕らもこのあと、ジェラートを食べました。
  


 
  こちらは、コロッセオ。



 
  トレヴィの泉。



 
   ついでにナポリまで足を延ばしました。
 「ナポリを見てから死ね」と言いますからね~
  これで、いつ死んでもいい?


 
  ナポリといえば、ポンペイはすぐ近く。
 西暦79年に、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没した町。
 1700年代から発掘が始まって、今日に至っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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舛添辞職と運動会(関係ない?)

2016年06月16日 | 日常のいろいろなこと

結局、舛添知事は、不信任を出される前に自ら辞職した。
21日付だそうだが、辞めるしかないことは誰もがわかっていた。

今ごろかいな…と、いう感じだが、
やっと観念したらしい。

そもそも舛添の一連の発言は、
いちいちカチンとくるものだった。

まず、海外視察の大名旅行ぶりを指摘されると、
「トップが二流のビジネスホテルに泊まれますか?
 恥ずかしいでしょう」 と、えらそうに答えた。

超高級ホテルのそれも超豪華な、
スイートルームに泊まっていたんだよ。
なんで二流のビジネスホテルを引き合いに出すわけ?

そして公用車で毎週のように湯河原の別荘に行ったことは、
「公用車はルールに従っていて何の問題もありませんよ」
と、「余裕」っぽい笑顔を見せて、ヌケヌケと言う。
危機管理については「公用車は動く知事室です」
などと、ワケのわからないことを言ってごまかす。
あの時、「う~ん、そうですかね。気をつけます」
くらいのことを言っていれば反発も小さかったろうに。
要するに、都民・国民というものをナメていたんですね。

そのあとの言葉も、カチンとくる連続だった。

筆で字を書くとき、中国服を着る理由が、
自分は柔道をしていて肩の筋肉がすごいので…
などと、自慢を入れながら正当化をするというあざとさ。

大きな風呂で足を延ばせるから、という理由は、
「自分は股関節の大手術をしていますので…」
と言うのだが「手術」でいいのに、わざわざ
「大手術」と言って話を大仰にするいやらしい言い草。

あれもこれも、これまで言葉で人を言い負かしてきた自信の表れか。

とにかく、世間の常識とあまりにもかけ離れていたものね。

それにしても、多くの疑惑の真相が解明されないまま、
辞めてしまったら、もう追求はされないのだろうか。
「もう、私は辞めたのですから」と、
ますます真実は語ろうとしなくなると、
疑惑を残したままの幕引きとなってしまう。
マスコミの眼も次の候補者に移りそうだし。

それはそれで、何だかなぁ、と思うんだけど。


さて、舛添ネタばかり書いているけれど、
モミィの運動会の続きについても書かなければ。


6月5日の日曜日の運動会が雨で流れ、
7日の火曜日に行われたけれど、
その日も途中から大雨になり、
何種目かを残して中止になった。

そして、一昨日の火曜日(14日)に、
その続きが体育の授業として行われ、
僕たちも、また学校へ出かけて見学した。

先週火曜日は、モミィら5年生の二人三脚のあと、
大雨が降ってきて、その時点で中止になった。

残りの6年生の騎馬戦と、3年生~6年生の
紅白対抗リレー、そして最後に全学年の綱引き。
これらが、一昨日の1時間目に行われたのである。

3年生から始まったリレーが、いよいよ5年生の番になった。

元々、モミィは走るのは遅いほうなのだが、
「絶対に見に来てね」と声を弾ませていた。

リレーは4つのチームが走る。

モミィがバトンを受けたのは4チーム中、3番目だった。
男女混合なので、モミィの後からは男の子が追いかけてきた。

懸命に走るモミィに、男の子はグングンと近づき、
僕がカメラを構えていた目の前で、抜かされてしまった(笑)

で、モミィは4位で次の子にバトンタッチした。
それでも、走り終えたモミィの顔は、とても嬉しそうだった。

 

 
 向こう側がモミィです。
 次走者へバトンを渡す直前で、

 男の子(赤帽)に抜かれちゃいました。

 

 

 

 

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不信任案と議会の解散

2016年06月15日 | 議会&役所

きょう、東京都議会で舛添知事の不信任決議案が提出されるようだ。
なぜかリオ五輪まで待ってくれ…という舛添は、自分からは辞めない。
自民党も公明党も、ここまで民意が強まってくると放置できないだろう。
あれやこれやの思惑で、この両党は舛添を見放すことにしたようである。

地方自治体で長の不信任案が出されるのはきわめて珍しいことだ。
ましてや、首都・東京の知事に対して不信任案が出されるとはね~

僕が勤めていた松原市では、それが現実に起きたことがある。

また昔の話になりますが…。 昭和49年の夏こと。
僕が議会事務局へ配属される前年のことだった。

当時の松原市長が、特定地域に異様に多くの予算を注ぐ…
という批判が起こり、市議会は市長の不信任案を可決した。
すると市長は、「自分に非はない」と、議会を解散した。

それで議員らは、真夏の暑い時期に、選挙を強いられることに。

その選挙が終わり、新しく構成された議会の顔ぶれは、
その前とほとんど変わりはなかった。
この顔ぶれなら、再び不信任案が出るのは確実だ。
そうなると、今度は自動的に市長は失職する。
「もう、あかん」と思ったのだろう。

再度の不信任案が出る前に、市長はさっさと辞職したのである。

「辞めるんだったら、先に辞めておけ」
という非難を浴びたことは、言うまでもない。
あの選挙は何だったんだ…? ですものね。

松原市のこの「政変劇」は、
新聞、テレビなどで全国に大きく報じられ、
当時の議長がNHKテレビにゲスト出演したこともあった。


今回の舛添知事は、きょう不信任が可決されたら、
辞職するのか、解散に打って出るのか…?

大いに注目されるところであるが、
解散をした場合には、当然、都議会議員選挙が行われる。
選挙後、最初の議会で再び不信任案が可決されるのは確実だ。

可決されたら、今度は自動的に舛添知事は失職する。

するとまた、都知事選挙をしなければならない。
つまり、選挙が2回必要なわけだ。

これもナンだかなぁ、と思うんだけど。

「オレがリオ五輪の後には辞めると言ったのに、
 その言うことを聞かなかったから解散するのだ」
と、舛添知事は、うそぶくのかも知れないけれど。

不信任案が可決されるのは100パーセント確実と見られる。

そのあと、あの「負けず嫌いの自信家」がどう出るのか?

「舛添劇場」も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。
…まあ、「劇場」というより、「舛添コント」だったかも知れないけど。

 

 

 

 

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英検3級にチャレンジ

2016年06月13日 | モミィの成長日記

昨日、モミィが英検の3級を受けた。

会場は、うれしいことに、わが町・藤井寺の、
駅から南へ歩いて5分のところにある
大阪女子短期大学だった。

自宅から歩いても25分ぐらいのところだ。

去年10月の5級の試験会場は、東大阪市の樟蔭女子大学で、
交通の便が悪く、電車を3つも乗り換えなければならなかった。
今年1月の4級の会場は、大阪教育大学天王寺キャンパスで、
これは近鉄電車で阿倍野へ出るだけだったので、まあ楽だった。
そして今回の3級は、地元の藤井寺だった。

午後1時集合ということで、12時過ぎには会場に着いた。
5級の時や4級の時はごった返すほどの受験者がいたが、
今回の藤井寺の会場には、ほとんど人影が見えなかった。
で、受付開始の12時20分ぐらいなって人が集まってきた。

しかし、明らかにこれまでの会場と人数の規模が違う。
聞いてみると、3級と2級のみ、4教室で実施だそうだ。

ともあれ、前2回に比べると、
こじんまりとした試験場だった。

教室へ入ると…
5級の時はモミィより小さい子が沢山いたし、
4級の時もやはり教室は小学生ばかりだったが、
今回の3級は、大半がモミィより大きい子ばかり。
むろん小さい子もいたが、大方は中・高生以上だった。

さて、午後1時から受験者への説明が始まり、
僕と妻は保護者控え室に入って待機した。

試験は1時30分に開始。
筆記試験が40分。2分後にリスニングが26分。
終了時刻が2時38分だった。

そして、その時間が来て、僕らは教室の前で待った。

5級のときは、出てきたモミィにどうだった?
…と尋ねたら、ニコニコしながら「うん、できたよ」
という、うれしそうな返事が返ってきた。

4級のときは、「暑かったわぁ」と言いながら、
「どうだった」の問いかけには、
「う~ん、できたと思う」との答えだった。

しかし、昨日は、
お兄ちゃんお姉ちゃんたちに混じって出てきたモミィは、
僕の顔を見るなり、「あかんわ。全然わからんかった」
と、半分笑いながらも、顔をしかめて見せた。

まあ、僕も今回は無理だと思っていたので、
このひと言には別に驚きも落胆もしなかった。

「そうやろ。3級はむずかしいからねぇ」と言うと、
「特にリスニングが何を言ってるのか全然…」
とのことだった。
元々モミィはリスニングが得意で、
5級も4級もほぼ全問正解だったけれど、
やはり3級になると、モミィが「早口言葉みたいだった」
と言ったように、会話がうんとスピードアップするのだろう。


これまで、児童英検の「銅」「銀」「金」そして、
英検の5級、4級と、一発合格してきたけれど、
さすがに3級は、そう簡単には合格しないよね。
これからが本当の英語力が試されることになるわけで。

帰宅後、モミィが問題用紙に答えを書いていたので、
それを見て、筆記試験だけ僕が採点をしてみたけれど、
正解率は50パーセントか、それを少し下回るぐらいだった。
(僕の採点ですから、いい加減ですけど…)

3級の合格ラインは60パーセント以上だそうだし、
リスニングは全然出来なかったと言っているので、
これはもう不合格だろうな~と考えざるを得ない。

もともと今回はパスさせるつもりだったけれど、
モミィがどうしても受けたいというので、こうなった。
ま、合否は別として、経験することも大事ですのでね。

目標は次の10月。それがダメなら来年の1月。
5年生のうちに3級に合格すれば上々だと思っている。


英語をモミィの生涯の「得意技」にしたいと思っているので、
これからも気長に英語力を磨いていけるよう、応援してやりたい。

 

 


 

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舛添都知事と 『百条委員会』

2016年06月10日 | 議会&役所

「舛添は早くやめろ」とこのブログで書いてからも20日以上経つ。
今でも連日、テレビで舛添都知事の問題が報道され続けている。

公私混同、セコい、ネコババ男、恥知らず、傲慢、
他人に厳しく自分に甘い…など、いろいろ言われている。

しかし、マスコミや議員からどんなに厳しい指摘を受けても、
「都民の信頼を取り戻すため邁進したい」を繰り返すだけ。
白々しいにもほどがある。呆れている人も多いだろう。

今さら信頼を取り戻すなんて100パーセント無理だろ。
だいたい、本当に反省しているようには、見えない。

公私混同は「疑惑」ではなく「事実」なのに、
あまりにも、往生際が悪すぎるよね。
(それに比べて、昨日の市川海老蔵の会見は立派だった。
妻の麻央さんが進行性の乳がんだったという会見。
舛添も、海老蔵の爪の垢を煎じて飲めばいい)


さて、その舛添報道の中で、都議会の「代表質問」とか、
「一般質問」とか「総務委員会」とかの言葉が出てくる。

僕にとっては、とてもなじみ深い言葉である。

38年間の市役所勤めのうち、
26年間、議会事務局で仕事をしていた僕は、
これらの言葉を聞くと、いろいろと思い出す。

東京都であっても地方の小さな市であっても、
地方自治体であることは同じなので、
定例議会は年4回行われ、その中で
代表質問や一般質問というのがある。

本会議での応答のあとは委員会で
また、いっそう詳しい審査をする。
それが、今回の場合は「総務委員会」である。
舛添問題について、13日にそこで集中審議がされるそうだ。


そしてもうひとつ、にわかに「脚光」を浴びたのが

百条委員会

…というもの。

これは、もう皆さんご承知だと思いますが、
この委員会を設置すれば、そこで行う審査は、
証人を呼んだりすることもできるし、出席を拒否したり、
嘘の証言をしたりすると罰せられる…という強い権限がある。

議会はそういう特別委員会を設置できますよ…
と規定されているのがたまたま地方自治法の第百条なので、
いわゆる「百条委員会」と呼ばれているものである。

初めてこの言葉を聞いた人は
「百条委員会って何やねん?」
と思われたかも知れませんね。


この「百条委員会」については、僕なりの思い出がある。

先に、僕は通算で26年間、議会事務局にいたと書いたけれど、
昭和46年に松原市役所に入り、秘書課、課税課と2年ずつ勤め、
昭和50年の4月に議会事務局に配属された。

その翌年のことだった。
松原市議会に「百条委員会」が設置されたのだ。

その頃、ロッキード事件というのが世の中を騒がせていた。
国会で「証人喚問」などが行われたのがTVで流され、
証人に出た人が「記憶にございません」を連発し、
それが流行語のようになったこともある。

松原市議会でも、その影響を受けたようで、
3人の市議会議員が「疑惑あり」とされて、
百条委員会が設置されたのだった。

僕が議会事務局に配属されてから約1年後のことだった。

議会事務局の上司たちはてんやわんやだったが、
下っ端の僕などは、ただオロオロしているだけ。

やがて委員会が始まり、証人を呼んだり、
いろんなことを審議したけれど、結局、
ヤリ玉に挙げられた3議員とも「シロ」ということで、
一定期間続いたその委員会の幕が閉じられたのである。

大山鳴動してネズミ一匹…。
いや、ネズミ一匹すら出てこなかった。
僕から見れば「なんのこっちゃ」という顛末であった。

その当時、百条委員会は、各自治体で
一種の流行にもなっていた記憶がある。
今からちょうど40年前の話である。


舛添問題は、このあと総務委員会でどういう展開になり、
百条委員会を開くことになるのかならないのか知らないが、
いずれにしても、ここまで来たら舛添も続投は困難なはず。
(一説では9月議会の時に辞める…と言われていますけど)

ただ問題は、次に立派な知事が出てくるかどうか…ですけどね。

 

 


 

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運動会 どしゃ降りで幕

2016年06月08日 | モミィの成長日記

日曜日に予定されていたモミィの運動会が、
雨のため、予備日の火曜日に順延になった。

そして迎えた昨日の火曜日である。

朝のうちは、まだ雨は降っていなかったが、
天気予報では、大阪方面は午前中から雨が降り出し、
それもまとまった雨で、午後からは雷の所もあるという。

やれやれ、また雨の予報だ。
梅雨入りしたので仕方ないとはいえ、
これでは、いつまで経っても運動会が開かれない。

この日の火曜日もまた運動会が実施できなければ、
翌日の水曜日に延期します…ということだった。
しかしその水曜日も、なんと、これまた雨の予報だ。

昨日の朝、いったいどうなるのだろう…と思っていたが、
午前7時現在で雨は降っていなかったので、
何とか開催されるということになった。

そして僕と妻は、どんよりと曇った空の下を、
8時半に家を出て、学校へ向かったのである。

校庭は、やはりいつもの日曜日の運動会に比べると、
保護者の姿は少なかった。仕方ありませんね。

いつ雨が降ってくるか分らない状態なので、
プログラムも大幅に変更になっており、
校門で変更されたプログラムを受け取った。

まず、団体演技を先に行うということだ。
「なるほどねぇ」とナットク。

団体演技とは、

1、2年生は「122人のちびっこギタリストたち」というダンス。
3、4年生が「花笠音頭2016」という踊り。そして、
モミィのいる5年生と6年生は、組立て体操である。

団体演技は、皆がもっとも力を入れて練習した種目である。
とにかく、これをまず保護者に見てもらわなければ、
…という先生方の思いの表れだろう。

僕も一番見たかったのが組み立て体操だった。

そして、団体演技のあとが団体競技となっていた。

団体競技とは、

1年生は玉入れ
2年生は大玉ころがし
3年生は数人が棒を持って走る「台風の目」
4年生は棒引き
5年生は二人三脚
6年生は騎馬戦

…という具合。

他に、3年生から6年生までが出る紅白対抗リレーや
全学年が出る個人走などがあるけれど、
それらは一番後回しになっていた。

やはり、2人以上が力を合わせてやる種目が優先なんだ。
雨の予報の中で、学校側もいろいろ苦慮されたのだろう。


さて、午前9時。
曇り空の下、開会式があり、ラジオ体操が行われ、
紅組と白組の応援合戦が行われたあと、
団体演技1、2年生のダンスが始まった。
やはり、1、2年生たちはとても可愛い。
モミィにも、こんな時代があったんだよね。

続いて3、4年生が「花笠音頭」を華やかに踊った。
モミィが3年生の時は「ソーラン節」、
4年生の時は沖縄の「エイサー」を踊った。

そして待望の5、6年の組み立て体操だ。
こんな早い時間に見られるのがむしろラッキーだった。

モミィも元気にその中に混じっている。
全員が裸足で、表情は活き活きしていた。

まず2人が組んでの演技。…そして3人。
さらに人数が増え、扇の形をしたり、
いろんな団体演技が続けられる。

最後に「ピラミッド」と言われる陣形を作る。
もうこの時は、モミィがどこにいるのかわからない。
崩れた場合に備え、回りで先生方が緊張の目で見守っている。

見ている僕も、全体像を写真を撮りながら胸が熱くなった。
これまでの運動会で、こんな気持ちになったのは初めてだ。

その組み立て体操が終ったのが10時15分。
終った瞬間、雨がパラパラと降り始めた。
“絶妙”のタイミングだった。

見たかった組み立て体操が終ったとたんに雨とは…
運が良かったなぁ…とほくそ笑んだ僕である。

児童たちは全員、先生に引率されて教室へ行き、
傘を持ってまた戻ってきた。

僕たちも用意していた傘を広げる。
運動場は一気に傘の風景に変わった。


これで3つの団体演技が、まず無事に終了した。

そして次は雨の中で、団体競技のほうが始まった。

1年生の玉入れがあり、2年生の大玉ころがしがあり…

3年生、4年生と終って、モミィの5年生は「二人三脚」だった。
紅組と白組が、二人三脚でリレーをするのだ。

モミィの出番はうしろのほうだった。そして…

二人三脚が始まったとき、急に雨が強くなった。
僕は傘を持ったまま、カメラを構えるが、
回りの人たちの傘と傘がぶつかり合う。
小さな傘なので、雨で体が濡れる。

そちらに気を取られている間に、
隣の妻からモミィが走り始めたことを知らされた。

「えっ、どこどこ?」と思ってカメラを向けると、
すでにモミィたちが次走者にバトンを渡す直前だった。
そのシーンを何とかカメラにおさめたけれど、
雨がものすごい勢いで降り出しており、
小さい折り畳み傘では間に合わない。

普段でも滅多にないようなどしゃ降りの雨だった。

二人三脚が終ったところで、
あわてて体育館の軒先に移動して雨を避けた。

大勢の人たちが次々と雨宿りに押し寄せてくる。
バケツをひっくり返したような…という表現がピッタリの雨だ。

先生が放送で何か言っているが、よく聞こえない。
やがて、子供たちが教室へ避難し始めたので、
保護者たちもゾロゾロと出口へ向かった。
僕らもその中に混じり、学校を後にした。

結局、モミィの出た二人三脚が終った時点で、
今年の運動会はそのまま終了となった。

僕たちが家に帰ったのは11時半ごろだった。

家に着いてビショビショになった服を脱いで着替えた。

「あぁ、大変やったねぇ」
と僕たちは、やれやれと、顔を見合わせた。

そのあと、学校からメールが来た。

今日の団体競技の最後の6年生の騎馬戦はできなかった。
さらに、そのあと予定の紅白対抗リレーもむろん中止。
で、これらについては、来週火曜日の朝一番に、
体育の授業として行うので、保護者の参観は可能です…
という通知だった。


ともあれ、雨のために運動会は変則的な形で終った。
組み立て体操を見たので、僕は満足だったですけど。

それに、モミィの運動会での姿勢や動作が、
年々逞しくなってきたことも見届けることができました。

 

 
 開会式。これまで小柄だったモミィは前のほうにいたのですが、
 最近は背が伸びて後方へ行き、見えなくなりました(笑)


 
 これから組み立て体操に向かうところ。
 入場するとき、モミィは先頭にいました。


 
 一番前にいるのがモミィです。


 
 まず、2人での組み立てから始まりました。
 ここではモミィが上にいます。


 
 その次はモミィが支え役に。
 このあと、すべて支え役でした。


 
 次は3人での演技。
 「土台」のモミィは、向こう側です。


 
  さて、大型の組み立てが始まりました。
  この時点で、すでにモミィがどこにいるのかわかりませんが、
 家に帰ってこの写真を拡大したら、下から3番目にいたそうです。 


 
 観覧席から大きな拍手が起き、僕も胸が熱くなりました。
 みんな、よく頑張ったよね。
 手前のグループで、下から3段目の右端にモミィがいます。

 


  
   その部分をアップ。中央がモミィです。
  楽しそうな表情で、顔もしっかりと上げています。

 


 
  5年生の次の出番は「二人三脚リレー」
 ところが競技が始まったとたん、雨が激しくなりました。
 それに気を取られているうちにモミィのペアが走って来ました。
 

 

  
   写真のアップです。
  

 

…ということで、この二人三脚中にどしゃ降りとなり、
あとの競技は全部取りやめ、ということになりました。

でもまあ、これはこれで、
思い出深い運動会になるんでしょうね。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

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運動会の日だというのに

2016年06月05日 | 日常のいろいろなこと

いま、6月5日(日)の朝の5時半である。
外は雨。それも大雨。しかも風が強く、大荒れの天気。
窓を開けただけで、雨のしぶきが顔にかかるほどである。

よりによって、なんでこんな日に…

今日はモミィの運動会だというのに。

延期かどうかは午前7時に学校側からメールが来る。
そのメールを待つまでもなく、これでは開催は無理だ。

5年生になったので、運動会の最大の呼び物、
「組み体操」(プログラムには「全進」と表記)があり、
モミィも、初めてこれにチャレンジするため、
連日、みんなと力を合わせて厳しい練習をしてきた。
それを見るのも、僕たちの大いなる楽しみだった。

しかしこの雨風である。

モミィによると、担任の先生は、
「少しぐらいの雨でも、ヤル気で頑張ろう」
…と言っておられたとのことだけど…
この雨では、今日は100パーセント中止だろう。

運動会の予備日は、明後日の火曜日だ。
しかし、天気予報では火曜日も雨のマークがついている。

運動会が雨で延期になったことなど、
モミィが幼稚園の時から、一度もなかったと思う。
だいたい、以前は10月に開催されていたので天気は良かった。
しかし3年前頃から6月開催に変わった。
昨日、列島各地で梅雨入りか、と報じられていたくらいだから、
少なくとも10月に比べて、雨は降りやすい時期なんだもんね。


いや、それにしても、予備日である明後日も、
もしも、雨で中止という事態に及んだら、
予備日の予備日…なんてものが、あるのだろうか?

でも、まさか
「もう、やらない!」なんてこと、ないだろね。


ところで、今日は運動会が中止でも、
学校で授業があり、モミィらは登校する。
そして、明日は予定どおり休校である。
で、明後日が運動会の予備日というわけ。

どちらにしても、今日はお弁当を持って行くことになる。

いくらここでボヤいていても、
お天気ばかりはどうすることもできない。

今、6時近くになって、雨の勢いは少~し弱ったかな…
というような感じですが、でもやはり、無理でしょうね。


では、これからお弁当を作ります。

がんばらなくっちゃ。

 

 

 

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コマンタレブ~

2016年06月03日 | 日常のいろいろなこと

テレビのCMで「コマンタレブ~」という言葉が出てくるのがある。
それを見ていたモミィが「どういう意味?」と首をかしげるので、
「それはね…」と僕は説明してやる。
「フランス語で『ご機嫌いかが?』という意味」
「ふぅ~~ん」とモミィ。
「英語で言えば『 How are you? 』みたいなもんやね」
と、今月12日に英検(3級)を控えたモミィに解説する。

で、えらそうに解説はしたものの…
僕が知っているフランス語といえば、
この「コマンタレブ~」と「ケスクセ」くらいなものだ。
(「ボンジュール」とか「メルシー」とかは別としてね)

「ケスクセ?」というのは「これは何ですか?」という意味だけど、
学生時代、この言葉を聞き「ケツ臭ぇ」とふざけ合ったもんだから、
それで覚えているだけのことである。やれやれ…バカみたい。


まぁ外国語は好きで、英語以外にもいろいろとかじった。
かじっただけで、ほとんど身についていないわけだけど、
海外個人旅行が好きだったので、それなりには役立った。


どこの国に行っても、基本は英語だから、
英語の勉強だけは比較的力を入れていた。
あとは旅行先の言葉を、その都度勉強した。

北京に行く前は中国語を勉強し、
韓国に行く前はハングルを勉強し、
ウィーンに行く前はドイツ語を勉強し、
フランスに行く前はフランス語を勉強し、
マドリッドとバルセロナに行く前はスペイン語、
フィレンツェに行く前はイタリア語…というふうに。


数えてみると、英語を除き、
6ヶ国語を勉強したことになる。

(ほとんど忘れてしまいましたが…)

しかし、こうして見ると、外国語もさまざまで、
自分の性分に合った外国語と合わない外国語がある。

たとえば、
一番苦手というか、自分に合わない外国語は、
前述のフランス語と、中国語だ。

フランス語は、あの空気の抜けたような発音が苦手だ。
思えばパリに4回行き、最も多く訪れた国なのに…
現地では英語で通し、プライドの高いフランス人、
例えばブティックの店員らに軽蔑の目で見られた。

その次にダメなのが中国語。
NHKラジオ講座で懸命に勉強したものの、
「四声」と言われる4種類の高低アクセントが、
うまく飲み込めず、生理的に好きになれなかった。

逆に一番自分に合った外国語は、
意外だけれど、ハングルだった。

これは語順が日本語と同じ、というのが大きい。
それと、ノリがいいので、しゃべると気持ちがいい。

「チョヌン イルボン サラミムニダ」
(私は日本人です)

「ソンハミ オットケ テシムニカ」
(お名前は何とおっしゃいますか?)

などは、今でもスラスラ出てくる。

♪ オッチョダ センガキ ナゲッチ 
  ネンジョンハン サラミジマン  ♪

…という歌「離別(イビョル)」も、
歌詞を見ずに歌えるので、

昔はよくカラオケで歌ったものです。


ハングルの次はイタリア語。
ローマ字ふうの読み方・発音なので、馴染みやすい。
フィレンツェへの旅行でアクシデントに遭遇したとき、
英語が通じない駅などで、片言のイタリア語が大いに役立った。

ハングルもイタリア語も、日本人としては発音しやすい。
それが、大きな理由だったろうと思う。

スペイン語も、まぁまぁ面白かった。

毎年3月にアルゼンチンから甥のヒロユキと一緒に
ソルちゃんが来るが、そこはスペイン語が母国語だ。
そのソルちゃんとスペイン語で話そうと思うんだが、
今ではもう、ほとんど忘れてしまって、
「コモエスタ ウステ?」(ご機嫌いかが?)
「アスタ ルエゴ」(じゃぁまたね)
…と、最初と最後の挨拶しか言えない。

あと、ドイツ語は、それより少し、苦手だ。
ウィーンからザルツブルグへ列車で行った時、
座席の前に5歳ぐらいの男の子が母親と座った。
そこでカタコトのドイツ語で会話したのが懐かしい。
が、その時、もう少し話せていたらなぁ、と残念だった。

いずれにしても、海外旅行でその国の言葉が話せるのは楽しい。
行く度に「あぁ、もっと勉強してくればよかった」と後悔するんだが。


というわけで…

自分なりに理解しやすかった外国語をランク付けしたら、

1位はハングル
2位はイタリア語
3位はスペイン語

で、それから4位ドイツ語、5位中国語、6位フランス語となる。

最下位がフランス語だけれど、実は、大きな声では言えないが、
僕は一応、大学で第二外国語としてフランス語を専攻したのだ。
なのに、このありさまで、まったく何も身についていない。

あんた大学で何を勉強してきたの? と言われそうです。


これは、約10年前、現在のブログの前にやっていたブログで、
掲載した写真です。当時、わが家にあったテキストです。
(今でもほとんど残っていますが)

語学テキストだけは、豊富なんですよね。

あくまでも、テキストだけ…ですけど。

 
 

 

 

 

 

 

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人と接することの大切さ

2016年06月01日 | 心と体と健康と

今日から6月ですね。
毎月、1日を迎えると、
「えぇっ? もう…?」
と、その早さに驚くのが常ですが、
今日もまた「えっ、もう6月?」と驚いています。
皆さんも、たぶんそうなのかなぁ、と思いますが。


さて…

「健康の秘訣」みたいなものをテーマにしたTV番組が多い。
それだけ「健康」というものに対する関心が深いわけですね。

健康であるための生活習慣はきわめてシンプルである。
よく言われるように、食事と運動が大事だということ。
これは、基礎代謝が落ちる高齢者に、特に当てはまる。

塩分や脂肪分の多いものは避け、栄養バランスを考え、
食事はなるべく「腹八分目」を心がけて、
歩いたり体操したりと適度な運動をする…
…というような感じである。

これらのことを基本に置いて、そのあとは、
自分に合った健康法を加えていけばいい…
と、要するにそういうことなんでしょうね。

ところで、食事と運動も去ることながら、
もっと大きな要素が、ひとつあるという。
健康を保ち、元気に長生きするために、
最も大切なことは…

人と接すること・笑うこと

…なんだそうである。

これが脳に刺激を与え、身体の血流も良くし、
身も心も活性化されていくのだという。

新聞の記事だったけれど、これを読み、
僕は「なるほどなぁ」とコックリ頷いた。

家に引きこもっていると、身体も心も萎えてきそうだもの。

しかし、この点については、今の僕は残念ながら、
後ろ向きだと言わざるを得ない状態なのだ。

僕は昔から友だちが多いほうだったし、
人付き合いも、悪いほうではなかった。

しかし、仕事を辞めて7年余り経った今、
どんどん付き合い範囲が狭くなってきている。
というか、自分から狭めている感じなのである。

昔の友人・知人との交歓も、現在は「休業中」である。
そして最近は、あまり笑わなくなったような気もする。

つい先日のこと。
現役時代に同じ職場で働いていた先輩とバッタリ会った。
退職してから初めて会ったので懐かしく、話が弾んだ。
そして、その先輩が参加している元職場の仲間の会、
…といっても、その辺をハイキングするだけだが、
その行事に参加しないかと誘われ、OKした。
かつて親しくしていた先輩、同僚、後輩がいる。
長い間ご無沙汰している人たちだ。

しかし、当日の朝、体が少し重~い感じで、
何となく行くのが億劫になり、電話でお断りした。

こんな調子で、
人と接する機会を自分からつぶしてしまっている。

他にも、会って話したい友人が何人もいるんだが、
なかなかそれを実行するだけの意欲が湧いてこない。
ネガティブ思考はよくないと、わかっているんだけど…。

一人っ子だったせいか、一人でいるのが、いちばん気楽でいい。
この年になって、そういう性質が全面的に出てきたのかな?

ただ、唯一の救いはスポーツクラブで、
プールやジムに顔見知りの人が多くできたので、
クラブへ行くとそういう人たちと雑談する機会が多い。
そこで辛うじて「人と接する」ことを維持している状態だ。

でも、やはり気心の知れた仲間たちとワイワイ騒ぎ、
大いに笑いたい…と思うのが、正直なところである。


…とまぁ、そんな状態だけど、
今でも定期的に参加しているグループが、

「ウダウダ会」で、これだけはず~っと続いている。

しかし2ヵ月に一度のこの「歩いて飲む会」も、
ここ1、2年は、よく欠席している。
(それなりに理由はあるのですが)

去年1年間でも、2回に1回は欠席した。

前々回は今年の1月末で、これには参加した。
酔って転んで顔に怪我しましたけど(トホホ)。

そして前回は、4月初旬だったが、
ちょうどモミィが春休みの時期で、
京都、奈良への家族旅行と重なり欠席した。

次回は6月初旬か中旬の日曜日に行われるはずである…
しかし、6月の最初の日曜日(5日)はモミィの運動会で、
次の日曜日(12日)は、モミィの英検3級の試験日である。

う~ん、またウダウダ会を断らなければならないか…
と思っていたら、先月半ばにウダウダの先輩から電話があった。

「あんたの顔を見なかったら寂しいがな」との言葉。
「次のウダウダは、6月の日曜日に予定しているけど、どう?」
と、わざわざ僕の都合を尋ねるために電話をしてくれたのだ。

「あのぉ…実は…」と僕は恐縮しながら、
「5日はモミィの運動会で、12日は英検で…」
第1・第2日曜日のスケジュールを伝えると、先輩は、
「う~ん。そうしたら…その次の19日の日曜は大丈夫?」
その日なら、何の予定もない。
「あ、その日はOKです」と僕は返事した。
「じゃぁ、19日にするわ。また通知を出しますので」

というやりとりの後、電話は終った。

今でも自分のことを気遣ってくれる人がいる。
…そう思うと、また元気が戻ってきた気がする。

うれしい電話だった。
やはり仲間の人たちというのは、ありがたい存在である。

億劫がらずに、なるべく人と接することにしよう、
…と、自分に言い聞かせている今日この頃です。

 

 

 

 

 

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滝畑ダムで車が転落死亡事故

2016年05月30日 | ランニング

マラソンをしていた頃、大阪府の南にある河内長野市の奥の奥、和歌山県との県境も近い滝畑ダムへよく行った。河内長野の市街地から山間道路を約10キロ行くとそのダムがあり、周りの景色もよく、キャンプ場も整備されて、なかなかの人気スポットだ。僕にとっても、数々の思い出が詰まった場所である。

 

    

今は廃止されたようだが、以前、滝畑ダムを周回するコースで駅伝大会が開催されていた。1周約5キロのコースで、僕たち「松原ランナーズ」のチームも、毎年これに参加していた時期があった。

この駅伝は、高校生から一般まで、すべて一緒に走る。ある時は「〇〇高校野球部」のユニフォームを着た高校生と競り合ったこともあった。中年の身で高校生と競り合うというのが、とても痛快であった。

次男が高校の陸上部に所属していて、その学校も出場した大会があった。その時、僕も出場していたので「親子対決!」と、はしゃいだものだった。

100キロマラソンにチャレンジしていた頃は自宅から、河内長野を経由して、約30キロ先となる滝畑ダムまで走った。河内長野から滝畑ダムまでは登り道だったが、これが特に脚力を鍛えてくれた。そして、駅伝の時には人で埋まっているダム周回コースもその時は人影もなく、そこを一人でトコトコ走り、また同じ道を家まで走って帰った。

その自宅から滝畑ダムへの往復約60キロランが、練習の総仕上げだった。これを完走したら準備はOK。あとは本番の100キロマラソンのスタートラインに立つだけだった。


そんな思い出深い滝畑ダムで、昨日、信じられない事故が起きた。


   
    今朝の朝日新聞の1面です。

男性6人乗りのワンボックス車が、ダム湖に落ちて、乗っていた男性6人のうち5人が死亡したというニュースが報じられたのである。

なんということだろうか。

あの辺は、そういうことが起きないよう、十分に安全にできている。車が車道から外れて、あのフェンスを破ってダムへ落ちるなど、およそ考えられないことだった。よほど異常な運転をしたとしか思えない。バーベキューをした帰りというのだから、運転手はお酒でも飲んでいたのだろうか…?

ゴールデンウィークから、ずっと車の大きな事故のニュースが続いている。車の運転には十分過ぎるほどの注意を払わなければならないことは、みんなわかっているはずなのに、毎日のように悲惨な事故が起きる。


同時に、かつてその滝畑に住んでいた〇北君という友人のことを思い出した。

彼は滝畑ダム近くのキャンプ場で、子どもさんと一緒にローラースケートを楽しんでいた時、足を滑らせて転倒し、頭を強く打った。そして、まだ30代の若さで亡くなったのである。今から30年ほど前のことだけれど、その知らせを受けた時のショックを、昨日の事故のニュースを見て、また思い出した。

本当に、世の中、一寸先は闇である。

 

 

 

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心房細動を巡る冒険 なんちゃって

2016年05月28日 | 心と体と健康と

ここ数ヶ月前から、自分が通っている病院について考えていた。何度も書くけれど、2ヵ月に一度、持病の心房細動(不整脈の一種)で、松原市の徳〇会病院へ検査と診察に通っている。

心房細動に悩まされ始めて10年余りになる。ちょうど今から10年前の2006年6月の仕事中に、脳梗塞の一歩手前である「一過性脳虚血発作」に襲われて、右半身がしびれ、ろれつが回らなくなった。

これは、心房細動によって血液の流れが滞り、血のかたまり(血栓)ができて、脳まで流れて血管を詰まらせたのである。状況次第では脳梗塞になっても不思議ではなかった…と医師に言われた。そしてそれ以後、血液をサラサラにするワーファリンという薬を飲むことになり、8年前からこの徳〇会病院で診てもらっている。薬が効きすぎると逆に脳出血などを誘発するので、薬の量を調整するために2ヵ月に一度血液検査をして効き具合をチェックし、あとはいつもどおりの薬をもらう…というのが、病院通いの主な目的である。

心房細動を予防する薬もずっと飲んでいるけれど、それで心房細動が治るわけでもなく、今でも発作に見舞われることはしばしばあるので、その経過も医師に報告し、あまりに症状がひどい時は病院に駆け込み、点滴を受けて収めてもらうことも何度かあった。そんな経緯をたどって、もう8年が過ぎた。最初に診てもらっていた医師が、僕の症状をよく理解してくれ、いつも的確なアドバイスをしてくれていたのだが、その医師が他の病院に移ってしまわれ、担当医が変わった。新しい医師は若くて柔和な人だったが、何となく頼りない感じだった。そこで、以前、その信頼していた医師が他の病院へ移るときに言った言葉…

「この病院はお家からも遠いですし、待ち時間も長いので、この際、お近くの開業医のほうで検査と薬処方をしてもらったらどうですか?」

と勧められたことを思い浮かべた。その時は今のままで…と答えたが、最近になって、やはり近くの医院に変わったほうが何かと便利だと感じ始めた。ちょうど駅前に循環器専門外来の看板を掲げる医院があり、妻も健康診断などを受けており「いい先生よ」と言っていたので「よ~し、そこに変わろう」と決めた。

そして徳〇会の担当医に、その医院宛の紹介状を書いてもらったのだった。

ちなみに、この紹介状というのは、封筒の宛名が、
「〇〇医院 〇〇先生御侍史」と書かれています。
「御侍史」とは独特の書き方ですね。

さて、その紹介状をもらったのが先週だった。ところが…

近いうち、それを持って駅前の医院に行こうと思っていた矢先のこと。

24日の火曜日のことだった。午前中プールで泳いだ後、帰宅して昼食をとってから、脈拍がほんの少し不規則になってきた。「やれやれ、またか」と思いながらも、横になるほどでもないので、近くの図書館へ行った。しかしそこで、かなり息苦しくなってきた。慌てて帰宅して横になったが、いっこうに弱まる気配がない。薬も余分に飲んだけれど、効かない。おまけに頭がズキズキ、ポワーンとしてきた。これはヤバイ。あの、ろれつが回らなくなった時のことを思い出した。

急いで徳〇会病院に電話をし、妻にタクシーを呼んでもらった。心臓パクパク、ドキドキ。あ~あ、いやになるよ、まったく~。

タクシーの運転手さんが「最短の道が混んでいるようですが、どの道を通りましょう?」と訊くので、「なるべく早く行ける道を」と返事すると、「じゃ、少し遠回りでメーターは上がりますが、空いている道のほうを走ります」と言ったので「頼みます」と答え、「いやぁ、心臓の動悸が激しくて」と僕はゼイゼイ言いながらも運転手さんに話しかけた。

「えっ、大変なんですね。救急車を呼ばれたら良かったのに」と運転手さん。
「いや、それほど大層なこともないんですけど」と僕。

あれこれ話しているうちに病院へ着いた。
気がつけば、動悸が少しマシになっていた。

病院で受付を済ませ、診察室に入った時は、心房細動は収まっていた。
「いやぁ、そういうことは、よくあることです」
診療時間外で、いつもの循環器科ではなく、内科の医師しかいなかったのだが、その医師が苦笑いして、そう言った。僕も苦笑いせざるを得なかった。


…というようなことが、今週にあったのだ。

徳〇会病院から近くの医院に変更しようとした、まさにその時、こんな心房細動に見舞われて、また徳〇会病院に駆け込んだのである。「病院を変えないほうがよかったかな?」と、チラッと思ったが、まあ、緊急事態の時はここへ来たらいいわけで、普段は近所の医院でいいやんか…

…そう言い聞かせて、その翌日、紹介状を持って、近所の医院に出向いたのである。そこで医師に過去の経緯と現況を伝えたり、医師からのいくつかの質問に答えたりして「じゃ、来月に検査をしますので、今日はお薬だけ」ということで、新しい医院での第1回目の診察は終わった。


それにしても、病院を変えたとたんに、また元の病院に駆け込むことになるとは、思いも寄りませんでしたわ。

これからも、どんな「心房細動を巡る冒険」が繰り広げられることやら。
ま、「冒険」というより、「ドタバタ」ですけどね~

 


*8年前の8月、徳〇会病院に通い始めた頃のブログです。  

  「医師への信頼」

 

 

 

 


 

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若い女性受難の時代 アイドル刺傷事件など

2016年05月26日 | ニュース・時事

今日、いよいよサミットが開幕する。
開催地の伊勢志摩をはじめ、各地で厳戒態勢だ。

TVで伊勢神宮が映ると、去年伊勢志摩へ行ったモミィが、
「あ、伊勢や」と嬉しそうに叫んでいた。

大阪ではあべのハルカス内の近鉄百貨店が休業、
通天閣でも金属探知機による検査が行われている。
ユニバーサル・スタジオジャパンも、創業以来初めて、
全入場者を対象に手荷物検査をしているそうである。

昨日、妻が姉と大阪歌舞伎座へ五木ひろしを観に行ったが、
歌舞伎座は、伊勢志摩に通ずる近鉄の上本町駅の隣にあり、
まわりは物々しい警戒態勢だった…と妻が言っていた。

海外テロでは、サミット会場よりも大都市が狙われるそうで、
都市圏のあちこちの空港や駅のコインロッカーが封鎖され、
ホームなどのゴミ箱も使用できなくなっている。

また、久しぶりに日本で行われるサミットなので、
先日のスーパーのチラシなどには、
「ご馳走サミット 大バーゲン」と
デカデカと「サミット」の字が躍っていた。
肉や魚や野菜の大売出しにまで、
「サミット」が使われています(笑)

一方、沖縄で米軍属の男が若い女性を殺害した事件について、
昨日、日米首脳会談で、安倍首相がオバマ大統領に抗議をし、
オバマが「お悔やみ申し上げます」と「遺憾の意」を表していた。

若い女性といえば、東京でアイドル活動をする女子大生が、
ファンと称する27歳の男にライブ会場前で20数箇所を刺され、
今も意識不明の状態が続く事件も、連日大きく報じられている。

最近、特にこうした若い女性が被害に遭う事件が急増している。

これはSNS等のネットの普及が一つの要因だと言われている。

今回の、アイドル刺傷事件についても、
彼女のファンだった男が、ツィッターを通して、
1対1の関係のような気になった上での犯行とも言われる。

…時代も変わったなぁ、と改めて思うのである。


僕も高校生の頃、高石かつ枝という歌手の大ファンだった。

  
 
この歌手をご存知の方も少なくなったと思いますが…


日曜日に「コロンビア歌のパレード」という番組があれば、
どこへも出かけず(当時、録画なんてできなかったから)
そのテレビとにらめっこをして高石かつ枝が出るのを待った。
彼女が出てきた場面では、時間が止まり、僕は夢の中にいた。

そんなことで、僕は彼女にファンレターを送った。
するとしばらくして、彼女の写真入りハガキが届いた。
そこに、誰かの筆跡(ご本人ではないだろう)で、
「明星のファン投票、よろしくお願い致します」
というふうなことが書き添えてあった。
「明星」というのは、芸能の月刊誌で、当時は
この「明星」と「平凡」の2誌が代表的だった。
僕は「明星」を買い、高石かつ枝に投票をした。

あの頃はみんな、のどかで、可愛いものだった。
むろん、アイドルなんて、雲の上の存在だった。
そしてファンレターを送るしか方法がなかった。
返事なんかもらえるはずもなく、期待もしない。
手紙を送ったというだけで、満足なのである。

それが今では、今回のように、ネットを経由すると、
何となくアイドルと親しくなったような気分がファンに生まれる。

しかも今はアイドルが多すぎて、何とか売れようと、
CDを沢山買ってくれたファンと2ショット写真とか、
もっと沢山買ってくれたら一緒にお茶できるとか、
特に売れないアイドル達は、ファン獲得のために、
「接近戦」を挑んでくる傾向があるという。

そんな風潮も、
こうした事件を引き起こす原因のひとつなのだろう。

ネットの普及は、時代の流れで仕方ないことだろうけど
それが果たしていいのか悪いのか…は、また別ですよね。

それが原因で起きる犯罪や嫌がらせ、トラブルなどが、
増える一方である現実に、どう対処したらいいのでしょうか。

 

 

 

 

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中国人のマナー

2016年05月24日 | 旅行

昨日、北京のトイレでびっくりした話を書きましたが、
それで思い出したのは「食べ残し」の話です。
北京の人たちは外食の時、食べ物を残すのです。
(家の食事ではどうか知りませんけど)


北京へ旅行したのは、長男が阪大生だった頃。
長男の高校時代の同級生だった女の子が、
そのとき北京の大学に留学していたので、
彼女を訪ねて僕と妻と長男の3人で行った。

北京では彼女がずっと案内してくれた。

いろいろ驚いたことの多い旅だったが、
食堂に入ったとき、ふと気づいたのが、
他の客(むろん中国人)が食べ終えて帰ったあと、
そのテーブルには、必ず皿に料理が残っていたのだ。
あちらの食堂でも、こちらのレストランでも、例外なく。

不思議に思って、留学生のその女の子に尋ねると、
「こちらの人は食べ物を残すのがマナーなんです」
と言うので、「なんのために?」と聞き返した。

なぜ、残すのか?

彼女の説明によると…

全部食べてしまうと、
「この量では足らんじゃないか」
という意味にとられるからだという。
それでは料理を出してくれた人に失礼だ、
ということで、ある程度は皿に残しておく。
「たっぷりいただいたので、もう満腹です」
そういう意思表示らしい。
(味よりも量なんだね)

国が違えばマナーも違うんだ。

日本では、残してはいけないと教えられてきたのに。

だから僕たちも北京では、少し食べ残して店を出た。
なんだか、もったいないという感じでしたけどね。


そんな経験があったものだから、
4月に家族で京都や奈良のホテルに泊まった時、
朝食バイキングではまわりは中国人客だらけだったが、
食べ残すことが「マナー」という彼らはどうするのか?
そこに注意を払って、眺めてみた。

言うまでもなく、日本のホテルのバイキングで
食べ物を皿に残して帰るのは、少しお行儀が悪い。
少しぐらいなら仕方ないけれど、あの皿もこの皿も、
すべての皿に料理を残したまま帰るというのはねぇ。

そこで中国人観光客たちの様子を見ていたわけだが、
だいたいにおいて、ほぼ全部食べて立ち去って行った。
旅行の添乗員あたりから、注意をされていたのだろうか。
やはり郷に入っては郷に従え、だもんね。


…と、まあ、僕が見たときはそうだったけれど、
テレビの中国人観光客のマナーの悪さの一つとして、
バイキングでもいっぱい食べ残す…と報じられていた。

ふ~む。
これは、観光団体の添乗員の指導が足りないんだろうか。
そのことを厳しく言っておけば、いくら中国人だって、
そうそう無茶なことはしない、とは思うんだけど。

昨日、中国人たちがテレビに出て、マナーについて、
日本人タレントたちと激論を交わす場面があった。

たとえば、コンビニなどで、支払いを済ませる前に、
飲み物を飲むなどする中国人観光客がいるようだが、
飲むのは会計を終えてからだろ、という指摘に対し、
「日本人はマナーにうるさすぎる」と反論があった。

中国人がマナーをわきまえないのか?
日本人がマナーにうるさすぎるのか?

お国柄が違うと、いくら熱心に議論を交わしても、
こういう話は、永久にかみ合わないんですよね。

 

 

 

 

 

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トイレ 奇々怪々

2016年05月23日 | ズレズレ草

土曜日に近郊のスーパーへ行った時のこと。
トイレに行こうと、案内マークを目印に歩いた。
やがてトイレが見えてきた。かなり前方に一人、
高齢者らしき男性がそのトイレに入って行った。

で、僕もその少し後に、トイレに入った。
そこでびっくりしたのは…

トイレの中には誰もいなかったのだ。
「あれっ? さっきのおじさんは?」

個室も全部、戸が開いている。
そのおじさんは間違いなくトイレに入ったのに、
トイレの中には誰一人として人の姿が見えない。

ぞぉ~~~~
あれは幽霊か?

いや。ひょっとして…
どこかに隠れているのでは。
そしていきなり「金を出せ!」
などと、襲いかかってこられるのでは…。
ぎゃっ、トイレ強盗!?

思わず身構え、周囲を見回し、天井まで見た。
上から襲撃してくることだって考えられる。
どこかの忍者の子孫かも知れないし…。

…と、不安に駆られていると、急に

バ~ン

…と、一番奥の個室の戸が閉まったのである。
思い切り閉めたようで、けたたましい音が響いた。

な~んだ。そこにいたんじゃないか。でも…
戸を開けたまま用を足すつもりだったのか?
僕の気配に気づいて、閉めたのだろうか。
それとも、うっかり閉めるのを忘れていた?

なんだか、わからないけれど。

まったくもう、びっくりするじゃないか。

でも、なんですぐにドアを閉めなかったのか。
おじさんがトイレに入ってから僕が入るまで、
時間にしたら10秒以上は充分に経過していた。

ふつう、個室に入ったら、まず戸を閉めるだろう。

そこで僕は「なんで?」と考えた。
思い当たることが、なくもない。

たとえば…
配偶者を亡くし独居老人の生活になると、

まずトイレの鍵をかけなくなり、やがて、
戸も開けっぱなしで用を足すようになる、
というようなことを、聞いたことがある。

ひょっとして、その人は独居老人なんだろうか。
で、日頃のクセが出て、閉め忘れた…とか。

あるいは、さらにひょっとして…

このおじさんは中国人だったかも知れない。
中国の北京で、トイレの個室を開けたまま、
用を足している人を何度も見たことがある。

あそこは、女性ですら開けたまま用を足していた、

と、一緒に旅行した妻が驚いていた。


ふ~む。

独居老人なのか…
中国人の系統なのか…

…と、僕はオシッコをしながら、
あれこれ考えをめぐらせたのである。

 

 

 

 

 

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