「はじめまして愛しています」と「家売るオンナ」

2016年09月24日 | 映画の話やTVの話など…

毎週楽しみに見ていた2つのドラマが、先週2つとも終ってしまった。

ひとつは「はじめまして愛しています」
主演は尾野真千子と江口洋介。
子供のいない夫婦が、一人の子供を育てようとする話だ。

親から虐待を受けて、自分たちの家に迷い込んできた男の子を、
自分たちで育てようとする夫婦の前に、いろんな壁が立ちはだかる。

特別養子縁組、というのも、簡単にはできないみたいだった。

尾野真千子と江口洋介の夫婦のやりとりもよかったし、
児童相談所の職員、余貴美子の感情を殺した演技も卓越していた。

子供の生みの母親と祖母が、主人公たちの目の前で、
子供を奪って帰るシーンは、見ていて辛かった。

ドラマのラストは、さまざまな紆余曲折を経て、
主人公の夫婦が、特別養子縁組を認められ、
その子を育てることになって終わる。

僕たちが孫のモミィを養子にした時は、
比較的簡単な手続きで出来たけれど、
やはり他人の子を養子にするとなれば、
いくつものハードルを超えなければならないんだなぁ…
…と、痛感した次第です。
ま、そういうことを抜きにしても、いいドラマでしたね。
遊川和彦の脚本だから間違いないとは思っていましたが。


もうひとつのドラマは、さらにインパクトが強かった。

北川景子の「家売るオンナ」だ。

ある不動産会社のチーフ、三軒家万智の決めゼリフは
「私に売れない家はない!」というもの。
なんだか米倉涼子の「ドクターX」のセリフ、
「私、失敗しないので」を連想させるけれど、
三軒家チーフのこのセリフも、胸のすく思いがする。

これだけ自信を持って仕事ができる人って、
世の中にどれほどいるんだろうなぁ~。

とにかく、家を売るためには何でもする。
いっさい私情ははさまず、グズグズする部下には、
「早く行け。ゴー!」と目を剥いてハッパをかける。
全編、北川景子は笑顔のない厳しい目付きでの演技だった。
彼女はこういう役が、案外似合っていたんだなぁと再認識。

そんな仕事一辺倒の三軒家チーフに、部下の工藤阿須加が、
「はぁ…?」と泣きそうな情けない表情がおかしかったし、
上司である屋代課長(中村トオル)もコミカルで笑わせる。
三軒家に「僕が課長で課長は僕だ!」と啖呵を切るんだが、
どこか頼りなくて自信なさげな管理職を軽妙に演じていた。

ライターの島崎今日子さんは、新聞のテレビ欄で、
組織という集団の中で長いものに巻かれず、孤高の道をゆく姿には、
精神が浄化されるものがある…という意味のことを書いておられた。

ある意味、三軒家万智は働く女性の一つの理想なのかも知れません。

ともあれ、毎回、ワクワクしながら見てしまいました。
終わってしまったのが残念で、このうえはシリーズ化し、
ぜひぜひ第二弾を期待したいです。
脚本は大石静で、やはり脚本家の存在は大きいですね。

ところで、この「家売るオンナ」の最終回、
ラストシーンは、三軒家万智と課長の屋代が会社をやめ、
海辺の田舎町で小さな不動産屋を開くというエンディングだった。

これを見て、とっさに思い出したのは、
もう15年以上も前に見たドラマ、
「ビューティフルライフ」のシーンだった。

美容師のキムタクが、難病だった恋人の常盤貴子を亡くしたあと、
海辺の小さな町で美容院を開き、彼女を偲ぶというシーン。
これが、このドラマのラストシーンだったが、
「家売るオンナ」の最終回を見て、思い出した。

ちなみに、この「ビューティフルライフ」の最終回は、
平成のドラマで第1位の視聴率を上げたということだが、
それを、あの「半沢直樹」の最終回が上回ったそうである。


最後に、もうひとつ。

「はじめまして愛しています」の江口洋介の勤め先は、
不動産関係で、北川景子の「家売るオンナ」も不動産。
たまたま、2つのドラマとも、主人公の仕事は家を売ることでした。

実はうちの次男も同業で、つまり「家売るオトコ」であります。
勤務先の会社はわが街・藤井寺の「ミヤウチ建設」といいます。

お近くでお住まいの方、お家のご相談は、ぜひこちらへどうぞ(笑)

 

 

 

 

 

 

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「べっぴんさん」が盗まれる?

2016年09月22日 | ズレズレ草

今日22日は秋分の日ですね。

秋分の日は、その年によって9月21日から23日のいずれか…
…ということになるそうですが、直前に敬老の日があるので、
祝日と祝日の間に挟まれた日は「国民の祝日」となることから、
曜日の組み合わせ次第で5連休という大型連休になったりします。

去年などは、19・20日が土・日曜日で、翌21日が敬老の日、
23日が秋分の日だったので、間の22日も国民の祝日となり、
5連休が実現した年でした。
(次の5連休は2026年とのこと)

これを「シルバーウィーク」と呼ぶそうですが、
「シルバー」といえばお年寄りを連想しますし、
敬老の日があるからそう呼ぶのかと思ったら、
5月のゴールデンウィークに対してのシルバーウィークだそうで…
まあ、敬老の日も、少しはひっかけての呼び名のようですけど。

ところで今年は、19日の敬老の日までの3連休に加え、翌20日は、
台風16号がやってきたのでモミィの小学校は休校になりました。
だからその時点で4連休となり、昨日1日だけ学校へ行って、
今日はまた秋分の日なので学校はお休みです。

土曜~木曜の6日間で、1日しかモミィは学校へ行ってません。
そんなことで僕も最近、曜日の感覚がわからなくなっています。

それにしても、ですが…
ハッピーマンデー制度によって、本来は9月15日だった敬老の日が、
9月の第3月曜日となり、毎年日が変わる…というのはどうもねぇ。
敬老の日と秋分の日がこれだけ接近していることがまだピンとこない。

この敬老の日にちなんで、いわゆるお年寄り…というのは、
いったい何歳くらいからなんだろう、と最近よく考えます。

「高齢者」とは、通常は65歳以上を指すようですけど、
じゃぁ僕も年齢的にはそこに入るわけではありますが、
自分が「お年寄り」だと思ったことなんて一度もありまへん。

でも、モミィやケイのジイちゃんであることは間違いないし。
ジイちゃん→お年寄り…となるのも、仕方ないでしょうね。

でも、血縁関係で言うジイちゃんなら別にいいですが、
普通に「お爺さん」と呼ばれるのには抵抗があります。
な~んか、山へ芝刈りに行くお爺さんみたいですよね。

今の時代なら、一般的に「お年寄り」というのは、
80歳以上の方々を指すぐらいでいいのではないか、
な~んてことを考えたりしていますが…


ところで…
先日、スポーツクラブのロッカーで着替えをしていると、
若い女性スタッフの声で、館内アナウンスが流れてきた。

「本日はコスパをご利用いただき、ありがとうございます…」
から始まる放送は、少し聞き取りにくいしゃべり方だったが、
聞くともなしに聞いていると、こんな言葉が耳に入った。

「べっぴんの盗難などには十分にご注意ください」…と。

何…? べっぴんの盗難だって??

べっぴん…といえば言わずと知れた「美人」のこと。
10月から始まるNHK連続テレビ小説のタイトルも、

「べっぴんさん」

…である。

その「べっぴん」の盗難に注意してください、
…と、館内放送がされたのにはびっくりした。

ふ~む。べっぴんさんが盗まれるとは…?
つまり、まあ、誘拐されるということか?
そんなべっぴんさん、この館内におるか?
(あのなぁ、女性会員にどつかれるで!)

それにしても不思議な放送だなぁ、と、
ヒマな僕はあれこれと考えたけれど、
やがてその本当の意味に気がついた。

「べっぴんの盗難」ではなく「物品の盗難」だったのだ。

つまり「ぶっぴん」が「べっぴん」に聞こえたわけ。

どんな耳してるねん!

…これって、やはり老化現象なんでしょうか。
「お年寄り」と呼ばれても、仕方ないのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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政務活動費は生活費…?

2016年09月19日 | 議会&役所

富山市議会の政務活動費不正問題が連日報道されている。
「またか」といううんざりする気持ちと同時に、
この問題は起きて当然…という気持ちも、ある。
この制度自体に、根本的な問題があるんだから。

白紙の領収証を使って使途を捏造する議員の手口は卑劣だが、
それをチェックもせず受け入れる議会事務局にも問題がある。


僕は38年間、大阪府の松原市役所に勤めたが、
そのうち、通算して26年間、議会事務局で仕事をしてきた。
年齢で言えば、まず、26歳から42歳まで議会事務局で勤務した。

その後、総務課文書法規係と秘書課広報係で8年間勤務し、
ちょうど50歳になった時に議会事務局に戻され、
定年退職になるまで10年間、そこで勤務した。

だから自分の公務員生活は、議会抜きにしては考えられない。
それはもういろんな議員がいたし、いろんな出来事があった。

そして問題となっている政務活動費のことだけれど…


僕が最初に議会事務局にいた頃は、
「政務活動費」というものはなかった。

議会事務局に戻った年の翌年(平成12年)に、
「政務調査費」という法制度ができたのだった。
「政務活動費」ではなく「政務調査費」です、念のため。

議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として、
会派または議員に対して政務調査費を交付することができる…
…というような趣旨で地方自治法が一部改正されたのである。

しかし「議員の調査研究に資するため必要な経費の一部」
と言ってもその使途範囲は議員にもよくわからなかったようだ。
つまり、どこまでこの政務調査費を使っていいか…という問題だ。

これは議会事務局がしっかり勉強して、議員に対して、
きちんとした“指導”をする必要があったと思う。

僕はかつて新人議員から、
「政務調査費でテレビを買ってもええんですか?」
と尋ねられたとき、
「なに言うてはりますねん。あかんのに決まってますがな。
そんなことしたら新聞に載って議員をクビになりまっせ~」
と言ったことがある。
「テレビは調査研究に必要では?」
などとその議員は言ってたけど、そんなアホな。
世の中にはジョーシキというもんがあるやろ。


いくら市民から選ばれた議員だといっても、
ダメなことはダメ、ときっぱり伝えなければならない。
(たまには議員をビビらせたりしながらね~)

うちの議会事務局では、当時は、議員から、
「これは政務調査費で支出できるのかなぁ?」
という質問を受けることが多かった。
そういう雰囲気を作ることが大事なのだ。
そうでないと、議会事務局の職員は、
何でも議員の言いなりになってしまう。
それでは、存在の意義が失われてしまいますよね。
(最近の松原の議会事務局はどうか知りませんけど)

その「政務調査費」が「政務活動費」と名称変更されたのは、
僕が定年退職してから3年後のことだったようだ。
僕は、そんなことは全然知らなかったけれど、
あの「号泣議員」野々村竜太郎騒動でそれを知った。

何のために「政務調査費→政務活動費」という法改正がされたのか?

「政務調査費」では、
「議員の調査研究に資するため必要な経費…」に充てるだったが、
「政務活動費」に名称が変わったら、
「議員の調査研究その他の活動に資するため必要な経費…」
…と改められた。

つまり「議員の調査研究に資するため」から、
「議員の調査研究その他の活動に資するため」に変わった。
「その他の活動」という文言が新たに付け加えられたのだ。
これがクセ物で、そのため、使い道が広がったわけである。
(例えば会議費での茶菓などもOKになった)

ただでさえ公私混同を起こしやすい「政務調査費」だったのに、
それが「政務活動費」になって、ますます不明瞭な使途が増えた。

国もなぜこういう名称と内容を変えたのか…? 
これまでどおりの「政務調査費」でいいのに。
どうも、その意図がわからない。

ところで…
連日の新聞を見ると、政務活動費が、
「政活費」という見出しになっている。
縮めると、まぁそういうことになるけれど。

…でもねぇ。

「せいかつひ」といえば、
「政活費」より「生活費」を思い浮かべますよね。

政活費が「生活費」のイメージと重なって、
舛添前都知事じゃないけれど、公費を生活費として使う…

…ということで、この「政活費」という言い回しも、何だかなぁ。

「せいかつひ」を「生活費」に使って何が悪いねん!

な~んて、開き直る議員が出てきたりして。

全国各地の議会で次々と政務活動費の不正が発覚する中、
まずは名称を変更し「その他の活動」を削ることですね。
あとはそれぞれの議会の良識に期待するしかありません。

大阪府泉南市では政務活動費を全廃しました。
ここまでせよ、とは必ずしも主張しませんが、
いま、何かと話題になっている東京都議会では、
政務活動費が1人月額60万円だということです。
高い報酬(給料)をもらっている上に、ですよ。

多すぎますね、どう見ても。

 

 

 

 

 

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道頓堀の風景

2016年09月16日 | 日常のいろいろなこと

木曜日はスポーツクラブ「コスパ」が休館日なので、
昨日はモミィが学校に行っている間に、妻と2人で、
久しぶりに難波に出て、ブラブラしました。
(ブラブラです。ラブラブではありませんよ

いつもならモミィが一緒にいるので、足の向くまま…
…というわけにはいきませんが、昨日は2人だったので、
道頓堀界隈を歩いたり、地下のタウンを歩いたりしました。

最近は、藤井寺駅から10数分で着く阿倍野へ出ることが多く、
また、妻の姉さんのお誘いを受けて梅田で食事をすることも多い。

でも難波を歩くのは本当に久しぶりです。特に2人だけというのは。
だから歩きながら「あれ? ここの店、なくなってるねぇ」とか、
「このお店も以前より大きくなったねぇ」
な~んて会話を交わしながら、昔を懐かしみました。

それにしても、ここも、もう中国人だらけでしたね。

道頓堀でどこか適当なお店でランチをしようと思ったけど、
めぼしい店の前には必ずリュックを背負った中国人たちが、
陳列メニューを覗き込んで、ペチャクチャしゃべっている。
たぶん、中へ入ってもこの人たちで満員ではないか。

そう思ったらどこへも入る気にならず、
ここから離れて高島屋側にある「なんばシティ」へ行った。
このあたりに来ると人の数も少なく、中国人たちもいない。

昔、よく入った焼肉の「風風亭」というところへ行き、
(最近行っていないので、少し場所に迷いましたが…)
そこでカルビやロースやハラミのお肉を焼いて、
僕は冷たいビールを飲みました。
あぁ、おいしかったです~
(これ、モミィには内緒です。うふふ)

 

 
  道頓堀を歩くのも久しぶりです。
  歩いているほとんどの人が中国人です。
 


 
 道頓堀名物の「くいだおれ人形」。
 かつては食堂だったが今は「中座くいだおれビル」に。
 しかし人形だけは撤去されず、今も人気のスポットです。
 


 
  大阪といえばたこ焼きとお好み焼き。
 このたこ焼き店も行列ができている。
 お店の名前は「あっちち本舗」。
 並んでいるのは全員中国人…?

 


 
   道頓堀川の畔。右の「一蘭」はラーメン屋。
 ここにも中国人たちが列を成していました。
 左側にある「ドン・キホーテ」に入ったら、
 やはり…中国人客でごった返していました。



 
 最後に、グリコ看板の前で初めて写真を。
 さすがに両手を上げるポーズは、
 恥ずかしいのでやめました(笑)。
 

 


 

 

 

 

 

 

 

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広島優勝! で思い出す数々の出来事

2016年09月12日 | スポーツの話題

おととい、広島カープが25年ぶりのリーグ優勝を遂げた。
「25年」というと、ナンだかSMAPを連想してしまう。
ある情報サイトでは、この9日がSMAPの25周年だという。
  http://www.oricon.co.jp/special/49331/

25年ぶりの優勝で歓喜に酔う広島カープと、
25年間の活動が終ろうとしているSMAP。

同じ「25年」でも、ファンにとっては、
喜びと悲しみの明暗が別れましたね~

…ということは、広島が最後に優勝した年からSMAPが登場し、
そのSMAPが活躍している間は、広島は一度も優勝していない。
そして、25年の後、SMAPが解散する年に、広島は優勝した。

なんだかなぁ。
広島には「SMAPの呪い」…
みたいなものが、あったのか(???)


さて、僕は特にカープファンということではないが、
広島カープに関しては、いろんな因縁や思い出がある。

まず広島カープは1949(昭和24)年に創設され、
翌年から公式戦の試合に参加した。…つまり、
昭和24年といえば、僕が生まれた年なので、
広島球団と僕は、同い年ということになる。

その広島が初優勝したのは、1975(昭和50)年だった。
僕は、子供の頃から熱烈な巨人ファンだったので、
たぶんこの時は無念の思いをしたのだろうなぁ。
(全然覚えていませんけど)

この前の年、つまり1974(昭和49)年に、
僕は25歳で、すでに2歳の長男と1歳の次男がおり、
それまで住んでいた家も、手狭になって引っ越した。
その引越し先が、今も住んでいるここ藤井寺市だった。

この藤井寺市には、大阪近鉄バファローズの
本拠地である藤井寺球場が、駅の前にあった。
もちろん住民はほとんど近鉄のファンだった。
うちの子供たちも、幼児の頃から近鉄のファンになり、
休みの日はよく藤井寺球場のスタンドで応援したものだ。

その近鉄が…
それまで一度のリーグ優勝もなかった近鉄が…

1979(昭和54)年、ついに初優勝を果たしたのだ。

そして迎えた日本シリーズの相手は、広島カープだった。

3勝3敗で迎えた第7戦、1点をリードされた近鉄は、
9回裏ノーアウト満塁の絶好のチャンスをつかんだ。
逆転サヨナラで初の日本一、と誰もが思ったが…
あの有名な「江夏の21球」で近鉄は沈んだ。
僕も、5歳の長男も4歳の次男も、
テレビの前でガックリしてしまった。
今でも
「あの時、佐々木の打球がファールにならなければ…」
…などと、未練がましいことを思ったりしている。

さらに翌年、また近鉄はリーグ優勝した。

話は自分のことになるが、僕は29歳の時、
職場の休暇をもらって、自転車で四国を走った。
20歳の頃の自転車旅行は大阪~北海道往復だった。
東日本は走ったが、西日本はまだ走っていなかった。

どうしても日本1周を成し遂げたかったので、休暇を取り、
29歳の時に四国、30歳の時に九州、31歳の時に中国地方、
…と、3回に分けて自転車旅行をし、どうにかこうにか、
ツギハギだらけの自転車日本一周を達成することができた。

その日本一周を達成した年の、秋のこと。
僕は、職場の野球の試合で、打球を追い、
ぬかるみに足を滑らせて左足を骨折した。
激痛が走り、かなり酷い症状だったので、
そのまま同僚に、病院へ運んでもらった。

治療を受けたその病院のロビーのテレビで、ちょうど
近鉄が2年連続のリーグ優勝を決めた瞬間が映っていた。
今ネットで調べたら、10月18日(土)のことだった。
(土曜日だから、昼から野球をしていたんだなぁ)

この骨折は、僕にとっては限りなくショックだった。
体力に自信のあった僕は、野球で転んで骨折など、
とてもじゃないが、全く情けない出来事だった。

しばらくの間、仕事を休まざるを得ず、
家でウジウジしながら「今後」を考えた。

そうだ、ランニングをしよう。
ランニングをして、もっと強い身体になろう。
当時、フルマラソンが流行し始めた時だった。
自分も走り込んでフルマラソンに出場しよう…
…そんなことを思いながら、家で過ごしていた。

そんなときに、プロ野球日本シリーズが始まった。
我が近鉄バファローズの相手は、またもや広島だった。

仕事を休ませてもらっていたおかげで、
平日の昼に行なわれる試合も、テレビが見られた。

今度こそ近鉄に日本一になってもらわなければ!
と、足の痛みも忘れるほどに、一生懸命応援した。

…が、その願いも虚しく、この時もまた、
3勝3敗で最終戦まで行ったのに広島に敗れたのだ。

当時の広島は、山本浩二や衣笠や強力外人選手などがおり、
「赤ヘル軍団」と呼ばれ、一世を風靡した黄金時代だった。

広島は、これまで全6回のリーグ優勝を遂げているが、
最後の優勝が山本浩二監督の下の1991(平成3)年で、
それから25年間、優勝から遠ざかっていた…というわけだ。

1991年といえば、僕も元気モリモリ(42歳)だった頃で、
北海道サロマ湖100キロマラソンを完走したのもその年だ。

で、大阪に住んでいるのに阪神じゃなく巨人ファンだが、
これだけは、小学生から刷り込まれた愛着なのでねぇ…

でもまあ大阪から近いということもあり、広島県は好きだ。
何しろ関ヶ原の戦いでは徳川方に対抗した西軍だったし。
(なんの話やねん。「真田丸」か?)

それにしても、昨日のテレビニュースなどで、
久々の優勝に沸くファンの底抜けに明るい喜びようを見ると、
あぁ、これでよかったんだなぁ…と思ったりしますよね~


ちなみに、わが家の次の冬休みの旅行先は、2泊3日で広島です。
モミィに原爆資料館等を見せて、少し勉強させようと思ってます。

この度は巨人の目の前での胴上げでしたが、
ここはそういうことを度外視して、心から、
「広島カープ、優勝おめでとうございます」
と、お祝いの言葉を贈りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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「不信のとき」のドラマと小説

2016年09月10日 | 読書

昨夕、ニュースを見ていたら、前橋市のホテル女性従業員への
強姦致傷容疑で逮捕された高畑裕太が「不起訴・釈放」となり、
警察署前の報道陣に向けて、大声を張り上げ、謝罪をしていた。

その謝罪ぶりは、文字通り「絶叫謝罪」で、
まるで高校野球の開会式の「選手宣誓」での、
「宣誓! 我々はァ、正々堂々と戦い!…」みたいな調子でもあり、
また、やけくそで、心にもない謝罪を怒鳴っているようにも見えた。

「謝罪」したあと、車に乗り込むまで、
周囲を睨みつける目つきで歩いていた。
(普通は、申し訳なさそうに歩くだろ)
状況に合わない、ふてぶてしい態度だった。

不起訴の理由は、被害者との示談が成立したとのことだが、
驚くほど多額の示談金を積んだのだろ…と思われるよね~

もっとも被害者側も、示談に応じなければ、これが裁判となり、
その間ずっと事件が蒸し返され、心の傷が癒えないかも知れない。

まあ、こういう筋書きになるだろうことは予想できたけど、
それにしても高畑裕太に反省の色は全く見えなかったなぁ。


さて、話はコロッと変わって「不信のとき」のことですが…

石田純一の都知事選がらみで放送中止になったこのドラマ、
先月の23日から、改めて第1話からの再放送がはじまり、
今週の水曜日に、全12話の放送が完了しました。

夫の石黒賢をめぐって、妻の米倉涼子と、
愛人の松下由樹の壮絶な女の争いがテーマだったが、
最後は、石黒賢が進行性の胃がんにかかり、亡くなる。
「夫に天罰が下ったのである」とのナレーションが流れた。

米倉涼子と松下由樹…2人の迫真の演技には惹かれました。

なぜか僕は映画もTVドラマも、こういう傾向のものが好きだ。
前回の「マディソン郡の橋」も、クリント・イーストウッドと、
人妻であるメリル・ストリーブの、まぁいわば、不倫の話である。
いや、あの~別に不倫じゃなくても、恋愛ものが好きなんです。
(…と、あわてて訂正!)

ドラマが終わり、余韻を楽しんでいるとき、
ふと「原作を読んでみようか」と思い立った。

原作は有吉佐和子さんだから、ハズレはないだろう。

僕は、有吉佐和子さんの著作では、
「華岡青洲の妻」
「恍惚の人」
「複合汚染」
という3作しか読んでいないが、
いずれも大学生の頃だったと思う。

で、「不信のとき」が書かれたのは1968(昭和43)年だから、
僕が19歳で、これも僕が大学生だった時の作品だ。
しかし、この小説については、全然知らなかった。

10代後半の頃は、長編小説でも、
2日で1冊を読みきるほど、
大の読書好きだったけれど、
ほとんど外国の小説ばかりだった。

さすがに学生時代は「不倫もの」に関心なかったわけで(笑)

そんなことで今回、ドラマに惹かれたので、
その「不信のとき」を読んでみようか…と、

図書館へ行ったけれど、見当たらなかった。

そこで、書店へ行ったら、新潮文庫の棚にあった。
それは、文庫本で上下2冊だった。案外長編なんだ。
値段は2冊で約1,200円。 文庫なのにいい値段だ。
どうしても読みたい本、というわけでもないし…

そこで、ブック・オフのほうへ行ったら、やはりあった。
上下2冊とも新刊書同様きれいな本だったので購入した。
1冊100円、2冊で消費税込みでも200円ちょっと。
ブック・オフは、ありがたい存在ですね。


 
 この文庫本2冊で合計800ページもある長編です。

昨日買ったばかりでまだ読んでいないが、
パラパラと拾い読みをしていると…
ひとつ、面白いことを発見した。

主人公の一人、愛人のほう…松下由樹が演じた役だが、
この女性の名前が、ドラマでは「野上路子」だった。
ところが本を読んで、驚いたことに、
原作ではこの女性の名前が…
米倉路子…だったのである。

ふつう、ドラマでも原作から名前を変える必要はないが、
妻の米倉涼子の敵となる愛人が「米倉路子」ではねぇ…
視聴者もズッコケるに違いない。
で「野上路子」にしたんでしょうね。

妙なところでひっかかってしまったけれど、
ぼちぼち、この長編小説を読み始めてみよう。

 

 

 

 

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物忘れがひどくなった

2016年09月04日 | 日常のいろいろなこと

メリル・ストリーブ」の名前が出てこない


西加奈子さんというイラン生まれでエジプト育ち、その後、
大阪の府立高校から関西大学に行かれた直木賞作家の方が、
新聞のコラムで、こんな意味の文章を書かれていた。

まだそんな年ではないのに、最近物忘れがひどくなってきている。
例えば俳優の「ラッセル・クロウ」という名前が出てこない。
「レイジング・ブル」という映画が浮かぶのだが、
これはロバート・デ・ニーロだし。

そして、夫は
「メリル・ストリーブ」が出てこない…とも。

そのくせ、自分の昔のことはよく覚えている。
4歳のある日に食べたカレーの味や、その皿の模様とか、
小学校1年生の時に旅行で泊まった10件のホテル名とか、
そんなことは克明に覚えているのである。
…と。

これを読んだ僕は、まったく他人事ではない、と思った。
物忘れの激しさに関しては、僕は人に負けない自信がある(笑)

しかし、昔のこととなると、やっぱり僕も、よ~く覚えている。
中・高校時代に流行した歌、例えば橋幸夫や舟木一夫らの歌は、
何十曲でも、1番から3番まで、歌詞カードなしで全部歌える。
でも、最近の歌は…
五木ひろしや坂本冬美の演歌はよく聴くが、
新曲となると、歌詞どころか題名もすぐ忘れてしまう。

さて、話はメリル・ストリーブに戻りますが…

「僕もメリル・ストリーブが出てこなかったんだ…」
と、最近の自分の体験を思い浮かべた。

このごろ、映画俳優やタレントの名前が出てこないのだ。
「え~っと、アレ、誰だったっけなぁ?」ばっかりで。

そのメリル・ストリーブに関して、
ある大好きだった映画にまつわる話ですが…

まず主演のクリント・イーストウッドの名前が出てこず、
妻に「あの、ナンとかのナニという映画に出ていた…」
などと、まったくわけのわからないことを口走り、
クリント・イーストウッドの相手役の女優の名も出てこない。
おまけに、映画の題名も、もう少しで出そうなのに出てこない。
僕のこれまで見た中でも、好きな映画ベスト10のひとつであり、
映画の情景は、頭の中に、はっきりと思い浮かんでいるのに…。

そうこうして、やっとクリント・イーストウッドの名が出てきた。
次に映画の題名も「何とかの橋」だったことを、やっと思い出し、
「マディソン郡の橋」が出てきたのは、しばらくしてからだった。
さらにその映画のヒロインだったメリル・ストリーブの名前は、
翌日になるまで思い出せなかった。

 

   

未だにこのメリル・ストリーブがすんなり出てこない。
僕は、同い年でもある彼女の
ファンなんですけどね~
(ファンなのに名前を忘れるのはどういうわけ?)


もちろん、人の名前だけじゃなく、

他にも物忘れは、上げればキリがないほど毎日起きる。
どんな物忘れがあったか、それも忘れてしまってますが。

家の中でも、「あれ、この部屋に何しに来たんだろう?」
…というようなことは、日常茶飯事である。

新聞を取りに玄関を出たのに、そのままガレージへ行く。
で、頭の中が白紙になり、なんで外へ出たんだろう…? 
…と立ち止まったまま首をかしげる。

毎晩、いくつかの夢を見るが、目が覚めると
どんな夢だったか…今では一瞬で忘れてしまう。
以前は、見た夢はハッキリと覚えていたのにねぇ。

また、物忘れとよく似たものに「物間違え」というのもある。

先日のこと。
スポーツクラブのロッカーで海水パンツを穿こうとして、
ビニール袋から海パンを取り出したら、それは…
海パンでなく、よく似た色の短パンだった。

家で持ち物の準備するときに、入れ間違ったのだろう。

こういう間違いは今までしたことはなかったので、
これには、ちょっとショックを受けた。

物忘れに物間違え。

年はとりたくないですね~

最近は横からモミィが、
「それは〇〇よ」と教えてくれたりする。
「あ、そうか、そうだったよなぁ」と僕。
そろそろ、世代交代の時期でしょうか。

一昔前のサラリーマン川柳に、こんなのがあった。

アレどこだ アレをコレする あのアレだ

僕もつい「アレ」とか「コレ」を使いがちですが、
なるべく言わないように心がけたいものですね。

もう、手遅れかも知れませんけど。

 

 

 

 

 

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いや、まア~ サッカーやら高畑事件やら

2016年09月02日 | スポーツの話題

いや、まア~、悔しかったですね。

昨日のサッカーW杯アジア最終予選の緒戦。
UAEを相手に絶対に勝たなければならない試合だったのに。

日本は22本のシュートを放ちながら(相手は9本)、
11本のコーナーキックを得ながら(相手は2本)、
なんで? むざむざと負けてしまった?
ホームでの試合だったのに。

審判の判定に疑問…という「中東の笛」が言われているが、
それ以前に、ことごとくチャンスを生かせなかったことが、
負けてはならない試合を落とした全ての原因なのは明白だ。

本田は頑張っていたけれど、
香川は相変わらず頼りない。

ぶつぶつぶつ。

きょうは、これだけ書くのに精一杯です。

…が、あと一つ「いや、まぁ~」を付け足しますと、

いや、まア~、驚きましたね。
あの高畑裕太の父が「相棒」に出ていた大谷亮介だったとは。
このことは昨日発売の週刊文春と新潮の両方に出ていました。
駅前の本屋で、その2誌の記事を立ち読みしてしまいました。

話のついでに、このことに関して言えば、
テレビの芸能人などは、母の高畑淳子に同情して、
彼女をまるで悲劇のヒロインのように言うけれど、
「違うやろ」と思っている人も多いことでしょう。
僕もそう思っている一人です。

成人した息子が犯した罪に対して、母親には責任はない、
というのは、一般論としては間違いじゃないだろうけど、
息子が母から受けた
影響の大きさの程度によると思います。

高畑の息子の場合、母親の七光りで芸能界に入って、
世の中を益々甘く見て、舞い上がった人間になり、
今回の事件につながったのだと思います。
だから、母親の責任は大きいですよね。

で、それがどうした…ってことですか?

どうもしません。 いや、まア~、失礼しました。

 

 

 

 

 

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石田純一は完全解禁…? ~不信のとき~

2016年08月30日 | 映画の話やTVの話など…

   


7月8日に「消えたテレビドラマ 原因は石田純一か?」
というブログをアップしたところ、それからず~っと、
このブログの下のほうに出ている「このブログの人気記事」
のベスト10に入り続け、今日も1位にランクされている。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/c1c2520395de84c036bc3d8281067326

この記事が、今でも多くの方々に読まれているのか~
…と、改めて思っているところである。

このブログで書いた話は、つまり…
7月に石田純一が東京都知事選への出馬を希望し、
記者会見を開いたことが発端で、ちょうどその時、
関西テレビでお昼に再放送されていた「不信のとき」
というドラマを、たまたま僕が面白いと思って見ていたが、
そのドラマに石田純一が脇役で出演していたので、それが…
テレビ局が自主規制したのか、放送をいきなり中止したのだ。

10年前のドラマの再放送ながら、毎回次のストーリーが気になって、
自分としては、初めて、午後の再放送ドラマに興味を持ったのに、
石田純一のおかげで、第5話をもって、急に中止されてしまった。

本当にガッカリだった。

レンタルビデオ店に行っても、やはり同じような人が沢山いるのか、
「不信のとき・第6話」からのDVDはいつも貸し出し中だった。

そしてそのことも忘れかけていた先週の23日(火)のこと、
ふと新聞のテレビ欄を見ると、「不信のとき」が出ていた。
この日から、改めてその再放送が第1話から始まったのだ。
しかし、それを知ったときはすでに放送時間を過ぎていた(泣)。
僕は第3話~5話しか見ていないので、
第1話から見たかったんだけどなぁ。

早速、翌日の24日の第2話からずっと番組予約をした。
そして昨日が第5話で、今日が第6話。
今日からの分を見ていないので、楽しみだ。

それにしても、石田純一はハタ迷惑な人である。
都知事選に出ても、小池百合子さんに勝てるはずないし。

「不信のとき」の彼の役は、主人公の石黒賢の知人で、
妻や成人した子がありながら、18歳の少女と不倫をし、
子どもまで孕ませる…という役柄である。


  

石田純一に東京都知事というのは似合わないが、
こういう役柄なら、まさにピッタリだよね。

ともあれ、彼のせいで楽しみにしていたドラマを中断されたが、
無事、また再放送が始まったので、楽しみがひとつ戻ってきた。

…といっても、東京都知事選はとっくに終わり、
小池知事はリオで五輪旗を受けとって日本に帰ってきた。

今頃になって石田純一の「解禁」で再放送の再開というのは、
ちょっと遅すぎるんじゃない?…と思ったりしますけどね。

 

*おまけ  ~番組キャンセル賠償金~

高畑淳子の息子が、卑劣な犯行で逮捕された件で、
息子の出演番組のキャンセルや出演者差し替えなどで、
TV局等への膨大な賠償金のことが取り沙汰されています。
一説では、億単位に上がる…とも。

これを見て、石田純一が都知事選出馬を諦めた一番の理由が、
やはりTV局や企業への膨大な賠償金の負担だったことがわかります。
そんな巨額の賠償金を払ってまで都知事選に出馬するのは、
さすがに妻の東尾理子さんたちが許さないと思いますね~。

 

 

 

 

 

 

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夏の思い出 ~南部(みなべ)~

2016年08月27日 | 旅行

今日は8月の27日。
40日以上あったモミィの夏休みも、今日を入れてあと5日。
学校が始まるまで、もう少しのがまんですかね~ (笑) 。

さて、夏休みにはモミィを2回旅行に連れて行く…
…というのがここ数年のわが家の慣例になっています。

でも去年はひどい目にあいました。

まず7月下旬に行くはずだった和歌山県・白浜への旅行は、
台風11号で、特急「くろしお」の線路上に土砂崩れがあり、
復旧工事のため1週間運休。結局キャンセルとなりました。

次に、8月下旬に計画していた沖縄県石垣島への旅行は、
台風15号の直撃で飛行機が飛ばず、これもキャンセル。

両方とも計画していた旅行が中止になるというチョー不運。
で、急きょ、近場の遊び場や海水浴に変更しました。

その点、今年は7月の鳥取旅行が素晴しいお天気だったし、
今回の和歌山県の南部(みなべ)も晴天で、よかったです。

今回はもう一人、次男の息子で小学校1年生のケイも一緒でした。
2人はとても仲が良く、モミィはしばしば次男宅に泊まりに行き、
先日は、ケイが、初めてひとりでわが家に泊まりました。


さて、21日。大阪の天王寺から特急「くろしお」に乗車。

南部(みなべ)というのは白浜の手前にあり、
大きな梅林で有名な景勝の地です。
(ホテルの売店にはズラリと梅干が並んでいました)

この日、僕たち4人は天王寺を午前9時50分に出発し、
約2時間列車に揺られ、南部に11時44分に到着しました。

これまでは3人の旅行なので、妻とモミィが一緒に席に座り、
僕は通路を隔てて1人で座る。隣に誰が来るかわからないし、
弁当を広げてビールを飲んでいても、何となく落ち着かない。
(新幹線なら3人並んで座れますけどね~)

…が、今回は4人なので、シートを回転させて、
みんなで向かい合わせに座ることができたので、
僕自身もリラックスできました。

車内で、モミィとケイはずっとしゃべりっ放しで、
窓の外の景色には目もくれませんでした。 


 
さあ、出発。 天王寺で。ケイは大きなリュックを背負っています。 


   

南部駅には初めて降りたのですが、小さな駅でした。
駅には売店もなく、駅前も閑散としていました。

南部駅に、迎えのバスが来てくれていたので、
それに乗って、南部ロイヤルホテルへ向かいました。
 


 
ミニバスの助手席に座って運転手さんと話しながらホテルへ。
右のほうに、僕たちが泊まる南部ロイヤルホテルが見えてきました。

ホテルに到着したのがちょうど12時だったので、
フロント前にあったティーラウンジで、昼食をとりました。
ケイはホットケーキを、モミィはスパゲティを食べていました。
 


 
 ホテルの部屋から海が見える。
 手前の左側のほうにプールがあり、
 そこからこの海岸へ下りて行けます。
 


 
  チェックインをして、さっそくホテルのプールへ。
 ケイは背が届かないので、浮き輪があるとはいえ、
 目が離せません。モミィもケイにピッタリと。 


 
 そのあと、プールから階段を下りて、海岸へ来ました。
 ホテルへの送迎バスの運転手さんが、
 「今日は少し波が高いようです」
 と言ったとおりの波の状態でした。
 (上に見えているのがホテルです)



 
 強い波にザザーッと打ち上げられて喜ぶケイでした。 

 

  
  プールと海を楽しんだ後、部屋に戻り、お風呂に入り、
 バイキングの夕食のあとは、ゲームを楽しみました。
 

翌日もプールへ行き、そのあと海へ行って遊んだ後、
午後1時過ぎにチェックアウトして、送迎バスで駅へ。

 

 
小さな駅で特急「くろしお」が来るのを待つ2人でした。

 
またひとつ、夏休みのいい思い出ができましたね~

まあ、僕たち大人2人は、少々疲れましたけど…



*追伸

実は5年前、ケイが2歳になったばかりの頃、
今回と同じ4人で1泊旅行をしたことがありました。

その時のブログ(20011年11月22日)をご紹介します。 

              

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/029e84b952822fff25f25b202b03df8f


この当時、モミィは6歳でした。

 

 



 

  

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オリンピックと不整脈

2016年08月23日 | 日常のいろいろなこと

リオ五輪も終って、寂しくなったけれど、
もう一方で「やれやれ…」という気持ちもある。
生活リズムが乱れると不整脈が出やすくなるが、
大会期間中は、いつにも増して多く不整脈が出た。

中でも先週の17日~18日にかけては、約36時間、
つまり丸1日半もの間、不整脈が止まらなかった。
比較的軽いめの不整脈だったけれど、この10年間で、
これほど長い時間続いたのは、初めてのことである。
(軽いめでなければ、もっと早く病院へ行きましたけど)

で、もうこれは病院へ駆け込むほかない…と、
行く前にシャワーを浴びて身体を拭いていた時に、

36時間続いた不整脈が、す~っと収まった…というわけで、
どうも、なんのこっちゃ?…というような話でした(笑)

まあ、本当のことを言うと、生活リズムが乱れただけではなく、
深夜のオリンピック中継を見ながらビールや缶チューハイを飲む
…という「飲み過ぎ」が実際の不整脈の多発原因でしょうね(泣)


さて、そのリオ五輪も、いろんな感動のシーンが生まれましたが、
特にバドミントン…モミィの仲良しのお友だちと顔がそっくりな、
松友選手が、高橋選手と組んだダブルスで、金メダルを獲りました。
このバドミントンの金メダルが、最もうれしかったことの一つです。

それと陸上男子400mリレーも「世界の2位」とは、大したものです。
北京大会の銅メダルは、ライバルチームの失格が多く、
向こうから転がり込んで来た銅メダルでしたが、
今回は、実力でもぎ取った銀メダルでした。

レスリングの吉田沙保里選手は残念でしたが、
彼女の功績は、はかり知れないものがありますよね。
本当にこれまでよく頑張ってきたと、拍手を送りたいです。

吉田選手は今大会の日本の選手団長でしたが、
これが影響したのではないかとの声もあります。
実は以前「吉田、選手団長に決まる」のニュースを見たとき、
一抹の不安を感じました。選手団長は金メダルを獲れない…
…というジンクスがあると言われていたからです。

あの柔道の井上康生も、団長の時は金メダルを獲れなかったし…
やはり、選手団長というのは、それなりの重圧があるのかも。

ある評論家は、
「選手団長など必要ない。東京五輪では廃止すべき」
…とネット上で述べていました。


…と悲喜こもごもだったリオ五輪も、昨日終りました。

僕たちはおととい・昨日と、家族で小旅行をしてきました。
今回は妻とモミィに加え、次男の息子ケイ(小1)も一緒。
4人で、和歌山県の南部(みなべ)というところへ行きました。
(南紀白浜の少し手前にあります)

ホテルにプールがあり、そのプールの横の階段を降りて行くと、
海岸があって、プールと海との両方を子供たちが楽しみました。

関東から北の方では台風で大荒れの天気だったようですが、
こちらは、少し海の波が高かった程度で、いいお天気でした。

だから、この両日はオリンピック中継も見ずじまい。
21日の夜は早い目に寝て、アルコールも少し控えて、
不整脈が出ないように注意したのが功を奏したのか、
体調はとてもよく、僕自身もプールや海を楽しめました。


次回は、その様子を報告します。

 

 

  

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伊藤美誠(みま)選手のコーチが“あの人”だったとは…

2016年08月18日 | スポーツの話題

下手をすれば3つとも銀メダルになっていたかも知れない…

そんな、今朝の女子レスリングの決勝戦。
登坂、伊調、土性の3人がそろって金メダルを獲った。

いずれも大逆転の勝利だった。

登坂はリードされたまま、残り10秒。
絶体絶命の状況から、ものの見事に逆転した。

伊調も同様、リードされた土壇場で逆転した。

2人続けて金メダルの快挙。
よくまあ、最後の最後にあんな力が出せるものだ。

3人目の土性も、最後に逆転して勝った。

ホント、3人とも劇的な逆転勝ちだった。すごいなぁ。
これで日本の金メダルは10個と、2ケタに乗りましたね。

  ……………………………………………………

さて、昨日、話題になった卓球女子団体に関して…

その中の最年少の伊藤美誠(みま)選手のことだけど、
この、まだ15歳の伊藤選手は、静岡県磐田市の出身だが、
3年前から大阪市に移り、今は高校に通いながら練習に励んでいる。
練習は「関西卓球アカデミー」というところで行なっているそうだ。


昨日の朝日新聞の夕刊に、こういう記事が載っていた。


 


この文章の中に、関西卓球アカデミーのコーチの氏名が出ていた。
それを見て、僕はびっくり仰天したのである。


   



ここに出てくる「コーチの大内征夫さん」という方は、
僕の高校時代の体育の先生だが、それ以上に縁の深い方なのだ。

僕は近畿大学附属高校を卒業して、そのまま近畿大学へ進んだので、
学生になってからも同じ敷地にある高校の職員室へよく遊びに行った。
中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。
先生が、卓球では大阪でもかなり有名な人だとは聞いていた。

そして僕が大学3年生の20歳の時、
「北海道まで自転車で往復走ってきます」と先生に伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」
と言い、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。
そして、網走では先生の奥様のご家族に大歓迎を受けた。
アポロ11号の月面着陸もこのお宅で見た。昭和44年7月のことだった。

そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、
大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、当時はまだ30歳前だった先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」とつぶやかれた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。

先生は、結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。

それ以来、ずっと年賀状のやり取りは続いているが、
最後にお目にかかったのは、もう40年以上前になる。

でも、年賀状で近況を詳しく書いてくださるので、
大内先生が卓球で活躍しておられることは知っていた。

ロンドン五輪の翌年の年賀状には、
「やってくれました!」と、
卓球女子が団体で五輪初のメダルを獲得した祝賀会場で、
大内先生が写っている写真が印刷されていた。

僕はその時、
「へぇ、先生も日本の卓球界で活躍されているのか」
…と、感心したものである。


それが、昨日の新聞記事で
「伊藤美誠(みま)選手のコーチ」
として紹介されていたので、またまたビックリした。

去年、うちの母が亡くなって、喪中だったため、
今年はお互い年賀状のやりとりがなかったので、
先生の近況について詳しくはわからなかったが、
今回の記事で、益々お元気で活躍中なのを知った。


さっそく、先生に残暑お見舞いのハガキを書き、
卓球女子団体銅メダルと、伊藤選手の活躍ぶりに対して、
「おめでとうございました」とお祝いの言葉を送ろうと思う。

 

 

 

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やかましいわ!

2016年08月16日 | 日常のいろいろなこと

バドミントンの女子ダブルスは、世界ランキング1位だそうである。
(…ということは、金メダルに一番近いわけですよね)

高橋選手と松友選手で「タカマツ・ペア」と呼ばれているが、
実は松友選手の幼さの残る顔が、モミィの親友とそっくりなのだ。
よくわが家にも遊びに来ていた子で、まるで瓜二つである。
だから、テレビで競技を見ていても、常に松友に目が行く。

昨日の夜、その「タカマツ」がマレーシアを破り、
準決勝進出を決めた試合を見た。
ふだん、バドミントンはあまり見ないので、
興味深く観戦させてもらった。なかなか見ていて面白い。

2人はぜひ世界一の実力を発揮して、優勝して欲しい。


さて昨日は8月15日。お盆の真っ最中である。

お盆だから、母の納骨先である天王寺の一心寺へ、
供養参りに行かなければならない。

ところが、7時半から卓球女子団体の準決勝のドイツ戦があって、
これがまた、伊藤が破れ、石川が勝ち、福原・伊藤のペアが負け、
石川が再び勝ちと、一進一退で2対2のタイになるという大接戦。
最後に福原が登場して、これに勝てば決勝進出となる究極の勝負。
追いつ追われつの激しい戦いが続く。しかし、もう11時になった。

後ろ髪を引かれる思いで家を出て、
3人で天王寺の一心寺へ向かったのだった。

JR天王寺駅から一心寺へ行く道は、人でごった返していた。
この方向は、四天王寺もあり、他にもお寺が多い。
特に一心寺へ行く人たちが多くて、
お寺に着いても大変な人の数だった。

雨の天気予報だったけど、結局雨は降らず、暑い1日だった。

去年が母の初盆だったが、あれからもう1年が経った。早い~


それにしても…
オリンピックを楽しんでいる僕が言うのもなんだけど、
テレビは連日、どれもこれもオリンピックばっかりで、
何度も何度も、同じ映像を見せられる日々である。
さすがに「またこのニュースか」と思ったりする。
(スマップ解散のニュースも影が薄くなるほどだ)

ところで昨日、ウダウダ会の先輩から長い手紙が届いた。
この人はスポーツ番組にはゼンゼン関心のない人だ。

関心があるのは、日本酒と全国の秘湯めぐりである。

手紙は、以前から気になっていた大分県別府市内にある
「浜脇温泉」という幻の風呂の存在を突き止めるために旅に出て、

そして、それをついに見つける…

という内容の、楽しい手紙だった。

ついでに、先輩は、その手紙の中で、

「このごろテレビは、どこをひねってもオリンピックと甲子園。ようやく日が暮れると今度はプロ野球ナイター。いずれのアナウンサーも絶叫に次ぐ絶叫で、これでは隣の北朝鮮放送のあのおばさんのほうがまだマシ、と思いたくなりますね」

というようなことも書かれていた。

そう思っている人も、多いのでしょうね。

それでも僕は、今日もオリンピックネタで終ります。

今日の未明に行なわれた体操種目別・跳馬の決勝で、
白井選手が新しい技を成功させ、銅メダルを獲った。
僕はこの技が成功したら金メダルかなと思っていたけど、
世界にはそれ以上の跳馬の強豪がいて、結局3位だった。

競技が終わり、インタビューに応じた19歳の白井は、
「内村選手の後継者になりたいです」と言ったあと、
「自分の将来が楽しみです」と笑顔で語った。

自分の将来が楽しみ…
…とは、夢のある言葉ですね。

妻に、そのことを伝え、
「自分の将来が楽しみ…と言える人生はいいな~」
とつぶやいたあと、
「それに比べて僕なんか、将来は…」
とそこまで言うと…モミィが横から、

「…真っ暗やなぁ」と、口を出した。


やかましいわ❗  

 

 

 

 

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家と違う、ちゅうねん!

2016年08月13日 | スポーツの話題

今朝は柔道最後の種目、男子100キロ超級の決勝を見たけれど、
残念ながら日本の原沢は、フランスの選手に負けてしまった。

指導の差で負けたのだが、相手は指導を誘うだけの戦術で、
組もうとせず、技も出そうとせず、何となく釈然としない。

…と、まあ、どうしても日本選手が判定で負けると、
その判定に不満を持ってしまうのは「えこひいき」?

柔道と同じ時間帯に、テニスの錦織の準々決勝が行なわれていた。
柔道での悔しい思いから気分を変えて、次は錦織に声援を送った。

試合は後半、追いつ追われつの大接戦を展開したが、
大詰めになって相手がリードして勝利が目前となった。

あぁ、錦織もここまでか…と思っていたら、
最後の最後に信じられない攻撃を見せて、逆転の勝利。
準決勝進出を決め、96年ぶりのメダルへ王手をかけた。

それにしても…
あれだけ追い詰められて、よく盛り返せるものだと、
あらためて、錦織の強靭な精神力には、感服する。

体操の内村もそうだが、本当にすごい粘りと気力だ。
もし僕なら、追い詰められると「あぁ、もうあかん」
…と、すぐにあきらめてしまうんだろうな~。

 …………………………………………………………

さて、昨日の話だけれど…

柔道で男子が銅メダルを獲ったのを見た後、
午前8時半ごろから卓球の3位決定戦を見たが、
水谷が卓球シングルスで日本初の銅メダルを獲得。
卓球界に新しい歴史の1ページを開いた。
試合は、これもハラハラの連続だったけれど、
まさに水谷の精神力には、感服の至りであった。

そのあと、10時頃から始まった水泳は、
スポーツクラブに行って、ジムの中で見た。

ジムの窓際の上に、大きなテレビが並んでいる。
水泳の生中継があるのはMBSテレビだったから、
そのテレビに近いバイクのマシンに座ってペダルをこぐ。
負荷を一番軽くして、ゆっくりと、ペダルをこぐ。
(なにぶん長時間、そこにいるわけですからね)

手元にテレビのイヤホンの差し込み口があり、
そこへ持参のイヤホンを差し、チャンネルを合わせる。

テレビの水泳の中継を見ながら、ペダルをこぐ。
館内は涼しいし、運動しながらの観戦は快適である。

女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた金藤さんは、
前回ブログにも書いたように金メダル有力だったが、
なかなか、その通りに行かないのがオリンピックだ。
しかし、見事なレースで、この決勝を制した。感動!

その瞬間、足を止めて、思わず拍手した僕。
音声無しで、テレビだけ見ていた隣の人が、
僕が大喜びで拍手したのでこちらを向き、
「優勝?」と僕の顔を覗き、念を押した。

そのあと、萩野が銀を獲った200m個人メドレーも、
その他の種目も、全部バイクをこぎながら観戦した。

おかげで、水泳の主な種目が終るまで、
2時間近くバイクのペダルを踏み続け、
ふくらはぎに筋肉痛が起きて困った(笑)


おまけ

1週間前の金曜日のお昼前。ジムでのこと。
バイクをこぎながら、男子サッカー予選、
日本対ナイジェリア戦を観戦していた。

隣のバイクにも、男性がイヤホンを差してテレビを見ていた。

そのとき…
リードされた日本が、相手ゴールに迫りシュートを放った。
「やった、入った!」
と思ったら、ボールは、ゴールポストに当たってはね返った。
その瞬間「あっ!」と僕が叫び、隣の男性も同様に叫んだ。

2人とも耳にイヤホンをしていたので、
自分たちの声の大きさがわからなかった。
その直後、まわりを見ると、ほかの人たちが、
「何が起こったのか?」
…というような表情で、こちらを見ていた。
その中には、眉をひそめている人もいた。

他には、そんな一生懸命テレビを見ている人はいなかったようだ。

思わず隣の男性と顔を見合わせ、お互い、苦笑いした。

そして、その男性は、

「家と違う、ちゅうねん!」と言った。

ほんまですね~

一応ここは、公共の場だし、
こんな場所で叫び声を上げたら、
何か事故でも起きたのかと思われる。

恥ずかしいことでした。 

 

 

 

 

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内村航平の大逆転にびっくり

2016年08月11日 | スポーツの話題

今朝は珍しく空気がヒンヤリしていましたが、
オリンピックに関しては、熱い熱い朝でした。

午前5時に起きてテレビをつけると、
女子柔道70kg級の生中継をやっていた。
画面の右上に何やら字幕が出ている。
「ん…? なんだこれ」
寝ぼけ眼(まなこ)でそれを読むと…
「田知本・金メダル」とあった。
「えっ…金メダル?」と目をこすって何度も確認した。
決勝の直後だったらしく、試合後の田知本の姿が映っていた。

今大会、日本柔道女子で初の金メダルを獲得したのだった。
生中継で見ることはできなかったが、よかった~。

続いて男子の90kg級の決勝戦にも、
日本のベイカー茉秋(ましゅう)が登場した。
お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人とのこと。

こちらの決勝戦は、生中継で見ることができた。

そのベイカーも有効を取り、そのまま逃げ切って優勢勝ちした。
これまた金メダル。男女とも金メダルという最高の結果が出た。

ベイカーは勝った瞬間、とてもうれしそうに笑っていた。
先日優勝した大野は、勝っても全く笑顔は見せなかった。
柔道は相手を尊ぶのが礼儀だから、勝っても笑わない…
…と、大野が後から語っていた、ということである。
「日本男児」という、今は死後と化した言葉を思う。

で、ベイカーが笑ったのは父親がアメリカ人だから?
(…って、そんなの、関係ないか?)

さあ、それから次は、テレビを…
柔道と同時進行していた男子体操の個人総合に切り替えた。
あれもこれも見なくてはならず、まったく、忙しいことだ。

個人総合は、すでにいくつかの演技を終えていて、
意外にもトップは内村ではなくウクライナの選手だった。

そのうち2位の内村が逆転するだろう…と楽観的に見ていたら、
最後から2つめの平行棒で、ウクライナが16点台の高得点を出し、
内村はさらに得点差を広げられて最後の鉄棒に臨むことになった。

この時点で、もうダメだ…と、
ほとんどの人が思ったことだろう。

僕もまあ、銀メダルでもいいし…
と、気持ちを落ち着けようとした。

アナウンサーも「奇跡の逆転なるか」と言った。つまり…
もう99パーセント優勝は無理…という意味の表現だろう。

ところが、ご承知のとおり、内村は鉄棒で快心の演技をし、
一方、ウクライナは、その鉄棒でミスなく演技を終えたけれど…

テレビ画面に、ウクライナの得点が表示される直前、
そのウクライナが肩をすぼめ「オー・ノー」のポーズをした。

僕は一体何が起きたのか、すぐには分らなかった。
そこにウクライナの得点が画面に出て、総得点で、
内村がわずかに上回って優勝したことを知ったのだ。

金メダルは、ほぼ絶望…という状況からの大逆転だった。

ぱちぱちぱちぱち     

7時台のニュースや8時からのワイドショーは、
どのチャンネルも、内村の優勝のニュースで沸きかえり、
柔道の男女同時金メダルも、かすんでしまうほどだった。

さて…7時から始まったサッカーも見なければならない。
日本が、予選最後の試合のこのスウェーデン戦で勝っても、
コロンビアがナイジェリアに勝てば、予選敗退となってしまう。

試合は日本が1対0でリードしたけれど、
コロンビアがナイジェリアをリードしているという情報。
う~ん。決勝トーナメントへの道は、険しくなってきた。

…と思ったりしながら、またチャンネルを変えて、
今度は女子卓球シングルスの福原愛ちゃんの試合を見た。

昨晩、準決勝で負けてしまったので、今日は銅メダル争いだ。
日本人初のシングルスでのメダル獲得なるか…と期待されたが、
相手の北朝鮮のほうが実力が一枚上で、福原は3ゲーム取られ、
1ゲームは何とか取り返したが、そこで力尽き、負けちゃった。

やれやれ…

それから昼まで水泳競技を見ていた。
女子平泳ぎ200mの金藤が準決勝でも強かった。
明日の決勝で、金メダルを期待し、注目しよう。


そんなことで…
どうも生活のリズムが狂ったままだ。

ブログも、これまで早朝に書いていたのが、
その時間帯にテレビを見ているので一定しない。


しかし、あまり熱中していると…
10年前のこともあるので、用心しなければ。

10年前の6月、何度も書くけれど、、
仕事中、突然右半身がしびれて麻痺状態になった。
一過性脳虚血発作という、脳梗塞に近い症状だった。

ちょうどサッカーワールドカップ・ドイツ大会の最中だった。
僕はそれに熱中し、寝る時間も惜しんでテレビ中継を見続けた。

それが影響したのか、不整脈が原因で心臓に血栓ができ、
その血栓が脳の血管まで流れて詰まった状態になったが、
幸いにして細い血管だったので、大事には至らなかった。

オリンピックも気になるけれど、
熱を上げすぎると、また脳の血管が詰まるかも知れない。

抑えて、抑えて…。

 

 

 

 

 

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