東京都知事選の行方は

2016年07月22日 | ニュース・時事

連日、東京都知事選の話題で持ちきりだ。
有力3名の立候補者の選挙活動ぶりが逐一報道される。

テレビを見ている人たちの大半は東京都民ではない。
それでも、何かスポーツ番組でも見るような感覚で見る。
誰が優勝するのか興味津々…。僕もその中のひとりである。

いつもモンゴル勢ばかり活躍する大相撲や、
首位が独走するプロ野球よりはるかに面白い。


で、誰が「優勝」するのかという予想はむずかしい。
組織と組織の対決なら増田さんと鳥越さんだろうけど、
小池さんも、人気の点においては、引けをとらない。

だいたい、このごろの選挙は人気投票だもんね。

まあ政策といっても、都庁にはベテラン職員が大勢いて、
そういう幹部職員の能力をいかに引き出してやるか…
…ということがトップに最も大切なことであって、
本人の手腕や能力は、その次ではないだろうか。

やはり人望というものが大きなウエイトを占めると思う。

でも、選挙運動を見ているだけでは、人柄はわかりにくい。

僕の個人的な考えをいえば、小池さんが知事になればいいと思う。
理由は、初の女性都知事の誕生を願うからである。

ご承知のように、日本における女性の政治参画は著しく遅れている。

今年1月現在のデータによると、
国会の女性議員比率は衆議院が9.5%、参議院が15.7%だ。
衆議院(下院)で比較すると、191カ国中156位だという。

地方となると、さらに女性の率が少なくなっている。

都道府県知事や市町村長、市町村議員を含めると、
女性の政治家は、圧倒的に少ない。

日本はまだまだ昔からの風潮が根強く、特に地方では、
女性の社会進出に抵抗感がある人が多いと思われる。


僕が松原市役所の議会事務局に勤務したときは、
女性議員は共産党の議員たった1人だけだった。

その後、共産党も複数になり、公明党も女性議員が誕生し、
僕が退職した後だけれど、初の女性議長も誕生した。

それでも、まだまだ地方は、国会以上に遅れている。

その意味でも、都知事に初の女性が就くことは意義があると思う。

まあ、女性だったら誰でもいい…というわけではありませんけど、
小池さんは女性で初めて防衛大臣を務められた方でもありますしね。

もちろん僕に投票権はありませんが、
心の隅で、小池さんを応援している一人です。


それにしても、石田純一には腹が立ちますなぁ。

7月8日に都知事選に出馬の意思ありとの会見を開き、
おかげで連日再放送されていた「不信のとき」が中止になり、
その後、出馬を断念したにもかかわらず、放送は中止のままだ。

仕方ないのでツタヤでビデオを借りようと思ったら、
ちょうど中止になった第7話からの分が貸し出し中。
何度行っても貸し出し中でした(やっぱりなぁ)。

ドラマの主役でもないのに、石田純一が会見をしたというだけで、
放送を即刻中止した関西テレビに抗議をしてやりたいくらいです。

ぷんぷん。

 

 

 

 

 


 

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「真田丸」と「砂の器」

2016年07月19日 | 映画の話やTVの話など…

NHK大河ドラマ「真田丸」も後半に入って、
益々面白くなり、目が離せなくなってきた。

今回は、太閤秀吉に子供(後の秀頼)ができたことで、
関白秀次が「自分は邪魔な存在なのでは」と不安を抱き、
あげくの果て自害をしてしまうシーンがヤマ場だった。

ところで今回のドラマで、真田信繁(幸村)は、秀吉から、
大谷吉継(片岡愛之助)の娘と結婚するように命じられる。
信繁はその時、同時に、秀次の娘を側室にすることも決心する。

秀次は自害したけれど、それに怒った秀吉が、
彼の一族を皆殺しせよと命じるのであるが、
秀次の娘たかは、隠れていて、難を逃れる。

たかを発見した信繁が、彼女を側室にする、と決めたのだ。


さて、ドラマの本編が終ると、その日の物語のゆかりの場所の、
現在の風景が紹介される「真田丸紀行」というコーナーがある。

今回は、秋田県の由利本荘市という所が紹介された。

「この地にも真田家の息吹きを感じることができます」
というナレーションが流れた。

で、なぜここなのか…と言えば、
信繁と側室のたかの間に、女子が生まれたと伝えられるが、
その女子は「お田(でん)の方」といい、そのゆかりの地が、
ここ秋田県由利本荘市であるというのだ。

お田の方は、この地の亀田藩で、
藩主の正室として、暮らしていたという。

テレビ画面に、現在の亀田城跡が映り、そして次に
お田の方が両親の菩提寺として建立したと言われる
「妙慶寺」というお寺が紹介された。

そのお寺には、お田の方が着用したという甲冑が残されていた。
甲冑の兜の部分には、六文銭がくっきりと刻まれていた。

この日の「真田丸紀行」は、最後に
「妙慶寺 JR羽後亀田下車 徒歩15分」
という字幕が出て、終った。

真田丸の今回はこれで終った。
でも僕はこの「真田丸紀行」を見て、胸が騒いだ。

亀田…という地名は、
僕の中では忘れがたい地名として刻み込まれている。

映画「砂の器」に結び付くのである。

1974年(昭和49年)に公開された日本映画屈指の名作である。
(原作・松本清張、監督・野村芳太郎、音楽・芥川也寸志)

僕はこれまでの生涯に見た映画で、
最も感銘を受けた映画を一つだけ挙げよ…
…と言われたら、迷わずこの「砂の器」を挙げる。

その「砂の器」は、ご承知の方も多いと思うが…

東京の蒲田駅操車場で、中年男性の他殺体が発見される。
その殺された被害者のポケットからバーのマッチが出てくる。
丹波哲郎らの刑事がそのバーへ聞き込みに行くと、従業員が、
被害者と若い男との間で「カメダ」という言葉が交わされた…
「カメダはどうしたとか、カメダは変わらないとか」
従業員にはズーズー弁、東北訛りに聞こえたという。
この「カメダ」が、事件の突破口となる。

丹波哲郎が「カメダ」というのは人の名前ではなく、
地名ではないか? と捜査会議の席で言い、
若い刑事の森田健作と秋田県の亀田へ行く。

この映画は、丹波哲郎と森田健作が、汗を拭きながら、
羽後亀田駅に降りるシーンから始まるのだ。
そして、地元警察の協力を得て、
不審人物に関する聞き込みなどをするが、
何の手がかりも得られないまま帰京する。

結局、途中で「カメダ」は、秋田県の亀田ではなく、
島根県奥出雲の亀嵩(かめだけ)ということがわかったが、
なにせ映画の冒頭だから、羽後亀田には強烈な印象が残った。


日曜日の夜に「真田丸紀行」を見て、
信繁と秀次の娘の間にできた子が亀田に住んでいた
という話を知ると、これまで数えきれないほど見た
「砂の器」をまた見たくなり、我慢できなくなった。

そこで昨日の月曜日、ツタヤへ行って、
「砂の器」を借りてきて、夜に妻と一緒に見た。

 
 

 
もう、40年以上、この映画を見続けているので、
セリフの一つひとつも、ほとんど覚えてるわけですが…

それでも、今回もまた「あぁ、何度見てもいい映画だなぁ…」
というため息交じりの感想は、やはり変わることはなかったです。

 

 

 

 

 

 

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がんばれ のんちゃん

2016年07月17日 | ニュース・時事

  

「あまちゃん」で一躍人気者になった能年玲奈さんが、
それ以降、所属事務所との関係がうまくいかず、
ドラマでの活躍などが、なかなか見られなかった。
(一説には事務所から冷遇されていた、とも言われる)

なぜ事務所とうまく行かなかったのか…?

…と言うと、週刊文春の阿川佐和子さんとの対談を読むと、
「あまちゃん」の撮影の時は、洗濯する時間もなく、
明日着ていく下着もないような時もあって、
給料も月に5万円で、お金がなかった。
…ということだった。

少しでも泣き言を言うと、事務所の人から怒られた、
…ということも、その対談の中で語っていた。

それを聞いた阿川佐和子さんは、
「エーッ! NHKの朝ドラのヒロインなのに」
と、事務所のそんな待遇ぶりが信じられないようだった。

あの、元気で明るい「あまちゃん」も、
実生活ではそんなことがあったのですね。

そんなとき、
昨日の朝日新聞の朝刊に、こんな記事が載った。


  


つまり、このたび、芸名を「のん」に変えて、
新たな再出発をめざす…という意向である。

これについて、能年玲奈さんは、こう語っているとか。

能年玲奈は本名なんですけど、
芸名を変えて活動することになりました。
能年……ではなく「のん」になりました。
ちょっとトボけた感じですが、ひらがなで「のん」です。

ということだそうです。

そうですか。 ひらがなの「のん」…ねぇ。

僕と同じ名前ですよね。

玲奈さんが言うように、
「のん」という名前は、

「ちょっとトボけた感じ」
なんでしょうか…?

自分ではそんなこと、
一度も思ったことありませんけど(笑)

まあ、これも何かのご縁だと思いますので、
能年玲奈さん改め「のん」さんを、
僕も応援したいと思います。

がんばれ~、のんちゃん!

 

 

 

 

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日本最初の善光寺

2016年07月15日 | ニュース・時事

最近、体調がイマイチだったりして、
万事に、気力、やる気が、衰えてきている。

で、このごろは、だらだらとテレビを見る時間、
特に、ワイドショーを見る時間が増えた。

前回のブログでは石田純一の騒動の話を書いたけれど、
(結局「不信のとき」の再放送は中止のままだ)

ワイドショーの話題は尽きないんだなぁ…
と、妙に感心しながら、見たりする。

世の中を揺るがすような大きな出来事から、
個人的なスキャンダルまで、ホント、さまざまである。

その中のひとつに、長野県の善光寺のトップである
「大勧進」住職の小松という貫主(かんす)が、
女性職員にセクハラや差別的発言をしたとして、
傘下のお寺や信徒の団体から辞任を迫られている…

という騒動が、数日前に仰々しく報じられていた。

長野県の善光寺といえば、チョー有名なお寺である。
そこの一番えらい人が、小松という方なんだそうだ。

このえらいお方は、なんでも「生き仏」と呼ばれていたという。
まあ、テレビの世界では、何かが起きてから、急に、
こういう煽り言葉を創作(捏造?)したりするので、
実際に以前からそう呼ばれていたかは、疑わしい。

しかし善光寺ほどのお寺のトップとなれば、
たいへん徳の高いお方なのだろうと、誰もが思う。

つまり、男の中の男…という表現を借りれば、
坊さんの中の坊さん…ということになるのだろう。
(なんだ、それは?)

その「生き仏」様が、お寺のまかないなどの仕事をしている
複数の女性に、セクハラや差別発言をしたとされるのである。

まあ、ちょっと、びっくりする話ではある。

ニュースの記事をそのまま引用すれば…

関係者によると、小松貫主は60代女性職員について
「やくざの女で入れ墨があった」
などと差別的な発言を周囲にしたほか、
別の一人暮らしの女性職員にも、
「一人でいて、寂しくないか?」
などとセクハラまがいの言動もあったという。
女性に対しての不当な人事異動も行われたとしている。


…というようなことである。

書き忘れたが、この「生き仏」様のお年は82歳である。

このことがテレビで報じられてからしばらく経って、
数日前、小松貫主が初めてマスコミの取材に応じ、
「全くの事実無根で、辞任の意思はない」
「それらの女性とは会ったこともない」
「会ったこともないのに、しゃべるはずがない」
などと言って「潔白」を主張された。

でもなぁ、と思う。
根も葉もないことが、こんなニュースになるか?
事実無根だったら、即刻名誉毀損で訴えなければならない。

小松貫主の弁明に対して、当の女性たちは、
「会ったこともないなんて、とんでもないウソ」
と、激しく憤っていた。

そうだよね。
この女性の人たちが、ありもしないことを言うはずないし…。
「生き仏」様が、たぶん、とぼけていらっしゃるのだろう。


で、そのことが一昨日のテレビで流れたのであるが…

昨日になって、東京都知事選が告示されたことや、
天皇陛下が「生前退位」のご意向を示されたこと、
…などの大ニュースの陰に隠れて、報道は途切れた。
(「生き仏」様にとっては、幸いなことだったのかも)

これで、このセクハラ報道は終るのかどうか知らないが、

マスコミでは…

日本屈指の古刹(こさつ)を舞台にした泥仕合の結末は?

などと、今後の成り行きには、いちおう注目しているところだ。


さて、話は変わって、この「日本屈指の古刹」
と言われる善光寺のことですが…。

善光寺といえば…
今回、話題に上がった信州の善光寺が
これはもう圧倒的に有名なわけですが、
善光寺のホームページを見てみますと、
「善光寺」を正式な寺名とする寺院は、
全国に100ヵ所以上あるということです。


その、全国に数多くある善光寺の中で、
一番最初にできたお寺が…

わが町・藤井寺市にあるのです。

実はそのことが言いたくて、
ここまで引き延ばしてきました(笑)

わが家から駅へ行くまでの道沿いにあり、
僕も、もう何十年も、このお寺の前を通っています。

リュックを担いだ年配の方たちもよくここを訪れており、
知る人ぞ知る…の観光スポットにもなっています。

ということで、
わが家から自転車で数分のところにある

「日本最初の善光寺」の写真を載せて、終ります。

 


 
  藤井寺市の善光寺(7月13日撮影)。

 


 
  「日本最初」という言葉が刻まれています。
   一体の阿弥陀如来像を三日三晩念仏を唱え、
   二体にし、長野県の善光寺と分け合った…
   …という伝説が残っています。

 
それがどうしたん?
って言われそうな話ですけどね。


 

 

 

 

 

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消えたテレビドラマ 原因は石田純一か?

2016年07月08日 | 映画の話やTVの話など…

テレビドラマは、どちらかというと、
あまり見ないほうだ。

しかし…
今週の月曜日に、フジテレビ系列の、
「グッディ」という午後のワイドショーを見ていた時、
その番組が終ったらCMも入らずいきなり

「不信のとき ~ウーマン・ウォーズ~

という、再放送のドラマが始まった。

見るつもりなどなかったのだけど、
そのままズルズルと見てしまった。
思ったよりも面白かったのである。


  

その日は第3話ということで、
第1話・2話は見ていないけれど、
ストーリーは、割によくわかった。

いわゆる不倫ものだけど、コミカルな人物像が面白い。
ハラハラドキドキする場面も、結構ある。

原作は有吉佐和子の「不信のとき」で1967年の作品だ。
かなり以前にも、映画化やTVドラマ化されたという。

本作は、10年前に放映されたドラマだそうである。


ヒロインは米倉涼子。
その夫がエリートサラリーマンの石黒賢。
この夫婦は子供を望んでいるが、まだできない。

その石黒賢が、取引先の社長である石田純一に、
クラブのママ(松下由樹)を紹介され、関係をもつ。
そして、彼女に子供ができる。
(ただし石黒賢の子かどうかは不明)

一方、妻の米倉涼子は、書道家の父を持ち、
自身も書道を趣味とするが、父の弟子で、
イケメン書道家の小泉孝太郎と、これも怪しい関係に。
そして米倉涼子も、待ち望んだ妊娠をする。
(ただし、夫の子か書道家の子か不明)

まあ、ざっとそういう話である。

物語は、その夫婦を中心に、他の登場人物たちの間でも、
さまざまな不倫関係や片思い、嫉妬、恨みなどが渦巻き、
複雑な人間関係が交錯する。

石黒賢の取引先の社長の石田純一も、
十代の家出娘を愛人にして、子どもを作る。
石田純一は、こういう役がまたよく似合うのだ(笑)。

番組は再放送だから、土・日曜日を除いて毎日放映される。

ワイドショーの「グッディ」が2時45分に終わり、
その後、この「不信のとき」が放映されるのである。

第3話を見てから、僕はこのドラマをずっと録画し、 
その日の夕方か夜に見ることにしていた。

そして、月曜日の第3話から昨日の第6話まで、毎日見た。
つまり、このドラマにハマっちゃったわけですよね。


…ところが、第7話が放映されるはずの今日、
信じがたいことが起きたのである。

スポーツクラブから帰り、遅いめの昼食で、
ビールを飲みながら「グッディ」を見ると、
生中継で、石田純一が、記者会見を開いていた。
東京都知事選に出馬の意欲を見せているそうである。

ふ~ん。石田純一か…?
…と、僕は「不信のとき」のドラマに出てくる
石田純一を思い出しながら、会見の様子を見ていたが、
長々と続いていたので面倒臭くなり、TVを消した。


それから数時間後、録画した「不信のとき」を見ようと、
リモコンを操作してその番組を再生したのである。

今日の第7話は「危険な情事…愛人の逆襲」というタイトルだ。

すると…

思いも寄らぬことが起きた。

再生されたドラマは「不信のとき」ではなく、
そのあとの時間帯に放映される再放送ドラマ、
「コード・ブルー ドクターヘリの緊急救命」
という番組だったのである。

…?????

なに、これ? 
間違いなく「不信のとき」を録画予約したのに…
どうしてそのあとの番組が録画されているのだ?

一体何なのだこれは…と思っているうち、画面の上に、
「番組の予定を変更しております」という字幕が出た。

そしてそのドラマを早送りしたら、最後に
「引き続き『コード・ブルー』を放送します」
という字幕が出たのである。

つまり今日はこのドラマを2回分、流したわけである。

なぜ急にそんな変更をしなければならないのだ…
…と、テレビ局の意図するところが分らなかった。

しばらく考えた末、ハッと思いついたのは、
原因は石田純一ではないか…ということだった。

「不信のとき」が始まる直前に、ワイドショーの
「グッディ」で、石田純一の会見の生放送があり、
そのすぐ後のドラマに彼が出演しているということで、
それが、何かテレビ局にとって不都合だったのだろうか?

なにせ、選挙がらみなので、十分慎重に対応せねばならない。

で、そのドラマを急きょ、別のドラマに差し替えた…?

それとこれとはまた別の話だと思うのだけれど、
テレビ局が予定を変更して別番組を流したのは、
石田純一が出演するドラマを避けた…と思われる。

まったく~
おかしな話だけどねぇ。

それが真相はどうか…まだわからないものの、
おそらく、そういうことではなかったのか…。

ということで、楽しみにしていたドラマは、
今日は見られませんでした。残念です。

今日は、先に述べたように、第7話の予定だった。

全12回だから、まだ6回分残っている。

これを、今後、全部放映を中止するのか…?

まさかねぇ。

残り6回分、すべて録画予約しているというのに。

テレビ局も、無茶なこと、しないでくれ。

 

 

 

 

 

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中高一貫教育について考えてみた

2016年07月06日 | 日常のいろいろなこと

 

 

このブログも…どうも最近は華やかさに欠けていますね。
(ま、元々が華やかじゃありませんけど…。ぐすん)

そこで今日は、いきなりこんな写真をアップしてみました。
どうでしょう? 少しは華やいだでしょうか??

これは、大阪府立富田林高校のバトン部の皆さんの演技です。
この高校はバトントワリングの全国大会の常連校なのです。

で、僕がなぜこの舞台の前から2番目の席にいて、
この写真を撮ったのか…。話せば長いことながら、
まあ、手短に説明をしますと…

モミィの進路に関することで、
話自体は、わりに硬いことなんですが…

 ………………………………………………………

今、モミィは小学5年生で、再来年に中学に上がる。
基本的には、校区の公立中学へ進む予定だけれど、先般、
モミィが通う塾の先生から、ある入場整理券をいただいた。

それは、富田林高校が、来年度から、
中学校を開設し、中高一貫教育を行うことになり、
その説明会が同市のすばるホールというところで行われるとのこと。

その会場には定員があるので、事前に整理券が発行され、
モミィの塾にも割り当てがあり、それをいただいたわけだ。

せっかくだからと、僕がひとりで会場へ出かけた。

これまで、中高一貫教育というのは、
私立校を中心に行われていたのところだが、
最近は全国的に公立高校でも行われるようになった…とのこと。

しかし、大阪府の公立高校には、まだ一校もなく、
今回の富田林高校が府内で初めての制度化だったという。

 

 
  会場にて。


富田林高校といえば、最寄の近鉄南大阪線で、
乗り換えもなく、時間的にもそう遠くはない。
そこに中学校が創設されるので、合格すれば、
6年間、そこに通うことができるわけである。

そこで、これまであまり考えてみなかった
モミィの「中学受験」という選択肢が、
にわかに現実味を帯びてきたのである。

その説明会で、いろんな話を聞いたことをまとめると…

・同校は、カリキュラムを一体化する「併設型」であり、
高校受験に邪魔されることなく、6年間かけて
大学受験のための学習やクラブ活動等に専念できる。

・今の国(文部科学省)の施策が中高一貫校に有利である。

・小学校6年生に進路選択をさせることによって、目的意識を育てる。

・個々の生徒にあった多様なコース等の設定が可能となる…

…などの利点が強調されていた。
いずれも「なるほど」と納得できる話だった。

そんな話が一段落したところで、教頭先生から、
「話が硬くなりましたので、リラックスしていただきましょう」
と、富田林高校のバトン部の女子生徒たちが舞台に登場して、
冒頭の写真のような華やかな演技が繰り広げられたのだった。

バトンは持たず、チアリーディングのような演技だったが、
女子生徒の皆さんは、満面の笑顔でハツラツとしていた。

一糸乱れぬ見事な演技に、会場は拍手と歓声に沸いた。

 

 

 

  

 

 

 

ところで、モミィがもし、この中学受検に成功したら、
高校生になって、このバトン部に入れるでしょうか?

たぶん…というか、絶対に無理でしょうね(笑)

 

…ということで、入試まであと1年半ほどありますが、
この学校を受けることを真剣に考えているところです。
ここで成功すれば、高校入試に悩むこともありませんしね。

もっとも、志願者数がとても多そうで、
競争率もメチャメチャ高そうですけど…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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英検3級の結果は

2016年07月04日 | モミィの成長日記

いやぁ、それにしても暑い日が続きますね。
湿度も高く、ムシムシして、じっとしていても汗ばみます。
全国各地で、熱中症で搬送される方々が急増しているとのこと。

年を取ると暑さを感じなくなり、エアコンをつけない。
自分では暑いつもりはないのに、熱中症にかかる…
…というケースが多いそうですが、でもね…
年を取ると暑さを感じないって、本当かなぁ?

 ………………………………………………………………

さて、モミィが先月12日に受けた英検3級の結果が届きました。
結果は「不合格」。 まあ、予想通りでしたけど(笑)

送られてきたモミィの「スコア」を見てみると、
筆記試験が345ポイント、リスニングが357ポイント。
合計702ポイントということでした。

合格基準は746ポイントとあったので、
思っていた以上に、善戦したと言えます。

成績表の備考欄にも、
「一次試験合格まであと一歩です」と記されていました。

3級からは一次試験に合格したら、次に二次試験もあるので、
まだ壁は厚いと言うべきですが、ま、少しメドがついてきました。

今は近くのECCジュニア教室に通っています。
そこの先生がとても熱心な方で、その指導のおかげで、
今回の3級も「合格まであと一歩」のレベルにこぎつけました。

これまで受けた英検は、児童英検を含め、
すべて合格をしてきたモミィですが、

やはり3級となるとレベルも高く、
そう簡単にはいかないでしょう。

次の英検は10月9日に実施されます
それがダメだったら、その次が来年の1月22日。

何とか5年生のうちに、
3級を取らせてやりたいと思っていますが…。

 

 

 

 

 

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不整脈に悩まされ…

2016年06月30日 | 心と体と健康と

先週から不整脈の発生頻度が高くなり、体調不良だった。
特にパソコンを打ったりするとつい根を詰めてしまい、
それがまた不整脈を誘発したりする。

前回のブログは22日の朝にアップしたけれど、
それがこたえたのか、その日はほぼ1日、
断続的な不整脈に悩まされた。

それからしばらくの間、
心身ともに不安定な毎日が続いた。

厄介なことに、これまでの不整脈(心房細動)とは別の、
期外収縮という、脈が飛ぶ不整脈が頻繁に出るようになった。

ふつう、期外収縮は、自覚症状のない場合が多い。
だから、自分でも気づかないので大したものではない…
というイメージがある。しかし僕の場合は自覚症状が強い。

息苦しい動悸感…と言うか、5回に1回ぐらい脈が飛び、
その時、ズキッと心臓が突き上げられる感じがする。
頭がポワーンとなり、気が遠くなりそうになったり。
(実際に気が遠くなったことはありませんが)

といっても、横にならなければならないほどでもない。
その症状を抱えたまま、何とか日常を過ごす。
もちろん、発作は出たり出なかったりで、
ず~っと出続けているわけではない。
それが、せめてもの救いである。

数時間出て収まり、またチョコチョコと出る…みたいな感じだ。

しかし何より困るのは、服用している薬が効かないことだった。
今までの不整脈(心房細動)なら、薬を余分に飲むと収まった。

でもこの期外収縮は別種の不整脈で、いつもの薬が効かない。
だから、自然に収まるのを待つしかないのである。


そうこうしているうちに1週間が経った。
そして、今週27日の月曜日のことである。

スポーツクラブへ行き、ジムで軽くストレッチをしたあと、
プールへ行った。その時、わずかに不整脈が出始めたので、
プールでは泳がず、水中歩行だけしていた。
が、やはり泳ぎたくなって隣のレーンに移った。

しかし25メートル泳いだら、変な動悸がし始めた。
「これはヤバイ」と、泳ぐのをやめ、再び歩いた。


お昼に帰宅して食事をした後に、
期外収縮の不整脈が本格的に出始めた。

やれやれ。また2~3時間悩まされるなぁ…
…と思いながら、座椅子にもたれ、TVで録画した映画を見た。
(映画は「ハンナ」というサスペンス・アクション映画だった)

その間ずっと不整脈が続き、見終っても収まらなかった。
映画を見ているうちに収まるだろう…という思惑も外れた。

普通はいつの間にか収まるのだが、
なぜか今回に限っては、夕方になっても収まらない。
もう5時間以上続いているわけで、我慢もそろそろ限界だ。


ちょうど、先月下旬に、心房細動の定期検査・診察先を、
8年間通った徳〇会病院から近所の医院に変えたところだった。

そして夕方5時半頃、その医院に駆け込んで症状を訴えた。
その時は、ゼイゼイと、いよいよ息苦しくなっていた。

まず心電図でその不整脈の症状を検査してもらった。

不整脈が出ても、病院に行くまでに収まって、結局、
検査をしてもその不整脈の症状がわからない…
ということがこれまで何度かあったので、
今回、心電図がとれたのは、まぁ幸運…
…といえば、幸運だった。

検査のあと、診察室に呼ばれて入った。

心電図の検査結果を見て、医師は、症状を分析し、
「やはり期外収縮ですね。全く心配いりません」

そして僕の指先に何かをはめて計測したり、
血圧を測ったりした後、

「血中の酸素も十分ですし、血圧も下がっていません」

と言って「大丈夫です」と、再び太鼓判を押してくれた。


この症状が命に関わるような状況を誘発する…
というような心配は、全くないということで、
それはもちろん、大きな安心材料だったけれど、
とにかく今の、この息苦しさを何とかしてほしい。
この期外収縮という不整脈を、早く止めてほしい。

医師は「では、お薬を出しますから」
…と、薬を処方してくれ、
2日後、また来院することに。


帰宅して、心配していた妻に医院での様子を話し、
夕食の後、さっきもらってきた薬を服用したら…
そのちょうど1時間後に不整脈はピタリと止まった。

あぁ、やれやれ…

時計を見ると午後8時半。
実に8時間以上苦しめられていた不整脈が、やっと収まったのだ。

 …………………………………………………………………

その薬のおかげか、翌日も1日中不整脈は出なかった。

そしてその翌日の29日(つまり昨日)、
再び、その医院へ出向き、経過を報告した。
当分の間、新しい薬を1日1錠服用することにし、
従来の心房細動の薬は1日3錠から2錠に減らすことにした。

昨日も、1日中、心拍は安定していた。
やっと不安から開放され、気分も落ち着いた。

今、久しぶりにパソコンでこのブログを打っていても、
心臓には全く違和感がなく、調子は良さそうだ。

あぁ、これでようやく、普通の生活に戻れる…


「普通に毎日が過ぎてゆく」ことの幸せを、
また、あらためて感じているところです。

 

 

 

 

 

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ウダウダ会 和歌の浦へ

2016年06月22日 | ウォーク・自転車

6月に入ってから、日曜日になると必ず雨が降る。

第1日曜の5日はモミィの学校の運動会だったが、雨で順延。

次の12日の日曜日は、モミィの英検があった。
この日も雨で、傘を差しながら会場まで歩いた。

そして先日の第3日曜日の19日は、
ウダウダ会の『出陣』の日だった。

…が、これも、天気予報では、雨。
案の定、途中から大雨に遭った。

ま、もっとも会長サマからの案内状には、
大雨、大風決行」とは書いてましたけど。

さて、
今回のウダウダ会の行き先は、和歌山県の和歌の浦だった。

和歌の浦は古くは万葉集にも詠まれた風光明媚な景勝地で、
平安時代の人々は、熊野詣でや高野山詣での道すがら
和歌浦に立ち寄り、景色を楽しんだと言われている。


 
少しわかりにくい地図ですけど…
ここの左端の「雑賀崎」から雑賀崎漁港へ出て、
海沿いの道を歩き、和歌浦港を経て、右端の、

「観海閣」というところまで、歩きました。

 …………………………………………………………………

朝の7時前に家を出たときは雨はまだ降っていなかった。

8時に難波高島屋前に集合。

ウダウダ会には、僕は1月に参加したが、
次の4月は家族旅行と重なって行けなかった。
1月には、宴会が終った後、転んで怪我をして、
前市長さんと副市長さんに、家まで送っていただいた。

今回は「飲み過ぎに注意!」と言い聞かせての参加だ(笑)。

そして5ヶ月ぶりにウダウダ会の仲間たちと会い、
南海電車の「特急サザン」に乗り込んだ。

座席指定だったが、いつもお世話をしてくださる
元大阪狭山市の市議会議員さんが切符を買ってくれ、
今回のメンバー10人に「はい、どうぞ」と配ってくれた。

電車の中から話は弾み、約1時間後、
南海和歌山市駅に到着した。

和歌山市駅から約40分、バスに揺られて雑賀崎へ。

雑賀といえば、『雑賀孫市』が頭に浮かぶ。
大昔、1973(昭和48)年のNHK大河ドラマに、
「国盗り物語」というのがあり、僕は大好きだった。
原作は司馬遼太郎で、僕はその本も読んだ。

主人公は平幹二朗が演ずる斉藤道三だが、
そこへ、雑賀孫市という人物が出てくる。
いわゆる雑賀衆で、鉄砲の名人たちだ。
ドラマでは林隆三が孫市の役を演じていた。
その司馬遼太郎には「尻くらえ孫市」という著書もある。

その雑賀崎でバスを降りると、下に港が見えた。


 

 細くて急な階段を下りてゆくと…

 

 

 
 
雑賀崎漁港に出た。

 
 とても景色が良い。しかし…

 

 
 海沿いのコースを歩き始めると、雨が降り始めてきた。
 ちなみに、右上にホテルが見えるが、和歌の浦は最近
 観光客も減り、このあたりのホテルも人の気配はなかった。

昔は、一大観光地だった和歌の浦。
最盛期には40以上あったというホテルや旅館も、
現在営業しているのは老舗の10数軒のみ…とのことだ。
 

 
 途中に「夢の鐘」が。この鐘を鳴らすと、幸運が訪れるのだとか。
 和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」のモデルになった鐘…
 …というのは、真っ赤なウソです。すみません。

 この鐘は、山部赤人が詠んだ万葉の歌をモチーフにしているとか。
 和歌にちなんで数羽の鶴が空に舞い上がるイメージだそうです。

 

 
 ビーチを歩いていると、こんな岩が姿を表しました。
 蓬莱岩というそうで、近づいて見ると見事な岩でした。

 ネットの写真を拝借してご紹介しますと

 
  …という感じです。

 
 

 
 和歌の浦港に出ると、雨は益々激しくなり、
 予定していた片男波までは行かず、
 玉津島神社前からバスに乗ることに。

   

 
 バスが来るまで相当時間があったので、周囲を散策。
 玉津島神社の前から海に向かうとアーチ型の「不老橋」が見えました。

 

 
 三断橋を渡ると、突き当たりに小さく観海閣が見える。
 観海閣については、こちらをどうぞ 

 http://wakamatsuri.com/spot/%E8%A6%B3%E6%B5%B7%E9%96%A3

 

 
 玉津島神社。「古来より、和歌の神様を祀る神社として
 天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきた」ということです。
 

 

    

 

   

…と、万葉集の歌碑を眺めているうち、案内書に
この近くに芭蕉の句碑がある…と書かれていたので、
バスの時間が近づいてくる中で、あわてて探しました。
バス道の脇にその碑があったので、とりあえず撮影成功。

           ↓ 

 

しかし…
帰宅して写真を見ても、何が書いてあるやらさっぱりわからず、
ネットで「玉津島神社 芭蕉句碑」で検索したら、

 行春に 和歌浦にて 追付たり

…と書かれていたそうです。はい。
芭蕉翁は、和歌の浦にも来ているんですね。

 


最後に、もう一度、地図を。

 
  観海閣はココ! とありますね~

 

こうして、今回の雨のウダウダ会は、まるで
雨(う)だ雨(う)だ会でしたが…無事に終わりました。

一行はバスでJR和歌山駅まで行き、紀州路快速に乗って、
天王寺へ戻り、あべのハルカスの12階にある

スーパー・ドライ 

という店に入り、ビールをゴクゴク飲んで、
のどを潤したのであります。

ここは日本酒、焼酎のたぐいは置かれていないので、
おかげで僕はビールとハイボールを結構飲みましたが、
前回のように酔うこともなく、帰宅しました。
まだ早い時間だったので、妻とモミィが、
家の近くまで出迎えに来てくれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ローマの休日 “真実の口”

2016年06月18日 | 旅行

   

先週、TVで「ローマの休日」が放映された。
たぶん、これまでTVで流された映画の中でも、
放映回数が最も多いのが、この映画ではないか…
と勝手に思っているけれど、何度見ても飽きない映画だ。

それと、先日ちょうど舛添クンの一件で、
「舛添には“真実の口”はないのか?」
というセリフがどこかに出ていたのを見て、
な~るほど、ローマの“真実の口“にひっかけて、
うまいこと言うなぁ、と感心したものである。

ご承知のように、「真実の口」とは、
ウソをつく人間がそこに手を突っ込むと抜けなくなる…
という言い伝えがある。
(海外好きの舛添クンにもぜひ突っ込んでもらいたい)


さて「ローマの休日」で、新聞記者のグレゴリー・ペックが、
オードリー・ヘプバーンを「真実の口」に案内するシーン。

映画で、グレゴリー・ペックが真実の口に手を入れたとたん、
「ぎゃっ」と言って手を噛まれた…フリをする。
これを見たオードリー・ヘプバーンが、
びっくり仰天して、泣き叫んでしまう…

…という、あまりにも有名なあのシーン。
何度見ても心を揺さぶられる名シーンだ。


 

 


1999年。ちょうど僕が50歳の時に、
妻と長男と3人でローマへ旅行に行きました。

同じイタリアでも、フィレンツェ旅行のことは、
このブログに何度も書きましたけど、
ローマの旅には全く触れていません。

このブログも、自分の最後の記録として残したいので、
今日はローマへ旅行した時の写真を載せてみました。

 


 
 “本物”の真実の口です。
 案外、見過ごしそうな、狭いところにありました。


 
  観光客は必ずここへ手を入れますよね。
 長男(右端)が、このお2人から、
 写真撮影を頼まれていました。

 


 

 スペイン広場のシーンも有名ですね。
 アン王女がジェラートを食べています。


 
  僕らもこのあと、ジェラートを食べました。
  


 
  こちらは、コロッセオ。



 
  トレヴィの泉。



 
   ついでにナポリまで足を延ばしました。
 「ナポリを見てから死ね」と言いますからね~
  これで、いつ死んでもいい?


 
  ナポリといえば、ポンペイはすぐ近く。
 西暦79年に、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋没した町。
 1700年代から発掘が始まって、今日に至っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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舛添辞職と運動会(関係ない?)

2016年06月16日 | 日常のいろいろなこと

結局、舛添知事は、不信任を出される前に自ら辞職した。
21日付だそうだが、辞めるしかないことは誰もがわかっていた。

今ごろかいな…と、いう感じだが、
やっと観念したらしい。

そもそも舛添の一連の発言は、
いちいちカチンとくるものだった。

まず、海外視察の大名旅行ぶりを指摘されると、
「トップが二流のビジネスホテルに泊まれますか?
 恥ずかしいでしょう」 と、えらそうに答えた。

超高級ホテルのそれも超豪華な、
スイートルームに泊まっていたんだよ。
なんで二流のビジネスホテルを引き合いに出すわけ?

そして公用車で毎週のように湯河原の別荘に行ったことは、
「公用車はルールに従っていて何の問題もありませんよ」
と、「余裕」っぽい笑顔を見せて、ヌケヌケと言う。
危機管理については「公用車は動く知事室です」
などと、ワケのわからないことを言ってごまかす。
あの時、「う~ん、そうですかね。気をつけます」
くらいのことを言っていれば反発も小さかったろうに。
要するに、都民・国民というものをナメていたんですね。

そのあとの言葉も、カチンとくる連続だった。

筆で字を書くとき、中国服を着る理由が、
自分は柔道をしていて肩の筋肉がすごいので…
などと、自慢を入れながら正当化をするというあざとさ。

大きな風呂で足を延ばせるから、という理由は、
「自分は股関節の大手術をしていますので…」
と言うのだが「手術」でいいのに、わざわざ
「大手術」と言って話を大仰にするいやらしい言い草。

あれもこれも、これまで言葉で人を言い負かしてきた自信の表れか。

とにかく、世間の常識とあまりにもかけ離れていたものね。

それにしても、多くの疑惑の真相が解明されないまま、
辞めてしまったら、もう追求はされないのだろうか。
「もう、私は辞めたのですから」と、
ますます真実は語ろうとしなくなると、
疑惑を残したままの幕引きとなってしまう。
マスコミの眼も次の候補者に移りそうだし。

それはそれで、何だかなぁ、と思うんだけど。


さて、舛添ネタばかり書いているけれど、
モミィの運動会の続きについても書かなければ。


6月5日の日曜日の運動会が雨で流れ、
7日の火曜日に行われたけれど、
その日も途中から大雨になり、
何種目かを残して中止になった。

そして、一昨日の火曜日(14日)に、
その続きが体育の授業として行われ、
僕たちも、また学校へ出かけて見学した。

先週火曜日は、モミィら5年生の二人三脚のあと、
大雨が降ってきて、その時点で中止になった。

残りの6年生の騎馬戦と、3年生~6年生の
紅白対抗リレー、そして最後に全学年の綱引き。
これらが、一昨日の1時間目に行われたのである。

3年生から始まったリレーが、いよいよ5年生の番になった。

元々、モミィは走るのは遅いほうなのだが、
「絶対に見に来てね」と声を弾ませていた。

リレーは4つのチームが走る。

モミィがバトンを受けたのは4チーム中、3番目だった。
男女混合なので、モミィの後からは男の子が追いかけてきた。

懸命に走るモミィに、男の子はグングンと近づき、
僕がカメラを構えていた目の前で、抜かされてしまった(笑)

で、モミィは4位で次の子にバトンタッチした。
それでも、走り終えたモミィの顔は、とても嬉しそうだった。

 

 
 向こう側がモミィです。
 次走者へバトンを渡す直前で、

 男の子(赤帽)に抜かれちゃいました。

 

 

 

 

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不信任案と議会の解散

2016年06月15日 | 議会&役所

きょう、東京都議会で舛添知事の不信任決議案が提出されるようだ。
なぜかリオ五輪まで待ってくれ…という舛添は、自分からは辞めない。
自民党も公明党も、ここまで民意が強まってくると放置できないだろう。
あれやこれやの思惑で、この両党は舛添を見放すことにしたようである。

地方自治体で長の不信任案が出されるのはきわめて珍しいことだ。
ましてや、首都・東京の知事に対して不信任案が出されるとはね~

僕が勤めていた松原市では、それが現実に起きたことがある。

また昔の話になりますが…。 昭和49年の夏こと。
僕が議会事務局へ配属される前年のことだった。

当時の松原市長が、特定地域に異様に多くの予算を注ぐ…
という批判が起こり、市議会は市長の不信任案を可決した。
すると市長は、「自分に非はない」と、議会を解散した。

それで議員らは、真夏の暑い時期に、選挙を強いられることに。

その選挙が終わり、新しく構成された議会の顔ぶれは、
その前とほとんど変わりはなかった。
この顔ぶれなら、再び不信任案が出るのは確実だ。
そうなると、今度は自動的に市長は失職する。
「もう、あかん」と思ったのだろう。

再度の不信任案が出る前に、市長はさっさと辞職したのである。

「辞めるんだったら、先に辞めておけ」
という非難を浴びたことは、言うまでもない。
あの選挙は何だったんだ…? ですものね。

松原市のこの「政変劇」は、
新聞、テレビなどで全国に大きく報じられ、
当時の議長がNHKテレビにゲスト出演したこともあった。


今回の舛添知事は、きょう不信任が可決されたら、
辞職するのか、解散に打って出るのか…?

大いに注目されるところであるが、
解散をした場合には、当然、都議会議員選挙が行われる。
選挙後、最初の議会で再び不信任案が可決されるのは確実だ。

可決されたら、今度は自動的に舛添知事は失職する。

するとまた、都知事選挙をしなければならない。
つまり、選挙が2回必要なわけだ。

これもナンだかなぁ、と思うんだけど。

「オレがリオ五輪の後には辞めると言ったのに、
 その言うことを聞かなかったから解散するのだ」
と、舛添知事は、うそぶくのかも知れないけれど。

不信任案が可決されるのは100パーセント確実と見られる。

そのあと、あの「負けず嫌いの自信家」がどう出るのか?

「舛添劇場」も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。
…まあ、「劇場」というより、「舛添コント」だったかも知れないけど。

 

 

 

 

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英検3級にチャレンジ

2016年06月13日 | モミィの成長日記

昨日、モミィが英検の3級を受けた。

会場は、うれしいことに、わが町・藤井寺の、
駅から南へ歩いて5分のところにある
大阪女子短期大学だった。

自宅から歩いても25分ぐらいのところだ。

去年10月の5級の試験会場は、東大阪市の樟蔭女子大学で、
交通の便が悪く、電車を3つも乗り換えなければならなかった。
今年1月の4級の会場は、大阪教育大学天王寺キャンパスで、
これは近鉄電車で阿倍野へ出るだけだったので、まあ楽だった。
そして今回の3級は、地元の藤井寺だった。

午後1時集合ということで、12時過ぎには会場に着いた。
5級の時や4級の時はごった返すほどの受験者がいたが、
今回の藤井寺の会場には、ほとんど人影が見えなかった。
で、受付開始の12時20分ぐらいなって人が集まってきた。

しかし、明らかにこれまでの会場と人数の規模が違う。
聞いてみると、3級と2級のみ、4教室で実施だそうだ。

ともあれ、前2回に比べると、
こじんまりとした試験場だった。

教室へ入ると…
5級の時はモミィより小さい子が沢山いたし、
4級の時もやはり教室は小学生ばかりだったが、
今回の3級は、大半がモミィより大きい子ばかり。
むろん小さい子もいたが、大方は中・高生以上だった。

さて、午後1時から受験者への説明が始まり、
僕と妻は保護者控え室に入って待機した。

試験は1時30分に開始。
筆記試験が40分。2分後にリスニングが26分。
終了時刻が2時38分だった。

そして、その時間が来て、僕らは教室の前で待った。

5級のときは、出てきたモミィにどうだった?
…と尋ねたら、ニコニコしながら「うん、できたよ」
という、うれしそうな返事が返ってきた。

4級のときは、「暑かったわぁ」と言いながら、
「どうだった」の問いかけには、
「う~ん、できたと思う」との答えだった。

しかし、昨日は、
お兄ちゃんお姉ちゃんたちに混じって出てきたモミィは、
僕の顔を見るなり、「あかんわ。全然わからんかった」
と、半分笑いながらも、顔をしかめて見せた。

まあ、僕も今回は無理だと思っていたので、
このひと言には別に驚きも落胆もしなかった。

「そうやろ。3級はむずかしいからねぇ」と言うと、
「特にリスニングが何を言ってるのか全然…」
とのことだった。
元々モミィはリスニングが得意で、
5級も4級もほぼ全問正解だったけれど、
やはり3級になると、モミィが「早口言葉みたいだった」
と言ったように、会話がうんとスピードアップするのだろう。


これまで、児童英検の「銅」「銀」「金」そして、
英検の5級、4級と、一発合格してきたけれど、
さすがに3級は、そう簡単には合格しないよね。
これからが本当の英語力が試されることになるわけで。

帰宅後、モミィが問題用紙に答えを書いていたので、
それを見て、筆記試験だけ僕が採点をしてみたけれど、
正解率は50パーセントか、それを少し下回るぐらいだった。
(僕の採点ですから、いい加減ですけど…)

3級の合格ラインは60パーセント以上だそうだし、
リスニングは全然出来なかったと言っているので、
これはもう不合格だろうな~と考えざるを得ない。

もともと今回はパスさせるつもりだったけれど、
モミィがどうしても受けたいというので、こうなった。
ま、合否は別として、経験することも大事ですのでね。

目標は次の10月。それがダメなら来年の1月。
5年生のうちに3級に合格すれば上々だと思っている。


英語をモミィの生涯の「得意技」にしたいと思っているので、
これからも気長に英語力を磨いていけるよう、応援してやりたい。

 

 


 

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舛添都知事と 『百条委員会』

2016年06月10日 | 議会&役所

「舛添は早くやめろ」とこのブログで書いてからも20日以上経つ。
今でも連日、テレビで舛添都知事の問題が報道され続けている。

公私混同、セコい、ネコババ男、恥知らず、傲慢、
他人に厳しく自分に甘い…など、いろいろ言われている。

しかし、マスコミや議員からどんなに厳しい指摘を受けても、
「都民の信頼を取り戻すため邁進したい」を繰り返すだけ。
白々しいにもほどがある。呆れている人も多いだろう。

今さら信頼を取り戻すなんて100パーセント無理だろ。
だいたい、本当に反省しているようには、見えない。

公私混同は「疑惑」ではなく「事実」なのに、
あまりにも、往生際が悪すぎるよね。
(それに比べて、昨日の市川海老蔵の会見は立派だった。
妻の麻央さんが進行性の乳がんだったという会見。
舛添も、海老蔵の爪の垢を煎じて飲めばいい)


さて、その舛添報道の中で、都議会の「代表質問」とか、
「一般質問」とか「総務委員会」とかの言葉が出てくる。

僕にとっては、とてもなじみ深い言葉である。

38年間の市役所勤めのうち、
26年間、議会事務局で仕事をしていた僕は、
これらの言葉を聞くと、いろいろと思い出す。

東京都であっても地方の小さな市であっても、
地方自治体であることは同じなので、
定例議会は年4回行われ、その中で
代表質問や一般質問というのがある。

本会議での応答のあとは委員会で
また、いっそう詳しい審査をする。
それが、今回の場合は「総務委員会」である。
舛添問題について、13日にそこで集中審議がされるそうだ。


そしてもうひとつ、にわかに「脚光」を浴びたのが

百条委員会

…というもの。

これは、もう皆さんご承知だと思いますが、
この委員会を設置すれば、そこで行う審査は、
証人を呼んだりすることもできるし、出席を拒否したり、
嘘の証言をしたりすると罰せられる…という強い権限がある。

議会はそういう特別委員会を設置できますよ…
と規定されているのがたまたま地方自治法の第百条なので、
いわゆる「百条委員会」と呼ばれているものである。

初めてこの言葉を聞いた人は
「百条委員会って何やねん?」
と思われたかも知れませんね。


この「百条委員会」については、僕なりの思い出がある。

先に、僕は通算で26年間、議会事務局にいたと書いたけれど、
昭和46年に松原市役所に入り、秘書課、課税課と2年ずつ勤め、
昭和50年の4月に議会事務局に配属された。

その翌年のことだった。
松原市議会に「百条委員会」が設置されたのだ。

その頃、ロッキード事件というのが世の中を騒がせていた。
国会で「証人喚問」などが行われたのがTVで流され、
証人に出た人が「記憶にございません」を連発し、
それが流行語のようになったこともある。

松原市議会でも、その影響を受けたようで、
3人の市議会議員が「疑惑あり」とされて、
百条委員会が設置されたのだった。

僕が議会事務局に配属されてから約1年後のことだった。

議会事務局の上司たちはてんやわんやだったが、
下っ端の僕などは、ただオロオロしているだけ。

やがて委員会が始まり、証人を呼んだり、
いろんなことを審議したけれど、結局、
ヤリ玉に挙げられた3議員とも「シロ」ということで、
一定期間続いたその委員会の幕が閉じられたのである。

大山鳴動してネズミ一匹…。
いや、ネズミ一匹すら出てこなかった。
僕から見れば「なんのこっちゃ」という顛末であった。

その当時、百条委員会は、各自治体で
一種の流行にもなっていた記憶がある。
今からちょうど40年前の話である。


舛添問題は、このあと総務委員会でどういう展開になり、
百条委員会を開くことになるのかならないのか知らないが、
いずれにしても、ここまで来たら舛添も続投は困難なはず。
(一説では9月議会の時に辞める…と言われていますけど)

ただ問題は、次に立派な知事が出てくるかどうか…ですけどね。

 

 


 

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運動会 どしゃ降りで幕

2016年06月08日 | モミィの成長日記

日曜日に予定されていたモミィの運動会が、
雨のため、予備日の火曜日に順延になった。

そして迎えた昨日の火曜日である。

朝のうちは、まだ雨は降っていなかったが、
天気予報では、大阪方面は午前中から雨が降り出し、
それもまとまった雨で、午後からは雷の所もあるという。

やれやれ、また雨の予報だ。
梅雨入りしたので仕方ないとはいえ、
これでは、いつまで経っても運動会が開かれない。

この日の火曜日もまた運動会が実施できなければ、
翌日の水曜日に延期します…ということだった。
しかしその水曜日も、なんと、これまた雨の予報だ。

昨日の朝、いったいどうなるのだろう…と思っていたが、
午前7時現在で雨は降っていなかったので、
何とか開催されるということになった。

そして僕と妻は、どんよりと曇った空の下を、
8時半に家を出て、学校へ向かったのである。

校庭は、やはりいつもの日曜日の運動会に比べると、
保護者の姿は少なかった。仕方ありませんね。

いつ雨が降ってくるか分らない状態なので、
プログラムも大幅に変更になっており、
校門で変更されたプログラムを受け取った。

まず、団体演技を先に行うということだ。
「なるほどねぇ」とナットク。

団体演技とは、

1、2年生は「122人のちびっこギタリストたち」というダンス。
3、4年生が「花笠音頭2016」という踊り。そして、
モミィのいる5年生と6年生は、組立て体操である。

団体演技は、皆がもっとも力を入れて練習した種目である。
とにかく、これをまず保護者に見てもらわなければ、
…という先生方の思いの表れだろう。

僕も一番見たかったのが組み立て体操だった。

そして、団体演技のあとが団体競技となっていた。

団体競技とは、

1年生は玉入れ
2年生は大玉ころがし
3年生は数人が棒を持って走る「台風の目」
4年生は棒引き
5年生は二人三脚
6年生は騎馬戦

…という具合。

他に、3年生から6年生までが出る紅白対抗リレーや
全学年が出る個人走などがあるけれど、
それらは一番後回しになっていた。

やはり、2人以上が力を合わせてやる種目が優先なんだ。
雨の予報の中で、学校側もいろいろ苦慮されたのだろう。


さて、午前9時。
曇り空の下、開会式があり、ラジオ体操が行われ、
紅組と白組の応援合戦が行われたあと、
団体演技1、2年生のダンスが始まった。
やはり、1、2年生たちはとても可愛い。
モミィにも、こんな時代があったんだよね。

続いて3、4年生が「花笠音頭」を華やかに踊った。
モミィが3年生の時は「ソーラン節」、
4年生の時は沖縄の「エイサー」を踊った。

そして待望の5、6年の組み立て体操だ。
こんな早い時間に見られるのがむしろラッキーだった。

モミィも元気にその中に混じっている。
全員が裸足で、表情は活き活きしていた。

まず2人が組んでの演技。…そして3人。
さらに人数が増え、扇の形をしたり、
いろんな団体演技が続けられる。

最後に「ピラミッド」と言われる陣形を作る。
もうこの時は、モミィがどこにいるのかわからない。
崩れた場合に備え、回りで先生方が緊張の目で見守っている。

見ている僕も、全体像を写真を撮りながら胸が熱くなった。
これまでの運動会で、こんな気持ちになったのは初めてだ。

その組み立て体操が終ったのが10時15分。
終った瞬間、雨がパラパラと降り始めた。
“絶妙”のタイミングだった。

見たかった組み立て体操が終ったとたんに雨とは…
運が良かったなぁ…とほくそ笑んだ僕である。

児童たちは全員、先生に引率されて教室へ行き、
傘を持ってまた戻ってきた。

僕たちも用意していた傘を広げる。
運動場は一気に傘の風景に変わった。


これで3つの団体演技が、まず無事に終了した。

そして次は雨の中で、団体競技のほうが始まった。

1年生の玉入れがあり、2年生の大玉ころがしがあり…

3年生、4年生と終って、モミィの5年生は「二人三脚」だった。
紅組と白組が、二人三脚でリレーをするのだ。

モミィの出番はうしろのほうだった。そして…

二人三脚が始まったとき、急に雨が強くなった。
僕は傘を持ったまま、カメラを構えるが、
回りの人たちの傘と傘がぶつかり合う。
小さな傘なので、雨で体が濡れる。

そちらに気を取られている間に、
隣の妻からモミィが走り始めたことを知らされた。

「えっ、どこどこ?」と思ってカメラを向けると、
すでにモミィたちが次走者にバトンを渡す直前だった。
そのシーンを何とかカメラにおさめたけれど、
雨がものすごい勢いで降り出しており、
小さい折り畳み傘では間に合わない。

普段でも滅多にないようなどしゃ降りの雨だった。

二人三脚が終ったところで、
あわてて体育館の軒先に移動して雨を避けた。

大勢の人たちが次々と雨宿りに押し寄せてくる。
バケツをひっくり返したような…という表現がピッタリの雨だ。

先生が放送で何か言っているが、よく聞こえない。
やがて、子供たちが教室へ避難し始めたので、
保護者たちもゾロゾロと出口へ向かった。
僕らもその中に混じり、学校を後にした。

結局、モミィの出た二人三脚が終った時点で、
今年の運動会はそのまま終了となった。

僕たちが家に帰ったのは11時半ごろだった。

家に着いてビショビショになった服を脱いで着替えた。

「あぁ、大変やったねぇ」
と僕たちは、やれやれと、顔を見合わせた。

そのあと、学校からメールが来た。

今日の団体競技の最後の6年生の騎馬戦はできなかった。
さらに、そのあと予定の紅白対抗リレーもむろん中止。
で、これらについては、来週火曜日の朝一番に、
体育の授業として行うので、保護者の参観は可能です…
という通知だった。


ともあれ、雨のために運動会は変則的な形で終った。
組み立て体操を見たので、僕は満足だったですけど。

それに、モミィの運動会での姿勢や動作が、
年々逞しくなってきたことも見届けることができました。

 

 
 開会式。これまで小柄だったモミィは前のほうにいたのですが、
 最近は背が伸びて後方へ行き、見えなくなりました(笑)


 
 これから組み立て体操に向かうところ。
 入場するとき、モミィは先頭にいました。


 
 一番前にいるのがモミィです。


 
 まず、2人での組み立てから始まりました。
 ここではモミィが上にいます。


 
 その次はモミィが支え役に。
 このあと、すべて支え役でした。


 
 次は3人での演技。
 「土台」のモミィは、向こう側です。


 
  さて、大型の組み立てが始まりました。
  この時点で、すでにモミィがどこにいるのかわかりませんが、
 家に帰ってこの写真を拡大したら、下から3番目にいたそうです。 


 
 観覧席から大きな拍手が起き、僕も胸が熱くなりました。
 みんな、よく頑張ったよね。
 手前のグループで、下から3段目の右端にモミィがいます。

 


  
   その部分をアップ。中央がモミィです。
  楽しそうな表情で、顔もしっかりと上げています。

 


 
  5年生の次の出番は「二人三脚リレー」
 ところが競技が始まったとたん、雨が激しくなりました。
 それに気を取られているうちにモミィのペアが走って来ました。
 

 

  
   写真のアップです。
  

 

…ということで、この二人三脚中にどしゃ降りとなり、
あとの競技は全部取りやめ、ということになりました。

でもまあ、これはこれで、
思い出深い運動会になるんでしょうね。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

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