滝畑ダムで車が転落死亡事故

2016年05月30日 | ランニング

マラソンをしていた頃、大阪府の南にある河内長野市の奥の奥、和歌山県との県境も近い滝畑ダムへよく行った。河内長野の市街地から山間道路を約10キロ行くとそのダムがあり、周りの景色もよく、キャンプ場も整備されて、なかなかの人気スポットだ。僕にとっても、数々の思い出が詰まった場所である。

 

    

今は廃止されたようだが、以前、滝畑ダムを周回するコースで駅伝大会が開催されていた。1周約5キロのコースで、僕たち「松原ランナーズ」のチームも、毎年これに参加していた時期があった。

この駅伝は、高校生から一般まで、すべて一緒に走る。ある時は「〇〇高校野球部」のユニフォームを着た高校生と競り合ったこともあった。中年の身で高校生と競り合うというのが、とても痛快であった。

次男が高校の陸上部に所属していて、その学校も出場した大会があった。その時、僕も出場していたので「親子対決!」と、はしゃいだものだった。

100キロマラソンにチャレンジしていた頃は自宅から、河内長野を経由して、約30キロ先となる滝畑ダムまで走った。河内長野から滝畑ダムまでは登り道だったが、これが特に脚力を鍛えてくれた。そして、駅伝の時には人で埋まっているダム周回コースもその時は人影もなく、そこを一人でトコトコ走り、また同じ道を家まで走って帰った。

その自宅から滝畑ダムへの往復約60キロランが、練習の総仕上げだった。これを完走したら準備はOK。あとは本番の100キロマラソンのスタートラインに立つだけだった。


そんな思い出深い滝畑ダムで、昨日、信じられない事故が起きた。


   
    今朝の朝日新聞の1面です。

男性6人乗りのワンボックス車が、ダム湖に落ちて、乗っていた男性6人のうち5人が死亡したというニュースが報じられたのである。

なんということだろうか。

あの辺は、そういうことが起きないよう、十分に安全にできている。車が車道から外れて、あのフェンスを破ってダムへ落ちるなど、およそ考えられないことだった。よほど異常な運転をしたとしか思えない。バーベキューをした帰りというのだから、運転手はお酒でも飲んでいたのだろうか…?

ゴールデンウィークから、ずっと車の大きな事故のニュースが続いている。車の運転には十分過ぎるほどの注意を払わなければならないことは、みんなわかっているはずなのに、毎日のように悲惨な事故が起きる。


同時に、かつてその滝畑に住んでいた〇北君という友人のことを思い出した。

彼は滝畑ダム近くのキャンプ場で、子どもさんと一緒にローラースケートを楽しんでいた時、足を滑らせて転倒し、頭を強く打った。そして、まだ30代の若さで亡くなったのである。今から30年ほど前のことだけれど、その知らせを受けた時のショックを、昨日の事故のニュースを見て、また思い出した。

本当に、世の中、一寸先は闇である。

 

 

 

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心房細動を巡る冒険 なんちゃって

2016年05月28日 | 心と体と健康と

ここ数ヶ月前から、自分が通っている病院について考えていた。何度も書くけれど、2ヵ月に一度、持病の心房細動(不整脈の一種)で、松原市の徳〇会病院へ検査と診察に通っている。

心房細動に悩まされ始めて10年余りになる。ちょうど今から10年前の2006年6月の仕事中に、脳梗塞の一歩手前である「一過性脳虚血発作」に襲われて、右半身がしびれ、ろれつが回らなくなった。

これは、心房細動によって血液の流れが滞り、血のかたまり(血栓)ができて、脳まで流れて血管を詰まらせたのである。状況次第では脳梗塞になっても不思議ではなかった…と医師に言われた。そしてそれ以後、血液をサラサラにするワーファリンという薬を飲むことになり、8年前からこの徳〇会病院で診てもらっている。薬が効きすぎると逆に脳出血などを誘発するので、薬の量を調整するために2ヵ月に一度血液検査をして効き具合をチェックし、あとはいつもどおりの薬をもらう…というのが、病院通いの主な目的である。

心房細動を予防する薬もずっと飲んでいるけれど、それで心房細動が治るわけでもなく、今でも発作に見舞われることはしばしばあるので、その経過も医師に報告し、あまりに症状がひどい時は病院に駆け込み、点滴を受けて収めてもらうことも何度かあった。そんな経緯をたどって、もう8年が過ぎた。最初に診てもらっていた医師が、僕の症状をよく理解してくれ、いつも的確なアドバイスをしてくれていたのだが、その医師が他の病院に移ってしまわれ、担当医が変わった。新しい医師は若くて柔和な人だったが、何となく頼りない感じだった。そこで、以前、その信頼していた医師が他の病院へ移るときに言った言葉…

「この病院はお家からも遠いですし、待ち時間も長いので、この際、お近くの開業医のほうで検査と薬処方をしてもらったらどうですか?」

と勧められたことを思い浮かべた。その時は今のままで…と答えたが、最近になって、やはり近くの医院に変わったほうが何かと便利だと感じ始めた。ちょうど駅前に循環器専門外来の看板を掲げる医院があり、妻も健康診断などを受けており「いい先生よ」と言っていたので「よ〜し、そこに変わろう」と決めた。

そして徳〇会の担当医に、その医院宛の紹介状を書いてもらったのだった。

ちなみに、この紹介状というのは、封筒の宛名が、
「〇〇医院 〇〇先生御侍史」と書かれています。
「御侍史」とは独特の書き方ですね。

さて、その紹介状をもらったのが先週だった。ところが…

近いうち、それを持って駅前の医院に行こうと思っていた矢先のこと。

24日の火曜日のことだった。午前中プールで泳いだ後、帰宅して昼食をとってから、脈拍がほんの少し不規則になってきた。「やれやれ、またか」と思いながらも、横になるほどでもないので、近くの図書館へ行った。しかしそこで、かなり息苦しくなってきた。慌てて帰宅して横になったが、いっこうに弱まる気配がない。薬も余分に飲んだけれど、効かない。おまけに頭がズキズキ、ポワーンとしてきた。これはヤバイ。あの、ろれつが回らなくなった時のことを思い出した。

急いで徳〇会病院に電話をし、妻にタクシーを呼んでもらった。心臓パクパク、ドキドキ。あ〜あ、いやになるよ、まったく〜。

タクシーの運転手さんが「最短の道が混んでいるようですが、どの道を通りましょう?」と訊くので、「なるべく早く行ける道を」と返事すると、「じゃ、少し遠回りでメーターは上がりますが、空いている道のほうを走ります」と言ったので「頼みます」と答え、「いやぁ、心臓の動悸が激しくて」と僕はゼイゼイ言いながらも運転手さんに話しかけた。

「えっ、大変なんですね。救急車を呼ばれたら良かったのに」と運転手さん。
「いや、それほど大層なこともないんですけど」と僕。

あれこれ話しているうちに病院へ着いた。
気がつけば、動悸が少しマシになっていた。

病院で受付を済ませ、診察室に入った時は、心房細動は収まっていた。
「いやぁ、そういうことは、よくあることです」
診療時間外で、いつもの循環器科ではなく、内科の医師しかいなかったのだが、その医師が苦笑いして、そう言った。僕も苦笑いせざるを得なかった。


…というようなことが、今週にあったのだ。

徳〇会病院から近くの医院に変更しようとした、まさにその時、こんな心房細動に見舞われて、また徳〇会病院に駆け込んだのである。「病院を変えないほうがよかったかな?」と、チラッと思ったが、まあ、緊急事態の時はここへ来たらいいわけで、普段は近所の医院でいいやんか…

…そう言い聞かせて、その翌日、紹介状を持って、近所の医院に出向いたのである。そこで医師に過去の経緯と現況を伝えたり、医師からのいくつかの質問に答えたりして「じゃ、来月に検査をしますので、今日はお薬だけ」ということで、新しい医院での第1回目の診察は終わった。


それにしても、病院を変えたとたんに、また元の病院に駆け込むことになるとは、思いも寄りませんでしたわ。

これからも、どんな「心房細動を巡る冒険」が繰り広げられることやら。
ま、「冒険」というより、「ドタバタ」ですけどね〜

 


*8年前の8月、徳〇会病院に通い始めた頃のブログです。  

  「医師への信頼」

 

 

 

 


 

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若い女性受難の時代 アイドル刺傷事件など

2016年05月26日 | ニュース・時事

今日、いよいよサミットが開幕する。
開催地の伊勢志摩をはじめ、各地で厳戒態勢だ。

TVで伊勢神宮が映ると、去年伊勢志摩へ行ったモミィが、
「あ、伊勢や」と嬉しそうに叫んでいた。

大阪ではあべのハルカス内の近鉄百貨店が休業、
通天閣でも金属探知機による検査が行われている。
ユニバーサル・スタジオジャパンも、創業以来初めて、
全入場者を対象に手荷物検査をしているそうである。

昨日、妻が姉と大阪歌舞伎座へ五木ひろしを観に行ったが、
歌舞伎座は、伊勢志摩に通ずる近鉄の上本町駅の隣にあり、
まわりは物々しい警戒態勢だった…と妻が言っていた。

海外テロでは、サミット会場よりも大都市が狙われるそうで、
都市圏のあちこちの空港や駅のコインロッカーが封鎖され、
ホームなどのゴミ箱も使用できなくなっている。

また、久しぶりに日本で行われるサミットなので、
先日のスーパーのチラシなどには、
「ご馳走サミット 大バーゲン」と
デカデカと「サミット」の字が躍っていた。
肉や魚や野菜の大売出しにまで、
「サミット」が使われています(笑)

一方、沖縄で米軍属の男が若い女性を殺害した事件について、
昨日、日米首脳会談で、安倍首相がオバマ大統領に抗議をし、
オバマが「お悔やみ申し上げます」と「遺憾の意」を表していた。

若い女性といえば、東京でアイドル活動をする女子大生が、
ファンと称する27歳の男にライブ会場前で20数箇所を刺され、
今も意識不明の状態が続く事件も、連日大きく報じられている。

最近、特にこうした若い女性が被害に遭う事件が急増している。

これはSNS等のネットの普及が一つの要因だと言われている。

今回の、アイドル刺傷事件についても、
彼女のファンだった男が、ツィッターを通して、
1対1の関係のような気になった上での犯行とも言われる。

…時代も変わったなぁ、と改めて思うのである。


僕も高校生の頃、高石かつ枝という歌手の大ファンだった。

  
 
この歌手をご存知の方も少なくなったと思いますが…


日曜日に「コロンビア歌のパレード」という番組があれば、
どこへも出かけず(当時、録画なんてできなかったから)
そのテレビとにらめっこをして高石かつ枝が出るのを待った。
彼女が出てきた場面では、時間が止まり、僕は夢の中にいた。

そんなことで、僕は彼女にファンレターを送った。
するとしばらくして、彼女の写真入りハガキが届いた。
そこに、誰かの筆跡(ご本人ではないだろう)で、
「明星のファン投票、よろしくお願い致します」
というふうなことが書き添えてあった。
「明星」というのは、芸能の月刊誌で、当時は
この「明星」と「平凡」の2誌が代表的だった。
僕は「明星」を買い、高石かつ枝に投票をした。

あの頃はみんな、のどかで、可愛いものだった。
むろん、アイドルなんて、雲の上の存在だった。
そしてファンレターを送るしか方法がなかった。
返事なんかもらえるはずもなく、期待もしない。
手紙を送ったというだけで、満足なのである。

それが今では、今回のように、ネットを経由すると、
何となくアイドルと親しくなったような気分がファンに生まれる。

しかも今はアイドルが多すぎて、何とか売れようと、
CDを沢山買ってくれたファンと2ショット写真とか、
もっと沢山買ってくれたら一緒にお茶できるとか、
特に売れないアイドル達は、ファン獲得のために、
「接近戦」を挑んでくる傾向があるという。

そんな風潮も、
こうした事件を引き起こす原因のひとつなのだろう。

ネットの普及は、時代の流れで仕方ないことだろうけど
それが果たしていいのか悪いのか…は、また別ですよね。

それが原因で起きる犯罪や嫌がらせ、トラブルなどが、
増える一方である現実に、どう対処したらいいのでしょうか。

 

 

 

 

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中国人のマナー

2016年05月24日 | 旅行

昨日、北京のトイレでびっくりした話を書きましたが、
それで思い出したのは「食べ残し」の話です。
北京の人たちは外食の時、食べ物を残すのです。
(家の食事ではどうか知りませんけど)


北京へ旅行したのは、長男が阪大生だった頃。
長男の高校時代の同級生だった女の子が、
そのとき北京の大学に留学していたので、
彼女を訪ねて僕と妻と長男の3人で行った。

北京では彼女がずっと案内してくれた。

いろいろ驚いたことの多い旅だったが、
食堂に入ったとき、ふと気づいたのが、
他の客(むろん中国人)が食べ終えて帰ったあと、
そのテーブルには、必ず皿に料理が残っていたのだ。
あちらの食堂でも、こちらのレストランでも、例外なく。

不思議に思って、留学生のその女の子に尋ねると、
「こちらの人は食べ物を残すのがマナーなんです」
と言うので、「なんのために?」と聞き返した。

なぜ、残すのか?

彼女の説明によると…

全部食べてしまうと、
「この量では足らんじゃないか」
という意味にとられるからだという。
それでは料理を出してくれた人に失礼だ、
ということで、ある程度は皿に残しておく。
「たっぷりいただいたので、もう満腹です」
そういう意思表示らしい。
(味よりも量なんだね)

国が違えばマナーも違うんだ。

日本では、残してはいけないと教えられてきたのに。

だから僕たちも北京では、少し食べ残して店を出た。
なんだか、もったいないという感じでしたけどね。


そんな経験があったものだから、
4月に家族で京都や奈良のホテルに泊まった時、
朝食バイキングではまわりは中国人客だらけだったが、
食べ残すことが「マナー」という彼らはどうするのか?
そこに注意を払って、眺めてみた。

言うまでもなく、日本のホテルのバイキングで
食べ物を皿に残して帰るのは、少しお行儀が悪い。
少しぐらいなら仕方ないけれど、あの皿もこの皿も、
すべての皿に料理を残したまま帰るというのはねぇ。

そこで中国人観光客たちの様子を見ていたわけだが、
だいたいにおいて、ほぼ全部食べて立ち去って行った。
旅行の添乗員あたりから、注意をされていたのだろうか。
やはり郷に入っては郷に従え、だもんね。


…と、まあ、僕が見たときはそうだったけれど、
テレビの中国人観光客のマナーの悪さの一つとして、
バイキングでもいっぱい食べ残す…と報じられていた。

ふ〜む。
これは、観光団体の添乗員の指導が足りないんだろうか。
そのことを厳しく言っておけば、いくら中国人だって、
そうそう無茶なことはしない、とは思うんだけど。

昨日、中国人たちがテレビに出て、マナーについて、
日本人タレントたちと激論を交わす場面があった。

たとえば、コンビニなどで、支払いを済ませる前に、
飲み物を飲むなどする中国人観光客がいるようだが、
飲むのは会計を終えてからだろ、という指摘に対し、
「日本人はマナーにうるさすぎる」と反論があった。

中国人がマナーをわきまえないのか?
日本人がマナーにうるさすぎるのか?

お国柄が違うと、いくら熱心に議論を交わしても、
こういう話は、永久にかみ合わないんですよね。

 

 

 

 

 

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トイレ 奇々怪々

2016年05月23日 | ズレズレ草

土曜日に近郊のスーパーへ行った時のこと。
トイレに行こうと、案内マークを目印に歩いた。
やがてトイレが見えてきた。かなり前方に一人、
高齢者らしき男性がそのトイレに入って行った。

で、僕もその少し後に、トイレに入った。
そこでびっくりしたのは…

トイレの中には誰もいなかったのだ。
「あれっ? さっきのおじさんは?」

個室も全部、戸が開いている。
そのおじさんは間違いなくトイレに入ったのに、
トイレの中には誰一人として人の姿が見えない。

ぞぉ〜〜〜〜
あれは幽霊か?

いや。ひょっとして…
どこかに隠れているのでは。
そしていきなり「金を出せ!」
などと、襲いかかってこられるのでは…。
ぎゃっ、トイレ強盗!?

思わず身構え、周囲を見回し、天井まで見た。
上から襲撃してくることだって考えられる。
どこかの忍者の子孫かも知れないし…。

…と、不安に駆られていると、急に

バ〜ン

…と、一番奥の個室の戸が閉まったのである。
思い切り閉めたようで、けたたましい音が響いた。

な〜んだ。そこにいたんじゃないか。でも…
戸を開けたまま用を足すつもりだったのか?
僕の気配に気づいて、閉めたのだろうか。
それとも、うっかり閉めるのを忘れていた?

なんだか、わからないけれど。

まったくもう、びっくりするじゃないか。

でも、なんですぐにドアを閉めなかったのか。
おじさんがトイレに入ってから僕が入るまで、
時間にしたら10秒以上は充分に経過していた。

ふつう、個室に入ったら、まず戸を閉めるだろう。

そこで僕は「なんで?」と考えた。
思い当たることが、なくもない。

たとえば…
配偶者を亡くし独居老人の生活になると、

まずトイレの鍵をかけなくなり、やがて、
戸も開けっぱなしで用を足すようになる、
というようなことを、聞いたことがある。

ひょっとして、その人は独居老人なんだろうか。
で、日頃のクセが出て、閉め忘れた…とか。

あるいは、さらにひょっとして…

このおじさんは中国人だったかも知れない。
中国の北京で、トイレの個室を開けたまま、
用を足している人を何度も見たことがある。

あそこは、女性ですら開けたまま用を足していた、

と、一緒に旅行した妻が驚いていた。


ふ〜む。

独居老人なのか…
中国人の系統なのか…

…と、僕はオシッコをしながら、
あれこれ考えをめぐらせたのである。

 

 

 

 

 

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第三者の厳しい目?

2016年05月21日 | ニュース・時事

テレビを見ていた人は皆、
消化不良を起こしていたのではないか。

舛添・東京都知事のこと。
昨日の記者会見も呆れるばかりだった。
よくもまぁ、ここまでシラを切り通せるものだ。
(頭だけは、何度もペコペコ下げていたが…)

政治資金をめぐる新事実が、次々発覚する中、
記者たちから何を聞かれ、何を指摘されても、
「第三者の公正で厳しい目で調査してもらう」
と、バカの一つ覚えのように繰り返していた。

何が「第三者の公正で厳しい目で調査」なのだ。
やっていることが、すでに公正ではないだろ。

それに、自分自身の行動を誰に調査させるのか?
しかも「第三者」のメンバーは自分で選ぶという。
そういうのは「第三者」とは言わないだろう。
おまけに、いつまでに調査を終えるかも言わない。
おい、寝言を言ってるのか?と突っ込みたくなる。

日々の生活で、少しでも無駄遣いをしないようにと、
言い聞かせながら暮らしている人々は怒り心頭であろう。

舛添の元妻である片山さつき議員が、
1週間ほど前にこんなことを言っていた。

「あの人は元々ああいう人間だから、もう治らない。
 生まれ変わるしかないわね」
と吐き捨てるように言ったのだった。

つまり、あのセコくてズル賢い性癖は昔からで、
死ぬまで治らない…という意味で言ったのだろう。

その舛添が、昨日の記者会見の最後にこう締めくくった。

「今後は生まれ変わったつもりでがんばります」
と言い、深々と頭を下げて会場を去ったのである。

さすがに、これには笑ってしまった。
元妻の言葉を引用したとすれば、
これはもう、笑うしかないよね。

しかし舛添は生まれ変わった「つもり」ではだめだ。
「つもり」でなく、本当に生まれ変わらなければね。
そのためには、都知事を辞めるしかないではないか。


ところで…
参院選の投開票日が7月10日になりそうな気配だ。
都知事選挙の実施に、巨額の費用が要るのなら、
この参院選と都知事選を同じ日に実施すれば、
知事だけの選挙より、費用が少なくて済む。

そうするのが一番いいと思うんですけどね。
どうせ舛添は持ちこたえられないだろうから。

ただし、そこで立候補するのが、
今度は「そのまんま東」こと東国原英夫…

な〜んてことだけは、絶対にやめてチョー。
(これ、「真田丸」の秀吉の口調デス)

 

*おまけ

爆笑問題の太田光が、バラエティ番組で、

「“ゲスの極み舛添”ですね」と言っていた。

これこそ舛添に対する「第三者の厳しい目」でしょ。



 

 

 

 

 

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舛添は早く辞めろ

2016年05月17日 | 議会&役所

あの東京都の舛添知事はいったい何なんだ。
テレビで見ていると、常識のカケラもない。

政治資金を家族旅行にあてたことは明らかなのに、
そこで会議をしたから政治活動だ、などと言い張る。
どこの世界に、遊びに行った先で仕事の話をしたからといって、
女房や子どもたちの宿泊代まで公費でまかなう人間がいるんだ。
しかも…

「その会議にはどういう方が集まられたのですか?」
という質問には、
「政治的機微があって、プライバシーもあるので…」
と、苦しい言い訳をしてごまかす。何が「政治的機微」だ。
「何人くらい集まったのですか?」との質問にも答えない。
人数ぐらい言っても政治的機微やプライバシーは関係ない。
つまりこれは、会議を行っていないという証拠である。
政治資金を、丸ごと家族旅行にあてているのは明白だ。
そんなことはあのやりとりを聞いていたら誰でもわかる。
まったく、幼稚な説明だ…いや、説明にもなっていない。


家族旅行は「竜宮城スパホテル三日月」というところだが、
それ以外にも、8月の盆に日光へ家族旅行をしている。
これもまた、政治資金で支払っているそうである。
どこまでセコイ男なのだと呆れる。


旅行以外にも、回転寿司5万いくら、
てんぷら5万いくら、イタリアン19万いくらと…
飲み食いにも政治資金が当てられている。

これも「会議」だそうだが、
騒々しい回転寿司屋で会議をするか?
てんぷら屋でどんな会議をするんだ?
もし、したとしてもそれは雑談だろう。

また金魚や金魚の餌も購入したりしている。
そんなものを、なぜ政治資金で購入するわけ?
絵画や画材、額縁なども政治資金で買っている。


舛添という男は、何でも領収証を出させるらしい。
個人的な買い物なら、レシートで十分なはずだが。
それを、わざわざ領収証を出させるのはなぜか?
子どもと一緒に散髪へ行くと、子どもの分まで
領収証を要求された…と店の人があきれていた。

そのほかにも、自分の著書を100冊買って、
それも「書籍購入」として政治資金を充てたそうだ。

都合の悪いことがあれば、「精査して」「調べて」
を連発して言い逃れをする。実にいやらしい。

そして、あげくは領収証を全部経理担当者に渡し、
担当者が公私を分けて整理する時に間違いがあった、
…などと、責任を全部経理担当者に押し付けている。
(その人はもう高齢で今は経理から離れている)

そもそも、私的な支出の領収証まで含めて、
経理担当者に渡して、それで公私を分けさせる
…ということ自体が、間違っていますよね。
私的なものも領収証を取ってごちゃまぜにし、
経理担当者に渡すというのが何とも不思議だ。


舛添というのは元は「国際政治学者」だった。
しかし、それではあまり金にならないから政治家になった。
元々セコイ性癖だから、金に執着するところがあるんだろ。
舛添のかつての政治仲間であった人物が、テレビの取材で、
「あいつはよほどでないと金を出さない男」と言っていた。

元々、政治資金は、極端な話、何に使っても
「これは政治活動です」と言い切ったら通るらしい。
(これもまた、政治家に都合よくできた制度だ)
したがって舛添のこの件も、即違法とはいえないそうだ。
しかし、誰が見ても公私混同していることは間違いない。

そんなセコイ人間にとって、大名旅行はあこがれだったのか。
大勢のお供を連れて外国を訪問し、飛行機はファーストクラス、
ホテルは最上級のそれもスイートルーム。
「要人が来られたときに失礼だから」
というのがその理由だそうだけれど、
識者によると、要人がホテルの部屋へ来ることはなく、
要人と会うときはこちらから出かけるというのである。

かつて、ある大臣がファーストクラスで外遊したとき、
「大臣になったからと言ってファーストクラスとは…
意地汚い話だ」と舛添は言ったと伝えられている。
なのに今は自分がそれをしているんだからねぇ。
「ゆっくり寝て仕事に備えたい」というのがその理由。
それならファーストクラスの差額は自腹で払うべきだ。

以前の舛添の言葉を聞いていると、
「公金には厳しくなければならない」とか、
「東京都をクリーンにすることが大事」とか、
政治と金の問題を徹底して批判していたくせに、
なんという情けない変貌ぶりだろうか。
まぁ、彼の本性が現れたのだろうけど。

公用車で毎週別荘へ行っていたことについても、
「公用車は動く知事室ですから」と意味不明なことを口走る。
そんなえらそうなことを言っておきながら結局それはやめた。


それ以外にも、舛添には不快な言動が多い。
韓国へ訪問した際、朴槿恵(パク・クネ)大統領と
会ったときの映像をテレビで見た時は情けなかった。

2人が会ったときに、朴大統領が片手を差し伸べると、
舛添は、その手を両手でぐっと抱きしめるように握り、
ペコペコ何度も頭を下げていた。見苦しかったわ〜。

その朴から首都圏での韓国学校増設への協力を求められ、
舛添は即OKを出したが、それがまた物議を醸している。

そこは交通の便もよく、公有地としては貴重な場所で、
保育所を建てる必要があると言われている場所なのに、
韓国学校の増設のために貸すとは…

このような男に、知事としての資質があるはずがない。
百害あって一利なし…とはこのようなことを指すのだ。

1日も早く、知事を辞めさせなければならない。
ついでに、それにかかる
選挙の費用も、全部支払え。

 

 

 

 

 

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リフォーム完了でやれやれ

2016年05月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日の午前中に、やっとリフォームが完了した。
4月18日から始まり、ほぼ4週間かかった。

あぁ〜これで、やれやれ…である。
昨日は久しぶりに家族で伸び伸びした。

この家は、約25年前に建てたのだけれど、
10年後に一度外壁をリフォームしたことがある。
その時も足場が組まれ、今回と似た状況だったが、
実はその時のことを、僕はよく覚えていないのだ。
そのころ僕は勤めており、日中は家にいなかった。
だから特に記憶に残ることもなかったのだと思う。
いま思えば、ずっと家にいた妻は大変だったに違いない。

いやまぁ、それにしても落ち着かない毎日だった。
1週間目は浴室や玄関ドアなどのリフォームだったが、
2週間目から足場が組まれ、すっぽりシートに覆われた。
そして、屋根と外壁の作業が始まったのだが、
家の中は暗〜い暗〜い雰囲気に包まれ、
外が晴れなのか曇りなのかもわからず、
一時は窓も開けられない状態だった。

足場が組まれたのが4月25日で、
撤去されたのが一昨日の13日だった。
そして昨日、細かい部分の仕上げがあって、完了した。

昨日は4週間ぶりに洗濯物を外に干し、布団も干せた。
スカッと晴れた天気だったので、気持ちよかったです〜

 

   
    おとといの13日、まずシートを外すことから始まり…

 

       
     そのシートもほぼ取れて…
   (家の中がパァッと明るくなった)

 

  
    足場も撤去されて、元の生活に戻れました。

 

  

 

  

 

  

 

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13日の金曜日

2016年05月13日 | 映画の話やTVの話など…

今日は13日の金曜日である。

キリストが処刑されたのが13日の金曜日だったとか、
13番目の弟子に裏切られて金曜日に処刑されたとか、
諸々の言い伝えから、忌み嫌われる日になっている。

前回の13日の金曜日は、去年11月の13日だった。
その日、パリのコンサートホールやサッカー場などで、
同時多発テロ事件が起き、百数十人の人たちが死亡した。
ご存知のように、あの「イスラム国」の犯行だった。

そんな13日の金曜日だが、
わが家では本日、足場が撤去され、
リフォームがほぼ終了する予定である。

先月18日に始まってから1ヵ月近く経つ。
やれやれ…の13日の金曜日になりそうだ。

でも、今日は、リフォームとは関係なく、
「13日の金曜日」にちなむ話を取り上げたい。

映画の「13日の金曜日」のことである。
あの第1作は、本当に恐かった。
今でもあの時の恐怖が忘れられない。


映画が上映されたのは1980(昭和55)年の8月だった。
その後このシリーズは10作以上製作されたが、
この第1作を超えるものはない。

そこでその時の話だが(例によって大昔の話です)…

僕はこの映画の試写会を申し込み、運良く当たったので、
一人で大阪御堂筋の会館へ出かけて、その映画を見た。

試写会なので、映画の始まる前に舞台に著名な女性アナが出てきて、
この映画の成り立ちや概要を説明してくれた。

そして、気になる言葉を残して舞台を下りたのである。

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」…と。
映画のエンディングロールの途中で立ってはいけない、とのことだ。
僕はその言葉を、行儀よく最後まで見ましょう…という意味かなと思った。

そして映画は始まった。

「13日の金曜日」シリーズは多いが、
作品を重ねるごとにネタ不足になり、
とにかくジェイソンが出まくったりするのだが、
第1作目はジェイソンはほとんど姿を見せない。
その不気味さが、ますます恐怖を募らせるのだ。

ご存知の方も多いと思うけれど、
改めてストーリーを紹介しますと…


あるキャンプ場の近くの湖で一人の少年が溺れて行方不明になった。
その事故が起きたのが、13日の金曜日だった。

その後、そのキャンプ場では奇怪な事件が次々に発生し、
あげくにキャンプ指導員男女2人が何者かに殺害される。
そして、そのキャンプ場は閉鎖される…

そんなことがあってから何年か後、
そのキャンプ場が再開されることになった。
何人かの若い元気な指導員候補生の男女がこのキャンプ場を訪れた。

そして、そこでまた、その男女が次々と殺されていくのだ。
(この殺され方が、また恐い)

最後にたった一人生き残ったのが、アリスという女性だった。

恐怖の夜を過ごすアリスのところへ、見知らぬ中年の夫人が現れた。
その夫人は、以前キャンプ場の湖で溺れ死んだ少年の母親だった。
彼女が言うには、息子が溺れかかっていたとき、
キャンプ場の指導員たちは遊びほうけていて、
結局、見殺しにされて息子は死んでいった。

それを恨んだ夫人は、
2人の指導員を殺害した…。

そして今回の連続殺人も、自分の犯行である…

と、恐るべき事実をアリスに告げたのであった。

えっ? この母親が犯人だったの? と驚くアリス。
声も出ないほど、恐怖で身がすくんだ。
そのアリスに、母親が襲いかかってきた。

すさまじい格闘の末、アリスはなんとか相手を倒す。

どうにか一命をとりとめたアリス。
そして、いよいよ映画はラストシーン。

夜が開け、それまで暗かった映画の画面もパッと明るくなり、
朝日を反射してキラキラ光る美しい湖に小舟が浮かんでいる。
その小舟の中からすくっと身を起こすアリスは微笑んだ。
見ていてホッと胸をなでおろすシーンである。

犯人の女は死んでしまった。
遠くにパトカーのサイレンも聞こえてきた。
自分を救いに来てくれたのだ。

舟の中で、笑顔で両手を広げ、天を仰ぐアリス。

そしてエンディング。
出演者、製作者らの名がスクロールされる。
字ばかりの画面を見ながら、そろそろ席を立つ観客もいた。

あぁ、恐かったなぁ…
でも、最後の一人は助かってよかった。
そう思いながら、バッグを持って席を立とうとした瞬間…
スクリーンには、再び先ほどの湖の小舟の光景が映し出され、

湖の中からいきなり…
ガバっと、泥だらけの小さな子供のような生き物が飛び出し、
舟にいたアリスにからみついてギューっと首を締めたのだ。

「きゃぁ〜〜〜!」 と叫ぶアリス。
同時に観客も悲鳴をあげ、映画館全体に響きわたった。

僕も思わず「わっ!」と叫んでしまった。
椅子から転げ落ちるかと思ったほどだ。

いや〜、このときは、本当に、本当に驚いた。
もう、映画は終ったはずだったのに…

まさか、最後にそんな仕掛けが潜んでいたとは…

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」
と、試写会の最初に女性アナが言ったのは、このことだったのだ…


…と、まあ、そんな経験を、今も生々しく思い出すのだ。
僕はこれほど恐い映画のラストシーンを見たことがない。

試写会が終り、電車を乗り継いで帰途についた。
最寄の駅から家までは、歩いた。
時間はかなり深夜に近かった。
人影のない道路をテクテク歩きながら、
どうしても、今見た映画のラストシーンが頭に浮かぶ。
脳裏からそれを消そう消そうと思っても、浮かんでくる。

心臓が凍りつくような恐怖感に駆られる。
家に近づいてきて、溝のある薄気味悪い道に出た。
そこを通るのが、もう恐くて恐くて仕方なかった。
(もともと、僕は大の恐がりなのである)

僕はそこから一目散に走った。
なりふり構わず、思い切り走った。
もしかして、溝の中から…
泥まみれの子供が自分の首に飛びついてくるのでは…

ぎゃぁ〜
ぎゃぁ〜

と、心の中で叫びながら、一目散にわが家へ疾走した。
13日の金曜日が来ると、決まってそのことを思い出す。

やっぱり恐いのだ。「13日の金曜日」は。

 

 

 

 

 

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リフォームも あと一息

2016年05月10日 | 日常のいろいろなこと

自宅がリフォーム中なのと、休日が続いたことで、
ここのところ生活のリズムは狂いっぱなしである。

リフォームのほうは作業の休みは日曜日だけなので、
その日以外は、ゴールデンウィーク中も続けられた。

作業は4月18日から始まったわけだが、5月に入ってからは、
2日の月曜日には外壁を塗り替える前の壁全体の洗浄がされ、
火曜日は、窓からベランダのドアまで全てビニールで覆われた。
窓も開けられず、家全体が密封状態で、息が詰まりそうだった。

窓の格子も全部外されて、ガレージに置かれていた。
そして水曜日と木曜日の2日間で外壁が終了した。

外壁って、3回塗るんですね。知らなかった。

最初、塗られたときは真っ白で、
その上から薄いグレーが塗られたあと、
仕上げにベージュ系が塗られて出来上がり。

金曜日には密封状態が解除され(あぁ、やれやれだ)、
雨戸やガレージのシャッターをきれいに塗り替えてもらう。
しかし昼から雨が降ってきたので、この日はそこで終了。

土曜日は玄関口のタイル貼りや
風呂場の脱衣室の一部を塗装。
(これで室内の作業は終了)
その他、いろんなことをしてくれていた。

土曜日の夕方、次男のお嫁さんが息子のケイを連れて来て、
わが家で一緒に食事をしたあと、モミィがそのまま
車に乗せてもらって、次男宅へ泊まりに行った。

翌日曜日は作業のない日で、モミィもいなかったので、
妻と2人で大阪市内に出かけて、買い物や外食をした。
夜にはモミィが帰ってきて、次男の家族と一緒に夕食。

そして昨日の月曜日。
ゴールデンウィークが終わり、さぁまた普通の生活に戻る…
という日だったけれど、1日中、本降りの雨だった。
リフォームも今週中には終る予定だけれど、
昨日みたいな雨の1日では、作業もできない。
職人さんも朝に来て、資材を置くだけで帰って行った。

まだ、樋とかベランダの波板とか、
その他こまごまとしたことが残っている。

今日の火曜日は、今(午前6時半)は雨は降っていないが、
間もなく降り始めて、1日中雨…という予報である。
さらにこの雨は、明日まで残るという。

あぁ、リフォームもいよいよ大詰めだというのに…。

昨日、今日、明日といいお天気だったら、
たぶん、明日ぐらいにほとんど終っていたのでは、
と思うのだけれど、これだけはどうしようもない。

3日間も続けて雨とは、まるで梅雨のようだ。
木曜日以降は晴天が戻るという予報だけれど、
それなら、やはり今週末か、状況によっては
来週の月曜日くらいまでかかるかも知れない。


 
  玄関のドアは、まだダンボールで覆われたまま。
  


 

 

 

 

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「日本最北端」はどこ?

2016年05月08日 | 思い出すこと

2、3日前のテレビのクイズ番組で、
日本の南端から北端までタクシーで行けば100万円を超えるか?
…という問題が出ていた。「そら、超えるやろ」と僕は思った。

島を除く日本の本土最南端の鹿児島県佐多岬から、
最北端の宗谷岬までタクシーでいくらかかるか?
…という問題で、そのあと、実際にスタッフが
佐多岬からタクシーに乗り、最北端まで行った。
(テレビ局というのはメッチャ金を使うんだ

最初の料金メーターは570円と表示されていた。
そこから…

高速道路を利用して、6時間後には関門海峡に着いた。
意外と早い。この時点で料金は、11万7千円だった。
そして山陽道を行き、兵庫県から日本海側の福井へ出て、
北陸、東北と走り、青森から青函フェリーに乗った。
最北端の宗谷岬に着いた時は、出発してから数日が経っていた。

その代金は…
総距離 2,700キロ。高速代やフェリー代も含めて、

77万1,650円だった。

う〜ん。100万円は超えるだろうと思ったけどなぁ。

それにしても宗谷岬の映像はなつかしかった。
「日本最北端の地」の碑がテレビに映る。
さらに出発地点の佐多岬も思い出の地だ。

佐多岬にも、宗谷岬にも、自転車旅行で行った。

 

 

    

   
       30歳の時でした。

    
      そしてその10年前

 

    


最北端の碑は、現在は新しくなっています(ネットから)。

  

 


ところで、宗谷岬の碑には、今も昔も、
「日本最北端の地」
と記されているけれど…。
モミィの社会科の教科書には、日本の最北端は
「択捉(エトロフ)島」と書かれている。
子供たちは皆、そう教えられているのだ。

折しも安倍首相がロシアを訪問した直後でもあり、
北方領土問題は僕たちにも関心の深い問題である。

北方四島はあくまでも日本に領有権があるのだから、
正確に言えば、宗谷岬は「本土最北端」だろう。

ロシアがこの碑を見ると、
「ほら見ろ、自分たちもここが日本最北端と認めてるじゃないか」
…と言われる材料になりそうだよね(もう言われているのかな?)

僕は宗谷岬のこの碑の文を、
思い切って「本土最北端の地」に
変えた方がいいんじゃないかなぁ
…と、思ったりするんですけどね〜

「日本最北端」と言ったほうが、
言葉の響きはいいですけどね。


ちなみに、そのクイズ番組ですが、
宗谷岬までタクシーで行ったスタッフは、
またそのタクシーに乗って佐多岬まで戻るそうです。
まあ、そこで乗り捨て、というわけにはいきませんしね。

ホント、テレビ局ってお金があるんだなぁ…と、つくづく。

 

 

 

 

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「真田丸」が面白くなってきた

2016年05月06日 | 映画の話やTVの話など…

前回のタイトルが「あれから1年」というのだったので、
今回は「あれから401年」にしようと思ったのですが、
何のこっちゃわからんので、やめておきました。
それについては、またあとで。

さて、
NHK大河ドラマ「真田丸」が面白くなってきました。

一昨年から昨年にかけて、NHKBSプレミアムで、
かつての大河ドラマの名作「伊達政宗」の再放送があり、
それを1年間、ずっ〜と胸躍らせながら見てきた僕としては、
「真田丸」のコミカルなタッチはなかなかついて行けなかった。

NHK大河ドラマの魅力の一つに「重厚さ」がある。
三谷幸喜は「古畑任三郎」以来のファンだけど、
大河の脚本としてはちょっと軽すぎ…?
…という印象も拭いきれなかった。

しかも最初の頃は、幸村はまだ15歳程度で、
父の昌幸(草刈正雄)が事実上の主役であり、
真田家を取り巻く諸々の出来事が描かれていたが、
まだ、中央政権の様子を詳しく伝えることもなかった。
さらに、チャラい現代語口調の会話に違和感もあった。
「重厚さ」を期待する年齢層から、批判も出ていたし、
一時は視聴率がガタ落ちになったこともあった。

いたいこの先どうなることかと気がかりだったが、
幸村が大坂へ来てから、がぜん面白くなってきた。

最初は人質としてだったが、秀吉に気に入られて、
やがて、秀吉の近習として扱われるようになった。
そこで幸村は、当代きっての武将たちとも接する。
これらの経験が幸村の知見を養ったと言われている。

また茶々や石田三成らも登場し、展開が多彩になってきた。
とりわけ、クールな三成役の山本耕史がとてもいい。
今から関が原の戦いでの光成を想像すると胸が騒ぐ。

あのコミカルな現代語調にも、徐々に慣れてきた。
今は長澤まさみや竹内結子の口調も気にならない。
慣れとは、恐ろしいものである(笑)


で、冒頭の「あれから401年」に話は戻ります。

1615年(慶長20年)というから、今から401年前のこと。
その年の今日→5月6日に「道明寺の戦い」があった。
道明寺は、現在は藤井寺市である。…ということは、
今、僕が住んでいる付近でその合戦があったわけです。

大坂冬の陣で大坂城の外堀を埋められた豊臣軍は、
夏の陣では城から出て、徳川幕府軍と戦うことになる。
その豊臣軍が幕府軍と激突したのが道明寺の戦いだった。
この戦いで、豊臣軍の猛将・後藤又兵衛が戦死する。

その時、真田幸村の軍勢は後方の藤井寺村で奮戦するも、
他の戦闘場所での敗退もあり、天王寺方面へ撤退となる。

そして次の日の5月7日に、
幸村は天王寺で落命するのである。
さらに、その日の深夜、大坂城は陥落し、
翌5月8日に、秀頼と淀殿(茶々)が自害する。

6日に道明寺の戦いがあり、その翌日に幸村が死に、
その翌日に秀頼と淀殿が自害して、豊臣家は滅んだ。

401年前の今日と、明日と、あさっての出来事だった。

 


 
  去年はちょうど合戦から400年の年だったので、
 それを記念して、近鉄南大阪線道明寺駅の前に

「道明寺合戦記念碑」ができた(去年4月撮影)。

 

 
  その横にはこんな幟(のぼり)も。


ドラマ「真田丸」ではこのクライマックスシーンは、
終盤の11月から12月ごろの放映になるんだろうけど、
これから秀吉と淀殿の間に秀頼が産まれ、
秀吉が他界し、関が原の戦いがあり、
石田三成が捕らえられて処刑され、
西軍についた真田親子は九度山に閉居の身となり、
そしていよいよ大坂の陣が始まり、幸村が大坂に呼ばれ、
真田丸を築いて徹底抗戦を展開して、徳川方を翻弄し…

…というワクワクする展開となっていく。

お楽しみはこれからだ……ですね〜

  

「藤井寺市観光ボランティアの会」のページです。
 
http://www.fujiidera-kanko.info/volunteer/modelkosu9.html

 

 以上は今日の朝にアップしたものですが、
  いま(午後9時過ぎ)これを付け足します。

さきほど、午後9時前のNHKニュースで、
今日は後藤又兵衛の命日ということで、
兵庫県のお寺で法要が行われたことが

報じられていました。
その場所に俳優の哀川
翔が来ていました。
哀川翔は「真田丸」で後藤又兵衛役をするそうです。
収録に入るのは7月からということだそうですが、
「頑張って演じます」…と挨拶をしていました。
 

 

 

 

 

 

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あれから1年

2016年05月04日 | 日常のいろいろなこと

ゴールデンウィークと言えば、去年は大変だった。
5月4日早朝に母の入院先の病院から電話があった。
今このブログを打っている、ちょうど同じ時間帯だ。
容態が急変したとのことで慌てて病院へかけつけた。

しかし間に合わず、母は88歳で、あの世へ旅立った。

あれから、早いものでもう1年が経った。

納骨をした一心寺から一周忌のハガキが届いた先月末に、
天王寺にあるそのお寺へ行って、お経を上げてもらった。

先日、整理をしていた写真の中から、
母の若い頃の写真が出てきたので、
このブログでは初めてですが、
掲載してみました。


   
 

若い時の写真なので、母も喜ぶだろうと思います(笑)。


さて、今年のゴールデンウィークも別の意味で大変です。
4月18日から始まった家のリフォームも3週間目に入り、
風呂、玄関、屋根が終り、外壁の塗り替えが今日から始まる。

昨日は、窓という窓がすべて透明のシートで覆われて、
どの窓も開けられず、いわば家全体が密閉状態である。
窒息死してしまうのではないか…と心配になるほどだ。

昨晩は風が強かったので、家を覆うシートが、
一晩中パタパタ、ガサッという音をたて続け、
すぐそこに誰か人がいるみたいな雰囲気で、
その薄気味悪さに、何度も目が覚めた。

せっかくのゴールデンウイークだけれど、
大工さんの作業は日曜日以外毎日あるので、
3人揃ってどこかへ出かけるのは、むずかしい。

外壁の後、ベランダや部屋のドアの改修などもあって、
リフォームの全てが終るのは、1週間後の予定だ。

まだ、お風呂の脱衣室の整備も残っているので、
1階の部屋に置いてあるものを上に上げているし、
洗濯物もベランダが使えず、3階の部屋に干している。
(おまけに先日、乾燥機が故障した。トホホ)

家の中はあちこち散らかっているし、
生活のリズムも微妙に狂ってくるし…。

世間の人々の気持ちとは逆のようで恐縮ですが、
早くゴールデンウィークが過ぎてくれて、
今のこの混乱状態から抜け出したい…
と願っている今日このごろです。

 


禁酒して3日が経過しましたが、
それから不整脈は一度も出ていません。
やはり原因はコレでしたかぁ。う〜む。

 

 

 

 

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禁酒は不整脈を救う…のか

2016年05月02日 | 心と体と健康と

前田健という44歳の芸人さんが、急に路上で倒れて意識不明になり、病院に搬送されたが死亡した…というニュースが流れてから数日後、その死因が明らかにされた。前田さんには不整脈の持病があり、その不整脈が原因でできた血栓が心臓へ流れて血管を詰まらせる「虚血性心不全」だったと報じられた。突然死の中でもこのケースが最も多い、とテレビで専門家が言っていた。

僕も不整脈の持病があり、10年前の6月、仕事中に突然右半身麻痺に襲われて病院に運ばれたことがある。診察の結果、不整脈による血栓が脳の血管に詰まる「脳虚血発作」というものだったが、幸い脳梗塞には至らず、一過性で済んだ。

前田健さんの場合は、血栓が心臓のほうへ流れて血管が詰まり、心不全を起こした。不整脈は、それ自体で死んだりすることはないというが、こういうニュースに接すると、やはり油断は禁物である。

  …………………………………………………………………

さて、ここからは自分の話になりますが…

僕は今も不整脈(心房細動)で病院に通っているが、実は最近、また発作の出る回数が増えてきた。発作が出ると、心臓パクパクがひどくなって息切れがする。横になっても息切れ状態は同じで、楽にはならない。心拍数が130前後まで上がり、それはもう、辛いこと辛いこと。予防のため、朝・夕と薬を飲んでいるが、発作が出たら、頓服としてまた1錠飲むのだが、最近、その薬が効きにくくなってきた感じがするのだ。

これまでずっと、どんなに苦しくなっても、この薬を飲むと1〜2時間後には収まっていたのだが、どうやら心拍の乱れ方が、これまでと少し違う感じになってきた気もする。薬の血中濃度が高くなると別種の不整脈が出ることがある…とは医師から聞いていたが、もしかして、そうなってきたのかも。

3月末に定期検査に行った時、担当医にそのことを告げたら「少し様子を見て、ひどくなるようなら、薬を変えることも考えましょう」と言われたが、4月に入ってますますその傾向が強くなってきたように思う。

その主な原因は、たぶん…。たぶんだけど…

ビールやチューハイなどのお酒の飲み過ぎではないか、と今さらながら思うのである(そんなこと最初からわかってるやろ、と言われそうだけど)。

いや、その…弁解するわけではないけれど、たしかに飲酒は不整脈の原因の一つと一般的に言われてはいるが、僕の場合、5年前に2ヵ月間の禁酒をしたことはあるものの、それ以降はほとんど毎日、アルコールは欠かさない生活だ。欠かさないけれど、不整脈はあまり出なかった。飲んでも飲まなくても、発作が出るときは出て、出ないときは出なかった。大量飲酒した翌日も、別に何も起きず、逆に少ししか飲まなかったのに発作が出る…ということもあった。ある時など、不整脈が出始めそうになったがビールをグイグイ飲んでいるうちに収まったこともあったほどだ。とにかく、ビールとの因果関係は、ある程度はあっても、それほどでもなかったように思っていた。(ま、ビール飲みたさにそう思っていたのかもしれませんが)

しかし、今年に入って、それが怪しくなってきた。

特にこの4月は、飲む量に比例して不整脈の発作が出るようになってきた。主に、夜にそれが出ることが多い。夜中に目を覚ますと、何となく胸がザワザワして息苦しい。脈を取ると、心拍が不規則で速くなっている。で、そんな時は例によってまた薬を飲み、眠ろうとするが、なかなか寝付けない。

そんなことが度重なるようになり、とうとう一昨日から昨日にかけての夜は、ここ数年、経験したことのないほどの、辛くて苦しい一夜を明かすことになったのである。  

  …………………………………………………………………

少し長くなりますが、順を追って言いますと…

先週、24日の日曜日(「ばってん少女隊」を見た日です)に、昼も夜もビールを飲み、夜中に不整脈の発作が出た。翌月曜日の朝、発作は収まっていたが、ボケていたのか、頬っぺたの内側を噛んで血が止まらず、病院で縫ってもらう事態が起きたので、その日の夜はビールを軽く1本だけ飲んで寝た。その夜は発作は出なかった。そして火曜日の夜もビールを1本飲んだだけだったが、また少〜し調子が悪かった。

ジムの休館日だった木曜日(28日)は、昼に缶チューハイを飲み、夜もビールをかなり飲んだら、案の定、その夜中に発作が出てなかなか寝付けなかった。ま、それも夜中のうちに収まりましたが…。

その翌日の金曜日(昭和の日)は、さすがに懲りて、1滴のビールも口にしなかった。すると、その夜は調子がよく、夜中に目も覚めず、翌土曜日の朝まで快適に眠れたのだ。やはり、飲まなければ不整脈も出ないんだ…としみじみと実感した次第である。それなのに、それなのに…。

何というバカなんだ…と、その意志の弱さに自分でも呆れてしまう。

せっかく快調だったのに、翌日の土曜日は、家のリフォームが昼に終ったこともあり、家族3人で近くにある「くら寿司」へ出かけた。そこで僕は、またまた懲りずにビール中瓶を2本飲んだのだ。こうなると、もうビョーキだ。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言うが、忘れるのがあまりに早過ぎる!

しかもその日は夕食時にもビールを2本飲んだ。それで8時頃に早々とベッドに入ったけれど、目が覚めたらまだ9時半。トイレに行くのに2階へ降りると、ちょうど風呂上りの妻とモミィがリビングにいた。

僕は3階の自室に戻り、横になったとたん、グルルッと心臓に異変が起きて、また不整脈の発作が出た。「うわっ、やっぱり出たか」と後悔しても遅い。それがまたいつも以上に息切れが激しい。枕元に置いてある薬を飲み、ついでに安定剤を飲んで眠ろうと思うのだけれど、眠れない。明かりをつけ、座り込んだりうつ伏せになったり、仰向いたり横向いたりして体勢を変えてみるが、心臓パクパクは収まる気配なし。1時間経ち、2時間経ち、3時間経ち…何度脈を取っても130前後だった。

こういう経験のない人がこの症状になると、間違いなく救急車を呼んでいるはずだ。しかし僕はこれまでの経験で、収まるまで我慢する習慣が身についている。「大丈夫。不整脈だけでは死なない」と言い聞かせながらも、前田健さんのことなどが浮かび、「ひょっとして…」と悪い想像が頭をよぎった。

どれだけ悶々としただろうか。電気を消して部屋を暗くしたが、未明の3時半頃まで、息苦しくて寝られなかった。そのあと少しウトウトしたようだった。目が覚めると、窓の外が明るくなっており、午前5時過ぎだった。それでもまだ、心拍数は130前後だった。

少しでも眠れたせいか、わずかに楽にはなっていた。

僕はそぉっと身体を起こして、ベッドに座り、背中を伸ばした。ゆっくり深呼吸をすると、さらに心臓は楽になった。そのまま、姿勢を崩さず、目を閉じて、深呼吸を何度か繰り返す。数分間そうしたあと、左手で、そっと右手首を握り、脈を取ってみたら…

心拍数が下がっている。時計を見ながら脈を計ると、およそ80だった。

あぁ、よかった〜。そのままそろりと立ち上がり、2階へ下りて行った。

それが、昨日、5月1日の日曜日の朝だった。


これほど一晩中ずっと不整脈の苦しみにさらされたというのは、これまでになかったことだ。今度という今度こそ、ホントに懲り懲りである。いい加減にしておかないと、近いうち、必ず大変なことが起きる…という予感すらしてきた。これまでの、自分に甘い生き方そのものを、根本から見直さなければならない最後の局面だと心得るべきであろう。

昨日からちょうど5月が始まった。アルコールを断つしかないことは十分に分っていながら、欲望の赴くままに飲んできたことを、今さら後悔しても仕方がない。とにかく、しばらく飲まないこと。これに尽きる。今の自分の身体は、飲めば不整脈が出る、という、実に単純な仕組みになってきているようなのだ。

とにかく、やめよう。ホントにホントに、やめよう。次の定期検査は今月末である。それまで1ヵ月の間、絶対にアルコールは口にしない。そこで、不整脈がどうなるかを監察していこう。

そう決めた。決めて、今度こそ必ず実行することを心に誓った。

日曜はリフォームの人達も休みなので、昨日5月1日は、3人で、またモミィの好きな阿倍野へ出かけた。(先週の「ばってん少女隊」に続き、この日は「リトルグリーモンスター」というアイドルグループが来ていた)。

いつも外食時には必ずビールを飲む僕だけど、もちろん、もう飲まないと決めたので、モミィが以前から行きたがっていたパンの店「クックハウス」というところへ行き、焼きたての調理パンとコーヒーという、およそ今までしたことのない外食をした。(これが結構おいしかった)

夕食の時には、ビール代わりにサイダーを飲んだ。

そして昨夜は不整脈も出ず、平穏な一夜を過ごすことができたのである。飲めば出る、飲まなければ出ない…ということが、証明されつつあるわけで、今朝は気分爽快。早朝に起きて、ここまでブログを打てたのだから、やはり、うれしいものですね。「健康が一番」という、ありきたりだけど、深遠なる言葉を、いま、改めて心の中で反復しています。

当分の間「喉元過ぎても熱さを忘れず」を座右の銘にしておきます。

 

▼さて今日は、午前中は病院へ行って、先週縫ってもらった頬っぺたの内側の抜糸をしてもらいます。そして午後はモミィの、5年生になって初めての授業参観で、学校へ行きます。不整脈の出る幕など、ないようにしなければね。

 

 

 

 


 

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ばってん少女隊

2016年04月30日 | 雑記

 〜100年に1組の逸材〜 とは


この前の日曜日(24日)のことですが…

妻とモミィと3人で、あべのキューズモールへ行った。
日本一高いビル、あべのハルカスの前にある商業施設だ。

モミィの服を買うのが主な目的だったが、
食事をした後、僕はショッピングには加わらず、
2人と離れて、一人でその辺をウロウロ歩いた。
日曜日ということもあり、大変な賑わいだった。

3階に「スカイコート」という屋外イベント会場がある。
そこを通りがかると、やたら大勢の人々が集まっていた。
そして、ノリのいい音楽と歌声が周り全体に響いていた。
はて、何のイベントだろう…と思って、警備員風の人に、
「誰かアイドルグループでも来ているの?」と尋ねたら、
「はい」とその人はうなずき、
「ばってん少女隊です」と言った。

はあ…? ばってん少女隊? 聞いたことないなぁ

ばってんとは…? ×(ばつ)点という意味か? 
まさかなぁ。そんなグループ名はつけないだろう。
では、九州の方言の「ばってん」なんだろうか…?
…などと思いながら、そういうのには割に興味があるので、
舞台の方に行こうとしたけれど、人がいっぱいで行けない。

たしかに、舞台の上で少女たちが歌っているようだが、
僕はチビなので、背伸びしても舞台はまるで見えない。
そこで、スマホを出し、両手を伸ばして写真を撮った。

それが、この写真です(ほとんど舞台は見えていませんが)

 

すると、先ほどの警備員風の男性がやって来て、
「写真撮影は禁止なので、やめてください」
と、注意されてしまった。…すみません。ぐすん。

言われてみれば、あちらこちらに「撮影禁止」と貼られていた。
(でもなぁ、こんな写真だから、ここに載せてもかまわんやろ)

そのあと舞台の横のほうへジリジリと迫り(僕もしつこいんだ)、
少〜しだけだが「ばってん少女隊」をナマで見ることができた。
もちろん、写真はもう撮らなかったけどね。

その彼女たちの舞台の背後に、
「100年に1組の逸材 ばってん少女隊」
という幕が張られていたのには驚いた。
う〜む。
100年に1組の逸材…と、自分から言うか?
キャッチフレーズだとしても、あまりにも厚かましいのでは。
まぁこういう世界は、言ったもん勝ちなのかも知れないけど。

でも、彼女たちが歌い終わったあと、
6人のメンバーを代表して1人の女の子が、
「これから6人で一生懸命がんばりますので」と挨拶をし、
いろいろと自分たちの思いを述べていくのを聞いていると、
それが実に上手で、内容も自然な感じで、とてもよかった。
「これはひょっとして、本当に、100年に1組の逸材かも」
な〜んて、一瞬思ったりね〜。あはは。
年をとっても、いつまでも、ミーハーな僕です。

帰宅してから、あらためてネットで
「ばってん少女隊」を検索してみたら、
福岡を拠点に活動するグループだった。
メンバー6人の平均年齢は14歳とのこと。
(モミィと4歳しか違わないんだ)

デビュー曲は「おっしょい」という曲で、
僕が聴いたのもこの歌だったのだろうか。

そのデビュー曲が4月20日に発売され、
その時のキューズモールでのイベントは、
発売記念ツアーの最終日だったそうである。

その時に撮れなかった写真がネットに出ていたので、
それをお借りして、ここに載せます。

 
  背後に「100年に1組の逸材」という文字が見えています。

 

それにしても、これだけアイドルグループが増えると、
どれがどれなんだか、さっぱりワケがわかりませんね。

ネットで探ってみると、この「ばってん少女隊」は、
スターダストというプロモーションに属しているという。
そこに所属する他のアイドルグループの名前も出ていたが、

ももいろクローバーZをはじめとして、

私立恵比寿中学
チームしゃちほこ
たこやきレインボー

な〜んていう面白いアイドルグループ名が並んでいた。
業界もいろいろ苦心惨憺、知恵を絞っているんだねぇ。

まあ、たまたま通りがかったところで
「ばってん少女隊」に出会ったのも、
何かの縁かも知れない。
応援してあげよう。

がんばってくださ〜い。

 

 

 

 

 

 

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