気の毒な話

2017年02月26日 | 日常のいろいろなこと

週に4日、駅前のフィットネスクラブ「コスパ」に通っている。木曜日の休館日を除く平日の午前10時頃から12時半頃まで、プールで泳いだりジムでストレッチや簡単な筋トレをしたりしている。気が進まない日もあるが、用のない限りなるべく行くようにしているのは、毎日が日曜日状態で、家の中でダラダラするのを防ぐためでもある。

何年も通っているおかげで、コスパでは多くの顔見知りも出来た。まあ、たいていは僕より年上の70歳代の人で、80歳を超えている人もいるけれど、皆さん、驚くほど元気である。コスパへ来ているから元気なのか、元気だからコスパに来ているのか…たぶん両方だろうけど、しかし中には体の不自由な人もいる。

そのうちの一人は車椅子の女性で、お父さんが僕と同い年というから40歳前後だろうか。コスパでは、プールで泳いでいる。プールサイドまで、座ったままお尻の力で前に進み、ザブンと入水するのだが、水の中ではふわふわと、独特の泳法で気持よさそうに泳いでいる。

名前はヒロミちゃんという。何年か前に偶然外で会い、「アイスクリームが食べたい」と言うので、近くのサーティワンに一緒に入って食べたことがある。またある時は、駅で(ヒロミちゃんは電車で通っている)モミィと一緒にいる時にバッタリ出会って、それから僕の顔を見るたびに、「モミィちゃんは元気?」と聞くのが口癖になっている。彼女が駅からエレベーターで降りてきた所で会うと、「押して~」とせがむので僕が車椅子を押してコスパまで行ったことも2、3回あった。これは僕に限らず、コスパの仲良しの人(まぁ女性ですが)に会ったら「押して~」と言っているようで、愛嬌いっぱいの明るい女性なのだ。

もう一人は、歩行が困難な70代後半の男性だ。毎日、ロッカー、プール、ジム、お風呂などで会い、挨拶をする。よく話しかけてこられるが、僕がそれに答えても、その人は耳が遠くて僕の言葉が聞えないらしく、また自分の話の続きをするので、会話にならない。ムツっとした表情で、誰とでも話す人ではないが、僕はその人と、もう何年も前からいろんな「一方通行会話」を交わしている(笑)。

その男性の症状は、歩く時の第一歩がなかなか踏み出せないのである。じっと立っている時は両足が震えている。歩こうとするのだが、小刻みに足踏みをする状態で、前に進まない。だから、コスパへ行くエレベーターでも、みんなが乗って、その人が入ってくるのを待つのだが、小刻みな足踏み状態でその場から動けず、かなりの間、エレベーターの中の人たちは待たされる。本人はムッツリとして物も言わないので、急いでいる人は眉をひそめたりしている。その足踏み状態から一歩を踏み出すと、もう、まったく足の悪い人には見えず、ちゃんと歩く。階段の上り下りもできる。そんな状態で、プールで水中歩行や、ジムでストレッチやバイクこぎなどに精を出しておられる。

しかし、歩くのがいったん止まったら、次の一歩には時間がかかる。だから、ロッカーの狭い入口で、靴を脱いだ後や履いた後などに、ずでんと転倒することが多く、いつも入口近くのロッカーで着替えている僕は、そんな姿を見て、驚いて走り寄ったことも何度かあった。「大丈夫?」と言うと、「うん、うん」とうなずく。何度もバランスを崩したり倒れたりしているわりには、ケガをされないのは幸いだった。うわさでは、要介護1に認定されている、とも言われていた。(ちなみにコスパへは電動自転車で通っておられた)

そういう身体の状態なのに、毎日のようにコスパに通っているのはえらい、と常々思っていた。普通なら家にいるだろう。しかしそうすれば、気分も滅入り、体調も崩しがちになってくると思う。こうしてコスパに来ているからこそ元気も保てる、というものである。だけど、もし自分だったら、この状態で、果たして来ることができるか、と考えると「無理!」と言わざるを得ない。陰で「よくあんな状態で来るよなぁ。ワシやったら絶対に家におるわ」と、批判的に言う人もいたが、僕は「いや、あの人はえらい」とずっと思っていた。

その人を、最近、見かけなくなった。

病気でもされているのか、と少し気になっていたが、ある時、別の人との会話の中で、「〇〇さん、やめたなぁ」と、その人の話が出たときは驚いた。「えっ、やめはったんですか?」「うん。1月いっぱいで、退会しはった」
僕はもっと詳しく聞きたかった。その話によると…

「やめたというより、やめさせられたんと違うか?」ということだった。「どういうこと?」と僕が聞くと、〇〇さんはそういう障害があるので、コスパ側が以前からやめてもらうように勧告していたという。会員の人たちから「あれは危ないで」とか「エレベーターもあの人が乗るまでずっと待ちっぱなしや」とか、いろいろな声が出ていたようである。それでコスパ側もやむを得ず勧告を出していたのか、あるいは、この施設内でもしものことがあれば責任問題にもなりかねない、とコスパ側が思ったのか知らないが、〇〇さんがやめたのは、たぶん勧告が強まったからではないか、という話だった。

そうだったのか。
もし強制的にやめさせられたのなら、気の毒なことだ。これによって、〇〇さんが外出する機会はグンと減るのではないか。外を散歩したら、車や自転車が通り抜けていくし、信号などもあるので、それこそ危険である。コスパだと、転倒さえ気をつけていれば他の危険はない。顔見知りもできて気分転換にもなる。その日課がなくなってしまったのだから。

時々、あのムッツリした顔を思い出す。
今頃どうしておられるのだろうか? 

 

 

 

 

 

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いい加減な話

2017年02月23日 | 読書

先月のことになるけれど、下重暁子さんの「家族という病」「家族という病・2」の2作を読んだ。この本の帯には「『家族は素晴らしい』は欺瞞である」とか「『幸せな家族』なんて存在しない」と書かれています。つまり、家族が心の支えだとか、家族のために、とかいうのは幻想だという話。まあ、これは少し極端な表現で、本の中身はもっと広がりを持っており、たとえば年老いた夫婦の2人暮らしの場合の「距離の置き方」ということなどが、著者自身の経験をまじえて、細かく述べられています。それでも、家族というものは、人が言うほど素晴らしいものではない、というのがこの本の基調となっています。

ここで著者は「日常の会話でも、家族の話は自慢か愚痴ばかりで、発展性がない」と書いています。う~ん、そうかなぁ。言われてみれば、僕が通っているスポーツクラブでも、特に女性の人たちは家族の話をよくするけれど、旦那さんに対する愚痴が圧倒的に多い。たいてい年齢的には退職されているので家にいる人が多く、「ずっと家にいられると息が詰まる」とか「家のことは何もせず、文句だけ言う」と奥さん方は、旦那さんに対する愚痴をこぼすのです。

あ、余談ですが、この本の中に「家族の写真入りの年賀状を送るのは幸せの押し売り」という一節がありました。毎年、モミィや自分たちの写真を年賀状に印刷している僕としては、「あんたもやで」と言われているような気になりました。来年から、ちょっと考えた方がいい?(というより、いっそ年賀状自体もやめたほうがいいかも)。な~んて思ったりしました。


さて、家庭裁判所では、家族のもめごとを「家事事件」と呼ぶそうです。その家事事件が近年特に増加して、2016年度には初めて100万件を超えるということです。この家族間のもめごとの中で圧倒的に多いのが、やっぱりこの夫婦間のもめごとだそうで、具体的には、離婚をめぐる夫婦のトラブルが数多く家裁に持ち込まれるようになった、とのことです。つまり、離婚にまで発展するほど仲の悪い夫婦がどんどん増えてきたということでしょうか。まぁ、あるいはもっと昔からそうだったけど、それが表面に出なかっただけなのか…そのへんはわかりませんけどね。

しかしそれでも最近、夫婦や親子、兄弟など、家族間の殺傷事件が多いのを見ると、たしかに家族がゆがみ合うケースが増えてきたのは事実です。これも「家族という病」の現象なんでしょうか。

ご存知と思いますが、つい先日も、こんな事件がありました。
静岡県での話。ある家庭で夫婦喧嘩がはじまり、それを見かねた長男(38歳)が仲裁に入ったところ、父親が包丁を持ち出して長男の腹や胸を包丁で刺し、重傷を負わせたという事件です。父親は64歳。夫婦喧嘩の原因は、台所に置いていたペットボトルをめぐって口論になったということだそうです。…なんだ、それは? と思うような話ですが、たぶん、「ペットボトルをそんなところに置くな」「いいじゃないの」みたいなやりとりだったんでしょうか。夫婦喧嘩って、まあ、そんなものかも知れませんが。

でも、なんでこんなことで…? そんなことでもめるんだったら、朝から晩まで口論ばっかりしていなければ、と思ったりする。これでは妻にとっては夫が、夫にとっては妻がストレスの元ということになるし、あまりにつまらないですね。それにしても、夫婦喧嘩の仲裁に入った息子を包丁で刺すとは、なんてこった、と思いますよね。

で、これも本の話ですが、ちょうど、いま読んでいるのが、三浦朱門・曽野綾子さん夫婦の対談集「夫婦のルール」という2014年に出版された本です(朱門さんは先日亡くなられましたが)。そこで妻の曽野綾子さんがこんな意味のことを言ってます。

元々夫婦は他人だから、100パーセント理解などできない。夫婦の価値観が違うのも当たり前の話で、価値観の違いで離婚するというのなら、何度結婚しても離婚しますよ(笑)。で、ほとんどのことは「たかが」でいいのでは。「たかが」と思うと落ち着いて相手を見られる。夫婦だって他人同士だって、そう思っていれば、ぶつからずに済む。自分もいい加減だけど、あいつもいい加減だよな、と仲良くなる。そう考えると、いろんなことはそんなに難しいことじゃないんです。

と、まあ、そういうことでした。ペットボトルが台所に置いてあっても別にかまわないわけで、そんな細かいことがいちいち気に触っていたら神経が持ちませんね。つまり、曽野綾子さんが言われるように、いろんなことがあっても「たかが…」と思い、「いい加減」に考えていたらいいんだと思います。

これまでの人生をいい加減に過ごしてきた僕ですから、この言葉には大いにうなずけます。

ちなみに、僕たち夫婦間には、もめごとはありません。

と、こう書けば「家族という病」の下重暁子さんから、「それが家族自慢なのです。そんな話、何の発展性もありません!」って言われますよね、きっと。

 

 

 


      

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

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英検3級二次試験

2017年02月21日 | モミィの成長日記

おとといの日曜日、モミィが英検3級の二次試験を受けた。1月22日に一次試験があり、その結果が2月3日に発表され、無事に合格することができた。去年6月から数えて3度目のチャレンジでの一次試験合格だった。そして今度は二次試験だ。当然ながら、これに合格しなければ3級の資格は得られない。

試験会場は一次試験と同じプール学院中等学校・高等学校。
大阪環状線で天王寺から2駅先の桃谷駅で降りる。

この日は穏やかで暖かく良いお天気だった。3人で家を出てプール学院に着くまでモミィはずっと「緊張するわ~」と言いっぱなし。「大丈夫やろ? ECC塾で先生とバッチリ練習を積んできたんやろ?」と言うと「まあ、そやけど…」とヘラっと笑う。本当に緊張しているようには見えへんで。

二次試験は、試験官と1対1で面接形式の試験である。もちろん、部屋に入ってから出るまで、全て英語でのやりとりで、試験官が口頭で質問したり、イラストを見せて質問したりという形式なんだそうだ。

プール学院に着いた。「こちらで~す」とガードマン風の人が指さす先は、礼拝堂だった。プール学院は「キリスト教教育」というのをひとつの特色としている学校だ。その礼拝堂の入口で受付が行われていた。先日送られてきた受験票と、一次試験の時に使ったモミィの写真入りのカード、そして身分証明書(健康保険証でOK)を提示した。「何級ですか?」と聞かれ、僕はとっさに「準2級です」と答えてしまった。なぜなら、最近モミィはずっと次のターゲットである準2級の勉強をしていたので、ついそれが頭に浮かび、間違ってしまったのだ。横からモミィが「3級やで~」と言い、「あ、すみません。3級でした」と受付嬢に言い直した。受付嬢は笑って「ではこの袋に受験票等を入れてそちらの方に行ってください」と言ったので、思わず「サンキュー(3級)!」と、ダジャレを言ってしまった。アホやがな、こんな時に。


   
   この礼拝堂にズラッと並んで座り、順番を待つ。
   (写真はプール学院のホームページのものです)

 
礼拝堂の中は、ほとんどが中高校生のようで1人で来ているが、小学生ぐらいの子には、僕たちのような保護者が同伴している。係員が受験生に、試験の注意事項の書いたものと、そのあと、住所や氏名を記入して面接官に渡す用紙を配って歩く。モミィがそこに必要事項を書き込み、順番を待った。「あぁ、緊張するわ~」とまたモミィが声をひそめてつぶやく。「大丈夫だって」と妻が元気づける。

前の方から順番に、15人程度を1グループとして呼ばれ、廊下へ出てゆく。やがて順番が来て、僕らも廊下へ出る。ここからは受験者のみで、保護者は別の場所へ行って、試験が終わるのを待つのである。

妻と2人で、どれくらい待っただろうか。ポツポツと受験生たちが戻ってくるが、モミィは後ろの方だったので、なかなか姿を見せない。

僕が学校の正門に近いロビーのようなところで、空いていた椅子に座っていると、「すみませ~ん。ちょっと座らせてもらえますか」とガードマンが女子中学生らしき女の子を抱えるように近づいて来た。この子はどうやら身体の具合が悪いようで、足がふらついている。その子を座らせて、ガードマンは保健の先生を呼びに行った。その子はマスクをしていたが、目にはいっぱい涙を浮かべ、全身をぐったりさせながら泣いていた。朝から体調が悪かったのかも知れない。しかし試験があるので無理をして出てきて、試験が終わったあと、精根尽き果て、玄関で倒れたのだろうか。やがて保健の先生が来ていろいろ聞き、その子の家に電話をしてあげていた。モミィは元気で試験を受けられただけでもよかった、と、その子を見ながら思った。

やがてモミィが戻ってきた。「まぁまぁやったわ~」と言って、やれやれという嬉しそうな表情を浮かべていた。

学校の門を出て歩きながら、モミィに試験の様子を聞いた。1人5分程度の質疑応答があったそうだ。部屋に入るとき、先の人たちがみんな「メイ・アイ・カム・イン?」と言っていたので、自分もマネをしてそう言って中に入ったという。そんな話から、試験官からのいろいろな質問。たとえば、買い物は好きですか? どんなものを買いますか?という質問には、「はい、好きです。本を買うのが好きです」と英語で答えた、などと話してくれた。その話を聞きながら、まぁ大きなミスさえなければ二次試験は合格する、という話なので、大丈夫…かなぁと思った。

最後にモミィが「試験が終わってサンキューと言って出口に行って、ドアを開ける時、試験官のほうを振り向いたら、わたしの顔を見てニコッと笑った」と言ったので、「あ、それやったら大丈夫や。合格でしょ」と、僕も何の根拠もないことをお調子よく言ったものだった。

ということで、この結果は今月末の28日、午後3時以降、ネットで発表されることになっています。あと1週間。その日がまた楽しみになってきました。

 

 

 

 

 

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京都府立医大病院事件とハヤシライス

2017年02月18日 | 思い出すこと

京都府立医大付属病院が、暴力団の組長の虚偽診断書を作成したという容疑事件の報道を毎日見ているうちに、ふと、遠い遠い記憶がよみがえってきた。もうすっかり記憶の奥底に埋もれていたような記憶ですが。

僕は京都市上京区で生まれ、幼稚園の途中までそこで過ごした。そのあと、母に連れられて大阪に出てきたわけですが、小学校の休み期間に入ると必ず、自分が生まれ育ち、祖父母もいる京都の家に遊びに行き、休み期間中のほとんどをそこで過ごした。そんな頃の思い出です。

京都の家は自転車屋だったので、祖父は1日中、店…つまり家にいた。そして、初孫でもあった僕をとても可愛がってくれて、自分の用事でどこかへ出かけるときは、よく僕も一緒に連れて行ってくれた。それはいいのだけれど、祖父は持病(たぶん糖尿病だったような…)があって、定期的に病院へ通っていた。その病院へ行くのも、僕を連れて行くのである。ジイちゃんも病院ぐらい一人で行けばいいのに…とは、小さかった僕は思わなかった。いや、むしろ僕はその日が楽しみだったのだ。なんで…?

それは、祖父が病院の診察を終えた後、帰りに食堂に連れて行ってくれるのが楽しみだったのだ。病院のそばの食堂で、必ずハヤシライスを注文してもらって食べた。その店のハヤシライスが、当時の僕にとっては、この世の中で一番おいしい食べ物だった。

祖父が「今日は病院の日やで。一緒に行くか?」と聞いたら、もちろん僕は「行く行く。ハヤシライスやろ」と返事をしていたに違いない。病院では、待合で座っているだけで面白くもなんともなかったと思うのだが、帰りのハヤシライスは決して逃してはならないのだ。そしてその病院の名前が「府立病院」だった。祖父がいつも「“ふりつびょういん”へ行くで」と言っていたのを思い出す。あれは正式には「府立医大付属病院」だったんだなぁと、いま初めて知ったのである。

そんな古い昔の話を、今回の同病院の偽診断書容疑事件が報じられたことで、思い出した。ハヤシライス→府立病院、という連想で思い出したわけである。それにしても、昔、祖父が通院していたあの「ハヤシライスの病院」が、これほど大きなニュースとして突然自分の目の前に登場してくるとは。…ホントに驚いた。

病院の近くにあったあのハヤシライスのおいしい店は、今もあるのだろうか? なくなっているだろうな、たぶん。

夢になりかけていたような遠い記憶が、何かの拍子でよみがえる…という、ひとつの例でしょうか。ちなみに僕は、今はハヤシライスはあまり食べません。カレーライスのほうが断然好きですから。(ごめんね、ハヤシライスさん)

 

 

    
  祖父は僕が12歳の時に亡くなった。


   
このころの僕はハヤシライスが大好きだった!

 

 

 

 

 


 

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バレンタインデー

2017年02月15日 | 日常のいろいろなこと

昨日はバレンタインデーということで、モミィも学校や塾の友だちとチョコレートをあげたりもらったりしていた。

自分で作ったチョコレートを友だちにあげるのを「友チョコ」というそうだ。モミィも、12日の日曜日、妻に沢山の板チョコを買ってもらい、それを溶かして型に流し込んで固め、それに飾りをつけたりと、奮戦しながらおしゃれなチョコレートを作っていた。そして、出来上がったのを友達にあげるのである。「時代も変わったなぁ~」と、思わざるを得ない。

僕などは、バレンタインデーといえば、女性が、想いを寄せる男性にチョコレートをあげる「本命チョコ」と、職場の人たちへの形ばかりのプレゼントとしての「義理チョコ」の二通りしか知らない。でも今は、この「友チョコ」や、自分へのご褒美としてチョコを買う女性が多くなっているということだ。

つまり、まあ、チョコを介して男性に愛を告白するなんて、もう今の時代では古くさい、ということなんでしょうね。それよりも、チョコレートそのものを、女性同士で楽しむようになってきた…と言えるでしょうか。

僕も仕事から離れて8年近くなるけれど、あの、職場の「義理チョコ」という習慣は、今も続いているのだろうか? 昔は、2月14日になると、女子職員たちがチョコレートの束を抱えて、職場のあちらこちらの人たちに配って歩いていた。そして、1か月後のホワイトデーには、今度は男子職員がお返しをする。

この「義理チョコ」は、女子職員も、渡したくもない相手にチョコを渡すことだって、あるだろう。もらうほうも、もらったからにはまたお返しをしなければならない。そういう習慣は、なんだかなぁ、と僕はず~っと思っていた。

ある年には、職員組合が発行する新聞に「贈ったり返したり…もうやめたら?」という記事を書いたことがある。しかしそんなのは焼け石に水。そうした風潮は一向に収まる気配はなかった。

そういう時代だったんだけど、最近は「職場事情」というのを知らないので、まだそんなことが続いているのか、すっかりなくなったのか、わからない。たぶん、なくなったのでは…と思っているけれど。

余談ですが、
去年末、ロサンゼルスへ行く前に、少し「予習」をしようと、ロサンゼルスを舞台にした映画を、DVDを借りていろいろ見た。これまで見たことのある映画も多かったが、たとえば「ビバリーヒルズ・コップ」の三部作や「LAコンフィデンシャル」「プリティウーマン」「イエスマン  “YES” は人生のパスワード」「シティ・オブ・エンジェル」をはじめ、数々の作品を見た。

その中のひとつに、「バレンタインデー」(2010年)という映画があった。子どもから高齢者まで、ロサンゼルスに住む沢山の登場人物が、バレンタインデーに愛を告白したり確認したりしようと、それぞれ一生懸命になるお話で、全編一貫したストーリーではない。つまり短編小説集のようで、映画自体も軽めの映画なんだけど、そこに描かれていたのは「愛」をめぐるさまざまなエピソードだった。チョコレートとはあまり関係がない。一方、日本のバレンタインデーというのは、チョコレートの会社の派手な宣伝一色に塗りつぶされ「バレンタインデー」→「チョコの日」みたいになってしまっている。

モミィたち小学生の女の子同士が、自分で作ったチョコを友達に渡し合っているのを見たら、それはそれで楽しそうで、微笑ましいとは思うんですけどね。

世間は少しずつ変わってきている…というのは、こういう流れひとつを見ても、何となく感じます。まあ、何かあるごとに「あぁ、世の中も変わってきたなぁ」としみじみ思うのは、年を取ってきた証拠…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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18歳松野莉奈さん 不整脈で急死

2017年02月12日 | ニュース・時事

毎日毎日、寒い日が続きますね~。ぶるぶる。

今朝の7時のNHKニュースの冒頭でも、西日本の日本海側の大雪の様子が映し出されていた。そして最初に出た映像が、鳥取県倉吉市の様子だった。倉吉といえば、去年の夏休みに家族旅行で行った所で、思わず画面に見入ってしまった。

今年は各地で積雪がすごい。大阪に住んでいると、雪の降るのは年に数回、それもパラパラっと一時的に降るだけで、ごくたまに薄く積もるときもあるけれど、そういうのは何年かに一度だ。モミィはテレビを見ながら「いいなぁ、雪が積もっていて」とのんきなことを言っているが、実際に住んでいる人たちは大変であることは、新聞テレビ等の報道で十分にわかる。除雪作業ひとつにしても、ものすごく体力を消耗するだろうし、高齢者の方がスコップを使っている姿を見ると、「う~ん、大変やなぁ」と、テレビに向かってつぶやく。そして、大阪は豪雪もなく、大きな地震も、大型台風やケタ外れの豪雨などの自然災害もほとんどないので、しみじみ有り難く思うのです。まあ、この先はどうなるかわかりませんけど…。

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ニュースと言えば、積雪のニュースと同様に、連日報じられているもうひとつの大きなニュースがトランプ米大統領の「言動あれこれ」であり、今はそのトランプさんと安倍総理の会談が焦点になっていますね。

それにしても、トランプという人は、大阪人から見ると、生粋の「商売人」である。自分の商売のことしか頭にない、という感じだ。だから政治家としては、なじまない言動を繰り返してきているのだろう。まあ、見ている方も今では慣れっこになり「あ、また、たわけたことを言うてるわ」みたいな印象である。

そんなトランプさんに対し、安倍さんがとても仲良くしている姿には、さまざまな見方があるようだけど、安倍さん自身も、トランプさん個人と仲良くするというより、アメリカと仲良くするという意味でそうしているだけで、相手が誰であろうと同じような調子で接するのだと思う。ですよね? それでも、トランプさんという人物は、これからどんなことをやるんだか、甚だ心配である。

 

   
   モミィが読んでいる小学生新聞にも一面で。

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最後に、「エビ中」と呼ばれるグループのメンバーで、松野莉奈さんという18歳のアイドルが8日に急死したというニュース。僕はそういうグループがあったことも知らなかったけれど、18歳という若い子が亡くなったのが衝撃だった。

最初は事故かと思ったが「病死」とのこと。何の病気かは不明だった。しかし急死だから、元々病気がちだったり療養中ということではなかったはず。そして10日に所属事務所から、彼女の死因が「致死性不整脈の疑い」との発表があった。あくまでも「疑い」ということだったが、これが事実だったら彼女は不整脈で死んだことになる(ただし「致死性不整脈」という病名は聞いたことがない)。

不整脈には僕も10年間以上悩まされ続け、最近も特に発作の頻度が高くなってきているところだが、18歳の少女がそんな不整脈で亡くなるとは、にわかには信じがたいことであった。

しかしまぁ、不整脈と一口に言ってもいろんな種類があり、症状がある。僕の場合は「心房細動」と言われるものだ。心臓の上半部にある心房の部分が規則的な収縮を行わず、その各部の筋肉が無秩序に収縮する状態で、心拍が乱れ、動悸が激しくなる。発作時は、個人差はあるだろうけど、僕はかなりしんどいです。

それともうひとつ、心室細動というのがある。
そして、こちらの方が圧倒的に重篤なのである。

心臓の上半部が「心房」で下半部が「心室」となっており、心房から心室へ血液が送られるわけだが、心房細動は「命に別状はない」のが定説で、僕など医師から「大丈夫です。死にませんから」と何回言われたことか。

しかし心室細動はそんな程度では済まない。発作が出たら、心臓から血液が送られなくなり、意識が遠くなり、そして呼吸が停止し、死に至ると言われている。15年ほど前、高円宮(たかまどのみや)親王がスカッシュの練習を行っていた時に急死されたことをご記憶の方も多いだろう。47歳だった。原因は心室細動ということであり、つまりそれほど怖い不整脈なのである。

今回の松野莉奈さんも、事務所の発表どおりなら心室細動で亡くなったことになる。18歳。本当に、お若いのに…。お気の毒なことです。

 

 

 

 

 

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モミィとの珍問答

2017年02月10日 | 思い出すこと

昨日、このブログに「モミィちゃん、大きくなってますね~~」とのコメントをいただいた。僕が初めてブログというものをネットに載せたのが2005年の7月か8月だった。それから数ヵ月して、モミィが生まれた。そのあと、ブログはいくつか変えたけれど、時々モミィの写真を載せていたので、そういう写真をご覧いただいていた方は、やはり最近の写真を見ると「大きくなった~」と思っていただけるわけですよね。

先日、昔のモミィのことを書いた日記を読み返していたら、モミィの4歳の頃の話が出てきたので、懐かしかった。その頃のモミィは、何を見ても「なんで? なんで?」を連発する子だった。

ありますよね。子どもには、何でも疑問に思って手あたり次第「なんで?」って聞く時期が。

モミィが4歳の2009年(平成21年)の12月のことである。

僕は翌年の手帳を買おうと思って、駅前のジャスコへ行こうとした。部屋で遊んでいたモミィに「一緒に行く?」と声をかけると、「ええよ」と言って、ひょこひょことついて来た。

モミィを自転車に乗せ、ジャスコに到着し、手帳を買うために「本屋さんへ行くよ」と言った。書籍売り場は4階にある。そちらへ向かうと、「本やさんへ行くの?なんで本やさんに行くの?」と言う。4歳のモミィは、元々よくしゃべるけれど、最近やたら「なんで?」を連発する。たとえば、「なんで電信柱があるの…?」 とか、「なんで坂道って、あるの…?」 とか、次々と難問を発する。

この時も「なんで本やさんに行くの?」と聞くので、「手帳を買いたいねん。だから本やさんに行くわけ」と答えた。 

すると、「本…って、なんで本と言うのん?」とまた難しいことを聞く。
「本はね…、昔から、本て言うねん」…自分でも何を言っているのやら。

「そしたらね、本やさんの、やさん、って何のこと?」
「うぅ…。何かを売っているのを『や』と言うて、それに『さん』をつけるの」
「何かを売っているところが “やさん” なの?」
「そうや。お肉を売っていたら、お肉やさん。魚だったら、魚やさん」
と会話をしながら、洋服売り場の前を通ったら、
「そんならここは服やさんやねぇ」と言う。
「当たり~ わかっとるがな。えらい、えらい!」

次に、手相を見るコーナーの前を通った。
大きな手のひらの絵が描かれた看板がかかっている。
お客は誰もおらず、ひとり手相見らしきおばさんが、ちょこんと座っている。

モミィは、手の絵のある看板を眺めたあと、僕のほうを向いた。 
そして、大声で、
「ここは『おててやさん』やなぁ。おてて、売っているんや」

僕は思わず周囲を見まわした。そして、声を潜めてモミィに言った。
「おてて? 手…?  まさかぁ、手は売ってへんわ。手相やがな」
「手相…? 『てそう』って何…?」 
「え~っ? 手相か…? 手相言うたらなぁ…」
と、僕はしどろもどろになりながら、言葉を探す…。
「あぁ、誰か、かわって~!」と心の中で叫びながら。

この当時のモミィとは、ずっとこんな調子の会話が続いたものである。

ところが最近では…

去年から普通の新聞と併せて日刊の「朝日小学生新聞」というのを取っている。何でも文字があれば読みたがるモミィなので、妻が社会の学習の一環として取ってやった新聞だが…

あるとき、モミィはその新聞を読みながら、僕のほうを向き、
「ねぇ、『だんじょかくさ』(男女格差)って何?」
というような質問をしてきたのである。日本は、諸外国に比べてまだまだ男女格差が大きい、という記事を読んでのことだろうけど。

「おてて、売ってるの?」という質問から7年経った今、こんな「男女格差って何?」みたいな質問が飛び出すのです。

ホント、早いですね~ 子供の成長というのは。


 


   
     モミィ4歳の頃(2009年12月撮影)。

 

 

 

 

 


 

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英検3級の結果 出ました

2017年02月04日 | モミィの成長日記


先月22日に行われた英検の一次試験の合否結果が、昨日の午後3時から、英語検定協会のホームページで発表されました。

モミィにとっては3度目のチャレンジとなった3級受験でしたが、直後の自己採点では、たぶん合格…という結果を得ていたので、昨日という日が待ち遠しかったです。

で、僕はこの日、午前中はスポーツクラブに行って「金曜ヨガ教室」やら何やらとしながら過ごし、1時過ぎに帰宅して、食事をしたあと、ひたすら3時になるのを待っていましたが、待ちきれず、5分前に試しに英検サイトにアクセスし、英検IDとパスワードを入力すると、もうすでにモミィの結果が出ていました。

そして、画面を見ると…「合格」の2文字が目に飛び込んできました。

それを見て、「あ~、よかった」と胸をなでおろした次第です。

前回は合格基準まであと一息というところでしたが、今回の得点は合格基準を少しだけ上回っての合格、ということでした。二次試験(面接)は今月の19日に行われるので、それに合格しないと3級の資格は得られませんが、とにかくモミィにとって難関だった3級の一次試験に合格したことは何よりでした。ちなみに、一次試験に合格したら、二次試験に落ちても合格から1年間は一次試験が免除され、二次試験だけ受験できるそうです。

さて、3時15分ごろ、ECC塾の先生から「どうでしたか?」という電話がありました。「合格でした。ありがとうございます」と報告しました。「あぁ、よかった~!」と、先生は大喜びをしてくれていました。

この女性の先生がとても熱心な方で、モミィはマンツーマンで教えてもらっていました。ECCと言っても、出来てからまだ間もない新しくて小さな塾なので、生徒数もそれほど多くなく、塾の経営者であるこの先生は、モミィに期待をかけて、実に親身になって指導してくださったようで、それは、モミィの話を聞いていても、よくわかりました。

電話で僕から報告を受けた先生は「では二次試験と、そして次の準2級に向けて、しっかりやっていきますので!」と声を弾ませながら、何度もご自身に言い聞かせるように「よかったよかった」を繰り返しておられました。

その後、学校から帰ってきたモミィに合格を伝えると、「やった~」と歓声をあげました。昨日は節分だったので、夜は手巻き寿司でお祝いをしました。

去年の6月と10月の2度、3級にチャレンジして、いずれも不合格でしたが、今回、文字通り「三度目の正直」が実現しました。

なんだか、まだ二次試験が残っているのを忘れてしまいそうですが…。

 

 

   

お正月の初詣のときに、
「英検合格できますように」
と書いたモミィです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中学受験に向けて 

2017年02月02日 | モミィの成長日記

2月に入った昨日から、モミィが新しい塾へ通い始めた。これでモミィは、月曜日から土曜日まで、すべて塾通いで埋まってしまうことになった。

いま通っているECC英検コースの塾が週2日あり、新しい塾が週3日、残りの1日は、モミィが自分の意思でECCへ行って自習室で学校の宿題をしたりする。それで月~土曜日が埋まる。そして日曜日は、幼稚園の頃から通っているスイミングスクールへ行く。つまり、週7日間のすべてに予定が入っているということになる。何の予定もなくヒマだらけの僕とは大違いである(笑)。

モミィは昨日、初めて行った塾について「楽しかったわぁ。友達も2人できた」と、帰って来たとたん、声を弾ませていた。小さい頃から、スイミングをはじめ、ヤマハ音楽教室、ECC、ダンス教室、体操教室、キックベースなど、数々の習い事や運動に通っていたが、出来る出来ないは別として、行くのを嫌がったことはほとんどなかった。

2人の息子たちが小学生の頃は、2人とも大好きなサッカーばかりで、あとは習字教室や「くもん算数教室」というところにチョコっと通っていたのは覚えているが、モミィのように喜んで通っていたということはなかったと思う。

また僕自身も、小学生の頃、母親に「あんたは字が下手やから字を習いなさい」と近所の習字教室に連れていかれたけれど、行ったその日に、途中で逃げて帰ってきて、家で母親に叱られたことを覚えている。(そのせいか、いまだに字は下手くそですわ)。でもね、嫌いな学校で息の詰まる思いをしたうえ、帰ってからも習い事みたいなところへ「なんで行かなあかんねん」という気持ちが僕には強かったわけです。ま、だいたいが怠け者ですから。

その点、モミィはどんなところに行くのも嫌がらないし、逃げて帰ってきたりもしないので、保護者の立場としては助かります(今から思うと、母には悪いことしましたけど)。


新しい年になり、5年生としての最後の学期が始まって、4月には6年生になる。勉強や塾に関することはすべて妻がモミィと相談しながら進めてくれているけれど、どうやら、中学受験にチャレンジするようだ。今年から大阪府下で初めてという公立高校の中高一貫の制度ができた富田林高校と、塾の先生がお勧めの私立の〇〇中学校の2つを視野に入れて、1年間、モミィはその受験勉強に励むという。と同時に、英検のほうも、明日、3級の一次試験の結果が出るけれど、これに合格し、19日に行われる二次試験も通れば、次は準2級にチャレンジ。ECCの先生は「大丈夫、絶対に6年生のうちに、準2級に合格させてあげるから」とモミィに言ったそうである。なんとも心強い先生ですね~

聞くところによると、女性の基礎代謝は12~14歳ぐらいがピークなのだそうだ。モミィも今年の秋に12歳。心身ともに伸び盛りの年齢になる。結果はどうあれ、あらゆるものを吸収しながら、充実した時間を送ってほしいと願うばかりです。

 

 

 

 


 

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伊藤美誠選手のコーチ・大内先生からの贈り物

2017年01月29日 | 日常のいろいろなこと

先日、わが家に分厚い一冊の雑誌が送られてきた。封筒の裏を見ると、差出人は「東大阪市…大内征夫」とあった。「あ、先生からだ」と僕は独りでつぶやき、玄関先で封をはがし、中に入っていた雑誌を取り出してみた。

雑誌の表紙には白髭のおじさんの写真が大きく映し出され、雑誌名は「関西卓球情報誌・TAMA」とあった。


 
 

どうやら、年4回発行される季刊誌のようである。
表紙に「人生路 ~大内征夫氏~」という字が見える。

送られてきたこの「TAMA」は、去年10月~12月の「秋号」で、この表紙の白髭のおじさんが、送り主の大内征夫先生だったのだ。

この先生のことは去年8月にブログに書いたことがある。あれはリオ五輪のすぐ後だった。同五輪の卓球女子団体で銅メダルに輝いた当時15歳の伊藤美誠(みま)選手の新聞記事を読んでいたら、彼女は大阪の「関西卓球アカデミー」というところに通っていて、彼女のコーチが「大内征夫さん」と書かれてあったのだ。それを見て、僕はびっくり仰天したわけです。大内先生は、僕の高校時代の恩師でしたが、それ以上にお世話になった方でしたから。

僕は近畿大学附属高校からそのまま近畿大学へ進んだので、学生になってからも同じ敷地内にある高校の職員室へよく遊びに行った。中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。先生が、大阪の卓球界ではわりに有名な人であることは、僕も何となく知っていた。

そして僕が大学3年生の20歳の時、北海道へ自転車旅行に行くことを伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」と言って、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。そして網走では先生の奥様のご家族に歓迎され、数日泊めてもらい、おいしいものを沢山呼ばれた。アポロ11号の人類初の月面着陸中継も、このお宅のテレビで見た。昭和44年7月のことだった。

そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、僕より8歳年上で、当時30歳になったばかりの先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」と言っていただいた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。

先生は、僕たちの結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。

う~ん、もう46年も前のことになりますね。

去年8月に新聞記事で伊藤美誠選手と大内先生のことを知った時、お祝いのハガキを出したが、お忙しい先生のことだと思うので、なかなかお返事はもらえなかったが、それが今回、卓球雑誌を送ってきていただいたわけだ。

雑誌の中でも大内先生の特集が組まれており、伊藤選手との2ショットの写真もあった。


  


そして、雑誌の中に、先生から僕あての手紙が挟まれていた。


     


大内先生らしい、簡潔ながら心のこもった文章を久しぶりに読ませていただき、懐かしい感情がこみ上げてくるのを抑えることができませんでした。

 

 

 

 

 

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英検3級 3度目のチャレンジ

2017年01月25日 | モミィの成長日記

ロサンゼルスのことばかり書いているうちに、1月も25日になってしまった。
相変わらず日の経つのは早いですね。

22日の日曜日、英語検定試験があり、モミィも3級を受けた。
今回で、これが3度目の3級挑戦となる。

英検は1月、6月、10月と、年に3回実施される。
去年の1月、モミィは4級を受けて合格した。

そして6月、3級にチャレンジしたけれど、
やはりレベルの高さに押しつぶされたか、不合格
その時のブログに、次の英検は10月、その次は来年の1月。
何とか5年生のうちに3級を取らせてやりたい、と書いた。

2度目のチャレンジとなった10月の英検は、
自己採点によれば、当落ギリギリの成績だった。
「いけるかな?」と思ったけれど、発表された結果はまた不合格
その時のブログにもまた、来年1月、5年生最後の英検で、
何とか3級に合格してほしい、と書いた。

そして、その1月の英検が、この22日に行われたのだった。

翌日の23日、午後1時から、ネットで解答速報があった。
モミィが問題用紙に解答を写したものが手元にあるので、
それと、ネットの解答を見比べて答え合わせをしてみたら、
全65問中、正解は43だった。正解率66パーセントである。

3級の合格ラインのおよその目安は60パーセントだと言われる。
ちなみに前回は、正解率60パーセントをわずかに下回っていた。
それで不合格になったのだが、ネットでの結果の詳細をみれば、
あと2つほど正解が多ければ、合格を達成できたところだった。

で、今年は66パーセントだから、これはたぶん…
合格しているのではないか、と思っているわけです。

しかし、2月3日のネットでの正式発表を見るまでは、
安心はできないし、もちろん喜ぶのもまだ早いですね。
だけど、内心ではちょっとワクワクしています。

果たして「三度目の正直」となるか、というところですが、
「二度あることは三度ある」という言葉もありますのでね~

 

 

 

 

 

 

 

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ロサンゼルス 最後に体調が…

2017年01月22日 | 旅行

今回の旅行では、好きなアルコールを口にしないことに決めていた。そしてそれは、ほぼ忠実に実行できた。唯一の例外はダウンタウンのレストランへ行ったとき、ビールを1本だけ注文したけれど、それ以外は飲まなかった。飲むと心房細動(不整脈)が出やすくなり、出ると心拍が乱れて息苦しくなる。国内ならともかく、海外でそんな目に遭うと不安が増幅するので、避けたかった。おかげで、不整脈は旅行中、ただの一度も出なかった。普段の生活から見れば、1週間全く出ない…というのは奇跡みたいなものだった。(なのに最近はまたしっかり飲んで、しっかり不整脈に悩まされています。あきませんわ~)

そんなことで、不整脈に関しては「努力」が実って抑えられたのに、しかしまぁ、まったく予想もしなかった症状に見舞われることになるとは…。

ディズニーランドへ行った日の夜、38度を超す熱が出て、一晩中眠れず、何度も体温を測ったが、一時は39度まで上がった。僕の平熱は36度2分か3分なのだが、こんなに熱が出たのはここ数十年間でも、あったかどうか…記憶にない。

翌日、旅行の最終日は、サンタモニカへ行く予定だった。しかし妻とモミィの2人では行けないので、あきらめざるを得なかった。サンタモニカへ行くJTBのシャトルバスがホテルに寄ってくれることになっていたので、それをキャンセルするために妻がJTBに電話で事情を説明したところ、「海外保険にも入っておられるので、よろしければ日本語の話せる医師のいる病院にご案内しますが」と言ってくれたそうである。妻が「どうする?」と聞いてくれたが、もし「入院です」な~んてことになったらメチャ困るので、病院へ行くのはやめた。

サンタモニカは、旅行の初日、旅行社の人に主な観光スポットを回ってもらった時に車から降りて、そこで写真だけを撮った。どうせまた来るのだからとその時は思っていたが、結局、これが唯一のサンタモニカ体験となってしまった。 

 
 
先にも載せましたが、ロサンゼルスの概略図です。
この地図の右下の方角にディズニーランドがあります。

そして左のビーチ沿いにサンタモニカがあります。
ここはビーチだけでなく、有名な歩行者天国や、
多くのお店があるところだそうです。残念!


 
サンタモニカビーチへの入口。(車の中から撮影


 
桜田淳子の「サンタモニカの風」という歌が浮かびます。
 来て 来て 来て 来て サンタモニカ~  ちょっと古い?

https://www.youtube.com/watch?v=uHnUxiRkxTg

 

 
結局これが最初で最後のサンタモニカになっちゃいました。
 


そして旅の最終日、僕は1日中、ベッドに横たわっていた。

妻とモミィは何度か外出し、ホテルから歩ける範囲のところをあちらこちらと散策し、またホテル内の売店にはいろいろなお土産物が数多くあったので、そこで買い物をしたりしていた。外国の雰囲気に慣れてきたモミィが、もっぱら店で物を買う役目をしたそうである。

さて、僕が熱に浮かされながら、1人で寝ているとき、メキシコ系らしき若い女性のメイドさんがベッドメーキングにやってきた。しかし僕が寝ていたので、「ソリー」と言って出て行った。そしてその後、またやってきて、まだ僕が寝ているのを見て再び「ソリー」と言って出て行こうとするので、「ちょっと待って」と、僕は、ベッドはそのままでいいから、バスルームのタオルや調度品だけ変えてほしいと訴えようとした。

「プリーズ・カム・ヒアー」と、ドアに立っていたメイドさんに手招きをしたら、彼女は一瞬ためらった様子を見せた。

「あ、これはヤバい」とその瞬間、僕は自分の行為を反省した。考えてみたら男性の僕がベッドの中から若い女性のメイドさんに「こっちへ来てちょうだい」と手招きするなんて、いかにも怪しいではないか。そりゃ、警戒されるわ(笑)。

そこで僕は「自分は病気だから寝ている。ベッドはそのままでいい。他のベッドもそのままでいい。バスルームだけ片づけて、新しいタオルや歯ブラシを用意してくだされ」と、カタコト英語で彼女に説明して、やっと納得してもらえたのである。やれやれ…

ところで部屋の温度が低いような気がしたので、暖房のスイッチのところへ行って温度を上げようとしたら、表示は「72度」になっていた。一瞬「ひえっ」と驚いたが、米国では「セ氏」ではなく「カ氏」の表示が基本になっているのを思い出した。だから、部屋の温度は現在「カ氏72度」なのである。

ちなみに、これは部屋のテレビをかけていた時、天気予報が流れたので撮った写真である。

 

ロサンゼルスの週間天気予報だが、上が最高気温で下が最低気温だ。カ氏で表示されているので、日本人が見たらびっくりするような数字が並んでいる。

ちなみに、旅行社の人に聞いたら、「カ氏から30を引いた数の2分の1が、だいたいセ氏の気温と考えていただければいいです」とのこと。この部屋の72度というのは、その計算で行けば、72から30を引いて42、その2分の1だから21。つまり、カ氏72度は、日本流のセ氏で言うと21度ということになる。

ベッドで1日中ヒマだから、テレビを見ていたが、もちろん全部英語なので、何を言っているかわからない。わかるのは天気予報ぐらいなのである。

天気といえば、ロサンゼルスに着いてから、帰る前日まで、ずっと晴天が続いた。そして、帰国する日、初めて雨が降った。この点はラッキーだったと言えますね~

 
帰国の日。空港に向かう車の中からパチリ。
思い切り雨が降っていた

結局、日本へ帰る日も、体温は38度台のままだった。持参していた解熱剤を、朝・昼・夜と服用していたけれど、熱は一向に下がらない。それでも「きょう日本へ帰れる」と言う安堵感があったので、それほど「しんどい」とは感じなかった。

帰途は、12時間の飛行機の旅で、映画を何本も見た。行きの飛行機で「シンゴジラ」を居眠りながら見たが、評判の「君の名は」もあったので、帰りの飛行機の中で見ようと思っていた。…が、帰りはそれらの映画がなかった。同じJALなのに、なんてこった。仕方なく、古い映画だが、お気に入りの「ブリジットジョーンズ」シリーズを2本と「金メダル男」というのを見た。

しかしまぁ、狭いところでじっと座っているのも大変だったが、自分が小柄であることがこれほど有難いと思ったことはない。大柄な人だったら座席が窮屈だろう。その点、僕はゆったりと座れていた(笑)。妻やモミィもそうですけど。

無事に関西空港に到着した時は、「やっと着いたか」という思いだった。ロサンゼルス空港を出たときは12月30日のお昼だったのに、こちらへ着いたのは12月31日の夕方だった。17時間の時差と言うのは、勘が狂う。

空港の「検疫」というところを通り抜けようとすると、係官が僕を引き留めて「熱がありますね」と言った。「何でわかるん?」と言いかけたが、どこかにカメラか何かがあって、発熱がわかるのだろう。「ええ、風邪を引いたようで」と僕は答える。係官が細長い何かを僕のおデコに当て、「38度ぐらいはあるようです」と言いながら、「蚊に刺されたりしませんでしたか?」と聞く。「蚊? 蚊なんかいませんでしたよ」と僕。「どちらへ行かれました?」と再び質問。「ロサンゼルスですけど」と答える。係官は「デング熱とか、いろいろありますので、もし状態が急変したりしたらこちらへ」と、いろんな注意事項が書かれている黄色い紙を僕に手渡した。ロサンゼルスでデング熱はないやろ…と思いながら紙を受け取り、その場を後にした。

…とまあ、そんな調子で大晦日の夜に、無事、自宅に到着してやれやれ…の思いでした。そして、すでに書いたように、翌日の元旦に休日急病診療所へ行き、A型のインフルエンザと診断された次第です。


今となれば、あれもこれも懐かしい思い出ですが、そのときは大変な思いをしました。海外旅行はこの上もなく楽しい。でも、やはり日本がいい。安心だし。家にいる時が一番心が落ち着く…というのは、僕にとっては普遍の事実ですね。

ただ、短期間でしたが、ロサンゼルスの魅力の片鱗にも触れた感じがします。とても開放的でエキサイティングで、話が矛盾するようですが、できればしばらくこういうところに住んでみたい、とも思う街でもありましたね~🎵

知人の方のお姉さまが、かつて、ロサンゼルスへ1年の予定で留学されたところ、あまりの居心地のよさに、10年間帰って来られなかった、というお話も最近伺ったところです。

すごっ! 

 

 

 

 

 

 

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“本場“ のディズニーランドは

2017年01月17日 | 旅行

翌日はディズニーランドへ行った。1955年にオープンしたいわゆる「元祖」ディズニーランドである。場所はロサンゼルスの中心地から約50キロで、フリーウェイを走ると、渋滞がなければ30分で着く。しかし、僕たちのホテルはロスの西にあるビバリーヒルズなので、中心地のダウンタウンまで行くのに30分近くかかる。しかも、この日、このツアーに申し込んでいた人が僕たちのほかに3組おられたので、最初に迎えの車に乗り込んでから、ダウンタウンのウェスティン、シェラトン、そしてミヤコホテルへと寄って、少し待ったりしたので、結局は僕たちのホテルからディズニーランドまで、1時間半ほどかかった。

最初は車に僕たち3人だけだったので、運転手さんがまたいろんな説明をしてくれた。ダウンタウンが近づくと、コリアタウンがあった。リトル東京というのもあるのだが、そちらは衰退気味で、今はコリアタウンがどんどん勢力を広げているという。言われてみるとそのとおりで、ある地域では延々と並ぶ看板が全部ハングルで、それがかなり広域にわたっていた。車から景色を見ていると、何だか韓国の街を走っているようだった。

 


 
こんなハングルの看板の風景が、かなり続いていた。

 

ダウンタウンには高いビルがそびえ立つが、前方にもひとつ高層ビルが見えた。運転手さんが「あれがリッツカールトンで、真ん中から上はマンションになっていて、イチロー選手の部屋が最上階から2番目にあります。今でもロスへ来た時はここへ入っています。5億円だったそうです」と教えてくれた。

この日、オプショナルツアーを申し込んでいた人が、僕たちの他にも3組おられたので、車がダウンタウンに入ると、まずシェラトンで女性の2人連れ、ウェスティンで男女の2人連れ、ミヤコホテルで男性1人が、車に乗ってきた。

ミヤコホテルから乗ってきた若い男性は、帽子から服から、あらゆるところに、ミッキーのバッジのようなものを100個ぐらい身に着けていた。よほどミッキーのファンなのだろう。

ディズニーランド・リゾートは、ディズニーランド・パークと、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー・パークの2つが、向かい合わせにある。僕たちはディズニーランド・パークのみだったが、他の3組の人たちは両方とも行くようで、帰りの迎えの時間も、僕たちは5時だったが、他の人たちは10時という遅い時間だった。
「では、楽しんできてください」と見送られて、車から離れた。 

 

   
この日は12月29日だったが、まだまだクリスマスは続いていた。
クリスマスツリーの飾りつけは何週間もそのままだという。
で、クリスマスが派手な代わりに、お正月はない、という。
今年は元日が日曜日なので2日も振替休日だが、
普通は2日から仕事が始まるという。
「盛り上がるのは大晦日のカウンドダウンだけです」
と、ガイドの男性が言っていた。


さて、この「元祖」ディズニーランドだけれど…

これが正面から入ったメインストリートで、
写真でもおわかりかと思うけれど、とても狭い。 

    
  

 
正面に見えるのは、ランドマークである眠れる森の美女の城。
世界で最初に造られた城だそうである。
ディズニーパークにある城の中で最も古くて小さい城とのことで、
東京ディズニーランドのシンデレラ城と比べても、とても小さい。

 

 

東京ディズニーランドにはないアトラクション
「ファインティング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ」という、
潜水艦のようなものに乗ろうと並んでみたが… 

 
最後尾から並んで、さほど人の数は並んでいないと思っていたが、
これが大間違いで、5重にも6重にも並んでいて、いったいいつ着くのやら…

 

 
これがモミィお目当ての乗り物。お客さんは水面下で窓を覗くという仕組み。
それにしても、これに1時間半以上並んでいた。
 

 
やっと順番が来た。並んでいるだけで疲れますわ。

 

 
船の下に入ると、窓があって水中が眺められる。

 

 
出発~。船が動き出す。窓からいろんなものが見える。
ここへ突如、ニモやおしゃべりする魚などが現れたり。
なかなか、楽しかったですね~

 

 
ニモが終わったら早くもお昼が過ぎていた。どこもすごい行列で、
僕は行列が嫌いですが、そんなこと、言ってられないですよね。
この店でさんざん並んで、バーガーを注文しました。
モミィがカタコト英語で注文したり、お金を払ったり…。
なかなか、頼りになります(笑)

 

 
東京ディズニーランドへ行けば、必ずイッツ・ア・スモールワールドに入る。
ここでもモミィが入りたいというので、大混雑の列の最後尾を探した。しかし…
探しても探しても、最後尾がわからない。メチャメチャ並んでいるのである。
おまけに、日本なら「最後尾」の看板を持った係員が立っているが、
このときは、どこを探してもそういう人は見当たらない。
で、あきらめざるを得ませんでした。

いや、まぁ、敷地全体が狭いので、余計に混雑が目立ちます。
いろんな国の人たちがいるので、ピープルウオッチングは楽しめましたが。
 

 
パレードが始まりました。
最前列にいた女性が、後ろのモミィを見て、
「こっちへおいで」…と、前に入れてくれました。
他でもそういうことが度々ありました。
みなさん親切な方ばかりで。

 

 
モミィはとにかくショッピングが好きで、お店があると入りたがります。
やはり女の子ですね。ランドの中をあちらこちらと歩いているうちに、
あっという間に時間が経ちました。
 

それにしても、思ったより狭かったのが意外でした。
年末の時期でもあって、余計にお客さんが多かったし。
東京ディズニーランドのほうが、はるかに広々としています。
もっとも、1955年オープンの「しにせ」ですからね。
これはこれで、味わいがあるのかも知れませんけど。

 
お店に入ると、モミィの目の色が変わる。
あちらこちらを歩くので、見失わないようにつきまといます。
こんなところで迷子になったら、大変ですものね。


この日は12月末だというのに、25~26度あったようで、
日中はとても暑かったです。夕方になり、またモミィが、
向こうの方の売店に行きたいというので、妻と2人で行き、
僕は入口近くのベンチに1時間ほど座って待っていました。
目の前を歩くいろんな人たちを眺めるのは楽しかったですけど。

すると日が陰ってきて、急にひんやりしてきたのです。
それでもダラ~っと座り続けていたのが悪かったのか、
どうやらここで体調を崩したようでした。

午後5時に迎えの車が来て、ホテルまで戻りましたが、
何となく顔が火照っていたので体温を測ってみると、
38度を超えていました。

熱など、この何年間も出たことがないのに、
こんなときにね~ まったくぅ…。

  

 

 

 

 

 

 

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2階建てバスやレストランや…

2017年01月15日 | 旅行

ロサンゼルスの2日目。終日自由行動の日だ。
僕たちはホテルを出て、ぶらぶらと歩いて、
ホップオン・ホップオフという観光バスの乗り場をめざした。

この2階建てバスに乗って、ロスの街並みを楽しもうというわけ。
乗車チケットは、あらかじめ旅行社の人からいただいていた。

バスのルート地図によると、ホテルから1番近い停留所が、
ビバリーヒルズの市庁舎の裏側にあったので、
そこをめざした歩いて行った。

右のほうに立つ立派な建物がビバリーヒルズの市庁舎です
 


しかし、市庁舎の裏側に行っても、停留所の場所がわからない。
近くを歩いていた子供連れのご夫婦に、カタコト英語で、
停留所はどこですか? 
と聞いたら、その人たちは日本人だった(笑)。
 

 

 
これがホップオン・ホップオフバスです。

 

 
バスは満員だったけれど、幸運なことに、
2階の席が3席だけ空いていた。

 

 
座席の横にイヤホンがあり、日本語にセットして、
説明が聞けるので便利だ(これはネット写真です)。

 

 
今日もいいお天気。聞けばロサンゼルスは、冬場を除き、
ほとんど雨が降らないとか。でも今は冬場ですけど…。
 

 
ロスで最も大きいデパートのひとつ、ビバリーセンターが見えた。

 

 
バスに揺られてやってきたのは、ファーマーズ・マーケット。
昨日、ガイドさんに連れてきてもらい、ここでお昼を食べた。
その時は時間が限られていたので、今日はここでゆっくりし、
昼食も食べながら、お店めぐりやおみやげ
物を探したりした。

 

 
ここはビバリーヒルズと違い、僕らのような庶民向きのエリアだ。
生鮮食料品店、ハンバーガーからメキシコ料理、八百屋、果物屋、
みやげ物屋などが軒を並べ、全部で100店近くあるそうだ。
同じ敷地内に「グローブ」というショッピングモールもある。

 

 
まさに活気に満ちたファーマーズ・マーケット。

 

 
いろんな食べ物があるので迷うけれど、僕らはこの店で、
ビーフやポークをはさんだサンドイッチを買って食べた。
しかしあまりのボリュームに、お腹が破裂しそうだった。

 

 
満腹になったところで、ショッピングモールの「グローブ」を歩く。
たまたま本屋さんがあったので、本好きのモミィは大喜び。
子供の本コーナーを探して、そこでモミィは、
自分の本やECCの友達にお土産として買う本、
などを、一生懸命探していた。
ここで5、6冊の本を買った。
 

 


ところでこの日は、夜にレストランを予約していた。
ま、僕が予約したのではなく、JTBに申し込んでいたものだ。
レストランはダウンタウンにあり、僕たちのホテルからは遠い。
そこで、日本人用のタクシーも旅行社が予約してくれ、
午後5時半にホテルに迎えに来てくれることになっていた。

ところが…
このファーマーズ・マーケット&グローブをうろうろしていると、
時間の経つのも忘れてしまっていたようだ。適当に切り上げ、
またホップオン・ホップオフバスに乗って、ハリウッド経由で
ホテルに近いビバリーヒルズ市庁舎前まで戻ろうとした。

しかしバスはハリウッドで止まると、そこから動かない。
お客さんたちもみんな降りてゆく。
イヤホンで日本語の説明を聞くと、ここが終点で、
次に出発するまでしばらく時間がかかる、とのこと。
この調子では約束の5時半にホテルに着くのは無理である。

「わっ、大変。どうしよう」とあわてた。
仕方なく、バスを降りて、周囲を見渡すと、
ハリウッドの雑踏の中、道路の向こう側に、
ルーズベルトホテルというのが目についた。
そのホテルに入ってフロント前のソファに座り、
バッグからタクシー会社の電話番号が書いてある紙を出し、
携帯電話でそこへ電話した。日本人女性が電話に出たので、
約束の5時半にホテルに着けそうにもないこと、
今はハリウッドのルーズベルトホテルにいること、
などを伝え、ここへ迎えに来てほしい、と頼んだ。
「では、そのホテルのチャイニーズシアター側に出て待ってください」
と電話の
女性が言ったので、やれやれとホッと一息ついた。

ハリウッド大通りの賑わいを眺めながら、タクシーを待っていたら、
1台の車が寄ってきて「〇〇さんですね」と僕たちの名前を言った。

そこからダウンタウンまで走ってもらい、
予約のレストラン「CHAYA」の前で降ろしてもらった。
「2時間後ぐらいにまたここへ来ますから」と運転手さんが言った。

 

 
レストランの前庭で。

さて「CHAYA」に入ると、僕は黙っていたのに、
店の人が僕らの名前を言って確認し、席に案内された。
ここは
カリフォルニア・フュージョン料理の店だという。
カリフォルニア・フュージョン?
フュージョン(FUSION)というのは、辞書で調べてみると、
融合とか混合という意味で、つまりフュージョン料理は混合料理なわけ。
ヒスパニック系(メキシコ・中南米)やアジアのエスニック系、
それにイタリアン、フレンチなどが混ざった創作料理…
…という意味だそうである。

日本語のメニューが来た。いくつか選択肢があったけれど、
ちなみに僕は、

サラダ
・前菜→
スペイン産タコのグリルフェンネルのピュレと柚子のマーマレード
・メ
インコース→アンガスプライムステーキガーリック、ベイビーポテト、
 パラぺーニョ醤油ステーキソース

・デザート→フラワーレスチョコレートケーキ 塩キャラメルアイス添え

というコースを選んだ。なんだか、わけわかりませんけど…。

しかし、これまた ボリューム満点で、昼にもお腹が破裂しそうになったのに、
夜もまたこの量である。食べている途中ですぐに満腹になった(やれやれ…)。

 
モミィも大人と同じ量なので、ステーキも3分の1を残した。


 
しかし、このデザートが出ると、モミィは張り切って全部食べた。
お菓子は「別腹」なんでしょうね~


というわけで、また同じタクシーでホテルに戻りました。

 

ネットで「ホップオン・ホップオフバス」の動画がありましたので、
よろしければご覧ください。
この動画では、バスはガラ空きですが、
僕たちが乗った時は、超満員でした。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハリウッドの風景

2017年01月14日 | 旅行

ロサンゼルスの大雑把なマップです 

   

一見、コンパクトな街のようですが、
これがまたメチャメチャ広いのです。

僕たちは旅の初日、ロサンゼルス国際空港に着いた後、
JTBの現地ガイドの石島さんという男性に、
車でロスの観光スポットを案内してもらいました。

空港からマリナ・デル・レイ~ベニス~サンタモニカと、
美しい海岸沿いの道路を走りました。窓からヤシの木の
風景を見ていると、まるでハワイにいるみたいでしたね。


周辺には広々とした住宅や高層マンションが並びます。
「あそこが元ドジャーズの石井投手が住んでいたマンションです」
などと、石島さんがいろいろと説明してくれる。

そこから内陸へ入り、ビバリーヒルズを東へ行き、
ロデオドライブなどを通って、ファーマーズマーケットという
賑やかなところで昼食を摂ってから、
メルローズ通りを抜け、
ハリウッドへ行きました。

何といってもロサンゼルスで最も有名なスポットなので、
ここはもう、観光客で大混雑していました。


 
ハリウッドの中心にあるハリウッド&ハイランドと呼ばれるスポット。
劇場、映画館、ショップ、レストランなどがひしめいているところです。

 

 
中でも有名なのが、アカデミー賞授賞式の会場である
ドルビー・シアター。さっそく中へ入ってみました。


 
アカデミー賞授賞式当日は、この階段にレッドカーペットが敷かれる。
1段1段の幅が広く、段差が低いのは、女優が長いドレスで歩いても、
裾がもつれたりしないように配慮されている…とのことでした。
来月のアカデミー賞授賞式のテレビ中継が楽しみです。


 
 ハリウッド&ハイランドの中庭。


 
これはネットから拝借した中庭からの写真ですが、
正面に渡り廊下が見えますね。

そこから、あの有名なハリウッドサインが見えるのです。

僕たちもここを歩いたのですが、
人混みをかき分け、この渡り廊下から写真を撮りました。

 
遠くに「HOLLYWOOD」の看板が見えています。
ロサンゼルスのシンボルとも言うべきハリウッドサインです。

アップで撮ってみますと…

 
…という感じです。

この山にはハイキングで看板の場所まで行けるそうです。
僕たちはそんな時間がないので、出来なかったのですが、
完全フリーの旅だったら、たぶん行っていたでしょうね。


さて、そのドルビーシアターを出て、
ハリウッド大通りに面する賑やかな歩道を歩きました。

 
エンターテインメント界で活躍した人物の名前が彫られた
星のプレートが埋め込んである歩道。
ここをウォーク・オブ・フェイムというそうです。


僕の好きなジョディ・フォスターがあったので、パチリ。

去年の11月、三船敏郎さんの星型が埋められたそうですが、
なんで今頃…? 遅すぎるのでは… の感が強いですね。
この日は三船さんの星型は見つけられませんでしたが。

ところで…
僕はガイドの石島さんと歩いていたのですが、ふと振り向くと、
妻とモミィが、スパイダーマンに扮装した男に声をかけられ、
「写真を撮りましょう」というようなことを言われていた。
妻が、持っていたカメラでモミィとスパイダーマンを撮影。
するとスパイダーマンは「チップをくれ」と手を出した。
横から石島さんが「1ドルでいいですよ」と言ったので、
僕が1ドル札1枚を渡すと、スパイダーマンは、
「5ドルだ」と言ってその札を突き返してきた。
僕が「じゃ、返してもらうわ」とその1ドル札をつかみ、
歩き始めると「待て~」とスパイダーマンが追ってきて、
1ドル札を再び僕の手からもぎ取り、戻って行った。
「ああいうモグリが出てきて、少し問題になっています」
と石島さんが苦笑いしていました。

 

強引に写真撮影をさせて、
5ドルを要求するスパイダーマン。


次はチャイニーズシアターという中国風の映画館の前庭へ。

ここには、さらに大勢の人々が集まっていました。


 
前庭にはスターの手型と足型とサインが地面のあちこちに。


 
アーノルド・シュワルツェネッガーです。



 
観光客がお気に入りのスターのところで記念撮影しています。



 
モミィが手型を合わせているのは、マリリンモンロー。
ちょっと時代が離れすぎていますけどね~


 
これはジョニー・デップ。
モミィは「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの
大ファンなので、ジョニー・デップには喜んで、
ここでもお決まりのポーズ!

 

 

 
ハリウッド大通りをはさんで、このあたりは、
大勢の観光客ですご~く混雑していましたね。

さすが、ロサンゼルス随一の観光地でした。

 

 
これはネットから拝借した写真です。
チャイニーズ・シアターの全体図が撮れなかったので、
参考までに載せました。左側が手型や足型のある前庭です。
赤い2階建てバスは、「ホップオン・ホップオフ」という、
ロサンゼルスを巡る観光バスです。

次回はこのバスに乗ってのロス巡りをお届けします。


 



 

 

 

 

 

 

 

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