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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「日本人無宗教説」の変遷

2023年10月18日 | 新宗教に思う
昨日(2023.10.17)の『読売新聞』に“「日本人無宗教説」の変遷”という記事がありました。以下、転載します。

「日本人は無宗教だ」とよくいわれる。東京大宗教学研究室の藤原聖子教授(比較宗教学)と大学院生らは、そうした説の歴史を授業の課題として調べた。発見したのは、幕末維新期に現れ、様々に意味合いを変えつつ続いてきたことだった。
 研究班は、読売新聞を含む全国紙3紙の記事をデータペースで検索。他紙や文献も分析し。 「無宗教」を巡る説を三つに分類した。
 まず、日本人は無宗教だから何かが欠けているとする「欠落説」。明治時代はキリスト教を引き合いに出し、日本には文明がないと論じられた。戦後は、人間性が欠如しているから、凶悪犯罪や戦中の残虐行為が起きたのだといった社説や投書が掲載された。
 逆に、無宗教だからこそ文明国になりうるというように、肯定的に捉える見方を「充足説」と名づけた。
 無宗教説への反論として、大和魂や祖先崇拝など、日本には固有の宗教があると唱える「独自宗教説」も根を張る。1960年代以降は、一神教との違いを強調する形でこの説が増えたことを研究メンバーの木村悠之介さんは確認した。
 三つの説とも、「多くの場合、宗教や無宗教以外のことを伝える狙いがあり、無宗教に絡める論法が用いられてきた」と藤原教授は話す。狙いとは、乱れた風紀や政財界の腐敗をとがめたり、日本文化を賛美したりすることだったという。
 「無宗教説はSNSでも広がっている。歴史を知ることでその狙いを考えてほしい」。今年、『日本人無宗教説-その歴史から見えるもの』 (筑摩選書)を発刊した。
 文部科学相が解散命令を請求した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題は、研究班がたどった歴史にどう位置づけられるか。
 藤原教授は「オウム真理教事件の時と状況が似ており、『日本は無宗教だからカルトがはびこる』という欠落説が出ている」とみる。同時に、「『日本の外から入ってきて日本人に被害を及ぼしたのだから、それさえ取り除けば平常に戻る』という排外主義的言説が広がっている」と懸念を示す。 (大阪文化部 布施勇如)
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