仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

不安⑥

2022年09月30日 | 現代の病理

『不安の哲学』(岸見一郎著・2021年6月1日刊)、以下転載です。

 

「老いは“退化”ではなく“変化”です。老いた今が若いときと比べて劣っているわけではなく、ただ老いているという状態にあるだけと見るということです。逆にいえば、健康や若さがプラスであると見る必要はありません」
「歳をとればできないことは増えます。しかし、だからといって不幸になるとは限りません。かつて持っていたものが今はないと不平をいう人は、若いときもそうだったに違いありません。そのような人は若いときも老いても何を手にしても満足しないでしょう」
「失われた若さや美しさ、健康を嘆くのではなく、自分が生きていることがそのままで他者に貢献していると思えることが、老年期の危機を乗り切るために必要です」
「ただ経験を重ねることでは賢くなれませんが、記憶力のような知力ではなく、いわば総合力としての知力を身に付けるためには、若いころからの長きにわたっての経験に基づいた粘り強い思索の積み重ねが必要です」
「それまでの人生で経験したことを“みな生かして統一できる”ことは喜びなのです」

 

「死の不安」について「死の不安から逃れるために」として、3つのことを提言している。
一つは、「死がどんなものかわからなくても、どんな死が待ち受けているとしても、死がどういうものかによって今の生のあり方が変わるのはおかしいということです」
「今充実した人生を送っていれば、死にばかり注意は向かないということです」
「死が確実に来るのであれば、死を待たず、今日できることだけに専心すればいいのです」
さらに、「貢献感があることが死の不安を克服します」
「人によって残せるものが違いますが、残すものがあることで後世に貢献できます」と。

 

「どうすれば不安から脱却できるか」
「人生は決められたレールの上を動くようなものではなく、自分で形成しなければなりません。これを知るまでは人生は安定していたでしょう。しかし、先のことは何一つ決まっているわけではなく、自分が人生を形成しなければならないという現実を知ると不安になります。この不安は人生には決められたレールがないことに気づいたときに起こる感情で、むしろ、この不安を感じない人は先が見えると思い込んでいるのです。レールがないのであれば常識的な生き方をする必要はなく、誰かに人生を決められることも必要ではありません。人生はエクセントリックなものにならないわけにはいきません」
「多くの人が生きる常識的な人生とは違って、エクセントリックな人生を生きることにはリスクが伴うことがあります」
「エクセントリックな人生を生きるためには、“他人の期待”や“世間”という“中心”から離れなければなりません」
「エクセントリックな生き方をするのは、個性を取り戻すためです」
と書いている。

「甘やかされた子どものライフスタイルのまま大人になった人は、苦境に立った時そこから脱するために自分では何もしようとしないで他者の援助を求めます。自力ではどうすることもできず、他者の援助を求めることが必要な場合もありますが、初めから援助されることを当然と思い、自分から苦境から抜け出すために行動を起こさない人がいます。そのような人は“活動性を欠いている”のです」
(つづく)

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不安⑤

2022年09月28日 | 現代の病理

不安に関する本を、数冊借りてきたので、まずは識者の意見を聞いてみます。

『不安の哲学』(岸見一郎著・2021年6月1日刊)、著者はアドラー心理学の研究者だとあります。

 

以下転載です。

まず、「不安の正体」として、「何か決断をしなければならない時には、何か問題が起きないだろうかとこれから起こるであろうこと予測して不安になります」
「迷っている間は決めなくていいのです。しかし迷うのをやめた時、決めなければなりません。決断を先送りするためには、これからのことを思って不安になればいいのです。不安は決断をしないために作り出される感情なのです」と書き出している。

また「パンデミックと不安」という章で、「真実を知ることが重要」「過剰に悲観的にならないこと」「今は仮の人生ではないということ」「今が非常時だとかんがえることも問題です」などと言い、「私が危惧するのは、一時的にでも強い権限を持った政治家など指導者が、今後パンデミックが収まっても力を手放さないのではないかということです。さらに問題はそのようなリーダーが支持されるのは、常に一番の役割を演じすべての人の上に立とうとするリーダーに進んで服従する人=卑屈な人がいるからです」と書いています。

 

「対人関係の不安」という章で、「対人関係で困難な経験をしたから不安になったのではなく、対人関係を避けるために不安を作りだす。これが不安になることの目的です。対人関係での困難を避けたい人がそうするための理由として不安を持ち出すのです。対人関係の困難は対人関係を避けるきっかけでしかありません」
「事実無根の噂を流し、行動を監視するような人はいるでしょうが、誰もがそんなことをするはずはありません。しかし、他者が自分を陥れようとする怖い人だと思い始めると、誰からいわれたわけでもないのに行動を自粛し、気が付けば自分もまた知らずして他者を監視していることに気づくようになります。他の人も決してそんな人ばかりではないことを知ることが、不安から脱却するために必要です」とある。

 

また「人生そのものが競争だと考える人は多いでしょう。高学歴で一流といわれる企業に就職していても安閑としていられません。競争社会においては、今は勝ちを収めていると思っていても、今後も常に勝ち続けていなければならないからです。ライバルの出現を恐れ、いつ何時競争社会の落伍者になるかもしれないと思って生き続けなければならないような人生を幸福だとは思えません」
「生きることは他者との競争であるという考えから脱却できれば、このような不毛な戦いしないですむでしょう」
「どうすればいいのか。ただ競争から降りればいいのです。何かの仕事をするにしても他の人と比べる必要はありませんし、比べることはできないのです」とある。(つづく)

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適度な物語を求めて

2022年09月27日 | 新宗教に思う

適度な物語を求めて──「島薗進×五十嵐太郎 司会=辻田真佐憲 日本人はなぜ新宗教をもとめるのか──『新宗教を問う』刊行記念」イベントレポート - webゲンロン (genron-alpha.com)

 

適度な物語を求めて──「島薗進×五十嵐太郎 司会=辻田真佐憲 日本人はなぜ新宗教をもとめるのか──『新宗教を問う』刊行記念」イベントレポート

 

新宗教は1920年台から60年代にかけて多様な形で流行した。霊友会や創価学会、生長の家のように、今なお大きな存在感を持つ組織が勃興したのがこの時期である。この時代、日本では農村から都市への人口の移動が激しくなっていた。農村では人々は地縁で結ばれていたが、都市では「つながり」が薄い。そのとき、新たなつながりを与えてくれたのが新宗教だった。島薗は、都市生活者の「居場所」の一つとして発展したのが、じつは新宗教だったのではないかと指摘する。とくに女性たちへ影響が強く、彼女たちは布教の大きな原動力になった。

宗教的なるもの”の台頭

 では、現代人はもはや新しい宗教を必要としていないのだろうか。

 辻田は現代においても人々は宗教的な物語を求めているのではないかと述べる。「宗教的なるもの」を求める動きは、いまの日本でも多数みられる。たとえば、アメリカで急激に勢力を増したQアノンで注目される陰謀論(日本でも多数の信奉者がいる)や、若者を中心に多くの人々を集めているオンラインサロンは、ある意味で「宗教」といえないか。

 新宗教の勢力が衰えたかわりに、いまではそれら「宗教的なるもの」が新たな物語を人々に与えている。これを受けて島薗は、一般的に宗教とは見なされない「宗教的なるもの」を分析することも宗教学者の仕事なのだから、かつての学生運動や、スポーツの試合やアイドルのライブに熱狂する人々もまた研究対象にすべきだと答えた。そして、自身の研究経験から、「宗教的なるもの」に人々が惹かれることは一種の病かもしれないが、同時に人々を支えるものにもなりうるとも付け加えた。新宗教の現場にフィールドワークを重ねた島薗らしい分析である。

適度な物語を求めて

 とはいえ、現代の「宗教的なるもの」は、陰謀論や過度な個人崇拝に傾きがちで、否定的な効果が大きい。

 島薗によれば、新宗教そのものも、政治との関わりを強めるなかで、いまではかつての「居場所づくり」という穏健な役割から変質してしまっている。新宗教はかつては多様な姿をしていた。辻田が指摘するような極端な物語のオルタナティブとして、新宗教が提供していた「適度な物語」はむしろいま必要となっているのではないか。

 人はどうしようもなく物語を求めてしまう。その現実を受け入れた上で、どのように適度な物語を作り出していくか。新宗教を学ぶことが一つのヒントになるのかもしれない。宗教学者が研究する範囲をなるべく広く考えて、包括的に「宗教的なるもの」について語りたいと島薗は述べた。


 3時間半にわたる議論では、登壇者と新宗教の関わりや、現代の日本における新宗教の意味合いまで幅広く話された。辻田からはゲンロンから出版されたばかりの新刊『新プロパガンダ論』に通じる質問もあり、普段のゲンロンのイベントに親しんでいる人にも考えるヒントになるところが大きいイベントだったと思う。敬遠されがちな新宗教に新しい視点で迫る白熱のイベントだったので、ぜひ動画で見てほしい(谷頭和希)。(以上)

 

この物語を求めていく。これは重要です。『新宗教を問う』は購入しました。

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接待

2022年09月26日 | お坊さんのマナー

昨日の続きですが、本来、昼は一緒に食べる予定で、お店を予約してくれていました。途中、休憩も兼ねてドライブインで、食べていくからと、食事はキャンセルしてもらっていました。研修会場である市民ホールに着き、講師控室に案内されると、写真のとおり各種ドリンクとお菓子が机の上に置いてありました。研修会は大学時代の友人が組長していて、その友人の招きです。その友人が「ドリンク、好きな物を飲んで下さい」とのことで、栄養ドリンクを一本飲みました。

 

研修が終わって帰る段になると、各種ドリンクとお菓子を袋に入れてくださり、他に手みやげとしてお菓子の箱づめと、クルマできたからでしょう、地場の新米10キロを頂戴しました。「昼も接待できず、夕食も一緒出来なくてすみません」とのこと。昨朝、その友人から電話がありました。「昼も接待できずすまない、ついては近くに牧場があり、その牧場の品を贈るからたべてくれ」とのことです。私は電話を切ってから、不遜のことですが「昼食を一緒に食べなくてよかった」という思いがよぎりました。何かしてあげることを大切にする風土なのでしょう。きっと昼食はコースのように、多くの品が並んでいたに違いない。

 

昨年、島根県へ青年会の50周年記念大会へ招かれた時も、昼のお弁当、スタッフと一緒でいいのですが、私だけ多量におかずの入ったお弁当を頂戴しました。そういえば長崎の諫早に行ったときも、豪華な昼食でした。「昼は軽い物でイイですから」、これが招かれる者のマナーでしょう。一つ学びました。

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1000キロ、ドライブ

2022年09月25日 | 都市開教

1065キロ、昨日一日は、早朝より車でのドライブのでした。私が利用する車は、軽自動車と2000ccクラスのアコードがあります。普段使いは軽が専門です。駐車場が多いいことから、駐車にスペースを取らないからです。東京へ行くときは普通車です。一日1000キロを走ると、「普通車で良かった」と、普通車のアコードに感謝の気持ちがもてました。

 

昨日は、滋賀県の高島町で開催される研修会の約束をしていました。朝、6時30分に出て、12時前に着くという計算です。早朝、大雨が降っているので、新幹線も遅れたりするので早めに出るかと5時のニュースを聴いていると、5時7分頃、「JRから、東海道新幹線は始発から正午まで計画運休をすることとなりました」のこと。これは大変だと、車で行く決意をしましたが、東名高速も通行禁止とのこと。長野経由の北周り行くことを決断して5時40分、630キロのドライブの始まりでした。丁度13時につき、14時からの研修会で一時間、話すことが出来ました。

 

ドライブの途中、「伊那」「駒ヶ峰」「八ヶ岳」など、いつも接する地名にふれ、ドライブの楽しみに少し触れることが出来ました。午後11時、丁度に帰院しました。

 

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