本9日、午後から11日早朝まで、築地本願寺の法話会です。ウエブで聞けますので、興味のある方は視聴してください。朝をぬいて6席の法座ですが、6席分法話を考えるのが難産でした。
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YouTube配信で全てのお話を聴かせていただきました。
特に印象に残りましたのは、「希望」に向かって生きるという生き方についてのお話でした。
特に10日夜のお話のこの部分です。
「私共は、希望に向かって生きていくことがいいことだと思っている。しかし、希望というのは、許された時間の中に設定される。もう時間が無いという中では、希望に向かって生きていくという生き方そのものが成立しない。」
「そこで感謝の生活というのが展開されていくわけである。恩徳という。」
「希望」という言葉には美しさを感じる響きがありますが、これを「高い地位」や「名声」「富」といった言葉に置き換えても、ご住職の語られたこのフレーズは成立しそうに思えました。置き換えてみると、こうした態度が「煩悩」だとより気付くことができます。
長文になって恐縮ですが、今夜のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、以下のような考えさせられるセリフがありました。
家康が秀忠に語った言葉
「(関ケ原への遅参を一方的に責められて)理不尽だのう。この世は、理不尽なことだらけや。」
「わしら上に立つ者の役目は、如何に理不尽なことがあろうと、結果において責めを負うことじゃ。上手くいったときは家臣を讃えよ。しくじったときは己が全ての責めを負え。それこそが、わしらの役目じゃ。分かったか。」
本多正信が秀忠に語った言葉
「(殿は)才があるからこそ、秀康様を跡取りにせぬのでござる。」
「才ある将が一代で国を栄えさせ、その一代で滅ぶ。我らはそれをいやという程、見てまいりました。」
「その点、あなた様は全てが人並み。人並みの者が受け継いでいけるお家こそ、長続きいたしまする。いうならば、偉大なる凡庸といったところですな。」
「関ヶ原でも恨みを買っておりませんしな。間に合わなかったお陰。」
(引用おわり)
人間(凡夫)は身勝手なもので、幸せを感じているときは、その恵みに十分な感謝ができないくせに、逆境に遭ったときに、理不尽だという思いが募るものなのだろうと感じた次第です。
「気付き」のきっかけになる貴重なご法話を賜り、ありがとうございました。