仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宗教への期待感

2023年07月30日 | 新宗教に思う
『読売新聞』夕刊(2023.7.29)に、―桜井義秀・北大教授『統一教会』刊行―という記事が出ていました。後半部分だけ転載します。


旧統一教会の問題に関連して高額寄付被害を救済・防止する新たな法律が成立し、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)や宗教研究者らが声明を出した。2世信者も意見を発信するなど、大きな動きが続く。
一方で、文部科学省の宗教法人法に基づく質問権行使は長期化している。
「宗教不信は深刻なほど高まっている。オウム真理教事件の時は十分な批判ができなかったからこそ、旧統一教会問題では宗教者や宗教学者が社会との関係について声を上げ続けてきた」と語る。
 戦前の国内では、新宗教に対する大弾圧が起こったこともある。時間がかかっても、様々な手続きは法律にのっとる必要があると説く。30年以上にわたって旧統一教会の実態や被害を研究した経験を踏まえ、「これまでになかったほど状況は進展している。だが、『解決』という結果が出なかったとき、どうすればいいのかを提示しないといけない」と述べる。
 宗教リテラシーや大きな歴史認識を持つことが必要だという。日本の植民地支配に対する贖罪として、韓国への送金や女性信者と韓国人男性の国際結婚をさせてきた旧統一教会の教説には、「宗教が常識に縛られないことを認めるにしても、人権侵害に至る教説には批判が必要だ」と断言する。
 過去の歴史上、各種の宗教教団は、個別の教えには批判や議論があっても、大きくなる過程で社会に適応してきた。旧統一教会はそうした変化はないという。
 社会調査で、宗教への期待感が全くないことや、公共の場で宗教は語られるべきではないと考える人が増えたことを危惧する。「距離をとるだけならリテラシーがさらになくなっていく。宗教者も人権や社会の福祉への意識を鋭敏にして、宗教への信頼回復に努めるべきだ」(以上)
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『心理療法の精神史』3

2023年07月29日 | 現代の病理
『心理療法の精神史』(2023/5/10・山竹伸二著)のつづきです。



二〇世紀前半に精神分析が飛躍的な発展を遂げたのも、自由に生きる可能性が大衆に広まり、多くの人が無意識に関心を向け、自分自身のことを知りたい、と望んでいたからだ。自由に生きる可能性が生まれると、私たちは自分がどうしたいのか、どうすべきなのか逡巡し、自らの内面を見つめようとする。社会に過剰適応し、同調した自分か偽りのように思え、「ありのままの自分」を受け容れてほしいと望むのだ。そして、過度に自分の感情を抑えるのではなく、「本当の自分」の人生を生きたい、そう思うようになる。
 心理療法が次第に「本当の自分」の発見、自己理解、自己実現を重視するようになったのも、社会の中で自由に生きるための条件が整い、自由に生きたいと感じるようになった半面、社会や世間、親、周囲の人々からの期待や要求、義務などもあり、自分の欲望を抑えたり、まわりに同調せざるを得ない場面に遭遇し、「本当の自分」を見失ってしまう人が増えてきたからだ。
二〇世紀前半において、ユンダは早くから「自己」の実現(個性化)を主張し、一九五〇年代になると、新フロイト派のフロムやホーナイ、フロム‥ライヒマンらも「真の自己」を見出す必要性を述べている。
ジャーズもほぼ同時期に自己洞察の重要性を主張し、一九六〇年代には、マズローをけじめとする人間性心理学、実存主義のセラピストたちが、「本当の自分」の発見、自己実現を声高に主張するようになった。
このことは、生活が豊かになり、価値観が多様化していった社会状況と無関係ではない。第二次世界大戦後、古い価値観が壊れ、経済の発展にともなって急速にライフスタイルや価値観が変化する中で、人々は自分がどう生きるべきか、どう生きたいのか、悩み、考えるようになった。自分か望む人生を思い描き、自分の力と個性を発揮し、納得できる生活を送りたい、そう強く感じるようになったのだ。
 決められた人生ではなく、自分で人生を選べるからこそ私たちは悩む。それは「自分のやりたいことを見出せない」という自由であるがゆえの悩みであり、それと同時に、自分か何者であるのか、何をなすべき存在なのか、というアイデビアイティの不安から生じた悩みでもある。そこに、自分か本当に望んでいることを知りたい、自分に適していること、自分白身のことを知りたい、という「自分探し」が始まるのである。(つづく)
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領解文連続講座始まる

2023年07月28日 | 浄土真宗とは?
『中外日報』(2023.7.21日号)に「新しい領解文連続講座始まるーオンライン全8回を予定」という記事が掲載されていました。以下転載

浄土真宗本願寺派で発布された新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に関する情報を発信する「フエイスブック」上のグループの「新しい領解文を考える会」は14日から全8回のオンライン連続講座を開始した。勧学・司教らを講師に迎え、新しい「領解文」の問題点を共有して浄土真宗の教えを学ぶことを目的としており、約400人が受講している。
 14日は井上見淳司教を講師に「領解文とは何か?」をテーマに開かれた。井上司教は、門信徒らが自身の信心を述べて宗主がそれを裁断する改侮批判が始まりで、人々が模範的な述べ方を求めて改悔文(頌解文)が生まれ、様々な改悔文がある中、1787年頃に現在も用いている領解文に統一されたと説明した。
 江戸時代に勃発した異安心論争の「三業惑乱」に触れ、新しい「頌解文」を巡る問題について「聖教にのっとって学ぶから聖人一流の御勧化が守られているのであって、聖教でない新しい『領解文』ではそれができない。浄土真宗の教えの『そのままの救い』は論理の立て方を大切にしなければ曇ってしまう。
今の時代の僧侶が、どう次の世代に伝えていく責任を果たしていくのかが問われている」と話した。
 受講者から「従来の領解文の次第相承の善知識とは誰を指しているのか」「日常勤行聖典にある従来の領解文が新しい『饋解文』に置き換わることはあるのか」「勧学・司教有志の会が求めている消息の取り下げや撤回は、現実的に可能なのか」など多くの質問があった。
 それに対し井上司教は、次第相承の善知識は取り次いでもらった師などを含めておのおのが受け止めるのは問違いではないこと、かつて「浄土真宗の救いのよろこび」が突然削除されたように日常勤行聖典での置き煥わりの可能性はあり、一人一人が声を上げたり教区を代表する宗会議員に伝えたりしていく必要かおることなどを伝えた。
消息の取り下げや撤回については「その道筋は総局が考えるべきだ」と語った。
       (渡部梨里)
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『心理療法の精神史』2

2023年07月27日 | 現代の病理
『心理療法の精神史』(2023/5/10・山竹伸二著)のつづきです。

近代以前の心理療法の特質を、もう一度振り返ってみることにしよう。
 レヴィ=ストロースによれば、患者と治療者、周囲の人々が共同で、「原因がわかった」「元凶となるものが取り除かれ、解決された」と信じることが、治療効果を生み出している。シャーマンなどの治療者は、理由のわからない苦しみに対して、神話に基づいた言葉を与え、思考可能なものにする。それによって、患者の苦痛は理解できるものとなり、緩和され、耐えられるものとなる。原因不明の苦しさに対して原因を指し示すこと、言葉で言い表すことで、苦しみは大きく改善されるのだ。レヴィ=ストロースはこれを「象徴効果」と呼んでいた。
 この場合、神話に基づく治療者の解釈が真実かどうかは問題ではなく、患者がその神話を信じる集団の一員であれば、真実だと感じることになる。患者の苦痛がその神話と無関係であるとしても、治療者がその神話に沿って問題を意味づけ、患者がそれを信じれば、症状は緩和され、苦痛は軽減されるのだ。
 無論、治療者が尊敬され、信頼されていなければ、患者が治療者の言葉を信じることはできないが、近代以前の治療者たちは宗教的に権威のある人々であり、信頼と尊敬の対象となっている。そして、患者の奇異な言動が所属集団からの逸脱を意味し、それが不安や苦悩をもたらしているとすれば、治療者による所属集団の神話(価値観)に基づく意味づけは、患者を所属集団に引塵戻す役割を徂っている。理由のわからない行為を周囲の人々は受け容れられないが、権威ある者がその行為を意味づけることで、人々は納得し、その理由を受け容れる。それによって、患者の不安や苦悩は軽減し、治癒へと向かうのである。(つづく)
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無着成恭さん死去

2023年07月26日 | 日記
「山びこ学校」編者で僧侶、無着成恭さん死去…96歳の記事が、朝刊に掲載されていました。以下記事転載。


 文集「山びこ学校」の編者で僧侶の無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんが21日午前、敗血症性ショックのため千葉県多古町の病院で亡くなった。96歳。山形県出身。葬儀は27日午前11時、多古町一鍬田292の福泉寺で。喪主は長男の成融(せいゆう)さん。

 無着さんは戦後まもない1948年、山形県山元村(現・上山市)の山元中学校(廃校)に教員として赴任し、中学生たちに 綴(つづ) り方を指導。51年には、綴り方をまとめた文集「山びこ学校」を世に出した。作品は、自分の考えをしっかりと生徒へ書かせる手法をとるという当時としては画期的な教育方法として、戦後の教育界に大きな影響を与えた。
 また、ラジオの「全国こども電話相談室」の回答者として長年親しまれた。
 教員を引退後は僧侶となり、千葉県や大分県などの寺で住職を務めた。(以上)


無著さんは、千葉県の香取郡多古町に「福泉寺」の住職をしていたことがあります。山号を「一鍬山」といい、「一鍬山福泉寺」は周辺の数多い寺院の中では唯一の「曹洞宗(そうとうしゅう)」の寺院です。

私が30代の頃、全国の若手僧侶10名くらいが集って、「一鍬山結集」という集まりを、一泊二日で開催したことがあります。その中には、若き頃の野田大燈さんの姿もありました。禅僧になり、大きな醤油樽を住まいと道場として歩み出し、法人を作りあげた人です。皆で将来を語り、炭を焼いて、その炭でうどんを食べたことが思い出されます。

*野田 大燈(のだ だいとう、1946)は、曹洞宗の僧侶、喝破道場塾長、サッカーワールドカップ日本代表元監督の岡田武史の心の師として知られる。
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