釈さんの講演会で、『みんな、忙しすぎませんかね?~しんどい時は仏教で考える。』(釈 徹宗・ 笑飯 哲夫・ 2019/8/3)を販売していました。その本の中に、良く聞く話ですが、白隠禅師の話が掲載されていました。
白隠禅師にはこんなエピソードもあります。あるとき白隠禅師のもとに、侍が訪ねてきて「地獄や極楽はあるのでしょうか?」と質問します。白隠禅師は「そんなことが気になるとは、お前はそうとうな腰抜け侍じゃな」と言うんです。侍はものすごく怒って白隠禅師を刀で切ろうとします。まさに刀が振り下ろされようとする瞬間、「それっ!・ そこが地獄じゃ」と白隠禅師は気迫のこもった声で言います。侍は、はっと気づいて、あわてて刀をおさめ、その場に膝をついて「ありがとうございます」とおわびとお礼を述べます。白隠禅師は「それ、そこが極楽じゃ」と、にっこり笑ったそうです。
このように、現在の社会や自分の心にも地獄を見るわけです。(以上)
それと本の中に『「バチが当たる」のバチは、罰の呉音読みだそうです。仏教用語は、漢音ではなく、呉音で読む場合が多いんですよ。』とありました。家に帰って漢和辞典を引くと、罰の呉音読みは「ボチ」で、バチは罰の慣用音だとありました。慣用音とは、 呉音・漢音・唐音のいずれでもなく、日本で広く使われている漢字音で、「消耗」の「耗(こう)」を「もう」、「情緒」の「緒(しょ)」を「ちょ」と読むことです。
白隠禅師にはこんなエピソードもあります。あるとき白隠禅師のもとに、侍が訪ねてきて「地獄や極楽はあるのでしょうか?」と質問します。白隠禅師は「そんなことが気になるとは、お前はそうとうな腰抜け侍じゃな」と言うんです。侍はものすごく怒って白隠禅師を刀で切ろうとします。まさに刀が振り下ろされようとする瞬間、「それっ!・ そこが地獄じゃ」と白隠禅師は気迫のこもった声で言います。侍は、はっと気づいて、あわてて刀をおさめ、その場に膝をついて「ありがとうございます」とおわびとお礼を述べます。白隠禅師は「それ、そこが極楽じゃ」と、にっこり笑ったそうです。
このように、現在の社会や自分の心にも地獄を見るわけです。(以上)
それと本の中に『「バチが当たる」のバチは、罰の呉音読みだそうです。仏教用語は、漢音ではなく、呉音で読む場合が多いんですよ。』とありました。家に帰って漢和辞典を引くと、罰の呉音読みは「ボチ」で、バチは罰の慣用音だとありました。慣用音とは、 呉音・漢音・唐音のいずれでもなく、日本で広く使われている漢字音で、「消耗」の「耗(こう)」を「もう」、「情緒」の「緒(しょ)」を「ちょ」と読むことです。