仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

タイガー現象④

2011年01月31日 | 現代の病理
タイガー現象の報道も下火になりましたが、報道のニュース性がなくなって報道しないのか、実際現象そのものがなくなったかは定かではありません。過般(23.1.28)の産経一面に作家の曽野綾子さんが「ほんものの誠実」という題でコラムを書いていました。そのコラムの頭部分に次のような言葉がありました。(以下転載)

「タイガーマスク現象」と呼ばれる名前のない人の善行は、心温まる話として昨年末に発生したが、次第に私の中では浮き上がった話に思えるようになった。
 すべて人に尽くすには、地味な 「継続」がいる。一度だけ思いついていいことをするのは、その人の一時の楽しみに過ぎない。もちろん悪いことではないだろうが(以下省略)

通常、日本人が考える善き慈善には2つの要素があるように思われます。それは匿名性と継続性です。この2つの要素は優越感と気まぐれを排除するものです。ところがタイガー現象は、匿名性が守られて、かつ「伊達直人」という優越感に浸れる。また気まぐれであってもタイガー現象という継続性に連なることでキープできるという、今までにない慈善の形式です。

タイガー現象を、形を整えて体系的に運動とすることは、今までにない慈善活動として非常に有意義なことだと思います。

それとは別に、興味があるのはタイガー現象に連なる人たちの心理です。曽野綾子さんは、「一時の楽しみに過ぎない」と言われることに同感です。もう少し掘り下げると「優越欲求」という言葉が、なにか言い得ているように思われます。

なまかじり心理学では、セルフ・アサーションの訳語が「優越欲求」です。本来は“人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だ”と提唱したアルフレッド・アドラーの考え方で、アドラーは、人間は、相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動していると説いています。

アサーション(assertion)は、主張・断言などと和訳されますが、現代では「自己表現」といった意味のようです。アサーション・トレーニングなるものが流行しつつあるようです。

タイガー現象に中に見る優越欲求は、現実的には良くも悪くもなく、“そのよう人がいるらしい”といったところですが、それを表面的な部分だけをもぎ取って、好意的に、ニュース性をもって報道するところに、マスコミの欺瞞があるように思われます。

心理学を体系的に学習したことがないので、いい加減な思い付きですが、アドラーや同時代のフロイトは自我の分析で、それ以上のものではないように思われます。

それ以上のものとは、達成とか解放といった仏教で言う覚りの領域レベルのことです。

その意味から言えば、現在のタイガー現象は、個々の事象をどう社会がより善きシステムに転嫁し、また個人的には、その行為を通して自己洞察がどこまで達せされるかが重要なのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根笈(おい)の平で回想したこと

2011年01月30日 | 日記
親鸞聖人のみあとを訪ねてー茨城・稲田~京都・本願寺―も10回目となるという。昨日(23.1.29)、箱根湯本から芦ノ湖まで歩いてきました。12.3キロで実動4時間なので、険しい坂道の古道は息が上がったが、全体としては短い距離でした。

旅のレポートは一緒に行った当寺スタッフがしてくれるので、感じたことだけを書きます。

 強く感じたことは、上山開始より3時間、箱根旧街道の西海子坂、猿滑り坂という難所を越えたところに、笈(おい)の平という平坦な場所があります。ここが聖人と見送りをしてくれた性信房との別れの場所です。古くは大平と呼ばれていたようですが、聖人一行が、ここに背負っていた笈を下ろしたというので、笈の平の名がついています。

強く感じたのは、性信が、別れの場所である笈の平にさしかかる道行きを、どんな気持ちで上っていたかということです。もう少し行くと大平に着く。そこは聖人との別れの場所、いよいよ別れの時が近づいてきた。聖人にであってからのこと,念仏との出合い、さまざまなことがよぎります。おそらく、溢れるばかりの涙をこらえ、汗をぬぐうふりをして涙を拭いたに違いない。

その性信の心持ちが想像でき、その聖人と性信が歩いた同じ道を歩きながら、盛んに念仏を称え、目頭が熱くなりました。すこし、そのあたりを描写してみましょう。


おそらく親鸞聖人63歳の頃、小田原宿に一泊して、そして箱根を上ったのではないかと思われます。小田原から芦ノ湖箱根神社まで現在のルートで21キロ、5時間の行程です。
(小田原~箱根湯本間1時間、湯本~笈の平間3時間、笈の平~箱根神社1時間)

『御伝鈔』(後4段)に「ある日晩陰におよんで箱根の嶮阻(けんそ)かかりつつ、はるかに行客の蹤(あと)を送りて、やうやく人屋の枢(とぼそ・戸)にちかづくに、夜もすでに暁更におよんで、月もはや孤嶺にかたぶきぬ。」とあります。

伝承では8月16日のことあり、『御伝鈔』に芦ノ湖到着時「夜もすでに暁更におよんで、月もはや孤嶺にかたぶきぬ。」とあります。これはだいぶ大げさで、箱根の山道を夜歩くことは考えにくいことです。しかし夕方にはなっていただろうと想像します。湯本~笈の平間が、この度、一部古道を歩いて3時間の道のりが、峰と谷の往復の道のりで道も険しく8時間くらい要したのではないかと思われます。

おそらく湯本まで複数の門弟が見送りに来たのではないでしょうか。聖人は「これから険路に向かいます。見送りありがとう」と門弟を返したが、弟子の性信坊はとどまろうとしません。「お師匠様、私もご一緒することをお許しください」と強硬についていこうとします。

 『箱根神社大系』の中に「相州箱根山安置親鸞聖人木像略縁起」が収録されており、次の記述(一部)があります。
  「文暦元年八月十六目、相模の国・国府津の里を発せられ京師に おもむき、箱根の険阻にかかりた もう。遠近の道俗はせ集まり我も 我もと御名残を惜しみ、今世の拝 顔いまを限りと老若男女御衣の袖 にすがり、悲泣雨涙のありさま、 聖人も点山かたく思し召し、『恋し くば 南無阿弥陀仏ととなふべし 我も六字の道にこそすめ』と一首 の歌を詠じたまふとかや」とあります。


性信はさらに別れが辛く大平(笈の平)までと聖人を困らせます。大平はぎりぎり、日のある内に引き返せる場所です。「しかたない。大平平までですよ」と念を押されて険しい山道を行きます。
性信房は、大平が近づいてくる道すがら、別れの時は近いと涙があふれてきます。聖人との邂逅、念仏との出遇い、溢れる涙をいとわず険しい道を進みます。

大平につくと、聖人は「ここで一休みしましょう」と笈をおろして休みます。そして聖人は「性信坊どの、いろいろとありがとう」と別れを告げます。性信は感きわまって「聖人さまー。私は京のみやこまでお見送りしする」と、流れ続ける涙を流しながら訴え、引き返そうとしません。

聖人はさとすように『病む子をば 預けて帰る旅の空 心はここに残りこそすれ』と詠み、性信に言葉をかけます。

「悩む子とは、この親鸞であり性信殿であり、一切のご同朋のことにございます。皆共に阿弥陀さまよりお預かりしているご門徒、別れは辛いことですが、どうぞ念仏を申して下さい。念仏申すところに、この親鸞はおります」

それでも性信は別れがたく、「きっと、きっと上洛して、ご目にかかりとうございます」といえば、聖人は頷きながら「さあ、山をお下りなさい。日がくれまする」という。性信は泣きながら念仏を称え、山を下ります。(以上)

そんなことを回想しながらの笈の平でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福耳

2011年01月29日 | 日記
今日は、朝から箱根路を歩きましたが、その報告は明日。昨日、送信してきた21日に電話取材を受けました「福耳」の毎日新聞の記事を転載します。

最後にちょっとだけ西方寺西原祐治が出ています。

ザ・特集:幸運、金運、ホントに呼ぶの? 気になるあの人の「福耳」


新しい閣僚名簿を発表する枝野幸男官房長官。あの福耳は父親譲りだった=首相官邸で2011年1月14日、長谷川直亮撮影
ザ・特集:幸運、金運、ホントに呼ぶの? 気になるあの人の「福耳」

 ◇つい触りたくなる大きさ 枝野官房長官、国民の声もよく聞こえるでしょう。
 史上最年少の46歳の官房長官となった枝野幸男氏を見ると、いつも気になる。言動ではない、あの大きな耳だ。「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに……」、空耳ならぬ福耳。ウイット(機知)とユーモアに富んだテレビの人気番組のコーナー「空耳アワー」をもじり、「福耳アワー」と勝手に題してお送りする。【宍戸護】

 ◇お金や愛情への意識高い?
 内閣府が運営する「政府インターネットテレビ」の会見風景。枝野氏と政治部記者の緊迫したやり取りが続く。しかし私の目は、ちょっとそり上がっていて米粒が乗りそうな、枝野氏の耳たぶにくぎ付け。そして考える。「最年少官房長官は福耳のおかげか、親譲りなのか」。手がかりを探したところ、枝野氏の地元・さいたま市の後援会事務所に、枝野氏の父がいるかもしれないという情報を得た。

 2階にある後援会事務所の階段を上がると、ガラス越しに、枝野氏とそっくりな耳を持つ男性の後ろ姿を見つけた。枝野氏の父、忠正さん(80)だった。新聞の地方版を切り抜いたり、年配の支持者の話し相手役を務めている忠正さんは、お茶を差し出しながら雑談に応じてくれた。「息子の耳は僕に似ていると人に言われます。福耳というのか、大耳というのか。息子のほうが僕より大きいけどね」。座ったイスの横には、枝野氏の顔をアップにしたポスター。福耳もバッチリ写っている。ポスターと忠正さんを見比べると、枝野氏のほうが確かに大きい……。
 枝野氏にも尋ねた。幼少の頃からこんな感じの耳を持ち「あるお坊さんが、立派な耳を持った子だから大事に育てなさいと言った」と両親から聞かされた覚えはあるという。

 幸運に恵まれましたか?

 「実感はないです。関係ないかもしれないけど、政治家になってから、他の政治家みたいに握手を求められたり、写真を一緒に撮りましょう、と言われないで『耳に触らせてほしい』と言われることが多いです」。わかる。なかなかお目にかかれないような耳だ。思わず、手を伸ばしたくなる。ご本人は「基本的にほめてもらっているような感じだからうれしいけど、顔の他の部分はほめられてないわけだから、複雑な心境ですね」と感じていた。

 福耳は文字通り、「福を招く耳」なのか。昼の情報番組などにも出演している耳占い研究家、中谷ミミさん(43)を訪ねた。見せてくれたのは、無数の耳の形と持ち主の言動を書き込んだメモ帳。テレビに出る政財界人、芸能人、スポーツ選手や、街を行き交う人々の耳を約20年前から観察し、04年に耳鑑定も始めた。約10万人分を分析したという。

 中谷さんは、耳占いのイメージとして「耳は上下半分に分けて、上部は能力、下部は欲が出る。欲があっても能力がないと大きいことはできない」。福耳については「耳たぶが大きい人を福耳といい、お金や愛情への意識が高い傾向があります。顔を正面から見て、全体が見える耳は立ち耳といい、区別します」と説明する。立ち耳だが福耳ではない例として、オバマ米大統領や岸信介元首相を挙げた。「立ち耳の人は情報発信が得意で政治家に多い」と中谷さん。耳の形は年齢とともに変わるとも指摘する。

 耳たぶが大きい人=福耳という「中谷ルール」から見ると、小沢一郎・元民主党代表、福島瑞穂・社民党党首、米大リーグの松井秀喜選手、フィギュアスケートの浅田真央選手、女優の泉ピン子さんが福耳に当てはまるという。

 中谷さんが福耳の一人という、タレントの彦摩呂さん(44)に会った。最近グルメリポーターとして活躍し、この20年間で体重57キロが97キロに増えたという彦摩呂さんは「やせていた若い時はシャープな耳をしていたのですが、グルメリポーターを本格的に始めた10年前から、体がどんどん膨らんで耳たぶも持ち上がってプクッとなった。福耳のせいかは分かりませんが、昨年、東京都内にマンションを買いました。はははは」。同じく福島党首は「楽天的な性格は福耳のおかげ、ということにしておきましょう。いつもイヤリングをして、チャームポイントと言うには恥ずかしいけど、耳たぶが大きくイヤリングがしっかりつけられるのがいいところかな」と話した。

 ◇喜怒哀楽の激しさの表れ?

 医学的な根拠はないものか。独の医学博士、ヴァルター・ハルテンバッハ氏が書いた本「幸福になれる耳の本」(2004年)があった。氏は耳鼻科医ではなく外科医。警察から犯罪者の写真数万枚を提供されて、耳も分析してきたという。その結果、耳上部では人の知性や教養の深さが表れ、下部では感受性や感情反応の良さが出る、という。

 本では、耳たぶを「耳垂(じすい)」と専門用語で呼び、日本の「福耳」についても指摘している。「知り合いの日本人に聞いたところ、耳たぶのぽっちゃりして大きな男性は、『わあ、福耳だ』と言われ、まわりの女性がさわりたがるというではありませんか。(中略)私の研究では、残念ながら耳垂とお金の間にとくに関係はありません。それでは日本で言う福耳は何を物語っているかというと、一般に感情過多、つまり泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりする感情が、人よりも数倍激しいということを私たちに知らせてくれるだけです」

 耳鼻科を専門とする、国立大学の名誉教授は「耳たぶは専門ではないので、名前は勘弁してくれ」と前置きし、福耳について話してくれた。「医学的には耳たぶの形状に意味はありません。熱いものを間違って触った時、思わず耳たぶを触るでしょう。耳たぶは冷えているから。耳の機能と直接関係あるかないか僕は知りません。耳のデコボコには音の反射があるから意味はあるのだろうけど、ぶら下がった部分の耳たぶねえ……熱いものを触った時に冷やす。あるいはそう、女性がイヤリングするためにあるのかな……」

     ◆

 福耳といえば神様仏様も浮かぶ。えびす様も仏様も耳が大きく耳たぶが長い。「新装版 仏教美術の基本」(石田茂作著)によると、如来像を造形する際のルールに「耳たぶ長大」を挙げている。仏像に込められたメッセージについての著書がある、千葉県柏市の西方寺住職、西原祐治さん(57)はこの意味について「人の話をよく聞く大切さの象徴として耳が強調されている」と説明する。
 形も気になるが、やっぱり耳は聞いてなんぼ。長官はその福耳で、国民の声をよく聞いてくれることだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学入試センター試験、私の回答

2011年01月28日 | 浄土真宗とは?
1月15日・16日の大学入試センター試験、「公民」の「倫理」の問題です。
『歎異抄』の『善人なおもって往生をとぐ。いわんや悪人をや』が設問されていました。


間3 下線部bに関して、『歎異抄』は、「善人なほもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という親鸞の言葉を伝えている。このなかで使用されている「善人」と「善人」の説明として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
  
【16】
  

① 「善人」とは、阿弥陀仏とは無関係に自力の善のみによって往生が可能な人のことであり、「悪人」とは、根深い頓悩によって悪を行ってしまいがちな自己を自覚し、阿弥陀仏をたのんで、善を努めようとする人のことである。

② 「善人」とは、阿弥陀仏とは無間係に自力の善のみによって往生が可能な人のことであり、「悪人」とは,根深い煩悩を自覚し,どんなに善をなそうと努めても不可能であると思い、阿弥陀仏の救いをたのむ人のことである。

③ 「善人」とは、自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは、根深い煩悩を自覚し、どんなに善をなそうと努めても、それが不可能であると思っている人のことである。

④ 「善人」とは,自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは、根深い煩悩によって悪を行ってしまいがちな自己を自覚し、できるだけ善に努めようとする人のことである。

正解は ③だそうです。でも「それで正解なの」とケチをつけたくなります。間違いではないが、③では不完全で、昔の豊田商事事件の二の舞を生み出す危険があります。

豊田商事事件とは、 孤独な老人を親切でだまして、金塊の預り証と称するただの紙切れをつかませていくと悪徳商法です。永野一男会長が報道陣の監視のなかで惨殺されました。

永野一男は、親鸞聖人の「悪人正機」の教えを逆手にとって豊田商法の経営理念にもちいていたと記憶しています。『歎異抄』の「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。人間はみんな悪人なのだからすこしばかり悪いことをやっても恐れることはないという論法です。

何が不足かと言えば、「悪しかない」をそのまま単純に肯定している点です。悪の自覚は、“救われなければならない存在である”阿弥陀如来の救いによって肯定されなければなりません。

昨日、「知らざるを知らざるとせよ。それ知れるなり」という言葉を持ち出しました。“知らざるを知らざるとする”という投げやりだけに終わらず“それ知れるなり”という肯定してくれるものとの出会いが重要なのです。

そこで私の正解は②と③の折衷です。

⑤ 「善人」とは、自力で善を行うことができると思っている人のことであり、「悪人」とは,根深い煩悩を自覚し,どんなに善をなそうと努めても不可能であると思い、阿弥陀仏の救いをたのむ人のことである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らざると知らざるとする、それ知れるなり

2011年01月27日 | 仏教とは?
昨日の読売夕刊(23.1.26)「よみうり寸評」に、新刊『他人の何気ない一言に助けられました』(中央公論新社刊)が紹介されていました。

この本は読売新聞が運営するインターネットのサイト・大手小町の掲示板・発言小町への投稿の数々だそうです。私もこの掲示をたまに覗くことがあります。ネットをとしての有縁社会の到来を、どう考えるか。悩ましいところです。

掲載されていた話しがいい話なので、新聞から転載してみます。

 〈おっ、かわいいな!〉──通りすがりのビジネスマン、全く見ず知らずの忙しそうな男性が、息子をかわいいと言ってくれた◆そのとき、その子の母である「情けない母」さんは息子の障がいが判明して毎日思いつめていた。子供の手を握りしめて、行きかう車を見つめながら、いっそ飛び込もうかと思っていた◆そんなとき、あの一言で「私の子供は他人さまから見てもかわいいんだ」と気がついた。「菩薩さまが降りてきて下さったのかも知れない」と今では思っている。(以上)

私も、何気ない一言ではないですが、一言に救われたことがあります。京都での学生の頃のことでした。あるとき公案(禅宗での修行法)に取り組んだ。それは「箒(ほうき)を箒と言わずに一言で示せ」というものでした。

毎日考えていたが答えが見いだせない。2週間もするとノイローゼ状態になしました。ところが下宿で本を読んでいるとその本の中に「知らざるを知らざるとせよ。それ知れるなり」とあった。

するとどうだろう。箒を箒と答えられない自分を受け入れ、かかしと答えても、車と答えても、納得できるトランス状態が開かれました。すべての光景が美しく、自分の経験というメガネを通さずに世界に接すると、世界はこれほど美しいかと思える光景でした。一種の覚醒です。しかしその美しい光景は一週間でその美しさは失われていきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする