タイガー現象の報道も下火になりましたが、報道のニュース性がなくなって報道しないのか、実際現象そのものがなくなったかは定かではありません。過般(23.1.28)の産経一面に作家の曽野綾子さんが「ほんものの誠実」という題でコラムを書いていました。そのコラムの頭部分に次のような言葉がありました。(以下転載)
「タイガーマスク現象」と呼ばれる名前のない人の善行は、心温まる話として昨年末に発生したが、次第に私の中では浮き上がった話に思えるようになった。
すべて人に尽くすには、地味な 「継続」がいる。一度だけ思いついていいことをするのは、その人の一時の楽しみに過ぎない。もちろん悪いことではないだろうが(以下省略)
通常、日本人が考える善き慈善には2つの要素があるように思われます。それは匿名性と継続性です。この2つの要素は優越感と気まぐれを排除するものです。ところがタイガー現象は、匿名性が守られて、かつ「伊達直人」という優越感に浸れる。また気まぐれであってもタイガー現象という継続性に連なることでキープできるという、今までにない慈善の形式です。
タイガー現象を、形を整えて体系的に運動とすることは、今までにない慈善活動として非常に有意義なことだと思います。
それとは別に、興味があるのはタイガー現象に連なる人たちの心理です。曽野綾子さんは、「一時の楽しみに過ぎない」と言われることに同感です。もう少し掘り下げると「優越欲求」という言葉が、なにか言い得ているように思われます。
なまかじり心理学では、セルフ・アサーションの訳語が「優越欲求」です。本来は“人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だ”と提唱したアルフレッド・アドラーの考え方で、アドラーは、人間は、相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動していると説いています。
アサーション(assertion)は、主張・断言などと和訳されますが、現代では「自己表現」といった意味のようです。アサーション・トレーニングなるものが流行しつつあるようです。
タイガー現象に中に見る優越欲求は、現実的には良くも悪くもなく、“そのよう人がいるらしい”といったところですが、それを表面的な部分だけをもぎ取って、好意的に、ニュース性をもって報道するところに、マスコミの欺瞞があるように思われます。
心理学を体系的に学習したことがないので、いい加減な思い付きですが、アドラーや同時代のフロイトは自我の分析で、それ以上のものではないように思われます。
それ以上のものとは、達成とか解放といった仏教で言う覚りの領域レベルのことです。
その意味から言えば、現在のタイガー現象は、個々の事象をどう社会がより善きシステムに転嫁し、また個人的には、その行為を通して自己洞察がどこまで達せされるかが重要なのではないでしょうか。
「タイガーマスク現象」と呼ばれる名前のない人の善行は、心温まる話として昨年末に発生したが、次第に私の中では浮き上がった話に思えるようになった。
すべて人に尽くすには、地味な 「継続」がいる。一度だけ思いついていいことをするのは、その人の一時の楽しみに過ぎない。もちろん悪いことではないだろうが(以下省略)
通常、日本人が考える善き慈善には2つの要素があるように思われます。それは匿名性と継続性です。この2つの要素は優越感と気まぐれを排除するものです。ところがタイガー現象は、匿名性が守られて、かつ「伊達直人」という優越感に浸れる。また気まぐれであってもタイガー現象という継続性に連なることでキープできるという、今までにない慈善の形式です。
タイガー現象を、形を整えて体系的に運動とすることは、今までにない慈善活動として非常に有意義なことだと思います。
それとは別に、興味があるのはタイガー現象に連なる人たちの心理です。曽野綾子さんは、「一時の楽しみに過ぎない」と言われることに同感です。もう少し掘り下げると「優越欲求」という言葉が、なにか言い得ているように思われます。
なまかじり心理学では、セルフ・アサーションの訳語が「優越欲求」です。本来は“人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だ”と提唱したアルフレッド・アドラーの考え方で、アドラーは、人間は、相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動していると説いています。
アサーション(assertion)は、主張・断言などと和訳されますが、現代では「自己表現」といった意味のようです。アサーション・トレーニングなるものが流行しつつあるようです。
タイガー現象に中に見る優越欲求は、現実的には良くも悪くもなく、“そのよう人がいるらしい”といったところですが、それを表面的な部分だけをもぎ取って、好意的に、ニュース性をもって報道するところに、マスコミの欺瞞があるように思われます。
心理学を体系的に学習したことがないので、いい加減な思い付きですが、アドラーや同時代のフロイトは自我の分析で、それ以上のものではないように思われます。
それ以上のものとは、達成とか解放といった仏教で言う覚りの領域レベルのことです。
その意味から言えば、現在のタイガー現象は、個々の事象をどう社会がより善きシステムに転嫁し、また個人的には、その行為を通して自己洞察がどこまで達せされるかが重要なのではないでしょうか。