仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

アヒルの水かき

2021年05月31日 | 仏教とは?

本31日『読売新聞』「顔」覧に「女性科学者に贈られる猿橋賞受賞―田中幹子(みきこ)さん50」という記事が出ていました。研究のテーマは次のようにありました。

 

人間の手足にアヒルのような「水かき」がないのは、受精卵から手足ができる過程で指の間の細胞が消えるためだ。この現象は酸素の濃度が高いと起きることを突き止めた。生物が海から陸上に進出し、大気の豊富な酸素にさらされて体が進化した可能性を示し、「独創的」と高く評価された。(以下省略)

 

仏さまの手足の指の間には水かきがついていて、仏の三十二相では「曼網相」(まんもうそう)といいます。一般的には、苦しみに悩み喘いでいる人間を両方の手で、水も漏らさぬように救い上げる、慈悲の姿を表したものだと言われているが、水鳥は、水の中でも空も陸も対応でき機能を備えています。その意味から言えば、苦しみ悲しみ怒りの中でもはたらける仏さまを示したものだとも言えます。

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西元宗助先生の逸話

2021年05月30日 | 浄土真宗とは?
早朝のラジオ放送で、アメリカのメモリアルデーのことを話題していました。一度、ブログに書いたことがあるがとブログを検索すると、2011年5月31日のブログ。尊敬する西元宗助先生が、いつか語られて戦没将兵追悼記念日の時のエピソードのことを書いていました。30年前、何度か法話で語った話題です。以下転載します。

先生が、かつてアメリカ仏教会に招かれてシヤトルヘ行ったときのこと。その日が5月30日でメモリアル・デー(5月最終月曜日)に際し、当時のシヤトル本願寺の輪番に伴われて、第二次世界対戦で戦死した日系2世軍人の墓地での法要に参列されたぞうです。
 最初は、うかつにも日本での法要のごとく錯覚していたそうですが、そこに集まった人たちは、先の戦争にアメリカの軍人として、サイパン島、フィリピン、沖縄 などで、日本軍と戦って戦死した20才代の若い日系アメリカ兵の戦没者であり、そのご遺族の方々であった。

その場で、何か講話をせよとのご案内に、先生は、困惑し、悲痛感いっぱいになったとのこと。なぜならば、ご遺族の方々は、祖国日本と戦って死んだ息子たちへの悔みという、まことに複雑な晴れやまぬ気持で歎き悲しんでいる方々だったからです。
 ご遺族のまえに立った西元先生は、ただ念仏して浄土を念ずるほかなかったとのことです。その念仏のなかに、人間であることの悲しみ、そしてそれだけに、敵も見方もない、恩しゅうの彼方なる倶会一処の浄土が念じられたと語られていました。
 西元先生がいわれる「人間であることの悲しみ」とは、うちにどれほど素晴らしい理想を持っていても、縁によってどんな生き様をする解らない存在、その存在そのものに関わる悲しみを言ったものです。

“そうか、今日はアメリカでは戦没将兵追悼記念日か…”そんなことをツマとしながら、念仏を称えた早朝でした。(以上)
 
 
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地下足袋のうた

2021年05月29日 | 浄土真宗とは?

法話メモ帳より


もの言わでかおれと我に教えつつ古里の梅の花さく

 

上代絲子『地下足袋のうた』(一休社刊)

 

上代絲子、本名渡辺糸子。明治41年12月26日、島根県松江市から40分山間部の町生まれる。生家は浄土真宗の篤信のご門徒で、毎夕には父親が導師をして、家族全員が仏壇の前に座りお勤めをする家庭に育つ。農業を手伝うある日、蚕の世話をしているとき、下に敷かれた古新聞にふと目をやると、与謝野晶子の歌が掲載されており、晶子の弟子となる。高等女校の専攻科を卒業し、教員の免状を得るも、昭和9年27歳のとき自立の道を求めて彦根の紡績工場へ。35歳で工場を辞め、松江の子ども三人を抱える家庭に後添えとして迎えられる。式を挙げると実は子どもは五人で、うち二人は結核で寝たきりの病人、夫も療養生活であることを知る。ここから極貧の生活が始まったと綴られています。ご主人、子ども二人を失い、歌の友人から離婚を勧められる。それを思い留ませたのは子どもが結核で逝去するときに言った「あとに残った弟妹が可愛そうだからいかんでくれ」の言葉だったという。

そして臨時日雇い労務の中で歌を詠んでいる。

 

寝ねたりと思へば早や

夜の明けて

昨日濡れたる

地下足袋をはく

 

 

わが五体

亀裂の入れし心地して

寝返りすらも

むずかしきかな

 

糸子さんを支えたのは無学文盲ながら念仏に薫る祖父甚蔵の存在だった。津にに語っていた言葉は「どんな宝も持って歩くことはできないが、お念仏だけはどこにでも持って行くことができる。お念仏を忘れるなよ。お念仏は一生の宝だぞ」

 

大地あり

踏みて安けし祖父のごと

一歩一歩を

なむあみだぶつ

 その祖父から受け継いだ念仏と共に生きたという。

 

仏恩に

生かされてある身を知るも

時に

我執の黒き雲わく

 

生かされて

あるが嬉しき我が胸に

光りさしこめ

あむあみだ仏

 

生活の中で涙するとき、共に涙してくれる仏と共にその生涯を全うしている。

我が貧を

人危ぶみて近づかず

これもよろしや

いと静かにて

作者の“これもよろしや”の文字を噛みしめていると作者からなにか問われているような気になる。それは私が多くのものを持ちすぎているからだろう。知識・物・世間体・財・欲、“これもよろしや”と言えないさまざまなものを。そして凡夫であることをよそに、積み上げてきた私という虚構を生きている。どうすれば“これもよろしや”と言えるのか。ここにまた新に私という虚構を作ろうとしている凡夫の私がいる。

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宗教と日本人2

2021年05月28日 | 新宗教に思う

『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで』 (中公新書・2021/4/19・岡本亮輔著)からの転載です。

 

葬儀について次のようにあります。

なぜ地獄も浄土も信じないのに戒名を貰い、僧侶を導師にして葬式を行うのか。それは、死者を送る作法として、葬式仏教を利用するのが便利だからだろう。そもそも葬儀は死者のためだけに行うものではない。その人の今後の不在を社会に告知し、悲しみを表現し、遺族を慰安する実践として、葬式仏教は長い時間をかけて整備され、日本社会に定着してきた。

 宗教社会学者の櫻井義秀は、自身の体験も踏まえながら、葬式がもたらす感情に関わる効能を指摘している。枕経から告別式までの一連の儀礼は、それに集中することで悲嘆の感情を和らげてくれる。そして、次々と訪れる親族や知人との感情交流は、人間関係の強化・再確認の機会になるというのである。(『これからの仏教葬儀レス社会』)。

 

そして著者の結論は、

「多くの日本人には、そうした宗教は自分自身の生活や生き方に直結するものとは感じられないはずだ」「現状に問題があると感じていても、多くの人は、それが信仰によって解決されるとは考えていない」「多くの日本人にとって、宗教は、それなりに特別な情緒を得たり、気分転換するための清涼剤のようなものだ。」(以上)

 

とあり、最初に紹介したように、日本人の宗教は、「信仰なき宗教」だというものです。逆から言えば「信仰なき宗教」という視点で、日本の様々な宗教現象を論じた本だと言えます。

 

数年前にご往生された大阪大学名誉教授である大村英昭先生(宗教社会学)が「なしたみとしての宗教」という言い方があります。まさに宗教と信仰は一体ではなく、信仰を除外した宗教への帰依があるということでしょう。

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宗教と日本人

2021年05月27日 | 新宗教に思う

『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで』 (中公新書・2021/4/19・岡本亮輔著)、図書館から借りてきた本です。


日本人と宗教の関係を新しい観点より分析した本です。良く言われるのは、日本人は無宗教と答える一方、年中行事、冠婚葬祭、神社仏閣めぐり、またヒーリング、パワースポット、開運セラピーなどのスピリチュアル文化も広がってきている。無宗教であるはずの日本人が宗教を積極的消極的に活用して生きているように見える。じつはこの矛盾は、宗教は信仰の対象であり、神仏のような超越的存在をめぐる教えの体系があり、それを信徒が受容して自らの行動規範とするのが宗教であるという理解から、矛盾に思われるが、本書では、信仰を宗教の必須条件とせず、「信仰なき宗教」もあるという考えから、宗教を信仰・実践・所属の三要素に分解し、初詣等の寺社参拝は「信仰なき実践」として宗教であり、檀家の一員であるのに宗派の教えに関心がないのは「信仰なき所属」として宗教であるという新しい視点から、日本人の宗教を定義している。

 

少し参考になるところを転載してみます。

 

 

新宗教の隆盛は、日木社会の宗教イメージに大きな影響を与えたと言える。宗教学者の島薗進は新宗教の条件として、①宗教法人格を有し、特定の神仏を礼拝すること、②独白の教義や実践の体系と教団組織を備えた成立宗教であること、③既成教団と自らを明確に区別すること、①一部の知識人や中上層の人々だけでなく、広く民衆を担い手にすることの四つを挙げる(『新宗教事典』)。

 自己認識としても社会的にも宗教団体と認知され(①③)、独自の教義・実践・組織を持ち(②)、その教義と実践が広く民衆に浸透し、民衆は信者としてその集団に所属する(④)のが新宗教なのである。

 

 

 独特の教えを説く教祖がいて、それを受け入れた信者たちが祈りや儀礼を行うという分かりやすいイメージが、つまり、教え(信仰)・儀礼(実践)・教団(組織所属)の三要素を兼ね備えたものか宗教というわけである。 こうした新宗教的な宗教イメージは、信仰中心の宗教イメージと言い換えられる。最も重要なのは体系化された教義だ。教義を内面化した信者には、誰を指導者として崇拝し、いかなる実践を行い、他の信者に対してどのように振る舞うべきかは明らかである。

 


信仰・実践・所属の三要素を備えているのが新宗教だが、新宗教ブームは1980年代にピークとなり以後は下降線を辿っている。
日本では信仰を重視しない伝統宗教が広範にかつ長期的に存在し、日本人のそれらに対する態度には、漠然とした観念はあっても、明確に言語化できるような信仰は見出しにくい。しかし、宗教的な心は大切と思う人が多い。つまり、多くの日本人にとって、宗教は信じるものではないが、大切なものである。宗教が気分や情緒に関わる実践として重視されている。無宗教ではなく、世俗社会の「信仰なき(実践の)宗教」である。(つづく)

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