仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

いだかれてありとも知らず

2020年04月30日 | いい話

いだかれてありとも知らずおろかにも
  われ反抗す大いなるみ手に


九条武子さんの歌ですが、この歌の心を的確に味わっている文章がありました。昭和58年に刊行された『珠玉のことば』(大乗刊行会編)は、先人が読んだ歌を、色々な人が味わって掲載されています。そのなかに表記の歌を東井義雄先生が味わっています。最後の部分です。

「逆」くものの上に注がれている「大悲」。その「大悲」にであった感動をT君という子どもの詩の上に味わわせてもらったことがある。


 かつお
けさちょっとしたことから母と言い争いをした
ボロクソに母を言い負かしてやった
母が困っていた
そしたら 学校で 昼になって
毋のいれてくれた弁当のふたをあけたら
ぼくのすきなかつおが
パラパラとふってあった
おいしそうににおっていた
それを見たら けさのことが思い出されて
ぼくは 後悔した
母は いまごろ
さびしい心で昼ご飯たべているだろうかと思うと
すまない心がぐいぐい こみあげてきた。

 逆(そむ)いて目覚めさせていただく「大いなるもの」。「いだかれてありとも知らずおろかに心 われ反抗す 大いなるみ手に」。T君が、この世界に感動しているのである。「すまない心」を「ぐいぐい」こみあげさせているのである。いや、T君が感動をこみあげさせているのではないのだ。この感動は彼のものでありながら、彼Oものではないのだ。だから彼としてもとめようがないのだ。それが「ぐいぐい」なのだ。向こうさまの「摂取不捨」のお働きの力強さの「ぐいぐい」なのだ。
                           (東井義雄)

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『蜘蛛の糸』の材源

2020年04月29日 | いい話

昭和42年発行の藤秀璻先生の『聖者と人間』(教育新潮社刊)を読んでいたら、芥川竜之介著『蜘蛛の糸』の元型について触れていました。興味深いので転載します。


(蜘蛛の糸をからめて)講話が終わると婦人会の幹部の一人の夫人が、すぐにわたしに申された。先生、あれは仏典ではありません。キリスト教の中にこのお話の原型があります、とハッキリした調子でいられるのに、わたしはおどろいた。それから二三日たつと、この夫人は一冊の小説集をわたしの家へとどけてくだされた。わたしはその本を読んでなるほどと思いました。それはスエーデソの女流作家のラーゲルレーブの書いた「ペテロの母」という短篇の小説でありました。ラーゲルレーヴは一九〇〇年に女性として最初のノーベル文学賞をもらった有名な作家であります。

そこで、この「ペテロの母」はどういう筋かというと、キリストの十二使徒の一人ペテロは、主イエスに従って長い嶮難な人生の旅路の末に、ようやく「天国」へ着いた、が、なにか浮かぬ顔をしているので、キリストはそのわけを聞かれた。するとペテロは、「わたくしの母が地獄に堕ちていますが、それを助ける道がありません」と悲しそうに答えました。キリストはすぐに一人の天使を呼んで、ペテロの母を救いあげるように命じました。
 この天国の一方に断崖がおり、その断崖の下に暗くて見えぬ深いところに地獄があるのです。天使は翼をひろげて鳶が舞いさがるように、ゆっくりと下りて行きました。長い、長い時間を舞いおりてようやく地獄へ着いてみると、森もなく川もなく、山もなく谷もなく、草一筋生えていない荒涼たる地面の岩かどや砂の上に、無量無数の地獄の衆生が精も根もつきるほどにあがき苦しんだ末に、死んだように折り重たってうつむき眠っている。その死そのもののような音もない薄暗がりの広い世界を、天使はその額より放つ小さい光で搜しまわって、ようやくペテロの毋を見つけて、そっと抱き上げて飛び立とうとした。するとその周囲の無数の罪人たちが一時に眼をさまして、天使にかかえられているヘテロの母にとりつきました。天使は事もなげに軽がると飛びあがって行きました。ペテロの毋は、しかし、自分に取りついている一人の罪人の手を無理やりにもぎはなして、暗黒の中へつき落としました。泣き叫びつつ落ちてゆく声を聞きながら、また一人、また一人とあわれな罪人を放つのです。
 不思議なことには、取りついた罪人の数が少なくなるにつれて、天使はいよいよ重そうに額から汗を流しつつ、断崖に沿うて舞いあがって行きます。そうしてペテロの母が力いっぱいにしがみついている最後の一人を、もぎはなったときには天使の力が尽きはてて、もう少しで天国の岸へ上がれる瞬間に、天使は抱いていた手を放つほかはなかったのです。ペテロの毋は恐ろしい叫び声をあげて暗やみの底へ落ちて行く。天使はよろりとして崖の上にあがって、キリストの前に涙を垂れてひざまずいた。ヘテロは大声をあげて泣いている。キリストは、「ペテロよ、どうも仕方がない」とつぶやくようにいいました。(以上)

『蜘蛛の糸』の材源は、ドイツ生まれのアメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラスが1894年に書いた『カルマ』の鈴木大拙による日本語訳『因果の小車』であるといわれていますが、その他、これが財源だという逸話も幾つかあるようです。

『キリスト伝説集』を古本で落掌しました。入手した本の中には「ペテロの母」ではなく、「わが主とペトロ聖者」として掲載されていました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は1918年に発表されたものですが、伝説集のあとがきに次のようにあります。

「西洋文学翻訳年表」(岩波講座『世界文学』所収)によりますと、1905年(明治38年)つまり原著出版の翌年にいち早く山内菫號によって、本書の中の「わが主とペトロ聖者」の一篇が「彼得の母」と題して訳出されていますが、同年表によればこれがラーゲルレーヴのニッポンの最初の紹介でもあるようです。(この作品は芥川竜之介の『蜘蛛の糸』と同工異曲で、興味ある対照を示しています。)(以上)

芥川竜之介は、「彼得の母」が無意識の記憶にあって、蜘蛛の糸が創作されたのかも知れません。

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hide インタビュー記事

2020年04月28日 | 日記
『東京新聞』4月24日夕刊に、“200冊の「ありがとう」 X JAPAN・hideさん、来月2日に23回忌”という、私のインタビュー記事が掲載されていました。「東京新聞 hide 23回忌」で検索か、下記のアドレスで開いて下さい。最初の部分だけ転載します。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202004/CK2020042502000242.html?ref=hourly

ロックバンド「X JAPAN」メンバーだったhideさんが三十三歳で急逝した一九九八年、葬儀が営まれた東京・築地本願寺に置かれた追悼ノートが、今も書き継がれている。中高年になった古くからのファンばかりではない。五月二日が二十三回忌のhideさんとは同時代を生きていない若者たちも、近況や悩みの報告に訪れる。その数、二百冊以上になった。 (浅田晃弘)
 本堂一階の「hideコーナー」。端に積んであるノートは誰もが読め、好きなことを書ける。
 九八年五月七日の葬儀の日、境内には二万五千人以上の若者たちが集まった。ノートは、築地本願寺内の事務所で、がん患者の相談活動をする「浄土真宗東京ビハーラ」が、悲しみの声を受け止めようと置いた。
 何が書いてあるのか。若者の宗教観を知りたいと、西方寺(千葉県柏市)住職の西原祐治さん(66)=東京ビハーラ世話人=がノートの言葉を分析した。葬儀から二週間、圧倒的に多い言葉は「ありがとう」だった。(以下省略)
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みんなの法話2

2020年04月27日 | 浄土真宗とは?
本願寺新報「みんなの法話」掲載は5月1日号でした。早、本日どどきました。

「親鸞聖人いまさずは」(二)

箱根にある「生命の星 地球博物館」に、三五億年前の「最古の生命の化石」が展示されています。すでに光合成を営む少し進化したバクテリアです。以来三五億年、その生命体は一つの方向性をもって今日に至っています。その方向とは、弱肉強食、強くあれ、賢くあれという願いの中で環境に適応し今日に至ったのです。
 この弱肉強食の連鎖の背後には、弱く愚かに終わっていったいのちが無数にあったことは言うまでもないことです。また強く賢く生き抜いた生命体も、自然の摂理や自然の猛威の中に虚しく終わっていきました。その弱く愚かに終わっていったいのちが流した涙は大海の潮よりも多いと経典に示されています。

「常に苦悩を受け…身よりいだすところの血はまた四大海水より多く…命終に哭泣(こくきゅう)してい出すところの目涙は四大海水より多し」(国訳大蔵教『涅槃経』高貴徳王菩薩品)

この大海のごとき苦しみと悲しみの涙の中に終わっていったいのちの中から、阿弥陀如来の慈しみが起こったと、親鸞聖人は「ご和讃」されています。

如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずして
廻向を首としたまひて
大悲心をば成就せり

阿弥陀如来は、大海のごとき悲しみと苦しみの涙の中に終わっていったいのちに対して、〝強くあれ、賢くあれ〟と願うのをやめ、弱く愚かに終わっていったいのちをそのままに受け入れて仏と成さしめるという、大悲の如来となることを願われたのです。
親鸞聖人によって明かにされた阿弥陀如来の慈しみの深さは、人類の抱えている闇の深さでもあります。
 深い闇の中で、その闇深いものを救うという阿弥陀さまに出遇う。ひとえに「聖人のご出世のご恩」です。

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みんなの法話1

2020年04月26日 | 浄土真宗とは?
教区外への研修会出向は、全てキャンセルとなりました。ヒマにしていたら、15日、次のメールが入りました。

また、「親鸞聖人いまさずは」のご執筆をお願いできませんでしょうか。
今回は本願寺新報「みんなの法話」です。字数は1600字強でございます。(以上)

こうした原稿依頼には、このブログが役に立ちます。過去のブログの中から稿を仕上げ翌朝、発送しました。いつ掲載だろうかと思っていたら、早21日、活字となって校正原稿が届きました。写真は、送られてきた紙面にあったカット部分です。カットを書いた人も早い仕事でした。2回に分けて掲載。

親鸞聖人いまさずは

新型コロナウイルス感染拡大によって、ご法事も中止される方が相次いでいますが、その最中のご法事のときのことです。私はマスクをせずに読経しましたが、法話はマスクをして話そうと思ったとき、ふと一休さんの頓知話を思い出しました。
一休さんが安国寺でまだ小僧であったときのことです。あるとき和尚さんに、本堂へ行ってローソクの火を消してきなさいと言われる。本堂へ行って、ローソクの火を息で吹き消して帰って来る。「どうやって消したのか」と聴かれ「吹き消した」と答える。すると「ローソクの向こうの仏さまに息がかかる。ばかもん」と叱られてしまったのです。そして次の日の朝です。一休さんが一人だけ仏さまに背をむけて読経しています。和尚さんが何ごとかと尋ねると、「仏さまに息がかかっては申し訳ないので、後ろを向いています」と答えた。
新型コロナウイルスと人の息の不浄が「息をかけてはならない」で重なって思い出したのでしょう。
この度の新型コロナは、初期症状に自覚症状が無いことが特徴です。ふと私を含め、すべての人は死ぬのに、死ぬという自覚症状を持たないままに過ごしている毎日に似ていると思いました。
最近、漫画家・きくちゆうき氏がツイッター上で発表していた『100日後に死ぬワニ』が話題となっています。一日一話ずつ。毎日更新される四コママンガで、主人公であるワニが100日後に死んでしまうという設定です。ワニは、自分がやがて死ぬということを知らないまま、当たり前の日常を過ごす。読者は「死まであと◯日」というカウントダウンを目にしてワニを見る。当たり前の日常なのですが、〇日後には死ぬことを知っている読者は、ワニの行動が上滑りの生を過ごしているような感覚を持ちます。その違和感が読者を引きつけるのでしょう。
私たちの日常生活で、自覚症状のないことが沢山あります。その自覚症状のないことの中で、人類をつらぬくもっとも重大なことは、「すべての衆生は、はかり知れない昔から今日この時にいたるまで、煩悩に汚れて清らかな心がなく、いつわりへつらうばかりでまことの心がない」(顕浄土真実教行証文類・現代語訳)ということでしょう。親鸞聖人によって、人類が未だかつて自覚されていなかった闇の深さが明らかになったのです。
(つづく)
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