柏の文化公演会に寺島実郎先生をお招きしたく、連絡すると「今年は日程が合わないから、年が明けたっら連絡を」とのこと。秘書の方から、「先生が送るように」とのことで、『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』(2021/11/29・寺島実郎著)が、送られてきました。その本のなからの転載です。
戦後日本人の心の基軸 経済主義の行きづまり
戦後日本人の中核となった都市新中開層の心の基軸となったものは何だったのであろうか。あえていえば、都市新中間層の宗教ともいえるのが「PHPの思想」(豊かさを通じた平和と幸福)だった。
Peace and Happiness through Pyosperiyyは、敗戦の翌年一九四六年に松下電器の創業者・松下幸之助加提起した概念であり、翌年発刊された雑誌『PHP』の創刊号には政治学者の矢部貞治や詩人・室生犀星が寄稿している。松下のPHPについて、GHQ(進駐軍)に対するカムフラージュ、プロパガンダだという見方もあるが、敗戦後の混乱に直面した松下が心に描く、理想社会への真摯な思いだったといえよう。
とくに、GHQからの迫放指定を受け、解除嘆願に動いてくれた労働組合への熱い想いが「労使の共存共栄」の基本哲学としてPHPを強調したと感じられる。「労使対決」という戦後日本の新しい対立を克服する概念として、「まずは会社の安定と繁栄が大切」というPHP的志向は定着した。やがて松下幸之助は「経営の神様」といわれるようになり、晩年の松下は「徳行大国日本の使命」を語るようになっていた。また、ものづくり国家日本のシンボルとして、本田宗一郎、SONYの井深大、盛田昭夫などと共に「神格化」される存在となった。現在の日本には、そうした存在の産業人が全くいなくなったことに気づく。
ひたすら「繁栄」を願う「経済主義」が戦後日本の宗教として、都市新中間層に共有されていった。だが、そこには、明治期の日本人が、押し寄せる西洋化と功利主義に対して「武士道」とか「和魂洋才」といって対峙した知的緊張はない。「物量での敗北」と敗戦を総括した日本人は、「敗北を抱きしめて」、アメリカに憧れ、アメリカの背中を「追いつけ、追い越せ」と走ったのである。
そこには米国への懐疑は生まれなかった。資本主義と対峙しているかに見えた「社会主義」も、ある心味では形を変えた経済主義であった。階級矛盾の克服にせよ、所有と分配の公正にせよ、経済関係を重視する視点であり、経済主義に視点おいて同根であった。
心の再生こそが「戦後レジームからの脱却」
日本の勤労者世帯可処分所得がピークを迎えたのが一九九七年であったが、以来二二年も経った二〇一九年においても、勤労者への分配は水面下のままである。帰属する会社の社歌を歌う「会社主義」への思い入れは、江戸時代期の藩へのご奉公にも通じるものであり、それに応えるように「年功序列・終身雇用」のシステムにおいて、会社は安定した分配を提供できた。そうした右肩上がり時代には違和感なく受容されたPHPの思想も、平成の三〇年間で軋みが生じ始めた。会社は右肩上がり分配を保証できなくなり、PHPに共鳴していた勤労者の中核たる都市新中間層も高齢化し、定年を迎え会社を去った。「経済さえ安定していれば、宗教など希薄でも生きていける」という時代を生きた都市新中間層があらためて気づいたことは、経済主義だけでは満たされないものの大切さであり、それは老いと病、また人間社会を生きる苦悩・煩悩の制御である。
そして、「宗教なき時代」を生きる日本人の心の空漠を衝くかのように、カルト的新宗教教団の誘惑と、戦前の祭政一致による「国家神道」体制の復活を求める動きが蠢き始めている。
不安と苛立ちの中で、我々は無明の闇に迷い込んではならない。戦後日本の共同幻想というべき代を生きた都市新中間層があらためて気づいたことは、経済主義だけでは満たされないものの大切さであり、それは老いと病、また人間社会を生きる苦悩・煩悩の制御である。