仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

地域包括ケアと自己実現の居場所づくり④

2024年03月26日 | 日記

『超高齢社会のまちづくり: 地域包括ケアと自己実現の居場所づくり』(2023/4/13・後藤純著)からの転載です。

 

自分の不安にこたえる居場所は自分語りの場

・心の居場所が本当の居場所

 居場所を他人が与えることはできない。高齢社会対策として、孤独を悪ときめつけて、「つながりましょう、コミュニティカフェをつくりました」というのが、逆に抑圧的になる場合もある。居場所は、高齢者一人ひとりのニーズ・ウォンツに従って、当事者が持つものである。もちろん外部からこんな居場所はどうですか?と支援することはできるが、その場合も当事者が自分でくつろげる居場所を創り出さなければならない。

 たとえば、そこに行くと自分の役割があるデイサロン、気取らずに仲間と会話ができるコミュニティカフェ、孤立せずおなか一杯たべられる子ども食堂なに居場所として紹介されるものは多数あるが、それらは参加する一ひとりが、そこにいる他者を能動的に信頼し、自分の不安を解決し自己実現に転換していく要素がある。

 こう考えると、当事者からみた居場所の要素として、まず物理的な場所が重大なのではなく、自分らしく生きることで生じる不安に対して、自分なりの答えを持てること、があげられる。サードプレイスを提供すれば、必ず居場所になるわけではない。逆に、居場所づくり活動をしている方が元気に見えるのも、その活動を通じて自分らしさを形にできているからだろう。たとえば複数の他者との交流を必ずしも想定しない高齢独居の女性の居場所の例をあげる。お風呂に入って、自分でふくらはぎをマッサージしながら今日一日の出来事をふくらはぎに語りかけるとほっとするというエピソードである(自分の身体に話しかけると元気になるという話は、介護関係者ではよく聞く話である)。居場所は、一人で持つこともできる。(以上)

 

 

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地域包括ケアと自己実現の居場所づくり③

2024年03月25日 | 日記

『超高齢社会のまちづくり: 地域包括ケアと自己実現の居場所づくり』(2023/4/13・後藤純著)からの転載です。

 

 自分らしさと不安

らしくないが引き起こす羞恥

 羞恥について、たとえばギデンス(2005)は[ある場面で自分の存在や動機が不適当なのではないかと感じる不安]と定義している。羞恥(はずかしい)の反対語は、自尊心(ほこらしい)である。自分の生きてきた歴史全体==自分らしさからみて、大切にしている価値、信頼しているコトなどがあるが、身体的・精神的・社会的な原因で(ということは高齢者に限らず若い世代も)、自分か快活にできていたことができなくなり自信を失うと、羞恥の側面が前に出てくる。

 ギデンスによれば、羞恥は二つの要因で引き起こされる。一つは、他者に恥をかかされること。もう一つは、自分か過去の経験を無意識に持ちだして、その場に不適切ではなかったか、自分らしくなかったのではないか、と不安になることである。自分のなかで引き起こされる羞恥==自分らしくないという感情が高じると、ジレンマとなる。このジレンマは、様々な病理を発生させる。たとえば頑固・意固地になる、独断に走ってしまう、テレビや専門家、宗教などの権威的なものにはまる、自分の過去に浸りナルシズムになる。

 

うつろいやすい「自分らしさ」

 地域包括ケアシステムにおいては、「自分らしく」という言葉が使われるが、「自分らしく」というのは罪が深い言葉のようにも思える。身体機能等が衰えと、「自分らしさ」はどうしても元気な頃(過去)を振り返ってしまう。しかし高齢者の身体的・精神的・社会的機能は衰えていくのであり、つねに「自分らしさ(過去)]と「いまの自分」に差が開く。さらに男性は、学歴、肩書、年収の多寡などで、自分のらしさが評価されてきた人も多い。退職をしてしまえば、学歴、肩書、年収とは無関係となり、その人がいかに自分の人生を生きているかでしかない。私にはもう何もないから、頭も悪いし才能もないから、昔はできたけれど、もうこんな体では何もできないからと麻痺する手に視線を落とす。過去の「らしさ」にとらわれると、いまの自分はつねに「らしくない」ことになる。

 また子どもからみた「元気な時の親らしさ]というのもある。いつまでも親には元気でいて欲しいと思う気持ちから、一番元気だつたときを想定し「らしさ]として認定する。こうなると認知症が進んだり病気になると、いつもの「親らしくない」ので、ジレンマを親にぶつけることになる。しかし、尊厳はみな平等である。何歳でもどどのよう状況でも、意思さえあれば、自分らしを化させられる。そして行動することも出来る。(つづく)

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地域包括ケアと自己実現の居場所づくり➁

2024年03月24日 | 日記

『超高齢社会のまちづくり: 地域包括ケアと自己実現の居場所づくり』(2023/4/13・後藤純著)からの転載です。

高齢者のニーズ把握は難しい

・自分は高齢者ではない

 内閣府の調査で、「あなたは自分を高齢者だと思うか」という調査がある(図3)。 70~74歳では、自分を高齢者と思う人と、まだ高齢者だと思わない人が伯仲している。 75歳でも26.4%は自分を高齢者だと思っていない。 80代になるとさすがに約8割が高齢者だと認めるが、それでも12.5%は抵抗している。

高齢者と呼ぶ年齢を10歳引き上げて75歳以上にしてはどうかという議論もあるし、70歳を高齢者と呼ばない条例を設けていたり、高年者と別の呼び方にしている自治体もある。高齢者と呼ばれることで、年金をもらう虚弱な高齢者と見なされて、バスは無料、博物館や動物園は無料といった枠に一律に入れられるのは嫌だと考える人も多い。本書の問題提起でもあるが、高齢者といった場合のこのようなステレオタイプの見方を早急に見直す必要がある。またステレオタイプな見方は、その背景には従来の社会保障制度があり、これからの20年で大きく変わるのではないかと思う。

 

 

 高齢者において、「仲間外れにされた」「疎外感を感じた」と訴える人が多い。どんな状況か詳しく確認してみると、意外にも孤独や孤立を訴えた方に原因がある場合が目立つ。たとえば、常に不機嫌で怒っているとか、「○○さんは、しあわせそうですね」というような妬みに近い発言を繰り返して、結果的に周囲から避けられてしまうパターンである。

 原因の一つは、若い時からの個性が、老化にともなう抑制機能の低下によって出てしまっている場合である。また認知症の初期症状、薬の影響なども、(認知症サポーター養成研修などでは、古くからの友人のこのような言動の変化パターンについて解説されることがある。この場合、認知症に対する理叨が深まることで、むしろ友人が優しく見守ってくれることもある。

 もう一つは、羞恥からくる不安が高じてジレンマとなり、他者と上手く関われなくなる場合である。たとえば、ある自治会のシニアサロン活動の一環で、手芸の企画があった。その方は、自分は手芸が得意だと思って楽しみにしていたが、その日同年代の参加者と比較して自分の手芸品が劣っているように思えて、恥ずかしくなったというのである。それ以来、何かにつけて自分の衰えが気になるようになり、サロンに通えなくなり、孤立を深めていく。高齢期の女性の比率が多いサロンは、「おしゃべりだけのサロン」が一番盛り上がる、というのもサロン活動経験者の知るところである。(つづく)

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地域包括ケアと自己実現の居場所づくり①

2024年03月23日 | 日記

『超高齢社会のまちづくり: 地域包括ケアと自己実現の居場所づくり』(2023/4/13・後藤純著)からの転載です。

 

健康寿命

 長生きできればそれで良いわけではない。次に重要になるのが、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を除いた健康寿命である(図4)。日本では、この寝たきりの期間が欧米各国と比べても、長いことが知られている。その差は男性で約8年、女性で約13年である。男性は72~73歳から、女性は74~75歳から身体的な機能が衰えていく。死亡数最頻値を基準に考えると、約5~20年は体の機能が低下しつつも暮らしていくことになる。

 本書では、いかにして健康寿命延伸にまちづくりが貢献できるか、そしていつか身体機能・認知機能が低下しても自分らしく自己実現できるまちをつくれるか、この二つが重要だと考えている。

 

 男性はだいたい72、73歳から少しずつ身体機能・認知機能が虚弱化してくる。このような状態を、加齢に伴う「フレイル(虚弱)」と呼ぶ(9章参照)。この段階では、まだ元気で生活は自立的に営める。 75歳を少し過ぎたあたりから手段的日常動作(IADL)が低下してくるので、これまで自力で病院に通っていた人たちが、バスを乗り継げなくなるとか、ATMでお金を下ろせなくなるとか、知的活動機能が衰えてできないことが増えていく。そして男性の場合83、84歳を過ぎたあたりで寝たきりになり、家族等の通院介助がなければ、自宅で暮せず入院となる。

 

 住民と話をしていると、自分だけは「ぴんぴんころり」、誰にも迷惑をかけずに暮せると信じたい人が多い。しかし図5では男性の1割程度である。「みなさんの近所に、ぴんぴんころりの方はどのくらいいると思いますか?」と聞くと、「近所はみんな元気だよ」と答えてくれる。私は、これを「ぴんぴん、ドロン」と呼んでいる。要するに元気な間に姿を見せているだけで、弱ったら家に住めないので、息子に引き取られたり、入院したりで、地域に顔を出さなくなる。我が街には元気な人しかいないのではなく、弱ってしまうと住めないためである。[我が町は高齢化率が低い]というのは、要介護状態になると住み続けられないから高齢化率が低めに出ていることもある。いまはまだ施設等の受け入れ先があるが、今後は受け入れてもらえる施設もなくなり、ドロンもできなくなるのではないか。

 女性の場合は男性より緩やかに老化するために寿命が長いといわれている。他方で、変形性膝関節症や骨粗しょう症など、運動器に障害を抱えやすく、自力で病院等に通えなくなる。また女性の場合、認知機能が緩やかに低下しているため、普段は元気でも風邪をひいたとか、体調が悪いとき、自分で買い物に出かけて台所で調理をしてという生活の基本的なことが億劫になりやすい。これが3日、4日と続くと、食事がまともに取れないので、低栄養状態が進む。兀気なときは、まだまだ自宅で頑張るぞと思うが、体調が悪くなるとどこか施設に入れて欲しいと後ろ向きになる。(つづく)

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どうやって書くのが正しい?

2024年03月22日 | 日記

『どうしてそうなった!? いきものの名前: 奥深い和名と学名の意味・しくみ・由来』(2023/12/26・丸山貴史著、岡西政典監修)、から「へー、そうなんだ」と思った話題を一つ転載します。

 

どうやって書くのが正しい?

 

  • NHKの基準

 みなさんは、日本語で生きものの名前を書くときに、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」のどれを使いますか。もしも、あなたが個人的な文章を書いているのなら、どんな表記でもよいでしょう。でも、博物館の展示パネルや、幼児向けではない図鑑など、生きものを科学的に紹介するときには、必ずカタカナで書かれます。

 この、カタカナで書くというルールは、各生物分野の学会で個別に定められたものです。なので、生物学を意識した文章を書く場合は、カタカナ表記が適切だといえるでしょう。ただし、すべての生きものの名前をカタカナ表記すべきなのかというと、そんなことはありません。たとえば料理番組では、こんな表記が見られました。

 

 豚、牛、鶏、わに(ワニ)まぐろ、たら、かに、大根、にんじん、ごぼう、じゃがいも、たまねぎ、春菊、菜の花、キャベツ、レタス、さやいんげん、ほうれんそう(ほうれん草)、梅、オリーブ

 

 一見しかところ規則性がないように思えますが、どのようなルールに則っているのかわかりますか。調べてみたところ、NHKには料理番組に限らす、次のような基準があるそうです。

 

基本ルール

 

 動物や植物(含む野菜)を表す漢字が常用漢字表にあれば漢字。なければひらがなで書きます。学術的な場合は、力夕力ナで書きます。

 ひらがなで書くのは、動植物名を表す文字が常用漢字や常用漢字音訓表に含まれていない場合です。動物では、「とら」「くま」など、植物では、「ひのき」[らん]など。動植物名のほとんどがこれ(ひらがな表記)にあたります。

 動植物名を、学術的名称として使う場合には、カタカナで書くことになっています。例えば[バラ科]「サクラ属」。

 ※ただし、上記によらず、外来語はカタカナ表記。(著者注)

      (NHK放送文化研究所)より抜粋

 

なんと、基本は漢字で常用漢字にない場合はひらがな、そして、分類名のような学術的名称のみカタカナというルールなのだそうです。ただし、このルールにも、愛昧なところがあります。たとえば、「菜の花」は漢字仮名まじり表記ですが、「玉ねぎ]という表記は使われていません。「にんじん]は漢字で書くと「人参」なので、どちらも常用漢字ですが、「参(じん)」という読みが常用漢字表にないので、[人じん]という奇妙な表記を避けて、ひらがな表記にしているのでしょう。また、[じゃがいも]は外来語である「ジャガタラ芋」に由来しますが、「ジャガいも」とは表記されません。そして、「わに」や「ほうれんそう」には、「ワニ」「ほうれん草」という「表記のゆれ」が見られます。

 さらに、ニュース番組においても、「熊に襲われて崖から転落」「69歳の男性がクマに襲われた」というように統一されていないことがあり、内部規程を遵守していそうな雰囲気のあるNHKも、生きものの名前の表記に関しては厳密でないようです。(以上)

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