この二日間は両日とも雨、昨日などは、睡眠充分で二日間雨はないだろうと張り切って外へ出ると雨、そのままパソコンに向かって残部整理ができました。ウオーキング出ようと思ったのが4時40分、残務整理がはかどりました。
今日は、NHK深夜便の心の時代、五木寛之さん「わが人生に歌がかり」を聞きながらスタート。今日の歌がかりは1983年ごろ、京都の龍谷大学へ聴講へ行っていたころな話なので興味深く聞きました。深夜便が終わるとスイッチを切って、そして5時になる頃に、スイッチオン、いやその前だったかも知れない。
ラジオから「本日は世界禁煙デー」と流れてきました。
アナウンサーの方が、アンケートによって禁煙した理由を聞いたとこと、他人に迷惑がかかるからなどと言った他人のためよりも、自分の健康とか金がかかるとかの自分のために禁煙する人が多かったなどと、世相を伝えていました。
私はそのコメントを聞きながら「念仏によって禁煙した人など自分以外にいないかも知れらい」とふっと思ったことです。
念仏のよって禁煙した?
それはこういうことです。産経新聞のコラム(西原執筆1999年掲載)から引きます。
禁煙
私は念仏によってタバコを止めたという経験があります。それは学生の頃、ある本を読んでいた時に起こりました。
「隠れ念仏」という史実をご存じでしょうか。鹿児島を中心とする旧薩摩藩では、慶長二年(1598)以来、明治九年(1876)に至るまで、浄土真宗の念仏を禁止するという宗教統制が行われたのです。禁を犯す者は、斬首、はりつけ・火あぶり等の極刑に処せられ、あるいは逆さずりや、石責めなどの過酷な拷問にかけられたと伝えられています。
天保年間の弾圧だけでも藩内十四万人が検挙され、難を逃れ藩外に逃れた者は一夜でけでも2804人に及ぶと史禄にあります。
そうした暗黒の弾圧を繰り返される中、真宗門徒は、洞窟に潜み、あるいは様々なからくりを用い、地下組織の講をつくり念仏を相続しました。
現在でも鹿児島地方には「隠れ念仏洞」の跡が点在し、お年寄りの口からは、実際の体験者から聞いた逸話を聞くことが出来ます。
さて、ある本とはその隠れ念仏の史実をまとめた書物でした。その本には、拷問による死の間際、許され念仏を称えて死んで逝った人。海に舟を出し、荒波の中で念仏した逸話。また禁制の中、決死の覚悟で布教伝道した僧の史実などが綴られていました。念仏を申すことが許されない状況の中で念仏を称え続けた人たちの記録です。
その史実に接していたら、自由に念仏を称えることの出来る有り難さがこみ上げてきました。浄土真宗の念仏は、念仏として私に届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れる営みです。その念仏を称えることを禁じられたのです。念仏を申せずに必死に耐え忍んだ人たちの苦渋は想像を絶します。
その途端ふと、タバコの煙を出すことを我慢する事のたわいのなさ思われました。それから1,2ヶ月は、タバコのことが思いにかかると、念仏を申すことの喜びを噛みしめて過ごしました。そしたらいつの間には禁煙という思いのないまま、タバコから解放されていたのです。(以上)
禁煙といえば2年前、聞いたみやざきホスピタルの宮在幸枝さんの禁煙方法を思い出されました。
今日は、NHK深夜便の心の時代、五木寛之さん「わが人生に歌がかり」を聞きながらスタート。今日の歌がかりは1983年ごろ、京都の龍谷大学へ聴講へ行っていたころな話なので興味深く聞きました。深夜便が終わるとスイッチを切って、そして5時になる頃に、スイッチオン、いやその前だったかも知れない。
ラジオから「本日は世界禁煙デー」と流れてきました。
アナウンサーの方が、アンケートによって禁煙した理由を聞いたとこと、他人に迷惑がかかるからなどと言った他人のためよりも、自分の健康とか金がかかるとかの自分のために禁煙する人が多かったなどと、世相を伝えていました。
私はそのコメントを聞きながら「念仏によって禁煙した人など自分以外にいないかも知れらい」とふっと思ったことです。
念仏のよって禁煙した?
それはこういうことです。産経新聞のコラム(西原執筆1999年掲載)から引きます。
禁煙
私は念仏によってタバコを止めたという経験があります。それは学生の頃、ある本を読んでいた時に起こりました。
「隠れ念仏」という史実をご存じでしょうか。鹿児島を中心とする旧薩摩藩では、慶長二年(1598)以来、明治九年(1876)に至るまで、浄土真宗の念仏を禁止するという宗教統制が行われたのです。禁を犯す者は、斬首、はりつけ・火あぶり等の極刑に処せられ、あるいは逆さずりや、石責めなどの過酷な拷問にかけられたと伝えられています。
天保年間の弾圧だけでも藩内十四万人が検挙され、難を逃れ藩外に逃れた者は一夜でけでも2804人に及ぶと史禄にあります。
そうした暗黒の弾圧を繰り返される中、真宗門徒は、洞窟に潜み、あるいは様々なからくりを用い、地下組織の講をつくり念仏を相続しました。
現在でも鹿児島地方には「隠れ念仏洞」の跡が点在し、お年寄りの口からは、実際の体験者から聞いた逸話を聞くことが出来ます。
さて、ある本とはその隠れ念仏の史実をまとめた書物でした。その本には、拷問による死の間際、許され念仏を称えて死んで逝った人。海に舟を出し、荒波の中で念仏した逸話。また禁制の中、決死の覚悟で布教伝道した僧の史実などが綴られていました。念仏を申すことが許されない状況の中で念仏を称え続けた人たちの記録です。
その史実に接していたら、自由に念仏を称えることの出来る有り難さがこみ上げてきました。浄土真宗の念仏は、念仏として私に届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れる営みです。その念仏を称えることを禁じられたのです。念仏を申せずに必死に耐え忍んだ人たちの苦渋は想像を絶します。
その途端ふと、タバコの煙を出すことを我慢する事のたわいのなさ思われました。それから1,2ヶ月は、タバコのことが思いにかかると、念仏を申すことの喜びを噛みしめて過ごしました。そしたらいつの間には禁煙という思いのないまま、タバコから解放されていたのです。(以上)
禁煙といえば2年前、聞いたみやざきホスピタルの宮在幸枝さんの禁煙方法を思い出されました。