『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで』(中公新書・2023/9/21・春日武彦著)からの転載です。
死はなぜ恐ろしいのか。そこを考察するために、死には三つの要素が備わっていて、それらがわたしたちを脅かすのではないかと想定してみる。すなわち、
① 永遠。
② 未知。
③ 不可逆。
この三要素である。順次検討してみよう。
まず〈水遠〉について。死後の世界はおそらく永遠と同義である。死んだ者は二度と戻ってこない。わたしたち生者は有限の世界に住み、死者は永遠の世界に住む。もしも死後悲しみや孤独や苦痛に支配されていたら、それは終わることなく永久に続くわけである。想像しただけでぞっとする。
だが死んだ本人にとっては、そこから始まる何か(無といったものも含か)がある筈だ。それは自分独りで、孤立無援の状態で受け止めなければならない。しかもそれは〈水遠〉〈未知〉〈不可逆〉という性質を帯びている。
得体が知れぬという点においては、死は「不安」を喚起する事象である。掴み所がなく、曖昧で、準備や対応が一切できぬゆえに強烈な不安を募らせる。が、誰もが必ず死を迎えるのは事実そのものであり、その点において死はきわめて具体的であり鮮明である。となれば、死はむしろ「恐怖」を喚起する事象としたほうが良いかも知れない。そして実際のところはヽ不安と恐怖とが混ぜ合わされ倍増されたものが死の放つオーラということになろう。強烈な禍々しさを帯びているのも無理はない。
ネットを覗くと、死が恐ろしくて仕方がない、だから何も手がつかないし、どのような心構えを持てば気持ちが安らぐのか、といっか質聞がたくさん飛び交ってしる。それに対して、主に僧侶が積極的に返答をしている。どんな答友か示されているのか。
率直に申せば、答えではなくただ言葉のレベルで体裁よく言し繕っているとしか思えないのである。たとえば「死んでも悔いはない境地を目指しなさい」「だからこそ悔いのない人生を送るべきだ」「いつ死ぬか分からないのだから、せめて今を大切に精一杯生きましょう」としった回答がやたらと目につく。その通りではあるが、質問者は〈水遠〉〈未知〉〈不可逆〉にたじろいでいるのである。そこをスルーしては、「はぐらかし」と思われても仕方があるまい。(死は結局のところ)もとの場所に戻るだけですから、うろたえる必要なんかなしでしよ」といった意味の回答もあった。これはかなりスマートな返答だとは思うが、やはり、ああそうか・なるほど、そんなふうに考えれば、死なんて恐れるに足らないよねえ。いやあ、すっきりしました、ありがとう」とはなるまい。遠回しに輪廻転生を肯定しているようにも思えるのだ、か、どうもはっきりしない。