仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

人類進化の謎を解き明かす

2017年03月29日 | 日記
『人類進化の謎を解き明かす』 ([著]ロビン・ダンバー)、この本は、今までの人類の進化が化石や地球環境といった視点から研究されてきましたが、本書では認知的側面と社会的側面からアプローチしています。

とくにこの本では、「時間収支」という仮説が目を引く。一日の生活は、「摂食・移動・休息」、そして、集団(の絆)を維持するための「社交」からなる。それらのための時間をどう配分するかが、時間収支だという。
 特に重要なのは、社交のための時間。類人猿の段階では、それは毛づくろい(グルーミング)であった。それが脳内物質エンドルフィンをもたらす。人類において、毛づくろいに代わるものとして、集団における、笑い、歌、踊り、さらに、言語が生まれた。たとえば、摂食のための移動・労働などに時間をとられるようになると、社交のための時間が不足する。すると、集団が崩壊してしまう。また、集団の規模が大きくなっても、同じことになる。集団を広げつつそれを維持するためには、社交を集約し効率化しなければならない。それを果たすのが、祭式であり、また宗教であるという。

本を読みながら、お寺の維持にも言えると思いました。宗教の進化についても、社会的側面から説いています。その部分だけ転載します。

宗教は小規模社会の結束と帰属意識を強化する方法として進化したようだ。しかし宗教には、どうしても彼我の別、グループ内/グループ外の別にこだわるものの見方につながるという残念な部分がある。世界像を共有し、同じ宗教的経験をもち、同じ行動規範にしたがうことは、自分の共同体と隣の谷の住人(素行か悪く、唾棄すべき所業におよび、一般に好ましくない)のあいだに明確な境界線を引くことになるのだ。


同時に、信仰心(世界観、起源にかかわる物語、道徳観かかかわることか多い)が共同体への帰属意識に与える影響を見くびってはいけない。この点において、これは友情を特徴づける基本的な次元に直接かかわるようだ。それはまるで、教理宗教が生まれるときに、きわめて大勢のまったく見知らぬ人から成る架空の共同体への帰属意識をつくるための基盤として、友情を補強する基本的な心理過程か利用されたかのようなのだ。血縁関係の重要性がここでも尊重される。ほとんどすべての教義を重んずる宗教は、近い血縁関係を意味する言葉(父、母、兄弟、姉妹)を用いて、家族的な親密性の錯覚をつくり上げようとしているかに見える。(以上)

本ではもっと細かる論じているの興味のある方は読んでみてください。“社交のための時間が不足する。すると、集団が崩壊してしまう。”“宗教は小規模社会の結束と帰属意識を強化する方法として進化したようだ”。この2点は、共同体の中で寺院が、これから展開していく重要な視点です。
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完全教祖マニュアル

2017年03月28日 | 都市開教
『完全教祖マニュアル』 (ちくま新書・ 2009/11架神 恭介著)という宗教をパロディにした本があります。いがいと宗教の社会的な側面を取り上げていて一般の人が宗教を理解するには役立つ本です。特に新宗教への免疫本としては、最良です。

「教祖はこんなに素晴らしい!」「神を生み出そう」「既存の宗教を焼きなおそう」「大衆に迎合しよう」「現世利益をうたおう」「偶像崇拝しよう」「弱っている人を探そう」「金持ちを狙おう」「他教をこきおろそう」「甘い汁を吸おう」「奇跡をおこそう」など、ふざけた小タイトルが続きますが、それなりに説得力のある内容になっています。

たといえ「偶像崇拝しよう」では、次のようにあります。

偶像崇拝を禁止している宗教もあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は偶像崇拝禁止で、特にユダヤ教、イスラム教は厳しく禁止しています。しかし、旧約聖書によれば、指導者のモーゼが一般人を残してシナイ山に籠ってしまうと、残された人々は形のある神が欲しくなり、金の子牛像を作ってそれを礼拝したと伝えられています。
これは結局、神の怒りに触れてしまうわけです。いつの時代でも人は形のある崇拝対象を求めることが分かりますね。…また、ムハンマドはメッカを征服した時に他部族の崇拝していた偶像を破壊しましたが、これは逆に言えば。それだけ偶像の力が看過できないものだったということでしょう。(以上)

「不安を煽ろう」では、次のようにあります。


ここで大事なのは、相手は今まで「困っていると認識していなかった」ことです。
「困っている」と思っていない相手に対し、「実はお前はこれこれこういう理由で、本当は既に困ってるんだぞ」というわけですから。…

 仏教で言うならば、世間の人たちが老衰や病気、死をなんとなく受け止めている一方で釈迦は老人や病人や死人を見て真剣にシ’ツクを受けたのです。「オレつて何不自由ない王子様だと思ってたけと、老いとか病気ショックとか死とか全然免れないじゃん。オレつて実はスッゲー困ってるじゃん」と彼が気付いたのが、そもそもの仏教のスタートなのです。
釈迦はこの認識に上り、「何となく受け止めていること」を「困っていること」に変え、それを解決するための宗教を作ったわけですね。普通の人は自分が老化したり病気になったりするまで、この世が苦しみばかりだとは思わないものですか、釈迦は他人か苦しむさまを見ただけで危機感を持ち、若いうちからこれへの解決に乗り出したのです。この辺りは宗教者としての彼の突出したセンスと言えるでしょう。(以上)

「神を生み出そう」では、次のようにあります。

神がいるとどんな良いことがあるのでしょう?一つ例を挙げるならば、「うまくいかなかった時に神のせいにできる」というのがあります。たとえば。現代日木には[努力すれば夢はきっと叶う]という風潮かありますよね。しかし、あれは現代日本人の勘違いです。努力したってダメな時はダメです。…もし。あなたが全知全能の神を信じていれば、「まあ。これも神の思し召しだろう」と神のせいにできるのです。(以上)

それなりに面白い本です。
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親鸞の思想―宗教心理学の視点から

2017年03月27日 | 都市開教
『親鸞の思想―宗教心理学の視点から』(法蔵館・寺川幽芳著)を県立図書館がから借りてきました。浄土真宗を心理学の立場から研究されている方で、龍谷大学の教授でもあった方です。この本は今までの論文を集約した本なので研究書です。

第4章に「現代真宗伝道の基底」とあり、仏教カウンセリング等について論述されています。
少しだけ転載します。

浄土系教団の活力の衰退の背景には、日本仏教の中核を成す大教団を形成してきたその根幹を揺るがすような事態か多方面にわたって生じているからであろう。それは言うまでもなく、特にここ四十年ほどの間に生じた急速かつ多様な社会的文化的変動である。
例えば、かつては「家」の観念と制度を基盤として展開されてきた伝道のシステムが、急速な都市への人口集少中や核家族化によって行き詰まりをみせ、想像を超える早さで進行する社会構造や価値観の変化に対応できないが状況か生じてきたのである。

 …また、浄十真宗では芥儀の前後や法事にさいして法話が行われるのが普通であるか、私の寡聞ではあるが「地獄とか極楽とか聞くとお伽話のようで信じられない」といった。伝統的な浄土教の表象か理解されなくなっているという現状があり、急速に進む漢字離れ・口本語離れという現状のもとでは、伝統的な仏教用語もただそれを語るだけではほとんど理解されないというのが一般的な状況になっている。(以上)

と浄土教衰退の危惧を説かれています。釈尊が入滅して500年後に仏道が誕生する。それは何らかのイメージすなわち象徴的表像のかいすることなしに、宗教的真実にかかわることがいかに至難のことであるかを物語るものであり、親鸞聖人が礼拝の対象として名号を重要視したことは、名号の視覚化であり、阿弥陀如の新しい表像であり、新しい浄土教儀礼であったに違いないと説かれています。
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自殺を考える人が増えた

2017年03月26日 | 現代の病理
2017.3.21の『産経新聞』に“新成人男女の2割「本気で自殺考えた」 厚労省意識調査”という記事が掲載されていました。以下転載


「本気で自殺したい」と考えた人が、調査した成人男女の約2割に上ることが21日、厚生労働省の自殺対策に関する意識調査で明らかになった。これまでの調査で最多となる。ただ自殺者数は近年、減少傾向にあり、厚労省の担当者は「行動を起こさないという対策が一定の効果を果たしている」と分析している。
 意識調査は平成20年からおよそ4年ごとに行われ、3回目となる今回は、28年10月に全国の20歳以上の男女3千人を対象に実施(回収率67・3%)。「自殺したい」と考えた人は今回23・6%で、前回(23・4%)、前々回(19・1%)より増えた。「最近1年以内に自殺したい」と考えた人は4・5%に上った。
 自殺を考えた経験がある人を男女別でみると、女性が25・6%で、男性の21・4%を上回った。特に女性の30代(32・3%)、50代(31%)が高い傾向にある。
 どのように乗り越えたか尋ねたところ、複数回答で「趣味や仕事などで気を紛らわせるよう努めた」が36・7%で最も多く、次いで「家族や友人、同僚ら身近な人に悩みを聞いてもらった」が32・1%だった。
今回新たに付け加えられた項目では、「児童・生徒が自殺予防について学ぶ機会があった方がよい」と思う人は83・1%、自殺予防に資するものとして「ストレスへの対処方法を知ること」が51・4%に上った。(以上)

自殺を考える要因は沢山ありますが、一つの仮説として、日常にバーチャル(実体を伴わないさま。仮想的)な体験が昔以上に日常化しているので、仮想と現実が、はっきりと区別がつきにくくなっているのではないか。
昔なら、自殺を考えることは、そのまま体験を想定し身震いする。よって自殺を考えること自体が想起されなかった。バーチャルなことに親しんでいる現代は、容易に自殺を想像し得てしまう。

考えが少し飛躍しますが、現実の体験的な苦しみが、バーチャルに慣れ親しんだ人は、バーチャルに慣れ親しんでいない人よりも深い痛手を負うのではないか。創造する力が不安や思いを深めていくからです。そう思われます。
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司馬遼太郎と宗教

2017年03月25日 | 浄土真宗とは?
 『週刊朝日』に「司馬遼太郎と宗教」(2017.3.3)・「講演録 法然と親鸞 上」(2017.3.17)・「講演緑 法然と親鸞 下」(2017.3.24)が掲載されていたと、世話人のご門徒がコピーを持参してくれました。

「司馬遼太郎と宗教」(2017.3.3)の冒頭に次のようにあります。

 昭和20年代半ば、産紅新聞京都支局の記者だった司馬さんは、連合国単総司令部(GHQ)に呼び出されたことがあった。
〈白く焼きあげた丸パンのような顔〉をした中佐から、こんな質問をされたという。
 「親鸞という十三世紀の僧は、悪人をほめたたえて、悪人のほうが天国にゆけると説いたというのは、本当かね」
 なかなかのインテリらしい。 
「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや」という、『歎異抄』の有名な一節を聞きつけたのだろう。
 東西本願寺の鬥徒数はざっと日本の総人口の!割を超える。
《それだけの勢力の教団が日夜「悪」を勧めているとなると、占領軍として見捨てておけなかったにちがいない》(『南蛮のみちI』)
 こうして、宗教記者会の若い記者だった司馬さんに、本願寺弁護”の重責か回ってきたようだ。
 もっとも、「善人でさえ浄上に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません」
 という意味はなかなか通じない。 キーワードは『悪人』だった。
 《キリスト教でできあかっているはずのかれに、仏教や親鸞における悪人の意味を説くのは至難のことだった》
仏教の場合、悪人とは罪人を指す言葉ではない。悪の要素である利己心を持ち、貪欲であり、愚昧な人間といった意味になる。
 《たいていの人間は仏教的には悪人である》
 つまり、凡人ということだろう。 これに対し善人は悪から解脱する智慧を持ち、自力的な苦行にも耐えられる人であり、そんな天才はめったにいない。(以下省略)

興味のある方は、図書館で見てください。

 
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