仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

『看取り士』

2016年07月26日 | 都市開教
今日(28.7.25)のラジオ深夜便「明日へのことば」は“大切な人が旅立つ時に〟と題して
看取りの家・なごみの里代表理事である柴田久美子さんへのインタビューでした。

この放送で初めて臨終の看取りを行う『看取り士』という職種があることを知りました。
マザー・テレサの「たとえ、人生の99%が不幸でも、最期の1%が幸せなら、その人の人生は美しいものに変わっていくのです」の言葉に感動し、実践するようになったと語っていました。

臨終の看取り専門職としている活動で、介護を必要とする人を24時間体制で見守る「エンゼルチーム」という活動も展開し、このエンゼルチームは、現在、看取り士 106 名と 128 支部のエンゼルの皆様が全国で活動をしているという。

また日本看取り士会では、看取り士養成講座、看取り学講座、1日胎内内観及び長期の胎内内観研修の受講生様を常時募集し、「看取り士」を育成しているようです。
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「カタカナ」か「ひらがな」か

2016年07月25日 | 親鸞聖人
永く御文章は“カタカナ”書きでした。親鸞聖人もご和讃などは、漢字とカタカナ書きでお手紙は、漢字とひらがな書です。なぜ、カタカナであったりひらがなであったりするのか。

『日本語にとってカタカナとは何か』 (河出ブックス・山口 謡司著)を借りてきて読みました

「<カタカナ>とは、すなわち、「生」の外国語の発音を可能な限り日本語として写し、外国の文化を我が国に移植するための小さな「種」のようなものなのではないだろうか。」

「 <カタカナ>は、まさに、その柔軟性をもって外国語を受け入れ、日本の文化に浸透させる役割を果たしたのである。これなくしては、日本語はこれほどまでにおもしろく発達することはなかったであろう。<カタカナ>は、文化の最前線で戦う日本語の格闘家たちなのである」

とあるように外国語、カタカナ成立当時は、悉曇学(しったんがく)という、中国や日本における梵字に対する音韻の学問の中で成立したようです。

カタカナが大まか大成されたのは平安時代末になってのことのようです。天台の僧である明覚(みょうがく1056年 - 没年不詳)が、『悉曇要訣』『梵字形音義』『反音作法』などを表し、今日に近い「五十音図」を示しています。

そして慈円和尚の愚管抄』が、漢字と《カタカナ》を交えて書かれます。

慈円は、その理由として、「僻(ひとえに)ニ仮名二書ツクル事、是モ道理ヲ思ヒテ書ル也」と、歴史の道理が分かるようにカタカナを用いたとあります。

ここに和歌などの文学は、漢字とひらがな、教義や道理を示すものは漢字とカタカナというマナーが生まれたようです。

 そして親鸞聖人は、教義を示した『唯信鈔文意』や『和讃』などは、漢字と《カタカナ》交じりで記され、お手紙は、心を伝えるものであるので漢字と《ひらがな》で書かれたようです。

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遺品供養士

2016年07月24日 | セレモニー
FAXで「遺品供養士 23級検定申込受付中」なる案内書が入っていました。「遺品整理士」(一般社団法人 遺品整理士認定協会)は、聴いたことがありますが、「遺品供養士」は初めて聞く商売(?)でした。

ネットで見ると一般社団法人 遺品供養カルチャー協会が「遺品供養士1級検定」等を開催しています。「供養に関してのルーツの知識の講習と遺品整理の知識、実施練習」とあります。

他に「遺品査定士」なる商売もありました。「業界において、『遺品の買取・査定』という、新たな市場を創設いたします」とあります。

遺品整理士養成講座は、一般財団法人 日本経営教育センターでも開催しているので、手を上げたもの順といった傾向があります。

死に関わる商売が、まだまだ設立されていくことでしょう。
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扇の作法

2016年07月23日 | セレモニー
20日(28.7)僧侶研修会で築地本願寺へ。

講堂は冷房が入っているもの、暑いので扇子を使っている人が数名おられました。講義中に講師の目の前で扇子で煽いでいる人がいました。ふと先日読んだ小笠原敬承斎著『誰も教えてくらない男の礼儀作法』の一節を思い出しました。それは扇子の使い方についてです。
上記の本は、武士の礼法を底本にしたものです。いわく

自然難儀ならば二、三間ひらきて使うべし。皆開きては我心十分に似たり

とあり、扇は少々開く程度の状態で用いるならばよし、とした。それは、上の人に対する配だけでなく、周囲の誰であっても、自らの暑いという気持ちを全面に出しきらないようにという慎みの表れでもある。(以上)

言われてみれば、その通りです。ご講師の目の前で、扇を全開して煽ぐことは慎むべきでしょう。
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大病を得て自分発見

2016年07月22日 | 日記
昨21日、知人の森永秀嶺さんが往生され、通夜の聴聞へ行きました。肺がんで15回入退院を繰り返したという。先月始め、電話を下さり「残された時間が少なく、まもなく浄土へ往きます」という電話を下さった。通夜では、法友たちが仏教讃歌を歌ってくださった。今日の葬儀も、みんなで歌うという。

がん患者・家族語らいの会通信(2013.6.12)に、病床での思いを語って下さっているので、少し転載します。

煩悩をかくも隠し持つ我なりき大病を得ていまさらに知る
こんなにもオプティミストであったとは! 大病を得て自分発見
わが病を知りし友より便りあり読み返しつつ抱きて眠る
いまさずば死にて終わるもいますゆえいのち永久(トワ)なるなんと不可思議
がんを抱き取り出されたる黒い塊 八十年間ありがとう肺
がんを抱く摘出肺はやや萎縮 事件起こした子どものように
今日ひと日「痛い!苦しい!」は何百回 「ナモアミダブ」はほんの数回
入院の救急車料払いしも弥陀の車は無賃で乗車
弥陀さまとシングルベッドに共寝して病床みるみる ふかふかとなる
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