仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

普通という暴力

2016年12月05日 | 現代の病理
『在家仏教』(2017.1月号)が送られてきました。私が10月に、在家仏教協会で講演した“現代の病理と浄土真宗”の講演録が掲載されています。下記の、講演の一部です。

普通という暴力

まずは“普通という暴力”です。4月頃、図書館で書棚を見ていたら『これが ぼくらの 五体満足』(先天性四肢障害児父母の会 1999/12)が目に留まりました。乙武さんの不倫騒動で、「五体不満足」が、たびたびマスコミに取り上げられているので、何か面白そうと借りてきました。

 この本は先天性四肢障害児や両親100人が、それぞれの体験を書いている本です。このタイトルの「これが ぼくらの 五体満足」とは、手足が欠損して生まれ、欠損していることが普通のこととして育つ。欠損しているままで普通の健康体、それがタイトルの“五体満足”の意味です。良い本でした。そして登場人物みんなが、人として素晴らしい。逆境を通して心が育まれていくということでしょう。

 四肢障害があっても何不自由なく当たり前として人として育つ。ところが幼稚園に行き、「あんたは普通じゃない」といじめに会う。当人にとってはつらいことです。ここに普通という暴力がります。「普通でない」と他者の指摘によって傷つき、また自らも普通であるべきという価値観によって自分を罰していく。不幸なことです。

 私たちは普通に生まれて、普通の大学へ行って、普通に就職して、普通に人と結婚して、普通の家庭をもって、普通に老いて、普通に死んで逝く。その中で普通ではないことが起こった時、不幸として負い目を持ちます。大学へ行かなくても、結婚できなくても、どのような死にかたでも、普通の自分でいられるこれが大事です。でもこの世の中には“普通という暴力”があると自覚している人は少数派です。現代の病理というのは、このように“普通”という顔をしていて見えにくい状態にあります。(以上)
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近代科学の功罪

2016年12月04日 | 現代の病理
以前借りたことのある同じ本を借りることが複数回あります。『21世紀社会とは何かー現代社会学入門』(船津衛他編者)を借りてきて、表紙を見て、以前、借りた本であることに気づきました。せっかくなので拾い読みをしました。

その中に次のような記述がありました。まずは転載。

近代科学の特性
 近代科学は、本来、魔術からの解放を行うものであり、神話を解体し、知によって空想の権威を失墜させ、人々を野蛮から文明へと導くはずのものであった。しかし、今日、魔術からの解放を行うはずの理性が再び魔術となり、啓蒙によって人々は野蛮状態に陥ってしまっている。つまり、科学・技術の発展か人類の繁栄ではなく、その消滅に向かわせるようになっている。
 一体、なぜ人類は新しい野蛮状態に落ち込んでしまうのだろうか。ホルクハイマーたちによれば、それは啓蒙が自然支配を目指す道具的理性に基づくものとなっているからである。人類は啓蒙によって文明を獲得し、野蛮を克服し、科学・技術による自然の支配を行おうとした。しかも、その方法を人間関係にも適用し、人間の合理的支配を目指すものとなった。しかし、その合理性は技術的、形式合理性となり、人間を疎外・物象化させてしまった。理性は自然支配の手段としての道具的理性となり、知の技術的合理化を生み出している。人間の自然支配は、逆に、人間の自然への隷属、客体への転落を引き起こしてしまった。(以上)

ややこしく書いてありますが、役に立つか立たないかによって自然を征服してきた理性が、人間をも、役に立つか立たないかで見てしまう文化を作り上げたということでしょう。ご参考までに。
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臨床宗教師倫理綱領

2016年12月03日 | 苦しみは成長のとびら
宗教業界新聞『中外日報』(2016.11.25日号)に“関東臨床宗教師会フォローアップ 研修初めて実施”という記事が出ていました。


 東京都港区の高野山真言宗龍生院で第1回フォローアップ研修開催で、谷山洋三・東北大准教授が「臨床宗教師の倫理とスーパトビジョン」と題して講演。その中に、次のような指摘がありました。

ケア対象者から「葬儀をしてほしい」と求められたケースを想定し、「臨床宗教師倫理綱領」に基づき、そのリスクを説明した。
谷山准教授は「布教ととられかねない行為であり、また“臨床宗教師”の他に“宗教者”という多重の関係が生まれ、トラブルにつながる」と注意を促し、どうしても行わざるを得なくなった場合でも、家族の意思確認や病院等の施設との相談、地域の宗教者の了解など、高いハードルがあると指摘した。(以上)

おっしゃる通りです。



臨床宗教師倫理綱領http://www.sal.tohoku.ac.jp/kokoro/blog/img/img3_file.pdf#search='%E8%87%A8%E5%BA%8A%E5%AE%97%E6%95%99%E5%B8%AB%E5%80%AB%E7%90%86%E7%B6%B1%E9%A0%98'
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先祖を尊ぶ

2016年12月02日 | 都市開教
先祖供養となると浄土真宗では×(ぺけ)です。そのために先祖を尊ぶという行為も、布教活動の上では積極的でなかった感があります。

これからの都市開教においては、“先祖を尊ぶ”ことと“価値観の啓発”、それと“苦しみに寄り添う”ことが、大事な柱になって行くと思われます。

都市部の家庭において先祖の痕跡といえば、仏壇の中だけでと言ってもいい状態です。その中で“先祖を尊ぶ”ことを、どう意味づけ生活のレベルに落としていくが問題です。

『宗教社会学を学ぶ人のために』(2016/4/5・井上 順孝 編集)に、“先祖祭祀とその変化”とう章があります。学問的に考究していっているので参考になります。

先祖の前に、まずは家族の機能の変化です。次のようにあります。

家族機能の変化については。オグバーン<w. F. Ogburn( 1886-岩沼)が指摘したように、経済・地位付与・教育・保護・宗教・娯楽・愛情という七つの機能を果たしていたものが、今や愛情以外の機能は企業・学校・政府などの専門機関に吸収されて衰弱してきたとされる。(以上)

先祖の機能について孝本貢「先祖祭祀」『新社会学辞典』を引用して次のようにあります。

先祖祭祀とは、先祖が子孫およびそれを取り巻く社会集団と死後も関わりをもち続けるという信仰に基づく儀礼の総体である。日本における先祖祭祀の機能としては、
① 家長が先祖から社会的地位を正当に継承したことを証拠だてる地位正当化の機能。
② 家長後継者である子の、親に対する尊敬と対立といったアンビバレントな感情を統制する孝の倫理を親の死後にも拡大する世代関係安定の機能。
③ 親族糾合の機能。
④ 先祖の恩徳に感謝し冥助を祈念することによる家の維持への動機づけの機能。
⑤ 個々の子孫を社会的に根拠づけ、実存的位置づけをもたらす自己認識の機能。

現在、先祖を追悼する人の割合はと言えば西久美子「“宗教的なもの”にひかれる日本人-ISSP国際比較調査(宗教)から」NHK文化研究所『放送研究と調査』から次のように引いています。

NHK放送文化研究所が参加する国際比較詞査グループのISSPで2008年に実施した「ISSP国際比較調査(宗教)」がある。これは、無作為抽出した全国16歳以上の国民1.800人を対象に配付回収法により調査し、有効数1.200人(67%)を得たものである。今それによれば、仏壇を 「毎日」または「ときどき」拝む人がいずれも23%で、「拝むこともある」人は21%だった。これを性別、年齢層別にみると、「毎日拝む」と「ときとき拝む」をあわせた回答は、16~19歳で男性19%、女性28%、30~39歳で男性25%、女性34%、40~49歳で男性28%、女性37%、50~59歳で男性50%、女性58%。60歳以上で男性58%、女性69%であり、年齢層が上がるにつれて拝む人の割合か増えて、どの年齢層も女性の方が多くなっている。…

 家の崩壊にもかかわらず先祖祭祀か存続しているという事実は、かえって先祖祭祀の変質を暗示している。それは伝統的な家観念に基づいた先祖観の退化と変質した家観念に基づいた先祖観の登場。すなわち直系出自を中心とするものから、双系的な志向をもっかものへの変化である。その変化は伝統的な社会におけるよりも、新宗教におけるものに顕著である。たとえば、都市化の過程で急成長した霊友会系諸教団においては、夫方妻方、父方母方双方の血統上の先祖が考えられ、所定の方法で先祖供養が行われている。また、先祖祭祀は子孫の義務で、それによって先祖は成仏し子孫に冥加を垂れるとみる観念から、先祖は子孫の追悼のなかにあるとみて記念祭を営むという観念への変化も認められる。これに関連して、祭祀機能の面では、前述した①から④の社会的・公的な機能が減退し、死者の追慕、慰霊。死者との交流による心的緊張の解消という個人的・私的な機能か強まっている。このような変化の傾向は森岡清美のいう先祖祭祀の「私化」として理解することができる。(以上)

引用が長くなりましたが、浄土真宗においても③④⑤の機能を認め、み教えとは別に推奨すべきでしょう。
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風の表現

2016年12月01日 | 日記
今日は雨、安心して早朝のラジオを聴いていました。

深夜便「明日へのことば」(28.12.1)は、“ライバルはCG 特殊効果に生きる”で、特殊効果の専門家である山口千波さんでした。
この方は、ネットで見ると、NHK紅白歌合戦でのお決まり、北島三郎さんに大量の紙吹雪を浴びせてきた人だ。特殊効果の世界で四半世紀活躍し今月、日本女性放送者懇談会の「放送ウーマン賞2015」を受賞した人でもあります。


お説教で、「風は見えないが、木の葉っぱの揺れで知ることが出来る。如来も…」と、よく聞くことですが、特殊効果では、その風を表現する時、送風機を使用して、葉っぱを揺らすだけではなく、風に木の葉を入れたり、砂ぼこりを混ぜたりして、工夫しているという。紙降らしも、四角い紙から丸い紙など、何十種類もあると言っていました。

擬似的な炎は、シルクベースの布を風で吹き上げ、そこに ライトを当てることにより、炎を見せるという。風の表現も奥が深いと思いながら聴いたことです。
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