仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

人工知能は意味を理解できない

2016年05月25日 | 日記
今日(28.5.25)の『読売新聞』に、東大合格を目指す人工知能「東ロボくん」の生みの親である国立情報学研究所の新井紀子教授の狄郵知能に負けるな瓩箸いΦ事が出ていました。

記事の中で興味深かったのは、「昨年12月の野村総合研究所の試算では、10〜20年後には日本の労働人口四半分の職種か、人工知能やロボットに置き換え可能性か高い」という一方、「人工知能が目覚ましく進化しているさまざまな仕事か将来は機械に置き換えられ、子どもたちの65%は、今は存在しない職業に就くとの予測もある。」ということです。

失う職業もあれば、新しい職種も増えるという。どんな職種かは書いてありませんでしたが、次の点は大いに参考になりました。
「近未来の人工知能にとって、意味を理解することは難しい。特に言葉の意味は理解できないと思います。だから、窓口業務や介護、教育は、すべて代替されることはないでしょう」という点です。

「3人のレンガ職人」という話があります。
 3人のレンガを運ぶ仕事をしている人がいた。一人は、とてもつまらなそうにレンガを運んでいる。その人に、何をしているのですかと聞くと「レンガをただ運んでいるだけです」ってつまらなそうに言う。
 2人目の人は、がんばってレンガを運んでいた。その人に、何をしているのですかと聞くと、「今、壁をつくっていて、このレンガはその壁につかわれるのです」と言った。
 3人目の人は、とても楽しそうにレンガを運んでいた。その人に、何をしているのですかと聞くと、「今、世界一のお城をつくっていて、このレンガはそのお城の壁に使われるんです!!」と、とても楽しそうに話していた。(以上)
 
意味とは生きがいや生きる希望をもたらすものです。究極的には、人工知能がいくら発達しても、私という存在は代換え不能で私にかわることはできないということでしょう。
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男より トイレを磨けと 妻が言う   

2016年05月24日 | 日記
2016年のサラリーマン川柳の発表がありました。
私が選んだ

男より トイレを磨けと 妻が言う   遅れてきた猫

は入選なし。以下入選作です。

<1位>
退職金 もらった瞬間 妻ドローン(元自衛官)

<2位>
じいちゃんが 建てても孫は、ばあちゃんち(川亨)

<3位>
キミだけは オレのものだよ マイナンバー(マイナ)

<4位>
娘来て 「誰もいないの?」 オレいるよ(チャッピー)

<5位>
福沢を 崩した途端 去る野口(サイの京子)

<6位>
カーナビよ 見放さないで 周辺で(トラ吉ジイジ)

<7位>
決めるのは いつも現場に いない人(七色とうがらし)

<8位>
妻が見る 「きょうの料理」 明日もでず(グルメ老)

<9位>
ラインより 心に響く 置手紙(豆電球)

<10位>
愛犬も 家族の番付 知っている(ワンワンマン)
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死者の力感じた中世人

2016年05月23日 | 親鸞聖人
『読売新聞』(28.5.23)に「死者の力感じた中世人 末木文美士・名誉教授がイメージ再検討」というタイトルで国際日本文化研究センター名誉教授(日本思想史)末木文美士氏が今般出版された『親鸞』(ミネルヴア書房)についての記事が出ていました。転載します。


末木さんが問題としたのは、教科書や倉田百三の戯曲『出家とその弟子』などの文芸作品を通じて一般化した、現代の親鸞像。祈祷を行うなど非合理で権力寄りだった旧仏教に対し、個人の内面を重んじる新仏教を広めた改革者であり、俗世で性欲などの悩みや罪悪感と向き合い、真理を求めた人物というイメージだ。 

「前者は合理主義や戦後の進歩主義にかなう人物像で、後者は近代的自我に悩む知識人のよう。近代や現代の感覚に引き寄せ過ぎで、実像とずれがある」

 親鸞の師・法然は、源平争乱で荒廃した旧仏教の地、奈良の復興に関わっている。当時、仏教の人脈や教義は入り組み、「旧仏教対新仏教」という単純な対立では捉えられないため、この構図に当てはめて親鸞を改革者と見るのは無理がある、とする。また中世にあっては、性はあまり罪悪視されず、宗教者はそこに真理に通じる神秘性さえ見いだした。伝記『御伝鈔』などを読むと、親鸞もそうだったことか分かるという。

 加えて中世人には、目に見える〈顕〉の世界と同じくらい、死者や神仏の〈冥〉の世界か重みを持った。親鸞もまた、亡き法然を勢至菩薩と同一視するなど〈冥〉を盛んに表現している。「親鷺も中世の人。神秘的で非合理だが、それゆえ、死者と交流できるような豊かなコスモロジーに生きた」と末木さんは説く。

 思想の再検討も試みている。真宗といえば、一心に念仏を唱えて阿弥陀仏にすがる[他力本願]や悪人こそ救われるとする「悪人正機」が知られる。この教えに対し、末木さんは親鸞の著作『教行信証』の〈(仏が)一切衆生を教化して、ともに仏道に向へしめたまふなり〉という文言や、悟りを求める「菩薩」に関する文章、伝記などを突き合わせた上で、こう解釈する。「人間の生には、仏だけでなく死者たちの力も働いていると親鸞は考えた。人間は仏と死者を感じながら菩薩の道を進むことか大切で、途中で力及ばす過ちを犯した〈悪人〉は救われる、と教えたかったのだと思う」(以上)

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降誕会

2016年05月22日 | 日記
当寺の墓地に共同墓地があります。毎月、第3土曜日、午後1時30分から、合同墓の合同参拝。昨21日の柏市は、真夏日でしたが、10名近く参拝されていました。

そして2時から管理等礼拝室で法話会。こちらは13名のご聴聞でした。副住職と私の毎月交代で法話で、昨日は私が話しました。どうも私自身の話題に流れる傾向があり、余裕のない話ぶりの0分でした。

またこの日は、築地本願寺で降誕会法要、世話人が引率して10名の参拝でした。
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共感力

2016年05月21日 | 日記
昨日の続きです。私が興味をもったのは、 “ヘビを怖がらない実践室で生まれたサルに、他のサルがヘビを怖がるのを遠くからほんのちょっと見ただけで、「百発百中、ヘビへの恐怖を獲得する」“という恐怖への同調です。本から転載してみます。

京都の嵐山に生息するニホンザルの一群が、1973年にアメリカのテキサスの砂漠のなかへ実験的に移植させられたことかあった。かの地には、日本では見られない肉食獣が多数、生息している。コヨーテだ。しかも彼らは夜行性である。ニホンザルは日本列島では、 およそ夜間にいのちをおそわれるという危険性を知らない。
実際のところ移植直後には、何度か命を落としそうになった個体がいたらしい。しかし、彼らは、ほんの数日のあいだにコヨーテの叫び声を覚え、体臭を識別し、接近する気配を敏感に察知するにいたった。…

ふつう学習と呼ばれている過程では、罰や報酬を自らのからだで体験した個体がおのおの独立に、一定の反応を習得する。ところがテキサスへ移植された嵐山のニホンザル群では、ほんの数頭だけかコヨーテにおそわれる危険を味わっただけだった。それにもかかわらず、群れの全員か速やかにコヨーテを恐れるように変化したのだ。コヨーテに生存を危うくされそうになった仲間を目撃したニホンザルは自分自身、決して実体験する状況下に身を置いたわけではない。(以上)

以前、共感力について『まねが育むヒトの心』の記述を紹介したことがあります。以下転載です。

 他者に共感する動物は、ヒトだけではありません。サルやチンパンジー、イルカやラットなども他個体の感情を敏感に察し、反応します。しかし、見落とされがちな大事な点があります。ヒト以外の動物がみせる共感の大半は、他個体の不快な感情、たとえば、恐れ、怒り、成嚇ごとに限定されていることです。他個体の不快さをすばやく感じ取ることができれば、これからわが身に起こる危険を事前に回避することができます。多くの動物が他の個体の不快な感情に敏感なのは、自分白身の生存をかけた重要な意義があったからだと考えられます。
 それに対し、ヒトが共感するのは他人の不快な感情にとどまりません。快の感情、心地よい感情、他人の喜びやうれしさまでをも共有する、特別な共感力をもっています。(以上)

恐れや生命に危機に対する共感力は、多くの動物が持っている本で羽ですが、喜びや悲しみへの共感。これは人間ならではのことであるようです。

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