仏教を楽しむ

仏教ライフを考えるコラムです。浄土真宗本願寺派僧侶

希望という名の絶望

2016年09月28日 | 浄土真宗とは?

『希望という名の絶望―医療現場から平成ニッポンを診断する』(2011/6・里見 清一著)
著者は三井記念病院呼吸器内科科長で『新潮45』に2009年6月号からエッセイを連載されている人です。里見 清一氏の本(新潮45)連載を本にしたもの)を数冊、図書館から借りてきました。

連載を本にした最初のものが上記の本です。

〝希望という名の絶望〟という本の題名が面白い。私は常々「今生での希望は、許された時間の中に成立する」ということを語っています。今まさに死にゆく人は、希望をもって希望に向かって生きるということ、そのものが成立しません。今を満足することが重要です。

それはさておき、上記の本に、次のような話が出ていました。

ずっと前、ある大学病院の教授回診で、明らかに瀕死の患者が苦しんでいた。週一回の儀礼的な回診で患者を見るだけのその教授は何と言ってよいか分からず、出てきた言葉が「もうすぐ楽になりますよ」、だったそうである。(以上)

医者は、「死は敗北」で常に希望を持たせることを生業としています。医師の世界で、「もうすぐ楽になりますよ」はタブーなのでしょう。

また次のようにもあります。

まだいい。そのうち私は、この患者に対しては根柢的な冶療手段はもうないと判断せねばならない時が来る。「治療手段」がイコール「希望」である限り、私は希望が失われた(少なくとも私には手持ちのものはない)と患者に告げることになる。ある意味、冶療手段という希望すなわち餌で引っ張ってきたツケが回ってきたのだ。今度は私か患者を「見放す」番なのか。 ここにおいて私は、希望の終焉をイコール絶望でないように伝え、患者の終末期の準備をしなければならない。(以上)

われら浄土真宗のものは、「死ぬのではない、浄土に生まれていくのですよ」と言えることは、ここに死んでいけることの幸福があります。死んでいけることが幸福だなんで、この世の価値観ではない考え方です。
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落語小ばなし

2016年09月27日 | 日記
先般、壮年会のメンバーが、病院で紙芝居を上演した折、「いつもは、これを少し読んでいます」と『読み聞かせー子どもにウケる 落語こばなし』(PHP 小佐田定男著)を見せてくれました。アマゾンで見ると1円、さっそく注文して読みました。その本の中から3つ、おすそ分けです。


星とり兄弟

弟の次郎くんが夜、道の真ん中で長い長いさおをふりまわしています。それを
見た太郎くんが、「おい、次郎、なにをしてるんだい」と声をかけると、次郎くんは、 「ああ、お兄ちゃんかい。お空にいっぱいお星さまが出てるだろう。あんまきれいだから、1つたたき落としてブローチにしてやろうと思ってさ」
 「おまえって、ほんとにばかだなあ。お星さまって、ずーつと高いところにあるんだぞ。そんなさおを道でふりまわしたって、とどくもんか」
「だったら、どうしたらいいのさ?」「屋根の上へあがれ、屋根の上へ」

よけいなひとこと

竹さんは、いつもよけいなことをひとことを言うので、みんなからしかられてばかりいます。今日も、知り合いの奥さんと会つだので、あいさつをしました。
「いやあ、奥さん、ちょっともお変わりありませんねえ」
「まあまあ、またそんなおじょうずをおっしゃって」
「いえいえ、ほんとにちょっとも変わりませんよ。着ている洋服が」

祭りのカメ


 たけしくんはお祭りに行きました。すると、カメを売っていおじさんがいました。「さあ、いらっしゃい。カメはいらないか。むかしから『ツルは千年、カメは万年』といって、ツルという鳥は千年生きてカメは一万年も長生きするんだよ。さあ、買った、買った」
たけしくんは、おこづかいを全部使ってカメを一匹買っておうちの金魚鉢に入れました。
つぎの日の朝、金魚鉢の中をのぞいてみると、昨日買ったカメが死んでいました。たけしくんは、カメをかっているおじさんのところへやって来ると、「ちょっと、おじさん、ひどいじゃないか。カメは一万年も生きるって言ったのに、昨日の晩に死んじやつたじゃないか。一万年生きるっていうのはうそだったの‥」
 おじさんは頭をかきながら、「いやあ、ごめんごめん。一万年生きるつていうのはうそじゃないんだけね、あのカメさんは、昨日かちょうど一万回目の誕生日だつたんだよ」

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新宗教の信者数の減少

2016年09月26日 | 新宗教に思う
新宗教の信者数が減少している報道が目立ちます。今週の(28.9.21)出た『週刊新潮』(9月29日号)に〝脱会者希望者に口封じの誓約書を書かせる幸福の科学「大川隆法」〟に〝教団の信者数は、幸福実現党を立ち上げた2009年当時は、15万人。うち献金額の多い『活動信者』は3万人ほどだった。が、「年々減少し、現在では総数5万人。活動信者は数千人といったところ。こうした情勢に歯止めをかけるべく、今回の改悪がなされてと見られます」〟とあります。


『新潮45』(2015.10号)を紹介しましたが、

、新宗教の先駆けの余良県天理市に本部を置く天理教は『宗教年鑑』の平成2年版では、180万7333人という信者数が示されていた。これはあくまで教団が報告している数字である。 25年後の平成27年版では、116万9744人となっている。25年間に3分の2に縮小したことになる。全国的には創価学会がもっとも強いが、西日本ではこの天理教が強い。東日本では、創価学会に対抗したのが立正佼成会だが、やはり、同じ期間、633万6709人から282万6297人と半分以下になっている。
 しかも、立正佼成会は、平成26年度版では308万9374人だった。1年で26万3000人以上減少していることになる(以上)


同誌に「生長の家」も、〝最盛期には公称300万人以上、実会員100万人以上を誇った教団は現在、公称信者52万人に激減している〟とあります。

2005年以降、欲望が物への欲望から、心の自己実現とか自分らしさへと向かったと言われていますが、この新宗教の激減は何を意味しているのか。

一つ思われることは、「欲望」を持つことは体力が要ります。欲望は未来へ向かって願いを描き、それに向かって進むところみ望みを達成がすることです。欲望をそのものをとつことができにくくなってきた。刹那的に今に満足して生きる人が増えているということでしょうか…
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〝「悩む力」と親鸞〟

2016年09月24日 | 日記
昨23日(28.9)は、市民ホールで仏教講演会、ご講師は姜尚中氏〝「悩む力」と親鸞〟でした。門信徒の手による講演会で、司会、挨拶、すべてゆだねています。定員400人が、満杯で、入館できなかった人が100人くらいいました。世話人が、次号の寺報で、入れなかった人に謝っておいてほうしいと助言を受けています。テレビに出ている人の集客力のすごさを、あらためて感じました。女性が8割。問い合わせも30件くらいありましたが、すべて女性でした。

内容は、現代のひずみを紹介し、弱い人がうかばれる社会を立て直すことが衆生救済につながるといった話でした。質問の時間帯で「朝鮮とテロの日本のおかれている現状」に対して所感を求められた時は、さすが政治学者で歯切れがよかったようです。
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いのちの手紙

2016年09月23日 | 都市開教
総代が仲間から送ってきたと法城寺寺報「梵音」(浄土真宗本願寺派 北海道教区胆振組むかわ町)を届けてくれました。

「お寺からのお知れせ」に次のようにありました。

法城寺では「いのちの手紙」を受け付けています。
 「いのちの手紙」とは、生前にお手紙をお預かりして、お通夜の際に住職が亡くなった方にかわり、そのお手紙を読まさせていただく、というものです。
皆さんもお世話になった方へむけてお言葉を残しておきませんか?
(以上)

良い企画だと思います。生前に死について思いを馳せる。ここが一番でしょう。ご紹介までに。
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