仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

進化が招いた「文明病」

2022年04月30日 | 日記

『産経新聞』(2022.4.30)に、掲載されていた記事の一部です。

 

テクノロジーと人類

 

進化が招いた「文明病」の増加

 

 

心も進化へ

 

人の心も進化の影響を受けていいる。東北大の河田雅圭教授(進化学)らは、性格や個性に関わる遺伝子の変異について、現代人や旧人などのゲノムを解析し、初期の人類は不安を感じやすい方向に進化したことを見いだした。

 河田氏は、「狩猟生活では、明目は獲物が取れないかもしれないと飢餓への不安を感じることが行動につながり、生存に有利に働いた可能性がある」と話す。

 興味深いことに、人類がアフリカの外に出ていく「出アフリカ」の頃になると、逆に不安を感じにくくなる進化が起きた。未知の場所に向かう旅は挑戦的で、勇気が必要だったはずだ。不安が強ければ航海などできなかっただろう。

 不安を感じにくい遺伝子は現代人も受け継いでいるが、近年は鬱病の増加が大きな問題になっている。適応できないほど社会的ストレスが急増しているためかもしれない。

 九州大の早川敏之准教授(自然人類学)らは遺伝的要因とストレスによって発症する統合失調疱に着目。

関連遺伝子の進化を調べ、出アフリカによる移住が人類の大きなストレスになったことを明らかにした。

 故郷にとどまったアフリカ人よりも、「移民」としてアジアや欧州に向かった大々の方が、ストレスに強いタイプの遺伝子を持っていることも分かった。移住先で未知の先住民と出会い、交流するのはストレスを伴うが、それに耐えられる人の方が異文化交流によって新たな技術や知識を学べるため、生存上有利だったと考えられる。

 早川氏は「定住や農耕が始まると社会が複雑化してストレスが増え、統合失調症が生まれた。発症率は文明の発展に伴い高まったとみられ、その引き金は大都市化か起きた産業革命だったのではないか」と話す。

 人類は今日、急速なグローバル化やデジタル技術の進展に伴い、社会構造が劇的に変わる変革期を再び迎えた。それは心身の健康にもさまざまな影響を及ぼすに違いない。進化と文明の関わりを俯瞰的に捉え、将来に備えることが一層重要になるだろう。

    (科学部編集委員)

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第四の消費 つながりを生み出す社会へ②

2022年04月29日 | 現代の病理

『第四の消費 つながりを生み出す社会へ』 (朝日新書・2012/4/13・三浦展著)の続きです。


③第三の消費(1975~2004年)オイルショックから低成長、バブル金融破綻、小泉改革まで、格差の拡大

 ○消費の個人化(家計から個計へ)
  ・軽薄短小がナウい( ウォークマン、パソコン、軽自動車)「家電から個電へ」
  ・物からサービスへ(e.g. 外食産業)
  ・量から質へ( ブランド志向、健康志向)

 

第二の消費社会と第三の消費社会の違い

五つの変化

 第二の消費社会から第三の消費社会の変化は以下の五点てある。

 1 家族から個人へ二家に一台から一人一台へ)

 2 物からサービスへ

 3 量から質へ(大量生産品から高級化、ブランド品へ)

 4 理性、便利さから感性、自分らしさへ

 5 宙寸業主婦から働く女性へ



④第四の消費(2005年~2034年)リーマンショック、2つの大震災、不況の長期化。
雇用の不安定化などによる所得減少、人口減少による消費市場の縮小

第四の消費社会と基本としてのシェア志向

第三の消費社会の矛盾と、第四の消費社会に向けての五つの変化

第三の消費社会から第四の消費社会への変化の特徴は以下の五点てある。

 

1 個人志向から社会志向へ、利己主義から利他主義へ

2 私有主義からシェア志向へ

9 ブランド志向からシンプルーカジユアル志向へ

4 欧米志向、都会志向、自分らしさから日本志向、地方志向へ(集中から分散へ)

5「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ


○社会とのつながりやシェアを大事に(社会重視、シェア志向、シンプル・カジュアル志向)
  ・情報社会と利他志向(e.g. Facebookへの書き込みと「いいね」への満足)
  ・エコ志向、日本志向、地方志向(すだれや打ち水など伝統的な生活、自然と親しむ暮らし)
   ※環境問題に関心がある人は、
    ①日本のことが好き(85.2%)、
    ②初詣に行く(65%程度)、
    ③来年以降も使えそうなデザインの、丈夫で長持ちしそうな、基本性能が良い物を買う(50%程度) 

(カルチャースタディーズ研究所「現代最新女性調査」2010:首都圏20~39才の女性を対象)

 

「ものを買えば幸せになれる時代」が終わり、「つながりに幸せを見出す(第四の消費)社会」へ変化している。

第四の消費社会への試み
1.ライフスタイル、ビジネス、まちづくりなど社会全体をシェア型に変えていく
2.人々が、プライベートなものを少しずつ開いていった結果、パブリックが形成されていくことを促進する。
3.地方独自の魅力を育て、若い世代が地方を楽しみ、地方で活動するようにする
4.金から人へ、経済原理への転換を図る

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第四の消費 つながりを生み出す社会へ①

2022年04月28日 | 生命倫理

『第四の消費 つながりを生み出す社会へ』 (朝日新書・2012/4/13・三浦展著)、少し古い本ですが借りてきました。


「日本書は、長年消費と社会の関係を分析してきたという筆者が、昭和からの大衆消費のトレンド(第一~第三の消費)を振り返りながら、今後の消費(第四の消費)の展望を述べたものです。
 明治以来、日本の国民は、近代化、富国強兵という「大きな物語」を共有していた。戦後は、国家主義的なアイデンティティは否定されたが、新たに、経済大国、高度経済成長、中流化という「大きな物語」が登場した。そこでは、戦前のムラと軍隊という共同体が企業という「生産共同体」として再編され、かつその従業員は「消費共同体」としての家族を形成し、二つの共同体が相互に補完しあいながら、社会を発展させる推進力となった。国民はその両輪の上に乗り、両輪を動かし、二つの共同体への所属感情を持つことによって、みずからのアイデンティティを獲得した。つまり、仕事と消費が戦後日本人のアイデンティティになったのである。

 また、高度経済成長という「大きな物語」と消費とが密接に結びつけられ、「三種の神器」「マイホーム」「マイカー」「ホワイトカラー」などの新しい生活のイメージが次々と生み出されて、人々を消費へと駆り立てた。「消費は美徳」「大きいことはいいことだ」という言葉に象徴されるように、より多く消費をすることが国民、会社人、さらには家庭人としてのアイデンティティ形成にもつながっていった(拙著『「家族」と「幸福」の戦後史』[一九九九]参照)。


①第一の消費(1912~1941年)日露戦争勝利後から日中戦争まで
東京・大阪などの大都市中流

 ○大都市に限定した「モダン」化(e.g. モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール))
  ・大正の三大洋食:カレーライス、とんかつ、コロッケ
  ・カルピス発売(19年)、新宿三越(29年)、新宿伊勢丹(33年)

②第二の消費(1945~1974年)敗戦、復興、高度経済成長からオイルショックまで
大量生産、大量消費、全国的な一億総中流化

 ○近代工業化の進展による家庭への大量製品の普及 (「大きいことはいいことだ」)
  ・三種の神器-昭和30年代:洗濯機、冷蔵庫、テレビ
           -昭和40年代:3C(カー、クーラー、カラーテレビ)
  ・鉄筋コンクリート造りの団地に住む洋風化したライフスタイル(昭和30年代~)
(続く)

 

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どんなことが起こってもこれだけは本当だ

2022年04月27日 | 日記

私を含めて日本人は平和化ぼけ状態の昨今、ウクライナの国民が必死に国を守ろうとする姿に、なにか健全は人のありようを感じる。

 

『どんなことが起こってもこれだけは本当だ,ということ. 幕末・戦後・現在』 (岩波ブックレット・加藤典洋著)  、この本の結論は、「日本が独立できる唯一の道は、憲法9条を積極的に守り、国の軍隊を廃止して、国連警察を組織し、国連軍をもって国を守り、アメリカへの追従を断ち、独立国として歩むというものです。

 

戦争を経験した人は「戦争なんてトンデモナイ」という一階部分(体感)を持っていて、二階部分(普遍部)憲法9条を支持している。以下転載。

 

 ふつう、これまで、私たちに護憲論として受けとめられてきたものは、憲法九条を字義通りに受けとめたばあいに現れるいわば日本国内の文脈でいう理想型の平和主義でした。これが護憲論の二階部分です。それをここでは憲法九条で代表させましょう。

 これに対し、護憲論の二階部分は、護憲諭がそのタテマエとは別に、現実的にどのように機能したかという側面で見るときに現れるその思想的な土台とその現実との接触面を含んでいます。 

一階部分は… これは先に書いた『戦後入門』(ちくま新書2015年)という本にも述べたことですが、私は、いま私たちの社会に枯渇しつつある日本の戦後の平和思想をささえた戦争体験の核心を一言で言いあてる言葉は、片伏鱒二の小説、『黒い雨』で主人公によって語られる、「いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」という言葉なのだろう、と考えています。

 

護憲論は、日本の戦争体験にねざす平和主義を一階部分とし、憲法九条の条文を二階部分として存在してきました。しかし、二階部分である憲法九条を単に守るだけでは、もはや憲法九条が保障してきた一階部分の地べたの平和主義が守られないところまで来てしまいました。そして、その敗北に、私たちも、私たちの護憲論も、憲法九条も、責任があるはずです。そうであれば、私たちがやるべきなのは、この一階部分を生かすために、この一一階建て構造の総体を変えることではないでしょうか。

 この国をして戦争をしない国にする。それがめざされなければならない第一のことなのですから、そのために、日米安保条約を解消する。そのために、憲法を変えることが一つの活路になるなら、それを躊躇すべき理由はない、というべきなのではないでしょうか。

 たとえば、都留さんは、先の本で、日米安保条約解消のための一歩として、沖縄の基地をなくし、その用地にニューヨークの国運本部を移し、国際政治のセンターとすることで、新たに日本が国際平和のイニシャティブを取るという篤くべき提案をさえ、しているのです。

 また改憲論者には、こういいましょう。あなた方は、憲法九条を捨てようとしています。しかし、それは決定的な問違いではないでしょうか。日本の独立を視野に入れない未来構想は、無責任だというはかない。そのことには同意してもらえるでしょうが、では、そのことによって国際的な孤立をまねかない対米自立の構想が、どう可能か。それを考えれば、憲法九条がいま日本の手にある唯一の打開策のカギなのだということが、あなた方にも、わかるはずだと。

 護憲論の二階建て構造においては、「とにかく戦争はいやだ」という一階部分の声に押され、この窮状、現実の壁を前に、二階部分が仕方なしに変わる、ということが、ありうべき変革のカギであり、一つの希望だということ。というか「変節」は、護憲論においてそのようなかたちでしか自己を貫徹するかたちでは、起こりえないだろう、ということ。憲法九条の問題のカギは、いま、日米安保条約をどう解消するかということに、移っている。以上、変わることの力、そして護憲論についての私の考えを述べてみました。(以上)

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正信偈の速さ

2022年04月26日 | 日記

日曜日から昨日と久しぶりに京都に一泊。仏教婦人会総連盟の総会と法話でした。本山のお朝事参拝は、3.4年ぶりかと思います。平成29年7月から阿弥陀堂内陣修復で参拝できなかった本堂でおつとめすることができました。この4月13.14日に修復完成法要が営まれたばかりの内陣でした。御影堂の親鸞聖人の前に座りながら、学生のころから、幾度となく御堂で座ってきたたことを思い、感慨深いものがありました。正信偈偈文の読み方が、少しスピードが早かったので、時計で2度測った見ると93拍、通常70~90拍とテキストにあるので、まあぎりぎり合格ですが、前々ご門主の勝如上人だと、この速さはご立腹であったろうと回想しました。

当時の前門主がお座りになる内陣内の畳の外陣側に、外陣で読経する僧侶に見えるところに、ボタンを押すと点滅する横十センチくらいの掲示板があり、お経のスピードが早いとp、前門主がそのボタンを押す仕掛けになっていました。お勤めを大切にされた勝如上人らしく思われました。

 

そんなことを回想しながらのお勤め、「学生の時から今まで、本願寺にお育てをいただいた来たなー」と実感しました。

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