仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

熊谷入道蓮生房

2024年05月21日 | 仏教とは?
親鸞聖人の兄弟子に源平合戦で実績をあげた熊谷入道蓮生房・法力房などと号した。俗姓は平氏。
武蔵国熊谷(埼玉県熊谷市)の住人熊谷次郎直貞の次男として生まれる。直家の父。親子共に源頼朝の部下として数次の源平合戦において手柄をたて鎌倉幕府の創設に尽力す。
平氏方の軍勢に加わるも、源頼朝の逃走を助け頼朝に従った。しかし、息子と同じ16歳の平敦盛を討ったことから無常を感じ、それをきっかけとして出家し法然上人に師事した。
直実は 1192年(建久3)久下直光との所領争いに敗れ、自ら髪を断ち、上洛して安居院の澄憲のもとを訪れて出世の要道を問う。「自らは戦の中にあって多くの人をあやめてきた。その自分が浄土往生するためにはどうすればよいのか」といった質問をぶつけたようであるが、法然上人は「罪の重い軽いをいうよりも、ただ念仏を申しなさい。そうすれば必ず極楽に生まれることができます」と。直実は涙を流しながら「自分は手足を切り落としでもしないかぎり救いはないと思っておりましたし、そうするつもりでおりました。ところがお念仏さえすればよいというお言葉に感涙してしまいました」と、その胸中の苦悩をもらしたという。

直実、澄憲のすすめにより法然に師事した。法然の易行専修念仏の教えを聞いて直実深く感ずるところありて常に法然の側近に随従し、ひたすら念仏の行に励んだ。
行住坐臥に西方を崇敬し、背を向けることをさけた。
とくに直実が法然と分れ、郷里関東熊谷に下るとき、逆馬にて下向した逸話は直実の武将としての実直さと念仏信仰の熱烈さをよく物語っている。
元来が気性の激しい性格のためか、その傾倒ぶりも激しく、京都から関東熊谷に帰る時も、西方に、そして法然上人のいる京都に背を向けないため、後ろ向きに馬に乗ったという逸話もある。また、上人の弟子源智が所持していた、法然上人のお名号を取り上げてしまい、上人にたしなめられる、といったエピソードもある。もっとも、そうしてたしなめられることすらも、直実にとっては喜びであったようである。
熊谷に帰ってからも浄業怠ることなく、往生においては、建永元(1206)年、同国村岡の市に高札を掲げて自ら往生を予告し、大衆の前で念仏をとなえたが果たせず、さらに翌年9月4日、再び予告し、その言葉通り浄土に往生した。
なお、宇都宮の蓮生房(れんしょうぼう)と区別して、熊谷の蓮生房(れんせいぼう)と呼ばれている。
熊谷次郎直実は、一の谷の介戦に敦盛(1169-84)を討ったことから一念発起し、京と黒谷の法然(1133-1212)
聖人によって剃髪し、蓮生と号して故郷武蔵国に帰り、熊谷寺(ゆうこくじ)を建立したといわれるが、その京部をたって近江路(滋賀県)から美濃(岐阜県)に越える山中で、2人の盗賊に前後から襲われた。
 盗賊は雲突くような大男二人で、刀をつきつけて「路銀衣服そっくりそのまま置いて行け」と迫った。蓮生入道は笑いながら「それはお安いご用だ。その方たちも命をかけて賊を働くからには、いやといっても承知しないであろう。路銀衣服ともにそっくり遣わそう。しかしこの前に尋ねたいことがある。それを聞いた上のことにしよう」といえば、賊も入道の落ちついた態度に気をのまれて「よし間こう、何か尋ねたいのだ」と虚勢を張った。
 入道は言葉をやわらげて「お前方はただ欲のために賊を働くのか、または什事がなくて暮らしが立たないので賊となったのか。この二つの返答を間いた上で、どちらにか決めよう」というと、賊たちは顔を見合せながら「ちょんと食べて行かれるなら、何で人の物を取ったり、人を殺したりするものか。それができないから、命がけでこんなこともするんだ」という。
 入道は軽くうなずきながら「よし、よくわかった。お前達も生れつきの悪人ではないのだ。それでは路銀衣服そっくり渡す所だが、衣服は見ての通りの墨染で金にはなるまい。ここは路銀だけで勘弁してくれ」と、財布のまま取り出して二人の前に置いたが、また顔を見合わせるだけで手を出そうとしない。
 入道はますます落ちついて「手を出さない所を見ると、お前方はやはり善人だ。どうだ。わたしはこれから関東に下ってお寺を建て、仏の道に入るのだが、お前達も、一緒に行って仏に仕える気持ちはないか。これまでの罪滅ぼしにもなるであろうし、一つの庵の留守番としてもよろしいぞ。よくよく思案して見よ」というと、二人の賊は今一反顔を見合わせると、刀を投げ出し、地面に手を突いて「もしそうして下さいますならば、今日からすっかり心を改め、仏の道に入りとう存じます。どうぞお召し連れ下さいませ」と、真心を顔にあらわしていうので、入道も大いに喜び、それから武賊野の草庵に伴って、熊谷寺の建立にも手伝わせたが、二人とも真面目な修業の結果、優れたよい善知識となり、一人を善心坊といい、他の一人は法心坊と名乗り、一生を尊く清く過ごした、ということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする