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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

便利さという病理

2010年02月28日 | 現代の病理
自動車を目的地まで導くナビゲーション。法事を勤める家まで道順を下調べせずナビを頼りすぎて、危うく数件の法事スケジュールが壊滅するところでした。さいわい駅のそばだったので、駅まで迎えに来ていただいてセーフ。

そんなことから一杯飲みながら坊守からのお説教。「ナビでも電子辞書でも、便利だけど便利の裏のは本当のものが身に付かない。道順でも地図で調べてこそ全体の構図が身に付くし、漢字も辞書で調べてこそ文字が身に付く」。ごもっともと私。

現代は便利なものがあふれています。スーパーへ行くとレンジでチンすればよいだけの茶わん蒸や即席○○も限りなく本物に近づいてきている。便利さゆえに失われていくものがある。

便利さのために感動を失う。手間暇に対する感謝を失う。まだまだ色々あるだろうが、便利なものは目的達成のために手段にすぎない。すべてのものが便利になっていくとは、すべてが手段という代替可能な無機質な物化してしもうことでもある。便利なものが自分の弱さや欠点を補ってしもうので、自分の弱さ欠点に向き合うことも失われるようにも思う。

車がないので隣の人に駅まで送っていただいた。タクシーなら無用な迷惑をかけずに済みます。しかし人間関係の深まりや、私はひとりではないといった人生の深みが欠落していきます。便利さは、人を孤立させていきます。

便利さを排除するのではなく、便利さの中には毒があることをわきまえ、便利なことに溺れず、便利さに依存せずに生活することが肝心です。自分へ。

今日(22.2.28)の産経新聞に金嬉老氏「死ぬ前に母親の墓参りをしたい」と話しており、日本の法務省に嘆願書を送るほか、韓国政府にも外交ルートを通じて日本に入国を認めさせるよう陳情する意向。という記事が出ていました。

「死ぬ前に母親の墓参りをしたい」。お骨を海にまいてお墓のない人は、この思いをもつことができない。お墓にぬかずき自分の弱さをさらけ出す。この一点だけでも、お墓の意味があるように思う。便利で快適。その毒性をもっと語る必要があるだろう。
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最もシンプルな生き方

2010年02月27日 | 浄土真宗とは?
家族だけの七回忌のご法事。一緒に阿弥陀経を読み、読経を終え、雑談をしていると30過ぎの女性が「読経中にトランス(意識が通常とは異なった状態)に入るかと期待していた」という。なぜそんな思いをもったのかいうと、6年前、自死の弟の通夜のおり、お経中にトランスに入ったという。

トランスに入ることはあると思う。弟の死、時次元の儀式体験、舞台は整っている。私が気になるのは、トランスに入るといった体験を、宗教体験だと思っているのではないかという疑心です。

では宗教体験とは何かという問いを頂くことになる。思いつくところで2つある。1つは現実を本当のことであると疑うことなく、異次元体験、非日常的な精神状態を体験することです。先のトランスはこれです。

もう1つは、本当だと思っていた日常体験が、虚構であったと体験することです。浄土真宗の信仰体験はこの部類です。日常が本当であると思っている間は、阿弥陀如来の浄土の説法は虚構です。阿弥陀如来の浄土が真実だと頷けるとき、日常生活が虚構であったことがあきらかになります。

身近な例でいいますと、たとえば「死の臨床」のパイオニア、キューブラー・ロスが本の中で「ほんとうに生きるために,あなたは時間を割いてきたのだろうか」と問いかけています。終末期を生きていることが知らされ死と向き合う。そのとき真剣に生きるという境界に向き合うのだと思います。だったら真剣に生きるという境界に向き合うまでの今までに日常生活は何だったのか。出世を喜び、慢心に溺れ、自分の欲得を生きてきた。終わってしまえばすべてが空しく終わる日常を生きてきたにすぎないのではないか。

その日常生活の虚構性があきらかになる時、無条件に救うという阿弥陀如来の真実性があきらかになっていきます。立派だと思っていた日常生活の虚構性がガラガラと崩れていくとき、そのガラガラと崩れゆく私を肯定する阿弥陀如来の教えが私の支えとなっていくのです。

真剣に生きることを体験する。浄土真宗って、最もシンプルな生き方を提示しているようです。
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「含羞」(がんしゅう)を知る

2010年02月26日 | 日記
昨日、2種類の雑誌が複数部送られてきた。1つは「親鸞の水脈」第7号2010年3月―真宗文化センター刊―で筑波大学の名誉教授である今井雅晴先生が主宰する会の研究誌的な季刊誌です。

これに「戯曲 弁円の涙」を掲載していただいた。上下2段組みで14ページあります。人形劇「弁円の涙」を見られない人は、この冊子をご覧ください。

発売は 自照社出版 075-251-6401 定価600円です。

もう一冊は宗派が出している「伝道」2010 NO73号、この雑誌は本願寺派の布教使が読む本で“布教伝道 基礎×2(きそのきそ)”というコーナーがあり、なんと各分野のスペシャリストに執筆頂きましたと前書きがあります。そこに「苦悩を除く法」という題で、ずうずうしく書きました。これはホームページにアップしてあります。

先週の土曜日(22.2.20)読売新聞の「顔」というコーナーに「十段を授与された英国のミスター・ジュードー ジョージ・ケアさん72」という方が紹介されていた。まずは記事を紹介します。

国際柔道連盟から今月、最高位の十段を授与された。世界に7人しかいない栄誉だ。八つの時、故郷の英エディンバラの道場で柔道に出会った。のめり込んで15歳で黒帯に。1957年には日本大学に柔道留学、10畳間での仲間6人との合宿生活を、今も「人生最良の時」と振り返る。
 東京五輪はけがで逃したが、欧州選手権で優勝。コーチとして五輪金メダリストも育て、英国で「ミスター・ジュードーの異名をとる。「柔道の魅力は規律、相手への敬意にある」と言い切る。
 日本柔道界との親交は今も続く。現在、エディンバラで研修中の井上康生コーチの「英国での父親」役でもある。昨年の世界選手権で日本男子が金メダルゼロに終わると、失意の井上氏をこう慰めた。「柔道が日本から世界のものになった証し。(創始者の)嘉納先生も満足しているはずだ」
 最高位の栄誉にも、「誇りに思う反面、気恥ずかしい。今度、訪日したら、センパイたちにどんな顔で会ったものか……」。武士道に生きる英国紳士は「含羞」(がんしゅう)も知る。(ロンドン支局 大内佐紀、写真も)(以上)

慢心に溺れず「含羞」(がんしゅう)を知る。もっとも日本的な心とは、慢心を恥ずかしいと思う心だったと思う。だが日本の武道界はおろか仏教(僧侶)の世界でも失われてきた。
ずうずうしく書いたと前記したが「各分野のスペシャリスト」と書かれて喜んでいるようでは、器の小ささが知れる。仏教の実践は、布教伝道ではなく、どこまでも凡夫であることを見失わないことだろう。自分へ。
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当たり前のことを思う

2010年02月25日 | 仏教とは?
朝のウオーキング、数日前から夏コースに変更した。冬は電灯のある下を約一時間強のウオーキング。夏は、田園地区を約1時間半。時間がたっぷりあるので、できれば最も当たり前のこと考えるようにしている。その当たり前のことに不審をもつ。これが至難で業です。

今日は、2.3日前に思ったことを回想しながら歩いた。思ったこととは、伸介の「なんでも探偵団」という骨董や美術品をもちだして鑑定する番組がある。過日、番組を見ていると地方出張のコーナーがあり、出品の多くが100万円予想が400万円、50万円予想が200万だったり、中には2000万円もあったように思う。その地方出張番組で最後に登場した人が、この美術品が高価であることの含蓄を述べ、予想金額200万円とプラカードに書く。ジャジャダーンと鑑定士の方々が値踏みをして掲示板に金額が発表される。その時、200万円の予想に対して5.000円の値段が表示された。出場者は200万円の値段を書いたプラカードを頭上に上げる。ところが鑑定士の値踏みは5.000円。

プラカードに書いた200万円の値段が5.000円に書き換えられ出場者が落胆する。そのとき会場に集まった人たちは、さも満足げに、そして心から楽しそうに声を出して手をたたきながら笑う。その笑いがすごくこだわりがなく楽しそうなので、わたしも一緒に笑いながら「この笑いっと何だろう」と意識した。


ウオーキング中に思う。番組を見て心からこんな楽しいことはないと笑うのだから、なにがそれほど心から楽しいのだろう。出演者の欲の皮がはがれる場面かなー、いや5.000円の品を200万円と思っている出場者の思い込みがひっくり返る痛快さかなー、などと色々思う。この笑いに誰も疑問をもつことがない。煩悩具足の凡夫とは、人の不幸(?)を心から楽しく思えて、その思いに疑問をもつことない生き方をしている私のことを言うのだろう。

考えてみると阿弥陀さまのまなざしに映っている私は、5.000円の品を200万円と思っている以上に、とんでもない自惚れの中を過ごしているのだろう。

『智度論』に7種類の笑いが説かれている。

「大智度論」(『般若経』の注釈本)

笑うに種々の因縁あり。ある人は歓喜して笑い、ある人は填恚して笑い、ある人は人を軽んじて笑い、あるいは異事を見て笑い、あるいは羞恥すべきことを見て笑い、あるいは殊方の異俗を見て笑い、或いは希有の難事を見て笑う。今はこれ第一希有の難事なり。衆生のために説いて解脱を得しめんと欲す。これ第一の難事なり。……これ難事をもっての故に笑う。

歓喜も、怒りも同一の世界観の中の出来事。この1つの次元(世界)しかないと思って、そのことに疑問をもつことなく終えて逝く人がほとんどです。

ところが仏教はこの世界観とは全く異質な世界観があると説いている。地獄・ガキ・畜生・人間・天・菩薩・仏(省略あり)と精神の領域に質の世界観を組み入れて語っている。これってすごいことだ。

歩きながら回想は続きます。 「人の不幸が心から楽しく思える」、それが凡夫だとしたら、わたしが念仏の話を聞いて「心から楽しく嬉しく思える」のだから、やっぱり阿弥陀さまの教えは凡夫の私に心のぴったりと合っている。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

太陽が少し昇った6時40分帰院。
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穴馬(あなま)同行の懇念

2010年02月24日 | 浄土真宗とは?
昨日は千葉県の中央部に位置する長柄群上野というところでの法事。転居された方ですが、遠方でしたが出勤しました。帰りに市原市にある西光寺へ参拝してきました。西光寺は都市開教寺院で5年前に新本堂を建立され、昨年、法人設立となったお寺です。

ちょうど住職も坊守さんもご在院だったので、昭和56年に布教所を開設した当時のことをお聞きしました。経済的に自立するまで5年、それまでに近隣のお手伝いを活動資金していたとのことです。

私は昭和61年に布教所を開設し、よくお手伝いに呼ばれたので、親しくまたなつかしくお聞きしました。

40近く開設された布教所で、葬儀社との結びつきを主たる活動としないで寺院を設立されたお寺が数ヶ寺あります。西光寺はその1つです。

手作りで自筆のチラシを新聞折り込みに6ヶ月間、約毎月50.000枚続けて、3月の彼岸法要、20人の方が参拝下さったと、当時のことをお話しされました。20人は大した数だと思います。最初の布教所は賃貸の一般家屋で、見かけも長屋式とも思える羽振りの悪い家で、おまけに独身、その布教所へ20人来たというのだから、恐らく同数の人が近くに来て引き返したに違いない。これはよくあることです。お寺に対するイメージがあって、訪ねようとしたら一般家屋だったので訪問を見送るケースです。

こうした葬儀社に依存したい都市開教寺院の特徴は、門信徒がこぞって寺院建立の経済的な支えてなってくださっているということです。

宗教法人設立は、借金して土地に抵当権が付いていると法人は認可されません。そこで門信徒が寄付とは別に、多額の資金を用立てて、銀行からの借財を回避する場合があります。神奈川のR寺もそうでした。

門信徒との結びつきが強く、これが強みでもあります。西光寺の住職の話を聞きながら、そのことを強く感じました。

住職が一昨年ご往生された責任役員で寺院設立の功労者であったNさんのことを話してくれました。

Nさんは福井県の穴馬(あなま)同行の出身だった。穴馬は、福井県大野郡和泉村、岐阜県との県境にあります。


昭和40年に着工された九頭龍ダムは,総工費350億の一大事業で,昭和43年に完成しました。
ダム建設の為、移住を余儀なくされ湖底に沈んだ戸数530戸は、新天地に移住します。
建設の為できた九頭龍湖は、和泉村の観光の拠点となり、満々と湛えた湖面には、四季折々の自然が映し出され、訪れた人を楽しませています。
ある年にそのダムが干上がって湖底のある村が姿を現したことがあるといいます。Nさんのお母さんは干上がった湖底にあるわが家に降りて行って、生垣の石や朽ちた木片すべてに「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏…」と記してこられてといいます。

そのお母さんに養育されたNさんが、西光寺の総代を勤められていたのです。そうした多くの懇念によって設立されたお寺が西光寺です。

明年、開教30周年を寺院設立、750回大遠忌法要と勤めると言われていました。


以下ネットから穴馬(あなま)同行のことを引用します。http://www3.ocn.ne.jp/~seasnow/newpage35.htm


穴馬は北陸地方への真宗伝播の地であると言われ、今でも、村にお寺が無く、各集落にある道場を中心として仏事を行う初期の真宗の形態を守っている全国でも珍しい土地だといいます。北陸には蓮如上人が吉崎に道場を建ててから真宗王国になったと言われていますが、穴馬にはそれ以前に布教され、越前への伝播の地となった場所です。
 穴馬には(直参講)と言う特別な講がありました。これは「天正八年(1580)石山合戦の折、穴馬門徒千余人が参戦し信長と戦い、本願寺顕如が信長と和議がなり、石山から紀州へ御退去の折、食料、真綿などを送り届けて、危急を救ったことに由来する。」と云います。この直参講は(袴の同行)とも云われ、この戦時まで、西本願寺における穴馬門徒の待遇は特別であり、毎年の御正忌は本山に参拝し、最上席が用意さレていました。
 穴馬の人の信仰に対する強さと純粋さは、今でも村の中に寺が無く、直接、本願寺と関わりを持つ道場での仏事を行う形態を維持して、総道場が集会場の役割も果たし、信仰と生活を結びつけた珍しい初期の真宗の形態を維持して、心の支えにしているのです。(以上)
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