仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

一番欲しいのは普通と云うことである

2018年12月31日 | 日記
12月31日、大晦日、早朝のウオーキングは午前5時15分、朝のラジオニュースを聞いてからのスタートでした。一年、最後の日、深夜便を聞いてからのウオーキング。平凡に終えることに感謝します。

NHKラジオ、午前4時過ぎからの「明日へのことば」【絶望名言】向田邦子、文学紹介者 頭木弘樹、聞き手:川野一宇アナウンサー(初回2018年2月26日放送)でした。ドラマで使われた名言を沢山紹介していました。

http://asuhenokotoba.blogspot.com/2018/02/blog-post_26.htmlからの転載です。


「じいちゃんは悲しかったのだ。  生き残った人間は生きなくてはならない。
生きるためには食べなくてはならない。 そのことがあさましく悔しかったのだ。」
(昭和52年 ドラマの「冬の運動会」のセリフ 向田邦子)

お爺さんが愛する人を失って、凄く悲しんでいる。
何も食べようともせず、泣くことさえ出来ずにいて、周りの人が心配して食べなければ駄目だと無理やり勧めて、今ばててしまうと葬式にでれないと言って、無理やりのり巻きを食べさせるが、のり巻きを食べ始めたときにおじいちゃんの眼から初めて目からぽろぽろ涙が出てくる。
なんで泣きだしたんだろうと思うと、その時に孫が、内心の言葉として「じいちゃんは悲しかったのだ。  生き残った人間は生きなくてはならない。
生きるためには食べなくてはならない。 そのことがあさましく悔しかったのだ。」
とつぶやくわけです。
食べることと言うのをあさましく悲しい、ととらえて、それが悔しい。

当初「時間ですよ」とかコメディータッチのホームドラマを書いていたが、大きな病気をして手術をして、その時の輸血が原因で肝炎に成って、そして右手が動かなくなってしまう。

厄介な病気を背負い込んだ人間にとって一番欲しいのは普通と云うことである。」
(エッセー「父の詫び状」のあとがき)

「自分でも納得してきっぱり別れたつもりでいるでしょ。 思いきって遠くの土地へ行って新しい仕事を始めて昔の暮らしをすっかり忘れたつもりでいるでしょ。 そうはいかないのよ。 体の中に残っているのよ。」
(昭和53年のTVドラマ 「家族熱」からのセリフ)
離婚してひとりでお店をやっている中年の女性のセリフ。別れた妻が久し振りに元の夫の家族の近所に戻って来る。
復縁したい気持ちがどんどん強くなって、ついには精神を病んでしまうと云うドラマ。
不倫関係を清算しよう言うカップルがやって来て、話し方のコツを聞く訳ですが、教える資格はないと言って、「自分でも納得してきっぱり別れたつもりでいるでしょ。 思いきって遠くの土地へ行って新しい仕事を始めて昔の暮らしをすっかり忘れたつもりでいるでしょ。 そうはいかないのよ。 体の中に残っているのよ。」という訳です。

「あれ、何て言ったかな。将棋の駒をぐしゃぐしゃに積んでおいて引っ張って取るやつ。一枚駒をとると、ずずずーっと崩れるんだな。おかしな形はおかしな形なりに均衡が有って、それが皆にとって幸せな形ということもあるんじゃないかなあ。」
(昭和55年~56年TVドラマ「あ、うん」の中のセリフ)
二人の男の友情を周辺の家族などを交えて描いている。
二人の友情、家族とかが絶妙なバランスの上に成り立っている。
本来ばらばらになってしまうような、嫉妬とか劣等感がむしろ皆を結びつけている。
(以上)

一年有難うございました。御座いました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僧衣で運転 反則切符

2018年12月30日 | 日記
12月の始めのある勉強会で「福井県で本願寺派の僧侶が僧衣で運転していたら反則切符を切られた」ということが話題となりました。昨日(30.12.29)の『読売新聞』に詳細が掲載されていましたので転載します。

僧衣で運転 反則切符

福井県内の40歳代の男性僧侶が9月、僧衣を着て車を運転したことを理由に、同県警に交通反則切符(青切符)を切られていたことがわかった。県の規則が「運転操作に支障がある衣服」での運転を禁じているためだが、僧侶の多くは日常的に僧衣で運転しており、男性は「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否。所属する宗派も反発する異例の事態になっている。
 県警や男性の説明によると、9月16日午前10時過ぎ、福井市内の県道で、男性が軽乗用車を運転していたところ、取り締まり中の警察官に制止された。警察官は「その着物はだめです」と告げ、青切符を交付。違反内容は「運転に支障のある和服での運転」と記され、反則金6000円を納付するよう求められた。男性は法事に行く途中で、裾がひざ下までの僧衣を着ていた。20年前から僧衣で運転しているが、摘発は初めて。
 男性に適用されたのは、福井県道路交通法施行細則にある「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」との規定だ。
 警察官は、男性が着ていた僧衣の袖や裾が運転に支障があると判断したとみられるが、県警交通指導課は「僧衣がすべて違反ではなく、状況による」と説明。基準は明確ではない。
 男性は、運転する際は簡素な僧衣を着用し、法事を行う家に到着してから袖や裾が一回り大きい儀式用の僧衣を上から着ている。
一日に複数の檀家を回ることも多く、地元では公共交通機関が少ないため、車での移動は欠かせないという。
 男性は所属する浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)や弁護士に相談し、反則金を払わず、督促にも応じていない。反則金を納付しなかった場合、道交法違反容疑で書類送検され、正式裁判になる可能性もある。男性は「僧衣でも安全運転できると裁判で主張したい」と訴え、同派も「僧侶の活動に関わる問題で、受け入れがたい」としている。(以上)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「他力本願」マネジメント

2018年12月29日 | 日記
図書館の新刊コーナーを眺めていると『「他力本願」マネジメント 』(2018/7/28・浅野弘毅・髙橋恭介著)がおいてありました。著者のお一人、浅野弘毅氏は、本願寺派僧侶で宗会議長をされている人です。

アマゾンの商品紹介だけ転載しておきます。


内容紹介

土真宗の高僧と、人事のプロが提言!

リーダーとして大切なことは、すべて親鸞聖人から学べ!

今のリーダーに必要なのは、親鸞聖人の教えである「他力本願」の心。
会社の成長と社員の幸福を実現させるための答えが、ここにある!


-----------------------------------------------------------
「社員が辞めない会社にするには何をすればいいか?」
「部下の上手なほめ方、叱り方はあるか?」
「生産性を向上させるために、マネジメント層が一番はじめにすべきことは?」
「なぜ、マーケティングだけではヒット商品を生み出せないのか?」「リーダーは常に利益を追求していてはダメなのか?」「会社には、経営理念を掲げたほうがいいのか?」「いかにして、社員に会社への愛着を高めてもらえるか?」「なぜ一流の経営者は、仏教に傾倒していくのか?」 etc.

企業のリーダー層が抱えるリアルな悩み・課題に対して、浄土真宗本願寺派宗会議長の浅野弘毅と、これまで1000社以上の企業に独自の人事評価制度を提案し、企業の発展を支えてきた人事のプロ・髙橋恭介が、「他力本願」をキーワードに徹底的にアドバイス!

------------------------------------------------------------
【髙橋恭介からのメッセージ】

「他力本願」という仏教用語をビジネス的に解釈すると、他力本願の「他力」とは「社員」のことだと考えられます。

会社という組織において、経営者一人だけの力というのはたかが知れています。

「社員」という自分よりも大きな存在を大切にすることで、はじめて会社は会社としての能力を発揮していくといえるのではないでしょうか。

ノウハウの側面からいうと、社員を大切にするということは、私は時代に見合った人事評価制度を整えることだと考えております。

また、現在「働き方改革」を迫られるリーダー層にとって、「企業の持続的な繁栄」と「社員の幸福」を両立することは喫緊の課題です。

浅野御住職が語られる親鸞の教えは、まさにこの課題を解決するために必要なリーダー層の「人間力」を高める箴言に溢れています。


本書は、すべての中小企業経営者の「心を救う」ものです。

どうにも経営に行き詰っているとき、何をしても上手くいかないとき、経営から逃げ出してしまいたいとき、廃業すらしてしまいたいとき、孤独な日々が続いているとき、ぜひ本書を傍らに置いて、親鸞聖人の教えに耳を澄ませてみてください。

経営者はいかにして生き、いかにして社員と向き合い、いかにして100年企業を実現するか、
そのためのヒントが必ず見つかるはずです。
内容(「BOOK」データベースより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己モニタリング機能

2018年12月28日 | 仏教とは?
一昨日(30.12.26)、車で走りながらNHKラジオを聴いていました。「冬休み子ども科学相談」で小一の男子が「どうしたおさけをのむと酔っ払ってふざけたことしてしまうの」の質問していました。先生の答えの中に「酒に酔うとどう変わるか実験したとき、簡単に動作テストをした。そして自分で何点くらい取れているともうか点数をつけてもらう。少し酒が入ってくると、動作が鈍って自己採点が低くなる。しかし酔っ払い酩酊すると始めると、自分はうまく出来たと高い点数になる。これは自己モニター、自分を観察する力が落ちてしまったから…」と答えていました。

この自己モニターとは、行動心理学でいう自己モニタリング機能のことです。

改めてネットで検索すると

1. 自己と他者の区別を行う機能。
2. 自分の頭の働きと行動を自分で知って調整する能力。
3. 自分の言動や相手との関係、そのとき置かれている状況などを 監視する能力。
とあります。

ラジオを聴きながら、仏教や浄土真宗も、この「自己モニタリング機能」の言葉を使って法話が出来ると思ったことです。「覚」とは、覚察、覚悟の両義があります。覚察は自分の中の煩悩を察知することであり、覚悟は真実の理を開悟することです。
浄土真宗でいえば「無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」と自己洞察することです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「子どもの貧困」を問いなおすー家族・ジェンダーの視点から③

2018年12月27日 | 現代の病理
『「子どもの貧困」を問いなおすー家族・ジェンダーの視点から』(松本伊智朗編・法律文化社)のつづきです

本書では、多くの活動が掲げている理念は「機会の平等」であり、現在の貧困を前提とした活動。子どもの貧困対策には、貧困そのものを解消する視座が乏しいと指摘しています。以下転載です。



「構造的な格差に取り組む対策がないままでは、他の貧困児童との比較において、参加者にわずかばかりの優位性を付与し、そのまた一握りの人たちを多少有利か立場へ移動させるだけに終わってしまう」


「考察の結果、日本の子どもの貧困対策は、所得の再分配制度の強化や選別的・競争的な労働市場や教育システムの改革によって、貧困が生み出される構造そのものに働きかける政策体系ではなく、「教育の機会均等」と「成育環境の整備」を基軸として、子どもや保護者への対人サービスや地域での支え合いに比重をおき、子どもの不利を緩和させる政策体系であることが把握された。つまり、体系そのものが家族主義的な性質であるといえよう。」
(以上)

核心は、低所得が問題なので低所得であっても豊かに暮らしていくル社会が問題だと言うことです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする