次は『「承認欲求」の呪縛』です。以下転載です。
私がはじめてこの問題に気づいたのは、大学院生を指導していたときである。ある院生はコツコツと研究した成果を教員たちの前で発表し、高い評価を得て、さらなる研究の発展を期待された矢先、突然大学に退学届を提出し、それきり大学に来なくなってしまった。別の院生は抜群の成績で博士課程への進学が決まっていたにもかかわらず、家で自室に閉じこもり、家族とも口を利かなくなったという。ほかにも似たようなケースがあいついだのである(※いずれも本人が特定されないよう、事実に多少の修正を加えている)。
当初は特異な事例かと思っていたが、後になって同じような現象が企業や役所でもしばしば起きていることを知った。
さらに、たまたま訪ねた会社で次のような話も耳にした。あるとき社長が工場へ視察に訪れ、工作機械を巧みに操作する若手社員の仕事ぶりをほめたたえた。そして、別れぎわに「期待しているから頼むよ」といいながら彼の肩をポンと軽くたたいた。以来、同僚からも注目されるようになった彼は、だれよりも早く出勤し、準備万端整えて仕事に取りかかった。ところが彼も、やがてメンタルの不調を訴え、休職に追い込まれていったという。
繰り返しになるが、これらが例外的なケースではないことを強調しておきたい。それどころか、一定の条件がそろったときには、かなりの確率で発生することがわかってきた。しかも「病」が重症化するケースが明らかに増えているようだ。私は精神科医ではないが、組織や社会を研究する者として見過ごせない現象である。
そして、それがある一線を越えたとき、先に掲げたような事件や深刻な社会問題を引き起こす。
人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が念願叶って認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむ。(以上)
「認められたくて努力した」のだけれど、いざ、認められてしまうと、その評価を失うのが怖くて、プレッシャーに押しつぶされてしまう。 そういう事例がかなり多いことを、著者は指摘しています。以下転載。
若者にとって期待のプレッシャーがいかに大きいかは、意識調査にもあらわれている。ライオン株式会社が2012年に行った「新社会人のプレッシャーに関する意識調査」によると、新入社員時代にプレッシャーを感じた、心に重くのしかかる上司の言葉として「期待しているよ」が3位に入っている。とりわけ若い人にとって、期待をかけられることはありがたい反面、迷惑なもののようだ。
承認の重荷から逃れようとする、もう一つの方法はあらかじめ評価の下落を防いでおく行為である。
先に説明したセルフハンディキャッピングには、あらかじめ大きな期待を避けられるのを防ぐとともに、失敗したときに自己評価が大きく低下することを予防しようという意図も含まれている場合が多い。たとえ失敗しても、「体調が悪かったので実力が発揮できなかっただけだ」「実力はあるのだけれど、勉強しなかったから落ちたのだ」と思ってもらいたいのである。(以上)
人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が、念願かなって認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむことになる。「承認欲求の呪縛」は「日本の風土病」だという。
解決策としては、「認知された期待」を下げる、 「自己効力感」を高める、「問題の重要性」を下げる、目の前の目標よりはるか先に目標を置くことによって、目の前の目標を相対化する。組織や集団への依存度を下げれば、たとえ「認知された期待」と「自己効力感」のギャップが大きくても、強いプレッシャーを感じなくてすむ、等々。
私がはじめてこの問題に気づいたのは、大学院生を指導していたときである。ある院生はコツコツと研究した成果を教員たちの前で発表し、高い評価を得て、さらなる研究の発展を期待された矢先、突然大学に退学届を提出し、それきり大学に来なくなってしまった。別の院生は抜群の成績で博士課程への進学が決まっていたにもかかわらず、家で自室に閉じこもり、家族とも口を利かなくなったという。ほかにも似たようなケースがあいついだのである(※いずれも本人が特定されないよう、事実に多少の修正を加えている)。
当初は特異な事例かと思っていたが、後になって同じような現象が企業や役所でもしばしば起きていることを知った。
さらに、たまたま訪ねた会社で次のような話も耳にした。あるとき社長が工場へ視察に訪れ、工作機械を巧みに操作する若手社員の仕事ぶりをほめたたえた。そして、別れぎわに「期待しているから頼むよ」といいながら彼の肩をポンと軽くたたいた。以来、同僚からも注目されるようになった彼は、だれよりも早く出勤し、準備万端整えて仕事に取りかかった。ところが彼も、やがてメンタルの不調を訴え、休職に追い込まれていったという。
繰り返しになるが、これらが例外的なケースではないことを強調しておきたい。それどころか、一定の条件がそろったときには、かなりの確率で発生することがわかってきた。しかも「病」が重症化するケースが明らかに増えているようだ。私は精神科医ではないが、組織や社会を研究する者として見過ごせない現象である。
そして、それがある一線を越えたとき、先に掲げたような事件や深刻な社会問題を引き起こす。
人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が念願叶って認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむ。(以上)
「認められたくて努力した」のだけれど、いざ、認められてしまうと、その評価を失うのが怖くて、プレッシャーに押しつぶされてしまう。 そういう事例がかなり多いことを、著者は指摘しています。以下転載。
若者にとって期待のプレッシャーがいかに大きいかは、意識調査にもあらわれている。ライオン株式会社が2012年に行った「新社会人のプレッシャーに関する意識調査」によると、新入社員時代にプレッシャーを感じた、心に重くのしかかる上司の言葉として「期待しているよ」が3位に入っている。とりわけ若い人にとって、期待をかけられることはありがたい反面、迷惑なもののようだ。
承認の重荷から逃れようとする、もう一つの方法はあらかじめ評価の下落を防いでおく行為である。
先に説明したセルフハンディキャッピングには、あらかじめ大きな期待を避けられるのを防ぐとともに、失敗したときに自己評価が大きく低下することを予防しようという意図も含まれている場合が多い。たとえ失敗しても、「体調が悪かったので実力が発揮できなかっただけだ」「実力はあるのだけれど、勉強しなかったから落ちたのだ」と思ってもらいたいのである。(以上)
人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が、念願かなって認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむことになる。「承認欲求の呪縛」は「日本の風土病」だという。
解決策としては、「認知された期待」を下げる、 「自己効力感」を高める、「問題の重要性」を下げる、目の前の目標よりはるか先に目標を置くことによって、目の前の目標を相対化する。組織や集団への依存度を下げれば、たとえ「認知された期待」と「自己効力感」のギャップが大きくても、強いプレッシャーを感じなくてすむ、等々。