『「頑張れない」子をどう導くか ――社会につながる学びのための見通し、目的、使命感』(ちくま新書・2025/5/9・宮口幸治・田中繁富著)からの転載です。
本書の一番の目的は、さまざまな理由で頑張れない子どもたちのやる気に少しでも繋がるように、我々大人ができることを考えていくことです。それに先立ち、やる気に繋がる3つの段階というものを仮定してみました。それが本書の軸となっている。「見通し」「目的」「使命感」です。これらは拙著『どうしても頑張れない人たち』(新潮新書)でも取り上げてきたものです。順にご説明します。
。「見通し」は、どれだけやれば自分の目的や目標が達成できるか、もしくはその努力が報われるのか、といったもので、言わば地図のようなものです。目的地が初めての場所であればそこに行くにしても、地図がないとどうやって行っていいのかイメージができません。地図を見て場所がイメージできれば、こう行けばいいのだと当たりを付けることができます。同じように「やればできる」「努力は報われる」という言葉を大人に言われても、本人の能力に比べてあまりに高すぎる目標や、または大人の過剰な期待から生じた目標であれば、どうすれば達成できるのかイメージできません。
この「見通し」がもてるというのは、どのくらいすればできるのか、どのような努力をすれば実現できるのかを、子ども本人が具体的にイメージできるようになることです。見通しがもてないと何をするにも不安で、頑張ることも困難になるでしょう。周囲の大人はそれをサポートしていきます。
「目的」は、何のために頑張るのかを具体的にイメージできる一つのゴールとも言えるものです。地図で言えば、どこに行くのか目的地を決めることでもあります。目的地は、「○○高校に行きたい」「部佶の試合で勝ちたい」といった近いゴールから、将来、「野球選手になりたい」「ユーチューバーになりたい」といった未来のゴールまで、さまざまです。そのために見通しという地図を使って、目的地に向かって頑張っていくのです。楽な道もあればいばらの道もあります。大人としては目的地が遠すぎないか、本人に適した場所か、安全か、途中で迷わないか、など配慮しながら子どもに伴走していきます。
「使命感」は、目的の先にあるものです。地図の例ですと、その目的地に無事に着けたとして、そこで何をしたいかということです。アルプスの頂上のようにそこに辿り着くこと自体が目的の場合もありますが、たいていはそこで何かをするために目的地としたはずです。それがここでいう使命感になります。希望の職種に就きたいという目的のために頑張るのはイメージできますが、ではその仕事に就けたとして、そこで何をするのかです。野球選手になりたくて頑張ってなるこしができた。でもそれで終わりではないはずです。どんな選手になりたいか、おそらく選手にとってはそこからが真の意味でのスタートと言えるでしょう。目的地でやること、癩張ることが自分の人生にとってどんな意味があるのか、社会にとってどんな意義があるのか。これは目的地に着いた本人でないと分からないと思いますが、周囲の大人は自分たちの経験からアドバイスしながら支えることができます。
本書の一番の目的は、さまざまな理由で頑張れない子どもたちのやる気に少しでも繋がるように、我々大人ができることを考えていくことです。それに先立ち、やる気に繋がる3つの段階というものを仮定してみました。それが本書の軸となっている。「見通し」「目的」「使命感」です。これらは拙著『どうしても頑張れない人たち』(新潮新書)でも取り上げてきたものです。順にご説明します。
。「見通し」は、どれだけやれば自分の目的や目標が達成できるか、もしくはその努力が報われるのか、といったもので、言わば地図のようなものです。目的地が初めての場所であればそこに行くにしても、地図がないとどうやって行っていいのかイメージができません。地図を見て場所がイメージできれば、こう行けばいいのだと当たりを付けることができます。同じように「やればできる」「努力は報われる」という言葉を大人に言われても、本人の能力に比べてあまりに高すぎる目標や、または大人の過剰な期待から生じた目標であれば、どうすれば達成できるのかイメージできません。
この「見通し」がもてるというのは、どのくらいすればできるのか、どのような努力をすれば実現できるのかを、子ども本人が具体的にイメージできるようになることです。見通しがもてないと何をするにも不安で、頑張ることも困難になるでしょう。周囲の大人はそれをサポートしていきます。
「目的」は、何のために頑張るのかを具体的にイメージできる一つのゴールとも言えるものです。地図で言えば、どこに行くのか目的地を決めることでもあります。目的地は、「○○高校に行きたい」「部佶の試合で勝ちたい」といった近いゴールから、将来、「野球選手になりたい」「ユーチューバーになりたい」といった未来のゴールまで、さまざまです。そのために見通しという地図を使って、目的地に向かって頑張っていくのです。楽な道もあればいばらの道もあります。大人としては目的地が遠すぎないか、本人に適した場所か、安全か、途中で迷わないか、など配慮しながら子どもに伴走していきます。
「使命感」は、目的の先にあるものです。地図の例ですと、その目的地に無事に着けたとして、そこで何をしたいかということです。アルプスの頂上のようにそこに辿り着くこと自体が目的の場合もありますが、たいていはそこで何かをするために目的地としたはずです。それがここでいう使命感になります。希望の職種に就きたいという目的のために頑張るのはイメージできますが、ではその仕事に就けたとして、そこで何をするのかです。野球選手になりたくて頑張ってなるこしができた。でもそれで終わりではないはずです。どんな選手になりたいか、おそらく選手にとってはそこからが真の意味でのスタートと言えるでしょう。目的地でやること、癩張ることが自分の人生にとってどんな意味があるのか、社会にとってどんな意義があるのか。これは目的地に着いた本人でないと分からないと思いますが、周囲の大人は自分たちの経験からアドバイスしながら支えることができます。