明日(22.10.1)からタバコの値上がり、ワイドショーでは禁煙やタバコの買いだめの映像が流れている。ワイドショーのキャスターの一人が「明日からタバコを止めます」と宣言していた。
テレビを見ながら“うまいことをやる”と思った。うまいこととは、ミヤザキホスピタルの宮崎さんが会食の席で、次のことを話していたことを思い出したからだ。
タバコを止めるためには、レントゲン写真で肺の現状を見せて、タバコを止めたと周囲に人たちに宣言をする。そして他人にも禁煙を勧めて歩く。人に勧めることによって、自分がまた吸い出すという無責任な行動がとれなくなるのだそうです。
私はその話を聞いた時、新宗教の布教戦略と同じだと思った。信仰を人に勧誘することによって、「自分は止めました」という無責任な行動が取れなくさせる戦略です。
キャスターがテレビ放映で禁煙を宣言することは、かなりの縛りになるはずです。それで「うまいことをやる」と思ったのです。
私は念仏によってタバコを止めたという経験があります。それは学生の頃、「隠れ念仏」の本を読んでいたときのことです。その本のには、拷問による死の間際、許され念仏を称えて死んで逝った人。海に舟を出し、荒波の中で念仏した逸話。また禁制の中、決死の覚悟で布教伝道した僧の史実などが綴られていました。念仏を申すことが許されない状況の中で念仏を称え続けた人たちの記録です。
その史実に接していたら、自由に念仏を称えることの出来る有り難さがこみ上げてきました。浄土真宗の念仏は、念仏として私に届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れる営みです。その念仏を称えることを禁じられたのです。念仏を申せずに必死に耐え忍んだ人たちの苦渋は想像を絶します。
その途端ふと、タバコの煙を出すことを我慢する事のたわいのなさ思われました。それから1,2ヶ月は、タバコのことが思いにかかると、念仏を申すことの喜びを噛みしめて過ごしました。そしたらいつの間には禁煙という思いのないまま、タバコから解放されていたのです。
上記の信仰体験は、その後、6年くらい、人に語ることができませんでした。その事実は、あまりにももったいなく、私に口で人に言うと、煩悩の汚れが付くようで、語ること自体が恥ずかしく思われたからです。
その体験は、拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』の中で、聖人の妻恵信尼さまの体験として、ダブらせています。
恵信尼さまは、常陸に入り下妻の境の郷という在所で筑前は夜中に夢を見ます。長くなりますが小説の中から引いて見ましょう。
その夢は、厳かに堂供養が行われている堂前の鳥居の横木に、二幅の絵像本尊が掛けられていた。一幅の尊形は明らかに拝せられたが、もう一幅は、ただ金色に輝いて尊容が分からなかった。傍の参詣の者に、「あの光り輝いている方はいかなる仏にござりましょう」と訊ねると、「あの光ばかりであられるのは勢至菩薩で、今日の源空上人にござります」と言う。「では、もう一幅の尊形は」と問うと、「大悲観世音菩薩で、あれこそが善信の御房、親鸞聖人にござる」と告げられたところで目がさめた。
翌朝、筑前はその夢を夫に告げた。
「夜前(ようべ)、わらわは夢を見ました。堂供養が行われている鳥居の横木に、ただ金色に輝く尊容が分からない絵像のご本尊が掛けられていましたので、参詣の者に〝あの光り輝いている方は何仏でござりましょう〟とお訊ね申しますと〝あの光ばかりであられるのは勢至菩薩で、今の源空上人でありまする〟とのことにござりました」
親鸞は、妻の夢の話を頷きながら聞いていたが、筑前が話し終わると、嬉しそうに言った。
「夢には色々あるが、それは正夢でござる。法然殿は勢至菩薩のご化身に間違いござらぬ」
「あな尊し…」
筑前は、次の言葉を呑んだ。
筑前は、夫が観世音菩薩の化身であるとのお告げは、あまりにも尊くすぎて口にすることができなかった。その尊い夢のお告げを口に出してしまうと凡夫の手垢がつくような恥ずかしさを覚えた。尊いことは尊いままにしておきたいと思った。(以上)
私も先の禁煙の話を人に話してしまうと「凡夫の手垢がつくような恥ずかしさを覚えた」のです。
テレビを見ながら“うまいことをやる”と思った。うまいこととは、ミヤザキホスピタルの宮崎さんが会食の席で、次のことを話していたことを思い出したからだ。
タバコを止めるためには、レントゲン写真で肺の現状を見せて、タバコを止めたと周囲に人たちに宣言をする。そして他人にも禁煙を勧めて歩く。人に勧めることによって、自分がまた吸い出すという無責任な行動がとれなくなるのだそうです。
私はその話を聞いた時、新宗教の布教戦略と同じだと思った。信仰を人に勧誘することによって、「自分は止めました」という無責任な行動が取れなくさせる戦略です。
キャスターがテレビ放映で禁煙を宣言することは、かなりの縛りになるはずです。それで「うまいことをやる」と思ったのです。
私は念仏によってタバコを止めたという経験があります。それは学生の頃、「隠れ念仏」の本を読んでいたときのことです。その本のには、拷問による死の間際、許され念仏を称えて死んで逝った人。海に舟を出し、荒波の中で念仏した逸話。また禁制の中、決死の覚悟で布教伝道した僧の史実などが綴られていました。念仏を申すことが許されない状況の中で念仏を称え続けた人たちの記録です。
その史実に接していたら、自由に念仏を称えることの出来る有り難さがこみ上げてきました。浄土真宗の念仏は、念仏として私に届けられている阿弥陀如来の慈しみに触れる営みです。その念仏を称えることを禁じられたのです。念仏を申せずに必死に耐え忍んだ人たちの苦渋は想像を絶します。
その途端ふと、タバコの煙を出すことを我慢する事のたわいのなさ思われました。それから1,2ヶ月は、タバコのことが思いにかかると、念仏を申すことの喜びを噛みしめて過ごしました。そしたらいつの間には禁煙という思いのないまま、タバコから解放されていたのです。
上記の信仰体験は、その後、6年くらい、人に語ることができませんでした。その事実は、あまりにももったいなく、私に口で人に言うと、煩悩の汚れが付くようで、語ること自体が恥ずかしく思われたからです。
その体験は、拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』の中で、聖人の妻恵信尼さまの体験として、ダブらせています。
恵信尼さまは、常陸に入り下妻の境の郷という在所で筑前は夜中に夢を見ます。長くなりますが小説の中から引いて見ましょう。
その夢は、厳かに堂供養が行われている堂前の鳥居の横木に、二幅の絵像本尊が掛けられていた。一幅の尊形は明らかに拝せられたが、もう一幅は、ただ金色に輝いて尊容が分からなかった。傍の参詣の者に、「あの光り輝いている方はいかなる仏にござりましょう」と訊ねると、「あの光ばかりであられるのは勢至菩薩で、今日の源空上人にござります」と言う。「では、もう一幅の尊形は」と問うと、「大悲観世音菩薩で、あれこそが善信の御房、親鸞聖人にござる」と告げられたところで目がさめた。
翌朝、筑前はその夢を夫に告げた。
「夜前(ようべ)、わらわは夢を見ました。堂供養が行われている鳥居の横木に、ただ金色に輝く尊容が分からない絵像のご本尊が掛けられていましたので、参詣の者に〝あの光り輝いている方は何仏でござりましょう〟とお訊ね申しますと〝あの光ばかりであられるのは勢至菩薩で、今の源空上人でありまする〟とのことにござりました」
親鸞は、妻の夢の話を頷きながら聞いていたが、筑前が話し終わると、嬉しそうに言った。
「夢には色々あるが、それは正夢でござる。法然殿は勢至菩薩のご化身に間違いござらぬ」
「あな尊し…」
筑前は、次の言葉を呑んだ。
筑前は、夫が観世音菩薩の化身であるとのお告げは、あまりにも尊くすぎて口にすることができなかった。その尊い夢のお告げを口に出してしまうと凡夫の手垢がつくような恥ずかしさを覚えた。尊いことは尊いままにしておきたいと思った。(以上)
私も先の禁煙の話を人に話してしまうと「凡夫の手垢がつくような恥ずかしさを覚えた」のです。