昨夜、車で移動中、テレビ番組が流れていました。内容は長嶋一茂が出演しており中学時代の恩師が、その頃の長嶋一茂の成績についてコメントしていました。その中でその恩師が自分のことを「恩師としては」と語っていました。自分の自分を「恩師」と語ることは、言葉の誤用でしょう。先生も「先生としては」の使うことも本来は誤用でしょう。生徒から見ての恩師であり先生です。
「懇志」も同様でしょう。「懇ろなる志」なので、自分で「懇志を持参しました」と使いがちですが、自分では「志」と書くべきです。
昨夜、車で移動中、テレビ番組が流れていました。内容は長嶋一茂が出演しており中学時代の恩師が、その頃の長嶋一茂の成績についてコメントしていました。その中でその恩師が自分のことを「恩師としては」と語っていました。自分の自分を「恩師」と語ることは、言葉の誤用でしょう。先生も「先生としては」の使うことも本来は誤用でしょう。生徒から見ての恩師であり先生です。
「懇志」も同様でしょう。「懇ろなる志」なので、自分で「懇志を持参しました」と使いがちですが、自分では「志」と書くべきです。