【鉄道】三江線の廃止、JR西が表明 輸送密度は1日50人とJR最下位 [無断転載禁止]©2ch.net
1 :
海江田三郎 ★
2016/09/01(木) 16:01:39.53 ID:CAP_USER
http://www.asahi.com/articles/ASJ8X5GJ6J8XPTIB00F.html
http://sankousen.com/wp-content/uploads/2010/02/topmap-219x240.gif
JR西日本は1日、島根県江津(ごうつ)市と広島県三次(みよし)市を結ぶ三江(さんこう)線(108・1キロ
)の廃止を沿線6市町に表明した。利用者数の低迷が理由で、今月末までに国土交通省中国運輸局に廃止届を提出する。
JR線の廃止は、西日本管内では2003年に廃止された広島県の可部線の一部区間(可部―三段峡の46・2キロ、
来春に1・6キロ区間は電化され復活予定)以来となる。
特集:テツの広場
沿線6市町長らでつくる「三江線改良利用促進期成同盟会」の臨時総会がこの日、島根県美郷(みさと)町であり、
JR西日本米子支社の松岡俊宏支社長が廃止方針を伝えた。会見した松岡支社長は「三江線の鉄道事業は
どのような形態でも行わないと判断した」と述べた。同盟会の景山良材(よしき)会長(美郷町長)も会見し
、「残念だが、受け止めざるを得ない」と述べた。JR西は廃止時期を明らかにしていないが、鉄道事業法では原則として事業者の届け出から1年後となる。
存廃問題は昨年10月に表面化。同盟会はJRを交えて代替バスとの経費比較などをして検討してきた。
http://sankousen.com/wp-content/uploads/2010/02/topmap-219x240.gif
JR西日本は1日、島根県江津(ごうつ)市と広島県三次(みよし)市を結ぶ三江(さんこう)線(108・1キロ
)の廃止を沿線6市町に表明した。利用者数の低迷が理由で、今月末までに国土交通省中国運輸局に廃止届を提出する。
JR線の廃止は、西日本管内では2003年に廃止された広島県の可部線の一部区間(可部―三段峡の46・2キロ、
来春に1・6キロ区間は電化され復活予定)以来となる。
特集:テツの広場
沿線6市町長らでつくる「三江線改良利用促進期成同盟会」の臨時総会がこの日、島根県美郷(みさと)町であり、
JR西日本米子支社の松岡俊宏支社長が廃止方針を伝えた。会見した松岡支社長は「三江線の鉄道事業は
どのような形態でも行わないと判断した」と述べた。同盟会の景山良材(よしき)会長(美郷町長)も会見し
、「残念だが、受け止めざるを得ない」と述べた。JR西は廃止時期を明らかにしていないが、鉄道事業法では原則として事業者の届け出から1年後となる。
存廃問題は昨年10月に表面化。同盟会はJRを交えて代替バスとの経費比較などをして検討してきた。
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子供の頃、夏休みになると母の実家に行っていました。
三江線で江津から3つ目、川平という駅から20分ほど歩いたところにあります。
三江線は、江津の町に出かけるときや、隣の川戸駅周辺にいる親戚の家に行くときなどに使っていました。
ラッシュ時は1時間に1本。その他の時間帯は、2時間に1本の割で走っていました。
ラッシュ時には5両編成になっていました。
特急やくもで、大阪駅から8時間かけて、江津駅へ。そこから三江線に乗り換え。1両編成で中にトイレもついたディゼルカーで、15分かけて、7キロ離れた川平駅へ。
駅に着くと、ちょうちんをもって、かごを背負った佐々木家の一族が待っていました。
「ようきんさったなあ。」と言って。
私が、子供の頃は、川平駅だけで、1日の乗降客数が300名を超えていました。
最近では、数年前に、おじいちゃんや大祖母の50回忌で、江津に行ったとき、三江線を利用しました。
1日5往復に減便され、1両編成になっていました。当然ワンマン運転です。
江津・川平間の制限時速は30キロ。ゆっくりと江川(ごうがわ)に沿って走って行きます。
江津本町・千金・川平。
江津本町駅は、民家が多くあるものの、乗降客はほとんどいません。
三江線で江津から3つ目、川平という駅から20分ほど歩いたところにあります。
三江線は、江津の町に出かけるときや、隣の川戸駅周辺にいる親戚の家に行くときなどに使っていました。
ラッシュ時は1時間に1本。その他の時間帯は、2時間に1本の割で走っていました。
ラッシュ時には5両編成になっていました。
特急やくもで、大阪駅から8時間かけて、江津駅へ。そこから三江線に乗り換え。1両編成で中にトイレもついたディゼルカーで、15分かけて、7キロ離れた川平駅へ。
駅に着くと、ちょうちんをもって、かごを背負った佐々木家の一族が待っていました。
「ようきんさったなあ。」と言って。
私が、子供の頃は、川平駅だけで、1日の乗降客数が300名を超えていました。
最近では、数年前に、おじいちゃんや大祖母の50回忌で、江津に行ったとき、三江線を利用しました。
1日5往復に減便され、1両編成になっていました。当然ワンマン運転です。
江津・川平間の制限時速は30キロ。ゆっくりと江川(ごうがわ)に沿って走って行きます。
江津本町・千金・川平。
江津本町駅は、民家が多くあるものの、乗降客はほとんどいません。
千金駅は、子供の頃に田舎に帰ったときから数年前に帰った時まで、いまだかつて一度も乗降客を見たことはありません。
川平駅は、乗降客が昔はかなりいました。現在は、数名という感じです。
次の川戸駅は、駅前に民家多数。昔は、バスも出ていて、乗降客は多かったと思います。
川平駅は、乗降客が昔はかなりいました。現在は、数名という感じです。
次の川戸駅は、駅前に民家多数。昔は、バスも出ていて、乗降客は多かったと思います。
そこから先は、利用したことがありません。
三江線は全線で108キロあるとか。
青春18きっぷで、利用したいものです。
三江線は全線で108キロあるとか。
青春18きっぷで、利用したいものです。
戦時中の東住吉区の国民学校の疎開先が三江線沿線になっているのが2校ありました。針中野駅前・駒川商店街を校区にもつ東田辺国民学校。喜連国民学校。
東住吉区に住む70-80代の人でも、三江線と聞いて、懐かしいと思う人がいると思われます。
南海トラフ地震が来たら、生き残った人は、ライフラインの生きている山陰に殺到します。
その時、三江線沿線は、戦時中疎開者であふれ、にぎやかになったように、にぎやかになります。
東住吉区に住む70-80代の人でも、三江線と聞いて、懐かしいと思う人がいると思われます。
南海トラフ地震が来たら、生き残った人は、ライフラインの生きている山陰に殺到します。
その時、三江線沿線は、戦時中疎開者であふれ、にぎやかになったように、にぎやかになります。
JR西日本の社長は、南海トラフ地震後大発展を遂げる地域から鉄道を廃止するので、先を見る目がないので、アホとしか言いようがありません。
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/hs-sokai.html
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/hs-sokai.html
■喜連国民学校
1年3名 2年10名 3年18名 4年25名 5年35名 6年42名
計 男77名 女56名 計133名/教員8名 寮母4名 作業員5名
●三江線川本駅/島根県邑智郡出羽村/羽住屋旅館
●三江線川本駅/島根県邑智郡高原村/西福寺
●三江線川本駅/島根県邑智郡田所村/真清寺
■東田辺国民学校
3年39名 4年56名 5年39名 6年56名
計 男93名 女97名 計190名/教員14名 寮母4名 作業員未定
●三江線川本駅/島根県邑智郡川本町/法隆寺 光永寺
●三江線梁瀬駅/島根県邑智郡吾郷村/覚法寺
●三江線粕渕駅/島根県邑智郡粕渕村/浄土寺
●三江線浜原駅/島根県邑智郡浜原村/妙用寺
ホモが生息している少子化自治体
一日50人でも多いぐらいちゃう?
ホモはハッテン
自治体は衰退
交通インフラ死んでるのに
どうやって山陰に人が移動するのか
意味不明です。
説明して!
>先を見る目がないので、アホとしか言いようがありません。
んなもん大ハッテンしてから復活すれば宜しい
事実豚の引用した記事中にもあるが、JR西は廃線後に人口が増えたので一部分だけ電化して復活、なんて施策を進めている。
>西日本管内では2003年に廃止された広島県の可部線の一部区間(可部―三段峡の46・2キロ、
>来春に1・6キロ区間は電化され復活予定)以来となる。
そんなに地域の大ハッテンがお望みなら、カードカルトでも鑑定室でも、
豚が私財をなげうって江津でも川平でも出店すれば宜しい
地震が来るぞと確実な根拠がない限り
事前に疎開するやつ居らんやろ
地震が来たあとに山陰に疎開できるんか?
アホか?