ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

誰か私と三江線乗りに行きませんか。今月末の営業をもって廃止されます。広島県三次市と島根県江津市を結ぶ江川(ごうがわ)沿いに走る108キロ。かつては5両編成少し前まで1両編成。現在3両編成だとのこと。

2018-03-03 21:43:09 | 募集・呼びかけ

今月末、3月31日の営業をもって、三江線が廃止となります。
そのため、全線乗りに行こうと考えています。来週か・再来週に。
青春18きっぷ利用で行きます。

三江線は現在1日5便しか走っていません。

当ブログ記事 2010年11月21日記事 本日は出雲大社へ&38年ぶりに三江線に乗車川平駅へ

 

子供のころ、夏休み、母の田舎に帰ったときに、三江線(当時三江北線)には、よく乗りました。
川平駅は、江津駅より3つ目。7キロのところにあります。
次の駅は、川戸駅。一駅で7キロあります。
母方の親戚が川戸駅のある桜江町にいたので、江津・川平間、川平・川戸間は、何度か乗りましたが、川戸・三次間は乗ったことがありませんでした。

大阪から青春18きっぷで江津まで。そして、江津市内のおじさんの家に泊めてもらいます。
そして、翌朝、江津駅まで、車で送ってもらい、三江線の江津始発、午前5時53分発の電車で終点三次まで向かいます。
そして、三次から石見川本行きに乗車。
そこで、1時間半ほど接続まち。その間に、川本町散策。今は亡き母が首席の成績で出た島根県立川本高等女学校の跡地がわかれば、そこに。
ちなみに、母の賢さと勤勉さを語るエピソードとしてこんな話があります。
冬の雪が降る時期。ラッセル車が三江線(当時三江北線)を走って雪かきしそれから汽車は動きます。そのため、汽車が遅れます。
それで、母は、通常なら、40分ほどで行ける川平・石見川本駅間を所要時間がものすごくかかると見越して、朝の4時台の1番電車で石見川本に向かいました。
雪のない時なら、朝の6時までに石見川本にある女学校についてしまいます。
が、駅到着ごとに除雪。朝の4時台の川平発の汽車に乗って、午前7時台に石見川本に到着。
その日、女学校には、汽車通学の生徒は、母一人のみが始業時間に間にあったという事でした。
そして、朝礼の時、校長先生が、母に対して、非常に勤勉だと全校生徒(川本町など徒歩通学者は通常通り登校)の前でほめて、めちゃ恥ずかしかったという事が、幾度となく、亡くなった母から聞かされていました。

そして、石見川本始発江津行きの電車に乗り、川平で下車。母方・佐々木家の墓参り。
おじさんに車で迎えに来てもらって、江津駅まで。
そして、大阪に戻る予定です。

希望者がいれば、nichikon3@infoseek.jp まで。

私は、ものこごろついた時から、中学2年生まで、毎年、夏休みは、川平の母の実家や親せき宅に行きました。
40日近く、ずっと、川平で過ごしていました。
カブトムシをとったり、自然の中で過ごしていました。
今から思うと、塾とか無縁な生活をしていたため、こういう事が出来たんだぁと思います。

当時の江津市は、大阪から見たら別世界でした。
まず、大阪の新聞で見た記事が、再び見ることができました。
そうです。新聞記事の内容が、大阪より、1-2日遅れていたのです。
それと、すべての家に、鍵というものがありません。外出するとき、施錠するという概念がありません。
それと、驚きは、電話というものが、どこの世帯にもなく、半面、有線というものがあったのです。
有線電話をかけるときは、たとえば、54回線の8番とかオペレーターに申し出ます。
すると、54回線の家には、すべてに8番・8番というオペレーターからの声が流れます。
そして、8番の家の人は、電話機から受話器をとってしゃべる仕組みでした。
そのため、親戚の家に行っているときでも、電話対応できるという利点はありましたが、通話内容は、同じ54回線の家なら、受話器を取ると筒抜けになりました。
また、大阪から電話普及率が0%に近かった江津市にいる親戚に連絡を取りたいときは、浜田市にあった有線電話の基地局に電話、回線番号と個別番号を言って、つないでもらっていました。ただ、これは、違法行為という事で、大阪式イントネーションの父がかけると、おつなぎできませんと断られていました。
母が、石見弁でしゃべると、つないでもらっていました。

大阪駅12時発の特急やくもで、午後8時に江津駅(昔は石見江津駅という名称)着。そして、三江北線の最終で、川平へ。
駅前には、母方の親戚一同10名ぐらいが、提灯に灯をともしてお出迎え。
「ようきんさったなぁ」と言って、持っている荷物を背負っているかごに入れて、運んでくれました。
夏場は、昼間、よく日本海に海水浴に行きました。
川平から江津へ。当時の川平駅は、行き違い駅で、朝のラッシュ時には、5両編成の電車には、多くの乗客がいました。
三江線(三江北線)は、ディーゼル車でした。
それに対して、山陰本線は、汽車でした。
乗る汽車がC57の時はハズレ。D51の時は、当たりと喜んでいました。
当時、D51が人気だったので。
大阪に帰って、友達に、山陰本線でD51乗ってきたと自慢していたのを覚えています。
当時は、列車・汽車に冷房などなく、窓を開けていました。
三江北線を乗っているときは、トンネルに入ってもそのままでOK。
山陰本線に乗っているときは、そういうわけでもありませんでした。
トンネルに入ると、汽車の煙が車内に入り込んできます。
そのため、乗客は、手分けして、すべての窓を閉め、トンネルから出ると、全ての窓を開けていました。それが、厄介でした。
また、三江線のディーゼル車は、大阪と同じ。駅についたらドアが開き、閉まります。そして、出発。
それに対して、山陰本線を走る汽車の客車には、連結部分にデッキがあり、列車が動いているときでも、そこから飛び降りたり、飛び乗ったりできたので、
こわいなぁと思いました。




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6 コメント

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裁判マニアといけよ‼😾 (アスペ石井)
2018-03-03 23:50:10
アンタ、私立とかだったならまだしもずっと公立だったんだろ?🙀塾もつめこみだが公立では学べんこともあると思うぞ🙀べつに塾いってても中3や高3とか受験じゃなかったら、夏休みにならしけた田舎みたいなんならずっとおれるだろーが‼😾
さすが自称天才、よく自覚していますね。 (てつどーまん)
2018-03-04 01:39:22
お荷物のえむびーまんは、貨物機で戦時設計仕様の粗悪品混じりのD51がお似合いです。
旅客急行用でお召列車牽引実績も多く、優雅な風貌から「貴婦人」の愛称もある高貴なC57は似合いません。
あえて一人旅がいいかも (古都)
2018-03-04 10:26:25
新着記事ありがとうございます。 三江線もうすぐ終わりですか。さみしいですね。JRのローカル線は慢性的な赤字で利用者が激減とか。廃線は時代の流れでやむを得ないかも。第三セクターで元JRの飛騨神岡鉄道も廃線に追い込まれてしまった。地方はクルマ社会ですしね。鉄道のダイヤも少ない本数しかありませんしね。 山本さん、旅はあえて一人が楽しいですよ。仕事とか以外は。旅先や電車内で知らない人と交流する楽しみ。山本さんは大阪のシティーボーイなので地方の人と交流する機会が少ないかも。友人と行く旅もいいですが今回はあえて山本さん一人旅がいいかも。山本さんが城崎の駅弁カニ飯などを記事にしてくれると楽しい。また山本さんは女性にモテるようなので旅先で新たな恋が生まれるかも。会話力抜群、財力抜群、知力抜群、やさしさ抜群。山本さんが旅先で綺麗な女性などといい出会いされることを楽しみにしております。
えむびーの自演じゃねーのか⁉😨 (アスペ石井)
2018-03-04 11:15:06
やっぱ古都って、えむびーの自演じゃねーのか⁉😨
Unknown (Unknown)
2018-03-04 12:35:52
D51とC57
普通はC57やわな
戦闘機と旅客機並みにちゃうで。
それよりK83(黄ばみ)か?
Unknown (Unknown)
2018-03-08 21:07:02
左の写真は宮崎勤のコスプレでもしていた写真ですか?

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