4月16日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第132回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
まだ製造が再開されず、今回も子どもたちにビタペクトTを渡すことができませんでした。代わりにペクチン配合セルロースを配布しました。
以前のこの活動でもセルロースをビタペクトTの代わりに子どもたちに渡したことがあります。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
133回目に当たるチロ基金の活動「ビタペクト2無料配布」について。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c5c13bdc865c7071c69c29024464ff6d
チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第123回」
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b70d590afa565bd909875ae3aae13527
ペクチン配合セルロースについてはこちらです。
ペクチン配合セルロースについて (1)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
ペクチン配合セルロースについて (2)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5d48a74eef693b9246d188dfa277d076
ペクチン配合セルロースについて (3)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/33089b7659d42b742cf36a33deba21ad
ビタペクトTを製造しているベルラド研究所側の事情により、現在ビタペクトTの製造が休止しています。さらに現在のところ在庫もありません。
しかしチロ基金としては子どもたちに何もあげないよりは、ペクチン配合セルロースを渡すほうがいいと考え、今回はビタペクトTの代わりに「ペクチン入りセルロース・ツルコケモモ」(250グラム入り)4個(8人分)をSOS子ども村にて保養滞在している家族に渡しましたのでご報告いたします。
これでチロ基金が今までに子どもたちに渡したペクチン入りセルロースは合計13個になりました。
ペクチン入りセルロースは250グラム入りで、ビタペクトTは152グラム入りです。そのためペクチン入りセルロースを子どもたちにあげるときには1個で2人分として渡しています。
また「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。これで今までに配布した「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1710部となりました。
今回で通算142回目の配布となりました。延べ人数ですが、1710家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
今回はゴメリ州ルドニヤ・マリモノワ村(チェルノブイリ原発から約100キロ)とミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から一家族ずつ保養滞在に訪れていました。
(家族A)
お母さんが6人の子どもを連れてきていました。この家族は2007年と2010年にも保養滞在しています。
2007年の滞在のようすはこちらです。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第57回」(家族B)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2007/no57.html
2010年の滞在のようすはこちらです。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第99回」(家族B)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9a9498a92b6f152a19fff7d4718dee18
この家族には1個(2人分)のペクチン配合セルロースを渡しました。
それぞれの放射能の測定結果は次の通りです。2007年、2010年、2012年の順に結果を並べてあります。
○印の子どもにビタペクト2、あるいはセルロースを渡しました。
母親(事故発生時14歳)28ベクレル ○ → 34ベクレル ○ → 20ベクレル
長男(16歳) 42ベクレル ○ → 59ベクレル ○ → 11ベクレル
次男(13歳) 33ベクレル ○ → 49ベクレル ○ → 35ベクレル ○
三男(10歳) 32ベクレル ○ → 30ベクレル ○ → 15ベクレル
長女 (7歳) 51ベクレル ○ → 40ベクレル ○ → 24ベクレル ○
四男 (5歳) 49ベクレル ○(今回測定していません。)
次女 (3歳) 32ベクレル (今回測定していません。)
四男と次女が測定していない理由ですが、四男は怖がって測定の間じっとしていることができず、測定をあきらめました。
次女はちょうど風邪をひいて、SOS子ども村で留守番していたそうです。
全体的に被曝量が減っていて、よかったと思いました。
またこの一家の四男は水頭症ですが、この子に対する支援活動をチロ基金は2010年に行っています。詳しくはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「水頭症児童への支援活動」
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/818f0d1bbb13bc10b75e67d13cab161e
この子以外の子どもたちは健康だそうです。
5歳になった四男君は、すっかり大きくなっていました。そして、ちゃんと意味のある会話をしていました!
ただ言いたいことを言うだけではなく、「これは何?」と質問するとその名前を答えていました。
確かに発音が明瞭でない部分もあり、ときどきお母さんや兄弟の「通訳」がいるときもありましたが、この子、実はすごく頭がいいのでは・・・と思ったぐらいです。
現在は普通の子どもが通う幼稚園の中にある「病弱児グループ」に入っているそうですが、言葉も増え、しかもすばしっこい!(サッカーしてましたよ。)すごく元気でした。
頭の大きさは少々大きいのと、目がいつもびっくり目になっているのが、何も知らない人でも
「障害のある子?」
と気がつくかもしれませんが・・・。
まぶたが上に引っぱられているように見えるので、
「頭が大きいから、顔の皮膚が頭のほうに引っぱられている?」
と私は思ったのですが、リリヤ先生によるとそうではなく
「まぶたを支える筋肉の異常だと思うから、一度検査を受けたほうがいい。」
とお母さんに話していました。
それから両足の太さが違っていて足の大きさもちがうので靴を買うとき大変だとお母さんは話していました。
両腕も曲がっているようなので、こちらの筋肉の検査を受けたいとも話していました。
水頭症については水はもうたまっていません。現在も投薬治療を続けていますが、2年前にチロ基金が渡した薬を飲む期間は終わり、現在は別の薬(脳神経の働きを浴する薬)を飲んでいます。
ところがこの薬はベラルーシでは売られておらず、ロシアなど近隣諸国にもないので、ドイツまで買いに行かないといけないそうです。
仕方がないので、お父さんがときどきドイツまで列車に乗って、その薬を買いに行っているそうです。
大変です・・・。でもこんな両親の元に生まれてきたから、こんなに賢い元気な子に育ったんだと、納得しました。
(家族B)
ミンスクからお父さんとお母さん、8人の子どもと保養滞在していました。この家族には3個(6人分)のペクチン入りセルロースを渡しました。
それぞれの放射能の測定結果は次の通りです。○印の子どもにセルロースを渡しました。
父親(事故発生時10歳)6ベクレル
母親(事故発生時17歳)11ベクレル
長女(13歳)39ベクレル ○
次女(12歳)20ベクレル ○
三女(10歳)30ベクレル ○
長男 (8歳)34ベクレル ○
次男 (6歳)28ベクレル ○
三男 (5歳)32ベクレル ○
四男 (3歳)35ベクレル
五男 (1歳)(今回測定していません。)
五男が測定していない理由ですが、この子も怖がって測定の間じっとしていることができずあきらめました。
今回は珍しくお父さんも保養滞在に来ています。
残念なことに今回この一家と会って話をすることができませんでした。
普段は私がSOS子ども村へ行くのは午前中が多いのですが、この日朝電話があって
「室内遊園地に行くことになったので、それから帰ってからの午後に来てほしい。」
とSOS子ども村側に予定の変更を頼まれました。
子どもたちはバスに乗ってミンスク市内の遊園施設へ。その帰り道、家族Bの両親が突然
「ミンスク市内にある言語聴覚士のところへ寄りたい。予約してたから。」
と言い出しました。
「でももうすぐチロ基金の人が来るのに。」(ちなみにSOS子ども村はミンスクではない別の市にあります。)
とSOS子ども村の職員さんは言ったのですが、
「いつも定期的に行っているので、ミンスクに出てきたこの機会に行かないと・・・。」
と言って言語聴覚施設のほうへ行ってしまいました。
この一家、8人兄弟のうちの4人、長男、次男、三男、四男に言語障害があるのです。そのため専門の治療を受けているのだそうです。
女の兄弟にはそのようなことはありません。どうして男の兄弟にだけそろってこんなことになっているのか・・・
まだ1歳の五男はまだ言葉自体がうまくしゃべれなくて当たり前ですが、もう数年すると兄たちと同じような言語の遅れが出てくる可能性があるので、注意が必要、早めの対策をしないといけないと思いました。
ミンスク生まれミンスク育ちなのに、測定した兄弟全員高い値が出ていて、チェルノブイリ原発からの距離や汚染地域に指定されているかどうかは被曝には関係ないと改めて実感しました。
この家族ともお会いしたかったので、しばらく待っていたのですが、帰ってこなかったのであきらめて、セルロースや子どもたちへのプレゼントはSOS子ども村の職員さんから渡すように預けてきました。
お母さんにはアクリルたわしと裁縫セットを渡しました。子どもたちには折り紙用の紙、折鶴、カードのカレンダー(これはベラルーシの出版社からの寄贈品)をプレゼントしました。
画像は記念撮影の様子です。家族Aのお母さんと子どもたちのうち4人しか写っていません。後の2人は写真撮影のとき不在でした。
最後になりましたが、ペクチン配合セルロースの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわし、裁縫セットなどプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
まだ製造が再開されず、今回も子どもたちにビタペクトTを渡すことができませんでした。代わりにペクチン配合セルロースを配布しました。
以前のこの活動でもセルロースをビタペクトTの代わりに子どもたちに渡したことがあります。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
133回目に当たるチロ基金の活動「ビタペクト2無料配布」について。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c5c13bdc865c7071c69c29024464ff6d
チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第123回」
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b70d590afa565bd909875ae3aae13527
ペクチン配合セルロースについてはこちらです。
ペクチン配合セルロースについて (1)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
ペクチン配合セルロースについて (2)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5d48a74eef693b9246d188dfa277d076
ペクチン配合セルロースについて (3)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/33089b7659d42b742cf36a33deba21ad
ビタペクトTを製造しているベルラド研究所側の事情により、現在ビタペクトTの製造が休止しています。さらに現在のところ在庫もありません。
しかしチロ基金としては子どもたちに何もあげないよりは、ペクチン配合セルロースを渡すほうがいいと考え、今回はビタペクトTの代わりに「ペクチン入りセルロース・ツルコケモモ」(250グラム入り)4個(8人分)をSOS子ども村にて保養滞在している家族に渡しましたのでご報告いたします。
これでチロ基金が今までに子どもたちに渡したペクチン入りセルロースは合計13個になりました。
ペクチン入りセルロースは250グラム入りで、ビタペクトTは152グラム入りです。そのためペクチン入りセルロースを子どもたちにあげるときには1個で2人分として渡しています。
また「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。これで今までに配布した「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1710部となりました。
今回で通算142回目の配布となりました。延べ人数ですが、1710家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
今回はゴメリ州ルドニヤ・マリモノワ村(チェルノブイリ原発から約100キロ)とミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から一家族ずつ保養滞在に訪れていました。
(家族A)
お母さんが6人の子どもを連れてきていました。この家族は2007年と2010年にも保養滞在しています。
2007年の滞在のようすはこちらです。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第57回」(家族B)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2007/no57.html
2010年の滞在のようすはこちらです。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第99回」(家族B)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9a9498a92b6f152a19fff7d4718dee18
この家族には1個(2人分)のペクチン配合セルロースを渡しました。
それぞれの放射能の測定結果は次の通りです。2007年、2010年、2012年の順に結果を並べてあります。
○印の子どもにビタペクト2、あるいはセルロースを渡しました。
母親(事故発生時14歳)28ベクレル ○ → 34ベクレル ○ → 20ベクレル
長男(16歳) 42ベクレル ○ → 59ベクレル ○ → 11ベクレル
次男(13歳) 33ベクレル ○ → 49ベクレル ○ → 35ベクレル ○
三男(10歳) 32ベクレル ○ → 30ベクレル ○ → 15ベクレル
長女 (7歳) 51ベクレル ○ → 40ベクレル ○ → 24ベクレル ○
四男 (5歳) 49ベクレル ○(今回測定していません。)
次女 (3歳) 32ベクレル (今回測定していません。)
四男と次女が測定していない理由ですが、四男は怖がって測定の間じっとしていることができず、測定をあきらめました。
次女はちょうど風邪をひいて、SOS子ども村で留守番していたそうです。
全体的に被曝量が減っていて、よかったと思いました。
またこの一家の四男は水頭症ですが、この子に対する支援活動をチロ基金は2010年に行っています。詳しくはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「水頭症児童への支援活動」
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/818f0d1bbb13bc10b75e67d13cab161e
この子以外の子どもたちは健康だそうです。
5歳になった四男君は、すっかり大きくなっていました。そして、ちゃんと意味のある会話をしていました!
ただ言いたいことを言うだけではなく、「これは何?」と質問するとその名前を答えていました。
確かに発音が明瞭でない部分もあり、ときどきお母さんや兄弟の「通訳」がいるときもありましたが、この子、実はすごく頭がいいのでは・・・と思ったぐらいです。
現在は普通の子どもが通う幼稚園の中にある「病弱児グループ」に入っているそうですが、言葉も増え、しかもすばしっこい!(サッカーしてましたよ。)すごく元気でした。
頭の大きさは少々大きいのと、目がいつもびっくり目になっているのが、何も知らない人でも
「障害のある子?」
と気がつくかもしれませんが・・・。
まぶたが上に引っぱられているように見えるので、
「頭が大きいから、顔の皮膚が頭のほうに引っぱられている?」
と私は思ったのですが、リリヤ先生によるとそうではなく
「まぶたを支える筋肉の異常だと思うから、一度検査を受けたほうがいい。」
とお母さんに話していました。
それから両足の太さが違っていて足の大きさもちがうので靴を買うとき大変だとお母さんは話していました。
両腕も曲がっているようなので、こちらの筋肉の検査を受けたいとも話していました。
水頭症については水はもうたまっていません。現在も投薬治療を続けていますが、2年前にチロ基金が渡した薬を飲む期間は終わり、現在は別の薬(脳神経の働きを浴する薬)を飲んでいます。
ところがこの薬はベラルーシでは売られておらず、ロシアなど近隣諸国にもないので、ドイツまで買いに行かないといけないそうです。
仕方がないので、お父さんがときどきドイツまで列車に乗って、その薬を買いに行っているそうです。
大変です・・・。でもこんな両親の元に生まれてきたから、こんなに賢い元気な子に育ったんだと、納得しました。
(家族B)
ミンスクからお父さんとお母さん、8人の子どもと保養滞在していました。この家族には3個(6人分)のペクチン入りセルロースを渡しました。
それぞれの放射能の測定結果は次の通りです。○印の子どもにセルロースを渡しました。
父親(事故発生時10歳)6ベクレル
母親(事故発生時17歳)11ベクレル
長女(13歳)39ベクレル ○
次女(12歳)20ベクレル ○
三女(10歳)30ベクレル ○
長男 (8歳)34ベクレル ○
次男 (6歳)28ベクレル ○
三男 (5歳)32ベクレル ○
四男 (3歳)35ベクレル
五男 (1歳)(今回測定していません。)
五男が測定していない理由ですが、この子も怖がって測定の間じっとしていることができずあきらめました。
今回は珍しくお父さんも保養滞在に来ています。
残念なことに今回この一家と会って話をすることができませんでした。
普段は私がSOS子ども村へ行くのは午前中が多いのですが、この日朝電話があって
「室内遊園地に行くことになったので、それから帰ってからの午後に来てほしい。」
とSOS子ども村側に予定の変更を頼まれました。
子どもたちはバスに乗ってミンスク市内の遊園施設へ。その帰り道、家族Bの両親が突然
「ミンスク市内にある言語聴覚士のところへ寄りたい。予約してたから。」
と言い出しました。
「でももうすぐチロ基金の人が来るのに。」(ちなみにSOS子ども村はミンスクではない別の市にあります。)
とSOS子ども村の職員さんは言ったのですが、
「いつも定期的に行っているので、ミンスクに出てきたこの機会に行かないと・・・。」
と言って言語聴覚施設のほうへ行ってしまいました。
この一家、8人兄弟のうちの4人、長男、次男、三男、四男に言語障害があるのです。そのため専門の治療を受けているのだそうです。
女の兄弟にはそのようなことはありません。どうして男の兄弟にだけそろってこんなことになっているのか・・・
まだ1歳の五男はまだ言葉自体がうまくしゃべれなくて当たり前ですが、もう数年すると兄たちと同じような言語の遅れが出てくる可能性があるので、注意が必要、早めの対策をしないといけないと思いました。
ミンスク生まれミンスク育ちなのに、測定した兄弟全員高い値が出ていて、チェルノブイリ原発からの距離や汚染地域に指定されているかどうかは被曝には関係ないと改めて実感しました。
この家族ともお会いしたかったので、しばらく待っていたのですが、帰ってこなかったのであきらめて、セルロースや子どもたちへのプレゼントはSOS子ども村の職員さんから渡すように預けてきました。
お母さんにはアクリルたわしと裁縫セットを渡しました。子どもたちには折り紙用の紙、折鶴、カードのカレンダー(これはベラルーシの出版社からの寄贈品)をプレゼントしました。
画像は記念撮影の様子です。家族Aのお母さんと子どもたちのうち4人しか写っていません。後の2人は写真撮影のとき不在でした。
最後になりましたが、ペクチン配合セルロースの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわし、裁縫セットなどプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。