ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

バザー参加のお知らせ 「夏のユーラシアバザール」

2017-06-13 | チロ基金
 日本ユーラシア協会大阪府連が恒例のバザールを開催します。
 このバザールにはヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」が参加し、民芸品などベラルーシ製品を中心とした雑貨を販売します。売上金は全額チロ基金の活動資金に還元されますので、ご興味のある方、お気軽にお越しください。

『2017年 夏のユーラシアバザール』(日本ユーラシア協会大阪府連主催)
日時:7月13日(木)~15日(土)     
   午前10時から午後7時まで。
            
会場:日本ユーラシア協会大阪府連内 ユーラシア文化センター
   大阪市中央区谷町7丁目3番4
   新谷町第3ビル3階313号室

   地下鉄谷町線「谷町6丁目駅」下車。
   4番出口を上がり南(右方向)へ徒歩5分西側(右側)
  
電話:06-6763-0877

 日本ユーラシア協会大阪府連のサイトはこちらです。
 詳細はこのサイト内の「ロシア物産とバザール」のコンテンツをご覧下さい。
 またこのサイトで会場の周辺地図を見ることができます。
 
 今までにこのバザールに参加して得た売上金は、ベラルーシの子どもたち(チェルノブイリ被災児、障害児、孤児、貧困家庭の子弟など)の支援、またベラルーシにおける日本文化の紹介、交流活動・・・などに使われました。
(詳細はHP「ベラルーシの部屋」内「チロ基金の活動報告」もご覧ください。)

 特にCD「月と日」についてはその1枚の売上金が1個の健康食品ビタペクト3の購入につながり、チェルノブイリ原発事故の被災地の子どもに配られます。ビタペクト3を飲むと体内にたまった放射能物質が排出される効果があります。
 2002年から行っているチロ基金の「ビタペクト配布活動」について詳しくはこちら(HP「ベラルーシの部屋」内)とこちら(このブログ内)をご覧ください。

 チロ基金はすでに200回以上に渡り、2000個以上のビタペクトをベラルーシに住むチェルノブイリの子どもたちに配り続けています。
 この活動の趣旨にご賛同してくださる皆様、ご協力をお願いいたします。

(ベラルーシ語に翻訳された日本の歌CD「月と日」について詳しくはこちらです。自分で言うのも何ですが、おもしろいので聞いてみてください!)

 CD「月と日」公式サイトの英語バージョンはこちらです。

 ヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」のサイトはこちらです。

 ベラルーシ音楽CDについての紹介はこちら。「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ 」

 みなさまのご協力をお願いいたします。
 
(一部の方より、お問い合わせがあるのですが、当バザールでは「ビタペクト」やそのほかのサプリメントは取り扱っておりません。またヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」でも取り扱っておりません。
 以前、今回のバザーで新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」を販売すると告知していましたが、日本国内販売向け用は完売いたしましたので、お取り扱いいたしません。ご了承ください。)

 バザーの会場では、もちろんベラルーシの民芸品だけではなく、ロシアや東欧の商品も扱っています。詳しくは日本ユーラシア協会大阪府連のサイトをじっくりとご覧ください。

ロシア・東欧文化の好きな方、ぜひ足を運んでください。これでユーラシア各国を旅した気分になれますね。(^^)

 画像は昨年のベラルーシコーナーのようす。
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第211回」

2017-06-12 |  ビタペクト配布活動
6月12日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第211目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を11個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2558個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2162部となりました。
 今回で通算227回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2558人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2162家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から2家族が保養滞在していました。
 

(家族A)

 この家族はお母さん画5人の子どもと2人の甥を引率していました。それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。この家族には6個のビタペクト3を渡しました。

母親(チェルノブイリ事故発生当時3歳)14ベクレル
長女(14歳)30ベクレル ○
長男(11歳)24ベクレル ○
次女 (9歳)33ベクレル ○
三女 (5歳)25ベクレル ○
次男 (2歳)37ベクレル △
甥 (13歳)19ベクレル △
甥  (9歳)48ベクレル ○

 △印の2人には、二人で一個のビタペクト3を渡しました。
 お母さんが、2歳の次男の値が高かったので、ぜひ飲ませたいという希望でしたが、もし問題が起これば、残りは13歳の甥に飲ませる、ということです。

 お母さんから子どもたちの健康状態について話を伺いました。
 長男は生まれつき、心臓の壁に穴が空いているそうです。そのうちふさがるだろうと医者に言われており、治療などは受けていません。本人は元気にサッカーなどやっているそうです。
 長女、長男、次女はイタリアで保養に行ったことがありますが、治療は受けていないそうです。

 この一家は田舎のおばあちゃんが採ってくるきのこを食べているそうです。もちろん測定したことはありません。ゴメリには食品を測定できる市場があるはずなので、そこで検査するほうがいいと話しました。


(家族B)
 
 両親が5人の実子と2人の甥を引率していました。
 それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。
 この家族には5個のビタペクト3を渡しました。

父親(チェルノブイリ原発事故発生当時18歳)14ベクレル
長男(14歳)14ベクレル
次男(11歳)39ベクレル ○
長女 (8歳)45ベクレル ○
三男 (6歳)31ベクレル ○
甥  (9歳)35ベクレル ○
甥  (5歳)27ベクレル ○

 2歳の次女と母親も保養に来ていましたが、SOS子ども村に来て、4日目次女がベッドから落ちて手首を骨折。病院へ行っていたので、WBCカウンターの測定ができませんでした。
 知らせを受けて、父親がゴメリからSOS子ども村へ。そのままいっしょに保養滞在することになったのですが、予算を計上していなかったので、お父さんはSOS子ども村で草刈りなどの仕事をしているそうです。
 SOS子ども村の職員さんは、
「最近の子どもは骨がもろすぎる。」
と言っていましたが、確かにそうかもしれません。

 子ども達は比較的健康だそうですが、長男と次男、母親は花粉症だそうです。
 ベラルーシは日本と比べると花粉症は少ないです。周りが森だらけの国だから、花粉症になると大変です。

 チェルノブイリ原発事故発生当時、お父さんは東ドイツ(当時)のソ連軍事基地で勤務していたそうで、事故のことは後から知ったそうです。 
 お父さんはヨガが趣味だそうで、健康維持のためいろいろ努力していると話していました。
 こんなご両親に元で育つ子ども達は運がいいですね。

 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、絵葉書をプレゼントしました。
 日本語も勉強したい、日本に行きたい、高いビルに上りたい、と夢を語ってくれました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 
 

 

<被ばく>体内に総量36万ベクレルか 原子力機構事故

2017-06-08 | 放射能関連情報
<被ばく>体内に総量36万ベクレルか 原子力機構事故

日本原子力研究開発機構の大洗研究開発センター(茨城県大洗町)で放射性物質が飛散して作業員5人が被ばくした事故で、肺から2万2000ベクレルのプルトニウム239が検出された50代の男性職員について、同機構が男性の体内に取り込まれた放射性物質の総量を36万ベクレルと推定していることが8日、分かった。同機構などはさらに詳細な被ばく状況を調べている。

原子力機構によると、男性職員の肺の被ばく値から、血液や骨、臓器など体全体に取り込まれた放射性物資の総量を算出し、36万ベクレルと推定した。この数値は1年間で1.2シーベルト、50年間で12シーベルトの内部被ばくを見込む根拠になったという。

 5人は燃料研究棟の分析室で核物質の点検中、ステンレス製容器を開けた際に中に入っていたビニール袋が破裂し、粉末状の放射性物質が飛散。男性職員を含めて4人が放射性物質であるプルトニウム239やアメリシウム241を肺に吸い込み内部被ばくした。破裂した原因はわかっていない。

 5人は搬送された放射線医学総合研究所(千葉市)で放射性物質の排出を促す薬剤投与などの治療を受けているが、現時点で体調不良などの訴えはないという。原子力機構などは詳しい内部被ばく状況や健康影響などを調べている。【鈴木理之】


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 作業員の一人の方の被曝量、総量が36万ベクレル、つまり全身でそれだけの被曝量、ということです。
 チロ基金としては支援活動をしているときに、いつも体重1キロ当たりおよそどれぐらいの被曝量だったのかを目安に、ペクチンサプリを無料支給しています。
 この方の体重が分からないのですが、仮に体重100キロとしたら、体重1キロ当たりの被曝量は3万6千ベクレルですか・・・

 チロ基金では未成年は体重1キロあたり20ベクレル以上だと将来健康被害が出るリスクが高いとして、ペクチンサプリであるビタペクトを渡しています。
 成人の場合は、体重1キロあたり70ベクレルです。
 これはかつてベルラド研究所が医師と内部被爆測定と健康診断を同時に多くのベラルーシ人に対して行った時の結果を元に独自に決定したものです。
 チロ基金は子の基準を採用して支援活動を行っています。

 一方、ベラルーシ保健省が定めた基準は、未成年が体重1キロあたり200ベクレル、成人が500ベクレルです。
 これ以下の場合は、「大丈夫。普通。」というのが、ベラルーシ保健省の見解です。
 チェルノブイリ原発事故から30年以上経過した現在、ベラルーシ人は公式には全員、「大丈夫」ということになっています。

 さて、このようなベラルーシ保健省の基準に照らし合わせても、今回の被曝した作業員の方の被曝量は、「大丈夫」ではない、ということです。

 今は症状に自覚がないと言っていても、こまめにガンの検査をするとか、この方のケアをお願いします。他の四人の方もお願いします。



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このニュースの続報です。

<茨城被ばく>過大評価か 肺測定でプルトニウム検出されず


日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター(茨城県)の被ばく事故で、原子力機構は9日、放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)で被ばくした作業員5人の肺の放射性物質を再測定した結果、プルトニウムが検出されなかったと発表した。体の表面に付着した放射性物質を誤検出し、内部被ばく量を大幅に過大評価していた可能性があるという。

 この事故では、原子力機構が事故直後、体から出てくる放射線を計測し、肺の内部の放射性物質の量を推計した結果、50代の男性作業員から2万2000ベクレルのプルトニウム239が、この男性を含む4人の作業員からは8・5〜220ベクレルのアメリシウム241が検出されたと発表した。

 しかし原子力機構によると、この測定は体の表面の除染が不十分なまま行われ、体に付着した放射性物質から出る放射線を検出していた可能性があるという。一方、放医研は入念に除染をした後に肺を測定している。

 5人のうち3人は鼻の穴から放射性物質が検出されており、内部被ばくの恐れは依然として残るが、同機構は9日の記者会見で「最初のような大きな値の内部被ばくはないのではないか」と話した。

 放医研は今後、肺の再測定や排せつ物に含まれる放射性物質の調査などを基に、被ばく量を精査する。

 原子力機構は同日、作業をしていた室内の床に多くの黒い粒子が飛び散っていることも明らかにした。黒い粒子は放射性物質である可能性が高いという。【酒造唯、鈴木理之】


毎日新聞2017年06月09日20時57分

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 よかった・・・。被曝量は少なければ少ないほどいいですよ。
 しかし、全く被曝してないわけはないので、ぜひとも細かく測定して、対応してあげてください。お願いします。
 

作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

2017-06-07 | 放射能関連情報
作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設」というニュースの続報です。2017年6月7日付。
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作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝

茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、ウランとプルトニウムが入った保管容器から放射性物質が漏れて作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、このうちの1人で50代の男性職員の肺から、2万2千ベクレルのプルトニウムが検出されたと発表した。暫定で1年間に1・2シーベルト、50年で12シーベルトの内部被曝をする値で、過去にこれほどの内部被曝をした例は、国内ではないという。原子力機構は「急性の放射線障害が出るほどではない」としている。

【写真】日本原子力研究開発機構・大洗研究開発センターの燃料研究棟=6日午後6時40分、茨城県大洗町、朝日新聞社ヘリから、迫和義撮影

 原子力機構によると、残る4人からはプルトニウムは検出されなかったが、この男性を含む3人から最大220ベクレルのアメリシウムも検出された。5人は体内に入った放射性物質の排出を促す薬剤を注射する処置を受け、7日午前に千葉県の放射線医学総合研究所に搬送された。

 事故が起きたのは、高速炉の新型燃料などを研究開発していた燃料研究棟の分析室。保管状況を調べるため金属容器のフタを開けたところ、中のビニールが破れて放射性物質が飛散した。5人はいずれも口や鼻をマスクで覆っていたが、3人の鼻腔(びくう)内から最大で24ベクレルの放射性物質が確認されていた。

 原子力機構によると、この作業でビニールが破れることを想定していなかったため、作業は密封した状態ではなく、一部が開いた作業用の箱の中で行っていた。

 原子力規制委員会の伴信彦委員は7日の定例会で「2万2千ベクレルの検出は半端な状況ではない。命に関わることはないだろうが、軽微なものではない。作業の状況が適切だったか確認する必要がある」と問題視した。


     
 被曝医療に詳しい、国際医療福祉大クリニックの鈴木元院長は「2万2千ベクレルは量としては多い。肺に入ったプルトニウムは、1週間から10日かけて化学薬品を霧状にして吸入させたり、点滴したりして排出させる。その後、体内に残っている量を調べて健康への影響のリスクを判断しなければならない」と話す。


     
 〈立命館大の安斉育郎名誉教授(放射線防護学)の話〉 2万2千ベクレルはびっくりするほど高い値ではないが、プルトニウムが発するアルファ線はベータ線やガンマ線より生物学的に危険度が高い。アルファ線が通った周囲の細胞は破壊され、局所的な被曝(ひばく)を与える恐れがある。細胞への影響をみるために、肺の中のどこにどのように分布しているか、濃度や粒子の大きさはどのくらいなのかといったことを詳しく調べ、リスク評価を急ぐ必要がある。
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朝日新聞社

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 チロ基金の活動としては体重1キロ当たり20ベクレル以上の内部被曝をしている未青年には、放射能を体外に排出させるためにペクチンサプリを飲みましょう、と支援活動をしています。
 この作業員の方の場合、肺だけで、2万2千ベクレルの被曝をしているということですよね。 今はご本人は体調不良を訴えていなくても、後にガンになるリスクは増えたわけです。確かに「急性の放射線障害が出るほどではない」・・・ですけどね・・・。
 
 でもちゃんと放射能の排出を促す薬剤をすぐ投与されていたので、よかったです。
 一方で2万2千ベクレルは大きい数字なので、しばらく時間をかけて、薬剤の投与を続けてほしいです。(この場合ペクチンの投与などのんびりしている場合ではないので。)

 内部被曝の測定もきちんとしてあげてください。
 それにして、やっぱりマスクをしていても、肺にまで放射性物質が到達してしまうんですね・・・。
 

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同日の続報です。


作業員全員の肺からプルトニウム検出 原子力機構が発表  



茨城県の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで放射性物質が飛散し、作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、原子力機構は7日、5人全員の肺からプルトニウムが検出されたと発表した。

 原子力機構によると、2万2千ベクレルが検出された50代の男性職員以外の4人からも、最大で1万4千ベクレル、6千ベクレル、5600ベクレル、2200ベクレルのプルトニウム239が検出された。アメリシウム241も5人から7・1~220ベクレル検出された。

 5人は千葉県の放射線医学総合研究所に搬送されており、体内に入った放射性物質の排出を促す処置を受けている。
.
朝日新聞社

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 結局5人全員の被曝が認められたということですね。
 とにかくちょっとでも早く、体内の放射性物質を排出させてください。
 それと、放射能は粘膜に影響を与えやすいので、目も検査してほしいです。鼻と口はマスクで保護していたみたいなのですが、目は? と思いました。
 
 そして、被曝のほうに関心が移っていますが、そもそもこの事故が起きたのは、容器の異常が見つかったために点検作業をしていたからです。
 その異常そのものについての報道がないですね。どうしてなのでしょう。
 
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 子のニュースの続報はこちら

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

2017-06-06 | 放射能関連情報
2017年6月6日のニュースです。

作業員5人に放射性物質付着 茨城の原子力機構施設

日本原子力研究開発機構によると、6日午前、茨城県大洗町の大洗研究開発センター燃料研究棟で、核燃料保管容器の点検中に異常が発生し、作業に当たっていた5人の服などに放射性物質が付着した。

 機構が作業員の被曝(ひばく)状況を調べているが、5人のうち3人は鼻から放射性物質を吸い込んだ形跡があったという。外部への影響はないとしている。

 機構は同日午後7時から詳細について説明するとしている。

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 このような事故が起きた場合に備えて、このような施設では、プルシアンブルーなど、放射能を体外に排出させる促進剤が常備してるはず。・・・と願っているのですが、実際はどうなのでしょう?
 
 ただプルシアンブルーはセシウムには有効だと思いますが、(それでも全部取りきれるとは限らない。)上記ニュースで報じられている放射性物質はウランかプルトニウムかもしれません。 
 でも作業員の急性被爆に備えて、何か対応策を考えて準備していたはずです。
 それが迅速に上手くいけば、放射性物質を吸い込んだとしても、健康被害は出ない、と願いたいです。

 このブログ上で繰り返しお伝えしているペクチンはこういう急性被爆の対応策としては、優先して使ってもあまり効果がないでしょう。
 ともかくこの5人の作業員の方が被爆していないことを祈ります。
 東海村JCO臨界事故は文字通り悲惨だったと思います。

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 この事故の続報はこちら
 

日本文化情報センターへ来館予定の方へ

2017-06-02 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 旅行シーズンの夏になると、ベラルーシへ来たついでに日本文化情報センターへの訪問を希望される日本人の方も増えます。
 日本文化情報センターは夏季(6月、7月、8月)はセンターが入っている第5児童図書館の開館時間変更のため、変則的な開館時間になりますので、ご注意ください。

 夏季の開館時間についてはこちらをご参考ください。
(5月下旬から8月末まで上記のリンク先をご覧いただけます。)

 夏季以外の開館時間についてはこちらをご覧ください。(6月、7月、8月はこのリンク先は表示されません。)

 また臨時閉館日、開館時間変更のお知らせについてはこちらをご参考ください。
(このリンク先が表示されない場合は、近日の時間変更のお知らせはありません。)
 
 メールでご希望の訪問日、訪問時間を事前にお知らせいただけるのが一番間違いがない方法です。
 どうかよろしくお願いします。

 アクセス方法、周辺地図についてはこちらをご参考ください。

トラクターがオシャレして踊るショー

2017-05-29 | ベラルーシ生活
トラクターがオシャレして踊るショー 動画ニュースです。
 ベラルーシは平和だな・・・

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (3)

2017-05-28 | チロ基金
 今回はチロ基金支援者の方々から、賞品も提供していただきまして、助かりました。
 賞品は日本のお菓子(ベラルーシでは入手不可能)、参加賞は5円玉お守り、フリクションペン、雑誌「にっぽにあ」ロシア語版などです。それと中古だったのですが、日本のアニメDVDも配りました。
 貴重な賞品、参加賞を提供してくださった日本人支援者の皆様、どうもありがとうございました。感謝申し上げます。
 特にベラルーシ人参加者は喜んでいたと思います。(^^)

 また対局時計はベラルーシ将棋協会から8台もお借りしました。
 感謝しております。
 ベラルーシ将棋協会の公式サイトはこちら

 今回はあまり時間がなく、最後がバタバタと終わってしまったのですが、次回はもう少し余裕を持って対局の運営をしないといけないなあ、と私自身は思いました。
 しかし、参加者の皆さんは、喜んでいたと思います。また、人種を超えた交流もできる場になりました。
 将棋が国境を越えた友情を育んでくれています。その点がすばらしいですね。
 これからもベラルーシでの将棋人口がどんどん増えたら、さらに二国間の交流が深まると思います。

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (2)

2017-05-28 | チロ基金
 チロ基金創立20周年記念将棋大会の結果はこのとおりです。

1位 ヤロスラフさん 初段
2位 アントンさん 二段
3位 前田さん 初級
4位 アレクセイさん 二級
5位 エレーナさん 四級
6位 ゲオルギイさん 二級
6位 パーベルさん 十二級
8位 マルガリータさん 九級
9位 エヴゲーニイさん 三級
10位 武野さん
11位 出居さん
12位 ユリヤさん
13位 イローナさん
14位 月成さん
15位 アウグスタさん 十六級
15位 亜龍さん

 参加者数が多かったわりに対局回数はそんなに多くなかったので、同点が多いです。
 私としては、やはり日本人の前田さんが上位に入ったので、同じ日本人としてうれしかったですよ。それから日本とちがって男女別で対局しないのに、5位に入ったエレーナさんは大健闘だったと思います。
 でも参加者の皆さんそれぞれがんばっていたと思います。

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (1)

2017-05-28 | チロ基金
2017年5月28日ミンスク市立第5児童図書館でチロ基金創立20周年記念将棋大会が行われました。
 今回は16人が参加。しかもこのうち4名は日本からの参加、さらには1名が中国から飛び入り参加しました。
 実際にはドタキャンした人もいて、参加人数が偶数になるようにするのに苦労しました。将棋を習い始めて一ヶ月も経っていない人もいましたが、「大きな森のどうぶつしょうぎ」一組を使って、初心者でも参加できるようにしました。
 チロ基金の財力(^^;)で、どうぶつしょうぎのセットを買っておいてよかったですよ。
 (どうぶつしょうぎとは、こちら。)

 人数調整にとまどり、時間通りに始まらなかったのですが、何とか6回の対局ができました。初心者もいれば、有段者もいるという状況でしたので、今回も前回の新年将棋大会に引き続き、駒落ちで対決です。

(今回の将棋大会についてロシア語でのご報告はこちら。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第210回」

2017-05-22 |  ビタペクト配布活動
 5月22日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第210目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を10個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2547個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算226回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2547人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が13人の子どもを引率して、保養滞在していました。家庭タイプ孤児院の一家です。
  この家族はこの一家は2006年と2008年と2015年にも保養に来たことがありますが、2006年に保養に来た子どもは今回は1人もいません。
 2015年の保養のときのようすはこちらをご覧ください。 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第175回」 (家族B)

それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時16歳)12ベクレル(2006年測定)→13ベクレル(2008年測定)→ 8ベクレル(2015年測定) → 12ベクレル
娘 (28歳) 21ベクレル
孫  (4歳) 21ベクレル ○
女子(16歳) 28ベクレル ○ → 24ベクレル ○
男子(15歳) 36ベクレル ○
男子(15歳) 31ベクレル ○ → 31ベクレル ○
男子(13歳) 39ベクレル ○ → 5ベクレル
女子(13歳)  0ベクレル(2008年測定)→ 33ベクレル ○ → 31ベクレル ○
女子 (7歳) 31ベクレル ○ → 27ベクレル ○
女子 (6歳) 30ベクレル ○ → 29ベクレル ○
女子 (6歳) 22ベクレル ○
女子 (4歳) 22ベクレル ○
男子 (4歳)  7ベクレル
男子(11歳)  8ベクレル
女子(11歳) 33ベクレル ○

 11歳の男の子と女の子は二卵性双生児で、他の家庭タイプ孤児院の一家と暮らしています。
 28歳の娘はお母さんの実子。4歳の孫はこの娘さんの実子です。

 このお母さんは現在10人の里子を育てています。
 このような家庭が現在ゴメリ市内に5家族あるそうです。お母さんはお母さんとしての仕事をしており、毎月、給料(実際には手当)をもらっていますが、平均月収より少ないので、大変だと話していました。
 子ども達は5歳から17歳までの孤児(実際には生みの親がいて、育児放棄された子どもがほとんど。)それぞれ毎月100ドルの孤児手当を支給されていますが、生活は大変、と話していました。
 というのも、孤児であっても健康で低年齢の場合、養子にもらわれていきやすいのですが、障碍があったり、持病があったりすると、引き取り手がおらず、そういった子どもたちが、家庭タイプ孤児院に里子として出されるそうです。両親がアル中になって家庭内暴力が始まり、13歳でこの家に来た、と言う子どももいます。

 最近は海外への保養滞在も数が減ってきて、小さい子どもは優先されますが、大きくなると選ばれなくなる、とお母さんは話していました。
 13歳の女の子と7歳の女の子はイタリアへ保養に行ったことがあり、ホームステイ先の家族から養子縁組の申し出があったのですが、ベラルーシの法律が厳しく、外国人の養親との縁組はできないそうです。
 私からすれば、思い切ってイタリア人の家族に育ててもらうほうが、ベラルーシ国内の孤児の数がその分減るのですから、国の負担が減る・・・と思うのですが。
 そうすると、この家族の里子が2人減るので、その分他の2人の孤児をこの家族に里子として出せるから国にとっては得だと思いますが・・・。

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 13歳の女の子は小児麻痺。6歳の女の子は神経系統の病気ということでしたが、生みの母がいわゆる精神病。遺伝だ、とお母さんは話していましたが、事実関係は不明。
 4歳の男の子は多動。危険な行動を取ることもあるので、お母さんは見てるだけで大変、と言っていました。
 逆にこういう子どもは家庭の中で子どもがたくさんいない、家庭の中で暮らすほうがこの子にとっては安全だと思うのですが、引き取り手がなかったそうです。

 このように問題がある子どもは、養子縁組の話が出ず、里子として、心優しい家庭タイプ孤児院の一家に国が押し付けている状態です。
 お母さんとしての給料を国は出しているとはいえ、結局一般人の中で善意のある人に養育を負担させて、国は甘えているように思えました。
 
 ベラルーシでは孤児は1年に2回保養滞在できるという決まりがあるそうです。
 しかし、そのうち1回は無料で、もう1回は自己負担なので、孤児手当をもらっていても、保養滞在費を捻出するのは大変だと言っていました。
 それで結局イタリアの支援団体やSOS子ども村など無料で行ける保養プログラムに選ばれるよういつも願っているそうです。

 お母さんは国境を越えて、1年に3回、ウクライナへ安い子供服を買いに買出しへ行っているそうです。
 家はゴメリ市から支給されましたが、ローンが残っているし(でも一般人より家庭タイプ孤児院の家庭に優先して家は支給されるし、ローンの負担も楽。)やりくりが大変なので、近所の貸し畑をもらって、そこでにわとりを飼っているそうです。これで卵は買わなくてすむ、とお母さんは話していました。
 都会人ですが、やっぱりたくましいですね。
 牛乳は田舎で乳牛を飼っている知人から安く分けてもらっていますが、その牛乳はだいじょうぶですか、と尋ねたら、放射能の検査済み、(その乳牛を飼っている酪農家の自発的な検査)結果は大丈夫だったので、買っているということでした。
 
 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製のベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのり、昆布茶としいたけ茶をプレゼントしました。
 やっぱりベラルーシにない物は珍しがられるというか、受けますね。(^^)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 
 

自殺率世界一ではなくなったベラルーシ

2017-05-21 | ベラルーシ文化
 先週末、このブログの人気記事1番が2010年の「自殺率世界一の国はベラルーシ!」だったので、どうしてだろうと思ったら、また最新の調査結果が発表されたからみたいです。

 これによると、ベラルーシは世界一の汚名を返上。

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 <自殺死亡率>日本はワースト6位 先進国の最悪レベル

◇厚労省が分析結果をまとめる

 厚生労働省は世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較し、日本はワースト6位だとする分析結果をまとめた。先進国の最悪レベルで、特に女性は同3位と高い。今月下旬に閣議決定される「自殺対策白書」で公表される。

 自殺死亡率は統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため単純な比較が難しく、世界保健機関(WHO)が2014年に初めてまとめた「世界自殺リポート」でも順位付けはしていない。厚労省はWHOのデータベースを使い、13年以降の人口と自殺者数が把握できている中から上位国を抽出した。(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ベラルーシは9位になりました。よかったです。この調子でもっと自殺率を減らしてほしい。

 人口10万人あたりでの自殺者数なのですが、2013年以降のデータだそうです。

1位 リトアニア 30.8人
2位 韓国 28.5人
3位 スリナム 24.2人
4位 スロベニア 20.5人
5位 ハンガリー 19.5人
6位 日本 19.5人
7位 ラトビア 19.2人
8位 ウクライナ 18.6人
9位 ベラルーシ 18.4人
10位 エストニア 18.3人

 2010年の調査ではベラルーシは35.1人で、1位だったのが、18.4人に減少! 9位です。

 それにしてもバルト三国が全部10位以内に入っているのがショック。三国とも旧ソ連で、今はEU加盟国なんですが。
 リトアニアは前回2位で、自殺率増えてしまってますね。

 やはりそれぞれの国の中にさまざまな社会問題があるのだろうな、と思います。
 日本が6位というのは、日本人なら理解できるのではないでしょうか。 

フランツィスク・スカルィナについて

2017-05-08 | ベラルーシ文化
 以前の投稿「スカルィナの詩も日本語になりました」でも少し書いたのですが、ベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、日本語で検索してもほとんどヒットしないので、このブログでご紹介することにしました。<私のつっこみ入り。(笑)>

 ベラルーシ人の偉人の中ではダントツ1位なのですが、びっくりするほどスカルィナに関する日本語の情報がないです。

 ちなみに、苗字の表記ですが、いろいろあります。ロシア語表記だとスコリナ。
 ここではベラルーシ語表記のスカルィナに統一しておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 フランツィスク・スカルィナがベラルーシの偉人になったのは、ベラルーシ語の聖書を翻訳、出版したからです。それが今からちょうど500年前。1517年のことです。
 ちなみにロシア語の聖書が出版されたのは、それから約50年後。

<だから、当時はロシアよりベラルーシのほうが「進んでいた」と、以前日本人に話したことがあります。そしたら、「へえええええーーーーー。」と驚かれたので、こっちもびっくりした。そんなに意外なの? 
 その日本人はフランス在住の人でしたが、ヨーロッパの地理とキリスト教の普及の歴史を考えれば、ベラルーシ語の聖書がロシア語の聖書より早い時期に完成した、というのは、当たり前だと私は思うのですが。
 どうも日本人の頭の中では、ロシアが文明国で、ベラルーシはロシアから文明とか文化をもらってばかり、という方向の矢印がイメージされているみたいですね。でも昔はロシアがヨーロッパの辺境国で「遅れていました」・・・が、これはロシア人があほだった、というわけではなく、地理的条件によるものです。今とちがって地表をじわじわ伝って文明とか技術とかが伝来してくるのだから、当然。>

 さて、スカルィナはどのような生涯を送っていたのでしょうか。

 生没年ははっきりしていませんが、生年は1490年ごろ、と考えられています。
 生まれた場所は現在のベラルーシの街、ポーロツク。ポーロツクは、当時はリトアニア大公国の街でしたが、分かりやすく言えば、もっと昔のベラルーシの首都。当時はとても栄えていた都市でした。理由は河のほとりにある町で帆船を使った貿易が盛んだったからです。つまり交通と商業の要所。
 日本で言うと大阪みたいなところです。ポーロツクには海はないですが、バルト海や黒海につながる貿易を行っていました。

 そこの裕福な商人ルカ・スカルィナの息子としてフランツィスクは生まれました。
 父親はかなりやり手の商売人だったらしく、ずる賢いこともやっていたようです。
 でも、父親がお金持ちだったことは、息子のフランツィスクにとっては大きなプラスでした。
 その当時のベラルーシはなんだかんだ言っても、金持ちの子どもに生まれないと教育が受けられなかったのです。平民は字も読めず、キリスト教はすでに入って来ていましたが、聖書を読めるベラルーシ人はほとんどいませんでした。

 ちなみにリトアニア大公国時代 <・・・とあえて言っておきます。これを「ベラルーシがリトアニア大公国に支配されていた時代」と日本語で紹介されているのをたびたび目にするのですが、そもそも支配される『ベラルーシ』という国が当時はありませんでしたので、支配できなかったはず。>、リトアニア人はリトアニア語で会話をし、ベラルーシ人はベラルーシ語で会話をしていました。要するに話し言葉ですね。
 しかし、リトアニア語の公用語、厳密に言うと公式文書の記録に使われる「書き言葉」は、ベラルーシ語でした。
 だからリトアニア人の貴族はベラルーシ語で文章を書いたり、読んだりできていたはず。

 それ以外にも中世ヨーロッパの国の貴族の一般教養であるラテン語を身分の高い方々は勉強していました。
 しかし身分の低いベラルーシ人はベラルーシ語の話し言葉で会話するだけで、書き言葉のほうは分かってなかったのです。
 そんな中、お金持ちの商人の息子に生まれたフランツィスクはポーロツクでラテン語を勉強できる恵まれた環境にありました。もちろんベラルーシ語の書き言葉もばっちり。

 頭がよくて向上心があり、実家がお金持ちのフランツィスクは、ポーランドの古都、クラクフの大学に入学。入学したのは、1504年。卒業したのは2年後の1506年。
<え、生まれたのは1490年とすると、14歳で大学入学、16歳で卒業?! 早すぎない? それとも天才なの? ・・・というわけで、スカルィナの生年は1480年代だと主張する歴史家もいます。>

 そこで、当時のヨーロッパの主要七科目を習得。卒業証書をもらいます。
 さらに5年間この大学の医学部で勉強。医師免許も取得。
 平行してイタリアのパドヴァ大学で試験を受けていました。これは何かと言うと、イタリアへ留学するのは大変なので、勉強はポーランドの大学でしておくけど、イタリアの大学の卒業試験を受けさせてほしい、卒論も書いておくし。で、イタリアの大学の卒業試験をパスしたら、イタリアの大学の卒業証書もください・・・ということだったそうです。

 そのころ、フランツィスクの父親は死去しており、リトアニア大公国の地方都市出身の息子が、イタリアのパドヴァまでてくてく試験を受けに行くのは、資金面で大変だったようです。
 しかも、イタリア人からすると、
「何か聞いたこともないような町の出身で、しかも貴族ではなく商人の息子で、貧乏そうなのが来た。」
と思われていたようです。
 一方、
「こんな遠くからわざわざ試験を受けにやって来るなんて、うちの大学もたいしたもんだ、有名大学っていう証拠だね。」
とも思われていたらしく、試験を受験する許可をスカルィナはもらっています。

 そして1512年、パドヴァ大学医学部の卒業試験に合格。通学はしていませんでしたが、イタリアの大学の卒業証書も取得。
 優秀な医者になることに決めたスカルィナに大学はベレー帽(当時はこれが医者の印だった。)そして、すごく大きい指輪(これも医者の印)を卒業証書とともに贈っています。
<だから、スカルィナの肖像画とか銅像を見ると必ずベレー帽かぶっているのね。>

 ちょうど卒業証書をもらったころ、リトアニア大公国の公子2人が法律を勉強するためにイタリアの大学へ留学に来ました。スカルィナは公子、つまり王子様兄弟とお近づきになることに成功。このつてで後に1520年代はリトアニア大公国のセレブ、つまり貴族のための薬剤師、そして秘書官も務めるという出世をスカルィナはします。

 でも、その前に1517年、<ということは、27歳?> スカルィナはベラルーシ語の聖書を出版します。
 あれ、医者になるはずがどうしたの? と思われますよね。
 どうしてなのか、と言うと、スカルィナは当時のベラルーシ人としては珍しく、高い教育を受けることに恵まれ、いろんな外国にも行って、さまざまなことを見ていました。
 特にイタリアに行った後は、自分の故郷を比べて愕然としたと思います。そのころイタリアではルネサンスの時代。ベラルーシ(と今呼ばれている地域)はキリスト教が入ってきていたものの、特に農村部ではまだまじないや呪術などが幅をきかせ、同時に魔女狩りなども行われていた「遅れていた」国、聖書が読めないから、キリスト教の教義などもよく理解できていない者も多く、もちろん文学なんてものも発達しない。こう言ったら何だけど、スカルィナの目から見ると身分の低い平民のベラルーシ人は「暗愚」「文盲」「開かれていない」というイメージ。
「早く目を覚ませー。賢くなってくれー。世界は広いんだー。」
とベラルーシ人に言いたくなったにちがいありません。
 あと、自分がせっかく外国で最先端の医療を学んで来ても、故郷の病人を科学的に治そうとしている横から、
「いや、おまじないで治すから、医者なんかいらん。」
と治療させてもらえない。そしてまじないが効かず、病人が死亡・・・という光景に何回も出会ったにちがいありません。
「こういう原始的な考えが平民の間にしみついているんだったら、自分が医者をする余地がない。基本的に間違ってるから、そこから改善しないと話にならん。」
と思ったことでしょう。

 そして、そのためにはどうしたらいいのか考えた結果、聖書を翻訳してたくさん印刷することを思いついた、というわけです。
「これで暗愚な平民の目も開くんじゃないかな。文明開化だ!」

 と言っても、当時のベラルーシには印刷所はもちろん、印刷技術そのものがなかったので、チェコのプラハの活版印刷所で、初のベラルーシ語の書籍を印刷することにしました。これは最初に活字になったキリル文字の本でもあります。
 スカリナは聖書の中でも、旧約聖書の詩篇をチェコ語からベラルーシ語に自ら翻訳して出版しましたが、これで、リトアニア大公国のリトアニア人貴族たちも読めるようになる、と思ってベラルーシ語に訳したわけです。

<厳密に言うと、現代で使われているベラルーシ語とは微妙にちがう古いスラブ教会語に訳しています。そして、元になったチェコ語の聖書は、チェコではなく、イタリアのベニスで出版されていました。何か複雑ですけど、チェコ語もできたスカルィナさん、コスモポリタンだったのね。>

 聖書って長いですからね、その後もいくつかの部分に分けて、スカルィナは聖書をベラルーシ語に訳して次々と出版。3年間で23種類に分けた聖書を作りますが、活版印刷なので、手書き写本とちがってたくさん印刷できるものの、完成品は馬車でチェコからリトアニア大公国へ運ぶので、大変だったようです。
 
 しかも、そのころのベラルーシは、ポーランドの支配下だった地域もあり、勢力を広げたいポーランド、つまりカトリック教徒で、ポーランド語人口を増やしたいと思っている人々から、
「ベラルーシ人はベラルーシ語なんかよりポーランド語の本でも読んでポーランド語を勉強しろ。」
あるいは
「ベラルーシ人は暗愚なままでいいんだ。そのほうがポーランド人が支配しやすい。」
と言われており、当然の事ながら、ベラルーシ語の聖書をベラルーシ人が読むようになるのは嫌がられていました。
 こんな状況下、国境を越えて、馬車でえっちらおっちらポーランドを通過してベラルーシ語の聖書をベラルーシへ(厳密にはリトアニア大公国へ)運ぼうとすると、ポーランドの関所で咎められ、せっかく印刷した聖書を没収、はては焼き捨てられることもありました。

 さて、スカルィナは出版した聖書に、自分が考案した太陽と月が重なったマーク(ブランドのロゴのようなもの。)を印刷しており、これが今でもベラルーシにおける、啓蒙活動、文明開化のシンボルマークになっています。
 どうしてこんなマークなのかと言うと、スカルィナが生まれたときに日食があったので、スカルィナは日食と言う現象に興味があったらしい。で、その頃日食があった年を計算したら、1490年に日食があったはずなので、生年が1490年説の理由になっているとか、いないとか聞いたことがありますが、実際には、太陽と月が合わさったマークは「人間の肉体的、精神的癒し」という意味があったので、スカルィナは採用したようです。
<でも、それでも「なんで太陽と月が人間の肉体的、精神的癒しの意味になるのか。」とつっこみを入れたくなりますが。>

 聖書にはたくさんの挿絵も入っており、かなり豪華な作り。やっぱりキリスト教を敬するため、そしてベラルーシ語の聖書だって立派なんですよ、と世の中に知らしめるためスカルィナさんは努力したようです。

 自分でも相当がんばったと思っていたのか、聖書の中に自分の肖像画まで印刷。
「私、フランツィスク・スカルィナ、ポーロツクの息子(出身)、専門は医者が古いスラブ語に旧約聖書の詩篇を訳しましたよ。」という有名な序文も挿入しています。
 そんなわけで、この聖書は「スカルィナの聖書」と呼ばれておいて、ベラルーシ人の間では別格扱い。オリジナルはベラルーシ国立図書館で厳重に保管されています。

 この聖書のおかげで、まずベラルーシ語で聖書を読む人が増えた、ベラルーシ地域におけるキリスト教の布教に役立っただけではなく、書き言葉としてのベラルーシ語の普及、発展にもつながりました。
 つまり、ベラルーシ人にとっては、スカルィナはお医者さん、ではなく、ベラルーシ語、というベラルーシ民族の文化のレベルを上げて、さらには宗教的にも文明的にもベラルーシ民族を啓蒙した偉大な人物、という位置づけです。

 ありがとう、スカルィナさん!
 一方で、当時書籍を出版するのは、ほとんど手作業でしたから、大変手間隙がかかり、本というものはコストがかかる物でした。
 自分のお金で聖書を印刷することができなかったスカルィナは、聖書出版のためにたくさんのスポンサーを見つけていました。
 その中にはリトアニア大公国の貴族も名を連ねていましたから、スカルィナがベラルーシ語の聖書を出版することにリトアニア大公国も意義を見出していたことになります。

 1920年には、チェコのプラハの印刷所で使われていた活版印刷機、その他もろもろの用具をリトアニア大公国の首都、ビリノ(今のビリニュス)に持ってきて、ついにリトアニア大公国初の印刷所を設立。
 このようにリトアニア大公国というと、リトアニア人の国、というイメージですが、実際には数多くのベラルーシ人が活躍、国家の繁栄に寄与していました。

 こうしてスカルィナは今度はリトアニア大公国で、聖書の翻訳と出版を続けつつ、薬剤師と秘書官の仕事をしていました。
 しかし1925年から次々とスポンサーが死去。
 スカルィナの出版作業はスピードが落ちていきます。

 ちなみに、スカルィナは、スポンサーの一人が死んだ後、その未亡人と結婚しています。
<そのとき35歳(?) 私の頭の中では、スポンサーつまりお金持ちが死亡 → その妻は多くの遺産を相続 → お金持ちの未亡人 → スカルィナ求婚 → 妻のおかげでスカルィナはお金持ちに → 逆玉の輿 → 「私、フランツィスク・スカルィナはうまくやりましたあ!」・・・という図が浮かんだのですが、うちの中学生の娘にこれを話すと
「中世の時代だよ・・・。夫が死ぬ前から、その奥さんとスカルィナは愛人関係だったんだって・・・。」
とどろどろなことを言っていました。敬虔なキリスト教信者で、黙々と聖書を訳してた人が不倫なんかするか?!>

 スカルィナの妻は、運悪く結婚して4年後に火事のため、幼い次男といっしょに死んでしまいます。
  
 そのころ、ドイツのプロイセン公アルブレヒトは、出版所をケーニヒスベルグ(今のカリーニングラード)に設立するため、スカルィナに協力を要請。スカルィナは単身、ドイツへ渡りました。

 ところが、スカルィナのお兄さん、イワンが借金を残したまま死亡。お金を貸していた人たちは、弟が代わりに借金を返せ、と迫ります。スカルィナは急いでビリニュス(リトアニア)に戻りますが、そのとき、どういうわけかプロイセン(ドイツ)でいっしょに働いていた印刷工と、(たぶん友だちになった)医者を連れて行きます。
 それを知ったプロイセン公アルブレヒトは激怒。「人泥棒!」というわけです。優秀な人材はいつの時代でも貴重。これが1530年前後の出来事。
<このあたり、ベラルーシの国語の教科書には載らないスカルィナの黒歴史。>

 さて、お兄さんの借金を代わりに返せと言われたスカルィナは、「それは私が払うものではない。」と拒否。お金を貸していた人たちは、リトアニア大公に直訴。スカルィナは牢に放り込まれます。<このあたりも教科書には載らない黒歴史。>
 結局兄のイワンの息子、ロマンがリトアニア大公に、
「父の借金は息子の私が返しますので、叔父さんを牢から出してください。」
と願い出たのが聞き入れられ、スカルィナは釈放されます。
<当時の法律では死んだ親の借金は家督を継いだ子どもが返すことになっていて、兄弟に返済義務はなかった。つまりスカルィナは悪くない。>

 1934年、スカルィナは自分が出版した書籍を持ってモスクワ大公国(正教の国)へ行きますが、この本はカトリックの教えが書かれているとされ、焼き捨てられてしまいます。
 ロシア人はロシア人でカトリック勢力が近づいてくるのを警戒していました。
 
 スカルィナはその翌年、最初の聖書を出版した思い出のプラハへ行きます。そこでチェコの国王に雇われ、宮廷付きの庭師となりました。そしてプラハ城の庭園で死ぬまでおよそ20年間働きました。

「歴史初のベラルーシ語の聖書を翻訳・出版した偉人が、庭師として異国で死ぬってどうよ?!」
と憤慨するベラルーシ人も私の周りにはいるけれど、実際には、単なる庭師ではなく、薬草を育てて、薬を作ったり実験したり、王様に薬を処方したりして、もともと医者だったスカルィナさんからすれば、理解あるチェコの国王のお膝元で研究三昧の楽しい生活を送っていたんじゃないかなあ、と私は思います。

 スカルィナの没年ははっきりしていませんが、1552年には死去していたことは間違いないようです。というのも、プラハで死んだ後、遺産を相続するようにと言われて、長男のシメオンが(おそらくリトアニアから)プラハにやってきて、相続税を支払った記録が残っているからです。それが1552年のこと。
 ちなみにシメオンは父の跡を継いで、医者になっています。

 推定年齢62歳で死去したスカルィナですが、埋葬されたのは故郷のベラルーシではなく、聖書を出版したチェコのプラハだったというのが、運命ですね。スカルィナの墓の場所は不明です。
 宮廷庭師の扱いで埋葬されていますし、息子はチェコに住んでいなかったはずなので、お墓の守りをする人がいないのですから、ベラルーシ人のスカルィナの墓はチェコの大地に戻ったのだと考えられます。

 生まれ故郷への思慕を歌った詩を書いていたスカルィナさんなので、かわいそうな感じもしますが、今ではベラルーシを代表する偉人。今年はスカルィナの聖書が印刷されてちょうど500年ということで、国をあげて祝っています。
 ベラルーシではベラルーシのために尽力した人に与える国家最高の勲章として、スカルィナ勲章というものが設定され、日本人の間で有名なところでは、医師で松本市長の菅谷昭さんが受賞しています。<日本語訳では「フランシスコ・スカリナー勲章」と表記されるみたいですが。> 
 ・・・というわけで、日本人のみなさんが「縁もゆかりも接点もないわ」と思っていたベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、今回日本語で知っていただければ・・・と思います。

 最後にスカルィナが残した言葉(ことわざ)を日本語に訳しておきます。
「人を落とそうとして落とし穴を掘るな。自分がそこへ落っこちる。」
<スカルィナの人生を振り返った後にこのことわざを読むと、含蓄あるように思えてきますね・・・。>

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第209回」

2017-05-06 |  ビタペクト配布活動
 5月6日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第209目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を11個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2537個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算225回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2537人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が14人の子どもを引率して、保養滞在していました。この家族には11個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は1年前にもSOS子ども村で保養滞在していたときがあります。
 そのときの様子は以下をご覧ください。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第193回」(家族B)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。2016年に測定した結果についても表記してあります。

母親(事故発生時2歳)31ベクレル → 22ベクレル 
父親(事故発生時5歳)(今回初測定)13ベクレル
長男(12歳)42ベクレル ○ → 27ベクレル ○ 
長女(12歳)33ベクレル ○ → 30ベクレル ○
次男 (9歳)39ベクレル ○ → 33ベクレル ○
三男 (4歳)24ベクレル ○ → 21ベクレル ○
養女(10歳)39ベクレル ○ → 24ベクレル ○
養子 (8歳)20ベクレル ○ → 30ベクレル ○
養女 (9歳)41ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (9歳)32ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (8歳)(今回初測定)19ベクレル
養女 (7歳)(今回初測定)16ベクレル
姪  (8歳)(今回初測定)27ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)25ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)30ベクレル ○
女子 (8歳)(今回初測定)18ベクレル

 今回初測定の養女二人は最近この一家に引き取られたそうです。
 姪はゴメリ市内で自分の両親と普段生活しています。
 女子3人はお母さんの友人の子どもです。

 子どもたちの健康状態ですが、長女は腎臓病のため、腎臓を一つ摘出しています。
 長男は大きさは小さいですが、甲状腺に腺腫が見つかったそうです。
 お母さんも甲状腺が肥大しています。お父さんは心臓病だそうです。これは被爆のせいではなく遺伝かも、とお母さんは話していました。お父さんのお父さんは40代で心臓病で亡くなっているそうです。
 姪は生まれつき心臓に穴が開いています。8歳の女子は父親がウクライナ人でウクライナ生まれ、ウクライナ育ちですが、最近ベラルーシへ引っ越してきたそうです。
 他の子ども達は比較的健康だそうです。

 前回と今回の測定結果を見ると、全体的に数値は下がりましたが、ビタペクト3を飲まないといけないレベル(体重1キロあたり20ベクレル以上)です。
 この一家は食品は市内の店舗で普通に売られているものを食べることがほとんど、と話していました。

 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製の鉛筆やベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのりをプレゼントしました。そして昆布茶。
 昆布茶はベラルーシにありませんでしたので、お父さんとお母さんは興味津々でした。
 子ども達はビタペクト3をおいしいと言って、食べていたそうです。今回もビタペクト3を渡したら、みんな大喜びで、早く食べたい、と言っていました。(←一度にたくさん食べないようにご両親は注意してください。)
 三男坊君は、
「ぼくはヨウ素が足りないから、飲む。」
と私に言っていましたが、4歳なのに頭よすぎません?(実はビタペクト3にはヨウ素は含まれていないです。昆布茶を飲みましょう。)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 
 

チロ基金創立20周年

2017-05-05 | チロ基金
 2017年5月チロ基金は創立20周年を迎えました。
 
 創立当初より、無理はせず、細く長く続けようと思っていたチロ基金の活動が20年も続きましたこと、ひとえに多くの支援者の方々のおかげです。 
 チロ基金の活動に常日頃からご賛同下さっている多くの方々に、改めて深くお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。
 今後もまた一年一年、少しずつですが積み重ねていこうと気持ちを新たにしております。

 今月末にはチロ基金20周年記念将棋大会を開催する予定です。
 また改めてご報告いたします。

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 2017年5月28日追記です。
 予定通りチロ基金創立20周年記念将棋大会が開催されました。
 詳しいご報告はこちらです。