ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第142回」

2012-11-29 |   ビタペクト配布活動
 11月28日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第142回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1977個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1810部となりました。
 今回で通算154回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1977人の子どもにビタペクトを、1810家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 今回は2家族がグロドノ市(チェルノブイリ原発から約400キロ)から保養に来ていました。
 それぞれの家族に話を伺いました。

(家族A)
  
 お母さんが6人の養子と1人の子どもを引率していました。家庭タイプの孤児院とベラルーシで言われる家族です。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2008年、2011年にも保養に来たことがあります。
 2008年の保養滞在のようすはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第81回」(家族B)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/6c2428b23895a02787fe67d908faf93a


 2011年の保養滞在のようすはこちらをご覧ください。
 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第125回」(家族A)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f3ca7b747528f104915448e904e47992



 前回と今回のそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2008年、2011年、2012年の結果を順番に表記してあります。○印の子どもにビタペクトT(2008年はビタペクト2)を渡しました。
 
母親(事故発生時16歳)19ベクレル → 6ベクレル → 10ベクレル
男子 12歳  7ベクレル → 29ベクレル ○ → 0ベクレル
女子 11歳  7ベクレル → 12ベクレル → 25ベクレル ○
男子 10歳 40ベクレル ○ → 28ベクレル ○ → 26ベクレル ○
男子 10歳 54ベクレル ○ → 30ベクレル ○ → 22ベクレル ○
女子 10歳 (2011年初測定)33ベクレル ○ → 30ベクレル ○
男子  4歳 (2011年初測定)30ベクレル ○ → 21ベクレル
男子 11歳 (2012年初測定)29ベクレル ○

 2008年のころと比べると、ましな数値になってきました。12歳の男の子が29ベクレルから0になったのがうれしいです。
「この子だけがいっさい牛乳を飲まないんです。」
とお母さんは話していました。
 この一家は商店で売られている牛乳ではなく、生乳を飲んでいます。
 この生乳を検査したほうがいいと思うのですが、グロドノはベラルーシの中で一番チェルノブイリ原発から離れている州で、住民も
「ここは大丈夫。」
と安心しているようです。 

 11歳の男の子は今回引率された子どもで、この家の養子ではありません。グロドノから50キロ離れた村パルヒモフツィで暮らしています。特に持病などはあるのか聞いていない、というお母さんの話でした。
 しかし、目の下にすごくふくらんだクマができていて、顔色もあまりよくなったです。
 この目の下のクマは被曝のせいではないですか? とSOS子ども村のリリヤ先生に尋ねましたが
「放射能のせいだけとは言い切れない。腎臓の機能が落ちているせいかもしれなないから、検査しないと分からない。またリンパ腺の問題かもしれない。」
という返事でした。私から言わせれば、そのような心臓機能の低下やリンパ腺の異常が起きること自体が、被曝に関係あるのでは? と疑問です。
 ともかく目の下にクマなどは病気には思われないので、放置されがちですが、隠れた病気があるのかもしれないので、検査を受けるほうがいいのかもしれません。

 9歳の男子2人は双子の兄弟です。お菓子アレルギーがあります。
12歳の男の子は精神発達遅滞が見られ、特別養護学校に通学しているそうです。
 他の子どもは比較的健康、といううことでした。
 お母さん自身は乾癬という皮膚の病気に悩んでいます。

 お母さんの話によると、いわゆる孤児を収容している国立国営の施設は、2015年をめどに全て閉鎖されることになりました。
 現在収容されている孤児たちは、この家族のような家庭タイプ孤児院やSOS子ども村のようなタイプの施設に分散されることに決まったそうです。おそらく国家予算の負担になっているのでしょう。
 お母さんの話によると、ある孤児施設では95人の子どもが暮らしていますが、運営のためのスタッフは120人だそうです。
 当然、家庭タイプ孤児院の養親に引き取らせて、子どもそれぞれに手当てを払うほうが安くつく、という計算になったのだと思います。
 ベラルーシではテレビのCMで、しょっちゅう「親のない子どもを引き取りましょう。」と養親を募集しています。
 国の懐具合が苦しいので、孤児の面倒は優しい人の母性や父性に甘えて丸投げ・・・という印象もありますが、子どもの立場から見れば、大勢でまとまって入れられる施設より、家庭の暖かさのある環境で成長するほうがずっといいと思います。
 何となく私たちの頭の中でイメージされている(漫画などの影響? (^^;))昔風の孤児院はすでに時代に合っていないのかもしれません。
 

(家族B)
  
 お母さんが3人の子どもを引率していました。この家族には1個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時3歳)21ベクレル
女子 10歳  25ベクレル ○
男子  6歳  16ベクレル
女子  2歳  19ベクレル

 お母さんに子ども達の健康状態について尋ねました。
 10歳の女の子はアレルギー体質です。
 6歳の男の子は生まれつき腎臓病です。1年に2回ホルモン検査を経過観察中だそうです。現在もホルモン剤を飲んでいるそうです。
 2歳の女の子は元気だということでした。

 画像は記念撮影のようすです。昼寝中の子どももいたため、全員が画像に写っているわけではありません。
 それから子どもたちに折り鶴や折鶴の作り方を説明した紙(千羽鶴プロジェクト)、折り紙用の紙、お母さんにはアクリルたわし、それから古い着物をほどいて巾着袋にして寄贈してくださった方がいたので、プレゼントしました。
 また家族にそれぞれフライディングディスクも1枚ずつ渡しました。
 それからきれいな日本の絵葉書の裏に子どもたちの名前を書いて渡しました。

 3回目の保養になる子ども達は、ビタペクト3を見ただけで、「あ、ビタペクト!」と騒いでいました。
 お母さんの話では、2008年は粉末タイプのビタペクト2を飲み、2011年はタブレットタイプのビタペクトTを飲んだのですが、
「粉末タイプより、タブレット型のほうが子ども達は喜んで食べていた。お菓子みたい! と言って、全く嫌がらなかった。」
・・・そうです。
 やはりタブレットタイプのほうが飲みやすい(食べやすい)ようですね。
 でも齧った後は、水分をとってください。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙やおもちゃ、巾着袋などプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

雑誌 週刊金曜日 11月23日発売 921号

2012-11-24 | 放射能関連情報
 『週刊金曜日』(2012年11月23日/921号)の注目記事です。

●ベラルーシ・ベルラド放射能安全研究所所長
 A・ネステレンコ博士が語る
 放射線被曝と「エートス・プロジェクト」
「子どもたちの内部被曝量を測っても、結果は公表しない。
彼らはやるべきことを行なわないのです」
さくらぎ 美子

 チェルノブイリ事故後、放射能汚染地域住民の生活復興を目的にベラルーシで始まった「エートス・プロジェクト」。その流れを汲むグループが福島で生まれたが、内部被曝を問題にしない姿勢などには批判の声もある。今年一〇月、福島市での講演のために初来日したA・ネステレンコ博士に、「エートス」という存在について、疑問をぶつけてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 週刊金曜日のサイトはこちらです。

http://www.kinyobi.co.jp/


 記事を書いてくださった、さくらぎさん、ありがとうございました。
 他にもいろいろな記事があるのに、この記事が注目記事として取り上げられているのがうれしかったです。
 
 それにしても「エートス」・・・。
 実は私はエートスのことはさくらぎさんから教えていただくまで知らなかったのです。
 チロ基金がチェルノブイリの支援活動を始めたころには、ベラルーシ国内のエートスは活動を縮小し始めていたせいもあるのですが、私から言わせれば、「調査はするけど、住民のための対策はしない。」とか「放射能は危険ではない。住んで大丈夫。」とか言う団体や個人なんて、ベラルーシにはたくさんなので、特に気にもしていなかったです。
 
 逆に「子ども達を助けよう!」と声高に言って、外国から寄付金を集めておきながら、いつの間にか消えてしまったベラルーシのボランティア団体もありますので、日本でもこういうことにならないよう気をつけないといけません。

雑誌 DAYS JAPAN 2012年12月号

2012-11-20 | 放射能関連情報
 雑誌DAYS JAPAN 2012年12月号(11月20日発売)に、ベルラド研究所所長福島視察の記事が掲載されています。
 サイトはこちらです。

http://www.daysjapan.net/about/index2.html


 この目次によると・・・

「ベラルーシ、ベルラド研究所所長、福島を初視察
写真/おしどりケン 文/おしどりマコ」

 ・・・とあります。おしどりマコさん、ケンさん、ありがとう!!!

 しかしこの雑誌の今月号の表紙・・・関西出身の私には衝撃的です・・・。
 が、衝撃的、なんて呑気なこと言っている場合じゃないんだろうな・・・。
 こんなことに日本がなってほしくないけれど、こういう現実が起こる可能性もある、ということをよく考えないといけませんね。
 

ウランについて

2012-11-17 | 放射能関連情報
 昨年ベルラド研究所の副所長さんであるバベンコさんと日本へ行ったときのことです。
 講演会の質疑応答のときなどに被曝を調べようと自分の爪を検査機関に送ったところ、その分析の結果「ウランが見つかった。」という人が複数名いました。
 その人たちは関東圏に住んでいる人たちばかりでした。(私が覚えている限り)
 そのときバベンコさんは
「福島第一原発からウランが東京のほうへ飛散? そして日本人の爪から検出?」
と不思議そうにしていて、
「ウランは重いので、そんなに遠くまで飛ぶはずがない。検査機関のほうのミスでは?」
と言っていたのです。

 1年後、今度は所長さんといっしょに日本へ行くと、この1年の間に爪を検査している人がいました。その結果、やはりウランが検出されたのです。(私が知っている限り関東圏に住んでいる人たちです。)

 ちなみにこの爪からウランの話をSOS子ども村ですると
「それはありえる。」
というので、どきどきしながらその先の話を聞くと
「その爪からウランが出た人は、みんなウラン鉱山で採掘作業をしていた人なんでしょ?」
ときかれ、がくっとなりました。
 
 とにかく福島第一原発から離れたところに住んでいる人の爪からウランが検出されるのかよく分かりません。
 しかし、「あなたの爪からウランが出ましたよ。」と言われたら、誰もショックでしょう。

 では体内のウランを排出する方法はないのか・・・ペクチンはどうなのか、所長さんに質問しました。
 すると所長さんは
「ペクチンに体内のウランを排出させる作用はない。」
という返事。がっくり・・・。

 しかし、ベルラド研究所が作成しているビタペクトのパンフレットにはこのようなことが書いてあるのです。(ビタペクトの容器そのものには記載されていません。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ビタペクトの働き

(1) 放射性核種や重金属イオンと結合し、体内から排出させます。
(2) 腸内の粘性を高めます。
(3) 放射性核種、重金属イオンとの再吸着を防ぎます。
(4) 腸内で多種多様な腸内細菌が活性化する好条件を作り出します。
(5) 血液中のコレステロール成分を正常化します。
(6) 胆汁の分泌を促進します。
(7) 低比重リポタンパクと結合し、それを排出させます。
(8) 高比重リポタンパクと低比重リポタンパクの指数を上げることにより、心筋梗塞のリスクを下げます。
 
 その結果このような効果が得られます。
(1) 大腸炎、胃腸炎、腸閉塞、腸内バクテリアの状態の改善し、消化器官系の機能正常を維持します。
(2) 動脈硬化症、糖尿病の予防になります。
(3) 中毒症状の改善。
(4) 新陳代謝の促進。
(5) 健康へのリスクが高い労働条件下においての職業病や中毒症状の予防。(対象者の例)チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域の住民、その他の稼働中原子力発電所従事者ならびにその周辺地域の住民、ウラン採鉱場での採掘・加工業従事者。

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 ほら、最後にウラン採鉱場での採掘・加工業従事者はビタペクトを飲んだほうがいい、と勧めているでしょ?
 ペクチン(ビタペクト)がウランを体外に排出する作用がないなら、どうしてパンフレットに記載するのですか?(読んだ人が誤解するじゃないか。)と所長さんに質問しました。
 すると所長さんは
「ウランそのものは排出しないけれど、ウランからさまざまな種類の放射能が出ている。それによる悪影響を防ぐために、予防措置として、ペクチンサプリを飲むのはいいことです。」
 という答えでした。なるほど・・・

 というわけで、爪からウランが検出された! と驚いている人へ。やはりペクチンサプリを飲むことをお勧めします。
 本当はウランそのものが体の外へ出て行ってほしいのですが、とにかくウランのせいで病気にならないように、予防措置はとっておかないと・・・と思います。


ソトコト2013年1月号に特集記事が掲載されます

2012-11-15 | 放射能関連情報
 木楽舎が発行しているソーシャル&エコマガジンの「ソトコト」2013年1月号(12月5日に発売)で、ベルラド研究所のネステレンコ所長来日の特集記事が掲載されます。
 10月に初来日したネステレンコ所長さんが各地を周ったときのようす、出会った人々のことがたくさんの写真付きで掲載されます。
 さらにネステレンコさんの「日本人への手紙」という寄稿も載る予定です。(私が日本語に翻訳させていただきました。)

 ソトコトのサイトはこちらです。

http://www.sotokoto.net/jp/


 またソトコト2012年6月号にも「原発で傷ついた国ベラルーシへ」という特集で編集部がベラルーシのゴメリ州で取材したことが掲載されています。
 私が書いた記事や日本文化情報センターのことも紹介されています。
 ベルラド研究所やSOS子ども村につての取材記事も掲載されています。
 ぜひお読みください!
 

バンダジェフスキーとネステレンコ 決別の理由

2012-11-14 | 放射能関連情報
 以前「バンダジェフスキー博士のペクチンへの見解について」という記事を投稿しました。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c689cc5aecb4587df9309b574044abcd


 そこで、バンダジェフスキーさんがベルラド研究所を批判し、さらにはペクチンは効果がない・・・といったさまざまな意見を発言したことを書いています。

 アレクセイ・ネステレンコさん(今のベルラド研究所所長)から、バンダジェフスキーさんと前の所長との間に何があったのか、尋ねました。(いっしょに長時間飛行機に乗るっていいですね。(^^)所長さんはいつも多忙で飛び回っているような人なので、じっくり話ができないんですよ。またいっしょに日本へ行く機会があったら、飛行機の中でいろいろ教えていただきたい。)

 アレクセイさんの話によると・・・
 バンダジェフスキーさんが冤罪で裁判になったり、服役したりしている間、ワシーリイ・ネステレンコさん(前の所長)は親友として嘆願書を出し、無職になった奥さんのガリーナさんをベルラド研究所で雇い、そのほか経済的な援助をしていました。

 裁判前、ゴメリ医科大の学長になったバンダジェフスキーさんには、国から立派なマンションの一室が支給され、一家4人で暮らしていました。
 ところが裁判が起こると、国がマンションを(犯罪人から)没収したため、一家は住むところもなくなってしまいました。
 ワシーリイ・ネステレンコさんは親友の妻子が困っているのを見かねて、ミンスクに来るように話し、ミンスク市内のアパートを借りられるよう手配しました。
 そこにガリーナさんと2人の子どもは落ち着き、ガリーナさんはベルラド研究所に就職して、服役中の夫の研究論文をまとめ、ベルラド研究所から出版しました。

 5年の服役の後バンダジェフスキーさんが出所。当然仕事がないので、ワシーリイ・ネステレンコさんはベルラド研究所で働くよう提案しました。
 ところがバンダジェフスキーさんは
「私は医者なので、医学的な研究がしたい。だからマウスやラットを解剖する。」
と言い出しました。
 ベルラド研究所は医学の研究所ではないので、そのための設備はありませんし、そもそも当時はベルラド研究所内でビタペクトの梱包作業をしていましたから、食品を扱っているような場所で、動物の死体を解剖すること自体が法律違反になってしまいます。

 それでもネステレンコさんは親友のために、別の研究所に頼み、解剖ができるようなラボがないか探し、見つけてきました。
 そのことをバンダジェフスキーさんに言うと
「どうしてよその研究所に私を追いやるのか。ベルラド研究所は、施設の建築費を西ヨーロッパの支援団体から出してもらっただろう。よその国からの支援をベルラド研究所は独り占めして、私には解剖をさせてくれない。ベルラド研究所(所長)はずるい。」
 と文句を言ったそうです。

 それでネステレンコさんも、もう面倒を見切れない・・・と思ったのでしょう。それ以来絶交したそうです。

 これだけ読むと、バンダジェフスキーさんがすごく自己中心的な人物のように思えますが、逮捕前はこんな人ではなかったそうです。
 アレクセイさんによると
「服役中に刑務所で相当つらい思いをしたに違いない。すっかり人が変わってしまった。」
ということでした。

 このような仲たがいをしてしまったのですから、そのときベルラド研究所で働いていた奥さんも非常に具合が悪くなったでしょう。
 さらに夫婦間でも意見の違いなど(要するに夫婦喧嘩)があったと思われます。
 ガリーナさんもいたたまれなくなり、ベルラド研究所を退職することになりました。
 こうして新しい就職先(ミンスク市内の子ども診療所の医者)へ転職し、子どもの1人は結婚して孫も生まれ、ガリーナさんはミンスク市で生活しています。

 親友と絶交したバンダジェフスキーさんは、奥さんとの間でも問題が起こったらしく(というより性格が変わってしまった夫の言動に妻がついていけなくなった。)別居状態となりました。

 とにかくベラルーシでは仕事もないし、(ベラルーシに住みたくない、あるいは住めないため)バンダジェフスキーさんはフランスへ渡り、そこの研究所でしばらく研究をしていましたが、現在はウクライナの病院で仕事をしています。

 2008年にワシーリイ・ネステレンコさんが亡くなったとき、バンダジェフスキーさんは葬儀にも来ず、弔電も送りませんでした。
  
 このようないきさつがあったそうです。以上はアレクセイさんから聞いた話ですが、バンダジェフスキーさんから言わせれば、自分の主張したいこともあるでしょう。

 しかしこのような絶交状態が、現在のバンダジェフスキーさんの「ベルラド研究所批判」「ペクチンは効かない」につながっているのでしょうか・・・。
 だとしたら悲しいですね。
 一方でバンダジェフスキーさんの考え方が子どもっぽい、と感じます。

 出所後、全ての肩書きを奪われ、無職の自分・・・かわいそうな自分、被害者である自分・・・何も悪いことしてないのに・・・これからは当然助けられるべき。親友なら優しくするべき。親友は私のために、すばらしい解剖室を提供すべき・・・そういうベルラド研究所は海外から研究資金をもらっているんだし、私を助けるのは簡単だろう・・・という発想だったのかもしれません。
 ところが助けてくれない、となったとたん、激しく批判する。
 横から「親友に何てひどいこと言うんですか。」と止める妻も、自分のことを理解してくれない存在と解釈して、別れてしまう。  

 ・・・これはあくまで私の想像で、現場を目撃したわけではありません。
 しかし、こういう「被害者意識」が大きすぎて、「私を助けろ。助けないお前は友でも家族でもない。」と周囲に「お金」「物」「愛情」「いたわり」・・・などを激しく求めすぎて、かえって孤立してしまう人って、日本にもけっこうたくさんいません?

 もっとも、服役中に性格が変わってしまったのでしょうから、バンダジェフスキーさんの考え方を子どもっぽい、と感じる私も間違っているかもしれません。

 私は先日、偶然ですがバンダジェフスキーさんの奥さんのガリーナさんとお会いしました。
 周りに関係のない人もいた(何せ夫が前科持ちですから、世間の目も気になるところでしょう。)ので、話がしにくかったのですが、
「私はこれこれこういうもので、ベルラド研究所と長年の付き合いがあり(当然前の所長さんとも知り合いです。)・・・。」
などと自己紹介しました。
 ガリーナさんは私の話は聞いてくれましたが、ベルラド研究所の話はしたくなさそうだったので、その話題は切り上げました。
 あまり昔のごたごたした思い出を思い返したくなかったのでしょう。

 ベラルーシでは既婚者は右手の薬指に結婚指輪をはめます。独身者は中指です。
 ガリーナさんが右手の中指に指輪をはめていたのを見て、それが多くのことを物語っているように感じました。
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第141回」

2012-11-13 |   ビタペクト配布活動
 11月12日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第141回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を5個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1971個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1800部となりました。
 今回で通算153回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1971人の子どもにビタペクトを、1800家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は2家族がボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。

(家族A)
 この家族は2005年11月にもSOS子ども村へ保養に来たことがあります。そのときのようすはこちらをご覧ください。
 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第39回」(家族B) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no39.html


 今回この家族には4個のビタペクト3を渡しました。
 前回ビタペクトを渡した長女はもう大きくなっていて、今回の保養には参加していません。
 ほかにも2005年の保養の後、生まれた子どもや、甥と姪の2人を引率していました。

 それぞれのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2005年に測定した子どもはその結果も記載しています。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時11歳)11ベクレル → 10ベクレル
長男(15歳)10ベクレル → 10ベクレル 
次女(13歳)0ベクレル → 30ベクレル ○
三女(10歳)10ベクレル → 15ベクレル
次男 (8歳)0ベクレル → 24ベクレル ○ 
四女 (6歳)33ベクレル ○
三男 (3歳)33ベクレル
姪  (6歳)33ベクレル ○
甥  (4歳)28ベクレル

 子ども達は健康ということでしたが、次女、三女、四女は視力の低下が見られる、ということでした。
 今回は来ていない長女は生まれつき視力が低い、という話で、7年前には次女も眼鏡を作る、という話でしたが、再会したら本当に眼鏡を作っていました。
 生まれつき視力が低い、というのが気になるところです。
 

(家族B)

 お母さんが4人の子どもと保養に来ていました。この家族には1個のビタペクト3を渡しました。それぞれのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました

母親(事故発生時14歳)12ベクレル 
長男(15歳)16ベクレル
長女(6歳)28ベクレル ○
次女(4歳)22ベクレル
次男(2歳)0ベクレル  

 子ども達の健康状態についてですが、長男と次女は食物アレルギーだそうです。 
 長女はとても小食でやせており、ビタペクト3をあげてもちゃんと消化できるかどうか分からないので、渡さないことになりました。
 仕方ないので、りんごジュースをたくさんあげることにしました。
 お母さんは常に背中が痛いそうで、また婦人病も抱えています。

 お母さんはオルシャ(チェルノブイリ原発から約350キロ)の出身で、進学を機にボブルイスクに住み始めたそうです。
 今でもたびたびオルシャの実家に帰省しており、その庭に生えているりんごをもらってはたくさん子ども達に食べさせているそうです。
 オルシャは汚染地域ではありませんが、最近ガン患者が増えた、とお母さんは話していました。

 画像は記念撮影のようすです。昼寝中の子どももいたため、全員が画像に写っているわけではありません。
 それから子どもたちに折り鶴や折鶴の作り方を説明した紙(千羽鶴プロジェクト)、折り紙用の紙、お母さんにはアクリルたわしなどをプレゼントしました。
 古い着物をほどいて巾着袋にして寄贈してくださった方がいたので、それもお母さんに渡しました。またきれいな日本の絵葉書の裏に子どもたちの名前を書いて渡しました。日本語に興味を持った子どもが多くて、将来この中から優秀な通訳が現れてくれないものか・・・などと思いました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その8

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 剣道体験会の最後には、私からマーシャさん、2人のリタさんに感謝状が手渡されました。(この画像にはマーシャさんが写ってなくて申し訳ないです。)
 子どもたちからも盛大な拍手が・・・!
 やはり日本文化を紹介する、と言っても私1人ではできることの範囲が狭すぎます。
 これからも剣道クラブの皆さんと楽しくこのような場を作っていきたいと思っています。
 剣道クラブの宣伝もしたけれど、子ども達はまだ小さいので、今すぐ習いに行ける子はあまりいないと思います。
 しかし、将来に期待しましょう!
 ベラルーシの剣道人口が増えたらいいなあ、と思います。
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その7

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 ギターを持って再登場!
 竹刀を楽器に変えて、日本語で歌を歌ってくれたリタさん、どうもありがとう!
 アニメクリップもバックに流しましたよ。(^^)
 子ども達は初めて聞く日本語の歌にびっくりしていましたよ。
 剣道のときは騒いでいた子どもも静まり返って聞いていました。
 
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その6

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 さらに竹刀や木刀も実際に触ることができます。
 (隣の人を叩くのはやめよう。)
 この間に防具をつけていたお二人は防具を外して・・・

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その5

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 何だか緊張気味の子ども達ですね。おっかなびっくりというか・・・
 でもとてもわくわくしていると思いますよ。(^^)
 こういうのが貴重な子ども時代の体験になってほしいです。

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その4

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 そして子どもたちの剣道体験会の始まり。
 司会進行役のマーシャさんに竹刀の握り方から教えてもらいます。
 希望者が多くて、大変です。
 順番がなかなか来なくて、泣き出す子まで出てくる始末。
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その3

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 とにかく「面!」「胴!」の声にもベラルーシの子ども達はびっくりです。
 いやあ、でも何回見てもかっこいいですねえ。
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その2

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 教材ビデオを見た後、いよいよ剣士登場!
 今回は音楽まで流して、すごい迫力です。(私は音響係をしていました。)
 盛り上がったところで、剣道のデモンストレーションが始まります。

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第3回 その1

2012-11-10 | 日本文化情報センター
 ベラルーシの学校には秋休みというものがあるのです。
 そしてこういう休みを利用して、校外学習に出かけるのが、日本の学校とちがうところですね。
 こうしてまたたくさんの子ども達が図書館(日本文化情報センター)にやってきました。
 そして今回も剣道の紹介を行いました。

 剣道を紹介してくれたのはミンスク市内にある剣道愛好家クラブの皆さん。
 このクラブ「ミンスク剣道クラブ」のサイトはこちらです。(ただしロシア語のみです。)

http://www.kendo.by/


 2012年3月に第1回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/0e49d35de8c74042ea4bfc7857660fed


2012年6月に第2回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/87d9d852b2c81f6d5876b91e6e950b4f


 日本文化情報センターの中で皆さんが準備している間にまずは剣道の歴史などを紹介するビデオを見ます。
 このようにまずは予備知識を子ども達に伝えます。
 また会場には剣道など武道について紹介する本の展示コーナーも作りました。
(図書館の業務なので、子どもたちに本を読む楽しさも教えないといけません。)